R2-D2

最終楽章

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r2d2

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 でも、僕が思索と葛藤の末に辿り着いた答えは、まったく異なるカノン像を示していた。
 そしてたぶん、こちらが本当のカノンなのである。
 カノンが自分の興味如何で物事に対するスタンスを決めるのは、間違いではない。彼女はたしかに、興味のある物事を愛し、そうでない物事には冷たくあたる。それは徹底している。
 カノンはゴローに興味が無く、この世界と僕らに非常に強い興味を抱いていた。これも間違いではない。
 僕が間違っていたのは、カノンが最も興味を持っていた物事が何だったかということだ。
 僕と過ごした日々、カノンは結局何をしてきたのか。
 答えはカノンの言葉の中にあり、それが全てだった。
 カノンは僕と分かり合おうとしたのだ。それこそが、彼女の最大の関心事だったのである。
 初めて会った時、カノンは絵本を持っていた。偶然か、あるいは敢えて持って来たのか。後者ならある疑問が生まれるけれど、それは一旦脇に置いておこう。ひょっとしたらゴローの言葉とも関係があるのかもしれない。
 カノンはその絵本を僕らに読み聞かせた。あれはそれまで僕が思っていたような、幼い子に対してするものではなかった。
 未知の生物に対してするものだったのである。つまりお話を読んで楽しませてあげるというものではなく、自分達の文化を紹介するものだったのだ。分かり合うためには、まずお互いを知らなければならないからだ。
 そしてカノンはそれを唯一望んで受け入れた僕に、その後も自分達のことを教えたのだ。分かり合えるかもしれない可能性を、他ならぬ僕に見出したのである。
 カノンは教師になりたいと言っていたが、これは同時からあった未来のビジョンではなく、ひょっとしたら僕に色々なことを教える過程で、教えることの楽しさを知ったのかもしれない。
 旅に出た理由は、カノンがこの世界やそこで生きる者達に興味を持ったからで間違いないだろう。ただし、理由はもうひとつあったのだ。
 それは体験の共有である。分かり合うためには、相手がそれまでに見てきたものを知るだけでは駄目だ。同じものを見て、相手がどのように感じるか、自分の感じたところとどう違うのか、即ち価値観の違い、それを理解しなければならない。
 旅が終わった理由も、カノンがこの世界と生き物について満足するまで見聞したということも勿論あるけれど、僕との価値観の違いを充分に理解出来たという理由もあるのだろう。
 それは良い意味でも、悪い意味でも。
 カノンは旅を経てある程度心得たのだ。僕と分かり合える部分、そして分かり合えない部分を。前者は主に趣味の面。楽しいと思うことや、つまらないと思うこと。後者ならば、僕の記憶している限りでは僕の戦いに対する本能――たとえ何度制されても抑えきれないあの衝動の前では、言葉も心も意味を成さないということ――であり、他にも、記憶にない部分や自覚の無い部分でもいくつかはあっただろう。自覚の無かったことが悔やまれる。
 そしてそうやって蓄積された分かり合えない部分こそが、終局を導いた。
 帽子の件、その仲直りのための一連のやり取りである。
 ほんの短いやり取りだったけれど、あれは僕とカノンでは違う意味を持ったやり取りだった。そして互いにとって違う意味だったからこそ、彼女は嘘をつき、僕はその嘘の真実に気付かないまま勝手に腹を立てて、決別に至ったのである。
 僕はただ単に仲直りがしたかった。だからカノンに、まだ怒っているのかと問うた。それに対して彼女は「もういいよ」と返した。それはもう怒っていないということかと確認をとったら、「うん」という肯定の返事があった。だからカノンはもう怒っていなくて、仲直りが出来たものだと思った。
 でもカノンにとってあのやり取りは、もっと別の、大きな意味があったのだ。
 だから嘘をついた。
 カノンの「もういいよ」とは――僕は失念していた――僕が幾度となく止められても戦う事を止めようとしなかった時、彼女が旅の終わりを宣言した時など、必ず、彼女が何かを諦める時、やめる時に口にする言葉だった。
 つまりあの時の「もういいよ」とは、もう怒っていないという意味ではなかったのだ。帽子の件で分かり合うことを諦め、やめたという意味だったのである。
 僕はその後のカノンの態度、つまり僕やこの世界から離れていく彼女を見て、彼女はまだ帽子の件を許していない、まだ怒っている、「もういいよ」とは嘘だったのだと思った。
 そして別れの際の彼女の言葉から確信を得た。
 矢張りあれは嘘だったのだ、カノンは帽子の件をまだ引きずっていたのだと。そしてそれ故に僕から心が離れ、許したという嘘を一旦真に受けてしまった僕は、後に嘘に気付いて、出来たはずの仲直りを拒否したという不条理さに怒って、その結果互いに心が離れていくことになったのだと、ずっとずっと思っていた。
 でも違ったのだ。「もういいよ」は嘘ではなかった。それは本当だった。彼女の本音だった。
 そのあと僕がそれはもう怒っていないということかと念を押した後の、「うん」という肯定こそが嘘だった。
 僕が誤解した嘘と、カノンの本当の嘘。このふたつの嘘の違いは、僕から見れば、カノンが仲直りを拒否したという点では何ら変わらない。
 でもカノンにとっては大きな意味を持つ。
 カノンの心中を察するならば。
 カノンは僕と分かり合う努力を続けてきた。未知の生物と分かり合うことに不安もあったはずだ。それでも僕に教え、旅で経験を共有するなか、心が通じたと思うこともあっただろう。こいつとなら分かり合えると実感したことは、少なからずあったはずである。僕らは共に笑い、汗を流し、時にはぶつかり合って、絆を深めてきた。それは僕だけの幻想ではないはずだ。
 でもそうやって分かり合っていくなか、カノンは僕の本能など種族間の違いや、いち個体同士という価値観の違いも思い知ることとなった。それはおよそ相容れない部分だった。
 仮にいい加減な間柄なら目を逸らすことも出来ただろうけど、相手と誠実に向き合おうとすればするほど、こういった問題とも真摯に向き合わざるを得なくなる。相容れない部分があると、認めなければならない。
 そして向き合っていくなかで、どれ程時間をかけても真に分かり合うことは不可能かもしれないという不安は、カノンの胸のうちで大きくなっていった。
 その矢先に帽子の件があった。僕にとってたった一度の喧嘩で仲直り出来るかどうかという些細な問題は、カノンにとっては、僕らの関係そのものの行く末を決定づけるほどの大きな意味があったのである。
 僕はカノンにまだ怒っているのかと尋ねた。彼女には、これがひどく無反省な言葉に聞こえたに違いない。何故なら僕はこの時、自分に問題があるとは露ほども思っていなかったから。原因はそもそも彼女にあるのに、自分の過ちに気付かずいつまでも子供っぽく拗ねていると、そう思っていたから。そういった感情は、自分で思っているよりずっと強く言葉に現れたに違いない。
 だからカノンは諦めた。帽子の件で、自分の気持ちを分かってもらうことを。
 そしてその直後、僕はカノンの真意を図り違えた。
 だからカノンは諦めた。僕と分かり合うことを。決定的に実感したのだ。分かり合うことは出来ないと。
 いわば二重のすれ違い。しかもそれまでの蓄積があったうえでのことだ。
 帽子の件以降カノンが口癖のように「ブイタローには分からないかもしれないけど」と口にしていたのは、恐らく無意識下の諦観の表れだったのだ。
 僕はそれに気付かず、ただ怒り狂った。そしてその怒りを、カノンの真意に気付かず、ぶつけてしまった。
 それによってカノンは深く傷つき、耐えられなくなって、僕の前から姿を消したのである。






 これが、僕の辿り着いたカノンの心の真実だ。あの日の全ての謎が、あの日までのカノンのすべての言動が、整合性をもって当て嵌まる。
 真実に気付いた今だから思う。ただ僕が愚かだった。
 或いは、どんなに利口でも分からなかったかもしれない。
 それでも後悔は募る。
 カノンが自分の興味を徹底して求める人間だというところまでは合っていた。けれど、その最たる興味が僕と分かり合うことだということに、僕はずっと気付くことが出来なかった。
 カノンが途方もなく壮大で素敵な理想を追い求めていたことに、その対象が僕であったことに、ずっと気付かなかったのだ。
 ところで、カノンにとって僕はただの興味の対象でしかなかったのだろうか。未知の生物と分かり合うことが出来るかどうかという、その実験台に過ぎなかったのだろうか。
 そうではないと思う。
 カノンは恐れてくれたからだ。僕と分かり合えないかもしれないという、その可能性を。突きつけられることに耐えられないとさえ言ってくれた。僕と分かり合えないことは耐えがたい恐怖であると、そう言ってくれたのだ。
 それに僕に何の愛着も無いなら、決別の日まで一緒にいてくれはしなかったはずだ。カノンは分かり合うことを諦めて尚、恐れて尚、僕と一緒にいてくれた。或いはほんの僅かな可能性に賭けていたのかもしれない。僕が自分の真意に気付くことに。
 でも僕はカノンの期待に応えられなかった。決別の日までに彼女の意図に気付くことが出来なかった。
 カノンが僕に「もう人間と変わらない」と言ってくれたことがある。これは言葉通りの意味ではないだろう。自分が齎した価値観を僕が受け入れたことによって、僕の考え方が人間――ひいては自身の考え方にかなり近くなったという意味に違いない。それを喜んでくれていたのだ。でも実際の僕は、あの時点においては、その域に至ることが出来なかった。それこそが、彼女の勘違いだった。
 「普通を押し付けるな」「何が普通かなんて分からない」と僕は言ったことがあるけれど、自分にとっての普通を理解してもらうことこそが、彼女の望むところだったのだろう。酷いことを言ってしまった。
 カノンが諦めたのは無理からぬことだ。正しい判断だったと思う。だって僕は、今までずっと彼女の本当の気持ちを察することが出来なかったのだから。
 カノンはもう生きてはいないだろう。僕が気付くまでに過ぎ去った時は、人間の寿命を遥かに超越している。つまり彼女が諦めずにその生涯をかけて僕の傍にいてくれていたとしても、それまでに分かり合うことはなかったかもしれないということだ。
 カノンは正しかった。
 でも、カノンは間違えた。
 僕らは終ぞ分かり合えないだろうと判断したことにおいては。
 時間はかかったけれど、僕はカノンの心を理解することが出来たのだ。
 もしカノンが生きているうちに僕がこの答えに辿り着いたとしても、一緒に過ごすうちにまた新たな問題が出てきたことだろう。そして、今度こそ分かり合えないという事態にも直面したかもしれない。
 でも僕は、この問題に関しては、やり遂げた。
僕と分かり合おうとし、挫折までの道のりを歩んだその心については、理解することが出来たんだ。
 宇宙の神秘を探るのと同じくらい途方もないことを、たったの一度だけれど、やり遂げたんだ。
 だからきっと、何があっても大丈夫さ。
 「これから先」も僕達は色んなすれ違いを経験するだろうけど、一度乗り越えたのだから、その経験が何よりの希望になるから。諦めなければ、僕らならきっと、へーきだ。
 やっぱり時間はかかるかもしれないけれど。
 でも「これから」は、時間は無限にあるんだから。
 君の心を知る旅路は、ある階段を登る道程でもあった。
 君はとっくの昔にそこへ行ってしまったことだろう。
 今僕は、その扉を叩いている。
 君の声が聞こえた気がする。
 あのカノンコードのようにこころよい、いつまでも聴いていたいと思う声が。
 僕の大好きな声が。
 そこが君の言っていた通り、穏やかなところだといい。
 僕が思い描いた通り、綺麗なところだといい。
 君が笑って出迎えてくれたらいい。
 また一緒に笑えたらいい。
 そこが暖かいところだと






 いい。










「わぁー、でぇっかい!」

 彼の姿を見た瞬間、カノカは思わず声を上げた。
 見上げるほどにでぇっかい、竜型のデジモンである。

「大きな声出すなよ。カノカの声はよく通るんだから。隣にいたらうるさくてかなわない」

 カノカは自分の声が好きである。おばあちゃんが、カノカの声はママの子供の頃の声ととても良く似ているといっていたからだ。
 でもそのおばあちゃんも子供の頃、おばあちゃんに「お前の声はお母さんの子供の頃の声ととてもよく似ている」と言われて育ったそうだ。そのおばあちゃんも、そのまたおばあちゃんも、全く同じことを言われて育ったらしい。最初の声の持ち主まで遡れば、いったい何人のおばあちゃんが登場することになるのだろうか。

「でもギルタローのくしゃみ方がうるさいもん」
「こんなに寒いところに連れてくるからだ!」

 たしかにここは寒い。見渡す限り雪と氷に覆われている。動きにくいほど厚着をしてもまだ寒く、降り注ぐ雪は視界を奪う。目的が無ければ、こんなところには死ぬまで訪れなかったことだろう。
 カノカは彼の周りをぐるりと回ってみた。
 いかつい風貌だが、よくよく見てみるとなかなか可愛らしいポーズをとっていることが分かる。
 左前脚に顎を乗せて伏せ、長大な尻尾の途中にはどういうわけか結び目がある。
 まるでおあずけをくらって機嫌を損ねた末、ヘソの代わりに尻尾が曲がって結ぶまでに至ってしまった犬のようである。もっともカノカはそんな犬を見たことがない。
 それにしてもでぇっかい。一周するだけで息が上がってしまった。

「疲れたんじゃないか。じゃあもう帰ろうぜ」
「やだー! ギルタローだけ帰ればいいよ――あ! ガブタローいた! おーい!」
「やれやれだぜ……」

 カノカは彼の背の上を滑り台に見立てて遊ぶガブモンに手を振って、自らも彼の体をよじ登っていく。一度は足を滑らせて落ちてしまったが、下にはちょうどギルタローがいたのでへっちゃらだ。

「へっちゃらじゃねぇよ。痛ぇよ」

 彼の背中では、一目には数えきれない程多くのデジモンと人間の子供たちが仲良く遊んでいる。
 積もり積もった雪に、巨大な氷のジャングルジム。そして大きなものに見守られているという安心感。ここは雪遊びの名スポットなのである。










 竜の中の竜、竜の中の皇、皇の中の皇。
 彼の威容を目の当たりにしたものは皆口々にあらゆる賛辞を並べるが、凡百な美辞麗句など幾ら並べても、仮令神の言祝ぎがあったとて、彼の心に響くことはない。
 彼の存在を知覚することが、彼への畏敬の念を表す唯一の方法である。
 彼の存在を記憶することが、彼への弔いの念を表す唯一の方法である。
 峻烈を極める土地で、凍て付く雪風に身を晒し、凍える孤独に身を窶し、心中思惟に耽ること600万年。巨大な氷像と化した彼の体は、塵と消えることもない。
 彼は未来永劫其処に存在し、彼を慕う者達を見守り続けることだろう。
 掛け替えのない彼女の追い求めた、不滅の理想をたたえながら。









 おしまい


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