R2-D2

人の弐

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r2d2

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 カモンの部屋である。
 相変わらず無駄な物が無い。掃除と整理整頓が行き届いているのと相まって、かなり殺風景である。
 しかしカモンも不健康ながら健全な男子高校生ではあるから、ハルが思わず目を覆いたくなるような雑誌やDVDがあっても不思議ではない。というか寧ろ無い方が不思議である。きっと何処かに隠しているに違いない。
 もしカモンが不在の時に部屋に入る機会があるならば、是非その手の物品を手中に収めたいという願望がハルにはあった。変な意味では無い。
 年頃の男子にとって生命線でもあるその手の物品を人質に取って「協力せねばこの名を口に出すのも恥ずかしい紙束に火をつけるぞふはは」と脅せば、今後デジモン絡みで何かあった際にカモンの助力を強制することが出来るからだ。或いは物品を押収せずとも、「私はお前のこんな性癖を知っているんだぞふふん。バラされたくなきゃお金だしな」という手でもよいだろう。もしカモンの性的嗜好に何らかの倒錯や偏向があれば、その情報はそのまま武器になる。カモンもまだ将来ある齢15、社会的に抹殺されたくはないだろう。――訂正が遅れたが、「お金だしな」というのは違う。

「それ何の本?」

 座卓に着きつつ、卓上に置かれた延喜式を指差して問う。

「延喜式神名帳。延長5年にまとめられた、言うなれば神社一覧表だよ。元号の延長は平安時代の中期で、延喜のあと。延喜式神名帳は延喜式という当時の法律書みたいなものの中の九巻目と十巻目のことを言う。延喜式自体は延長の前の延喜5年に編纂が始められた。つまり元号から取ったタイトルだな。ちなみにこれは比較的新しい写本だけど、仮に原本が見つかったら国宝級の代物になるかもね」
「アンタそんなの読んでナニが楽しいの……折角の高校生活、彼女でも作ろうとは思わないのかね少年」
「君には判らないだろうな。一生」
「判っちゃった瞬間にそれまでの人生のあらゆる楽しみが失われていくような気がするわ」
「失礼な奴だな」

 カモンが欠伸混じりにそう言ってハルの向かい側に座り、コンが淹れたての茶を持って来たところで、カモンから本題を切り出して来た。

「何故マヤの暦の計算が2012年で途切れているのか、それについてはある程度予想が出来るって言ってたな。まずそれから話してみろよ」
「うん――あ、ちょっと待って」

 ハルは通学鞄を開け、中からある小さなの機械を取り出した。

「なんだそれ」
「ICレコ~ダ~」
「なんだその声」
「モノマネじゃない。――ちょっと何よその目は! 話しが長くなった時の為に編集長から借りたのよ。メモ帳の時代は終わったわ。録音してもいいよね?」
「別にいいよ。コンも声だけなら人間と同じだし。マズイ事は何も無い」

 カモンにとってコンというデジモンの存在は、何が何でも隠すべき事でもないそうである。ただ敢えて晒す必要も無いし、晒したら晒したで何かと面倒だから隠しておくに越した事はない、と考えているらしい。
 当のコンはハルの手の中のICレコーダーをしきりに嗅いでいる。時折掛かる鼻息がくすぐったい。初めて見る機械なのだろう。普段は凛として冷静沈着、下手な人間よりも遥かに理性的だが、こういうところは獣らしく、また愛らしくもある。

「じゃ、録らせてもらうね。ポチッとな、と。――だから何よその目は!」
「いちいちオヤジ臭いんだよ」
「カモン、でもハルはパパとは全然違う匂いだ」
「コン、そういう意味じゃない。オヤジ臭いというのは――」
「こらこらこらこら! アタマからいきなりに雑談に入るな! てか誰がオヤジ臭いだコラ!」
「オヤジ臭いよ。さっきも座る時にどっこいしょって言っただろ」
「ぬぐっ」
「あと気心が知れた相手だからといって、短いスカートで胡坐は止した方がいい。カモンからは見えていないだろうけど、私からはパンツが見えている。日本女性は慎みが大切だ」
「それは違うぞコン。――僕からも見えている」
「だから雑談で埋めるなっつーの!」
「嫌なら自分で話題の転換を図ればいいだろ。努力もせずに、与えられるものだけを求めるな」
「そうだ。それは例えば、レディファーストを求める日本女性に似ている。レディとは淑女。淑女たらんとする努力もせず、ただ乞食のように与えられるモノを声高に求めるとはあさましい。そんな奴らはレディとは真逆の存在。ただの躾のなっていない子供だ。恥をしれ!」
「あ、あのねぇ……」

 ハルはこめかみが強かに脈打つのを感じた。
 教えを乞う立場とはいえ、何故自分と関係の無い話から恥をしれとまで言われなければならないのか。いや、というかそれ以前の問題である。こいつらは話を進める気が全くないらしい。完全におちょくられている。今ハルの側頭部にめきめきと浮かび上がる青筋は、理不尽な罵倒を受けた事に対する怒りではなく、煩わしい手で一向に話を進めさせまいとする二匹の厭味な狐どもに対する苛立ちの表れである。
 頼み事をされているという有利な立場を使ってやりたい放題、普段のカモンならば「知らん帰れ」で済ませるところを今日は下手に機嫌が良いからこういうことになる。
 いっそこの場で大暴れして家具一式をひっくり返し、そこら中で『G』の如く息を潜めているであろういかがわしい雑誌やDVDなど引きずりだして大々的な焚書運動に走ろうかとも思ったが、しかしそれでは全てが台無しになってしまう。これはハルだけの問題ではないのだ。NPCの問題でもない。
 人助けの為。
 そう自分に言い聞かせつつ、ハルは猛り狂う己のこめかみを指で押さえつける。

「どうしてマヤの暦が2012年で終わってるのか、その理由についてのアタシの予想の話だったわね」

 見遣ると、二匹の狐はもう遊びは終わりか、とでも言いたげな、実につまらなそうな顔をしていた。

「理由は簡単。暦の計算はまだ終わっていなかった……つまり、途中で終わらざるを得ない事情があったの。それは、マヤ文明の滅亡」
「ほう」
「高度な天体観測の知識を持っていたマヤの人々は、古から暦を作り続けていた……それこそ、自分達が死んだあとの未来の分まで。でもそんなある日、悲劇が起きた。その悲劇によってマヤの天文技術は失われてしまった。その悲劇とは――そう、スペイン人の襲来よ!」

 声を張り上げてキメたつもりだった。あわよくばカモンの「なるほど!」という驚きを持った肯定の返事を期待していた。
 だが、返って来たのは可哀想なものを見るような目であった。

「な、何よその目は!」
「そうか……いや――そうだな、君にしてはよく考えたな。うん。素晴らしい。頑張ったな」

 その、子供が一生懸命頑張って、それでも失敗してしまった時の慰めのような言葉は何だろうか。
 まだ一言も言われていないが、あからさまな間違いを思い遣りをもって指摘されたような気がして、急速に自分で自分がいたたまれなくなってくる。

「ハル。アステカ文明って知ってるか?」

 アステカ文明とは確か、その昔南米辺りの某所でそれなりに栄えたという、それはもう世界的に有名な例のあの文明のことである。

「知ってるわよそれくらい。それがどうかしたの?」
「インカ帝国は?」

 インカ帝国と言えば、その昔南米辺りの某所でそれなりに栄えたという、それはもう世界的に有名な例のあの帝国のことだろう。

「じょ、常識でしょ」
「そうだよな。じゃあ、アステカ文明とインカ帝国とマヤ文明の違いは判るか?」

 アステカ文明とは確か、その昔南米辺りの某所でそれなりに栄えたという、それはもう世界的に有名な例のあの文明のことである。
 そしてインカ帝国と言えば、その昔南米辺りの某所でそれなりに栄えたという、それはもう世界的に有名な例のあの帝国のことだろう。
 マヤ文明など言わずもがな、その昔南米辺りの某所でそれなりに栄えたという、それはもう世界的に有名な例のあの文明のことに決まっている。

「……あれ?」
「やっぱりな……」

 コンがやっぱりやっぱり、と繰り返す。――さっきから妙に侮るような視線を向けてくるのが気になるのだが、果てしてコイツは理解出来ているのだろうか。

「まずそこからだな……神話以前に世界史の勉強が必要みたいだ」
「うぐぬっ」
「これら三つは確かによく知らない人からすれば似ているかもしれないな。――いや、それでもインカは他の二つと明らかに違う。マヤとアステカは似ているが、インカは完全に別物だ。そもそもお前は三つとも南米辺りのものと言ったけれど、南米はインカだけだ」
「……え? そうだっけ?」
「そうだよ。マヤとアステカは中米、今のメキシコの辺りさ。あとは時代だな。時代に限っていえば、アステカとインカが近い。インカは15世紀に発生し、16世紀に滅んだ。その前身になるクスコ王国は13世紀にはあったけどね。一方、アステカは14世紀に発生し、滅んだのは矢張り16世紀。――滅んだ時期が一緒である理由は判るな?」
「今度こそ、スペイン人の襲来ね」
「そうだ。君の大好きなスペイン人の襲来」

 あと一週間はスペイン人の襲来ネタで弄られる予感がするハルであった。

「つまりスペイン人が中南米に侵略したのは16世紀のことなんだな。そもそもコロンブスが北米に至ったのが15世紀だ。この事実に対して、マヤ文明は2世紀頃には既にあったとされ、3世紀頃から9世紀前後までが繁栄期であるとされている」
「スペイン人が来る前に既に滅びてたってこと?」
「そうだな。繁栄期の後マヤの都市国家は連鎖的に衰退していって、王朝自体は9世紀から10世紀の辺りで滅んだそうだ。一応スペイン人が侵略してきた時まで一部都市国家は残っていたけど、強いて言うならスペイン人は火が消えた後のロウソクを片付けた程度だな。文明という火は既に消えていた」
「アタシはマヤをアステカやインカと混同してたってわけね」
「それに、お前が間違ってる点はもうひとつある。マヤが滅びる事と暦の計算が終わる事は同義じゃない」
「どういうことよ」
「スペイン人の侵入によって残っていた都市国家も全て滅んだけど、文明を構成していた民族の一部は今も生き残っているんだ。マヤの言語と文化を受け継ぐ子孫達はまだ生きている。暦の計算方法もな」
「じゃあ――じゃあ、マヤ文明はまだ滅んでないってこと?」
「厳密には文明の定義も一定じゃないんだけど、でも少なくとも一般的な感覚からすれば滅んだと言えるだろう。繰り返しになるけれど、それこそスペイン人が来る前にね。でも文化は生きている。文明が滅んでも文化が滅ぶ訳ではない――逆に、文明が健在でも滅びゆく文化はある。文明と文化とは必ずしも一蓮托生じゃあない」

 つまり、ハルの説の中にあった「マヤ文明はスペイン人に滅ぼされた」という事と「マヤ文明が滅びたから暦の計算が途中で終わってしまった」という事は両方ともハルの勝手な勘違いだったという事である。
 しかし、それならどうしてマヤの暦は2012年で終わっているのだろうか。

「どうしてよ」
「12月21日から23日くらいなのかな。滅亡説は下らないと思ってたから、正確には知らないけど。とにかく、そのあたりでマヤの暦が終わっている理由は明確だ。そこで一区切りだからだ」
「一区切り? 暦が? 一年――じゃないわよね。それなら毎年の筈だし。何の区切り? 一世紀、二世紀みたいな?」
「そうだなぁ。それに近いかもしれない。ただしケタが違うけどね。――そもそも、マヤの暦は三種ある。太陽暦、神聖歴、長期歴。この三つはそれぞれ用途が違っていたらしい」
「数字が絡むと見た。歴史の年号もそうだけど、アタシは数字が絡んだだけで記憶に障害が出る病よ。苦手分野ね」
「君に得意分野なんか無いだろ。順に説明すると、まず太陽暦は一年が約365日で終わる暦。厳密に言うと365.2412日で、この暦が現在通用しているグレゴリオ暦の365.2425日と殆ど誤差が無いことから、マヤの暦計算は正確だと言われている。ただし区切り方はグレゴリオ暦と違っていて、20日でひと月の18ヶ月ある。そこに不吉とされる余日の5日を足して365日だ」
「厭味から流れるように説明に入るその無駄に見事な手際が何よりの厭味だわ」
「ありがとう。続いて神聖歴というのは、これは『ひのえうま』とかの干支が入った暦に近いと思う。名前の付いた20の日付が13周する、一年が360日の暦だ。20とは人間の両手・両脚の指の数で、13は主要な関節の数だそうだ」
「13か。えーっと、主要って言うと、両手首、両肘、両肩、両股関節、両膝、両足首、あとは……腰? いやそれとも首? どっち?」
「顎関節かもしれないぞ。最後に長期暦。これが問題の暦だな。これは一巡りが非常に長い暦で、なんと約5125年」
「――は?」
「約5125年で一巡りするんだ。そしてこの暦は紀元前3114年8月13日からスタートしているらしい。マヤ文明がいつ頃からあったのか? 正確には判ってないけど、確実なのは2世紀頃だから、マヤ紀元年はまた随分遡って設定されたものだよな。どうしてそんな遡ったもんだかな。今の世界が生れるまでに3000年くらいは必要だろうとでも思ったのかな」
「そっか! 紀元前3114年に始まって……それで、えーっと?」
「約5125年で一巡り」
「5125-3114で……2011! ――ってアレ今年!?」
「相変わらずの愚鈍ぶりだな」
「ぎゃふんっ」
「紀元前は1年進むごとに数字が一つずつ小さくなるのは判ってるようだが、紀元0年は存在しないってことを知らないみたいだな。紀元前1年の次は紀元1年だ」
「え? えーっと……つまり?」
「紀元前3114年の3114年後は何年だ」
「えっと、そのまま数字だけで計算すると0になるけど、0年は無いから、紀元1年?」
「そう。この時点で5125-3114の引き算が済んだだろ。残ったのは2011。紀元1年の2011年後は何年だ」
「あ――そっか。それで2012年! なんという数字のトリック!」
「君が無知で愚かで鈍いだけだ。まったく……」

 いつも通りの罵倒である。既にハルは「無知」「愚か」「鈍い」あたりの言葉には耐性を持っている。コミュニケーションの一環としてリアクションを取る事もあるが、この程度は全く気にならない。ダメージになるのは寧ろ、そんな悲しい打たれ強さを身につけてしまった事実の方である。

「それで、日付の方は? どうして12月22日とかなの? 8月13日じゃないの?」
「ぴったり正確に5125年じゃなく約5125年だからな。厳密に算出したらそのくらいのおまけが付くんじゃないか。その終末論自体に興味がないから知らないけど」

 カモンはもう何度も興味が無いという旨の発言をしている。オカルトには興味が無いのだ。神話が好きでもオカルトには興味が無い――傍から見れば神話もオカルトの一部ともとれそうだが、少なくともカモンにとってはそうではないという事なのだろう。
 ハルが思い返してみるに、カモンの語る神話の知識は、物語ではなく民俗学・民族学の一端として語られているように思える。カモンが神話の中に見ているのはきっと、神や悪魔、魔法が存在するファンタジーの世界ではなく、それを創り上げた人間の方なのだ。
 一見人間嫌いにも見えるこの少年が好きなのは、幻想的で壮大な世界観ではなく、他でもない人間なのか。――いや。そうならば何故、自分以外はどうなっても知らない、という旨の発言をするのだろう。
ハルはカモンという幼馴染がよく判らなくなる。よく判らないものは――怖い。

 ――カモンが怖い? まさか。

 ふとして湧いた良からぬ思いを振り切って、ハルはまだ一つ目の話題の半分が終わったばかりである事を思い出す。
 今までの話は寧ろ民族学的な話で、それも矢張りカモンの得意分野ではあるのだが、神話に詳しい人間にしか判らないであろう事をまだ訊いていない。ネットを漁っても図書館に通っても判らなかった事。

「じゃー次ね。マヤ神話の、滅びと創造が繰り返される部分。そもそも、何故人々はマヤに終末論を幻視したか――っていうのが、今度NPCが記事にしようとしてる事なの。終末論が出た理由の一つは暦が来年で終わる事にあるけど、この神話の構造っていうか、つまり創造と滅びが何度もあるってとこも大きな理由になってると思うのね。何度も滅んで何度も創造があるっていう変わった構造こそが原因だと思うのね。何度も世界は滅んでますって言ってる傍ら、暦の計算が途中で終わってるんだから、じゃあ次はこの暦が終わってるところで世界が滅ぶのかって思うのは、無理のないことだと思うのよ。そんなもんが無けりゃ、暦が途中で終わってようがそんなのは偶々だって、余程終末を望んでない限り思う筈よ。そこの所為で変に説得力がある感じになっちゃってんのよ。そーいう訳で、そこについても教えて」
「そうだな、そこなんだけど」

 カモンは顎に手を当てて身を乗り出した。先程までのつまらなそうな顔とは一転、興味深げである。

「いいところに目を付けたよなあ」
「どういうこと?」
「確かにそこはマヤの――いや、アステカもそうなんだけど、その二つの神話の特徴的な部分だ。それでいて、何故そういう構造が生まれたのかということが判っていない。それが判ったら大発見だ」
「そうなの? アステカにもあるんだ」

 マヤとアステカの神話に共通する出来事。二つの神話――それを創った文明の共通点は、共に中米に存在したということである。
 近い場所に存在する――場所――土地――滅亡――判らないだろうが、と半ば諦め気味にそれらの単語を頭の中で泳がせていたハルは、突如として天啓を得た。

「――ねえ、あのさ、これは今思いついたんだけど、マヤ文明とアステカ文明って、時代は違うけど発生した場所は近いんでしょ?」
「そうだね」
「マヤの神話では今は何度目の世界なの?」
「今が五度目だそうだ。つまり四度滅んでる」
「じゃあさ、その辺りで何度か大きな自然災害があったとかは? 滅んだとされてる数だけさ」

 もし中米で大規模な自然災害が四度程あったのなら、マヤとアステカ両文明の神話で語られているという説明が付く。そう、マヤ文明とアステカ文明が存在した頃に、四度――。

「あ」

 カモンが答える前に、自分で自分の閃きの誤りに気付いてしまった。

「マヤとアステカは、存在した時代が違うんだっけ」
「そうだな」
「そっか。それじゃあ例えばマヤの時代に大きな自然災害が四回起きたとして、それがアステカにも伝わってるっていうのはおかしいか……」

 マヤが滅んだとされるのは確か10世紀頃。アステカが発生したのは14世紀である。連続して発生した文明ならまだしも、四世紀も間が開いているならマヤの文化や神話がアステカに引き継がれたとは考え難い。

「いや、そうでもない」
「へっ? じゃあ――」

 じゃあ自分はひょっとして考古学史に名を残すかもしれない大発見をしたのか、とぬか喜びしかけたが、余りにも冷静なカモンの顔を見て「そうでもない」とはそういう意味ではないということを悟った。

「そうじゃない。君が今思いついたようなことは、既に仮説としてはあったんだ。ただし、両文明が存在した辺りでそういった大規模な自然災害が起こった形跡は無かったそうだよ」
「なんだ……」

 既に誰かが提唱した説の上、既にきっちり否定もされていたらしい。

「じゃ、『そうでもない』ってのは何よ?」
「マヤとアステカは確かに存在した時代が違うけれど、この二つの文明が繋がっていないということはないんだ。というか、実際繋がっているんだよ」
「でも、四世紀も間があるんじゃなかったっけ?」
「マヤとアステカの間はね。でも、二つの文明の橋渡しをしていたらしい文明があるんだ」
「じゃあ、マヤとアステカの神話に共通点があるのは――」
「その文明のお陰だろうね。その文明はトルテカという。トルテカ文明はマヤの最盛期である7世紀に発生し、アステカが発生するより2世紀程前の12世紀に滅びたとされてる。矢張り中米に存在した文明で、マヤの民の一部はトルテカの民と共同で文明を築いたりもしたそうだ。そしてマヤの後に出てきたアステカは、トルテカを『偉大な祖先』としたという。トルテカの滅亡とアステカの発生の間には矢張り開きがあるけど、文明の滅亡と文化の滅亡がイコールでないことはさっきも言ったよな。それに文明の発生と滅亡の年代というのはあくまで遺跡等からの推測に過ぎない。形として残っていない部分は時代に記されないからな。文明の発生点・消失点というのは、あくまで不確かであるというのがどうしようもない事実なんだ。対して確実な事は、アステカの民はトルテカを知っているという事と――マヤ・トルテカ・アステカには、共通する神がいるという事」
「三つの文明を渡り歩いたって感じね」
「信じ伝える者がいる限り神は生き続ける。科学や実存主義の台頭は、それだけでは本当の意味での神の死を意味しない。神が死ぬ時は、信じる者がいなくなる時だ。そう考えると、その神は随分長く生きている。マヤの子孫の中にはまだその神を信じている人々もいるだろうしね。生れたのは紀元前1250年頃だとして、実に3000年以上も信仰されてきたわけだ」
「ちょっと待った」
「ん?」
「マヤは2世紀から、とかじゃなかった? なんで紀元前の1000年とかまで遡るのよ?」
「その神はマヤ以前から信仰されてたんだよ。マヤより更に昔、中米最初の文明と言われている、オルメカ文明で既に信仰されていた」
「マヤより昔があったの!?」
「別に不思議じゃないだろ。エジプトなんか紀元前3000年にはもう王朝があったんだから」
「不思議じゃないけど……その神様は、文明から文明にずっと語り継がれて信仰されてきたんだよね。長く続いた一つの文明の中で信仰されてるよりも、なんか、凄い気がする」

 その神を最初に生んだ文明が滅び、或いはその文明を造った民族の血筋も絶えたかもしれない。それでもその神は、人から人、文明から文明を渡り歩いて生き続け、今日まで信仰されているかもしれないという。
 凄い、と思わず口から出たが、凄く尊い神という印象から出た言葉ではなかった。ハルが抱いたのは寧ろ、凄く怖いという印象である。まるでその神が自ら生き続ける為に文明を食いつぶしているような、そんな不気味な印象を受けたのだ。

「参考までに。その神様の名前って?」

 ハルの心に芽生えた恐怖など露知らず、カモンは事も無げに答えた。

「ケツアルコアトル。名前くらいは聞いたことあるんじゃないかな」

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