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ゴミ箱の中の子供達 第14話

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ゴミ箱の中の子供達 第14話


 喘息の発作を起こし、咳を吐きながらポープは体を折る。その音は班の全員に聞こえたらしい。走っていた全員
が歩を止めてポープを向かって振り返った。
 まずい。ポープの喘息でなく全員が歩みを止めた事がまずかった。敵を牽制するものが1人もいないからだ。半ば
反射に近い思考でゲオルグは叫んだ。

「弾幕を張れ」

 ゲオルグの指示に部下たちは弾かれたように銃を構えた。背後から追いすがる民兵に銃撃を加え、その動きを
牽制する。これでいい。ゲオルグは安心してポープの元に駆け寄った。
 ポープに近寄ると、ゲオルグはその様子を伺った。片手で胸元を押さえながら、地面に手をつくポープはひゅーひゅー
と苦しげにのどを鳴らしている。立てるか、というゲオルグの問いかけに彼は首を横に振った。
 早急に楽な姿勢をとらせて応急処置を施さねばならない。だが、それはこんな弾雨の只中ですることでない。弾丸
の飛び交わないどこか安全な場所を見つけなければ。顔を上げると正面に一戸建ての民家が目に入った。あれだ。

「ミシェル、チューダー、そこの民家を確保しろ」

 民家に向けて指を指しながらゲオルグは指示を飛ばす。命令を受けたミシェルとチューダーは民兵への銃撃の
手を止めると、すぐ脇の民家へ向かった。まずミシェルがドアを蹴破って中へ、続いてチューダーがバックアップ
として続く。
 残ったゲオルグ達3人はポープを守るように取り囲みながらミシェル達の制圧完了の声を待った。膝射の姿勢で
ひたすら民兵に銃撃を続けて、その動きを押さえつける。計ればほんの僅かな時間だったろうが、ゲオルグには
それがとてもとても長く感じられた。

「クリア」

 ようやくインカムからミシェルの声が流れた。息をつくまもなくゲオルグはウラジミールの肩を叩く。

「ポープを抱き上げられるか」
「ああ、できるぜ」
「よし、やってくれ」

 ゲオルグが指示すると、ウラジミールはポープの2m近い巨躯を横抱きの状態で軽々と持ち上げた。さすが班随一の
筋肉ダルマだ。ゲオルグの民家に向かえという命令に従い、彼はそのまま民家へと入っていく。

「兄サン、俺はどうすればいい」
「牽制しながら順番に後退だ、まずはお前からだ」

 肩を叩いてゲオルグは後退を促す。指示を受けたアレックスは始めは銃を撃ちながら後ろ足で、その後踵を返して
民家に向かって駆け出した。
 アレックスの後退をゲオルグが援護する。短機関銃の重奏が独奏に変わる。あまりの心もとなさにあげそうになった
悲鳴をゲオルグは全霊をかけてかみ殺した。程なくしてようやく通りに響き渡る短機関銃の音色に伴奏が生まれる。

「兄サン」

 アレックスがゲオルグを呼ぶ。振り返ると民家の入り口に半身を隠しながらアレックスが短機関銃を撃っていた。
ゲオルグも踵を返し、民家の入り口へと駆ける。転がり込むようにして、ゲオルグは民家の中に入った。
 民家の玄関の向こうはすぐにリビングになっていた。入り口すぐ脇の窓ではチューダーとウラジミールが外の敵に
反撃している。奥の壁際ではポープが壁にもたれかかるように座っていた。彼のすぐ脇にはミシェルが付き添うように
しゃがみこんでいる。ゲオルグは窓辺に近づくと、チューダーの肩をつかんで引き寄せた。

「チューダー、本部へ連絡だ。喘息の発作により、1名行動不能。よって移動できず。現在位置は……」

 太もものポケットから地図を取り出すと、現在位置座標をチューダーに伝える。
 本部への連絡は以上だ。無線機のマイクに向かって喋るチューダーをそのままに、ゲオルグはミシェルの元へと
向かった。

「ポープの容態は」
「ステロイドを吸わせたところ。今は安定してるわ」

 見ればポープは足を広げて座り、背を壁に預けた状態で、体全体を収縮させるようにして呼吸している。喉を
ぜいぜいと鳴らしている様はいかにも苦しげだが、咳はしていないので確かに安定しているのかもしれない。

「移動はできるか」
「しばらくは無理ね」
「そうか」

 このままでは合流地点にいけない。どうしたものかと考えていたところで、不意に腕を小さく引っ張られれた。
見ればポープが袖口をつまんでいた。
 どうしたのか。しゃがみこみ、ポープの目線にあわせると、弱弱しくだが、唇が動いた。ポープは言葉を発しようと
しているのだ。だが、その声はぜいぜいと音を立てる苦しげな吐息に阻まれて聞き取ることができない。その様が
あまりにも苦しげで痛々しく、無理をするなと、ゲオルグはポープを諌める。だが、ポープは懸命に発声を続ける。
その健気さにゲオルグの方が折れた。ゲオルグは耳を澄ますと、ポープの唇に意識を集中させた。唇の動きを
追って、ようやくポープの言葉が掴み取れた。

 ――先ニ 行ッテクダサイ

 ポープの唇は確かにそのように動いた。驚くゲオルグをよそにポープは続ける。

 ――僕ノ コトハ 気ニシナイデ

 健気なポープの申し出にゲオルグの胸は痛んだ。だが、弟を見捨てることなどあってはならないのだ。

「何を言ってる。お前を置いていくわけないだろう」

 ――デモ、コノママジャ 足手マトイニ ナッチャウ

「そういうことはもっと切羽詰ったときにいうものだ。今はそこまで追い詰められていない」

 ゲオルグの否定の言葉に、ポープは執拗に食い下がる。発作のせいかだいぶナーバスになっているようだ。
言いくるめるよりも、励ましのほうが必要かもしれない。

「それに、コマネチはどうする。俺はウサギの世話なんかできないぞ」
「コマネチ……」

 ペットのコマネチの名前を出した途端、ポープの目つきが変わった。疲労で濁りきっていたその瞳に明らかに生気が
宿る。ポープは、声に出してペットの名をつぶやいて、ぼんやりと宙を見つめた。ペットの名前をつぶやきながら、
ポープは何を思っているのだろうか。
 程なくポープはなにか決意した眼差しで唇を動かした。

 ――モウ少シ ガンバル

「ああ、それでいい」

 ゲオルグは微笑みながら頷いた。
 話を終え、立ち上がったゲオルグは窓辺へと寄った。窓の近辺は激しい銃撃を受けており、チューダーとウラジミール、
アレックスの3人が物陰に隠れながら防戦を続けてる。はじけ飛ぶ窓枠には思わず圧倒されそうになるが、ゲオルグは
なるべく平静を装ってチューダーにたずねた。

「状況はどうだ」
「押され気味ですね」

 ゲオルグの問いにチューダーが申し訳なさそうに答える。
 ゲオルグは意を決し、窓から外をうかがった。向かいの建物の門の陰や、塀や窓の向こう等、いたるところに
民兵が展開しており、半身を隠した状態でこちらに銃撃を加えていた。

「撃っても撃ってもいくらでも沸いて出てくる。きりがねえ」

 短機関銃を撃ちながらアレックスがぼやく。ゲオルグは一旦窓から頭を下げると短機関銃を構えた。

「流石に敵が多い、無駄弾を使うな、撃てる敵だけ撃て」

 窓から姿をさらし、ゲオルグも防戦を始める。ゲオルグ達が占拠する民家に突入しようとしたのか、不用意なまでに
接近していた一団に向けて引き金をひいた。3回目でようやくアイアンサイトに覗く男が崩れ落ちる。命中したらしい。
殺人の余韻を味わうこともなく、すぐさまゲオルグは隣の敵に照準を合わせた。
 そのとき、うなり声のような轟音とともに、嵐のような弾雨がゲオルグの頭先を掠めた。慌てて頭を下げる。頭に被った
ヘルメットに銃弾が掠り、かすれた音を立てた。銃弾がかすったヘルメットの頭頂部をなでながらゲオルグは窓を見上げる。
窓枠の下に身を隠してもなお、敵の連射は止まらない。連射速度に、連射時間、そして何より、うなり声を上げるような
銃声は突撃銃とはあまりにも異なる。これは機銃だ。

「これは機銃か、どこからだ」
「民家の玄関、真正面です」

 ゲオルグの質問にチューダーが泣き言をあげるように言った。
 なんてことだ。窓からの反撃が完全にふさがれた。思わず機銃のことでいっぱいになりそうな思考をゲオルグはぎりぎりの
ところで押しとどめることに成功した。機銃よりも懸念すべきことがあったから。窓から牽制できない以上、接近していた
一団がこのまま突入してくるのだ。

「接近戦用意」

 ゲオルグの叫び声と同時に入り口で影が揺らめいた。
 民兵が狭い入り口から溢れる様にして内部に突入する。狭いリビングの中での接近戦。相手の表情まで判別
できるような距離での戦いで、ゲオルグは雄たけびをあげながら引き金を引いた。無謀にも先頭を切った民兵達が
銃弾を浴びて次々に崩れ落ちていく。だが、その死体を押しのけるようにして次々と民兵が乱入し、銃を乱射する。
飛び交う銃弾を嫌がるように床を転げながら、ゲオルグは無我夢中で引き金を引き続けた。
 狭い室内を銃弾が飛び交う。時計が壁からはがされ、液晶テレビが爆ぜ飛び、花瓶が砕け散る。室内の備品を
次々と砕いていく銃弾は幸運にもゲオルグを狙わなかった。一方で、ゲオルグ達が放つ入り口への集中砲火は、
唯一の突入口故に無防備な姿をさらさざるを得ない民兵達に多大な出血を強要する。
 ゲオルグ達の反撃にようやく気色が悪いと判断したのか、突入部隊の生き残りは踵を返して外へと退却し始めた。
向けられた背中にホッとするゲオルグをよそにアレックスが追いすがり、立ち上がろうとする。ゲオルグはその襟元を
つかんで無理やり引っ張って引き止める。中途半端に立ち上がった状態で上体を仰け反らせるアレックスの眼前を、
機銃の弾丸が掠めていった。呆然とした状態で尻餅をついたアレックスにゲオルグは怒鳴った。

「頭を上げるな」
「……うん、分かった」

 ようやく訪れた小康状態に、ゲオルグは息をつくと、皆の様子を伺った。床にへたり込んだアレックスに異常なし。
入り口の脇で外の様子を伺うウラジミールも同様だ。ふと、チューダーが左手で拳銃を握り締めていることに気がついた。
彼は右利きだというのに。見れば股の間に挟んでいる右腕からは血の雫が滴り落ちている。

「チューダー、右腕はどうした」
「大丈夫です。かすっただけです」

 明らかに無理して作ったとわかる歪んだ笑みを浮かべながら、チューダーが遠慮したように言う。だが、床に血溜りを
作るこの出血は、どう見てもかすり傷ではない。

「大丈夫なものか。ミシェルに診てもらえ」

 命令するように強い口調で言うと、チューダーも観念したのか頷いた。そのまま彼は頭を上げぬよう中腰で、衛生担当
であるミシェルの元に向かった。

「で、これからどうするのさ、兄サン」

 放心状態からようやく立ち直ったアレックスがゲオルグにたずねた。流石のゲオルグも、この質問には考えあぐねる。
現状最大の脅威は正面に据え付けられた機銃だ。窓の真正面なだけに部屋の奥まで射線に入る。室内ですら自由に
行動できないのだ。悪いことに、それに対抗できるような火器は装備していない。

「待機しろ」

 とりあえず下した結論は、待機という消極的なものだった。少なくとも、こうして室内で身をかがめて立て篭もっている分には、
機銃の脅威は関係ない。入り口からの突入部隊も先ほどみたいに集中砲火で撃退可能だ。
 だが、一度退けた以上、第二波はないだろうとゲオルグは考える。それは決して良いことではなかった。こちらでは対処できない
別方法を相手が取るということだからだ。敵はどんな手を使ってくるのか。自分が相手の指揮官のみで考えろ。ゲオルグは考える。
 自分なら、篭城する敵には閃光弾を放り込むだろう。閃光弾でなくても、狭い室内だ。爆発物の類を放り込まれたらお終いだ。
家に火をつけていぶり出すという手もある。防ぐ方法は、ない。機銃で頭を抑えられている以上、外での出来事には手も足も
出せない。今のゲオルグにできることは、敵がそのことに気づくまでに増援が到着することを祈ることだけだった。
 不意にアレックスが窓辺へとにじり寄った。どうやら外の様子が気になるらしい。気持ちを同じくしていたゲオルグは、
アレックスに気をつけろと声をかけた。アレックスは慎重に頭を上げて外の様子を伺う。
 途端に、アレックスが叫んだ。

「兄サン、ロケットランチャーだ」

 しまった。この壁ごと俺達を吹き飛ばすつもりだ。ゲオルグがそう思うよりも早く、窓のある壁が爆発し、熱風と衝撃が
ゲオルグを飲み込んだ。
 気がついたとき、最初に感じたものは外の光だった。当たり前だ。壁が吹き飛ばされているのだから。吹き飛ばされた
衝撃のせいか、頭の中で鐘が鳴り響いているような耳鳴りと不快な振動があった。軽い脳震盪なのだろうか、どうしようもない
ほどの倦怠感で体がひどく重く感じる。

「目が、目がすっげぇ痛ぇっ」

 耳鳴りの向こうでアレックスの悲鳴が聞こえた。そうか目をやられたのか。ぼんやりとした思考が、それをなすがままに
受け入れさせる。やがて、ゆっくりであるが思考が明晰さを取り戻していった。現状を再認識すると同時に沸き起こるものは
諦めにも似た感情だった。
 壁を吹き飛ばされた以上、最早ゲオルグ達を守るものは存在しない。ロケットランチャーの第2斉射でもいい。正面から
こちらを狙っていた機関銃の射撃でもかまわない。今攻撃を受けたら遮るものがないため全滅だ。
 全滅という言葉がゲオルグの胸中を占拠していく。最早手はなし。全滅しかないのだ。
 身を浸していく諦観の中、ふとゲオルグの中で疑問が鎌首をもたげる。なぜ俺は死んでいない。なぜ次の攻撃がこない。
はっとした意識の中でゲオルグはまぶたを開ける。光を取り戻した視界の中では、倒壊した壁の靄により、太陽の光が
白く散乱していた。
 これだ。

「サーマルスコープ」

 叫んだときには、体は動いていた。ゲオルグは胸から発煙弾をもぎ取ると、放り投げた。薄くなりつつあった靄の中に、
それと分かる白い煙が立ち込め始める。装着したサーマルスコープの陰影だけの世界で、ゲオルグは確かに見た。
立ち込める煙に躊躇している第2波の突入部隊を。
 眼前にかさばるサーマルスコープに不自由を感じながらも、ゲオルグはたたらを踏む人影に照準を定めて引き金を
引いた。サーマルスコープに映る人影が次々と倒れ始める。機銃の強烈な射撃音が聞こえたが、その照準は明らかに
でたらめで、その銃弾はかすりもしない。ゲオルグは照準を機銃に取り付いている人間に向けた。つい先ほどまで頭を
抑えられていた恨みをこめて引き金を引く。白い人影が崩れ落ちた。すぐ隣にいた弾薬手と思しき人影が入れ替わりに
機銃に飛びつくが、引き金を引くとその人影も崩れ落ちた。
 発生した煙幕にうろたえる民兵達をゲオルグ達は1人ずつ確実に殺害していく。民兵達も何もしていないわけでは
ないのだが、反撃しようにもあたりに立ち込める白煙のどこに照準を定めればいいのか分からない。彼らは何もできず
死に怯えながら一縷の奇跡にすべてを託して目くら撃ちをするしかなかった。一方的な攻撃を許す白い煙は、民兵達に
とって理不尽すぎる存在だった。
 はは、と思わずゲオルグの口から笑い声が漏れた。あふれ出る高揚感を抑えることができない。ロケットランチャーを
撃ち込まれての必死の状況下から逆転し、一方的な殺戮者への転換にはそれだけ胸がすくような開放感があった。
 耐えれる。これならば幾らでも耐えれるぞ。乾いた笑いをあげながら、ゲオルグは引き金を引き続けた。
 気がついたときには、ゲオルグの視界に敵影はなかった。それでもなお貪欲な気持ちで次の目標を探している
己に気づくにはさらにもう少し時間がかかった。。
 敵は撤退したらしい。戦闘終了の事実に高ぶっていた体が急速に熱を失う。入れ替わりに疲労感が津波のように
押し寄せてきた。敵が撤退した理由をひとまず置いておいて、とにもかくにもゲオルグは休みたかった。だが、辺りに
散らばる瓦礫の上に腰を下ろそうとしたところで異変に気づき、ゲオルグは民兵が撤退した理由を理解した。ゲオルグの
耳をくすぐる抑揚のついた電子音。これは自警団のサイレンだ。
 どうして次から次に。思わずつきそうになった悪態を、ゲオルグはすんでのところで押しとどめる。とにかくまずは
自警団にどう対処するかだ。ともすれば現状の否定でいっぱいになりそうな頭を空っぽにして、ゲオルグは考え直した。
 大人しく捕まるという選択肢は論外だった。逮捕されればどうなる。ゲオルグ達は"王朝"と"子供達"の生き証人だ。
"王朝"は少なからぬ打撃を受けるだろう。それ以上に、"王朝"と"聖ニコライ孤児院"のつながりが発覚したらどうなるのか。
愛すべき弟妹と暗澹とした闇世界とのつながりが白日の下の元にさらされたらどうなるのか。それから先のことをゲオルグは
想像したくなかった。
 愛する弟妹達のためには捕まってはならないのだ。残る選択肢は逃亡ただ1つだった。負傷者だらけだが、逃げるしか
ないのだ。決意を新たにゲオルグは耳を済ませる。合流予定地点の7号線とは逆のプレトリウス通りの方からサイレンが
聞こえていた。これは僥倖だ。

「アレックス。目の調子はどうだ」
「だめ。痛くて全然あけてられない」

 隅のほうで目を手で覆いながらうなだれるアレックスに問いかける。アレックスは目を手で覆ったまま、力なさげに首を振った。

「ウラジミール」
「俺は全然平気でさ」

 入り口の脇で腰を落としたウラジミールは平気そうに腕を振り上げた。

「チューダー」
「右手以外は平気です」

 リビングの奥のミシェルの脇で申し訳なさそうに座りこむチューダーは、左手をおずおずと上げる。

「ミシェル」
「あたしは大丈夫だけど」

 言いよどんで、ミシェルはポープを見やった。

「ポープ」

 ポープの元に歩み寄る。体全体を収縮させるようにして呼吸する彼は、なおも苦しげな眼差しでゲオルグを見上げた。

「立てるか」

 ゲオルグの問いかけにポープは幾度か繰り返してうなずいた。様子を見るようにゲオルグが場所を空けると、
ポープは壁に手をつきながら弱弱しくだが立ち上がった。そのまま2~3歩歩いたところで足がもつれて膝をつく。

「ウラジミール、肩を貸してやれ」
「おう」
「俺はどうすればいい」

 アレックスが叫ぶように言った。ゲオルグは唯一手の空いているチューダーに指示を出した。

「チューダー、目になってやれ」
「分かりました」

 チューダーはすぐさまアレックスの元に駆け寄ると、彼の手を引いて立ち上がらせた。
 全員が立ち上がったところで、ミシェルがゲオルグにたずねてきた。

「で、どうするつもりなのよ」
「どうって、7号線まで移動する。もうすぐそこだ」

 ミシェルの問いかけにゲオルグは事も無げに答える。その平静さに内心でゲオルグも驚いていた。腹をくくれば
人間は極限状況でもここまで冷静になれるらしい。

「現状手の空いてるのはミシェル、お前しかいない。お前が先導しろ」
「お兄ちゃんはどうするのよ」
「殿をいただくさ」

 ゲオルグはミシェルに笑いかける。隊列を選ぶ指揮官の特権を誇示するかのように。
 了解の返事をし、ゲオルグから離れようとするミシェルの耳元にゲオルグは口を寄せると、ささやく様に言った。

「ミシェル、俺が来なかったら指揮を引き継げ」
「ちょっとそれってどーいう――」

 驚いた風に振り返ってのミシェルの言葉を遮る様にしてゲオルグは全員に号令をかける。

「7号線まで前進だ。ほら、行け。行け」

 ゲオルグは何か言いたげなミシェルを突き飛ばすようにして外に送り出した。ちゃんとついてきてよね。インカムから
流れたミシェルの呟きをゲオルグは聞かないふりをした。
 残り4人を送り出してから、ゲオルグも外に出る。サイレンの音は既に止み、通りの奥では6人ほどの自警団の
治安部隊が3列の横隊を組んでこちらに向かっていた。
 治安部隊の防弾装備は万全のようだが、ゲオルグはまさかを期待して引き金を引く。だが、当然のごとく前面に
つきたてられた超硬質プラスチックのシールドがゲオルグの抵抗を無慈悲なまでに弾き返した。ゲオルグのささやかな
抵抗に治安部隊は身じろぎすらしない。
 重傷者を含むゲオルグ達と治安部隊との速度の差は明らかだった。距離はすぐに詰まっていく。明らかに効果が
ない短機関銃にゲオルグもついに見切りをつけた。すまんな。心の中でミシェル達に謝罪しながら、ゲオルグは最後の
手段の決意を固めた。
 次の一手としてゲオルグは発煙弾を胸元からもぎ取ると、治安部隊に向けて放り投げた。治安部隊は放り込まれた物体に
初めてたじろいでみせた。だがそれも一瞬だった。彼らはすぐさま隊列を立て直すと、前進を継続する。その姿が白煙の中に
消えたことを確認すると、ゲオルグはヘルメットからサーマルスコープを下げて目に装着した。モノクロになった世界で横隊を
組んだ治安部隊が見える。ゲオルグはその隊列目がけて駆け出した。
 思わずあげそうになった吶喊の雄たけびをゲオルグはすんでのところでかみ殺す。治安部隊と部下、両方にこの吶喊を
感づかれたくなかったからだ。愛する弟妹達への想いを自警団への敵意に変換してゲオルグは治安部隊に向けて走る。
煙に包まれていくらか警戒した様子の横隊のその真ん中の男めがけて、ゲオルグは全運動エネルギーを乗せた体当たりを
ぶち当てた。真ん中の男は煙の中からの襲撃に完全に不意をつかれたようで体当たりをまともにうけて後ろへ吹き飛んだ。
まずは1人目。
 煙の中からの突然の襲撃に混乱を起こす治安部隊の中で、右の隊員の反応は早かった。彼は接近戦だと分かるや否や、
手にしたライオットシールドを水平にして突きを繰り出した。だが、この治安部隊特有の戦闘方法をゲオルグはすでに予測
していた。ゲオルグは体をかがめて回避する。そのまま懐にもぐりこんだゲオルグは、隊員のあごに向けてアッパーを放った。
治安部隊標準のフェイスガード付きヘルメットも下からの攻撃は想定してなかったようだ。顎から宙に持ち上げられた隊員は
ヘルメットを弾き飛ばしながら後ろに吹き飛んだ。2人目。
 左から雄たけびが上がった。見れば後列にいた隊員が短機関銃を振り上げている。そのまま銃床で殴るつもりなのだろう。
ゲオルグの反応は早かった。彼はまず重心移動で一撃を回避すると、相手の腕をつかみ、ひねり、相手の勢いを利用して
背負い投げた。3人目。
 一瞬にして半数を失ったことに恐慌状態に陥ったのか、後列の中心にいた隊員が悲鳴に似た叫び声をあげながら
短機関銃を構えた。銃撃を受ける、その寸前で、ゲオルグは短機関銃を払いのける。そのまま彼は相手の腕に
沿うようにして手刀を相手の首筋に打ち込んだ。首に手刀を打ち込まれ思わず隊員は体を仰け反らせる。その突き出た
腹に向けて、ゲオルグは踏み込みながらの掌底を打ち込んだ。ボディーアーマーを装着していても衝撃は突き抜ける。
隊員はうめき声を上げながらその場に崩れ落ちた。4人目。
 後列左側にいた隊員がライオットシールドを突き出しながらゲオルグに向けて突進した。ゲオルグは軽やかに横へと
避けると、隊員の肩を押しながら足払いを駆けて転ばせる。5人目。
 後1人。ゲオルグが最後の隊員に向けて振り向いたところで、視界全体をライオットシールドが覆った。シールドによる
体当たりだった。倒した5人目と同じ攻撃だったが、時間差で繰り出されたがために対処できない。駄目か。シールドが
衝突し、身を吹き飛ばす衝撃の中、ゲオルグは自身の無力さを諦観に近い色合いで味わっていた。
 シールドによる体当たりを受けて、ゲオルグは後ろに跳ね飛ばされる。サーマルスコープが衝撃でヘルメットごと外れて、
視界が彩色を取り戻した。後ろに倒れこんだゲオルグに、治安部隊隊員が馬乗りになった。そのまま彼は拳銃を振り上げると、
振り下ろす。思わず顔面に持ってきた左手がぎりぎりのところで間に合った。銃の台尻による重い打撃をゲオルグの掌が
受け止める。その勢いで手の甲がゲオルグの頭に激しくぶつかり、星が散る。重なり合った衝撃に手の骨が痛んだ。
 隊員は2度、3度と台尻による殴打を繰り返す。左手で顔をかばいながら、ゲオルグは最後の切り札に、と胸元の閃光弾に
手を伸ばした。これには人を吹き飛ばすような力は備わっていない。だが、それでも至近距離ならばマグネシウム粉末の
業火が相手を焼き尽くすはずだ。もちろん、マウントポジションを取られた体勢では、自分もただでは済まないだろう。
覚悟は既にできていた。もとよりそのつもりだった。
 銃床の打擲を受けながらの飛び飛びになった思考で、ゲオルグは己の最期について考える。思いついたものは謝罪の
言葉だった。誰に。孤児院の女性、心配そうな面持ちで無事の帰還を願っていた姉、イレアナだった。すまない。姉の
悲しげな顔を想像したゲオルグは心の中で謝罪して、閃光弾を握る腕に力をこめる。
 まさにそのとき、轟音が轟き、馬乗りになっていた男が爆ぜ飛んだ。
 人が爆発した。血飛沫を頭からかぶりながら、ゲオルグは突然の、あまりにも非現実な出来事にしばし呆然とする。
何が起きたのか理解できぬまま上体を起こそうとしたところで、インカムから響く怒鳴り声がゲオルグの耳を貫いた。

「馬鹿、頭を上げるな」

 聞き覚えのあるこの声は、兄のダニエルだ。慌ててその声に従い、頭を下ろすと、眼前を高速で飛び交う何かの
衝撃波がゲオルグの顔を叩いた。ゲオルグは倒れたまま上を向くようにして、通りの奥を覗いた。見れば、奥の通り
――おそらく都市道7号線に停車したピックアップトラックの荷台から轟音とともに焔が上っていた。あれはテクニカルだ。
 テクニカルとは、ピックアップトラックの荷台に大口径機関砲を搭載しただけの簡易戦闘車両だ。装甲など施されていないために、
まともな戦闘車両との戦いは望むべくもない。だが、荷台に搭載した重機関砲は、対歩兵に限れば十二分すぎるほどの威力を
持っていた。
 テクニカルから放たれる12.7mmの鉄鋼弾にはライオットシールドの超硬質プラスチックも、ボディアーマーのセラミックプレートも、
紙片も同然だった。20000Jのエネルギーはそれらをやすやすと打ち砕いてなお余りある力を持っている。隊員の体内を一瞬にして
駆け抜けた弾丸は、衝撃波を生み出して隊員の体を四散させた。
 人間に使用するにはあまりにも強大すぎる弾丸は、嵐となって通りを覆う。突如発生した鉄の暴風に治安部隊の隊員達が
できることは何一つなかった。彼らは逃げ惑い、あるいは頼りないプラスチック製のシールドにすべてを託して風に抗い、
ただ死神の気まぐれに祈るしかなかった。そんな哀れな彼らを50口径の死神は、極めて丁寧に食らい尽くしていく。
それは最早虐殺だった。それほどなまでにテクニカルの攻撃は獰猛で、無慈悲で、一方的だった。
 道路に展開していた治安部隊隊員を全員食らい尽くしたところで、ようやくテクニカルの重機関砲が咆哮を止めた。
後に残るのは食い散らかされた肉片と、肉が焼ける吐き気を催すような臭い、そしてゲオルグだった。
 あたりが静けさを取り戻したところで、ゲオルグは呆けた様子で上体を起こした。だしぬけに取り戻した己の生を
受け止めきれず、茫然自失となる。目の前に広がる酸鼻な光景も、非現実的過ぎて理解が追いつかない。そんな
ゲオルグの肩を何者かが叩いた。見れば鼠を思わせるような顔立ちに眼鏡をかけた青年がゲオルグに手を差し伸ている。
この顔は別班の光だ。

「兄さん、帰ろう」
「ああ」

 投げやりな返事をしながら光の手をとると、力の入りきらないぎこちない動作でゲオルグは立ち上がる。
 テクニカルに向かっているところで、ようやくゲオルグは生還の現実を実感した。生きて帰ったという喜びは不思議と
なかった。ただただ疲労感でいっぱいだった。

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