R2-D2
ACT.43
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カウスは街の中心部にある、最も高いビルの上から狙撃を行う。
だがそれは昨日までの話だ。
「カウスは真面目だねぇ」
甲高い声質の所為か、シエロの声はどこか呑気そうに聞こえる。
「選ばれし子供達を、間違っても逃がすわけにはいかないからな。スピリットは一つも欠いてはならない。〝神の完成〟のためには、全てのスピリットが必要なのだから」
デファンスシティはイグドラシルの命を遵守するため、自分たちからスピリットを守りたい。イグドラシルによって使わされた選ばれし子供達は、スピリットを集めている。そしてデファンスシティの住人と子供達は昨日接触をした。これらの条件から導き出される、彼らの取り得る策は一つ。選ばれし子供達にスピリットを託し、全力でこの街から脱出させる。
彼らからすれば、今の状況は絶望的。そしてスピリットを子供達に託して脱出させる策は、その絶望の暗闇に差し込んだ一条の光である。カウスは彼らの立場に立って試案を巡らしてみたが、これより他に策は無い。相手の立場に立って考えることは、他者とのコミュニケーションにおいても戦略においても大切なことである。そうすること以外に、相手の腹の内を探る方法など無いのだから。
そうして相手の立場に立って感じ取ることが出来た一条の光。暗闇から抜け出す唯一の道。
だが裏を返せば、その唯一の道さえ塞いでしまえば暗闇に落とすことが出来るということ。
「だからこそ、力を出し惜しむわけにはいかないのだよ」
「だからって、わざわざ自分で出向かなくても良かったんじゃない? いつもみたいに中央から狙撃すれば済む話じゃあないか」
カウスとシエロは今、街の南西の外周部にいる。
デファンスシティ側の拠点は街の南西部にある。子供達は言うまでもなく最短距離での脱出を図るであろうから、街の南西外周に陣取れば、必然的に子供達の先回りが出来ると読んだのである。無論、正面からかち合う可能性は殆どゼロだが、カウスにとって大切なのは距離である。
「御雷は、サジタリモンという種のジャッジメントアローという技を強化する啓示だ。標的を追尾することも可能だが、距離と方向転換の回数によってはその精度も落ちてしまう……昨日の最後の三矢、その内の二矢は恐らく致命傷を与えることが適わなかった。だが今回はそういうわけにはいかない。〝リミット〟の中で確実に仕留めねば」
今いる位置からならば、カウスは敵が街の南西エリアのどこにいようともほぼ一〇〇パーセントの精度で射抜くことが出来る。中央から外周まで全方位を一〇〇~六〇パーセントの精度で制圧できる昨日までの狙撃ポイントより、南東・北東・北西を捨ててまで、南西全体を制圧できるこのポイントを選んだのだ。
普通ならば、この判断は大した博打だ。読みが正しければほぼ確実に子供達を仕留めることが出来るが、もし外れていればその時点でアウト。いかにひっ迫した状況下であるにしても、これは無策に等しい策である。――ただし……重ねて言うが、普通ならば。
「リミットかぁ……何も、そんな君を戦場によこすことは無いのにね」
それを無策たらしめないのが、実はこのシエロなのである。
ウィングドラモンのシエロ。ウィングドラモンというデジモンの特徴は、何と言ってもその圧倒的な飛行速度。シエロをカウスの〝脚〟として動かせば、仮に子供達が真逆の北東に向かおうとも、追いかけてカウスの射程圏内にまで迫ることは容易である。
つまり一見無策にも見えるこの策は、シエロというたった一枚のカードが加わることによって必勝の策となったのだ。
「私は信頼の証と思っているよ。まあ、それが神ではなくフィルの、というのが何とも喜べないがね。そうそう、信頼といえば私は君のことも信頼している。君の協力無しには、この策は使えないのだからね」
「そいつはどういたしまして」
真顔で見つめながら放たれるカウスの言葉を受け、シエロは照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「んー? でも待てよ。てことはさ、ノナのことは信頼してないの? ノナも連れてくれば良かったのに」
「いや、信頼しているからこそ拠点に残し、全体の指揮を任せたのだよ」
うんうんと頷きながら話すカウス。だが、そんなカウスの様子にどこか納得がいかないのかシエロは、
「ふーん? 置いてきた理由はそれだけ?」
と、意味ありげな質問を意味ありげな視線と共に投げかける。
「それだけだが」
「ふーん?」
「な、何が言いたいんだ……」
シエロの視線にカウスが僅かなたじろぎを見せたその時。
カウスはサジタリモンという種が狙撃の際に発揮する感覚――超直感とでもよぶべき感覚によって、この街の中でたった〝四つ〟しかない人間の気配が大きく動き出すのを察知した。
「これは……!」
これはつまり、子供達が行動を開始したということに他ならない。
だが、それだけではない。デファンスシティ側の多くのデジモン達もまた、子供達が動き出すのと同時に戦線を展開し始めたのだ。開戦。アイゼンベルクとデファンスシティの、恐らく今日が締めくくりとなるであろう戦いが今始まったのである。
しかしカウスに「これは」と言わしめたのは開戦という事実でも、子供達が開戦と同時に動き出したということでもない。
カウスに驚きの感情を齎したのは、子供達が二手に分かれたということである。
こちらが包囲網を敷いていることを、彼らは知らないのだろうか。もし包囲網の存在を知っているのなら、彼らとデファンスシティは突破の成功率を上げるために戦力を集約して臨むはずである。それを分散させるとは。
―どういうつもりだ。
カウスは考える。
―包囲網の存在を知らないのだとして……いや、脱出を試みるのなら予めルートの確保・確認は行っておくものだ。子供達だけならともかく、歴戦の勇士で構成されているデファンスシティの者達がそれをしない道理はない。子供達は戦闘のプロフェッショナルではないが、彼らをサポートするこの街の住人はプロフェッショナルなのだ。
だから、素人を相手にする時のロジックではなく玄人を相手にする時のロジックで考えねばならない。
―となると、彼らは包囲網の存在を知っていて敢えて……? 敢えて戦力を分散させる意味は何だ? 撹乱のつもりか? いや。
ヒントが足りない。相手の意図をくみ取るための要素が。
必要な情報が足りないまま行う推理というのは休むことも同じ。こういった場合はヒントを探すか、もしくは現行の状態で戦闘を行うよりほかはない。
休むに似た考えならば意味はない。ヒントを探している時間もない。だからカウスは、ここで考えることを止めた。下手な詮索は止して、子供達の現在位置を正確に感知する作業に入った。
街の各所で戦闘は既に始まっている。包囲網を成している、カウス自身もまだ見ぬ新型の群れが徐々に街の内側に向かっている。――どうやら飛行して移動するタイプのものであるらしい。三種類いる。サイズはそれほど大型ではない三種。大きいものでも中型だ。フィルはどうやらこの戦闘に相応しい、局地戦向きの部隊をよこしてくれたようだ。これは大きな戦力になる。無くとも負ける気はしないが、これならば圧勝できるだろう。――ノナはよくやってくれているだろうか。デファンスシティの軍勢の一部が中央に侵攻しているが、まだ彼女のいる域には至っていない。そのうちに包囲網の連中が外から、つまり内に攻めている敵の背後からやってくるから、どの道心配はなさそうだ。
子供達はデファンスシティの拠点を離れ、それぞれ街の南方・西方を目指している。今カウスがいる位置からは、必中の射撃を行おうと思ったら少々遠い位置。だが問題は無い。移動速度も決して速くは無い。焦る必要はない。全ては予定と予想の範囲内だ。
落ち着いて状況確認を終えたカウスは、感情の波を殺して集中力を高める。長弓を持つカウスの手には、既に視認できるほどの電流が迸っている。御雷は強力な力である。強力な力だからこそ、極めて高いレベルの集中と、全身全霊のエネルギーを込めることが絶対条件となる。
だがカウスが矢筒より矢を引き抜こうと指をかけたまさにその時、彼の心に再び驚きという名の波が起こった。
子供達が後にしたデファンシティの拠点。ここより、カウスが未だ体験したことがない、他のあらゆる全てを凌駕する速度で動く何かが駆けだした。
「何だ、これは……?」
かつてない戦慄を覚えたカウスは、思わず集中の糸を切られてしまう。
速すぎる。超感覚があるカウスだからこそその存在とおおよその位置を認識できるが、恐らく目ではこれを追うことは不可能だ。耳も役に立たないだろう。この何かは絶対に――そう、まだ対面したわけではないし計測したわけでもないが絶対に――音なんかよりもずうっと速いのだから。
―これは果たして、何なのだッ?
ACT.44 Lightning:3
~狂い始めた~
カウスは最早、驚きという波に捉われてしまった。こんなにも速い物体というのは、完全に未知なのだ。なまじ超感覚などあって、認知できないものなど存在しない彼だから余計にタチが悪い。知識人ほど好奇心旺盛なように、多くを知っている者ほど、未知に出会った時の衝撃は大きいものである。
―何なんだ。何だ。速い。速いぞ。何故あんなに速い? 速い。そうだな速い。だが待て。待てよ。そんなことはいい。そんなことはいいじゃないか。……そんなことは今大事か? いや、大事ではない。大事ではないな。そうとも。今考えるべきことではない。そうだ。……では、考えるべきことは何だ? そうだ、その速い何かの正体だ。まずはそれについて考えねば。そうだな……あれは敵なのか味方なのか、そういう簡単なところから考えてみよう。
戦場で生き残るためには、未知に出会っても即座に冷静になることが必要である。そしてパニックに陥りそうな時ほど論理、筋道を立てて考えることは重要だ。カウスは未だ昂ぶっている己の野性的な部分をなだめすかし、まるで問答でも行うような形で、なるだけとっつきやすそうなところから論理的な思考を試みた。
―まず、そうだな。あれはデファンスシティ側の拠点より動き出した。つまり、敵だ。敵だが、自分が昨日まで戦っていたデファンスシティの軍勢の中にあんなのはいなかった。つまり子供達のパートナーと考えるべきだろう。人間の気配ではないし、そもそも人間があんなに速く動けるはずはないのだから。
カウスはすっかり冷静さを取り戻した。
―つまり、子供達は三手に分かれたと見て構わないだろうな。三手に分かれたということは……。
そしてカウスは現状を改めて正しく認識するに至る。
―戦力の分散を恐れずに、いや、恐れていないわけはないのだ。恐れても尚別れたということは……全く、大した奴らだ。
戦力を分散させてまで分かれる理由、いや意図など一つしかない。……それにしても選ばれし子供達というのは、何と勇敢な者達だろうか。
―彼らの目的は、スピリットを持ってこの街を無事に脱出すること。そして、三手に分かれようがスピリットは一つ。……彼らは、例え仲間が犠牲になろうともスピリットを守る覚悟でいるというのか……!
これはいわば、くじ引きを仕掛けられたようなもの。彼らは三手のうち二手を囮にすることで、スピリットを持った者が脱出できる確率を高めようとしているのだ。
考えてみればそうである。彼らにとって、脱出のために最大のネックとなるのは言うまでもなくカウス。包囲網の突破力を高めようと戦力を集めたところで、カウスの放つ御雷をかわす手立てがないのならばそれは無意味。だから、彼らは何よりも御雷を避けることを優先したのだ。三手に分かれれば、外れの二組が射抜かれてもスピリットを持った一組が脱出できれば彼らの勝ち。
―だが、これは〝そんな次元の策〟ではないッ! 何故ならこのカウスにはリミットがあるからだ!
超感覚にて、三組の構成を読む。超高速で駆け抜ける一組は、これは一組というより一体。おそらくその速さを最大限に生かすためと思われるが、とにかく単独だ。だが残りの二組。そのうちの一組は、人間二人を含む十体。そしてもう一組は十一体。この、数。数が、何よりもカウスにとって厄介であった。
カウスは疑問に思った。デファンスシティ側は、一体どれほど正確に自分の御雷を理解しているのだろうか、と。
皆様は覚えているだろうか、カウスがこの戦に参加した初日、つまり戦が始まって四日目に彼が仕留めた敵の数を。十六体である。この数は決して偶然ではない――撃破した数が偶然十六体であったということではないという意味である――必然なのだ。十六体でなければならないのだ。十六体〝しか〟、彼は一度の戦いで射抜くことができないのだ。先ほどから彼が口にしているリミットとは、つまり一度の戦いで放つことのできる矢の数なのである。
ただでさえエネルギー消費が激しいジャッジメントアローという技。それを強化して究極体のレベルにまで引き上げたこの御雷は、成熟期のカウスには過ぎた力なのだ。かといって、通常のジャッジメントアローならばカウスはリミット無しに放てるのかというと、そうではない。ジャッジメントアローにさえリミットがある。
そもそも、サジタリモンとは難儀な種である。アーマー体であり、また、稀にケンタルモンが同期進化(成長段階が同じデジモンに特殊進化する現象を、ここでは仮にそう呼ぶ)でも至ることがある。だがどちらの進化ルートでも、このサジタリモンの状態でいること自体が激しい体力消費を伴う。そんな状態で、更に膨大なエネルギーをつぎ込まねばならないジャッジメントアローを放つ。この時点ですでに体力の消耗は尋常ではない。普通のサジタリモンならば、これは三矢放つことができれば良い方である。
だがカウスはというと。カウスはこれを二十矢近く放つことができるのだ。カウスという個体は、通常のサジタリモンなど比較にならぬほど屈強なのである。しかも、進化状態が解除されたなどということは未だかつて一度もない。どれほど消耗が激しかろうと、サジタリモンに進化する以前の姿に戻ってしまうということはないのである。
尋常ではない屈強さを誇るカウス。だが、そんなカウスにとってもこの御雷の負荷は大きい。一度の戦いで最大十六矢。それが、カウスの体力の限界。撃ち切った後は最低でも十時間、体をしっかりと休めなければ命にかかわる消耗となる。四日目の戦いで、アイゼンベルク側が早期に引き上げた理由はここにある。下手に戦闘を長引かせても、カウスがいなかればここ一番で押し切られる可能性があった。そして五日目で確実に攻めきるためにも、カウスをきっちり休ませる必要があったのである。
しかし。十時間休ませなければ命にかかわる消耗となるとはいったが……実際は、〝たとえ休ませようとも〟彼の命は削られてゆく――。
―デファンスシティの住人達が、観察と考察によって私のリミットに気づいた可能性はある……だがしかし、今はそんなことは関係ないな。大事なのはそう……数だ。
超高速の一組を除いた二組は、十体と十一体で構成されている。これはカウスにとってどういうことか。
たとえば、カウスが最初に十体の組を狙うと仮定する。二体の人間は判別できるが、それ以外はデジモンであること、そしてそのおおよその体格しかわからない。八体のうち二体は子供達のパートナーだとして、残りの八体はデファンスシティのガード。誰がスピリットを持っているかは分からないが、子供達か、そのパートナーが持っていることはまず間違いない。だが、子供達はともかくそのパートナーが誰か、ということが判別できない。判別できないということは、結局全員を射抜かなければ意味がないということ。最初に十体の組を狙うと仮定したこの場合、カウスはまず無条件で十矢放たなければいけないことになる。新型の群れはやがて、あるいはカウスが射抜いた時点ですでに子供達と接触しているかもしれないので、彼らのいずれかがスピリットを持っていたのならば回収は可能。だが、十体の組がダミーであった場合。カウスは十一体の方に目を向けなければならない。だが、この時点でリミットは残り六矢……そう、足りない。
―絶対的に数が足りないのだ! 三手に分かれて脱出を試みるこの策は、本来ならば私の御雷の前に完全に無効化されるはずだった! 三組に分かれようとも、この御雷をかわせないのならば意味はないからだ! だが、かわせなくとも破る策があった! 彼らはそれを見出した! 私の超感覚の限界、そして御雷のリミットを――彼らは見事に利用して見せたのだ! 超高速の存在も含め、これは二十二個の中からたった一つの当たりを引くクジ! 引ける回数は十六回!
実際の結果はカウスの勝利となるか、子供達の勝利となるかはまだ分からない。だが、これは大した策である。カウスによって子供達の光は完全に閉ざされたかのように見えた。光の出所を、カウスは完全に塞いで見せたつもりだった。にも拘わらず、子供達は塞いだその隙間を覗き込むようにして、可能性という名の希望を掴み取ったのである。
―さて、ではどれを最初に狙うか。……いや、考えるまでも無かったな。
そう、最初に狙うべきは決まっている。
超高速で駆ける敵だ。
デファンスシティの拠点は街の南西部にある。そこから真南と真西に脱出を図る二組。これは包囲網との衝突で、まだ足止め、上手くいけば撃破だって可能だろう。だがこの超絶に速い敵は、恐らく全てのデジモンの中でもトップクラスの速さを持っている。アイゼンベルクの新型とて、これに追いつけるかどうかは甚だ疑問である。
そして当然敵方もそう思っている。主観的に見ても客観的に見ても、三組のうち最も突破率が高いのはこの速いのである。だからスピリットを持っている可能性が一番高いというわけではないが、誰が持っているか分からない以上、最も突破率が高いものから潰していくのが常套手段というもの。
―だが、いまいち解せんな。
しつこいようだが、子供達のスタート地点は街の南西部なのだ。だから二組がそれぞれ南と西に行くのは分かる。単純に、脱出までかかる距離と時間が短いからだ。だがこの速いのは――何故か東に、つまり街の中央部に向けて走っているのである。
―何故だ? 何故わざわざ遠い方に? 何故、わざわざ戦闘が激しいエリアを抜けようとしている?
カウスは集中する。
速いのは四足で駆けている。走りのテンポは緩やかだ。一蹴り一蹴りが強力だが、テンポは緩慢。――つまり、まだ余裕がある。全力で走ってはいない。
テンポが変わった。
敵と遭遇したらしい。どんな戦いをするのだろう。……いや。
―そうか。
ひとっ飛びに飛び越えて、無視してそのまま逃げた。
―あのスピードなら、ガードロモン程度は楽にかわせる。そして、一度かわしたらもう追いつかれない。激戦地だろうとお構いなし、か。だがまだ分からないな。お構いなしだろうと、わざわざ激戦地を通る理由にはならない。もうすぐこちらの本陣に接触するやも――しまった。
カウスの心に、この日一番の大きな波が立つ。
「シエロ! 私を運んでくれ!」
「……え?」
ただし、この日起ったそれまでの波とは異なる波が。
「緊急事態だ……ッ!」
「カウスはこう思っているだろうな」
アスファルトの上を走りながら、蒼太は竜乃に語る。
「『子供達は、きっとどんな犠牲をはらってでもこの街からスピリットを持ちだす覚悟なのだ』と」
竜乃を気遣ってか、蒼太の走るペースは比較的ゆっくりである。カクは、これから出会うであろう敵と戦わねばならない。昨日のように竜乃を背に乗せてやるわけにはいかないのだ。
「っハアッ、それが、私たちの策ですものね……ハアッ」
それでも竜乃は苦しそうだ。
「俺達が二手に分かれた時点で奴はそう思う。そしてシンスケの登場。二手に分かれたのは、いわゆる布石ってやつだ。いや、〝条件付け〟とでも言うのかな。心理学的には」
蒼太は、自分たちに合わせて横を走るカクを見やる。彼は今ワーガルルモンである。
「俺に心理学とやらの知識はないが、お前がそう言うのならそうなのだろう」
「俺達が仲間を犠牲にしてまでスピリットを持ちだそうとしているそう思い込んだカウスは、超スピードで駆けるシンスケを感知した時こう思うはずだ」
蒼太は周囲を警戒する。だが、一向に敵の気配はない。今の今まで気づかなかったのは少々滑稽だが、この街は相当に広いようだ。包囲網を成しているデジモン達が内に向かっているにも拘らず、今だに自分たちと接触しないのはそうであるからに違いない。
「こいつが一番脱出の可能性が高い、と。他の奴がスピリットを持っている可能性はある。この速い奴は囮かもしれない。でも、そうでない可能性……つまりシンスケが当たりである可能性が万に一つでもある限り、最も脱出が容易そうな速いやつを……」
「シンスケさんを最初に倒さなきゃ、そう考えるのが自然ですね……ぜぇっ」
「ん……少し休もうか」
蒼太はガードに着いているデジモン達に合図を送り、ビルの影に入って一旦竜乃を休ませることにした。できればタイムロスは避けたいが、これは仕方がない。走れなくなってもらっても、それは余計に困る。……というのは作戦上の話で、心の底から蒼太はそう思っているわけではない。いざとなったら自分がおぶってでも走る覚悟はある。
「更にシンスケが自陣のど真ん中に突っ込んでいくような真似をすれば、絶対に無視はできないだろう」
「しかし、あの短時間でよくもまあこれだけの策を用意したものだな」
自分のパートナーの力量に感心するのは何度目だろうか、と思いながらカクは言う。
「ふっ……カウスは、俺達が仲間を犠牲にする覚悟でいると思っている。相手の立場に立って考えることは、相手の策を図るうえで大切なことだ。……けど。〝だからこそ、そこを利用してやる〟。俺達は誰一人欠けることなくこの街を出てみせる! ……つまり、奴の認識している俺達の覚悟と、実際に俺達が抱いている覚悟は違うってわけだ」
「なるほど……騙すための虚像を、二手に分かれるという手でつくったわけか。その手をうけた相手がどう読んでくるかまで考えたうえで……」
「奴が考えるこちらの策と、実際に俺達が実行している策は違う。だから、奴は誤った対処法をとる。奴は、〝奴が考えるこちらの策〟に最善の手を打とうとするだろう。だが、認識の齟齬が生まれている。噛み合わないわけだ。これから奴が打つあらゆる手は実際に俺達が持っている策に対してもある程度は有効だろうが、決定打になり得ることは絶対にない」
認識の誤り。誤解。すれ違い。誤謬。齟齬。人間関係であれば、これは時に致命的なものとなる。これを避けるために、相手の立場に立って考えることが大事になる。蒼太はそこを利用したのだ。戦略において相手の立場に立って考えることが重要なのは、相手の策を読み違えないようにするためである。つまり逆にいえば、〝相手が考えるこちらの立場〟を誤って認識させることで、策を読み違えさえることができるのである。
人間関係であれば避けるべき事態を、蒼太はあえて引き起こすことで策としたのだ。
「すいません、蒼太さん……私……その……」
「いや、構わないよ。……話せば苦しさも紛れるかと思ったんだが……逆効果だったみたいだな。ごめんな」
蒼太はフッ、と半ば自虐的に微笑む。
「違うんです……あの……」
「どうした? 足をくじいたのか? 蒼太、場合によっては俺がこのコを担いで……」
「そうだな……急な襲撃に対する対応は遅れるかもしれないが、背に腹は代えられな……」
「ち、違うんです! あの……」
「?」
「お、おトイレ……行きたく」
竜乃はもじもじと股を抑え、顔を赤くして縮こまる。
「あー……」
こんな時に非常に不謹慎だが、蒼太は妙に和んでしまった。
さて、ここまでの戦況を見る限りでは、カウスは見事に子供達の策に嵌っているように思われる。子供達は少なくともそう思っているだろう。
だが、これは間違いである。それこそ認識の誤りである。
蒼太は、シンスケが街の中央に向かえば〝カウスは自分の身を守るために〟絶対にシンスケを無視できないと読んだ。これは、カウスが街の中心部を離れて南西に待機していたことを知らなかったためである。従って、これは誤解である。
カウスは、確かにシンスケが中央に、自分たちの拠点に向かっていることに危機感を覚えた。焦りを覚えた。だがこの戦いを客観的に見ている者なら一目瞭然のように、カウスはそもそも中央にいなかったにもかかわらず、だ。
では、カウスは何故、何に焦ったのだろうか。
それは、彼が急ぎシエロの背に乗った時のセリフを聞けば分かることである。
「緊急事態だ……ッ!」
「え? 一体何が起こったの?」
「……ノナが危ないッ!」
ノナ。
カウスは、たった一人の乙女の心配だけをしていたのである。
ノナのことは子供達も知らない。その存在をアシュラモンから聞かされていたとしても、彼らは彼女に対するカウスの気持ちを知らない。だから、ひょっとしたらこれからカウスは彼らにとって想定外の行動を起こすやもしれない。いや、実際起こしている。中央にいるはずであったカウスは、〝今中央に向かっている〟のだ。既に歯車は狂い始めている。ああ、こなんということだろう。ここにもまた、すれ違いが生まれてしまった。
カウスは子供達の真意を誤って認識している。だから彼らの真の意図も、その策も分からない。誤謬がある。
このデファンスシティで行われている戦。その中で行われているスピリット争奪戦。この争奪戦は、子供達の思い通りにも、カウスの思い通りにもいっていない。両者の認識の間だけでなくその両者の認識それぞれが、現実に今起こっている事態との間に齟齬を生じさせてしまっている。
子供たちもカウスも気付いてはいないが――この戦いは今、誰の思うようにもいっていない。
だがそれは昨日までの話だ。
「カウスは真面目だねぇ」
甲高い声質の所為か、シエロの声はどこか呑気そうに聞こえる。
「選ばれし子供達を、間違っても逃がすわけにはいかないからな。スピリットは一つも欠いてはならない。〝神の完成〟のためには、全てのスピリットが必要なのだから」
デファンスシティはイグドラシルの命を遵守するため、自分たちからスピリットを守りたい。イグドラシルによって使わされた選ばれし子供達は、スピリットを集めている。そしてデファンスシティの住人と子供達は昨日接触をした。これらの条件から導き出される、彼らの取り得る策は一つ。選ばれし子供達にスピリットを託し、全力でこの街から脱出させる。
彼らからすれば、今の状況は絶望的。そしてスピリットを子供達に託して脱出させる策は、その絶望の暗闇に差し込んだ一条の光である。カウスは彼らの立場に立って試案を巡らしてみたが、これより他に策は無い。相手の立場に立って考えることは、他者とのコミュニケーションにおいても戦略においても大切なことである。そうすること以外に、相手の腹の内を探る方法など無いのだから。
そうして相手の立場に立って感じ取ることが出来た一条の光。暗闇から抜け出す唯一の道。
だが裏を返せば、その唯一の道さえ塞いでしまえば暗闇に落とすことが出来るということ。
「だからこそ、力を出し惜しむわけにはいかないのだよ」
「だからって、わざわざ自分で出向かなくても良かったんじゃない? いつもみたいに中央から狙撃すれば済む話じゃあないか」
カウスとシエロは今、街の南西の外周部にいる。
デファンスシティ側の拠点は街の南西部にある。子供達は言うまでもなく最短距離での脱出を図るであろうから、街の南西外周に陣取れば、必然的に子供達の先回りが出来ると読んだのである。無論、正面からかち合う可能性は殆どゼロだが、カウスにとって大切なのは距離である。
「御雷は、サジタリモンという種のジャッジメントアローという技を強化する啓示だ。標的を追尾することも可能だが、距離と方向転換の回数によってはその精度も落ちてしまう……昨日の最後の三矢、その内の二矢は恐らく致命傷を与えることが適わなかった。だが今回はそういうわけにはいかない。〝リミット〟の中で確実に仕留めねば」
今いる位置からならば、カウスは敵が街の南西エリアのどこにいようともほぼ一〇〇パーセントの精度で射抜くことが出来る。中央から外周まで全方位を一〇〇~六〇パーセントの精度で制圧できる昨日までの狙撃ポイントより、南東・北東・北西を捨ててまで、南西全体を制圧できるこのポイントを選んだのだ。
普通ならば、この判断は大した博打だ。読みが正しければほぼ確実に子供達を仕留めることが出来るが、もし外れていればその時点でアウト。いかにひっ迫した状況下であるにしても、これは無策に等しい策である。――ただし……重ねて言うが、普通ならば。
「リミットかぁ……何も、そんな君を戦場によこすことは無いのにね」
それを無策たらしめないのが、実はこのシエロなのである。
ウィングドラモンのシエロ。ウィングドラモンというデジモンの特徴は、何と言ってもその圧倒的な飛行速度。シエロをカウスの〝脚〟として動かせば、仮に子供達が真逆の北東に向かおうとも、追いかけてカウスの射程圏内にまで迫ることは容易である。
つまり一見無策にも見えるこの策は、シエロというたった一枚のカードが加わることによって必勝の策となったのだ。
「私は信頼の証と思っているよ。まあ、それが神ではなくフィルの、というのが何とも喜べないがね。そうそう、信頼といえば私は君のことも信頼している。君の協力無しには、この策は使えないのだからね」
「そいつはどういたしまして」
真顔で見つめながら放たれるカウスの言葉を受け、シエロは照れ臭そうに鼻の頭を掻いた。
「んー? でも待てよ。てことはさ、ノナのことは信頼してないの? ノナも連れてくれば良かったのに」
「いや、信頼しているからこそ拠点に残し、全体の指揮を任せたのだよ」
うんうんと頷きながら話すカウス。だが、そんなカウスの様子にどこか納得がいかないのかシエロは、
「ふーん? 置いてきた理由はそれだけ?」
と、意味ありげな質問を意味ありげな視線と共に投げかける。
「それだけだが」
「ふーん?」
「な、何が言いたいんだ……」
シエロの視線にカウスが僅かなたじろぎを見せたその時。
カウスはサジタリモンという種が狙撃の際に発揮する感覚――超直感とでもよぶべき感覚によって、この街の中でたった〝四つ〟しかない人間の気配が大きく動き出すのを察知した。
「これは……!」
これはつまり、子供達が行動を開始したということに他ならない。
だが、それだけではない。デファンスシティ側の多くのデジモン達もまた、子供達が動き出すのと同時に戦線を展開し始めたのだ。開戦。アイゼンベルクとデファンスシティの、恐らく今日が締めくくりとなるであろう戦いが今始まったのである。
しかしカウスに「これは」と言わしめたのは開戦という事実でも、子供達が開戦と同時に動き出したということでもない。
カウスに驚きの感情を齎したのは、子供達が二手に分かれたということである。
こちらが包囲網を敷いていることを、彼らは知らないのだろうか。もし包囲網の存在を知っているのなら、彼らとデファンスシティは突破の成功率を上げるために戦力を集約して臨むはずである。それを分散させるとは。
―どういうつもりだ。
カウスは考える。
―包囲網の存在を知らないのだとして……いや、脱出を試みるのなら予めルートの確保・確認は行っておくものだ。子供達だけならともかく、歴戦の勇士で構成されているデファンスシティの者達がそれをしない道理はない。子供達は戦闘のプロフェッショナルではないが、彼らをサポートするこの街の住人はプロフェッショナルなのだ。
だから、素人を相手にする時のロジックではなく玄人を相手にする時のロジックで考えねばならない。
―となると、彼らは包囲網の存在を知っていて敢えて……? 敢えて戦力を分散させる意味は何だ? 撹乱のつもりか? いや。
ヒントが足りない。相手の意図をくみ取るための要素が。
必要な情報が足りないまま行う推理というのは休むことも同じ。こういった場合はヒントを探すか、もしくは現行の状態で戦闘を行うよりほかはない。
休むに似た考えならば意味はない。ヒントを探している時間もない。だからカウスは、ここで考えることを止めた。下手な詮索は止して、子供達の現在位置を正確に感知する作業に入った。
街の各所で戦闘は既に始まっている。包囲網を成している、カウス自身もまだ見ぬ新型の群れが徐々に街の内側に向かっている。――どうやら飛行して移動するタイプのものであるらしい。三種類いる。サイズはそれほど大型ではない三種。大きいものでも中型だ。フィルはどうやらこの戦闘に相応しい、局地戦向きの部隊をよこしてくれたようだ。これは大きな戦力になる。無くとも負ける気はしないが、これならば圧勝できるだろう。――ノナはよくやってくれているだろうか。デファンスシティの軍勢の一部が中央に侵攻しているが、まだ彼女のいる域には至っていない。そのうちに包囲網の連中が外から、つまり内に攻めている敵の背後からやってくるから、どの道心配はなさそうだ。
子供達はデファンスシティの拠点を離れ、それぞれ街の南方・西方を目指している。今カウスがいる位置からは、必中の射撃を行おうと思ったら少々遠い位置。だが問題は無い。移動速度も決して速くは無い。焦る必要はない。全ては予定と予想の範囲内だ。
落ち着いて状況確認を終えたカウスは、感情の波を殺して集中力を高める。長弓を持つカウスの手には、既に視認できるほどの電流が迸っている。御雷は強力な力である。強力な力だからこそ、極めて高いレベルの集中と、全身全霊のエネルギーを込めることが絶対条件となる。
だがカウスが矢筒より矢を引き抜こうと指をかけたまさにその時、彼の心に再び驚きという名の波が起こった。
子供達が後にしたデファンシティの拠点。ここより、カウスが未だ体験したことがない、他のあらゆる全てを凌駕する速度で動く何かが駆けだした。
「何だ、これは……?」
かつてない戦慄を覚えたカウスは、思わず集中の糸を切られてしまう。
速すぎる。超感覚があるカウスだからこそその存在とおおよその位置を認識できるが、恐らく目ではこれを追うことは不可能だ。耳も役に立たないだろう。この何かは絶対に――そう、まだ対面したわけではないし計測したわけでもないが絶対に――音なんかよりもずうっと速いのだから。
―これは果たして、何なのだッ?
ACT.44 Lightning:3
~狂い始めた~
カウスは最早、驚きという波に捉われてしまった。こんなにも速い物体というのは、完全に未知なのだ。なまじ超感覚などあって、認知できないものなど存在しない彼だから余計にタチが悪い。知識人ほど好奇心旺盛なように、多くを知っている者ほど、未知に出会った時の衝撃は大きいものである。
―何なんだ。何だ。速い。速いぞ。何故あんなに速い? 速い。そうだな速い。だが待て。待てよ。そんなことはいい。そんなことはいいじゃないか。……そんなことは今大事か? いや、大事ではない。大事ではないな。そうとも。今考えるべきことではない。そうだ。……では、考えるべきことは何だ? そうだ、その速い何かの正体だ。まずはそれについて考えねば。そうだな……あれは敵なのか味方なのか、そういう簡単なところから考えてみよう。
戦場で生き残るためには、未知に出会っても即座に冷静になることが必要である。そしてパニックに陥りそうな時ほど論理、筋道を立てて考えることは重要だ。カウスは未だ昂ぶっている己の野性的な部分をなだめすかし、まるで問答でも行うような形で、なるだけとっつきやすそうなところから論理的な思考を試みた。
―まず、そうだな。あれはデファンスシティ側の拠点より動き出した。つまり、敵だ。敵だが、自分が昨日まで戦っていたデファンスシティの軍勢の中にあんなのはいなかった。つまり子供達のパートナーと考えるべきだろう。人間の気配ではないし、そもそも人間があんなに速く動けるはずはないのだから。
カウスはすっかり冷静さを取り戻した。
―つまり、子供達は三手に分かれたと見て構わないだろうな。三手に分かれたということは……。
そしてカウスは現状を改めて正しく認識するに至る。
―戦力の分散を恐れずに、いや、恐れていないわけはないのだ。恐れても尚別れたということは……全く、大した奴らだ。
戦力を分散させてまで分かれる理由、いや意図など一つしかない。……それにしても選ばれし子供達というのは、何と勇敢な者達だろうか。
―彼らの目的は、スピリットを持ってこの街を無事に脱出すること。そして、三手に分かれようがスピリットは一つ。……彼らは、例え仲間が犠牲になろうともスピリットを守る覚悟でいるというのか……!
これはいわば、くじ引きを仕掛けられたようなもの。彼らは三手のうち二手を囮にすることで、スピリットを持った者が脱出できる確率を高めようとしているのだ。
考えてみればそうである。彼らにとって、脱出のために最大のネックとなるのは言うまでもなくカウス。包囲網の突破力を高めようと戦力を集めたところで、カウスの放つ御雷をかわす手立てがないのならばそれは無意味。だから、彼らは何よりも御雷を避けることを優先したのだ。三手に分かれれば、外れの二組が射抜かれてもスピリットを持った一組が脱出できれば彼らの勝ち。
―だが、これは〝そんな次元の策〟ではないッ! 何故ならこのカウスにはリミットがあるからだ!
超感覚にて、三組の構成を読む。超高速で駆け抜ける一組は、これは一組というより一体。おそらくその速さを最大限に生かすためと思われるが、とにかく単独だ。だが残りの二組。そのうちの一組は、人間二人を含む十体。そしてもう一組は十一体。この、数。数が、何よりもカウスにとって厄介であった。
カウスは疑問に思った。デファンスシティ側は、一体どれほど正確に自分の御雷を理解しているのだろうか、と。
皆様は覚えているだろうか、カウスがこの戦に参加した初日、つまり戦が始まって四日目に彼が仕留めた敵の数を。十六体である。この数は決して偶然ではない――撃破した数が偶然十六体であったということではないという意味である――必然なのだ。十六体でなければならないのだ。十六体〝しか〟、彼は一度の戦いで射抜くことができないのだ。先ほどから彼が口にしているリミットとは、つまり一度の戦いで放つことのできる矢の数なのである。
ただでさえエネルギー消費が激しいジャッジメントアローという技。それを強化して究極体のレベルにまで引き上げたこの御雷は、成熟期のカウスには過ぎた力なのだ。かといって、通常のジャッジメントアローならばカウスはリミット無しに放てるのかというと、そうではない。ジャッジメントアローにさえリミットがある。
そもそも、サジタリモンとは難儀な種である。アーマー体であり、また、稀にケンタルモンが同期進化(成長段階が同じデジモンに特殊進化する現象を、ここでは仮にそう呼ぶ)でも至ることがある。だがどちらの進化ルートでも、このサジタリモンの状態でいること自体が激しい体力消費を伴う。そんな状態で、更に膨大なエネルギーをつぎ込まねばならないジャッジメントアローを放つ。この時点ですでに体力の消耗は尋常ではない。普通のサジタリモンならば、これは三矢放つことができれば良い方である。
だがカウスはというと。カウスはこれを二十矢近く放つことができるのだ。カウスという個体は、通常のサジタリモンなど比較にならぬほど屈強なのである。しかも、進化状態が解除されたなどということは未だかつて一度もない。どれほど消耗が激しかろうと、サジタリモンに進化する以前の姿に戻ってしまうということはないのである。
尋常ではない屈強さを誇るカウス。だが、そんなカウスにとってもこの御雷の負荷は大きい。一度の戦いで最大十六矢。それが、カウスの体力の限界。撃ち切った後は最低でも十時間、体をしっかりと休めなければ命にかかわる消耗となる。四日目の戦いで、アイゼンベルク側が早期に引き上げた理由はここにある。下手に戦闘を長引かせても、カウスがいなかればここ一番で押し切られる可能性があった。そして五日目で確実に攻めきるためにも、カウスをきっちり休ませる必要があったのである。
しかし。十時間休ませなければ命にかかわる消耗となるとはいったが……実際は、〝たとえ休ませようとも〟彼の命は削られてゆく――。
―デファンスシティの住人達が、観察と考察によって私のリミットに気づいた可能性はある……だがしかし、今はそんなことは関係ないな。大事なのはそう……数だ。
超高速の一組を除いた二組は、十体と十一体で構成されている。これはカウスにとってどういうことか。
たとえば、カウスが最初に十体の組を狙うと仮定する。二体の人間は判別できるが、それ以外はデジモンであること、そしてそのおおよその体格しかわからない。八体のうち二体は子供達のパートナーだとして、残りの八体はデファンスシティのガード。誰がスピリットを持っているかは分からないが、子供達か、そのパートナーが持っていることはまず間違いない。だが、子供達はともかくそのパートナーが誰か、ということが判別できない。判別できないということは、結局全員を射抜かなければ意味がないということ。最初に十体の組を狙うと仮定したこの場合、カウスはまず無条件で十矢放たなければいけないことになる。新型の群れはやがて、あるいはカウスが射抜いた時点ですでに子供達と接触しているかもしれないので、彼らのいずれかがスピリットを持っていたのならば回収は可能。だが、十体の組がダミーであった場合。カウスは十一体の方に目を向けなければならない。だが、この時点でリミットは残り六矢……そう、足りない。
―絶対的に数が足りないのだ! 三手に分かれて脱出を試みるこの策は、本来ならば私の御雷の前に完全に無効化されるはずだった! 三組に分かれようとも、この御雷をかわせないのならば意味はないからだ! だが、かわせなくとも破る策があった! 彼らはそれを見出した! 私の超感覚の限界、そして御雷のリミットを――彼らは見事に利用して見せたのだ! 超高速の存在も含め、これは二十二個の中からたった一つの当たりを引くクジ! 引ける回数は十六回!
実際の結果はカウスの勝利となるか、子供達の勝利となるかはまだ分からない。だが、これは大した策である。カウスによって子供達の光は完全に閉ざされたかのように見えた。光の出所を、カウスは完全に塞いで見せたつもりだった。にも拘わらず、子供達は塞いだその隙間を覗き込むようにして、可能性という名の希望を掴み取ったのである。
―さて、ではどれを最初に狙うか。……いや、考えるまでも無かったな。
そう、最初に狙うべきは決まっている。
超高速で駆ける敵だ。
デファンスシティの拠点は街の南西部にある。そこから真南と真西に脱出を図る二組。これは包囲網との衝突で、まだ足止め、上手くいけば撃破だって可能だろう。だがこの超絶に速い敵は、恐らく全てのデジモンの中でもトップクラスの速さを持っている。アイゼンベルクの新型とて、これに追いつけるかどうかは甚だ疑問である。
そして当然敵方もそう思っている。主観的に見ても客観的に見ても、三組のうち最も突破率が高いのはこの速いのである。だからスピリットを持っている可能性が一番高いというわけではないが、誰が持っているか分からない以上、最も突破率が高いものから潰していくのが常套手段というもの。
―だが、いまいち解せんな。
しつこいようだが、子供達のスタート地点は街の南西部なのだ。だから二組がそれぞれ南と西に行くのは分かる。単純に、脱出までかかる距離と時間が短いからだ。だがこの速いのは――何故か東に、つまり街の中央部に向けて走っているのである。
―何故だ? 何故わざわざ遠い方に? 何故、わざわざ戦闘が激しいエリアを抜けようとしている?
カウスは集中する。
速いのは四足で駆けている。走りのテンポは緩やかだ。一蹴り一蹴りが強力だが、テンポは緩慢。――つまり、まだ余裕がある。全力で走ってはいない。
テンポが変わった。
敵と遭遇したらしい。どんな戦いをするのだろう。……いや。
―そうか。
ひとっ飛びに飛び越えて、無視してそのまま逃げた。
―あのスピードなら、ガードロモン程度は楽にかわせる。そして、一度かわしたらもう追いつかれない。激戦地だろうとお構いなし、か。だがまだ分からないな。お構いなしだろうと、わざわざ激戦地を通る理由にはならない。もうすぐこちらの本陣に接触するやも――しまった。
カウスの心に、この日一番の大きな波が立つ。
「シエロ! 私を運んでくれ!」
「……え?」
ただし、この日起ったそれまでの波とは異なる波が。
「緊急事態だ……ッ!」
「カウスはこう思っているだろうな」
アスファルトの上を走りながら、蒼太は竜乃に語る。
「『子供達は、きっとどんな犠牲をはらってでもこの街からスピリットを持ちだす覚悟なのだ』と」
竜乃を気遣ってか、蒼太の走るペースは比較的ゆっくりである。カクは、これから出会うであろう敵と戦わねばならない。昨日のように竜乃を背に乗せてやるわけにはいかないのだ。
「っハアッ、それが、私たちの策ですものね……ハアッ」
それでも竜乃は苦しそうだ。
「俺達が二手に分かれた時点で奴はそう思う。そしてシンスケの登場。二手に分かれたのは、いわゆる布石ってやつだ。いや、〝条件付け〟とでも言うのかな。心理学的には」
蒼太は、自分たちに合わせて横を走るカクを見やる。彼は今ワーガルルモンである。
「俺に心理学とやらの知識はないが、お前がそう言うのならそうなのだろう」
「俺達が仲間を犠牲にしてまでスピリットを持ちだそうとしているそう思い込んだカウスは、超スピードで駆けるシンスケを感知した時こう思うはずだ」
蒼太は周囲を警戒する。だが、一向に敵の気配はない。今の今まで気づかなかったのは少々滑稽だが、この街は相当に広いようだ。包囲網を成しているデジモン達が内に向かっているにも拘らず、今だに自分たちと接触しないのはそうであるからに違いない。
「こいつが一番脱出の可能性が高い、と。他の奴がスピリットを持っている可能性はある。この速い奴は囮かもしれない。でも、そうでない可能性……つまりシンスケが当たりである可能性が万に一つでもある限り、最も脱出が容易そうな速いやつを……」
「シンスケさんを最初に倒さなきゃ、そう考えるのが自然ですね……ぜぇっ」
「ん……少し休もうか」
蒼太はガードに着いているデジモン達に合図を送り、ビルの影に入って一旦竜乃を休ませることにした。できればタイムロスは避けたいが、これは仕方がない。走れなくなってもらっても、それは余計に困る。……というのは作戦上の話で、心の底から蒼太はそう思っているわけではない。いざとなったら自分がおぶってでも走る覚悟はある。
「更にシンスケが自陣のど真ん中に突っ込んでいくような真似をすれば、絶対に無視はできないだろう」
「しかし、あの短時間でよくもまあこれだけの策を用意したものだな」
自分のパートナーの力量に感心するのは何度目だろうか、と思いながらカクは言う。
「ふっ……カウスは、俺達が仲間を犠牲にする覚悟でいると思っている。相手の立場に立って考えることは、相手の策を図るうえで大切なことだ。……けど。〝だからこそ、そこを利用してやる〟。俺達は誰一人欠けることなくこの街を出てみせる! ……つまり、奴の認識している俺達の覚悟と、実際に俺達が抱いている覚悟は違うってわけだ」
「なるほど……騙すための虚像を、二手に分かれるという手でつくったわけか。その手をうけた相手がどう読んでくるかまで考えたうえで……」
「奴が考えるこちらの策と、実際に俺達が実行している策は違う。だから、奴は誤った対処法をとる。奴は、〝奴が考えるこちらの策〟に最善の手を打とうとするだろう。だが、認識の齟齬が生まれている。噛み合わないわけだ。これから奴が打つあらゆる手は実際に俺達が持っている策に対してもある程度は有効だろうが、決定打になり得ることは絶対にない」
認識の誤り。誤解。すれ違い。誤謬。齟齬。人間関係であれば、これは時に致命的なものとなる。これを避けるために、相手の立場に立って考えることが大事になる。蒼太はそこを利用したのだ。戦略において相手の立場に立って考えることが重要なのは、相手の策を読み違えないようにするためである。つまり逆にいえば、〝相手が考えるこちらの立場〟を誤って認識させることで、策を読み違えさえることができるのである。
人間関係であれば避けるべき事態を、蒼太はあえて引き起こすことで策としたのだ。
「すいません、蒼太さん……私……その……」
「いや、構わないよ。……話せば苦しさも紛れるかと思ったんだが……逆効果だったみたいだな。ごめんな」
蒼太はフッ、と半ば自虐的に微笑む。
「違うんです……あの……」
「どうした? 足をくじいたのか? 蒼太、場合によっては俺がこのコを担いで……」
「そうだな……急な襲撃に対する対応は遅れるかもしれないが、背に腹は代えられな……」
「ち、違うんです! あの……」
「?」
「お、おトイレ……行きたく」
竜乃はもじもじと股を抑え、顔を赤くして縮こまる。
「あー……」
こんな時に非常に不謹慎だが、蒼太は妙に和んでしまった。
さて、ここまでの戦況を見る限りでは、カウスは見事に子供達の策に嵌っているように思われる。子供達は少なくともそう思っているだろう。
だが、これは間違いである。それこそ認識の誤りである。
蒼太は、シンスケが街の中央に向かえば〝カウスは自分の身を守るために〟絶対にシンスケを無視できないと読んだ。これは、カウスが街の中心部を離れて南西に待機していたことを知らなかったためである。従って、これは誤解である。
カウスは、確かにシンスケが中央に、自分たちの拠点に向かっていることに危機感を覚えた。焦りを覚えた。だがこの戦いを客観的に見ている者なら一目瞭然のように、カウスはそもそも中央にいなかったにもかかわらず、だ。
では、カウスは何故、何に焦ったのだろうか。
それは、彼が急ぎシエロの背に乗った時のセリフを聞けば分かることである。
「緊急事態だ……ッ!」
「え? 一体何が起こったの?」
「……ノナが危ないッ!」
ノナ。
カウスは、たった一人の乙女の心配だけをしていたのである。
ノナのことは子供達も知らない。その存在をアシュラモンから聞かされていたとしても、彼らは彼女に対するカウスの気持ちを知らない。だから、ひょっとしたらこれからカウスは彼らにとって想定外の行動を起こすやもしれない。いや、実際起こしている。中央にいるはずであったカウスは、〝今中央に向かっている〟のだ。既に歯車は狂い始めている。ああ、こなんということだろう。ここにもまた、すれ違いが生まれてしまった。
カウスは子供達の真意を誤って認識している。だから彼らの真の意図も、その策も分からない。誤謬がある。
このデファンスシティで行われている戦。その中で行われているスピリット争奪戦。この争奪戦は、子供達の思い通りにも、カウスの思い通りにもいっていない。両者の認識の間だけでなくその両者の認識それぞれが、現実に今起こっている事態との間に齟齬を生じさせてしまっている。
子供たちもカウスも気付いてはいないが――この戦いは今、誰の思うようにもいっていない。