R2-D2

人の参

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「ケツがある……なに?」
「いや、いい。どうも僕の方に常識がなかったみたいだな」

 何となく尻がむずむずしたので、ハルはスカートの裾を申し訳程度に抑えつつ座り直す。

「その神様って怖い神様なの? マヤってやっぱり生贄とかのイメージあるわあ」

 ついでに言うなら、怖いのは先程のカモンの話から勝手に想像してしまった所為でもある。

「いや。優しい神様だ」
「優しいの?」
「優しいね。今君は生贄のイメージと言ったけど、ケツアルコアトルは寧ろ人身供犠を止めさせたという。それで人身供犠を好む死神に恨まれて都落ちしたりするんだけど」
「それは優しいわ」
「けど実際はケツアルコアトルに対する人身供犠が行われていたという記録もあってね。色んな文明で長きに渡り信仰されていたから、色んな属性を持ってるんだ。死神に負けた割に創造神という地位にもあって、人類の創造に関わったり、文明を授けたり、農耕の神としての面もあれば風の神でもあったり、かと思えば金星の神でもある。太陽神としても信仰されていた。ただその姿は統一されていて、羽のある蛇の姿をしている」
「容姿以外はしっちゃかめっちゃかなのね」

 まるで、色んな場所で色んな人に色んな側面を目撃されたクラスメイトだ。聞こえる姿かたちから同一人物だと判るが、しかしその行動はまちまちで、粗暴なやつかと思えばネコに給食の残りをあげてみたり、気になるコの前ではちょっと大人しくなったり。或いは、普段はうだつのあがらない昼行燈でも、空手の大会で活躍して一躍もてはやされ、それでも逆上がりは出来ないとか。きっとそんな具合である。
 いや、ちょっと違う気もする。

「そういえば蛇の神様とか怪物とか多いよね」

 日本のヤマタノオロチを初め、竜のように形態の似ているものまで含めれば、世界中の神話には蛇系の神や怪物が存在するのではなかろうか。

「やっぱあれかしら。脱皮するから再生の象徴とか聞いたことあるんだけど、そういう神秘的なイメージが人類に共通してるのかな」
「共通してるのは、恐怖だよ」
「恐怖?」
「チンパンジーに代表される樹上生活中心のサルにせよ、ニホンザルのような陸上生活中心のサルにせよ、蛇は霊長類が共通して恐れる生物なんだ。人間も苦手な人が多いだろ」

 たしかに怖れという感情は、直接的に怪物を夢想させるだろう。だが何故怖いものが神になるのか。

「畏怖という言葉がある。怖ろしいものだからこそ一定の敬意を持って接しようとする本能みたいなものがそもそも人類にはあるんだな。それに蛇が霊長類の天敵ならば、つまり敵わない敵であるということであって、敵わないものは即ち自分達より偉大だ。自然崇拝だって、恵みを有り難がっているだけじゃないからな。時に怖ろしいものに変貌するからこそ、怖いものだからこそ、祭り上げてご機嫌を取ろうと思うんじゃないか。――君は強い者に媚びたりしないタイプだから、分からないかもしれないけど」
「基本的にスネ夫なのね人類は」
「その場合神はジャイアンか……嫌な喩えだ」
「でものび太みたいに甘んじて脅威を受け入れるよりはマシなのかも。人類に青たぬきはいないわけだし」
「まあ蛇神といっても色々いる。ケツアルコアトルなんかはさっきも言った通り優しいとされる面もある。それに竜を含む蛇神や蛇の化け物は、雨や雷を司る龍やアボリジニのユルング、水害の権化であるヤマタノオロチのように水を象徴するものが多い一方で、ヴリトラという渇きの権化もいる。蛇或いは竜という属性を持った神や怪物は、それ以外では強いて言うなら水と関わりのあるものが多いというくらいだ。水と関わりが多いのは偏に水や川の流れるさまが蛇の形態や動きに似ているからというのもあるだろう。でもそこには矢張り、怖ろしいものや偉大なものに、同じく怖ろしく偉大な蛇を重ね合わせるという、人類共通の作業というか、イメージがあるように思える。そこにその地域や文化に根差した属性が負荷されている、とね」
「ヤマタノオロチが川の水害だっていうのは聞いたことがあるわ。それは、川の形を蛇に見立ててるんだっていうのも。でもまず蛇ありきってことなのね」
「あくまでこんな考え方も出来るのかも、ってだけだ。こんなこと考えてるのは僕だけかもしれない。でも蛇の神や怪物が文化圏を越えて世界中にいる以上、文化よりも大きな人類の共通項、しかも精神と切り離せないもの、即ち人類の生物としての特性の関与は、決して無視出来ないものだと思うんだ」

 結局のところはそういった神や怪物を生み出した人々にさえ分からないのだろうが、こういった考察は流石と言うべきである。

「違うものを同じものに喩えてる一方で、同じものに対して違う意味を付けてるわけね。人間って分からないわね」
「まあね。面白いところではあるし、それに何より、僕は『それこそが』人間の唯一にして最大の能力なんだと思うよ」
「でもさ、こうして考えてみると、蛇の神様って特別? 太陽とか水なら恩恵もあるけど、蛇は怖いってだけで神様になっちゃったわけだし」
「死神ってのがいるだろ。死を司る神も世界のいたることろにいるし、死も怖いだけだ。死は命にとって重要な概念であり、決して避けられない誰にでも訪れるものだから、各々神話の中で非常に高い格であったり強い力を持っていたりする」
「一番怖いお方ね。死神っていえば鎌持ってるイメージだけど、あれは世界共通なのかしら」
「世界の死を司る神に共通してるかってことか? それはノーだな。そもそも死を司る神で鎌を持ってる奴なんて僕は知らない。あれは魂を刈り取るイメージなんじゃないかな。生えてるわけでもないのに刈り取るっていうのも妙な話だとは思うけど」
「確かに。まるで根っこで体にくっついてるみたいよね。――魂って、本当はどんな形してるんだろ。ヒトダマみたいな形なのかな」
「魂なんて無いよ。死の定義も色々あるだろうけど、生きてるかどうかってのは、つまるところ反応があるか無いかでしか測れない」
「命の正体は反応ってこと?」
「命の正体が反応で、魂の正体が信号か」
「そんなこと、事実だとしても考えたくないわね」
「事実だとしても、そんなこと関係なく生きるのがいいんだよ」
「うん。そーいうのは、賢いんだか馬鹿なんだか分からないタイプの人達に任せることにしてるから」
「まあ脱線はこのくらいにしておくか。――何故、マヤ神話では創造と滅亡が繰り返されたとされているのか、だったな」
「忘れかけていたわ」

 この程度の脱線は最早お約束だが、何度同じ目にあっても進歩しないのが、ハルの人間臭いながらも人間の長所に反する、アンビバレントにして繊細な部分である。

「本題に戻るのは有り難いけど、でもそれは分からないんでしょ? 分からないなら分からないでいいよ。諸説あるけど結局のところは分かりません、って書くからさ」
「いや――逆算して考えると、判らないでもない気がするな」

 逆算して考えるというのは――この場合、神話の構造をまず見て、そこから成り立ちを推測するという作業を指すのだろう。
 だが、これはハルに限った話ではないのだろうが、「何度も滅びと創造がある神話」というそれだけの要素から、一体何をどう逆算したら成り立ちが判るというのか。

「これはあくまで僕の、推測とすら言えない妄想なんだけど」
「それでもいいわ。取り敢えず聞かせて」
「うん。たぶんね、これは様々な神話の集合体なんだ」
「集合体?」
「そう。マヤ以前に中米で興ったオルメカ、同時期にあったトルテカ。更に、恐らく他にもいくつかの――」
「それで、なんでそういう神話の集合体だと、創造と滅亡が繰り返されることになるのよ」
「先人たちの文明の神話はマヤにも伝わっていた。そして、神話には必ず創造神話というのが付き物だ。幾つもの神話があって、幾つもの創造譚がある。ここに、矛盾が生まれる」
「どういう矛盾?」
「伝え聞く神話はそれぞれ、世界の成り立ちが異なっている。世界は一つにもかかわらず、だ」

 話が見えてきた。

「これは一体どういうことか? 考えたんだろうな。この矛盾について。この矛盾を解消するには、二つの道筋がある。一つは、伝え聞く神話のうちどれか一つだけが正しく、他は全て間違っていると考える道。そしてもう一つが、全て正しいという道」

 マヤが、そのうちの後者を選択したのならば。

「マヤは後者を選択した。とすると、世界は一つしかないわけだから、時間軸に対して横に並べるわけにはいかない。それこそが矛盾なわけだからな。でも、縦に並べる事は出来る。即ち、世界には何度も始まりがあるということだ。そして何度も始まりがあるということは、既に何度か滅んだということに外ならない」
「成程ねえ。面白いじゃん」

 面白い、という素直な褒め言葉を聞いたカモンの顔はしかし、ぎゅっとしかめられた。謙遜ではなく、これは不快の表情である。

「面白いけど、それだけに恣意的な解釈なんだよ。根拠の無い推測のうえに根拠の無い推測を重ねたものだからな。本当に、ただの妄想だ」
「妄想でもいいわ。面白いからそこも記事にする」
「いいのか? 何ら根拠の無いことを書くのは君達が見下しているゴシップ研究会の領分だろ」
「ゴシ……」

 今日一番聞きたくない名前である。
 ゴシップ研究会の佐倉九重によってつねり上げられたハルの頬は、まだ鈍い痛みと少々の腫れを湛えている。年頃の乙女に対して何たる暴虐か。
 だが、よくよく考えてみると、ゴシップ研究会という名は出さずにはいられなかったものかもしれない。何故ならばハルがカモンのところに来たもう一つの理由が、あの佐倉九重にも関係することだからである。
 ハルが早速話題を切り変えようとするのを察したか、カモンの方から切り出して来た。

「そういえば、もうひとつ用事があるって言ってたな」
「そうなのよ。最近、変な病気が流行ってるって言うじゃない」
「あれか。病気かどうかも判らない、あれだろ」

 あれ。そう、まさしくあれとしか表現しようがないような奇妙な事態が、ここ桃山の地で起こっているのである。
 敢えて名づけるならば、連続ほぼ全身不随事件。なにか尋常ならざる妙な響きだが、ハルの語彙力と表現力では、これ以上適当な名前が思い当たらない。
 事の起こりは五月ももう終わろうかという頃、ハルが中間試験を相手に七転八倒の大苦戦を強いられている頃であった。数学がぼろぼろだったのをよく覚えている。
 二人暮らしの老夫婦が、布団に入ったまま、二人揃って衰弱死しているのが発見された。夫婦の遺体を発見したのは、回覧板を回しに来た隣人であった。
 二人の体に外傷は一切無く、死亡推定時刻は夫が数時間遅い程度。
 謎めいたこの事件は、春に起こった連続殺人の恐怖と興奮が未だ冷めやらぬこの小さな町を一挙に不穏な空気で包み込んだ。
 にわかに、妻の介護に疲れた夫が、直接手を下す勇気も無く見放した結果ではないか。或いは介護していたのは妻の方で、その妻が亡くなったが為に介護されていた夫の方も、助けを求めることすら出来ずに、ほどなく亡くなってしまった――等の推測が立ち、さざ波のように広がって行った。だがこれらは呆気なく否定されることになる。
 亡くなった夫婦は共に健常で、亡くなる一週間前にも、遠方の息子夫婦の家に遊びに行っていたというのである。
 この事実が謎を一層深める。
 何故、年老いていたとはいえ健常な夫婦が、数時間程度の誤差のなかで並んで衰弱死していたのか。
 この謎を警察が解明するよりも速く、人々がもっともらしい理屈を付けて自分の心の安定を図る間もなく、第二の事件は起きた。
 矢張り二人暮らしの老夫婦が自宅で、今度はほぼ全身不随の状態で発見されたのである。
 老夫婦は手足が動かないばかりか声も出せない状態で、ゲートボールのお誘いに来た友人によって発見された。夫婦は共に衰弱しきっており、糞尿も垂れ流しという酷い有様だったそうだ。
 その老夫婦も健常で、夫の方にちょっとした持病がある程度だった。
 続いて第三の事件。今度は、小学生の男の子が道端でうつ伏せに倒れているのが発見された。
 発見したのは男の子の同級生達であり、呼び掛けても何ら反応を示さなかったことから、初めは死んでいるのかと思ったらしい。パニックになっていたものの、そこへ通りかかった主婦が男の子を抱き起こし、呼吸しているのを確認して、急ぎ救急に通報したという次第である。
 男の子は二組目の老夫婦と同様、ほぼ全身不随という状態だった。
 この「ほぼ全身不随」とはいかなる状態なのか。
 二組目の老夫婦と男の子の症状は、完全に一致している。
 手脚は動かず、内臓が生命維持のために動いている程度で、いわゆる植物状態かとも思われたが、しかし脳は活動していて、意識もあるらしい。ただ、最低限生命を維持する以上の運動が一切封じられているのだ。これはいわゆる植物状態ともまた別の症状であり、近い症状が現れる疾患もあることから、一種の病ではないかと疑われた。ただこれだけ何の前兆も無いというのは、類似の疾患では例が無いらしい。
 並んで衰弱死した老夫婦の死亡状況と、ほぼ全身不随で発見された老夫婦の発見当時の状況が似ており、また、仮に「ほぼ全」の夫婦の発見が遅れたならば、その末路こそが衰弱死夫婦である可能性もあり、症状が全く同じ小学生の件も含めて、これは三件の連続した事件と断定された。
 ただし事件といっても、人為的なものでないのは誰の目にも明らかである。何らかの疾患がたまさか連続して発症したのだとして、片田舎の小さな町の中で短期間に五人もの人間が被害にあうというのは、偶然にしては出来過ぎている。
 刺激を求めるマダム達の間で新手の流行り病が蔓延しているとの風説が流れるのは、無理からぬことだった。
 今やその噂は町中どころか、地域一帯に蔓延している。これ自体が流行り病のようだとハルは思う。
 ハルからしてみれば、そんな噂は下らない。実に短絡的な、無知朦昧を極める愚鈍な思考である。
 ハルには確信があった。
 これは流行り病などではない。この手の超常的事態の正体は、ひとつしかあり得ない。

「きっとデジモンの仕業よ。そう思うワケよ。だってこないだのもそうだったじゃない」
「ワケの分からん事件が起きたら全部デジモンの仕業ときたか。実に短絡的な、無知朦昧を極める愚鈍な思考だな」
「ぎょんっ」

 いつもの手痛い指摘である。確かにハルの推理――とも呼べぬ勘は、マダム達の噂話程度にいい加減である。
 だがここで諦めるわけにはいかない。デジモンが原因である可能性は、どんなに少なくともあるのだ。ハルが信じている限りは、可能性だけでもある。
 そしてデジモンが原因であるなら、それを解決出来るのはハルが知っている限りではカモンだけだ。
 カモンは散々面倒がっていたが、何だかんだでヤシャモンの時には助けてくれた。
 ハルは諦めるわけにはいかない。この事件を解決出来る可能性が少しでもあるならば、そこに徹底的に食いついていかねばならない。
 何故なら、足立五郎は自分を庇ってほぼ全身不随となったからだ。

「まだよ! まだあるのよ!」
「何がだ」

 ここ数日続く異常気象。雨の降らない乾いた梅雨。桃山の地の上空にぽっかり空いた雲の穴。まるで見えない力が雲の侵入を堰き止めているような。

「それもデジモンの仕業だっていうのか?」

 カモンはすっかり呆れかえってしまっているようだ。

「きっと同じやつの仕業よ! 人をほぼ全身不随にして、雲を自在に操れる感じのデジモンが、この町にいるのよ!」
「仮にそうだとしてだな」

 気付けばコンの姿が消えていた。

「そんなデジモン、僕は知らないぞ」

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