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狸よ踊れ 第6話

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第五話『拙者の力、ようやくお披露目でござる』



 鬼婆の存在を感じ取ったアカトラはすぐさま高度を下げ、灰色の霧に覆われた大地へと降り立った。
そのふかふかの背中に少し名残を感じつつも、迅九郎もアカトラから降り、穢れた地にその両足をつけた。

「う~、何とも形容しがたい嫌な臭いがするでござる……ひぎゃっ! ががが骸骨!」
「騒がしいのうそなたは。さて、鬼婆とかち合う前に説明をくれてやろうかの。ここら一帯は『地獄の中
にある地獄』やら、『地獄の流刑島』、最近では『怨嗟わだかまる都』などと小洒落て呼ばれておる不浄の
土地。そして閻魔大帝から直々に認められた、わしら花蔵院家の領地でもあるのじゃ」

「領地? こんな荒んだ地が領地でござるか? これはまた……花蔵院家は閻魔様から嫌われているので
ござるか」
 迅九郎の抱いた疑問はまっとうなものだと言える。持っていても何の役にも立たず、むしろ化物の巣窟
となっているような土地を宛がわれるというのは、冷遇されているという印象にしかなりえない。
 それでも、藤ノ大姐は迅九郎の疑問をくすりと笑って受け流す。

「まあそれはよいのじゃよ。わしら自身が好んでこの地に住まわっておるわけじゃからな。で、まあこの
土地じゃが、そなたは感じておるかの? この地の土にしみ着いた、不浄で邪な念や気のようなものを」
「アカトラの背に跨っている時から感じておりました。屋敷から離れるほど、心の中に黒い靄のようなも
のがどんどん広がっていくような……生前にも抱いたことのある感覚でござる」

 藤ノ大姐の問いかけに、迅九郎は思ったことを素直に、そして真面目に吐露する。そこには、生前自分
が二つ名を取るほどに腕の立つ妖怪退治師であったという自負も、少しばかり込められていた。
「ふむふむ、黒い靄か。瘴気に対する人間の感覚というのはわしにはわからんからの。何にせよ、そなた
がそれを感じておるなら、もうわしから言うことは何も残っておらん。任せたぞ狸」

 そう言って藤ノ大姐は、一度は降りたアカトラの背に再びぴょんと飛び乗る。不意をつかれたアカトラ
からは、小さく「ふぎゃ」と呻き声。
「最初に言うたじゃろ? わしはただの観客じゃ。生前地獄の鬼まで恐れさせたあの『妖異破りの迅九郎』
の力を見物しにきた、ただの野次馬じゃよ」

「お待ちくださいおバ、もとい大姐様! 肝心なところを教えてもらっておりません。この地に棲んでいる
者たちというのは――」
「あ、そうじゃ。鬼婆を「おにばば」と呼ぶとそなた、狸になってしまうからの。「おにばあ」と発音する
ことじゃな。ほれ、そなたのすぐ後ろにおるそいつのことじゃよ」

 藤ノ大姐のその言葉を最後まで聞くことなく、迅九郎は機敏にその身を翻していた。赤錆びか、あるいは
何かがこびり付いて固まったような鈍い光を宿した切っ先が、彼の鼻先をかすめていく。
そのまま流れる動きで、素早く二歩三歩と距離を取る。

「こいつが「おにばあ」、でござるか。生前相まみえる機会はござったが、ここまで醜悪な姿ではなかったがな」
 白髪だらけの蓬髪。耳まで裂けた口と、そこから生える不揃いで黄ばみだらけの牙。皺の間に汚れがた
まり、黒く薄汚れた顔。眼球が抜け落ちたようにくぼんだ眼窩。その禍々しさに拍車をかけているのは、そ
の全身を覆うように漂い蠢く、どす黒く濃密な瘴気。

「ただの異形を性質の悪い異形へと変貌させてしまう。その力こそがこの土地に宿る邪念の正体なのじゃよ」
 背後からはのんびりとした藤ノ大姐の声。鬼婆出現にも大して動揺はないようだ。年季が違うなと、迅
九郎は素直に感心した。

「さて、数百年ぶりの実戦。体が鈍っておらねばよいのだが」
 迅九郎がそう呟くとほぼ同時、鬼婆が奇怪な雄叫びとともに踏み込んでくる。干物のごとくしなびたその
脚の見た目からは想像もつかない、強く確かな踏み込み。

 速いな。そう感じながらも、迅九郎の頭は冷えていた。鬼婆が振るう巨大な二本の鉈の軌道も、はっき
りと見えた。一撃目を身を返してかわし、二撃目を左手で受け止める。ガラ空きになった鬼婆のどてっ腹
に渾身の前蹴りを入れ、再び距離を空ける。

「少しだけ、おとなしく待っておれよ」
 偉そうな口調で言って、息を吐きながらまぶたを閉じる。そうしてゆったりとした所作で、何かを確か
めるように、腰の刀へと手をかけた。

「拙者、妖異破りの迅九郎。生まれてこの方、妖物に不覚を取った験しはござらん故、覚悟致せ」
 通じているのかもわからない口上を述べながら、握った柄をぐっと引き抜く。刹那、迅九郎を包む大気
がさざめきだす。

 数百年前、人の世に生きていたあの頃と何も変わらない。そう感じた。地獄に落ちてなお、自分は妖異
破りの力を保っている。それを実感した。愛刀童子切は、死してなお自分の側にある。そのことが嬉しかった。
 だから迷うことはない。抜き放つ。この刀を。

 なおもゆったりとした動作で、迅九郎は柄を引き抜いていく。背後で甲高い声が何かしらわめいている
のも、もはや今の迅九郎には気にならない。徐々に重みを増していくその感覚さえ懐かしく、愛おしく。
その感触を惜しむようにゆっくりと、柄が、もとい刀身が抜き放たれる。

「我が愛刀、童子切。ここに再臨」
 存在しなかったはずの刀身が今、迅九郎が持つ刀の柄にさも当然のように出現している。白い燐光を帯
びた白銀の刀身。その輝きは、一帯に満ちる深い霧さえ消し去ってしまったようだ。まるで予期しないそ
の光景に、二人の観客がただ正直な感嘆の声を漏らす。

「ほー。これはすごいのう。こんなのが相手では、ただの妖怪ごときではそりゃ歯が立たぬ。いや、並の
鬼でも同じことじゃろうな」
「た、大姐様! あの刀一体どうなってるのニャ!? さっぱりわかんないニャ!」
「それはわしにもわからぬよ。じゃがあの刀、ただの人間に使えるものでないことは確かじゃな。ま、そ
れより興味深いのはあの狸自身じゃ。すっかり目つきが変わったのう」

 刀を抜き切るとともに見開いた迅九郎の目。そこに、狸と評される柔和で眠たげな眼差しの面影はない。
そこにはただ、狩る者の鋭い光が宿っていた。

「では、参るぞ、おにばあよ」
 言って、ゆるりと踏み出す。その初動と裏腹に、迅九郎の踏み込みは速く深かった。

 疾駆。その表現がしっくり当てはまる身のこなしで、迅九郎は彼我の距離をあっという間につめる。さ
きほど強烈な踏み込みを見せた鬼婆でさえ、今の迅九郎の速度には反応しきれない。鬼婆が苦し紛れに振
り下ろした大鉈を、迅九郎はその左腕ごと豪快に斬り飛ばす。さらに返す刀で右腕もあっさりと斬り落とした。

 刀で肉を切断する手応え。左腕にも右腕にも、しっかりとそれを感じた。なのだが、迅九郎は妙な違和
感を覚える。が、それも一瞬。違和感の正体を探るよりも、今はするべきことがある。もはや勝負はつい
ているが、それでもやはり、仕上げをしなければならないのだ。

「お前はげに哀れでござる。怨念に捕らわれたばかりに姿醜き鬼女となり果てたばかりか、死してなお怨
念が晴れることなく、こんな地へと迷い込んでしまったのであろう」
 両腕を斬り落とされただ苦しみ悶える鬼婆に、迅九郎は穏やかに語りかける。その語りの半分は彼の想
像でしかないが、彼の声色は真摯な色に溢れていた。

「今から拙者はお前を斬る。お前が永らく捕らわれ続けたその怨念とともに。手荒いやり方ではあるが、
もはやこれ以外に手段はあるまい」
 優しく、だが力強く言い切って、迅九郎は童子切を持つ手に力を込める。上段の構えに入るとともに、
童子切が帯びる燐光が輝きを強めていく。

「いざ、さらばだおにばあよ。どうか、成仏致せ」
 独り言のように小さく呟き、童子切を縦一文字に振り下ろす。刃が鬼婆を捉える、その瞬間。
 拡散する燐光が、あたり一面を白く染め上げた。

 一帯に先ほどまでと同じ、灰色の霧がかかり始めた頃、迅九郎はその目を薄く開いた。対峙していた鬼婆
は姿を消し、そしてまた彼が持つ童子切も、刀身がないただの柄だけの姿に戻っている。
 それを見て再度実感を得た。自分の験力、童子切の霊力。そのどちらもが生前と同じく、欠片も衰えて
はいないのだと。

 その感慨を噛みしめるようにそっと、童子切の柄を鞘へ。少し余韻に浸ろうとした迅九郎だったが、そ
うはさせじと甲高い歓声が飛んでくる。

「狸ー! すっげーニャ! あっという間に片付いちゃったニャ! 鬼婆消えちゃったニャ! 一体どう
なってるニャ! その刀はなんなのニャ! さっさと説明するニャ!」
「これ、落ち着かんかアカトラ。そんなにいっぺんにいろいろ言うても、この狸が覚えられるはずないじゃ
ろうが」

 全力で駆けてくるアカトラと、相変わらずその背に陣取っている藤ノ大姐。そういやこいつらいたなと、
迅九郎は心の中でため息をついた。

「拙者自身、勘は鈍ってはおらぬようで。童子切もまだ、拙者に力を貸してくれるようでござるよ」
「ふむ、そなたの力は十分にわかった。もはや本当に、わしが心配するようなことは何もなくなったよ」
 楽な姿勢で毛玉に腰掛けていた藤ノ大姐だが、ここで少し居住まいを正し、
「田貫迅九郎殿。急な事態だったとは言っても、ろくに説明もないまま一仕事させてしまったこと、当主
槐角に代わってこのわしが詫びよう。すまなんだ」

 神妙な面持ちで頭を下げる。その行動の意外さと潔さに迅九郎は目を丸くしたが、すぐに我に返って言
葉を返した。
「まあ別段気にはしておらんから、おバ大姐様もそのように真剣に謝ることはないのでござる。ああ、そ
れより久々に力を使ったせいか腹が減ってしかたないのでござるよ。早く帰って飯を食いたいでござる」

 それを聞いて、今度は藤ノ大姐が目を丸くする。一瞬の間があって、藤ノ大姐がくすっと笑う。その声
は徐々に大きくなり、やがて立派な大笑いになる。
「ついさっき朝餉をあれほどがっついておったというのに、もう腹が減ったと!? まったくほんにこの
男、さっぱり理解できんわい。つくづく面白い奴じゃのうそなたは」

 胃のあたりをさすりながらため息をつく迅九郎を眺めて、藤ノ大姐は笑いをこらえながら言う。

「さて、では狸侍よ。帰還後の飯をさらに美味いものにするために、もう少し運動させてやろうかの。ほ
れアカトラ、飛ぶのじゃ」
 示し合わせたように「合点ニャ!」と即答して、毛玉はふわりと宙に浮かぶ。迅九郎を不浄の大地に残
したまま。
 唖然として見送るだけの迅九郎に、上空から声がかかる。

「ほれ、狸侍。置いてけぼりにされたくなければ頑張ってついて参るのじゃ。きっと屋敷に着く頃にはくっ
たくたにくたびれて、飯がますます美味く感じるはずじゃよ」
 かかかという笑い声とともに、声の主が少しずつ遠ざかっていく。
 無意識に、こう呟いていた。「おのれ、鬼ババめ」。

 荒れ果てて朽ち果てた不浄の大地を、刀を担いだ一匹の子狸が駆けていく。頭上に浮遊する虎柄の毛玉を、
ただひたすらに追いかけて。


 第五話『拙者の力、ようやくお披露目でござる』終



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