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「報復の断章」

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「報復の断章」





「放魂!!」

…リリベルの狂気めいた絶叫と共に、閃光を放つ弾丸と化したバスは閻魔宮に迫る。すでに撃墜は不可能な距離だ。それに先般の『髪』がバスの乗客、いやリリベルに騙されてこの自爆テロに巻き込まれた罪もない霊たちの存在を仲間に伝えている筈だった。
リリベルには不可解な『魂の道』に拘る鬼たちが、彼ら生きた魂を犠牲にして、このバスを破壊出来る訳はない。

「…ファウスト、最後までよく尽くしてくれマシタ…」

リリベルの感謝に運転席の老人はただ静かに頷いて応え、ただ感極まった瞳を目前の標的に向ける。二人の悲願が成就し、閻魔大帝とその一族がその領地もろとも灰と化す瞬間はすぐそこだった。
既にバスの動力炉では666の不浄な魂が、その凄まじい苦悶により超高熱の魔素核を形成している。宮殿の大爆発は地獄界を崩壊させ、噴き上がる夥しい魔素の塵はゲヘナゲートを逆流してちっぽけな島国を、亡き母の祖国でもあるその国を滅ぼすだろう。
リリベルが唇を噛んでフロントガラス越しに迫る閻魔宮を睨んだとき、背後で聞き慣れない声が響いた。

「…『移魂』完了しました。部下がなぜか外宮付近でさらに二人を保護したそうです…」

「誰デスか!!」

悲鳴のような叫びと共に振り向いたリリベルの後ろに、先ほどまで身を寄せ合いすすり泣いていた幽霊たちの姿はなく、代わりに一人の鬼、銀髪にいかめしい顔の青鬼が、破損したバス後部から覗く地獄の暗い空を背に腕を組んでリリベルを見据えていた。

「…諦めろ。乗客たちは全員保護した。」

「くっ…」

この青鬼がいつの間にか車内に侵入し、並外れた移魂術で人質を全て何処かへ逃がしたのだ。怒りに言葉すら失い、呆然と立ち竦むリリベルを文字どおり次なる激しい衝撃が襲った。

「ぐうっ!?」

業火の凶弾となって空を翔けていたバスが、だしぬけの急制動でピタリと宙に静止していた。背中の翼を広げ辛うじて壁面への激突を免れたリリベルは、散弾のように飛来するガラス片を避けつつ運転席に目をやった。

「ファウスト!!」

生身の人間が耐えられる衝撃ではなかった。ぐったりハンドルに顔を伏せた老人は身動きひとつしない。停止してなお揺れ軋み続ける車内を運転席まで這い進んだリリベルは、砕け散ったフロントガラスの外に信じ難い急停止の原因を見た。

ブフォォォォ!!!!!

…噴き込む熱い蒸気と耳を聾する唸り。それはバスを掌にすっぽり掴んで吠え猛り、巨大な眼で車内を覗き込む信じられぬ大怪獣の鼻息だった。

「そ、そんな…」

ひしゃげたバスを掌に載せ、標的である閻魔宮より高く立ち塞がる牛面の大怪獣は牛頭大将紫角。そして力なく崩れ落ちたリリベルの肩にそっと手を置いた先刻の青い鬼は蒼灯鬼聡角。

「…紫角隊長、首謀者と思われる悪魔の身柄を確保しました。早く降ろして下さい…」

『グリモワール』にしっかりと記載されたこの鬼将たちの存在を無視していたのは、退路を失ったリリベル主従の致命的な誤算だった…


重い扉が音もなく閉ざされ、再び悪魔リリベルは逃れられぬ闇に包まれる。この異境の冥府で、奮戦空しく鬼に捕らえてからどれくらいの時間が経ったのかすらもう判らなかった。

「ぐぅ…っ…」

すでに瞼すら開けられないほど体力を消耗している彼女に、暗闇は何の恐怖ももたらさない。俯せて荒い息をつくリリベルの全身を駆けめぐる痛みは、地獄の審問官たちによる厳しい尋問、文字通り『地獄の責め苦』によるものだ。

(…もう…駄目かも…)

ベリアル一族は閻魔庁爆破未遂という前代未聞の破壊工作は全て私怨によるリリベルの暴走として無関係を声明し、何らかの救いの手が彼女に差し伸べられる可能性はない。
それでいい…純粋の悪魔ではない義妹リリベルの為に破壊兵器と燃料の魂を調達してくれた義兄たちにこれ以上迷惑は掛けられない。いずれにせよ彼女の計画は失敗したのだ。閻魔大帝を暗殺し、一族の汚名を晴らす計画は。

(…父上、御免なさい…復讐は叶いませんでした…)

失意と憤怒のうちに亡くなった父。リリベルに黒い瞳を遺した人間の母。数奇な境遇の彼女を育て上げ、終生行動を共にした執事ファウスト。リリベルは脈絡もなく甦る過去の記憶を漂う。そして、一族の再興を賭け、リリベルをこの片道の地獄行に送り出した義兄たち…


リリベルの父は大悪魔ベリアルの血を継ぐ魔界の大君主だった。父祖に恥じぬ長い権勢を誇った彼はその晩年に、旅行者であった一人の平凡な人間女性と恋に落ちた。
最初は魔王らしい気紛れだった老ベリアルの恋はすぐに真実のものとなり、すでに多数の嫡子を持っていたにもかかわらず万難を排して彼女を娶った彼は、この妻との間に一人の女子、すなわちリリベルを為した。

老いらくの魔王の恋は無邪気で、純粋ですらあった。
悪魔らしい用心すら忘れ、ただ深い愛のみで結ばれた妻を里帰りに送り出した彼は、母国で事故に巻き込まれた若い妻の訃報を耳にしてようやく、人間と悪魔が交わす契約、主従関係を結び魂を繋ぎ止める契約を済ませていない事に気付いた。
契約さえ行っていれば新しい肉体は与えられる。老魔王はすぐに妻の魂を取り戻すべく、遥か彼女の故郷を統べる冥界の王、即ち閻魔大帝に使者を送り、身を低くしてただ一度の例外、規則を曲げて死後の契約を認めてくれるよう嘆願したのだった。

(…でも奴らは、母さんを返してはくれなかった…)

老ベリアルの度重なる懇願も恫喝も、三途の川を越えてしまった愛妻を取り戻すことは出来なかった。
ただ天の理のもとに生と死を司る閻魔庁が、魂を契約により私物化し、生命の支配者のごとく振る舞う西欧の悪魔と取引などしないのは当然だ。
しかし老ベリアルは諦めなかった。次第に周囲の状況も顧みず閻魔庁に戦争まがいの武力行使まで始めた当主のもと、名誉あるベリアル一族は次第にその力を失い、崩壊の一途を辿り始めた。
耄碌した愚かな老人、とライバルの君主たちの嘲笑を浴びながら、ついには由緒ある魔界の城や領地まで失ったベリアル一族は、失意と憤怒のうちに老ベリアルが亡くなったあと、再興を固く誓いながら人間界にその拠点を移したのだった。


…リリベルの復讐が成功すれば欧州の名だたる魔王たちはベリアル一族の執念に震え上がる筈だった。人間の血が混じった義妹を分け隔てなく扱ってくれたベリアルの王子たちは、胸を張って魔界に凱旋できる筈だった。それなのに…


(…それなのに、私は失敗した。捕虜になって、さらにベリアルの名を汚した…)

暗い牢獄のなか、リリベルは静かに嗚咽を漏らす。そのとき、絶望と諦念に沈む彼女の胸に小さな囁きが忍び込んできた。

(…大丈夫かい?お嬢さん。)

最初は極限に近い疲労による幻聴かと思った。しかし喘ぎつつ必死に身を起こしたリリベルの心に、再び間延びした嗄れ声が流れ込む。

(…もう降参かい? 前の女はここで二百年、眉一つ動かず頑張ったがね…)

「…誰デスか?」

漆黒の闇にリリベルの問いだけが小さく響く。この塔…窓のない塔の虜囚は彼女一人の筈だった。しかしあらゆる思念波を遮断し、一切の調度品すら置かれていないこの部屋に、性別も判らぬ怪しい囁きは続く。

(…はて、誰なんだろう。つい最近目覚めたばかりでね、名前は…ないんだよ)

ふざけた答えだ。何も見えないと知りつつ周囲を見回し続けたリリベルは、ようやく部屋の中で唯一自分の肉体以外の存在に気付き、痛む両腕でそっと胸から脇腹を撫でてみた。

「まさか…」

(…その通り。驚いたかい?)

リリベルの指に触れる拘束具は、厳重な身体検査の後、審問官たちによって素肌に直接装着された特殊なものだ。魔獣の骨と皮、それに霊木や魔石から丹念に製造された封魔の枷。
一切の魔力を吸収し、ギシギシと装着者を締め上げる拘束具こそ、リリベルに聞こえた嗄れ声の主だった。

「…『付喪神』デスか?」

年を経て、魂を持つに至った器物の精霊。『彼』の霊妙な組成からして驚くにはあたらない事だ。だが恐らく誰もその覚醒を知らぬであろう彼が何故自分に語りかけてきたのか、リリベルは用心深く次の言葉を待った。

(…そう。造られてずっと、私は『我蛾妃』っていう妖怪を縛っていた。凄まじい魔力を吸い取りながら、ずうっとね。この間、初めて彼女の身体から離れて、だしぬけに自分の存在に気付いた。ま、すぐこうしてあんたの身体に引っ越した訳だがね…)

女妖『我蛾妃』の名は強大な極東の悪霊として『グリモワール』にも記載されている。しかし、リリベルには彼女の現在に想いを馳せている余裕はなかった。尋問の小休止である短い時間内に、この奇妙な邂逅を何とか生き抜く道に繋げなければ…
それでも無表情を崩さずにリリベルは俯いて呟く。まだ得体の知れぬ相手だ。


「『おさがり』デスか…気に入りませんネ…」


(おいおい、贅沢言うなよ、だいぶ私の方で、寸法は調整してやってるんだよ?)

笑いに相当するらしい振動と共に、リリベルの身体に食い込んでいた拘束具、獲物を掴む五本指の巨大な鉤爪を模した『おさがり』がダラリと緩む。牢獄にリリベルの白い裸身を照らし出す光は無かったが、湧き上がる羞恥心に彼女は身を竦めた。

「きゃあ!?」


(…これが我蛾妃の腰回りさ。殆ど別誂えと言ってもいいだろう?)

「わ、判りマシタ!!早く元に…」

もぞもぞと身体を這い上った『おさがり』がようやく然るべき位置に収まると、リリベルはいつの間にか馴染んでいた装着感に驚く。やがてクスリと小さな笑みを漏らした彼女は、今や諦めかけていた復讐への闘志を完全に取り戻していた。

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