創作発表板@wiki

2

最終更新:

mintsuku

- view
だれでも歓迎! 編集

ゴミ箱の中の子供達 第10話 1/2


 夜の閉鎖都市の中を走る車の中にイズマッシュとニコノフはいた。2人はどちらもしゃべろうとしない。ラジオ
から垂れ流される安っぽいポップミュージックだけが車内に空しく響いていた。
 どこに行こうか。"ホームランド"から離れる方向に向かいながらイズマッシュは未だ目的地を決めかねて
いた。
 工業区のヴァゴン・ザヴォートのところに転がり込むか。いいや駄目だ。あいつは札束で頬を叩かれたら
3回回ってわんとだって鳴くのだ。信用できない。ノーリンコは……いや、あいつに頭を下げるくらいなら"王朝"
に出向いたほうがましだ。
 仕事上付き合いのある人間の顔が浮かんでは消えていく。その中には信頼にたる人物もいるのだが、
悲しいかなそういう者に限って住所が"ホームランド"の真ん中だったりする。1つの勢力に肩入れしすぎた
つけがここにきたか。逃げ場を考えるイズマッシュに軽い後悔の念が浮かんだ。
 そろそろ10人目というところで優しげに微笑む老人の顔が思い浮かんだ。アントーノフだ。"ユークレイン"
の"ザ・ビッグウィング"アントーノフならば快く助けてくれるかもしれない。
 "ザ・ビッグウィング"アントーノフ。"ザ・ビッグウィング"は通り名で、本名はルスラン・アントーノフという。
都市北東部の"ユークレイン"で運送会社を経営しており、副業としてイズマッシュの違法商品の輸送も
手がけている。堀が深く整った目元をしており、素の状態ならなかなか男前なのだが、アルコール中毒で
普段は赤ら顔をだらしなく緩めている。常に酔っ払っていることを差し引いても実に人が良く、仕事で何度か
無理を言ったことがあったが、その度に快く受け容れてくれた。今回もウォッカ片手に払うものさえ払えば
かくまってくれるのではないか。淡い期待を抱きながら、イズマッシュはハンドルを握る手に力をこめた。

「決めた。"ユークレイン"に行くぞ」

 助手席に座っているニコノフに向けてイズマッシュは呟いた。だが、いくら待っても返答がこない。気になった
イズマッシュは視線を隣に向けた。
 車のシートにちょこんと座る少年は、両手で持った板状の物体をじっと眺めている。

「ニコノフ、どうかしたのか」
「えっ、あっ、いえ、なんでもないです」

 ぎゅっと板を胸に抱いて、イズマッシュの言葉にようやく気づいたニコノフは慌てながら顔を向けた。
 何を見ていたのか気にはなったが、どこに行くのか告げるほうが先だろう。イズマッシュは言った。

「とりあえず"ユークレイン"に行こう思ってる」
「ゆーくれいん?」

 ぼんやりとした眼差しでニコノフが聞き返す。そういえばニコノフは"ホームランド"近辺からあまり出歩いて
いなかった。閉鎖都市でもぴんとこない地名も多いのだろう。

「閉鎖都市北東部に位置する町だ。壁際で土地が余っているから有機農業が行われてる」
「有機農業っであれですよね。あの、地面に種を植えて太陽の光でそだてる農法ですよね」
「そうだ」

 有機農業と聞き爛々と輝くニコノフの瞳にイズマッシュは苦笑する。普段食べていた食品は地下の工場で
生産されたものばかりだ。もしかしたらこの小さな助手は畑というものも知らないのかもしれない。

「楽しみだなぁ」

 うっとりと宙を見つめて、ニコノフは緑の世界に思いをはせる。
 時間があったらニコノフと共に"ユークレイン"を散策してみるのも良いかもしれな、とイズマッシュは思った。
観光に行くつもりで無いけども、狂信的な環境保護団体のおかげで"ユークレイン"は自然豊かだ。果樹園
などをぶらぶらと歩いて、緑の香りを胸いっぱいに吸い込むのも良いかもしれない。頬を緩めてイズマッシュ
は小さく頷いた。
 話にひと段落がついたところで、イズマッシュはニコノフが眺めていたものが気になった。ちらりとニコノフを
盗み見る。"ユークレイン"を心待ちにしているニコノフの機嫌は良好だ。これなら大丈夫だろう、とイズマッシュ
はたずねてみた。

「ところで、さっきなにを見てたんだ」
「えっ」

 驚いたように視線を胸に抱いた板に顔を向けたニコノフは、ややあってから板をイズマッシュに向けた。

「父の写真です。」

 板は写真立てだった。その中には若かりしころのイズマッシュと親友でありニコノフの父であるミハイルが
笑っている。イズマッシュがスーツケースに入れたものと同じ写真だ。

「実は僕、父のことよく覚えていないんです。あんまり家にいなかったから」

 静かにニコノフは語る。その寂しげな様子にイズマッシュは罪悪感を感じずに入られなかった。
 当時は商売の規模を少しでも大きくしようと無我夢中で働いていた。無理やり作り上げた盛況の中で、唯一
の仕事仲間であるミハイルは幾度と無くイズマッシュに自制を求めた。だが、イズマッシュはその声に耳を
貸すことは無く、事業拡大を続けた。その傲慢の果てはミハイルの死という破局であった。かくしてニコノフは
独りになってしまったのだ。

「イズマッシュさんは父のことをよくご存知ですよね」
「ああ」

 ニコノフの父であり、イズマッシュの親友ミハイル・アブトマットとは子供のころからの仲だ。知らないことなど
ない。

「話してくれませんか、父のことを」

 胸元に写真を抱いて、ニコノフは言う。断る理由などない。これが死んだ親友への贖罪となるのであれば
望むところだった。

「そうだな」

 ミハイルとの思い出はいくらでもあった。学生時代の他愛もない笑い話や、武器商になってからのスリルに
満ちた日々まで。幾多もの思い出が現れては消えていく。何を話そう。どれを話そう。ハンドルを握りながら
思い悩みながら話すべきものを選んだ。
 程なく、相応しそうなエピソードを見つけたイズマッシュは口を開いた。

「ミハイルはいつもお前のことを気にしていたよ」

 口を開けばまずはニコノフのことばかり言っていた。どんなときも、緊張する取引現場でもミハイルはニコノフ
のことを忘れなかった。
 そして最期の瞬間。銃で撃たれ、血の泡を吐きながら呟いた言葉もニコノフのことだった。

――ニコノフをたのむ。

 思い出した最期の瞬間をイズマッシュはかみ殺して、言葉を続ける。

「お前の写真をロケットに入れて、暇さえあれば開いてずっと眺めていた」
「それって、これですよね」

 イズマッシュの台詞にはじかれたようにニコノフが首元をまさぐり始めた。程なく金色に輝くアクセサリーを
掌に広げた。それは表面に彫られた放射状の彫刻が美しいロケットだった。

「ああ、それだ」

 イズマッシュの肯定の言葉に、ニコノフは愛おしむようにロケットを両手でそっと握り締めた。

「知ってるか、このロケットはミハイルの嫁さん、つまりお前の母さんのものだったんだ」
「母の、ですか」

 ニコノフは、はっと目を丸くして掌の中のロケットを見た。

「ああ、まったく、いつになったら飽きるのか分からないほど熱々の夫婦だったよ」

 2人が生きていたときはのろけ話をげっぷがでそうなほど聞かされたものだ。聞いている当時は苦痛で
たまらなかっただったが、今ではいい思い出だ。
 失った過去を懐かしんでいたイズマッシュがふと横を見ると、どういうわけかニコノフが沈んだ様子で俯いて
いる。

「どうした、何暗くなってる」
「母は僕のせいで死んだと聞いていましたから、ちょっと……」

 ニコノフの母は出産の際の出血が原因で亡くなった。どうやらニコノフはそれを気に病んでいるようだ。地雷
を踏んだことに少し悔やむ。
 ともあれ、まずはニコノフを励まさなければ。

「気を落とすな。確かにお前の母さんが亡くなったことは残念だが、もともとお前の母さんは身体が弱かった
 んだ。お前が生まれただけでも奇跡だったんだ」

 イズマッシュの慰めの言葉に対し、ニコノフからの反応はない。イズマッシュは構わず続けた。

「ミハイルも始めのうちは大分落ち込んでたよ。お前を施設に預けることも考えていた。でもしばらくしてミハイル
 は大事なことに気づいたようで、俺に言ったんだ」

 当時のミハイルの憔悴はひどいものだった。食事を取らなくなり、頬は瞬く間に痩せこけていった。最愛の
人を奪った存在と面会する決心がつかず、新生児室の前でずっと頭を抱えていた。
 だがある日、イズマッシュがいつものように憔悴しきった親友を助けるべく、ミハイルの下を訪れると、何か
に気づいたように晴れやかな様子のミハイルがそこにいた。2人でいった病院で新生児室の戸を自ら開けた
彼は、ここで初めて我が子を抱いた。今までとは打って変わって愛しむような眼差しで我が子を見つめながら、
ミハイルはイズマッシュに向けて語った。

「人は死ぬ。あいつはそれが少しだけ早かっただけだ。だけど、あいつの命はニコノフの中で生きてる。これ
 からずっとだ。あいつは自分の命をかけて、命を受け継いだんだ。ってね」

 そして、ミハイルもまた死んだ。だがその命は、隣で静かにイズマッシュの話を聞いている小さな助手の中
に生きている。

「お前は悪くないんだ。胸を張れ。でなければ命を懸けてお前を生んだお前の母さんが悲しむぞ」

 イズマッシュが言い終わったときには、ニコノフの目の端に涙が浮かんでいた。

「お父さん……お母さん……」

 ロケットを握り締め、ニコノフは頭をたれる。その姿を見てイズマッシュは適当なところで車を止めた。車が
停止したことを確認するとニコノフにすりより、その肩を抱いた。

「代理ですまん」

 イズマッシュの謝罪を気にする様子も無く、ニコノフはイズマッシュの胸に顔をうずめた。両親を想い、しゃくり
あげるその小さな頭をイズマッシュは優しく撫でる。涙が裾をぬらしていくがイズマッシュは気にすることなく
ニコノフの頭を撫で続けた。
 程なく、落ち着いたニコノフは顔を上げた。その目はいくらか赤くはれ上がっていたが、そこに涙の姿はない。

「イズマッシュさん、ありがとうございます」
「なに、気にするな」

 イズマッシュが笑いかけるとニコノフも楽しげに笑った。その笑顔が合図とばかりにイズマッシュは車を発進
させた。
 しばらく車を走らせていると、イズマッシュはあることに気づいた。バックミラーに写るヘッドライト。角を何度
か曲がったが、相も変わらず写り続けている。もしかして尾行されているのか。嫌な予感と共にイズマッシュ
は左にハンドルを切ると、バックミラーの車も左のウィンカーを点滅させた。次の交差点で再度イズマッシュ
はハンドルを左に切った。ちょうどUターンする形になる。仮に追跡されているとしても、あからさまな尾行は
しないのでは。微かな望みとともにバックミラーを覗くと、果たしてヘッドライトが点滅する指示器と共に現れた。
やっぱり尾行されていたか。イズマッシュは助手席に向かって吼えた。

「ニコノフ、シートベルト」
「してますよ」

 突然怒鳴られ訳がわからないといった風のニコノフが身体を締めるシートベルトを握って答える。

「どうしたんですか」
「つけられてる」
「えっ」

 身をよじってニコノフは後ろを見ようとする。イズマッシュは片手を伸ばし、ニコノフをシートに押し込んだ。

「つかまってろ」

 ニコノフを押さえていた手をハンドルに戻すと、イズマッシュはアクセルを踏み込んだ。
 シリンダ内に大量の混合気を流し込まれたエンジンは喜びの雄たけびを上げた。低く響く咆哮と共に鋼鉄
の車体が加速を開始する。高まり続ける雄たけびにクラッチ操作の息継ぎをはさんで、車はトップスピードに
達した。
 高速で接近し、過ぎ去っていくフロントの景色に注意を尖らせながらイズマッシュはバックミラーを確認した。
白く光るヘッドライトが依然として食らいついている。
 自警団は尾行などという回りくどい方法はとらない。恐らく"王朝"だろう。軒先で銃を振り回されて怒り狂った
マフィアだ。捕まったら、ただではすまないだろう。生存本能に近い危機感に、イズマッシュの背はぞくりと
冷えた。

+ タグ編集
  • タグ:
  • シェアードワールド
  • 閉鎖都市

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

目安箱バナー