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「カラス」、「加湿器」、「ラベンダー」⑤

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shoyu

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「カラス」、「加湿器」、「ラベンダー」⑤


402 名前:カラス、ラベンダー、加湿器○1/5[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 00:07:44 ID:1hcCnWCF

俺が扉を開けると、里香はベッドから半身起こして、本を読んでいた。
殺風景な病室の白い壁、病院特有の匂いと雰囲気。俺はそれがとても嫌いだった。
こんなところで毎日過ごしたりしたら気分が悪くなるだろう。それでも里香は、この病院で、もうずいぶん長いこと暮らしてる。
「あ、裕一」
里香は読んでいた本を脇に置くと、俺の方を向いた。何もない病院だ。
来訪者というのは嬉しいものなのかもしれない。わずかに笑みが浮かんでいるように見えた。
「よぉ、里香。お見舞いに来たぜ。これ、うちの庭で採れたラベンダー。
それと調理実習で作ったクッキー 。はは、ごめんなくだらない物ばっかで」
俺は持ってきた物を里香のベッドの傍らにある机の上に置いた。
「ううん、ありがと。あ、ラベンダーいい匂いがするね」
「そうか、まぁ確かに俺もラベンダーの匂いは嫌いじゃないけど……ってあれ?」
俺の視線が見慣れない機器にくぎづけになる。なんだ、あれ?
「ん?ああ、それ加湿器。お母さんが風邪ひくといけないからって買ってくれたの。空気も綺麗にしてくれるんだって」
「へーそうか。よかったな」
これでお前の病気が治るのも早まるんじゃないか、という言葉が喉元まで出かかったが
俺は慌てて引っ込めた。完治するはずがないんだ、里香の病気は……。そんな単純なもんじゃない。
気休めなんか言ったって何にもならない。
「なぁ、里香今日の調子はどうだ?」
「悪くないよ。加湿器もあるし、裕一も来てくれたし」
里香が笑顔で答える。
「なんだ、俺の顔を見ると元気が出るってことか」俺がおどけた調子で言うと
「違うわよバカ。誰も来ない日って退屈なんだもん。いないよりマシってだけ」
里香は顔を背けて、怒るような口調で言った。
「なんだよ、素直じゃないなぁ。そんなこと言うと帰っちゃうぞ」
「いいわよ、別に。私困らないもん」
照れ隠しなのか、機嫌が悪くなってしまったのか里香の語調がちょっと厳しくなった。
「うそうそ、そんな怒るなよ。せっかく来たんだし、少し話しようぜ。今日さ、学校で笑えることがあったんだよ。世古口のやつがさ……」


そう、里香との時間は永遠じゃない。永遠どころか、あと数年続く保証だってない。
時間を無駄にするわけにはいかないんだ。来て早々帰るなんてことできない。楽しまなくちゃ。

404 名前:カラス、ラベンダー、加湿器○2/5[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 00:09:40 ID:1hcCnWCF

「あとはレポート書かなくちゃ……。じゃあな、里香。また来るよ」
「うん、バイバイ」
話し込んでしばらく経った後、俺は病室を出た。
そして病院の無機質な廊下を歩く。看護士が点滴を運んだり、リハビリ中のじいちゃんがゆっくりゆっくり歩いていたり……いつもの見慣れた光景だ。
俺はあと何回この廊下を歩くことになるんだろうか。そんなことをとりとめもなく考えていたとき、俺の視界に妙な男が映った。
真っ黒な帽子、真っ黒なスーツ、真っ黒な靴……。ビジネスマン風の男が立っていた。
でも雰囲気が普通ではない。目は猛禽類のように鋭いのに、焦点は定まってない。
その男が立っている周辺だけが、普段の病院とは異質な空気に包まれている。
この人はまともじゃない。そう思ってさっさと立ち去ろうとしたとき
「おい」
男の立っている位置をわずかに過ぎたとき、背後から声がかかった。くぐもったような低い声。
今、俺に話しかけたのか?意思に反して思わず立ち止まってしまった。
猛禽類に睨まれたネズミというのはこんな感じか。
「ちょっと……いいか」
これは俺に話しかけているのだろう。俺は動悸が早まるのを感じながら振り向いた。
視線が合う。
「お前は秋庭里香が可哀想だとは思わないか?」
何を言い出すんだこの男。里香を知ってる?俺は声を出せずに男を見ていた。
「俺は可哀想だと思っている……。彼女は幼い頃から病に蝕まれ、苦しい闘病生活を強いられてきたんだ」
「だ、誰なんだ。あんた……」俺は声を絞り出すようにして言った。
「カラス……とでも言っておこうか。カラスみたいだろう」
そう言ってスーツ姿の男は両腕を広げた。夕闇が迫る中、飛びたつカラスのように。
「俺は不公平なことが嫌いでな……」
男は腕を下ろして口を開いた。
「だが世の中には不公平なことが溢れている。例えば生まれて間もなく……いやそれどころか、生まれた時には
既に病に冒されている者もいる。そして辛い日々を送り、結局は若くして短い生涯を終えることになるのだ。
一方で、生まれてから大した病気もせず幸せに暮らし、大往生を遂げる者もいる。なぁ……不公平だと思わないか?」
男が一歩踏み出し、俺との距離が縮まる。俺は反射的に上体をのけぞらせた。
「だから、何なんだ……?」得体の知れない恐怖に体がこわばる。俺は努めて平静を装って言った。すると
「俺は秋庭里香の病気を確実に治すことができる」男は確信に満ちた声で力強く言い放った。


405 名前:カラス、ラベンダー、加湿器○3/5[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 00:10:51 ID:1hcCnWCF

「なっ……。そんなの嘘だ」
「嘘……か。確かに『治す』というのは正確ではないな」
男は俺から離れると、目を細めて窓の外を見た。
「移せるのだよ、秋庭里香の病を。何の関係もない第三者にな」
「そ、そんなこと……」
「できないと思うか?だが私にはできる。ただ、それには問題があってな……」
男が俺を見た。鋭い視線が俺に突き刺さる。
「だから俺はお前に話しかけたのだ」
「どういうことだ……?」
俺が尋ねると、男は口元にわずかな笑みを浮かべて言った。
「わからないか?秋庭里香の病を他人に移すというのが何を意味するのか」
男は愚かな者を見るような目で俺を見た。そして
「殺人だよ……。秋庭里香はもうじき死ぬのだからな」男の声が氷のように冷たく響く。
その言葉に場の空気が凍りついたような気がした。いつの間にか、俺はこの男から視線を外せなくなっている。
「もちろん、今まで健康にのほほんと過ごしてきた者に病をなすりつけるのだからな、それは格差是正であり正しい行為だ。
とはいえやはり殺人を犯すのは、俺のような善人には心苦しい……。だから、お前が俺に命令してくれ。 『秋庭里香の病気を第三者に移せ』……と」
男は静かにそう言った。
「それはつまり、責任を俺に押し付けるということか」
「そうだ。俺は哀れな操り人形。お前は傀儡師だ。これなら俺の良心は痛まずに済む。さぁ命令しろ、里香の病気を他の人間に移せ、と」
「断わる……と言ったら?」
「そうだな……里香が死ぬのは実に悲しいが、別に俺は困らない」
里香が死ぬ。その言葉が俺に重くのしかかった。何の罪もない里香が……。病気に殺される?
嫌だそんなの……。
「頼む……」
俺の口はいつの間にか自然と開いていた。
「里香の……里香の病気を他の人間に移してくれ。め……命令だ」

406 名前:カラス、ラベンダー、加湿器○4/5[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 00:11:59 ID:1hcCnWCF

「里香……治ったのか!」
「うん、私、もうどこも悪くないよ。学校にだって、どこにだって行ける」
信じられない……。本当に……。あの男の力は本物だったのだ。ということは、他の誰かが里香の病気にかかったんだろう。
だがそんなの知ったことじゃない。あの男が言っていたように『格差是正』だ。
「ねぇ裕一、私ディズニーランドに行ってみたい。それから海で泳いだり、山でキャンプしたり、スキーしたり……色々やってみたい」
里香の目には、今までに見たこともないくらいの輝きが溢れていた。
「いいよ、どこでも連れてってやるよ。あんまり金は持ってないし、季節柄、今すぐはできないこと
だってあるけど……関係ねぇよ。俺達にはまだまだ何十年もの時間が残されてるんだからさ」
俺は里香の手を取って言った。そうだ俺達には未来がある。
「嬉しい、裕一……」
里香の体が俺に寄せられた。里香の髪の毛の甘い香りが鼻をくすぐる。
「ねぇ裕一……わた……て……」
え、何だって聞こえないぞ。
「裕一……なん……裕」
何だ、どうした。あれ、何だ。視界が歪む。景色が崩れる。これは……夢?


408 名前:カラス、ラベンダー、加湿器○5/5[sage] 投稿日:2008/11/25(火) 00:13:44 ID:1hcCnWCF

「裕一、裕一!」
誰かが俺を呼んでいる?視界が真っ白で何も見えない。その上、頭の中にまで霧がかかっているようで意識がはっきりしない。
「裕一!」
これは……里香の声だ。何でそんなに悲痛な叫び声をあげているんだ。
「裕一……」
今度は違う人の声だ。これは……母さん?何でむせび泣いているんだ。
「裕一」
次に聞こえたのやけに、はっきりとした声だった。直接、脳に響いてくるようだ。
「裕一」
もう一度同じ声が聞こえた。そして続けて声が脳内に響き渡る。
「約束は果たしたぞ。秋庭里香の病魔移転完了だ。新しい病魔の宿主は……戎崎裕一、お前だ」
お、俺……?霞んでいく意識の中で、俺は過去を回想した。そうだ。里香の病気を他の人間に移すのを頼んで……。
「俺の任務は終了だ。秋庭里香は今後は病とは縁のない幸せな日々を送ることだろう。さらばだ」
男の声は、何かに吸い寄せられるように遠ざかっていった。
何で……俺が?いや、そうか。俺は今まで大きな病気にかかったことがない。
せいぜい風邪くらいなもんだ。
『生まれてから大した病気もせず幸せに暮らし……』
『今まで健康にのほほんと過ごしてきた者に……』
記憶の中の男の声が蘇る。そうだ。これには……俺も当てはまるんだ。
「『格差是正』だよ、裕一」
里香の声が聞こえた。でもこれは幻聴だ。里香はこうなることを望んでなんかいなかった。俺が死ぬことなんて……。なぁ……そうだろ?
返事を聞く間もなく、俺の脳裏に更に濃い霧が立ち込めていく。
そして遂には、その霧ごと何かに吸い込まれていくように
俺の意識は真っ暗な闇の中へと消えていった。


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