R2-D2
ACT.41
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村を包む灼熱の炎。その炎の海、揺らめく陽炎の中を動く影が二つ。
「プッカさん! こっちにもまだ息のある人が!」
「ハア……ハア……待ってろよ……今行く!」
青き幻竜ブイドラモン、そして村の青年ジョブス。
シャーリーを炎の外へと避難させたプッカは、辛うじて難を逃れたジョブスと共に救助活動を始めたのであった。
デジタルワールドにやって来た人間は、その肉体の構成因子をデジタルデータに変換される。つまり、命を失う際にはデジモンと同じようにデータの塵と帰すのだ。
爆撃とその炎によって命を落とした村人達。彼らの肉体を構成していたデータは、図らずとも救助にあたっていたプッカの身にロードされることとなる。結果、彼らの命はプッカ血肉となり、進化に至らせ、一人でも多くの生存者を救うための力となった。
散った者達の命が、残った者達の命を守るのである。
この時点で既に十数名の命を救ったプッカだったが、その眼からは涙が絶え間なく流れ続けていた。
ACT.41 Bombing:6
~新たな旅立ち/鋼の頂で~
「なぁ珠生」
塵と消えゆくセントガルゴモンの遺骸を眺めながら、歩が話しかける。
「アイゼンベルクをブッ潰すってよー……マジ?」
珠生が己の覚悟として語っていた言葉。憎しみを堰き止めるために、アイゼンベルクと八神友をブッ潰す。今回のことでアイゼンベルクに強い怒りを抱いた歩としては反対というわけではないが、流石にことがことなので念のため確認しなければならないと感じたのだ。
だが、珠生の答えはあまりにもあっさりしたものだった。
「ああー……あれね、ウソウソ」
珠生は手をヒラヒラと振りながら、アッハッハーと笑ってみせる。
「ウソだあ!? ちょ……お前、そう言って啖呵切ってたんじゃねぇかよ!?」
そう。珠生は、確かそれが自らの覚悟であるかのように言っていた。それが嘘? 歩は珠生のあの啖呵に男気というか、ある種の憧れのようなものを抱いてしまったというのに。あの場でわざわざ偽の覚悟を語る意味が分からない……いや、それもハッタリの一部だったのだろうが……それをカッコ良いと感じてしまった歩としては、困惑というよりもむしろ裏切られたような気持ちになる。
そんな歩の心中を知ってか知らずか、珠生はその真相をまるで他人の思考をなぞるかのように語り出すのであった。
「それを説明するには、今回のD-スペックの一連の流れを解説するひつようがあるね。ちょっと長くなってしまうけど、セントガルゴモンはマシーン型。装甲に絶縁処理を施していても、やはり電撃に弱い。それならテンドウのいない今、ウィズの電撃で倒すのが一番効率的……いや、むしろ唯一の手段だった……でも電撃を通すには、装甲を一部でも破壊する必要がある。そして、あの頑丈な装甲を破るために僕が必要だと思ったことは二つ……一つは高い攻撃力。そしてもう一つは、その攻撃力をありったけブチ込めるだけの隙。そして、一つ目を満たすのがライズグレイモン。二つ目を満たすのがデスメラモンのヘヴィーメタルファイヤーだったわけだね」
「D‐スペックは、ヘヴィーメタルファイヤーで吹き付けた重金属が冷えて固まるまでの時間稼ぎだったというわけだな……一見するとD‐スペックを軸とした策のように思えるが、メインはあくまで二体の完全体とは……」
練りに練られた珠生の策。その緻密さに、思わずテンドウも感心する。
「それと……D‐スペックには、ハッタリ以外の意味もあるんだ。いや、どちらかというとそっちの方がメインなんだけどね」
何やら勿体ぶる珠生。D‐スペックの本当の意味が、明かされる。
「ハッタリ以外の意味……?」
八重は思わずドキッとしてしまう。珠生が、自分の方を見て言ったからだ。まさか自分に関わることとも思えないが……先ほど告白じみたことを言ってしまった手前、目が合っただけでも心拍数が上がってしまう。
「D‐スペックはダウト・スペシャル。それは変わらない。でも、これで本当に騙したかったのはセントガルゴモンなんかじゃない……本当に騙したかったのは、僕の心なんだ」
「えっと…つまり、どういうこと?」
「この策を実行するためには、セントガルゴモンの装甲に亀裂を生じさせるだけの攻撃力が必要だ。そのためには、どうしてもヘリアンを完全体に進化させなければならなかった……だから、進化に必要なものを〝造った〟んだ」
「進化に必要なものですか……デジヴァイスを通じてデジモンに流入する心の力、ですね」
「そう……僕は今まで、それが何か分からなかった。でも歩とモユルを見ていて気付いたんだ……その心の力っていうのは、ある種の〝覚悟〟なんじゃないかってね」
「えー? オラ、覚悟したかなー」
「違うだろ。たぶんオレの覚悟、ってこった。……でも、てことは、珠生は〝覚悟を造った〟ってことなのか?」
「そうだね……憎しみを堰き止める。この覚悟こそが最大のダウト。デジモンの進化には、パートナーが何かしらの覚悟を決めることが要る。なら何でもいいから覚悟を造り、その偽の覚悟で自分の心、そしてデジヴァイスをも騙すことが必要だったんだ」
これが、D‐スペックの真相である。偽の覚悟によって、自らの心とデジヴァイスを騙す。アイゼンベルクをブッ潰すだの、八神友をブッ潰すだの、憎しみを堰き止めるだのは偽の覚悟に過ぎない。
人によっては、これをとんでもない打算であると罵るかもしれない。信念を捏造してまで生き残りたいのか、と。信念をコロコロ変えてしまう卑怯者となんら変わらない、と。
そして、幼い頃の珠生なら、やはりそう思ったかもしれない。昔の珠生は、どんな時でもたった一つの信念・理想を貫くことこそが最高の道徳であり、男らしいと考えていたのだから。だが、「あの一件」以降……感情と正義感のままに行動した自分のせいで、両親を泣かせることになってしまったあの一件以降、珠生はその価値観を変えた。珠生があの事件から得た二つの教訓。一つは、憎しみの連鎖は何としても避けねばならないということ。そしてもう一つは、〝本当に大切なものを守るためなら、自分の気持ちに嘘をつくことが必要になる場合がある〟ということ。自分が苛めに耐え抜けば、あるいは気持ちを押し殺して、もっと慎重に上手い方法を取っていれば、両親は傷つかずに済んだ。憎しみに任せて戦うことは最も避けたいことであるが、自分の信念を尊重してくれる仲間達を守るためならば、それも止むを得ない。
自分の気持ちに対する嘘。それこそがD‐スペックの真髄。
理想は、人が人として生きていくために必要不可欠なもの。だが、それより大切なものなどいくらでもあるのだ。
「ね、ちょっといい?」
ここで一区切りと判断したのか、それとも理解力がついていけなくなったのか、八重が小休止でもいれるかのように質問する。
「その作戦はさあ……一体〝いつ〟考えたの?」
珠生は、最初戦うことを躊躇していた。その時に「実は作戦練っていましたあん!」というのは、珠生の性格からすると考えにくい。だが、躊躇していた時点から「D-スペック」という単語を出すまでのスパンはあまりにも短い。その僅かな間に、戦う気が無かった者があれだけ論理的で、かつリスキーな策を練られるものなのだろうか?
「んー、君が『好き』って言ってくれた直後くらいから、かな」
どうやら練られるものらしい。
いや違う。大事なのはそんなことではない。今、何か問題発言があったような気が……。
「ちょ! ちょっと! アレは『そういうところが好き』って言ったんだってば! だからそ、その……珠生のことがす、好きってわけじゃ…」
「オーケーオーケー。分かっているとも……だからキスをしよう」
顔を赤らめてわたわたと手を横に振る八重。そして、そんな様子が目に、言葉が耳にそれぞれ全く入っていない珠生。
「ちょっと待てーーーい! どうしてそうなる!? 一体どういう……ってか、寄るな! ジワジワと寄るなってばあー!」
八重ににじり寄る珠生の顔は、下卑た笑いを何とか抑え込もうとして通常ではありえないほどに歪んでいる。例え八重が本当に珠生を好きだったとしても、これは受け付けられないだろう。というか、端から見たら完全に変質者のそれである。
「大丈夫だよ……ちゃんとマウス・トゥ・マウス。生易しいもので済ませる気はないさ」
「た、珠生くーん? 何やら日本語がおかしくなってるんじゃ……ってぐああああ! しまったッ! 捕まった!?」
「ほらもっと力を抜いて……いつもしているように」
「いつもって!? いつもっていつ!? そして 何 処 を 触 っ て ん だ コラコラコラァー!! 関係ないでしょそこはぁッ! ……違うそっちじゃない! その指だッ! 指ッ!」
「八重ちゃん! いつもって今さ!」
「うるせぇーーー! ちょっとテンドウ! てかむしろ皆! 見てないで助けてよー!」
「フッ……こうも見せつけられちゃあな……やれやれだぜ」
「無粋なことは出来ないでゲスよ。やれやれでゲス」
「オラ達邪魔者なのかもなー。やれやれだなー」
「え? オナラ? ……もうー何言ってるんですか全然してないですよそんなの。意味が分からないです。スカしてないです。全然臭くないし……え? 違う? ……ええ、とてもお似合いですよお二人とも。臭いはだから全然しないですよ。そもそもオナラじゃないって言ってるでしょ。心から祝福します。……うわ臭っ! ……やれやれですね……腐ったニラみたいな臭いがする」
「八重……珠生……三人でバカやるのも楽しかったし、オレはそんな日々が好きだった。でもな、オレはお前らのことをを応援しようと思う。だってマブダチ二人がいっぺんに幸せになってくれるんだぜ? こんなに嬉しいことはねぇよ。ああ、でも……二世ができたら、その時は真っ先にオレに知らせてくれなきゃヤだぜ」
「おッ……お前らこんな時だけ空気読んでんじゃねぇーーーーーー!!」
珠生達がひと段落しているところに、プッカやジョブス、そして気がついたシャーリーがやって来た。
彼らの報告によれば、セントガルゴモンの爆撃で村の家屋の八割が倒壊・全焼し、生き残った村人はわずかに三十名足らず。元々人口の多い村では無かったため、この爆撃によって村は致命的なまでのダメージを受けてしまったのである。
このことを聞いた珠生達は勿論ショックを受けたが、最もショックを受けていたのは言うまでもなく静香であった。自分がいたせいで、自分によくしてくれた大勢の村の人びとが命を落としたのだ……。「あなたは悪くない」。そう言うのは誰にとっても簡単なことであったが、それが今この状況で彼女の心を救うことになるとも思えない。だから、誰もその言葉を発することは出来なかった。下手をすれば、彼女は今にも泣き出してしまうだろうから。それを堪えているのが分かるからこそ、珠生達には何も言えなかった。
「じゃあ皆さん、本当にお世話になりました」
「ました」
再び来訪者を求める旅に出ようとする珠生達に、ジョブスとシャーリーはペコリを頭を下げる。
「なぁ、アンタ達はこれからどうすんだ? こんな焼け野原で暮らすのかよ」
歩の質問はかなり不躾なものだったが、それは生き残った村人の置かれた過酷な状況を素直に表すものでもあった。だから、今度ばかりは八重それを訂正させるようなことはしない。
「僕たちは、ここで生きます。僕らの村ですから……ここが。また新しく家を建てて、また畑を耕して……ああ、焼き畑になってちょうど良いかもしれませんね……生き残った者達で恋をして、愛を育んで、子供をつくる。……珠生先生、あなたからロマンチックのなんたるかを学んでおいて良かった」
「しずかおねえちゃんはー?」
シャーリーは、珠生達と共に村を発とうとしている静香を見つめる。
そして、静香はしゃがんでシャーリーに目線を合わせると、まるで物語でも読み聞かせるかのように優しく、ゆっくりとした口調で話す。
「おねえちゃんはね、これから世界中を見てくるの……村の皆のお手伝いが出来ないのは残念だけど、でも……」
また、アイゼンベルクが自分のスピリットを求めてやって来るかもしれないから。
「おねえちゃんは〝風〟だから。ずっと同じところにはいられないんだよ」
風のスピリットを珠生達に託すということも考えた。だが、それでは珠生達に厄介事を押し付けることである。彼らは、自分達はどの道これからアイゼンベルクと戦うことになるから構わない、と言ってくれたが、その厚意には甘えられない。これは自分一人が背負わねばならないこと。だから、彼らと旅路を共にすることも断った。もう、誰にも迷惑をかけたくない。一人に、なりたい……。
「……またあえるの?」
「うん! 世界中を回ったら、きっとまたここへ来るよ。……おねえちゃんは、風だからね」
こうして、珠生達と静香はそれぞれ村を後にしたのである。
余談ではあるが、この静香の〝村を離れる〟という選択は、今後の珠生達の運命に大きな影響を及ぼすことになる。だが、それはもう少し後のお話……。
ディレクトリ大陸の南に位置する半島。その半島は、地形のほとんどが一連なりの山脈で占められている。例えば空からこの大陸南部を眺めたならば、半島ではなく、ある種のフィヨルドのように見えてしまうかもしれない。
そして、その山脈半島にアイゼンベルク(鋼の頂)と呼ばれるエリアはある。
かつては山間にひっそりと佇むプラントエリアであったアイゼンベルクは、今や山脈の六割ほどを占拠するほどにその範囲を広げていた。山を削り、平地を造って施設を増設。更には山の中を掘り進み、超合金クロンデジゾイドの精製に必要な鉱物を根こそぎ掘り起こさんとする。山脈という一見工業には不向きな土地が、この大陸で唯一のプラントエリアとなっている理由。それが、この豊富な鉱物資源なのである。
このアイゼンベルクは、かつてはごく少数の機械系デジモン達の住処で、外部との接触を殆ど全く持たなかった閉鎖的で小さなプラントエリアであった。そのアイゼンベルクがここまで勢力を広げ、各地に大陸各地に侵攻までするようになった訳。その訳が、八神友にある……。
「タオルー!」
雲海を割り天を衝くアイゼンベルクの峰々。
「タオルはー!?」
その一角に、神そして八神友が暮らす居住施設、通称「神殿」がある。
神殿と呼ばれてはいるが、その内外の装丁はどちらかと言えば「宮殿」に近いものがある。環境が環境であるため豪華な庭園等は無いが、その建築様式や構造はどこかヴェルサイユ宮殿を彷彿とさせる。……実はこれがたった一人の神友の趣味であるということは、神とその神友しかあずかり知らぬことだったりするのだが。
神殿内には各神友の自室があり、それぞれが所望した施設も備えられている。
「ターオールー!」
濡れて肌にピタリと張り付く、ゆるくウェーブがかかった金色の髪。濃紺の、いわゆるスクール水着から伸びる白く細い手足。マリンブルーの大きな瞳。髪や体中から水を滴らせながらペタペタと神殿を駆け回るその少女は、年の頃にして十歳前後といったところだろうか。少なくとも第二次性徴を迎えたばかりのようである。膨らんでいるんだかいないんんだか非常に微妙な胸元のゼッケンには、ひらがなで大きく「ててぃす」と書かれている。どうやら、これが彼女の名前であるらしい。
大声で喚きながら散々駆けずり回った結果、テティスはある神友のラボ(研究施設)に押し入ることにした。別に「ここならタオルがある!」と確信したわけではないが、最近、任務のために神殿を空けている神友は多い。そんな中にあって、「だいたいいつもいる奴」。それがこのラボの主なのである。
「ねぇフィル! タオル知らない?」
ラボに押し入るなり、テティスは問う。
問うた相手はこのラボの主。オールバックに纏めた髪、角縁のメガネ、こけた頬。力強さや明るさは感じられないが、陰湿さと知性を感じさせる。細身にワイシャツとスラックスを身につけ、その上から白衣を羽織った様はまさに研究者といったところだろうか。青白い肌と鋭い目は、不気味さと共に怜悧さもまた醸し出す。このラボの主たる彼は、アイゼンベルクの統治をも任されている神友。そして、尽読の啓示を受けし者。
「チッ……やかましいガキだな」
第五神友、『尽読』のフィルである。
「やかましいとは何よー! プールから上がったらタオルが無かったんだもん! しょうがないでしょ!」
「どうせ時間がたてば乾くのだから……」
「でも乾くまで寒いんだってば! 温水プールとはいえ!」
「なら〝水から上がらずに探せば〟良かっただろうに。それに、宮殿内各所の内線を使えばいつでも小間使いのガードロモンを呼びだせると……あー、ついうっかり忘れてしまうんでしたね。分かります」
「きぃー! こっちの言おうとしたことを読むなぁー! ムカつくー!」
「とにかくここにタオルはないし、私はタオルの行方を知らん。機器が濡れてしまわないないうちに即刻出て行ってくれないか」
「ぶー!」
タオルが手に入らない上、邪見にまでされてしまったテティス。八当たりもも含めて一言くらい言い返してやりたいところだが、思いつく言葉と言えば「陰気」「ムッツリ」「メガネ」くらい。どれも今まで彼女がさんざんフィルに対して使った悪口のためあまり効果が期待できない上に、よく考えれば「メガネ」はそもそも悪口ですらない。何か、何かフィルの弱みを突ける言葉は無いものか……。
(あ、そうだっ)
「そう言えばさー……セントガルゴモン、風のビーストスピリットを回収し損ねたんだってー?」
「ぬ」
フィルの額に青筋が走る。あのセントガルゴモンは「一般のデジモンにも啓示の能力を付与する」というフィルの念願をやっと実現した、いわば虎の子の一体であった。セントガルゴモンを送り出す時の、かつて見たことのない程のフィルの満面の笑みを彼女は忘れない。
「未来予知が出来るのにィー、セントガルゴモンがブッ壊されちゃうことは分かんないんだねー?」
タオルのことなどすっかり忘れ、少女はここぞとばかりにフィルを攻め立てる。
「私の尽読は、自分に直接的に関わることじゃないと分からないだよ……!」
フィルは薄い眉をひくつかせながら、テティスの全身を足元から舐め上げるようにして睨みつける。
「ロリコン」
「違うッ!!……というか話を逸らさないでほしいものだね。セントガルゴモンは確かにやられてしまった。だが、彼の見聞きした映像と音声はリアルタイムで中継されていた……つまり、セントガルゴモンをやった連中のことは既に突きとめられたわけだ」
「ふーん……? え? ていうか何? セントガルゴモンをやったのって、風のビースト闘士じゃあないの?」
「それが違うから、今こちらで色々検証しているのだよ……どうやらセントガルゴモンをやったのは」
「へくちっ」
フィルがこの話題の、まさに核心に入ろうとした時。少女の何とも愛らしいくしゃみが流れを完全に断ち切った。フィルの額には、再び青筋が……。
「テティス……君は、そろそろ服を着た方がよろしいのではないかね?」
見ると、彼女の髪はまだ少し濡れている者の、体の方はすっかり乾いているようであった。
「へへ、そうみたいだねー。じゃ、着替えてくるー!」
ペタペタという、裸足ならではの足音で軽快に走り去ってゆくテティス。後に残されたのは、濡れた床と微かな塩素の匂い、そして半ギレ状態のフィル。テティスという少女は、結果的に喧嘩を売るだけ売って去ってしまったのだ。
「あのガキ……」
沸点ギリギリに達した怒りを鎮めつつ、フィルは改めてセントガルゴモンを倒した者達の検証に入る。モニターに映し出されているのは、ウィザーモンと前髪の長い少年、そして何体かのデジモンと人間。件の選ばれし子供達とは、どうやら違うらしい。報告にある彼らの特徴と、今モニターに映っている子供達のそれは明らかに一致しない。だが、彼らの服装……これは、村の他の人間のものとは明らかに違う。村よりもずっと高度な文明の香りが漂っている。……恐らく、比較的最近こちらに来た人間達だろう……それにウィザーモン。最近デジタルワールドにやって来て、各地を回り……ウィザーモンと共にいる。これは、ひょっとしたらカルロが喧嘩を吹っ掛けたとかいう、何故かイグドラシルに狙われている一行では……。
「着替えてきたよー!」
再び威勢の良い声と共にラボの扉が開き、 屈託のない笑顔が飛び込んできた。……何故わざわざ報告に来る?
タンクトップのシャツとホットパンツという、水着とそう変わらないような服装に着替えたテティスは、モニターに目をつけてフィルの方へと歩み寄って来た。
「んー? これがセントガルゴモンを奴ら? 子供? え? 選ばれし子供達って奴?」
「いや、どうやら彼らは例のウィザーモンの一味のようだ……全く、何が目的で風の闘士を庇ったんだか」
「ふーん……アレだよね? ウィザーモン一味って、カルロをボコボコにした奴らだよね?」
「そうだな……彼らはそもそも」
「でもカルロって生意気だよねー! アイツ新入りのクセしてさ、何であんなに自由に色々やってんのー!?」
ウザいほどコロコロと変わる話題に、フィルのボルテージは再びゆっくりと上昇してゆく。
「確かにカルロは生意気だが、何も好き勝手やっているわけではない。奴には、来訪者の捜索という重要な任務がある。我々の中で、アレを感知できるのは奴だけだからな……」
「ふーん……そっか、一度でも来訪者に遭遇した者は、その存在をいつでも感知できるようなる……だっけ?」
「カルロは本当に幸福なやつだよ……死にかけていたところを、我らが神に拾われたのだから」
「ねぇねぇ、ところで選ばれし子供達は今何をしてるの?」
また話題が……フィルは思わず舌打ちしそうになるが、子供相手にいちいち腹を立てていたのでは仕方がない。
「アタシ達のライバル、でしょ?」
「それは少し違うな……我々がライバルと定めるべき相手は子供たちではない。ロイヤルナイツだ。彼らを倒すために我々が存在すると言っても過言ではない」
「えー? でも私たちの中で確実にロイヤルナイツより強いメンツって、上位の四人だけでしょ? 何か危うい感じじゃない?」
「否定はできんが……向こうは残り六体。結果的にだいぶ来訪者に助けられたことになるが、数の面では我々が勝っている。まして、こちらのトップ二人は〝現時点での神〟さえ凌駕する武威を誇る……はっきり言って、その二人だけでもフルメンバーのロイヤルナイツを壊滅させることが出来る程のな」
「ま、そう言われてみれば確かに……あ、それでさ、選ばれし子供達は? 結局今どこで何をしてるの?」
「何でそこまで気になるんだか……」
「だってイケメンがいるかも!」
思わずプッチンするかと思ったフィルであったが……ビー・クール、ビー・クール。そう自分に言い聞かせる。
「シエロからの報告によれば、彼らはコロッセオから西……デファンスシティへ向かっているようだな」
「デファンスシティ? そこって……」
「そうだ。雷のスピリットHが眠っている都市エリア。そして……八神友の中で最弱の、第八神友が向かっているはずの場所だ」
「プッカさん! こっちにもまだ息のある人が!」
「ハア……ハア……待ってろよ……今行く!」
青き幻竜ブイドラモン、そして村の青年ジョブス。
シャーリーを炎の外へと避難させたプッカは、辛うじて難を逃れたジョブスと共に救助活動を始めたのであった。
デジタルワールドにやって来た人間は、その肉体の構成因子をデジタルデータに変換される。つまり、命を失う際にはデジモンと同じようにデータの塵と帰すのだ。
爆撃とその炎によって命を落とした村人達。彼らの肉体を構成していたデータは、図らずとも救助にあたっていたプッカの身にロードされることとなる。結果、彼らの命はプッカ血肉となり、進化に至らせ、一人でも多くの生存者を救うための力となった。
散った者達の命が、残った者達の命を守るのである。
この時点で既に十数名の命を救ったプッカだったが、その眼からは涙が絶え間なく流れ続けていた。
ACT.41 Bombing:6
~新たな旅立ち/鋼の頂で~
「なぁ珠生」
塵と消えゆくセントガルゴモンの遺骸を眺めながら、歩が話しかける。
「アイゼンベルクをブッ潰すってよー……マジ?」
珠生が己の覚悟として語っていた言葉。憎しみを堰き止めるために、アイゼンベルクと八神友をブッ潰す。今回のことでアイゼンベルクに強い怒りを抱いた歩としては反対というわけではないが、流石にことがことなので念のため確認しなければならないと感じたのだ。
だが、珠生の答えはあまりにもあっさりしたものだった。
「ああー……あれね、ウソウソ」
珠生は手をヒラヒラと振りながら、アッハッハーと笑ってみせる。
「ウソだあ!? ちょ……お前、そう言って啖呵切ってたんじゃねぇかよ!?」
そう。珠生は、確かそれが自らの覚悟であるかのように言っていた。それが嘘? 歩は珠生のあの啖呵に男気というか、ある種の憧れのようなものを抱いてしまったというのに。あの場でわざわざ偽の覚悟を語る意味が分からない……いや、それもハッタリの一部だったのだろうが……それをカッコ良いと感じてしまった歩としては、困惑というよりもむしろ裏切られたような気持ちになる。
そんな歩の心中を知ってか知らずか、珠生はその真相をまるで他人の思考をなぞるかのように語り出すのであった。
「それを説明するには、今回のD-スペックの一連の流れを解説するひつようがあるね。ちょっと長くなってしまうけど、セントガルゴモンはマシーン型。装甲に絶縁処理を施していても、やはり電撃に弱い。それならテンドウのいない今、ウィズの電撃で倒すのが一番効率的……いや、むしろ唯一の手段だった……でも電撃を通すには、装甲を一部でも破壊する必要がある。そして、あの頑丈な装甲を破るために僕が必要だと思ったことは二つ……一つは高い攻撃力。そしてもう一つは、その攻撃力をありったけブチ込めるだけの隙。そして、一つ目を満たすのがライズグレイモン。二つ目を満たすのがデスメラモンのヘヴィーメタルファイヤーだったわけだね」
「D‐スペックは、ヘヴィーメタルファイヤーで吹き付けた重金属が冷えて固まるまでの時間稼ぎだったというわけだな……一見するとD‐スペックを軸とした策のように思えるが、メインはあくまで二体の完全体とは……」
練りに練られた珠生の策。その緻密さに、思わずテンドウも感心する。
「それと……D‐スペックには、ハッタリ以外の意味もあるんだ。いや、どちらかというとそっちの方がメインなんだけどね」
何やら勿体ぶる珠生。D‐スペックの本当の意味が、明かされる。
「ハッタリ以外の意味……?」
八重は思わずドキッとしてしまう。珠生が、自分の方を見て言ったからだ。まさか自分に関わることとも思えないが……先ほど告白じみたことを言ってしまった手前、目が合っただけでも心拍数が上がってしまう。
「D‐スペックはダウト・スペシャル。それは変わらない。でも、これで本当に騙したかったのはセントガルゴモンなんかじゃない……本当に騙したかったのは、僕の心なんだ」
「えっと…つまり、どういうこと?」
「この策を実行するためには、セントガルゴモンの装甲に亀裂を生じさせるだけの攻撃力が必要だ。そのためには、どうしてもヘリアンを完全体に進化させなければならなかった……だから、進化に必要なものを〝造った〟んだ」
「進化に必要なものですか……デジヴァイスを通じてデジモンに流入する心の力、ですね」
「そう……僕は今まで、それが何か分からなかった。でも歩とモユルを見ていて気付いたんだ……その心の力っていうのは、ある種の〝覚悟〟なんじゃないかってね」
「えー? オラ、覚悟したかなー」
「違うだろ。たぶんオレの覚悟、ってこった。……でも、てことは、珠生は〝覚悟を造った〟ってことなのか?」
「そうだね……憎しみを堰き止める。この覚悟こそが最大のダウト。デジモンの進化には、パートナーが何かしらの覚悟を決めることが要る。なら何でもいいから覚悟を造り、その偽の覚悟で自分の心、そしてデジヴァイスをも騙すことが必要だったんだ」
これが、D‐スペックの真相である。偽の覚悟によって、自らの心とデジヴァイスを騙す。アイゼンベルクをブッ潰すだの、八神友をブッ潰すだの、憎しみを堰き止めるだのは偽の覚悟に過ぎない。
人によっては、これをとんでもない打算であると罵るかもしれない。信念を捏造してまで生き残りたいのか、と。信念をコロコロ変えてしまう卑怯者となんら変わらない、と。
そして、幼い頃の珠生なら、やはりそう思ったかもしれない。昔の珠生は、どんな時でもたった一つの信念・理想を貫くことこそが最高の道徳であり、男らしいと考えていたのだから。だが、「あの一件」以降……感情と正義感のままに行動した自分のせいで、両親を泣かせることになってしまったあの一件以降、珠生はその価値観を変えた。珠生があの事件から得た二つの教訓。一つは、憎しみの連鎖は何としても避けねばならないということ。そしてもう一つは、〝本当に大切なものを守るためなら、自分の気持ちに嘘をつくことが必要になる場合がある〟ということ。自分が苛めに耐え抜けば、あるいは気持ちを押し殺して、もっと慎重に上手い方法を取っていれば、両親は傷つかずに済んだ。憎しみに任せて戦うことは最も避けたいことであるが、自分の信念を尊重してくれる仲間達を守るためならば、それも止むを得ない。
自分の気持ちに対する嘘。それこそがD‐スペックの真髄。
理想は、人が人として生きていくために必要不可欠なもの。だが、それより大切なものなどいくらでもあるのだ。
「ね、ちょっといい?」
ここで一区切りと判断したのか、それとも理解力がついていけなくなったのか、八重が小休止でもいれるかのように質問する。
「その作戦はさあ……一体〝いつ〟考えたの?」
珠生は、最初戦うことを躊躇していた。その時に「実は作戦練っていましたあん!」というのは、珠生の性格からすると考えにくい。だが、躊躇していた時点から「D-スペック」という単語を出すまでのスパンはあまりにも短い。その僅かな間に、戦う気が無かった者があれだけ論理的で、かつリスキーな策を練られるものなのだろうか?
「んー、君が『好き』って言ってくれた直後くらいから、かな」
どうやら練られるものらしい。
いや違う。大事なのはそんなことではない。今、何か問題発言があったような気が……。
「ちょ! ちょっと! アレは『そういうところが好き』って言ったんだってば! だからそ、その……珠生のことがす、好きってわけじゃ…」
「オーケーオーケー。分かっているとも……だからキスをしよう」
顔を赤らめてわたわたと手を横に振る八重。そして、そんな様子が目に、言葉が耳にそれぞれ全く入っていない珠生。
「ちょっと待てーーーい! どうしてそうなる!? 一体どういう……ってか、寄るな! ジワジワと寄るなってばあー!」
八重ににじり寄る珠生の顔は、下卑た笑いを何とか抑え込もうとして通常ではありえないほどに歪んでいる。例え八重が本当に珠生を好きだったとしても、これは受け付けられないだろう。というか、端から見たら完全に変質者のそれである。
「大丈夫だよ……ちゃんとマウス・トゥ・マウス。生易しいもので済ませる気はないさ」
「た、珠生くーん? 何やら日本語がおかしくなってるんじゃ……ってぐああああ! しまったッ! 捕まった!?」
「ほらもっと力を抜いて……いつもしているように」
「いつもって!? いつもっていつ!? そして 何 処 を 触 っ て ん だ コラコラコラァー!! 関係ないでしょそこはぁッ! ……違うそっちじゃない! その指だッ! 指ッ!」
「八重ちゃん! いつもって今さ!」
「うるせぇーーー! ちょっとテンドウ! てかむしろ皆! 見てないで助けてよー!」
「フッ……こうも見せつけられちゃあな……やれやれだぜ」
「無粋なことは出来ないでゲスよ。やれやれでゲス」
「オラ達邪魔者なのかもなー。やれやれだなー」
「え? オナラ? ……もうー何言ってるんですか全然してないですよそんなの。意味が分からないです。スカしてないです。全然臭くないし……え? 違う? ……ええ、とてもお似合いですよお二人とも。臭いはだから全然しないですよ。そもそもオナラじゃないって言ってるでしょ。心から祝福します。……うわ臭っ! ……やれやれですね……腐ったニラみたいな臭いがする」
「八重……珠生……三人でバカやるのも楽しかったし、オレはそんな日々が好きだった。でもな、オレはお前らのことをを応援しようと思う。だってマブダチ二人がいっぺんに幸せになってくれるんだぜ? こんなに嬉しいことはねぇよ。ああ、でも……二世ができたら、その時は真っ先にオレに知らせてくれなきゃヤだぜ」
「おッ……お前らこんな時だけ空気読んでんじゃねぇーーーーーー!!」
珠生達がひと段落しているところに、プッカやジョブス、そして気がついたシャーリーがやって来た。
彼らの報告によれば、セントガルゴモンの爆撃で村の家屋の八割が倒壊・全焼し、生き残った村人はわずかに三十名足らず。元々人口の多い村では無かったため、この爆撃によって村は致命的なまでのダメージを受けてしまったのである。
このことを聞いた珠生達は勿論ショックを受けたが、最もショックを受けていたのは言うまでもなく静香であった。自分がいたせいで、自分によくしてくれた大勢の村の人びとが命を落としたのだ……。「あなたは悪くない」。そう言うのは誰にとっても簡単なことであったが、それが今この状況で彼女の心を救うことになるとも思えない。だから、誰もその言葉を発することは出来なかった。下手をすれば、彼女は今にも泣き出してしまうだろうから。それを堪えているのが分かるからこそ、珠生達には何も言えなかった。
「じゃあ皆さん、本当にお世話になりました」
「ました」
再び来訪者を求める旅に出ようとする珠生達に、ジョブスとシャーリーはペコリを頭を下げる。
「なぁ、アンタ達はこれからどうすんだ? こんな焼け野原で暮らすのかよ」
歩の質問はかなり不躾なものだったが、それは生き残った村人の置かれた過酷な状況を素直に表すものでもあった。だから、今度ばかりは八重それを訂正させるようなことはしない。
「僕たちは、ここで生きます。僕らの村ですから……ここが。また新しく家を建てて、また畑を耕して……ああ、焼き畑になってちょうど良いかもしれませんね……生き残った者達で恋をして、愛を育んで、子供をつくる。……珠生先生、あなたからロマンチックのなんたるかを学んでおいて良かった」
「しずかおねえちゃんはー?」
シャーリーは、珠生達と共に村を発とうとしている静香を見つめる。
そして、静香はしゃがんでシャーリーに目線を合わせると、まるで物語でも読み聞かせるかのように優しく、ゆっくりとした口調で話す。
「おねえちゃんはね、これから世界中を見てくるの……村の皆のお手伝いが出来ないのは残念だけど、でも……」
また、アイゼンベルクが自分のスピリットを求めてやって来るかもしれないから。
「おねえちゃんは〝風〟だから。ずっと同じところにはいられないんだよ」
風のスピリットを珠生達に託すということも考えた。だが、それでは珠生達に厄介事を押し付けることである。彼らは、自分達はどの道これからアイゼンベルクと戦うことになるから構わない、と言ってくれたが、その厚意には甘えられない。これは自分一人が背負わねばならないこと。だから、彼らと旅路を共にすることも断った。もう、誰にも迷惑をかけたくない。一人に、なりたい……。
「……またあえるの?」
「うん! 世界中を回ったら、きっとまたここへ来るよ。……おねえちゃんは、風だからね」
こうして、珠生達と静香はそれぞれ村を後にしたのである。
余談ではあるが、この静香の〝村を離れる〟という選択は、今後の珠生達の運命に大きな影響を及ぼすことになる。だが、それはもう少し後のお話……。
ディレクトリ大陸の南に位置する半島。その半島は、地形のほとんどが一連なりの山脈で占められている。例えば空からこの大陸南部を眺めたならば、半島ではなく、ある種のフィヨルドのように見えてしまうかもしれない。
そして、その山脈半島にアイゼンベルク(鋼の頂)と呼ばれるエリアはある。
かつては山間にひっそりと佇むプラントエリアであったアイゼンベルクは、今や山脈の六割ほどを占拠するほどにその範囲を広げていた。山を削り、平地を造って施設を増設。更には山の中を掘り進み、超合金クロンデジゾイドの精製に必要な鉱物を根こそぎ掘り起こさんとする。山脈という一見工業には不向きな土地が、この大陸で唯一のプラントエリアとなっている理由。それが、この豊富な鉱物資源なのである。
このアイゼンベルクは、かつてはごく少数の機械系デジモン達の住処で、外部との接触を殆ど全く持たなかった閉鎖的で小さなプラントエリアであった。そのアイゼンベルクがここまで勢力を広げ、各地に大陸各地に侵攻までするようになった訳。その訳が、八神友にある……。
「タオルー!」
雲海を割り天を衝くアイゼンベルクの峰々。
「タオルはー!?」
その一角に、神そして八神友が暮らす居住施設、通称「神殿」がある。
神殿と呼ばれてはいるが、その内外の装丁はどちらかと言えば「宮殿」に近いものがある。環境が環境であるため豪華な庭園等は無いが、その建築様式や構造はどこかヴェルサイユ宮殿を彷彿とさせる。……実はこれがたった一人の神友の趣味であるということは、神とその神友しかあずかり知らぬことだったりするのだが。
神殿内には各神友の自室があり、それぞれが所望した施設も備えられている。
「ターオールー!」
濡れて肌にピタリと張り付く、ゆるくウェーブがかかった金色の髪。濃紺の、いわゆるスクール水着から伸びる白く細い手足。マリンブルーの大きな瞳。髪や体中から水を滴らせながらペタペタと神殿を駆け回るその少女は、年の頃にして十歳前後といったところだろうか。少なくとも第二次性徴を迎えたばかりのようである。膨らんでいるんだかいないんんだか非常に微妙な胸元のゼッケンには、ひらがなで大きく「ててぃす」と書かれている。どうやら、これが彼女の名前であるらしい。
大声で喚きながら散々駆けずり回った結果、テティスはある神友のラボ(研究施設)に押し入ることにした。別に「ここならタオルがある!」と確信したわけではないが、最近、任務のために神殿を空けている神友は多い。そんな中にあって、「だいたいいつもいる奴」。それがこのラボの主なのである。
「ねぇフィル! タオル知らない?」
ラボに押し入るなり、テティスは問う。
問うた相手はこのラボの主。オールバックに纏めた髪、角縁のメガネ、こけた頬。力強さや明るさは感じられないが、陰湿さと知性を感じさせる。細身にワイシャツとスラックスを身につけ、その上から白衣を羽織った様はまさに研究者といったところだろうか。青白い肌と鋭い目は、不気味さと共に怜悧さもまた醸し出す。このラボの主たる彼は、アイゼンベルクの統治をも任されている神友。そして、尽読の啓示を受けし者。
「チッ……やかましいガキだな」
第五神友、『尽読』のフィルである。
「やかましいとは何よー! プールから上がったらタオルが無かったんだもん! しょうがないでしょ!」
「どうせ時間がたてば乾くのだから……」
「でも乾くまで寒いんだってば! 温水プールとはいえ!」
「なら〝水から上がらずに探せば〟良かっただろうに。それに、宮殿内各所の内線を使えばいつでも小間使いのガードロモンを呼びだせると……あー、ついうっかり忘れてしまうんでしたね。分かります」
「きぃー! こっちの言おうとしたことを読むなぁー! ムカつくー!」
「とにかくここにタオルはないし、私はタオルの行方を知らん。機器が濡れてしまわないないうちに即刻出て行ってくれないか」
「ぶー!」
タオルが手に入らない上、邪見にまでされてしまったテティス。八当たりもも含めて一言くらい言い返してやりたいところだが、思いつく言葉と言えば「陰気」「ムッツリ」「メガネ」くらい。どれも今まで彼女がさんざんフィルに対して使った悪口のためあまり効果が期待できない上に、よく考えれば「メガネ」はそもそも悪口ですらない。何か、何かフィルの弱みを突ける言葉は無いものか……。
(あ、そうだっ)
「そう言えばさー……セントガルゴモン、風のビーストスピリットを回収し損ねたんだってー?」
「ぬ」
フィルの額に青筋が走る。あのセントガルゴモンは「一般のデジモンにも啓示の能力を付与する」というフィルの念願をやっと実現した、いわば虎の子の一体であった。セントガルゴモンを送り出す時の、かつて見たことのない程のフィルの満面の笑みを彼女は忘れない。
「未来予知が出来るのにィー、セントガルゴモンがブッ壊されちゃうことは分かんないんだねー?」
タオルのことなどすっかり忘れ、少女はここぞとばかりにフィルを攻め立てる。
「私の尽読は、自分に直接的に関わることじゃないと分からないだよ……!」
フィルは薄い眉をひくつかせながら、テティスの全身を足元から舐め上げるようにして睨みつける。
「ロリコン」
「違うッ!!……というか話を逸らさないでほしいものだね。セントガルゴモンは確かにやられてしまった。だが、彼の見聞きした映像と音声はリアルタイムで中継されていた……つまり、セントガルゴモンをやった連中のことは既に突きとめられたわけだ」
「ふーん……? え? ていうか何? セントガルゴモンをやったのって、風のビースト闘士じゃあないの?」
「それが違うから、今こちらで色々検証しているのだよ……どうやらセントガルゴモンをやったのは」
「へくちっ」
フィルがこの話題の、まさに核心に入ろうとした時。少女の何とも愛らしいくしゃみが流れを完全に断ち切った。フィルの額には、再び青筋が……。
「テティス……君は、そろそろ服を着た方がよろしいのではないかね?」
見ると、彼女の髪はまだ少し濡れている者の、体の方はすっかり乾いているようであった。
「へへ、そうみたいだねー。じゃ、着替えてくるー!」
ペタペタという、裸足ならではの足音で軽快に走り去ってゆくテティス。後に残されたのは、濡れた床と微かな塩素の匂い、そして半ギレ状態のフィル。テティスという少女は、結果的に喧嘩を売るだけ売って去ってしまったのだ。
「あのガキ……」
沸点ギリギリに達した怒りを鎮めつつ、フィルは改めてセントガルゴモンを倒した者達の検証に入る。モニターに映し出されているのは、ウィザーモンと前髪の長い少年、そして何体かのデジモンと人間。件の選ばれし子供達とは、どうやら違うらしい。報告にある彼らの特徴と、今モニターに映っている子供達のそれは明らかに一致しない。だが、彼らの服装……これは、村の他の人間のものとは明らかに違う。村よりもずっと高度な文明の香りが漂っている。……恐らく、比較的最近こちらに来た人間達だろう……それにウィザーモン。最近デジタルワールドにやって来て、各地を回り……ウィザーモンと共にいる。これは、ひょっとしたらカルロが喧嘩を吹っ掛けたとかいう、何故かイグドラシルに狙われている一行では……。
「着替えてきたよー!」
再び威勢の良い声と共にラボの扉が開き、 屈託のない笑顔が飛び込んできた。……何故わざわざ報告に来る?
タンクトップのシャツとホットパンツという、水着とそう変わらないような服装に着替えたテティスは、モニターに目をつけてフィルの方へと歩み寄って来た。
「んー? これがセントガルゴモンを奴ら? 子供? え? 選ばれし子供達って奴?」
「いや、どうやら彼らは例のウィザーモンの一味のようだ……全く、何が目的で風の闘士を庇ったんだか」
「ふーん……アレだよね? ウィザーモン一味って、カルロをボコボコにした奴らだよね?」
「そうだな……彼らはそもそも」
「でもカルロって生意気だよねー! アイツ新入りのクセしてさ、何であんなに自由に色々やってんのー!?」
ウザいほどコロコロと変わる話題に、フィルのボルテージは再びゆっくりと上昇してゆく。
「確かにカルロは生意気だが、何も好き勝手やっているわけではない。奴には、来訪者の捜索という重要な任務がある。我々の中で、アレを感知できるのは奴だけだからな……」
「ふーん……そっか、一度でも来訪者に遭遇した者は、その存在をいつでも感知できるようなる……だっけ?」
「カルロは本当に幸福なやつだよ……死にかけていたところを、我らが神に拾われたのだから」
「ねぇねぇ、ところで選ばれし子供達は今何をしてるの?」
また話題が……フィルは思わず舌打ちしそうになるが、子供相手にいちいち腹を立てていたのでは仕方がない。
「アタシ達のライバル、でしょ?」
「それは少し違うな……我々がライバルと定めるべき相手は子供たちではない。ロイヤルナイツだ。彼らを倒すために我々が存在すると言っても過言ではない」
「えー? でも私たちの中で確実にロイヤルナイツより強いメンツって、上位の四人だけでしょ? 何か危うい感じじゃない?」
「否定はできんが……向こうは残り六体。結果的にだいぶ来訪者に助けられたことになるが、数の面では我々が勝っている。まして、こちらのトップ二人は〝現時点での神〟さえ凌駕する武威を誇る……はっきり言って、その二人だけでもフルメンバーのロイヤルナイツを壊滅させることが出来る程のな」
「ま、そう言われてみれば確かに……あ、それでさ、選ばれし子供達は? 結局今どこで何をしてるの?」
「何でそこまで気になるんだか……」
「だってイケメンがいるかも!」
思わずプッチンするかと思ったフィルであったが……ビー・クール、ビー・クール。そう自分に言い聞かせる。
「シエロからの報告によれば、彼らはコロッセオから西……デファンスシティへ向かっているようだな」
「デファンスシティ? そこって……」
「そうだ。雷のスピリットHが眠っている都市エリア。そして……八神友の中で最弱の、第八神友が向かっているはずの場所だ」