R2-D2

ACT.42

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 シンスケは考えていた。
 心の師、炎のスピリットを持つ老人のこと。ただならぬ因縁のある、白スーツの男のこと。そして、前の二人とは一見なんの関係もない女性……森で出会った、静香のこと。
 老人の話によれば、彼は十歳の時にデジタルワールドへ来、リアルワールドにとっての九年間で八十年ほど歳を取った。つまり、こちらの世界は向こうに比べて時間の流れる速さが約九倍ということになる。だが、シンスケはそのことに対して些かの疑念を抱いていた。老人を耄碌(もうろく)と思っているわけではないが、合点がいかない点がいくつかあるのだ。
 一つは白スーツの男。シンスケは彼をよく知っている。彼の名、こちらに来る前の年齢、そしてこちらに来たであろう時期まで知っている。シンスケの憶測が正しければ、あの男がこちらにやって来たのは三十五歳の時。リアルワールドでいうところの六年前。リアルワールドでいう六年は、老人の例を参考にするなら、こちらでは五十四年程度ということになる。つまり現在はあの老人と殆ど変わらない年齢、九十近い歳になる〝はず〟なのだが……シンスケの視覚が異常でないなら、コロッセオで出会ったあの男はせいぜい六十歳前後。とてもじゃないが九十には見えなかった。二つの世界における時の流れの速度の差が、縮まっているとしか思えない。
 理不尽な来訪者がデジタルワールドに現れて以来、二つの世界は急激に〝接近〟し始めたと聞く。時の流れの差が縮まるこの現象が、この〝接近〟の影響なのだとすれば説明はつくのかもしれない。だが、来訪者が現れたのは一年ほど前だと聞いている――この世界と来訪者についての情報はカクから教わったものばかりなので、あくまでも聞いた話というのが情けないが――こちらの時間で考えれば、老人がこちらにやって来たのが約八十年前。白スーツの男がやって来たのは約二十五年前。つまり時の流れる速さの差が縮まるという現象は、来訪者が現れるより遥かに昔から始まっていたということになる。
 静香は二十二歳の二〇〇三年、つまり五年前にこちらにやって来たと言っていた。時の流れる速さの差が無ければ、彼女は現在二十七歳。だが、六年前にやって来た白スーツの男は約四倍の速さで年を取った。リアルワールドでは一年しかタイムラグが無い彼女は、現在四十代ということに……? ずっとシューツモンのままだったのでその実は分からないが、少なくとも言動は二十七歳の方に相応だったように思えた。シンスケは、女性とは恐ろしいものだということを再認識したのであった。

 シンスケは情報を整理すべく、ここで一旦、更に過去……旅立つ前にまで記憶を遡ってみる。……そう、仲間達がパートナーと引き合わされ、自分がスピリットを受け取ったあの時。
 選ばれし子供ではないにも拘らず何らかの理由で誤召喚されてしまった竜乃。彼女は何かに引き寄せられたに違いない、と幼いながらに宿命めいたものを感じていたようであった。当時のシンスケには理解できない乙女感覚であったが……今のシンスケには理解できる。今ここに自分がいるのは運命。そして宿命…… と、それは一旦置いておいて。
 竜乃の主張に対するイグドラシルの返しは「プログラムに過ぎない私の思考では理解できないが」だ。そしてまたしてもカク談なのだが……彼はこの世界が人間によって創られたものだと言った。この世界で生きる者たちと関わってきたせいか……旅の中で何となく忘れかけていたが、この世界はあくまで「創られた世界」なのだ。

「箱庭っていうのか……こういうのは」

 〝本来ならば〟閉じられた世界、デジタルワールド。それがリアルワールドと〝接近〟し、融合し始めて……やってくるのは世界の危機。

「何故だ……?」

 そう、ここに違和感がある。デジタルワールドがどういう人物に、どういった目的で創られたのかは分からない。だが、二つの世界が交じりつつあるということが何故世界の危機になるのか? 世界の危機とはいうが、それはどちらか一方の世界なのか? それとも両方なのか? 来訪者がいなくとも二つの世界は接近し始めていた可能性がある。ならば、来訪者を倒しても世界の危機は去らないのでは? ……だったら、何故来訪者を倒さねばならないのか。もう一つの標的、ウィザーモンについてはどうなのか。そもそも、自分たちが倒さねばならない彼らは何者なのか? イグドラシルは信用に足りうる存在なのか? そもそも自分は、何故こんな分からないことだらけの世界で戦っている?

「……それは……決まってる」

 幸福なことに、シンスケは最後の問いに対する答えだけは見つけることが出来た。
 だがそれだけでは不十分だった。この世界で戦い続ける理由。その理由を確固たるものにするためには、この世界で今起こっていることについてもっと知る必要がある。

 ここまで考えてシンスケは思う。他の仲間達……更にはウィザーモンと共にある子供達は、一体何故この世界のために旅をし、戦うのかと。彼らの理由を。

 仲間たちとはいつかゆっくり話し合おう。そして敵である彼らとも……一度、腹を割って話してみたいものだ。





 ACT.42 Lightning:1
           ~摩天楼の御雷(ミカズチ)~





 デファンスシティが誇る摩天楼群。人間社会の都市ならば一つあれば名物に成ってしまう程の超高層建築物。それがこの都市にはまるで霜柱のように密集し、その高さを競うかのように聳え立っている。
 天を摩すその上層部は銀色の肌や窓ガラスに光を反射して煌めき、ただの環境データ……つまりその辺りの植物や石ころと変わらないこのビル群に、言い知れぬ荘厳さを与えている。それは雄大な山々や、悠久の時によって刻まれた渓谷にも匹敵する美しさであった。
 だが、一転その下層部、つまり地上に近い部分は全く異なる顔を持っていた。超高層建築物によって太陽の光が遮られているため薄暗く、寒い。また人間の都市で起こりうるそれよりも遥かに強力なビル風は、低い気温と相まって身を切る冷たさである。山岳にせよ渓谷にせよビル街にせよ、美しい土地というのはそれに見合うだけの険しさも孕んでいる。
 だからというわけでもないが、ここに住むデジモン達はこの環境を辛いなどと思うことは無かった。結局は、どこに行っても同じこと。辛いことや危険の無い土地など存在しないのだから。むしろここは障害物が多くあるだけ安心できるし、少々寒いくらいの環境を好むデジモンもいる。寒さが苦手なものはビルの中に住みつけば良い。ただしビルの中、とりわけ高層部は人気があり、一部の強者しか住まうことを許されないのだが。
 そんな折り合いが必要な所為か、この都市に住み着いているデジモンは理性的な個体が多かった。他の個体を倒してロードし、進化して生き残る……そんなデジモンの在り方に反し、彼らは共同体として生きることを選んだ……そう表現してもいいのかもしれない。他の土地のデジモンに比べてとかく彼らは平穏を重視する。むしろ自らが生き残るために他者を攻撃し、その平穏をブチ壊そうとする者……つまり「普通のデジモン」なのだが、彼らはそういった者達を「悪」と見なす。ここには秩序があるのである。共同体として生きる……デジモンとしては異質だが、これも進化の可能性だということは勿論否定できない。
 そんな、秩序を愛するデジモン達。彼らこそが、先の大戦においてイグドラシルに味方したウィルスバスターズなる集団の中枢なのである。
 デジタルワールド各地に侵攻したバルバモンの軍勢に対し、まず最初に立ちあがったのがこの街に住むデジモン達であった。弱者を蹂躙するバルバモンの軍勢に憤りを覚えたデジモンは数多くいた。だが彼らの殆どは団結することを知らないため、その都度無残に殺されていったのだ。そんな中で、このデファンスシティのデジモン達は違った。秩序を知っている。彼らは他のデジモン達には出来ないことをやってのけた。それが「組織を作る」ということである。彼らは一致団結し、指揮系統を整え、連携し、次々とバルバモンの軍勢を駆逐していったのである。
 そうして各地を回った彼らはその土地のデジモンをメンバーに加え、次第にその規模を大きくした。そして大戦中期にイグドラシルからウィルスバスターズの名と、〝とある特殊兵器〟を授かった。義勇軍である彼らは、イグドラシル公認の軍隊となったのだ。

 大戦終結と同時に彼らは各地に散り、今日バルバモン軍団残党軍との戦いを未だに続けている。中でもデファンスシティに住まうデジモン達はここの出身デジモン……つまり、その中心メンバーであった者達だ。
 この地に眠る「雷のスピリットH」の奪取と、デジモン達を捕えて改造し、自らの戦力にすることを目論むアイゼンベルク。彼らの侵攻に対しても、この街のデジモン達は勇敢に戦っている。そして、かつての大戦を戦いぬいた勇士たる彼らが劣勢を強いられることなどあり得なかったのだが……。


「このままでは、負ける……!」

 卑屈さも悲観もなしに、アシュラモンは素直にそう思った。いや、思うというよりもこれは判断。この戦の指揮を預かる者としての、客観的な判断である。


 アイゼンベルクがこの街にやって来たのは、ほんの五日前のこと。その編成は数十体のタンクモンとガードロモン、メカノリモン……そして、彼らを率いる人間の女性。

『アナタがこの都市の代表者? 私の名はノナ。そして私達はアイゼンベルクから来た者。この地に眠るとされる雷のスピリットを譲っていただきたいのだけど』

 ノナと名乗った女性は甲高い声にドスを利かせた、アンバランスな声で言い放つ。深紅のショートヘアと愛らしい大きな目の目が印象的だ。胸元を大きく開けた白いブラウスに黒いショートパンツ、同じく黒のブーツとフィンガーレスグローブを身につけている。声といい見た目といい、どこかアンバランスな女性である。

『悪いが……我々はイグドラシル様より、当地のスピリットの守護をも任されている。それは出来ない』

 アシュラモンは代表として答える。軍勢を引き連れてきた相手方を見れば、それに対する反応などは分かり切ったものなのだが。それでも引くわけにはいかない。イグドラシルは、何よりも世界の秩序を優先する。その神の達しとあれば、自分たちとしては「彼らに雷のスピリットを渡さない」。これこそが最も優先すべきこと。

『なら仕方ないわね』

 だからノナが口にした言葉に驚きはしなかったし、タンクモン達が待ってましたと言わんばかりに一斉射を始めたことにも何ら疑問を持たなかった。ただ ――。

『アナタたちには、力ずくでも我々に協力してもらうわ』

 ただ、ノナが「求むるもの得たり」と言わんばかりに薄ら笑いを浮かべていたことに対して腹が立った。

 そうして始まった、デファンスシティのウィルスバスターズとアイゼンベルクとの戦争。初めは数の上でも、兵の質という点でもデファンスシティの住人が勝っていた。彼らの殆どは歴戦の勇士。これは当然のことだった。そして更には地の利。魔天楼だけではなく、この「都市」という構造、地理を完璧に把握している住人達。街にあるもの全てがただの障害物にしか見えていないノロマな機械兵どもに、彼らが遅れを取る要素はない。
 その圧倒的戦力差から、開戦初日にして勝負は決するかと思われた。思われたのだが……昼ごろに開戦し、日が傾きかけた頃。奴らは完全体のデジモンを投入し始めた。タンクモンとガードロモンのみだった戦線にはメタルティラノモン、ラピッドモンが数体ずつ投入され、上空をメガドラモンとギガドラモンのコンビに抑えられた。日が暮れると同時に彼らは一時街の外へ撤退したが、この完全体投入により、両者の戦力には殆ど差がなくなった。
 そして二日目。完全体と同時に投入されていたのか、敵の成熟期も数を増していた。数の上では向こうが有利となる。更に、敵がこちらの負傷兵を回収する場面が目撃される。どうやら、彼らは倒した敵兵を改造し、洗脳して兵としているようだ。あの少女が口にした「力ずくでも我々に協力してもらう」とは、こういった意味も含んでいたらしい。
 三日目。敵の完全体を連携で各個撃破していき、徐々にデファンスシティの勇士達が押し始める。また何人かの兵が、敵の攻撃に〝どこか遠慮がある〟ことに気づく。検証の結果、敵は街の建物を極力破壊しないように攻撃していることが判明する。どうやら敵の狙いはスピリットと兵だけではないらしい。この街ごと手に入れる気のようだ。
 四日目。……この一日で完全に形勢が決まった。デファンスシティ側の主力がほぼやられてしまったのだ。それも、たった一体の新手のために。その新手は一撃で、確実に勇士達を仕留めていった。数にして十六体。彼らは皆、反撃も抵抗もままならないまま消されていった。日が暮れると彼らはまた引いていったが……それまでとは違い、彼らは都市の中央部へと引き上げて行った。この一日で一気に侵攻されて都市の中央部は制圧され、連中の拠点とされてしまったのだ。これは普通に考えればおかしな侵攻の仕方だが、敵の〝例の一体〟の能力を鑑みれば、あまりにも効率的な布陣が出来あがったといえる。このまま行けば、明日にでも決着がついてしまいかねない程に。

 そして本日、五日目。
 敵の銃弾も砲弾も怖くは無い。完全体も含めて、アシュラモンは一体を除いて全ての敵に経験と実力で勝っている自信がある。だが、その一体が。

「オラオラオラァー! タンクモン様のお通りだぜー!」

「これでも食らえ! シェルファランクス!」

「ぐわああー!」

 その一体だけが強すぎる。その一体のために、自分の仲間と、街が奪われようとしている――。

「そっちに行ったぞ! アシュラモン!」

 仲間であるトータモンの声に、アシュラモンはハッと我に帰る。
 敵の拠点位置から比較的遠いこの場所は最前線ではないにせよ、戦線を突破してきた敵とは断続的に遭遇する。いつまでも感慨にふけっている場合ではない。
 ビルという名の谷間を流れる、川の支流のような細い道路。そのアスファルトの上を滑るようにして低空飛行してくる影が三つ。二体はガードロモン。そしてもう一体は……〝俊敏な猟犬〟ラピッドモンだ。

「お前がリーダーだろー!?」

 ラピッドモンはそう叫び、空中で急ブレーキをかけながら腕の銃口よりミサイルを放つ。後から付いてきた二体のガードロモンはそのまま突っ込んで来、腕からやはり誘導弾を放った。ラピッドモンのホーミングミサイルに、ガードロモンの誘導弾。この両方をかわそうとすれば突っ込んでくる二体のガードロモンに対する対処が遅れる。弾はあくまで囮で、本命はガードロモン二体による格闘攻撃――そう〝見せかける〟作戦だ。
 アシュラモンは、視界の外に高速で消えていくラピッドモンを見逃さなかった。

「この阿修羅を……なめるな!」

 アシュラモンは四本ある腕のうち下の二本を道路に突き刺すと、アスファルトを下の地面ごと掘り起こし、まるでカーペットでもひっくり返すかのように軽々とめくり上げた。このめくり上げるタイミングがまた絶妙。ミサイル群はこの即席の防壁をかわしきれずに着弾。結果、アスファルトこそ木っ端微塵に粉砕したものの、見事に全弾無効化されてしまった。

「……凌駕してみせよ……!」

 そして、砕け散った防壁と爆煙を抜けてガードロモン達の前に飛び出してきたのは。

「ヒイッ……お、鬼!」

「アァッ……あ、悪魔!」

 否。彼はそのどちらでも無い。

「この阿修羅をおおぉぉぉーーー!」

 丸みのある鋼のボディに拳を突き立てる。相手の突進スピードも利用して、などとそんな計算は彼の頭の中には無い。敵が前進して来ようが、棒立ちであろうが、それが喩え逃げる背中であっても――彼の拳は、一撃でガードロモン達の腹を貫いた。
 そして彼は敵を撃破したことには微塵の哀しみも喜びも示さず、首を動かさないまま背後を確認する。……そこには、予想通りラピッドモンの姿あった。両腕をブイの字に上げ、両足をピンと伸ばした姿勢。三角形のレーザー、ゴールデントライアングルを放つ態勢だ。アシュラモンは拳にガードロモンを突き刺したまま振り向き、振り向きざまに腕力に任せて右腕のガードロモンをラピッドモンめがけて投げつけた。

「な……!」

 背後を取ったことを相手に感づかれていなかったと思い込んでいたラピッドモンは、ガードロモンを放り投げられたことよりも、気付かれたということに驚いて反応が遅れてしまう。

「なんで……ッ!? 気づかれ……」

 視界を塞がれる程まで接近したところでようやく事態に気づいてかわしたものの、時既に遅し。

「我は少々、視野が広くてな」

 跳躍し、眼前にまで迫ったアシュラモン。視野が広い? そうか、そう言えばコイツは顔が三つもある。つまり眼が六つもあって、それで視界が広いんだ。でも何で今、目の前にいる? そうか、ジャンプして。ジャンプって、まさか一足飛びでここまで? そんなバカな……。

「ヌンッ!」

 混乱をきたすラピッドモンの頭を、アシュラモンはもう一体のガードロモンが付いたままの拳で殴り下ろす。その衝撃でガードロモンの亡骸はバラバラに砕け散るが、まさにハンマーの如きその一撃は、ラピッドモンを地に引きずり下ろすには十分すぎるほどの威力だった。ラピッドモンは地面に叩きつけられ、仰向けの姿勢でアスファルトの道路に埋め込まれるような格好になってしまう。

「ゲホッ! ちっくしょ……ヒッ!」

 だが、それだけで終わるはずがなかった。仰向けに倒れるラピッドモンの真上から落下してくるのは、憤怒の形相の阿修羅。四本の腕を引き絞り、落下の勢いをも利用して――否。そんな計算は彼の頭の中には無い。落下中であろうが、止まっていようが、それが喩え離れ際であったとしても――彼の拳は、敵がその命を手放すまで殴り続けるのみ。

「う、うわああああああーーーー!」


 彼にとって、この程度の戦闘は肩慣らし程度のものでしかない。かつての戦争に比べれば、経験も大義も無い者達との戦いなど児戯に等しい。……等しいが、事実として児戯ではないというのが何とも複雑である。遊び半分の力でも彼らの命を奪うことは出来るが、命は遊び半分で失われるべきではない。
 いつも通り、彼は哀しみも喜びも無い表情で敵の亡骸を見つめる。これは彼の儀式。戦いが終わりしばしの間が取れる時、彼はいつもこうする。三つある自分の顔……怒り、哀しみ、喜び。そのいずれにも属さない心の顔で、敵味方問わずに倒れた者を見つめる。そしてその四本の腕を以て、ただただ静かに合掌――。
彼の心中に、俄かに訪れる平穏静寂。――だが、戦場がいつも彼に十分な平穏を与えれくれるはずも無かった。

「ギャーハハー! 戦場で目ぇ瞑ってるバカはっけぇーん!」

「先生ぇー! ああいうバカはどうしたらいいですかぁー?」

 頭上より降ってくる、何とも下品な二つの笑い声。アシュラモンはこの聞き覚えがあった。上空より爆撃を繰り返し、デファンスシティ側に多大な被害を与えたコンビ……メガドラモンと、ギガドラモン。

「決まっているだろうギガドラモンくぅーん。チミはアレですかー? バカですかー?」

「ぎへぇー。バカでごみんなさぁーい。メガドラモン先生、ああいうバカはあれでしたね、こう……ボカーン! て」

 何とも頭の悪い連中だが、これでも完全体。しかも跳躍などでは到底届き得ない上空にいるため、少なくとも飛べないアシュラモンでは拳一つ叩き込むことは出来ない。

「そうボカーン! でしたねー。お利口さぁーん。頭撫でてあげましょう……ヨオオオオオオシヨシヨシヨシヨシヨシヨシヨオオオオオオオオシ」

「ぎへへへへへへへへぇー」

 連中が馬鹿をやっているうちに、アシュラモンはどこかへ移動せねばならない。手出し不可の上、連中の攻撃力は半端ではない。出会っても逃げるしかないというのは、何とも歯がゆいが。
 アシュラモンは周囲を見渡す。先ほどまでトータモンが近くで戦っていたはずだが、今は姿が見当たらない。恐らくどこかへ移動したのだろう。ならば、今考えるべきは自分のことだけ……これなら逃げ切れるかもしれない。

「じゃ、ボカーン! 開始ぃー」

「あいあーい」

 両腕のクローを開き、有機体ミサイルを乱射し出す二体の竜。アイゼンベルクの軍勢がこの街ごと手に入れようとしているのは間違いない。そのために、極力建造物や舗装された道路を傷つけないようにしていることも。だが、この二体に限って言えばそんなことはお構いなしのようだった。ホーミング性能があるとはいえ、ミサイルの軌道変更には限界がある。無暗やたらに撃ちまくればそれだけ周囲への被害も大きくなるというものだが……連中は、それを全く意に会する様子がない。むしろ瞳孔は開き切り、口の端からは涎を垂らし……どこか恍惚とした表情でひたすらに、しかも見境なく何もかもを破壊し尽くそうとする。
 降り注ぐミサイルの雨に対して、アシュラモンは取りあえず走って逃げるしか無い。なるだけビルの陰を利用し、走り方も直線的にならないように……出来るだけ複雑な逃走経路で、速く、遠くまで。
 だが、このような逃走を成功させるためには運もまた必要である。視野の広いアシュラモンとはいえ、自分がこれから通る道さえも次々と破壊されていくこのような状況下では。

「……しまった!」

 〝このように〟いつ不意の一発が目の前に着弾し、足止めを食らうか分からない。……そして、一度足を止めたが最後。

「うごあ!」

 足を止めてしまったアシュラモンの背に、ミサイルが一発着弾する。致命傷とはならなかったが、その衝撃で思わずよろめいてしまう。そしてよろめいてしまったということは、更に余計に足が止まってしまうということ。
 二発。三発。焼けただれた背に、容赦なく叩きこまれる。四発。五発。
 衝撃と痛みで、意識が朦朧としてくる。並みの完全体ならばここで倒れてもおかしくは無いが、アシュラモンはまだ二本の足で立ち続ける。立ち続ければ勝てるわけでも、生き残れるわけでもない。それでも決して膝は着かない。一旦膝を着いてしまったら、もう二度と立ち上がれない気がするから。……意識が朦朧としている時と言うのは、論理的でないことでも正しく感じてしまうから不思議だ。精神論は嫌いではないが、そこに気休め以上の意味を見出してしまうようでは三流。

(精神論など気休め、か……誰の言葉だったか……)

『精神論など気休めに過ぎん。ただ、その気休め一つで生き死にさえも左右されてしまうから凄いんだけどな』

 アシュラモンの脳裏に浮かんだものは、かつての大戦の最後で行方知れずとなったウィルスバスターズのリーダー。鮮やかな橙色の鎧に身を包み、勇気の紋章を背負って戦った屈強なる戦士。

(ウォーグレイモン……我は……ここまでのようだ……)

 六発。七発。八発。瞼を下ろす直前、アシュラモンの目にはウォーグレイモンが映ったように見えた。自分と変わらない、そう大きくはない体躯。胴の鎧は、ちょうどこんな風に銀色であった。そしてそう、足にはブルーのジーンズを……。

「……何……?」

 ブルーのジーンズとな……?
 あまりに突飛な光景に、まるで夢から強制的に目覚めさせらるような心地で意識を持ちなおすアシュラモン。彼が見たものは、つまりウォーグレイモンの幻覚などでは無かったということ。では、一体何だ?

「久しぶり……まだ生きているな? 戦友よ」

 アシュラモンの目の前に立っているのは、ワーガルルモン。だがただのワーガルルモンではない。アシュラモンはこの個体を知っている。左右で異なる瞳の色。その空色の右目は――。

「お前は……ロイヤルナイツの」

「話は後だ。今は、とにかくこの状況を脱する」

 ワーガルルモンはそう言うとアシュラモンをいわゆるお姫様抱っこで抱き上げ、後方に跳躍してミサイルの雨の中から抜け出した。同じ肉体派の完全体デジモンとはいえ、アシュラモンはパワー型、ワーガルルモンはスピード型。ワーガルルモンの脚力はアシュラモンのそれとは比べモノにならない程強靭である。アシュラモンではいくら走っても抜け出せないこの豪雨からも、喩え自分の体重より重い物を抱えながらでもひとっ飛びで抜け出すことが出来る。

「それと今はカクという名がある……パートナーに貰った名だ」

「カク……パートナーだと?」

 古い戦友の登場、そしてその近況報告に戸惑うアシュラモン。無理もないだろう、彼が知り合った頃のカクには名前など無く、パートナーも存在しなかった。そもそもワーガルルモンですら無かったのだ。そのカクがどうして現在に至るのか、その経緯を是非知りたいと思うアシュラモンではあったが……二体の竜から逃げきれていないこの状況下では、そんなことは到底無理である。

「下ろしてくれ。自分で走れる」

 集中爆撃からは逃れたものの、自分たちがまだあの二体の射程圏内にいることは変わりはない。取りあえず向こうの視界から外れるところまで移動しないことには、ホーミング性能を持つ有機体ミサイル群から逃げきることなど永久に不可能だ。

「無茶を言うな……貴様に走られたら、逃げきれるものも逃げきれん。……これ以上逃げるつもりも無いがな」

「何……?」

 数回の跳躍を経てミサイル群から一定の距離を取ったカクは、アシュラモンに示す様に上空をアゴでしゃくる。

「オレの仲間も来ている」

 カクが示した上空では、相変わらずメガドラモンとギガドラモンが狂ったようにミサイルを撃ち込み続けていた。

「増えた! 増えた! 一匹増えやがりましたよ先生ぇー!」

「ぐぴー! ギガドラモンくんには内緒で二匹とも先生が殺しちゃおうー!」

「先生ズルいー! ぎへへへへへへへー!」

「ぶへ! ぶへへへへへへ……ア?」

 下卑た笑いを浮かべていたメガドラモン先生とギガドラモンくん。だが、そんな彼ら目がけて飛来する物体が一つ。

「げ! あれは!」

 メガドラモン先生がその物体に気づいたことは幸運であったといえる。その物体は、ともすれば一撃で彼らを葬り去ることすら可能な超強力兵器だったのだから。

「メタルグレイモンのギガデストロイヤーじゃねぇか! ギガドラモンくん撃ち落とせェー!」

「あいあい!」

 一見脳みそが少ないように見える彼らだが、アイゼンベルク改造・生産が行われているデジモンの兵装くらいは知識として持っている。メタルグレイモンのギガデストロイヤーは彼らのミサイルのように連射はできないものの、一撃の威力が桁違いである。どこの誰が放ったものかは知らないが、間違っても食らうわけにはいかない。地上への攻撃を中断してでも撃墜しなければ。
 先ほどとは一転して、緊張感をもってミサイルを放つ二竜。そのホーミング性能と発射弾数のおかげか、彼らは比較的距離のあるうちにギガデストロイヤーを撃ち落とすことに成功するのだった。かの弾頭の厄介なところはその威力と爆砕範囲で、ある程度まで接近されたら撃ち落としても意味がなくなってしまうのだ。だから早めにその到来に気づき、撃ち落とすことが出来たのは彼らにとって僥倖と言えた。
 ビルの銀色の壁面に反射する爆発の光と、上空の強い気流を乱して余りある爆風が、二竜にどこか心地よい達成感を与える。

「ふぃー、危なかったですね先生よおー」

「しかしよー、一体誰だ? オレらにミサイルブッ放すようなバカ者は、よッ!?」

 警戒心を強めるメガドラモン先生だったが、その身に突如として異変が訪れる。右肩に違和感がある。本当に咄嗟の出来事には、感覚すらも追い付かないものである。最初の一瞬こそ違和感だったが、自分の右肩口を目視した先生は、〝その違和感が違和感ではない〟ことに気づいた。

「ぐおおおおお!? 痛ええええええ!? 先生が覚えた違和感とは! 果たして痛覚でありましたあああああああ!!」

 先生の肩口には銀色の爪が深々と突き刺さり、傷口からは深紅の血が泉のように湧き出ていた。

「せ、先生!? こりゃあ一体何がッ!?」

 これはメタルグレイモンの左腕、トライデントアーム。爪の部分だけを腕から射出し、攻撃する技である。

「ぐおお……!」

 どうにかして爪を外そうとする先生であったが、時既に遅し。肉を切り裂いて骨にまで達した鋼の爪は、そこで指が物を掴むかのように折れ曲がり、フックのようにして先生の腕の骨をガッチリとホールドする。

「て、敵は……」

 敵はどこなのだ。この攻撃を繰り出した敵は。武装からして、メタルグレイモンであることは間違いない。尤も、正面突破に優れたパワー型であるメタルグレイモンがこのような姑息な攻撃をするなどと聞いたことはないが。
 トライデントアームはワイヤーによって腕部に繋がれている。ならばワイヤーの先にこそ本体がいるはず。見ると、ワイヤーは下の方……つまり超高層建築物の合間まで伸びている。なるほど、敵はこの摩天楼で身を隠しながらこちらに接近し、攻撃を繰り出していたというわけだ。陽射しを完璧にシャットアウトしてしまうほど密集しているこのビル群は、その僅か上程度の上空からでは死角だらけ。死角をなくそうと思ったら、雲の高さまで飛ばねばならなかっただろう。

「このお利口ちゃんがぁ……!」

 右肩の激痛に耐えながら、ワイヤーの伸びる先へ腕を向けるメガドラモン先生。一方のギガドラモンくんはと言えば、隣でうろたえているばかり。この生徒は先生よりも高い攻撃力をもっているものの、身のこなしと頭の回転は少々鈍いのである。だからこそ、自力で反撃せねば。
 メガドラモン先生の、そう考えたところまでは概ね及第点といえよう。だが彼は、そこから先の思慮が少しばかり足りなかった。
 トライデントアームで肩を抉る。それは、隠れながら放った攻撃にしては十分な成果。この成果に対して、放った本人が仮に満足できていなかった場合。この場合、普通は一度爪を引き抜いて第二撃の準備に回るはずである。何も、わざわざ爪を食い込ませて骨まで掴んでやる必要はない。射出後はある程度制限されたものになるため、そこから骨ごと断ち切るような攻撃は不可。メガドラモン先生は、とりあえずここまで考える必要があった。〝わざわざ自分の腕を掴んで離すまいとする〟という敵の行動に、不自然さを感じるべきだったのである。

「ぐおォッ!?」

 骨に引っ掛かっていた爪が、急に凄まじい力で彼の体をワイヤーの伸びる方向へと引っ張り始めた。敵がワイヤーを巻き取り始めたのだ。綱引きのように真っ向からの引っ張り合いならば踏ん張りが利いたのかもしれないが、ここは空中、しかも引っ張られる方向は下。重力が、自重が相手方の味方をする。大慌てで翼を動かそうとするも、既に無駄。唇の端がめくれ上がるほどに加速度がついてしまっている。しかも下手に踏ん張ってしまえば、その負荷は全て掴まれている自分の右腕、その骨にかかってしまうだろう。そうなれば結果は火を見るよりも明らかというもの。言うまでもなく、右腕の損失である。

(だが落ち着けオレ! ワイヤーが巻きとられる先ということは……)

 そう……影になっているのでよく見えないが、このワイヤーの先には必ず敵の本体が待ち受けているはず。トライデントアームを射出した状態でのメタルグレイモン相手ならば、格闘戦で負ける気はしない。

「ヒヒッ! お望みどおり、今行くぜぇー!」

 既に自由落下以上の速度で引っ張られているメガドラモン先生は、自分を待ち受けている敵の面構えを想像して左手の爪先をカチカチと打ち鳴らす。自分の作戦通りに事を運び、最後の最後で逆転されてしまった者は一体どんな顔をするのか? その断末魔は? 考えただけでゾクゾクする。

「ただいまハニー……」

 メガドラモン先生は、したり顔のメタルグレイモンの姿を想像していた。「バカめ、オレの作戦にまんまとはまりやがって。」そんな顔をしたメタルグレイモンを、この左腕で貫いてやろうと思っていた。そして、余裕綽々のムカつき顔が絶望と苦痛に歪むところを見たいと思っていた。見れると思っていた。
 だが、先生の目に飛び込んで来たのはしたり顔のメタルグレイモンではなかった。したり顔どころか、メタルグレイモンの橙色の肌さえ無かった。目の前に現れたのは、感情など一切持たない群青色のビルの壁面。

「ハ、ハニイィィィーーーー!?」

 メガドラモン先生は容赦ない速度で壁面に叩きつけられる。高まった加速度と、何よりも自らの巨体が仇となった。文字どおりメガトン級のインパクト。その凄まじい衝撃は、彼の鋼の兜でさえ防ぎきれるものではない。意識を失わずにいたのは本当に幸運であった。そしてビルの壁面がガラガラと崩れ落ちる音を聞きながら、先生は激突の直前に見たものを思い出していた。今にもブラックアウトしてしまいそうな意識を保つためには、何よりもまず自分の置かれた状況を把握することが大切である。

(ビルの……壁……に、穴が……穴があって……そこからワイヤーが……)

 ああ、そうか。ハニーがいるのはこのビルの向こう側。ビルを貫通する形でトライデントアームを射出し、自分の体に打ち込んだ。そして逃がさないようガッチリ捕まえ、ワイヤーを力いっぱい巻き戻して自分をビルの壁面に激突させた。狙いは最初からこれだった。敵は単体なのだ。単体だから正面対決を避けて奇襲し、自分とギガドラモンくんを引き離した。そして、あわよくば気絶させようとしたのだろう。そうすれば、事実上一対一に持ち込める。勝機が生まれるわけだ。

(だが……残念だったなハニー。 オレは……まだ意識があるぜ……!)

 上半身がビルに突き刺さったままのメガドラモン先生は、腕からトライデントアームが引き抜かれるのを感じた。どうやら敵は、すっかり先生が気を失ったものと思い込んだらしい。激突後ピクリとも体を動かさなかったことが功を奏したようだ。ぐったりと垂れさがった尾、だらしなく開いた口……これらを少しでも動かそうものなら、意識があることを気づかれていただろう。
 だが詰めが甘い。ビルの影からノコノコ出てきたところを狙い撃ってくれる……。
 メガドラモン先生はピンチから一転、好機を得たと見た。滅茶苦茶になったビルの内部を力無く見つめていた瞳は火が灯ったように輝き出し、その視線はビルの影から現れんとする敵を捉えようと正面から横へと移る――。
 だがこの時、実は既に先生の敗北は決まっていた。例え意識があることを敵に感づかれようとも、先生はまず真っ先に口を閉じるべきであった。頭を強打したことで感覚がマヒしていたこともあるし、その後すぐに気分が高揚し出したということもある。だから彼が自分の異変に気付かなかったことは仕方がないことと言える。
 ビルに激突し、内部に顔が突っ込み……その衝撃で気を失いかけ、だらしなく口が開いたまさにその時。彼の口には〝ある物〟が飛び込んでいた。

(早く出てこいよ、ハニー……!)

 ハニーがビルの影から現れ、先生の視界に入るまであと六秒。そして先生が自分の体に起こっている異変に気づくまで、あと二秒。


 一方、すっかりミサイルの雨がやんだ地上では。

「いや、ちゃうやろ」

 一帯の安全を確認し、カクはこの場に子供達を呼んだ。
そもそも何故彼らがこの街を訪れ、この戦いに参加したのか。そこから説明せねばなるまい。
 理由は二つある。前者の理由と後者の理由が一つずつ。前者の理由は、シンスケがこの街のスピリットを感知したから。そして後者の理由は、カクが窮地に陥ったかつての仲間の姿を目撃したからだ。当初彼らは極力戦闘を避けてスピリットを回収しようとしていた。だが、珍しくカクが形振り構わず「助けさせてくれ」と懇願したのでよほどのことと思い助太刀を決めるたのである。だが実を言うと、後者の理由はもう一つある。彼らがマーレの件以来、アイゼンベルクに対して良いイメージを持っていなかったことである。悲しいかな、ここでも憎しみの連鎖は起こっていたのだ。

「阿修羅とちゃうやんけ」

 今彼らはその窮地に陥っていた仲間・アシュラモンと出会って自己紹介を済ませたところなのだが……アシュラモンの名乗りを聞いた明音が、開口一番に言い放ったのが先ほどの「いや、ちゃうやろ」である。

「阿修羅は三面六臂、つまり三つの顔と六本の腕を持っとるのやろ? なんでアンタ腕が四本やねん。阿修羅とちゃうやんけ」

「な、そ、そんなことを言われてもだな……」

 アシュラモンは何か自分の存在そのものが否定されたような気がしたが、ハッキリ言ってそんなことは知ったこっちゃない。自分は確かに阿修羅をモチーフとしたデジモン・アシュラモンだが、この容姿を造ったのは自分の意思とは関係のないところ。いわば自然の摂理。自然の摂理に従って間違った形に進化してしまったのは……果たして誰が悪いのか。少なくとも自分が責められる云われは無い。
 それにしても、とアシュラモンは思う。彼らは些か戦力不足ではないだろうか? 神の使いたる選ばれし子供達……見たところ、人間の少年が二人と女性が一人(どう見ても子供ではない)、そして少女が一人。デジモンはというと、今はカクという名になったらしいワーガルルモン、女性が抱きかかえているパタモン、そして上空で戦っているというデジモンの――。

「お、上の方はケリが着いたみたいだな」

 そう言った金髪の少年につられ上空を仰いだアシュラモンは、とんでもないものを目にした。
 あのメガドラモンが、真っ逆さまに落下してくるではないか。しかも自分の真上に……。

「どおおお!?」

 咄嗟に倒れ込むようにして前方にダイブし、辛うじて難を逃れるアシュラモン。だが巨体が落下した衝撃は凄まじく、子供達は子供達はおろかカクまでもがよろめいてしまうほど。当然、デジモンがよろめくほどの衝撃に幼い子供が耐えられるはずもなく。

「きゃっ!?」

 竜乃は尻もちをついてしまった。
 そして当然といえば当然だし、奇跡といえば奇跡なのだが……前方に倒れ込んでいたアシュラモンの目は「とあるもの」を否応なしにロックオンすることになる。

「しましま……」

 らしいぜ、兄弟。

「なんと眩い……」

 不覚にも竜乃のしましまに瞳を奪われてしまったアシュラモン。だが、彼の眼はすぐに覚まされることになる。
 撃破されて落下したと思われていたメガドラモンの体が、不意に痙攣するかのように動き出したのだ。白眼を剥き口からは大量に血を吐いているが、その胴体から喉にかけての辺りが蠕動している。出来ればずっとしましまを見つめていたかったアシュラモンではあるが、ただならぬ雰囲気を感じて即座に立ちあがり、構えを取る。
 蠕動は胸から喉、そして顎のあたりまで移り……。

「ぶらああああああああ!」

 何者かの謎の掛け声と共にメガドラモンの口は開かれた。開くと同時に洪水の如く血が溢れ出し、乾いたアスファルトを赤く濡らしていく。そして、口から出てきたものは血だけではなかった。声の主と思われる深紅の人型デジモン……いや、血の色に染まってはいるが、ところどころからのぞく色は白。恐らく、元は白っぽいデジモンなのだろう。そのデジモンは「臭え」だの「粘る」だの喚き散らしながら、どうにかして全身にべったりと着いた血を振り払おうとしている。……確かに、臭いは凄い。
 このメガドラモンの異常な吐血量、そして不自然に凹んだ胴体。内臓をいくつか……いや、下手をすれば全て潰されたように見える。どうやったのかは知らないが、その元・白いデジモンはメガドラモンの体内に入り込み、内臓を内側から破裂させるか切り裂いたかしたのだろう。……随分えげつないことをする。
 臭いに気を取られていたアシュラモンであったが、直後の爆発音によってその意識は上空へと導かれる。

「うぐああああ!!」

 見れば、ギガドラモンが呻き声をあげながら爆炎に包まれているではないか。ギガドラモンからそう遠くない位置にはオレンジ色のデジモンが飛んでおり、ギガドラモンに攻撃を加えたのもそのデジモンに違いない。
 アシュラモンはオレンジ色のデジモンを知っていた。あれはメタルグレイモン。爆発音の正体は、彼の必殺技・ギガデストロイヤーであろう。そしてカクの仲間でしかもグレイモン系ということは……彼もまた、旧知の戦友である可能性が高い。

「メ、メガドラモン先生ぇー! メガドラモン先生ぇー!」

 爆発で目をやられたのか、ギガドラモンは無茶苦茶な軌道で飛びながら何とかしてメタルグレイモンから逃げようとしている。完全体とはいえ、メタルグレイモンの攻撃を喰らって無事な訳は無いのだ。目を凝らすと、本来紫色であった表皮は赤く焼けただれてしまっているのが分かる。相棒の名を呼ぶも、返事は無く。時折ビルにぶつかりながら必死に逃げていく様は惨めとしかいいようがない。

「カクせんぱーい!」

 そしてギガドラモンをそんな姿にした張本人はと言うと、その後ろ姿を追おうとも追撃しようともせず、無駄に朗らかに仲間達の所へと降下してくるのであった。
 のんびりと降りてくるその無邪気な笑顔を見ながら、アシュラモンはカクに対しわざと分かりにくい形で質問する。

「メタルグレイモンか……まさか……〝後釜〟か?」

「……そうだ」

「あの時のヒヨッコが本当に……大した奴だ」

「まだまだ甘さは抜けないがな。いや、あいつの場合は甘えと言うべきか」

 何はともあれ、アシュラモンはこれで選ばれし子供達一行が揃ったのだと確信した。かつてのヒヨッコと、血まみれの白いデジモン。名前はそれぞれアグラ、そしてシンスケというらしい。
 しかもシンスケの方はどうやら光の闘士であるらしく、「もう我慢できねぇー!」と叫んだ後に一旦光に包まれてから人間、つまり本来の姿に戻った。スピリットを解除すると、進化中に負ったダメージの類はスピリットが肩代わりする形になる。つまり、使用者にはダメージは残らないということ。だが、果たして臭いはどうなのか……。シンスケは人間の姿に戻ってからもスンスン鼻を鳴らして自分の体の臭いを確かめているが、鼻がバカになってしまったのか、何だかよく分からないという表情をしている。

 気づくとビルの合間から西日が差し込む時間帯となっていた。アイゼンベルクとのこれまでの戦いを鑑みると、そろそろ連中が撤退してゆく時間だ。
 ここは都市の中央部から離れた位置にある。連中の現在の拠点からは十分な距離がある……発砲音も爆発音も聞こえないし、どうやら本日の戦闘は、もう幕引きと見て良いらしい。あとは合流地点にて仲間達と落ち合うだけ。今日出会った、旧知の友とその仲間達共に。

「なーんか、デジタルワールドっぽくねぇーなあ。 人間の世界に戻っちまったみたいだ」

「黄太はこういうところに住んでたの?」

「住んでたわけじゃないけど……なんて言うか、人間のイメージだな。この都市っぽい感じは」

「僕もいつか行ってみたいなー」

「あー、アグラなら家で飼えるかもな」

「黄太、我々デジモンはペットではないのだがな」

「……スンマセン」

 カクとアグラはすっかり成長期のガブモンとアグモンに戻ってしまっていた。これが噂に聞く「強制進化」というやつだろうか。それにしても……アグラの無邪気な性格、そしてカクの威厳が進化しようとすまいと全く変わらないというのは面白い。通常ならば、進化と共に精神的な成長や変化ももたらされるものなのだが。

「アシュラモン! 無事だったか!」

「トータモン!」

 ドスドスと足音を立てながら、トータモンが合流してくる。夕日を浴びながら、この日生き残った仲間達と段々合流してゆく……戦争の中でこんなことは不謹慎なのかもしれないが、アシュラモンはこれにある種の滋味深さを感じていた。こそばゆいような奇妙な喜びの気持ち。自分、そして仲間が生き残れたという幸福。

 だが、彼の幸福は一瞬にして打ち砕かれることになる。
 ひたすらに圧倒的な〝力〟によって。

 刹那、茜に染まる空を切り裂いて現れた青白い光。そして直後に響く雷鳴の如き轟音。

「トータモォーーーーーン!」

 巨獣の唸り声のような超低音が空気を震わせる。アシュラモンの声が、ビルの谷間に反響する。

「何だ……雷かッ!?」

 崩れ落ちるトータモンの巨体を凝視しながら蒼太が叫ぶ。あの強烈な光、一瞬にして瞼の裏に焼きついた独特の筋、そしてこの轟音。まず最初に思いつくのは雷だ。

「いや、なんやおかしいで! トータモンの体、貫かれとる!」

 だがトータモンの体は、それがただの雷ではないことを示していた。雷に打たれたのなら黒焦げになることはあろうが、〝体に直径三メートルほどの大穴が空く〟ことなど絶対にあり得ない。雷のようではあったが、ただの雷では断じてない。

「皆、走れ! 走ってここから離れるんだ!」

 アシュラモンの指示に従い、子供達は一斉に走り出す。彼らにはこの現象が一体何なのか分からない。だから、ここはアシュラモンの指示に従うしかない。そうすれば助かるという保証もないが、従わないよりは遥かにマシなはず。

「はあっ、はあっ……!」

 だが、若干九歳である竜乃。その体力は、黄太達とは比べるべくもなく貧弱なものである。必然的に、彼女は集団の最後尾を走ることになる――。

「カク!」

「応!」

 見かねた蒼太はカクをガルルモンに進化させる。そして自らその背に跨ると一旦速度を落とさせ、竜乃の横に並ばせる。そして掬いあげるように竜乃を抱き上げ、自分の前に跨らせた。

「あ、ありがとうございます……」

 カクの背の上で、息も切れ切れに蒼太に礼を言う竜乃。だが、その背後で。
 再びの閃光と轟音。撃ち抜かれたのはアシュラモン。急所は外れたようだが、四本の腕のうち左の二本が無残にも削ぎ落とされてしまっている。

「逃、逃げろ! 逃げ延びろ!」

「アシュラモンさーーーん!」

「やらいでか! いくぜアグラ! 本日二回目の、ワープ進化だッ!」

 アシュラモンが深手を負ったことにより、アグラと黄太のハートに火が着いた。これは雷ではない。天災ではない。悪意、害意、敵意……それら全てが籠った、敵の攻撃だ。トータモンとアシュラモン……出会って間がないとはいえ、味方を二人もやられて冷静でいられる程この二人はデキた戦士ではない。

「よせ黄太! これは確かに攻撃だッ! だが相手の位置さえわからない! ここは逃げるしかないッ!」

 竜乃の体を抱きすくめるよう庇いながら、カクの背で叫ぶ蒼太。彼は極めて冷静である。双子の弟を説得しながらも、その眼は自力で走っているシンスケと明音を捉えていた。

「カクの背にこれ以上は乗せられない! アグラは反撃に行かせるな! お前はアグラに乗って、シンスケと明音さんも乗せるんだ! この場は逃げる! 逃げるしかッ!」

「だからこれから探すんだろうがよ!」

 アグラがメタルグレイモンとなり、飛翔しようとしたまさにその瞬間――。

 三度の閃光。それは、アグラの腹部を貫く一閃であった。

「アグラーーーーー!!」

 黄昏に映える銀の森。梢にこだまする轟音と、照らす閃光。
スピリットに導かれた選ばれし子供達。彼らはこの無機なる森で、第八の神友と相対す。相対し、討ち滅ぼさねばならぬ。彼の閃光を司る者を。

 神の使いは討ち滅ぼさねばならぬ――異端の徒を。







 デファンスシティに夜は来ない。環境データであるこの都市は一定の時刻になると自動で明かりがともるようになっている。電力の供給源は、誰が仕込んだか雷のスピリット。アイゼンベルクの求めるもの。
 自分たちが求めるスピリットの明りに照らされながら、街の中心部に置いた拠点にて明日の侵攻のために体を休めるアイゼンベルクの軍勢。いつもなら静かに過ぎていくはずの時間であったが、今夜は少し様子が違うようである。

「ノナてめェェーーー!! 今何て言いやがったァー!?」

「あら、聞こえなかったの? メガドラモンは愚かだから死んだのよ……いいえ、訂正しましょう。愚かでしかも低俗だから死んだのよ!」

「ぬああああーーー! ブッ! 殺してやるぅああああーー!」

 ノナに対して鋼の爪を振り上げて暴れているのは、アグラに撃退されたギガドラモンだ。あの後拠点に逃げ帰ったギガドラモンは、メガドラモンがやられたということを涙ながらにノナに報告した。だが、それに対してノナはこう冷たく言い放ったのである。

「ああ、アイツは愚かだったからね。下衆な奴だったし……死んでよかったかもね」

 自分の相棒であり兄貴分でもあったメガドラモン。大切なものを失って悲しみにくれていたところに、その大切なものを貶めるような言葉を吐かれる……果たして、これで怒らないものがあるだろうか。
 ギガドラモンはひたすらに怒り狂った。それこそ、ミサイルを放ってノナを消し飛ばさんとする程に。周囲にいたガードロモン達がなんとか抑え込もうとするも、ギガドラモンの前ではいくら集まろうが暴風の前の木の葉に等しい。むしろ、抑えつけられることによってますますギガドラモンの怒りは高まってゆくばかり。

「ぐおあああああ!」

 そして、一段と強い力で暴れ回るギガドラモンの前にガードロモン達はついに弾き飛ばされてしまった。

「何が第八神友だッ! 一気に攻めてれば、あのメタルグレイモンがやって来る前にケリを着けてれば! メガドラモン先生は死なずに済んだかもしれないのにッ!」

「味方に責任転嫁するなんて……浅ましい!」

「何でオレ達が……オレ達はフィル様の兵だぞ! 何でオレ達がフィル様より序列が下の奴に従わなきゃならないんだッ!? よりにもよって八神友で最弱の奴に!」

「アナタ……! 神友を侮辱する気!?」

「侮辱ぅー? 侮辱されてもしょうがないと思うぜー? だってよぉー、第八神友サマはひょっとしたらオレらより弱いかもだぜぇー? なんてったって、日暮れまで体力が持たねぇ貧弱者だからよぉぉぉぉーーー!」

「!!……もう我慢できない……ッ!」


「ならさぁぁぁぁ! 第八神友がオレらより強いってさぁぁぁ! 何なら証明してくれたっていいンだぜぇぇぇぇぇ! 役立たずのノォォォォォナァァァァァ!!」

「っ……!!」

 ガードロモン達を振り払って自由になった腕。その腕をノナに向け、爪を開いてミサイル発射態勢を取るギガドラモン。
 普段強気なノナとはいえ、流石にこれには焦らずにいられない。いや、今彼女が抱いている感情は焦りではない、恐怖だ。目が眩むほどに鮮烈な殺意。自分の体の芯に直接不快感を刻みつけるかのような毒々しい狂気。それらが相まって引き起こすのものは、死とギガドラモンに対する恐怖。気丈さに定評があるノナではあるが、この時ばかりは心の底から「誰か助けて!」と、そう叫びそうになった。
 叫びそうになって本当に叫ばなかったのは、叫ぶ前に助けが来たからに他ならない。
 青白い閃光、そして轟音――。
 闇を切り裂いて、夜を凌辱してなお余りある圧倒的な光エネルギー。空気を音速で膨張させ、震わせてまだ余剰する音エネルギー。究極体の攻撃でも、これほどのエネルギーを有するものはなかなか無いであろう。天災に匹敵、あるいは凌駕すらするほどの絶大な力。その芯とでも呼ぶべきものが、ギガドラモンの脳天を貫いたのである。
 ゆっくりと地に伏すギガドラモン。アスファルトの地面では砂埃は巻きあがらず、ただ振動のみがノナの脚に伝わる。
 そしてギガドラモンの体の向こうから、彼女の救い主は現れた。

「カウス……!」

 彼女がカウスと呼んだその救い主は、上半身が人で下半身が馬というケンタウロスに酷似したデジモン。ケンタウロスといえばケンタルモンというデジモンがいるが、カウスはケンタルモンではない。鎧を身にまとい、弓矢を携えた上位種……射手座の名を持つサジタリモンである。

「もう聞こえていないかもしれないが……ギガドラモンよ。来世で生かしてほしい教訓がある。第八神友に対する侮辱は……まぁ許そう。貧弱者というのも事実。否定はせんよ。だが、第八神友の友人に対する侮辱は決して許されない。神友は神の友人。そして、友人の価値に優劣などない……神友にとっては神以外の友人もまた、神と同様に尊い存在なのだ」

 塵と消えゆくギガドラモンの体を見つめるカウス。自ら手を下したとはいえ、仲間の一人……感傷に浸ろうとしたが、腹の辺りにぶつかった温かなものによって彼の意識は現実に引き戻された。

「バカ……! あんな下らない奴のために力を使うなんて……!」

 見ると、腰……つまり上半身と下半身の付け根のあたりにノナが腕を回して抱きついていた。

「彼のために使ったのではないよ。そして勿論、君のためでもない。私は、私自身のために使ったのだ。言ったろう? 神友は、友人に対する侮辱を許せないんだ」

「でも……あなたの……命が……!」

 ノナはカウスに自分の体を擦り付ける。カウスの温もりを感じるように。自分の温もりを伝えるように。
 そんなノナに対し、カウスはそっと髪を梳いてやり応える。

「そうだね……だから、予定通り明日決めよう……。皆も、聞いてほしい!」

 カウスは一転、周囲にいる者達全てに対し呼びかける。

「いよいよ準備が整った! 街の周囲はアイゼンベルクの新型を含む大部隊が包囲している! この時まで、皆よくぞ生き残ってくれた! 明朝、街の内と外から同時に侵攻を始める!」

 アイゼンベルクはこの五日間、日が暮れる度に引き上げていた。その理由は、相手方の反撃が予測以上に厳しかったことに尽きる。大戦を生き抜いたウィルスバスターズの力は伊達ではなく、一日目は攻めきれず、念のために温存していた完全体達を投入。その日のうちに援軍を打診し、二日目は援軍を加えての物量作戦。だがそれでも決定打とはならなかった。しかも、三日目にはまた劣勢になる始末。そこで四日目に第八神友が参戦した。圧倒的な力によって敵主力を次々に潰していく。だが、第八神友には〝ある制限〟があった。その制限さえなければ四日目で勝敗が決まっていたのかもしれないが、その制限のためにやはり日暮れと同時に引き上げることとなった。そして今日、五日目。アイゼンベルク本山より、新型の実戦テストを行いたいとの打診あり。兵数が再び減っていた彼らとしては、これは願ってもいない申請であった。
 明日こそ、彼らは決着をつけるつもりである。兵の質の差によりアイゼンベルクの一方的な消耗戦となってしまったが、それも圧倒的な数と第八神友の啓示で叩き潰す。

「明日こそはケリを着けようではないか! この悪夢のような戦いに! 我々は勝つのだ! ウィルスバスターズに! 勝てるのだ我々は! この第八神友カウスが約束しよう! 我が啓示『御雷(ミカズチ)』は神と! その兵達のためにあるのだ!」

 第八神友カウス。「御雷」の啓示を受けしサジタリモン。八神友で最も弱く、最も誇り高く……そして、最も優しいとされる神友。

 選ばれし子供達は、彼を討ち滅ぼさねばならぬ。

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