R2-D2

人の壱

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r2d2

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 足立五郎があんなことになってしまった所為で、もう部活動どころではなくなってしまった。
 だからハルは今、こうして鳥居の前に立っている。
 鳥居と言っても、かのメロン神こと鳥居先輩のことではない。
 佐倉市は桃山の地、ハルの家からは歩いて数分程度で着く小山――というより塚に近い――に在る千引神社、その鳥居の前だ。
 ハルは鳥居の向こうを覗く。正面には鬱蒼とした森しかない。まだ黄昏刻には遠いものの、木々のブラインドを通して見る景色はひたすら薄暗い。
 ハルは足元に視線を移す。
 足元を通る参道は森の前で二手に分かれており、右手へ往けば境内と社殿、左手へ往けば宮司の住居へと至る。
 ハルは幼い頃からこの神社に通いつめて宮司の息子と境内で遊んでいた。幼い頃から見慣れており、ハルにとってはこの神社こそが基準であるから、別段この神社の在り方を疑問に思ったことは無かった。恐らく、中学に上がる前まではそうだった。
 しかし家族旅行で観光地などを巡り、或いはテレビ等で世の中の一般的な神社を知ると、この神社の奇妙さに気付かずにはいられなかった。
 普通、神社というものは鳥居の前に立てば社殿が見える。鳥居は社殿の正面に立っているからである。
 ところがこの神社ときたら、鳥居を潜ると目の前には木々しかない。二手に分かれた道を右に進み、また木とぶつかったところで左を向いて、そこで漸く社殿が現れるのだ。
 社殿は一応、鳥居と平行に立っている。だからそのまま社殿か鳥居のどちらかを横にずずい、も少し頑張ってずずいのずいとずらせば、めでたく普通の神社となることだろう。
 何故そのずらす努力を怠ったのだろうか、と思う。というか、そもそもずらす前に最初から正面に造ればよかったのではないか。何故坂を登りつめて二者択一のブービートラップを乗り越え、そこから更に歩かねばならないのか。この無駄な手間は何なのか。
 神社としてあらねばならぬ形式というものをハルはよく知らない。だからこれが神社として間違った形なのかは判らない。判らないが、それでも判らぬ理由で要らぬ手間をかけさせるのは間違っていると思う。
 否。正確には、ハルはこの神社のいびつな地形の理由が判らない訳ではない。ただ忘れているだけだ。
 ハルは嘗て、此処の宮司の息子からその理由を聞いた覚えがある。ただ聞いたという事実だけは覚えているのだが、肝心の内容を覚えていない。幼い時分だったので忘れてしまったのである。
 今自分の中に堆積している幾つかの疑問のついでに、その理由についても再び彼に尋ねてみようとハルは思った。
 二手に分かれた道を左へ行き、新築の頃の匂いをまだ微かに残す二階建ての住居の前に立つ。
 インターホンを押すと出てきたのは、ハルが面会を希望した少年ではなかった。ドアの開き端にひょっこり現れた頭髪の質だけで判る。
 宮司の息子はもっさりとした黒髪である。おまけに目つきが鋭く、目の下には隈、殆ど骨と皮だけに近い痩身という限りなく末期の病人に近い不気味な風体だ。
 しかし今ハルにあらいらっしゃい、と声を掛けた人物は、髪は鳶色でゆるいウェーブのかかっており、大きな垂れ目は緩急のはっきりした面立ち相まって神秘的な色気を感じさせる。長身で痩せてはいるが病的なものも不気味さも全く感じさせぬ、すらりとしたいわゆるモデル体型の、ハルが会いに来た人物とは凡そかけ離れた、というかそもそも日本人離れした、というかというかそもそもそもそも女性であった。
 彼女は宮司の娘、ハルの目的の人物の姉である。

「久しぶりねハルちゃん。暫く会わないうちにすっかり女らしくなったということもないようね矢張り」
「お久しぶりです。私に限ってそれはないです断じて」

 悪戯っぽい笑みにハルも応える。傍目にはすっかり気心が知れた二人の遣り取りと映ることだろう。

「れもんさんが仕事始めてから会ったのって、これが初めてですよね」

 れもんというのが彼女の名である。姓と合わせて社れもん。ハルから見て大人の女性の雰囲気を醸し出して余りある彼女に、その名前は余りにも似合わなかった。

「そうねぇ。ハルちゃんは昼間学校だし、私は夜の仕事だからなかなか会う機会がないわ」
「カモンいます?」
「軍手持って出かけたから、たぶん倉庫ね」
「どうもです。それじゃ」

 礼を言い、来た道を戻る。倉庫とは神社の倉庫のことで、社殿の裏手にある。祭りに使う太鼓や落ち葉を掃く竹箒、そして宮司が趣味で集めている書物等が保管されている。
 ハルはれもんが苦手だ。ただの知り合いとして接する分には何ら不都合の無い人だが、それ以上のところまで踏み込もうと思えば途端に怖くなる。とは言っても彼女自身の態度に何か変化が生じる訳ではない。
 人間関係を深めることは、壁を一つずつ取り払っていく作業に喩えることが出来る。大抵の場合、関係の初期段階では壁は押せば除けることが出来る。ある程度の段階まで進むと取り除くのが困難に見える壁も現れるが、それらは実は勇気を出して蹴っ飛ばしてみれば簡単に崩れるものだったりもする。実際困難でも、時間を掛けてやれば殆ど取り払えるものだ。
 だが、彼女の壁は違う。普通の壁が積み重なった煉瓦だとすれば、彼女の壁は陸に上がった氷山か、焼け石の山といったところだ。しかも氷ならば決して溶けることがなく、焼け石ならば永久に冷めることがないという仕様である。時間を掛けようとも素手で取り払うことは適わない。蹴っ飛ばしてどうにかなる規模でもない。まるでその壁を取り除く為だけに存在するかのような、適切かつ特殊な手段を以ってしか取り除く事が出来ないのだ。
 ハルにとって社れもんはそういう人である。
 能動的な敵意を向けてくる訳でもなし。受動的に威嚇をしてくる訳でもなし。ただそこにいて、越えられざる壁の向こうから今日はいい天気ね、調子はどう? などと気さくに言葉だけを投げかけてくる。
 ハルにはそれが怖くて仕方が無い。害意を感じないのに近づけない。こちらを近づけないようにしているのならいっそその理由を教えてくれればいいのに。嫌いならばそう言ってくれればいいし、人との交流を望まぬのなら暗にそう示してくれれば察するのに。近づけないようにしておきながら向こうからやあやあと声を掛けてくる。ハルにはそれが怖くて仕方が無い。整合性の無い言動は、彼女の内側に混沌や空虚をすら幻視させる。よく分からないから、想像の余地の一環としてよからぬものを幻視する。
 よく分からないものは怖いのだ。
 彼女の壁を取り除くことは、少なくともハルには無理だ。彼女の壁を取り除くことが出来るのは、生まれつきその為のツールを持っている者か、或いは余程頭の切れる者だけなのだろう。
 頭の切れる――そう、ハルがこれから合うであろう少年も、えらく頭が切れる。
 境内に入って社殿の横を通り過ぎたあたりで、社殿と背中合わせに立っている倉庫から凄まじい物音が聞こえてきた。どうやら内部で雪崩が起きたらしい。
 回り込むと、倉庫の入り口からもうもうと埃が立ち上っている。
 煙のような埃の中から二つの影が現れる。
 ひとつは金色の体毛に身を包んだ狐の獣人。デジタルモンスター、レナモンの金。
 ひとつはもっさりした黒髪、鋭い目、メイクのような隈、病的な痩身。ここ千引神社の宮司の息子にして社れもんの弟、ハルの幼馴染、春に起きたデジモンによる連続殺人事件を解決した――デジモン探偵。社火門その人である。

「うげっほ、げほふふぉ!」

 ハルとシマ子、そして多くの高校生の尊い命を救った英雄は、その功績からすれば余りにもあんまりな登場演出を以って現れた。
 二人とも埃にまみれ、酷い有様である。

「げほっ! なんだ、君か、げほげぼっ! がはっ」

 特にカモンは持ち前のビジュアルと相まって、末期の結核患者にしか見えない。手には一冊のくたびれた本――と言っても殆ど紙を束ねただけのような恐ろしく古めかしいもの――を持っている。

「よっ! 健康?」
「健康? って挨拶は何だげほっ。普通は元気? とかだろぐふぉっ。――何か用か」
「うん。あのね」
「用があっても帰れ。僕は忙しいんだ」
「あぁん!?」

 用があるのか聞いておきながら「あっても帰れ」とは何事だろうか。不条理かつ失礼千万である。

「千万よ!」
「思考の末尾だけ結論みたいな感じで口に出すのはやめろ。意味が判らない」
「失礼でしょ!」
「用ってどうせ何か頼みごとだろ? ならまず君が礼を尽くせよ。その点、僕は多少礼を欠いても許される。頼まれる側だからな。頼み事なんだろ? 折角だから聞くだけ聞いてやるよ。そして頼み事だと確認した上で更に不条理な態度を取って困らせてやろう」

 挑戦的な、射殺すような目で睨んで来る。元々の眼つきの悪さと相まって、その迫力は凶悪な程である。
 いつもながら可愛げが無い。いや可愛がってやるつもりも無いが、無愛想で不機嫌そうな対応である。慣れた人物でなければ喧嘩を売られていると思う事だろう。だが長年付き合ったハルには判る。今日のカモンはすこぶる機嫌が良い。「自分の利害に絡まない限り困ってる人も平気で見捨てる」というのが彼の座右の銘だが、これだけ機嫌が良いなら力になってくれるかもしれない。
 さて何から話すべきか。
 ハルの用件とは、知恵を借りることである。知恵を借りたい事柄は大きく分けて三つ。NPCで記事にしようとしている事について――細かく分ければ、これは二つある。今日学校であった怪事について。そして、この神社の構造について。
 最後の一つは割とどうでもいい。二つ目は長引きそうだから、初めに持ってくればこの話題だけで今日が終わってしまいかねない。カモンがこんなに機嫌が良い日はそうそう無いから、この機会に出来るだけ多くの知恵を借りておきたいものだ。そう考えると二つ目を最初に持ってくるのは賢くないか……しかし、最も重要な話題でもある。
 ハルが考えている間に、コンは尾でカモンの体をぽふぽふと叩き、衣服に付着した埃を落とし始めた。従者というか世話焼き女房というか。
 二つ目の話題は、あくまでハルの勘に過ぎないのだが、恐らくデジモン絡みである。カモンはハルが知る限り唯一デジモンに関する知識がある人間だ。二つ目は外せない。だが、いきなりその話題を降るのは上手い手だろうか。面倒事と思われては他の話しも聞いてもらえなくなるかもしれない。
 逡巡の末、ハルはまず一つ目の話題、その二つあるうちのよりライトな方を最初に話すことにした。この話題から始めれば、流れで他の話題も繰り出し易いはずだ。

「あのね、マヤの予言ってあるじゃない。2012年――そう、来年に世界が滅びるっていう、あのはな」
「却下」
「し。ってえぇ!?」

 聞くだけ聞いてやると言っておきながら食い気味に却下することは何事か。これはあれである。あれ以外の何物でもない。――そう、不条理でしかも失礼千万である。ハルは思わず千万! と再び口にしそうになったが、カモンの意地悪そうな顔を見てハッとした。

 ――楽しんでやがる……!

 こちらを弄んで楽しんでいるのだ。その事実に余計に腹が立つ。だがここは我慢せねばならない。
 ここで堪忍袋の緒を引きちぎって投げつけてやるのは簡単な事だ。だが一度緒が切れてしまえば頼み事など念頭から跡かたも無く消え去り、再び緒が結ばれるのはカモンを殴り倒して踏みつけた後になる。そうなってしまえば頼み事など適おうはずもない。カモンは上機嫌から一転不機嫌になるどころか、脳震盪と頭蓋骨陥没骨折、内臓破裂を起こして生死の境を彷徨うことうけあいである。
 カモンは見た目通り貧弱極まりない少年なのだ。野球をすればバットを一振りするだけで息を乱し、サッカーをすればボールを蹴ろうとして足が縺れて転び、五十メートルを全力疾走出来ない。運動神経も基礎体力もなく、また物理的ダメージに対して空前絶後の打たれ弱さを誇る。

「え、NPCで記事にしようと思ってるんだけど……」

 ここは落ち着いて粘り強く対処せねばなるまい。
 これは自分だけの都合ではないのだから。
 NPCの為だけでもない。
 自分を庇ってくれた足立五郎、更には現在共通のある症状で苦しんでいる多くの人々を救う為である。
 ハルの信じる正義の為だ。

「下らないうえにつまらないな。どうしても知りたいって言うなら、こういう時に便利なのがインターネット検索だ。どういう方向性で記事にするのかは知らないけどね。まぁNPCはゴシップ研究会のように馬鹿ではないから、少なくとも世界が破滅ってのを煽るような阿呆な記事ではないんだろう。破滅の理由については既にいくつかでっち上げられているからな。それらを科学的アプローチでぶった斬る気か? どっちにしろつまらない」
「あのね、NPCが馬鹿じゃないように、その一員であるアタシも馬鹿じゃないの」
「そんな馬鹿な」
「そーですか。それでいいわよ。……ネットで調べるのは勿論真っ先にやったの。それにただの科学的アプローチならアンタの助けなんて請わない。ネットを漁っても判らなかった事で、しかもアンタの専門分野だからアンタの話しを聞きに来たんじゃない」
「神話からのアプローチって事か」

 そう、カモンはあらゆる神話に精通しているのだ。それは神社の息子だから、ということではないだろうが、少なくとも無関係ではないはずだ。
 現にカモンの父は神職に就く人であると同時に、神道の研究者でもあるのだという。倉庫にある書物は彼が研究の為にかき集めた資料である。
 カモンが今手にしている書物もその資料のひとつなのだ。カモンは幼い頃から、こっそり倉庫より本を抜き出しては読んでいた。それらカモンが盗み見していた本は、ハルが今まで目にしたものだけでも、神道の資料や研究書からキリスト教やイスラム教、仏教の本、聞いた事も無いような土着の宗教の神話を記したものまで多岐に渡る。それらがカモンの知識の源泉であることはまず間違いない。今彼の手にある書物は表紙に「延喜式」と書いてある。

「本当に世界が滅びるワケなんてないって、アタシだってわかるし。もっと上の世代なら尚更ね。なんだっけ、大予言の。ひげの」
「ノストラダムスか」
「それ。私達より上の世代なんかそれでもうお腹いっぱいって感じね。それもあって、最早この手のネタに科学的アプローチをすること自体がナンセンス。―― これは編集長が言ってた事だけどね。でもそれだけにNPC自体の方針でもあるワケ。NPCが知りたいのは、何故マヤの暦が2012年の途中で終わっているというだけで、終末の予言になってしまったか、ということで――」
「そんなの簡単だ」
「え?」
「マヤ神話では終末と創造が既に何度か繰り返されているから、そこと結び付けて暦の計算が終わっている日付が今の世界の終わりではないかと邪推しているだけだな。マヤの天文観測の技術の高さは有名だから、そこに勝手に説得力を求めていたりする。それだけだ」
「ところが、それだけじゃないの」
「どれだけあるんだ」
「今アンタが言ったような事はテレビでも散々やってるような事よ。アタシ達が知りたいのは、つまり記事にしたいのはその先。何故マヤの神話では終末と創造が繰り返されているのか……そして、何故暦の計算が2012年で途切れているのか。後者はある程度予想が着くけど、前者はネットを漁ってもさっぱりなのよ。扱ってるサイトが無い訳じゃないんだけど、あったらあったで情報の取捨が難しいのね。図書館にもロクな本が無いし……」
「この辺の図書館はどこも規模が小さいからな。それに、マヤ神話はそもそも文献からしてあまり残っていない。まとまって記されているのは、後の時代にスペイン人が現地住民から得た一冊だけだ。訳あってそのたったの一冊がややこしいから、研究書なんかは結構あったりするけどね。でも研究書ばかり沢山あっても寧ろ厄介だよな。書いてある事が180度違っているものもあれば、逆に微妙だけれど確固たる違いを以って記されている事柄もあるだろう。調べる側としてはどれが正解か判らない訳だから、取捨選択が難しい。それぞれを比較して理に適っているものを考古学的・民族学的文脈から選びとらなきゃならない。予備知識が要るんだよ。要は君やNPCの人達には無理ってことだ。頭の良し悪しですらない、ただ単に予備知識があるかないかの問題だからな」

 さて、と区切って、カモンはコンの背中の埃を払ってやる。

「立ってるのは疲れたな」

 見ると膝が笑っている。
 実は――というか見かけどおりというか、カモンは体が弱い。運動が苦手どころか、そもそも基礎体力からして危うい。貧弱どころか虚弱なのである。

「どんだけ弱いのアンタ……数分突っ立ってただけじゃない」
「だけじゃない。コイツを掘り起こしてたんだからな」

 そう言ってカモンは延喜式を掲げてみせる。

「前々から探してたんだけど、今日遂に見つかった。今日は気分が良い。少しくらいサービスしてやるよ。話はそれだけじゃないんだろ?」

 どうやら見抜かれていたらしい。面倒がられないよう、意図を察知されまいとしていたのだが。

「意図に気付かれまいとするその意図が見え見えなんだよ。君は根がクソ正直だから。いや、そんなことより僕の膝はもう限界だ。さっさと部屋で本題について話そうか」


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