R2-D2

乾の肆

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r2d2

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 放課後、部室棟に向かいながらハルは思い出す。
 一年P組の教室は二階。部室棟への渡り廊下は一階と三階にあり、NPCの部室は四階にあるから、ハルはいつも三階の渡り廊下を通って部室に向かう。階段を上っている最中である。
 NPCは結局、四月に起きた事件を記事にしなかった。あれだけの世間的にも大きく、且つこの学園の生徒が多大に関わっている事件が記事にならなかったのは何故か。
 それは、あの事件がまだ世間的には終わっていない、つまり犯人が捕まっていない事件だからである。NPCの部長の方針としては事件の謎を追うルポを事件終息後に記事にするつもりであったらしい。これはいい加減で無責任なことは書かないと云う、NPCの誇りのためなのだそうだ。
 しかしそんなことを云ったらそもそも自分達が在学中に犯人が捕まらない可能性もあるわけで、更に云うなら未解決で時効を迎えてしまうかもしれないではないか。ならばハルが追ったあの事件の記録は、殆どの割合で後輩達に残すための物だったと云うことにはならないか。実際、学園の歴史に残るような事件ではあるから、その手はありなのかもしれない。犯人が捕まらないのなら猶のこと、その間によからぬ尾鰭がついて何年も語り継がれることになるのだろう。終息したその日のために、発生当時の資料を残しておくことは賢明である。
 尤も、それらの資料が活用されるのは時効が来る日なのだろうが。
 あの事件は――きっとこの世で数人しか知らないことだろうが――もう終わっているのだ。これ以上学園の生徒が犠牲になることは無いし、犯人が捕まる事も絶対に無い。
 犯人は死んだのだから。
 犯人は人間ではなかった。犯人は、例のデジモンとか云う生物だったのだ。殺したのはカモンである。
 とことんまで事件と関わることを避けていたカモンが、何故最後の最後に出てきて犯人を討ったのか――それはいまだに謎のままである。カモンはただでさえ面倒事を嫌うし、目の前で他人が苦しもうが死のうが知ったこっちゃないと云う少年だから、善行のたぐいではまずあり得ない。では打算があったのかと云えば、それも矢張りあり得ないだろう。あの事件を自らの手で終息させたことで、彼が得をすることなど何も無いはずだ。本人もそれについて語る気は無いようだから、恐らく永遠に謎のままだろう。
 シマ子は何か思い当たるフシがあるようだが、何故だかハルには教えてくれない。尋ねたところで「私が云う訳にはいかないよ。ぷう」と返されるばかりだ。ところでぷうって何だぷうって。
 だからその謎はそれとして、現在のハルにはかの事件と関連して気になることがもう一つある。
 それは、「デジモンは人に危害を加えかねない存在だ」と云うことだ。
 そもそもハルとデジモンの出会いは七、八年前にまで遡る。
 ある日いつものようにカモンの父が宮司をやっている神社、千引神社へ行くと、そこには見慣れた幼馴染と見慣れぬ生き物がいた。
 その見慣れぬ生き物は全身を金色の体毛に覆われていて、体は小型犬程の大きさ。マシュマロに手足と耳、尻尾が生えたような形をしていた。幼いハルが今までに見たどの生き物とも違う、実に珍妙な獣。強いて云うなら尻尾が狐に似ているから、狐の仲間なのだろうと思った覚えがある。
 ハルは暫く、そのちょこちょこと境内を走り回っては転ぶ金色の狐もどきを眺めていた。
 そのうち賽銭箱の横に腰掛けていたカモンがハルに気付き、「コン」と呟いて立ち上がった。狐もどきが声に反応してカモンにちょこちょこ走り寄って転んだことから、コンとはその狐もどきの名前なのだと判った。そしてカモンは引っ繰り返って起き上がれなくなっている狐もどきを抱えあげると、ハルの前まで来てこう云ったのだ。

 ――こいつはデジモンと云う生き物だ。名前はコンと云う。

 その後カモンからデジモンとはなんぞやと云う話を、ついこの間まで聞こうと思ったことすら無かった。よくわからんものだと納得して、それで自分の日常に取り込んでしまっていたのである。元々余計なことが気にならない性質でもある。
 だがあの事件を知ってしまっては、否が応にも関心を持たざるを得ない。ハルはこの世界にどれだけのデジモンがいて、そのデジモン達はどのような性質で、どこで暮らしているのかを知らない。だが万が一人と接触する可能性があって、また人に危害を加えることもあるならそれは――コンと云う個体を知っているからこんな云い方をしたくはないが――害獣ではないのか。
 今後も、デジモンが人に危害を加える事件は起こるのではないか。或いは以前にもそれがデジモンの仕業だと判っていないだけで、実際はデジモンが起こした未解決の事件があるのではないか。
 それともあの事件の犯人が余程特殊な例だったのだろうか。ハルには判らない。判らないことが多すぎる。カモンは何も教えてくれない。何も。
 カモンはどのようにしてコンと出会ったのだろうか。どうしてデジモンと云う名称を知っているのだろうか。カラス天狗と知り合いらしいが、何時どこで知り合ったのか。魔道とは何だ。そこに堕ちるとは。あれ程嫌がっていたのに、どうして身の危険を冒してまで犯人と対峙したのだろうか。人に匹敵する知性を持つ生き物を殺すのはどう云う感覚なのか。何を――思ったのか。十年以上も一緒にいて、ハルはカモンはが自分の気持ちを吐露するところを見たことが無い。楽しい時はそれは楽しそうに笑うのだが、平時が不機嫌そうだから、負の感情が際立って表に出ることも無い。ハルはカモンの負の面を見たことが無い。
 だからと云って――カモンには負の面が全く無いと云うわけでもないのだろう。きっとこれもデジモンと同じなのだ。自分が知ろうとしなかっただけなのかもしれない。そして、知らないから存在しないものと思い込んでいたきらいはあっただろう。
 知らないから存在しないものと思い込む。その発想を得るにつけ、ハルはこれがデジモンにも云えることではなかろうかと気づく。
 世間的に、デジモンなどと云う生物はいないことになっている。多分殆どの人が知らない。メディアで騒ぎたてられたことも無い。デジモンは世間に認知されていないのだ。これはデジモンが滅多に人前に現れないと云うことにほかならない。
 勿論、先ほども考えた通り、デジモンと気づかれていないだけだと云うケースもあるだろう。この間の事件だって人の手になる殺人事件だと思われている。
 そう云えばコンは人に化ける能力を持っている。これは果たしてコンだけの能力なのか。他のデジモンも当たり前のように持っている能力ならば――或いはデジモン達は人に化け、人として人の社会で生きているのかもしれない。そう思うと、正直ぞっとしないこともない。人間の中に人外のモノが紛れている――それも人を襲うこともあるモノ。まるで妖怪ではないか。もしや絵巻などに登場する妖怪達の正体はデジモンで――。

「ぎょ」

 ハルは思わず立ち止まる。少々物思いに耽り過ぎたようである。ここは何階だろうか。
 踊り場の窓から覗くに、とても景色がよい。学園の周囲に広がる田んぼから点在する民家、遠くの山の麓までよく見える。地上は遥か下方である。若干霞んで見えないこともない。
 明らかに上り過ぎだ。
 ハルは小さくため息を吐いて回れ右をし、スカートの裾が広がるのも気にせずに急いで階段を下り始める。NPCの部長は神経質で時間にうるさい。
 耳元で妙な音が聞こえたが、そんな些細なことを気にする余裕は無い。
 金属が擦れ合うような、ひどく耳障りな音だった。


















 ハルが渡り廊下に差し掛かると、その中腹あたり――丁度ハルとシマ子が昼食を取っているベンチの前で、ひと組の男女が会話していた。
 女子はこちらに背を向けているので判らないが、男子の方はハルの知っている人物であった。

 ――足立君じゃん。ゲイの。

 足立はゲイだから、異性と二人きりでいるからと云っていちゃついている訳ではあるまい。それともまさか――足立は、噂に聞くバイ・セクシャルと云うやつなのだろうか。男女に拘わらず人を愛せると云うことは素晴らしいことだとハルは思った。
 或いは恋の相談か。異性に恋をしたならば同性でその道に達者な友人にでも相談するのが常だが、足立の場合は恋の対象が同性だから、その落とし方を心得ているのは異性と云うことになり、つまり恋の相談をすべき相手も異性と云うことになる。一風変わった性癖を持つと苦労も多いようだ。
 足立に心の中で労いの言葉を掛けつつ、ハルは出来るだけ話に聞き耳を立てずにその場を通り過ぎようと決めた。他人の恋を詮索する行為は甘美な匂いに満ち満ちていかにも魅力的だが、無粋極まりない愚行でありレディーとしての品位を落としかねない。ここは興味があっても無いフリをするのが高潔な魂への第一歩となるのだ。
 しかし歩を進めるうちに距離は詰まってゆくわけだから、そのうちに自然現象として話の一部が耳に入ってしまうのは仕方がない。
 ハルはあくまで仕方なく、大事なことなので二度云うが仕方なく、二人の会話を耳にすることとなった。

「――でね、ナイフが弾き飛んだとこが丁度写真に写ってたんだけどね」
「狙って撮ってたのか? あれ一瞬以下の出来事だったけど」
「ううん、テキトーに撮りまくってたら偶然。――で、よ。何が写ってたと思う?」
「いや知らねぇよ」

 ――何の話……?

 恋の相談かと思いきや、ナイフだ何だと物騒である。そう云えば今日の昼休みに学食で大立ち回りがあったと聞いたが、もしやそれに関わることだろうか。

「土屋先輩――いいえ、〝あの土屋とか云う奴は正真正銘の化け物よ〟。これを見て」

 ――土屋? 化け物?

「ああ――あ、伊礼」

 直二人の真横に差し掛からんと云うところで、足立と目が合った。

「や、やあ足立君……」
「う、うん……」

 足立はバツが悪そうに視線をあちこちに飛ばしている。何せ二人は性癖を告白した・告白されたと云う間柄である。ハルとしても非常に居心地が悪い。だから早々に立ち去ろうとしたのだが、それは足立と話していた女子の「伊礼ぃ!?」と云う裏返った声に阻まれた。

「おのれNPC! これはゴシ研今世紀最大のニュースなんだかんね! 一体どこから嗅ぎつけたか! この薄汚いメスハイエナめ!」
「メスハイエナ!?」

 振り返ると共にボブカットの髪がふわりと宙に舞う。猫のような目、左目の下の泣き黒子――ローズピンクのデジカメを持ったその女子は、同じクラスの佐倉九重であった。
 詳しい意事情は呑み込めないが、彼女がゴシップ研究会の一員であり自分を敵視していると云うことだけは判った。メスハイエナとは何たる侮辱か。佐倉九重とは一、二度言葉を交わした程度の仲だが、売られた喧嘩は買わねば気が済まない。

「な――何よメスハイエナって! って云うかゴシ研のニュースなんか知らないわよ!」
「嘘つけバーカ! 貧乳! ハイエナはハイエナらしくラ●オンキングに出てればいいのよ!」
「ひ――ア、アンタだって似たよーな癖に! 寧ろアンタの方が無いじゃない! 何それまな板? まな板ですか? まな板ならまな板らしくその大根脚乗っけて刻んでればいいのよ! ライ●ンキングなんか出るかー!」
「なんか!? 体はともかくウチのフェイバリット・ムービーをバカにするなあああああ!!」

 佐倉九重は猫のようであった目を悪鬼の如く釣り上げると、デジカメ片手にハルの頬をつねり上げる。

「ぎょむんっ!? ふぁにふんのよぉー!(訳:何すんのよ)」

 ハルは両手が自由な点を生かし、両手つねりで対抗する。

「ぎみいぃぃぃ!! ふぁへへむぁるむぉふぉくあー!(訳:負けてなるものか)」
「お、おい二人とも止せって! てか何でこんなことになってんだ!?」

 突如勃発した女の戦いに、足立はただおろおろするばかりである。手を掛けて二人を止めようと試みるも、その剣幕に押されて手を引く。やや冷静さを取り戻して「アタシは何をやっとんじゃ」と空しい気持ちになってきたハルとしては力づくでも止めてもらいたいところだが、如何せんこの男と来たら頼りない。肝心な時に役に立たないその姿は、兄と思われる足立四郎を彷彿とさせる。絶対に兄弟だ。

「ほへははらおふぉふぉっへやふはー!(訳:これだから男ってやつは)」
「ふひほほひんはふぉふぁふぁひふふはー!(訳:ウチのシンバをバカにするな)」
「ふぁほんほふぁふぁー!!(訳:カモンのバカ)」
「ふぁふふぁふぁふぁふぁー!!(訳:これはペンです)」
「ふぁふぁひほほほほーほほっへんほほー!(訳:彼はトムです)」
「はへはふぁふぁひほほへへふぁんへふー!(訳:いいえ、それはトムではありません。机です)」
「落ち着け二人とも! 訳がおかしなことになってるぞ!」

 足立は遂にパニックを起こしたのか、わけの判らないことを口走っている。喧嘩を前にして当事者よりも恐慌するとは、何と女々しき男だろうか。
 そしてパニックを起こした足立はハルの後方に目を止めると、またもわけの判らないことを口走った。

「おい、伊礼――そいつは何だ?」

 足立は目を見開き、ぷるぷる震えながらハルの後ろを指差している。開けっ放しになった口許がわなないている。

「ふぇ? ふぁに? ふぁに?(訳:え? 何? 何?)」

 何だと問われても、今のハルの顔は佐倉九重にぎっちりつねり上げられて自由が利かない。後ろを振り向こうにも振り向けない。こちらこそ何だと訊きたい。ただ足立の様子を見るに、先ほどの訳が云々とはわけが違う何がしかの事態が起こっていると云うことは推測出来る。

「ひひはへんははひははいほー!(いい加減離しなさいよー!)」
「おい二人とも! 何か判らないけどヤバい! すぐに止めろ! 逃げなきゃヤバい!」

 佐倉九重は力んでいるのと痛みに耐えているので思いっきり目を瞑っている。だからハルの後方で何か異常が起こっていたとしても彼女には認識出来ない。つまり今この場でそのヤバい事態を認識出来るのは足立だけなのだから、その足立が具体的に何がどうヤバいのか説明しなければいけないだろうに。ただヤバいヤバいと云っているだけでは判らないではないか。本当に役に立たない。
 いっそ佐倉九重を蹴飛ばしてでもこの膠着状態を脱却しようかと考えた時――ハルの耳に、階段の踊り場でも聞いたあの音が聞こえてきた。
 金属が擦れ合うような音。
 耳障りな音。
 ジャラジャラだろうか。ゴリゴリだろうか。何と表わしたらよいものか。
 音自体は甲高く、それでいて音を奏でているものは重たいような。何か硬いものを引きずるような――。

「伊礼ッ! 危ねぇッ!」

 いきなり足立が飛び掛かって来た。
 足立の体は佐倉九重を押し倒し、佐倉九重の体はハルを押し倒す。
二人分の体重に押されてコンクリートの上に倒れ行く途中――ハルは、佐倉九重の手からすっぽ抜けたデジカメが宙を舞うのを見た。
 決して曇りえぬ梅雨の晴れ空の陽光を受けて、ローズピンクのボディが鮮やかに煌めく。

「いでぇっ!」

 後頭部を強かに打ち付けて、ハルは品の無い声を上げてしまう。

「そして重ッ!」

 体の上には佐倉九重と足立。あまりの重みに耐えかねて、ハルは佐倉九重を脚で退けるようにして這い出る。

「何なのもう! ヤバいって何が――」

 折り重なってうつぶせに倒れる足立と佐倉九重。佐倉九重の背の上で横向きになった足立の顔は――引き攣ったまま硬直していた。

「か、か……」
「足立君!?」

 硬直した足立の口からは、ただ空気の漏れる音だけが聞こえてくる。それに混じってあの耳障りな音も。
 さっきより激しく、唸るような音。例えば金属の鱗を持った大蛇がとぐろを巻けば、こんな音がするのかもしれない。
 ハルは身を起して辺りを見回す。別段変ったものは何もない。コンクリートの足場。いつもシマ子と一緒に昼食を取る木製のベンチ。剥き出しの鉄柱。空。風。あの音を奏でるようなものは何も無い。
 だが音は止まず。一層激しくなって。

 ――何が起こって……。何か、いる……?

「あー!? ウチの、ウチのデジカメはぁー!? どこっ!? どこなのっ!?」

 佐倉九重は足立の体の下でじたばた足掻いている。這い出んともがいている。
 音はどんどん大きくなってゆく。ハルはもう一度、目を凝らして辺りを観察する。矢張り何も無い。何もいない。
 部室棟から誰か出てきた。誰だこんな時に。何が起こっているかも判らない時に。足立は苦しそうな表情で何かを云わんとしているが、その口からは矢張り空気の漏れる音しか聞こえてこない。佐倉九重は漸く足立の体の下から這い出てきた。
 部室棟から出てきた人影が近づいてくる。
 人影の跫。
 足立の呼吸音。
 佐倉九重の制服がコンクリートと擦れる音。
 そしてあの音。
 異常は目に見えない。だが確実に聞こえている。何かしらは起こっている。何が。
 あの音。
 跫。
 ベンチ。
 鉄柱。
 ベンチ。
 空。雲ひとつ無い空。――今日の予報は一日中雨ではなかったか。
 跫。
 鉄柱。
 あの音。
 甘ったるい声。

 ――甘ったるい声?

 その声は人影のものだった。

「あなた達どうしたのぉ? よく判らないけど――大丈夫? 特にそこの男の子……」

 ハルはフと人影を見る。低い体勢を取っているので、自然と足元から順に見上げる形になる。
 すらりとして、それでいて適度に肉の着いた長い脚。体の正中線の真下を踏む足取りによって形のよい膝とふとももが擦り合わされ、見ている方が恥ずかしくなるくらい丈の短いスカートに包まれた腰を扇情的に揺らす。その腰の横でひらひらと揺れるのは白魚のような指。白磁のように透き通った肌理細やかな肌。同じく白く細い腕に挟まれてうはうはしているのは、すっきりと絞られたウエスト。そしてその上にふんぞり返って鎮座ましましているのは――。

 ――あら、美味しそうなメロンがふたっつも。

 二つのメロンは、制服の下からいいように張り出して好き放題自己主張している。
そしてそのやんちゃなメロンちゃん達の所為でボタンが閉まらないものか、制服の胸元は大きく開けられ「見たくば見よ。眩しすぎて直視は出来ないだろうがな。ふはは」と云わんばかりである。なんと横暴なメロンちゃん達。けしからん。
 かの文豪・太宰治氏の傑作「走れメロス」の書き出しと云えば「メロスは激怒した」だが、今のハルは「メロンに激怒」している。それほどまでに許しがたき邪知暴虐なメロンちゃん達なのだ。
 しかし一介の女子高生に過ぎないハルにとって、メロンは手の届かない贅沢品である。二玉となれば尚更だ。手に入れたくても届かない高根の花である。燦然と輝くみずみずしい二つの球体はあくまで「食べてもいいのよ」と妖艶に微笑むのだが、それでいて何者をも寄せ付けない威光を放っている。手を差し伸べられているのに近づくことすら適わない。尊すぎる。
 まるで阿弥陀様のようだ。お釈迦様のようだ。慈悲に満ちた光は我々の心に救いを齎すが、だからと云って我々はかのお方達の領域に至る事が出来ない。
 あのメロンちゃん達のうち、どちらが阿弥陀様でどちらがお釈迦様なのかしら。右が阿弥陀様で左がお釈迦様かしら。いやいや右こそお釈迦様で、左こそが阿弥陀様かしら。阿弥陀様とお釈迦様ではお釈迦様の方が偉いのだったか。でもメロンちゃん達は右と左で同じ存在だから、あの子達の間に優劣や上下はないのだろう。そうに違いない。左右で別れているのだから、上下の区別などあろうはずもない。メロンちゃん達は等格なのだ。二つともお釈迦様なのだ。ご慈悲と悟りのパワーは二倍なのである。ならばそのお釈迦様の二倍のパワーを備えた御方とは、一体どのような貴人なのだろう。きっとどんな偉大な預言者も救世主もひれ伏すような、まさに神に呼ぶべき存在に違いない。天上天下の遍くメロンを司る、万物の根源であり全とイコールであるメロン神さまよ。そのご尊顔を拝謁賜わらんことを願う。
 ハルはメロンちゃん達を惜しみつつ視線を上に移動させる。最早それ単体でもたまらない色香を発している首筋――道に落ちていたら人目もはばからずむしゃぶり着いていたことだろう――の、さらに上。形の良いおとがい。ふっくらと艶めくくちびる。風に流れて川面の如くきらめく柔らかな髪。小さくまとまった愛らしい鼻。濡れたような睫毛に縁どられた眼窩。その奥にあるのは、この世のあらゆるうつくしいものを集めてその上澄みだけを掬い、純銀のボウルに流し込んだような透明感と深みを兼ね備えた瞳。
 ハルはこれ程までにうつくしい人を見たことが無い。否、うつくしいと云う言葉すら失礼にあたる。何故ならこの方は全知全能のメロン神さまなのだから。幾万の美辞麗句で讃えようともきっと言葉が足らない。それでも一言感想を求められたなら、ハルは迷わずこう云うであろう。
 負けました――と。
 ハルが本能的に無条件降伏したその時、メロン神さまはハルの目の前で立ち止まられて可愛らしく小首を傾げ、天から降り注ぐような御声を発せられた。

「あら、ユッキーね」

 ――ユッキー?

「はじめましてぇ。私、二年の鳥居ね。よろしく」

 そうか。このお方が学園の――否、この世のあらゆる美と性をほしいままにしていると名高いあの鳥居先輩なのか。鳥居先輩とは、メロン神さまがこの世に顕現なされる際に御取りになる御姿なのだ。
 ハルは反射的に直立し、どうも一年の伊礼です、と慇懃な挨拶をする。メロン神さまからはとてもよい芳香が漂いあそばしておられる。

「ウチのデジカメ! ウチのデジカメェー!? 今世紀最大のスクープがぁー!!」

 佐倉九重はデジカメを求めてその辺をうろうろし始めた。

「か……か……!」

 足立はメロン神さまを見て何やら眼の色を変えたが、相変わらずその口からは空気の音しか聞こえてこない。どう云うわけか彼はそれ以外の行動を取ろうともせず、手も足も動く気配が無い。
 いつの間にかあの耳障りな音は聞こえなくなっていた。
 ハルは、これもメロン神さまの御力なのだろうかと思った。








第三幕 人の有為 に続く   



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