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「徒らに咲く花でなく」

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mintsuku

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「徒らに咲く花でなく」





…ズルズルと温もりを求めて這う千丈髪怜角の髪は、抑え難い欲望のまま獲物に絡み付き、淫らな愉悦を貪り始めた。
どこかで聴こえる抵抗の悲鳴が、打ち寄せる恍惚の波に呑まれ曖昧に溶けていく。

(…ああ…あ…)

漆黒の髪から流れ込む蕩けそうな歓び。長らく忘れていた目眩めく陶酔はやがて怜角の心を裏切り、さらに深く…残忍な欲望のまま、しなやかな凶器と化して生贄を締め上げる。

(…だ、駄目…)

髪を操るどす黒い衝動は、生贄の苦悶すら心地良い振動に替え、怜角を包み込む。抗えぬ力。そして抗えぬ…快感…

(…駄目…その人は私の、私の…)

漆黒の『千丈髪』に隙間なく覆われ、ガクガクと痙攣する獲物はやがて、骨の砕ける音と共にぐらりとその頭を垂れた。その青ざめた顔は…元日本陸軍中尉、高瀬剛のものだった。


「…いやああああっ!!」

…修練を積んだ鬼が悪夢を見るなど珍しい。ましてや、『淫夢』とも呼べるような夢など。跳ね起きた怜角はしばらくは震えと動悸が収まらぬまま、薄暗い寝室の壁を睨み続けた。
最近よく遊びに来る大賀美夜々重が貼っていったカレンダー。そして高瀬中尉から贈られた淡いピンクの薔薇。
殺風景だった部屋を飾る鮮やかな色彩をじっと見つめ、怜角は寂しい微笑を浮かべた。自分には持つ資格のないこの倖せこそ、地獄が与えた最も厳しい罰かも知れない…

(…やっぱり、私は高瀬さまに相応しくない…)

償いの日々は遠く過ぎ、その強い魔力を天命に捧げる鬼、千丈髪怜角は誇り高い魂の導き手としてこの冥界にあった。かつて人であり、人の脆さを最も良く知る鬼として。
しかし悪霊として人々を苦しめ、深い闇に蠢いていた自分がいかに悔い改めようと、再び人を愛し、愛されることが許されるのだろうか。
響き渡るシュプレヒコールのなかでおぞましく歪んでゆき、いつしか同志だった者たちを、怜角…いや、『真樹村怜』自身を押し潰した恥ずべき欲望。
死してなお黒髪に宿り、嗜虐の快楽に浸り続けた自分の罪深い業はいつか再び覚醒し、高瀬剛の高潔な魂まであの昏い道へ引きずり込むのではないか。
ひとりの夜、ずっと押し隠してきた怜角のそんな恐怖は黒い熾火のように彼女の胸を焦がし続ける。
この火がやがて、全てを灼き尽くす破滅の黒炎へと変わる不安に彼女は慄然と唇を噛んだ。

(…今なら、まだ…)

夜の静寂はときとして、人にいささか性急な決断を迫る。もし同室の賑やかな女鬼、風輪彩角がいれば怜角の悲観的過ぎる思考をたちどころに一蹴してくれただろう。
しかし彼女は今夜も夜遊びに出掛け不在だった。どうやらまたどこかに『彼女』でもできたらしい。
立ち上がった怜角はようやく最近部屋に置いた『パソコン』に向かった。彼女がまだ人だった頃にはなかった文明の産物だ。
次元を超え怜角たち鬼の住むこの地獄界へもやってくる、電気信号に姿を変えた夥しい情報。
怜角は獄卒となった日からこの機器を通じて人界の声無き悲鳴に耳を傾け、地獄から書き込む少しの魔力がこもった言葉で、僅かでも人の魂を支える修練をずっと自らに課しているのだった。

S革共 内ゲバ殺人 真樹村怜

人界の便利な道具は、怜角の与えた単語から瞬時に忌まわしい彼女の過去を晒し出す。モニタに映った悲劇の記録は、軽い唸りを立てて次々とプリントアウトされていった…


「…高瀬小隊長殿!! 園遊会の時間であります!! 小隊長殿…」

広いバス車庫に響く熊井兵長の銅鑼声。しかし二階にある事務所から返事はなかった。
苦労して有能な幽霊バスたちを集め、長年地獄市内の交通を支えてきた高瀬剛は、この度晴れて名誉ある閻魔大帝主催の園遊会に招待されたのだ。

「…軍人が遅刻とは言語道断であります!! 小隊長殿!!」

この栄誉を勝手に部隊の栄誉と解釈した高瀬小隊の老人たちは、例によって大騒ぎした挙げ句、自分たちも会場である仰蓮園まで行軍すると言い出した。
園遊会の主賓が地獄界を訪れる妖狐一族の姫君たちだと知っている剛は、元部下の馬鹿騒ぎを厳しく諌めてきたのだが、勿論そんな言葉に耳を貸す老人たちではない。

「…ああっ!! まだ礼服も着ておられない!! いったい…」

騒がしく二階に駆け上がった熊井兵長は、ぐったり事務机に顔を伏せた剛を見つけてまた大声を張り上げた。しかし勤勉な元上官が珍しく覇気のない応えを返すまで、かなりの時間が掛かった。

「…あ、熊井兵長か…何の用か?」

「… 小隊長殿っ!! まさか園遊会をお忘れですかっ!!」

老いても身の丈六尺を越える熊井兵長が発する凄まじい怒気にも反応せず、高瀬剛は再びどさり、と机に突っ伏した。

「…園遊会は欠席する。閻魔庁には貴様らで適当に詫びておいてくれ…」

「…はあ? どこかお加減でも悪いのでありますか?」

亡霊にだって体調不良はある。しかし頑丈が自慢の剛は滅多なことで他人に軟弱な姿を見せるような男ではない。ましてや栄誉ある閻魔庁の招待を辞去するなどとは…

「…それとも何か、お困り事でありますか?」

憔悴した剛を覗き込む熊井兵長の視線は、すぐにただひとつ事務机に載った大版の茶封筒に移った。別に熊井兵長は超常の力などなにも持っている訳ではない。
しかし純朴な剛の五倍近い人生を商工界での油断ならぬ駆け引きに費やしてきた彼には、敬愛する元上官の苦悩の源がこの封筒であることなど容易に察知できたのだ。

「…へそ曲がりの原因はこれでありますかな?」

「こ、こら!! 貴様!!」

ひらりと伸びた熊井兵長の手は、素早く剛の手元から封筒を奪い取る。しかし睡眠不足らしくふらつく剛は、さしたる抵抗も見せず部下の無礼を看過した。
中尉は今、封筒の中身…抱え込んだ問題を相談する相手を欲している。これも熊井兵長の素早い推測通りのようだった。


「…ありましたなあ…こんな…事件が…」

憮然と壁を睨む剛の傍らで、熊井兵長が封筒に収まっていた書類を捲る音だけが響く。やがてその音が止んだとき、掠れた声で剛が呟いた。

「…貴様は、どう…思うか?」

「どうもこうも、既に怜角殿は償いを済ませ、獄卒にまでなっておられます。獄卒の修練は、まあ並大抵のものではないと聞いております…」

熊井兵長にとっては、少し懐かしくさえある資料だった。もはや戦後とは言えぬあの賑やかな時代。ひたすら商売に邁進していた彼とは遠い世界だった事件だ。
若さと血の通わぬ理論だけを武器に角材を振り回し、革命を夢見た青二才たち。『大人』であれば制御できた筈の憤りは最悪のかたちで彼らを自滅へと追いやった。
『狂気と愛欲の粛正劇』『過激派女子大生、変死体で発見』
扇情的な見出しとは対照的に生真面目な表情で当時の新聞に載っている顔写真の主は、その気高い理想とは程遠い嫉妬心から幼なじみの同志すら処刑し、そして自らも生きながら埋葬された学生運動セクト『S革共』副リーダー真樹村怜。
その端正な顔と鋭い眼差しは紛れもなく剛の愛する獄卒、千丈髪怜角のものだった。


「…いったい何者が、こんな卑劣な密告まがいの中傷を…」

今朝早く新聞受けに投函されていたという封筒を鷲のごとき狷介な表情で眺めていた熊井兵長は、苦しげな剛の呟きを聞いて片眉を少しだけ上げた。

「…ふん、小隊長殿はそうお考えでありますか…」

「決まっているだろう!!怜角さんか…その、自分に好意を持つ者が二人の間を裂こうとだな…」

スッと目を細めた熊井兵長は感情を窺わせぬ笑みを浮かべ、まるで純情な甥っ子を茶化すように元上官の言葉を遮る。

「…では、その者を『甲』と致しましょう。甲は小隊長殿と怜角殿がお別れになることを望んでいる。とすればそのあと小隊長殿もしくは怜角殿に言い寄った者が『甲』である可能性が極めて高い訳ですな…」

「そうだ!! その通りだ!!」

立ち上がり猛々しく同意した剛は、すぐ熊井兵長の意味有りげな沈黙に気づいて、彼が述べた含みのある仮説をもう一度頭の中で反芻した。果たして憎っくき恋の妨害者『甲』の目論みが成功する可能性など有るだろうか?
この場合密告の事実を知らぬ怜角は蚊帳の外だ。『甲』の企みは剛が怜角に幻滅し、別れを切り出す筈だ、という極めて不安定な前提の上に成立しているのだ…

「… で、甲はさておき、小隊長殿はそれを読まれて怜角殿に愛想を尽かし、お別れになろうと思われましたか?」

「ば、馬鹿を言うなッ!! 自分も戦場では生き残るために人を殺めた。彼女にもきっと…殺し、殺されねばならぬ事情があったのだ!!」

確かに怜角は自らの過去を語りたがらなかった。剛の死後、世界を激変させた『主義』や『思想』の避けがたい潮流のなか、ただ狂おしい愛憎に燃え尽きた彼女は罪人だったかもしれない。しかしこの地獄で償いきれぬ罪などあろうか。
たとえ人の世でどれほどの過ちを犯そうと、今の怜角が獄卒として日々死者を導いている姿こそが、彼女の悔悟が天に認められた証の筈だ…

「…それでしたらなんの問題も無い訳であります。早く園遊会の支度をなさって下さい。」

「待て、待たんか!!」

未だ釈然とせぬ顔付きの剛は、素っ気ない口調で壁に掛かった礼服を指し示す熊井兵長に再び食って掛かった。

「… いずれにせよ、自分は怜角さんを貶める奴を許せん!! どこのどいつが下手人かだな…」

「それを知ってどうなさいます? 横恋慕の果てにこんな愚かな真似をする者など、到底お二人に相応しい相手ではありません。小隊長殿さえ肝を据え、どっしり構えておられれば宜しいのであります。」

熊井兵長の整然とした理屈は、正論であるぶん何とも剛の癪に障った。確かにどんな小細工をしても『甲』の策謀が実を結ぶことなど有り得ない。しかし…
憤懣やるかたない、といった剛の態度を見て、熊井兵長はため息をつきながら言葉を続けた。その落ち着いた嗄れ声に、かつての粗暴な万年一兵卒の名残は微塵もない。

「…失礼ですが小隊長殿と怜角殿のお付き合いは、どのくらいまで進んでおられますかな?」

「な、なんの話だ!? 自分はその、なんら恥ずべき…」

だしぬけの質問に顔を赤らめた剛は、戸惑った様子でもごもごと言葉を濁す。

その指揮官らしからぬ狼狽ぶりは、不躾けな問いの答えを自ずとさらけ出していた。

「…そうでしょうな…まあ戦地でも、現地娘の手ひとつ握れなかった方ですからなあ…」

「し、失敬な!! 自分だって…」

「『出征前に見知らぬ女学生から、金平糖を貰った事がある』でありましょう? やはり、まだ…」

「き、貴様ッ!! 上官を愚弄する気か!?」

軍刀を抜きかねない剣幕の剛に動じる事なく、老兵は辿りついた結論を口にする。その推測は、激昂する剛をして化石のごとく硬直させるものだった。

「自分の憶測はですな…多分これが当たりと踏んでおりますが…『甲』が他ならぬ怜角殿本人では、ということであります。」

「し、笑止なッ!!」

立ち竦んだ剛は強張った失笑を浮かべながら、呆然と部下の皺面を眺める。
だが熊井兵長は昔から無愛想な男だが、思い付きで口を開く男ではなかった。あの頑固な斉藤軍曹でさえ、熊井兵長の進言には耳を傾けたものだ。
そしてその結果、高瀬小隊は幾多の窮地を切り抜けてきた。あの悲惨な欠乏戦で驚異的な戦果を誇った小隊の名声は、決して軍神となった剛ひとりで得たものではないのだ。

「… 根拠を、述べてみろ…」

かつての部下たちは重ねた齢の数だけ、剛が学べなかった人生の知恵を身に付けている。それをよく知る剛はドサリと椅子に腰を降ろし、むっつりと先を促した。

「…怜角殿はお付き合いを進めるにつれ、過去のことをどんどん言い出し辛くなる筈です。ましてやその…のっぴきならぬ関係になってから事実が露見すれば、小隊長殿を『騙していた』ということにもなりかねない…」

「じ、自分は…」

「黙ってお聞き下さい。多分怜角殿は妙な理屈で自分を騙し、背負った重荷を小隊長殿に押し付けたのでしょう。『私は貴方に相応しくありません。それでも私を選ぶのなら、それは貴方の自由です。』とね…」

俯いた剛は答えなかった。彼には不可解な女心。つい昨日逢ったときには、あんなに朗らかに微笑んでいたではないか…

「…狡くて浅はかで…そして可愛いのが女というものであります。その全てを受け入れ、抱いてやるのが男…これは、あくまで私見でありますがな。」

「…自分には…その…彼女を抱く資格があるのだろうか…今も自分の罪と向き合い、歩むべき天命を問い続けている彼女を…」

剛の小さな囁きを一蹴するように、熊井兵長が深い溜め息を洩らす。この愚直な上官に色恋の道を説くのは至難の技だ。
そもそも熊井兵長とて、長年連れ添った妻の名をきちんと呼んだこともない、武骨な夫であったのだから。

「…それは自分にも判りかねますな。しかしながら、『自らを信じる』ということは、我が小隊の合い言葉ではなかったでしょうか? それ以上は…それこそ閻魔さまでもなければ判らない事であります。」

静かに敬礼すると熊井兵長は部屋から退去していった。残された剛は熊井兵長たちが今日の為、精魂込めて仕立てた礼服をまんじりともせず見つめていた。


…無表情な仮面の下のごく微かな息遣い。白い長衣には仲間を識別する為の単純な紋様だけが幾つか刺繍されている。
園遊会警護の鬼たちは賓客や観衆に要らぬ威圧感を与えぬよう、全身を包む純白の装備でその恐ろしげな風貌を隠すのが常だ。
しかし彫像のごとく整然と立ち並ぶその姿は冥府の戦士たる存在感に満ち、この『仰蓮園』に招かれた来客たちもやはり、ある種の畏敬をもって時おり彼らを眺めていた。

「…閻魔大帝陛下、並びに閻魔羅紗弗殿下、葛葉姫、玉藻姫両殿下のおなりでございます…」

普段は閻魔宮の奥深くで執務をとる閻魔大帝がこうして四季の花咲き乱れる庭園に姿を見せることは珍しい。
今日のように特別な賓客を迎えたときだけ、地獄の住人たちは冥界の絶対支配者閻魔大帝の威風堂々たる容貌を目の当たりにするのだ。

「…桜と寒牡丹が並んで咲いています。不思議な景色ですね…」

二人の王族に伴われた地上界からの貴賓、妖狐の姫である葛葉姫が仰蓮園の感想を洩らす。彼女の輝く銀髪は共に地獄界を訪れた従姉、玉藻姫の黒髪と見事に鮮やかな対照をなしている。

「…ああ、そーだね。」

そっけない羅紗弗殿下の答え。公務とはいえまだ幼い彼に女の子の相手ほど苦手なものはない。招かれざる客とはいえ、先日の全裸魔王のほうがよっぽど面白かった…

「…人の世では決して並ばぬ花同士が、こうして共に寄り添って咲く。地獄というのは奇妙な場所です…」

息子の無礼を窘めるように閻魔大帝が囁いた。その大きな掌が示す季節違いの花たちを眺め、幼い二人の姫はその可憐な瞳に不思議そうな光を浮かべる。

「…それよりさぁ、あっちの芝生に馬鹿でっかいクモが…」

退屈しきった殿下の意地わるな声に、勝ち気そうな玉藻姫が露骨に眉をひそめたときだった。離れた柵の向こうで一行を見守っていた一般招待客の中でなにやら不穏なざわめきが沸き起こった。

「… です!! 退って下さいっ!!」

獄卒たちの反応は速かった。疾風のような白い影は咲き乱れる一枚の花片も散らすことなく、ピョンと耳を立てた妖狐の姫君たちを瞬時に取り囲む。

「おっ!! なんだなんだ!?」

騒動の気配に嬉しげな顔を上げる殿下。その視線の先には大声を上げながら柵を乗り越え、獄卒たちに取り押さえられる人物の姿があった。

「…閻魔大帝陛下!! 質問が…教えて頂きたいことがありますッ!!」

地獄住人には『バスの人』として馴染み深いその人物、見慣れた軍服姿ではなく地獄宮廷服の意匠を小粋に取り入れた礼服の男は、制止する獄卒たちをものともせず、懸命に叫び続けている。

「…駄目だって中尉!! マジヤバいって!!」

その男…高瀬剛を組み伏せながら彼と親しい鬼、酒呑半角が素っ頓狂な声を上げていた。しかし無表情な仮面の下から聞こえる見知った鬼の声に、若い元軍人はさらに鼻息を荒げたようだった。

「…陛下ッ!! 何卒教えて下さい…」

騒ぎの主が暴漢の類ではなく、地獄への貢献を認められた園遊会の客と知った閻魔大帝はしばし髭を捻っていたが、やかてその巨躯で賓客を庇いつつゆっくりと剛に歩み寄った。
そして羅紗弗殿下と葛葉姫、玉藻姫が意外そうな顔で見上げるなか、威厳にみちた唸りを高瀬剛に向ける。

「…問いとやらを述べてみよ。」

「…は、はいっ!! お、お尋ね致します!! 自分は…」

やきもきと身を捩る警護の獄卒たち。園遊会での質疑応答など未だかつて聞いたことのない前代未聞の珍事だった。一介の亡者が地獄の統治者に、いったい何を尋ねるというのだろうか… 

「…じ、自分はある鬼を…たとえ何があっても、深く愛しております!! 天命に身を捧げるその鬼を自分は…だ、抱いて宜しいのでしょうかッ!!」

固唾を呑みながら剛を見守っていた一同は、あまりに想定外な質問にあんぐりと口を開けた。気まずく沈黙した周囲の視線はやがて、この問いに対峙する大帝の渋面に向けられる。
幼い来賓や若い皇子に聞かせるにはいささか好ましくないやりとりだった。しかし厳正なる地獄法廷にあって全てを裁定する閻魔大帝は重々しくその所見を告げた。

「…然りである。」

「は…」

「…時と場所さえわきまえれば、獄卒の私事は閻魔庁の関知するところではない。」

「は…」

赤銅色の髭面に浮かぶいかめしい表情。だが…剛が続く言葉を待ってさらに身を乗り出すと、ついに大帝は苦虫を噛み潰したような顔で苛立たしげに吠えた。

「… なんというか…その…大人なら常識で判断せい、常識で!!」

「…は、はいッ!! 有難うございましたッ!!」

閻魔大帝はきょとんとする二人の妖姫を促し、恭しく平伏した剛にクルリと背を向ける。
だが、天命の具現である大帝の答えは剛にとって至高の福音だった。不屈の情熱がある限り、怜角への愛を妨げるものは何ひとつないのだ…

「…さ、高瀬中尉、こっちへ…」

気がつくと剛は獄卒たちに抱えられ、大帝の一行を追って移動してゆく招待客と離れた場所へと運ばれていた。普段は品行方正な彼に何らかの処罰はないようだ。

「…駄目だよ高瀬さん、あんな無茶したら…」

「はい…申し訳ありません…」

確かに彼を知る獄卒達にしてみれば、度肝を抜かれる『犯行』だっただろう。半ば放心状態の剛は素直に謝罪し、いそいそと木々を抜けて園遊会警護に戻る鬼たちの背中を見送った。

(…ふう…皇軍なら銃殺ものだ…)

ドサリと腰を降ろした剛の周りでは春夏秋冬の花たちがたおやかに揺れていた。ふと見上げると静かな木陰にまだ一人、小柄な獄卒の姿が残っていた。

「…怜角…さん?」

チェスの駒のように無表情な典礼装備の下、ほっそりとした鬼はコクリと頷いた。俯いたその素顔は見えなかったが、朗らかに笑った剛は大声で彼女に呼びかけた。

「…明後日はお休みですよね!! 自分と…温泉でも出掛けませんか!? その…も、もちろん小隊の連中や夜々重ちゃんも誘って…」


おわり



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