Re:「害」を常用漢字表から削除できるか - yasuokaの日記:

下書き
http://slashdot.jp/~yasuoka/journal/504281
22010 年 04 月 05 日PM 01:52「害」を常用漢字表から削除できるか

yasuoka (21275)氏は、白石明彦の『「障害者」か「障碍者」か』という記事を
どうも論旨に得心がいかなかった。
とし、
と摘要して、定式化して論評を進めている。

もとの文は
白石明彦の書いた部分
「害という漢字が嫌なのです、と訴える人たちのためにも。」http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004050103_01.html
これは、「障害」「障害者」と書く/書かれるのがいやな人たちの代弁のつもりであろう。
そう白石明彦に書かせている根拠として、白石明彦が挙げていると思われるのは、
文化庁が昨年末、試案への意見を募ると、碍の追加希望は86件に達し、障害者自身からもこんな声が寄せられた。
「読み書きする時に、害の字のもつマイナスイメージにいつも不快感がつきまとう」
「害という漢字が嫌なのです。私たちは確かに妨げになるものをかかえているかもしれませんが、世の害ではありません」http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201004050103.html

その元は、
文化審議会国語分科会漢字小委員会(第40 回)参考資料4 意見募集における意見の内容一覧(基本的な考え方,字種の追加削除)(PDF形式(1.44MB))http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_40/pdf/sanko4.pdf http://b.hatena.ne.jp/raycy/20100405#bookmark-20580232
であろう。
86件とは、「参考資料4 意見募集における意見の内容一覧」の517番から602番まで。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/253.html

意見者個人での、ずばりの文言はないようだが。
最も近い個人意見としては530番(障碍者かどうかは不明)の意見。「嫌」と「世の害」の字句が含まれている。
530「「害」にはいい意味がなく、世の害でもないので「障害」という表記は嫌い。」http://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/bunkasingi/kanji_40/pdf/sanko4.pdf
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「嫌い」「嫌(いや)」を含む意見では、「障害」「障害者」という表記をきらっているようである。だったかな。
  • 530番 「害」にはいい意味がなく、世の害でもないので「障害」という表記は嫌い。
  • 540番 かかわった障害者から「私は、障害者ということばが嫌いです。私は、害のある人なのですか」と言われたことがある。言葉や漢字に差別的なニュアンスのあるものは変えるべきである。
  • 566番 障害者自身に「障害者」の「害」は悪い意味ばかりだから嫌だと聞く。「障がい者」はバカにされているに感じる。「碍」には悪いイメージの熟語が一つもない。



彼らの立場を代弁すれば、「障碍者」概念表記局面での
「障碍」という表記を認めよということであり、また「障害」という表記は望ましくない、「障がい」も望ましくない、といったことなのであろう。

実際に「世の害」であるものなどに対しての「害」の使用を云々しているとは、普通ならよみとるまいが…。一次文献にまでさかのぼらなくともなくとも、常識的には文脈から判断して…。

だがまあ、白石明彦は、安岡孝一先生のように、
  • もちろん一次文献との突き合わせ照合などはとっくにすませているのだが、奥ゆかしくもその経緯・結果については特に記すことなく、
    • ってな一次文献調査的なことは、この白石記事への論評程度では、普通はあまりやらないかもであろうが、
  • むしろ筆者が記した繰り返し部分・リフレーン部分
    • リフレーン部分なので、より簡潔に切り詰めて印象的にきれい過ぎにまとめなおされちゃったがちな文言ワンフレーズ。
      • 多少デフォルメ、戯画、漫画チックな構図説明的な、とか、なっちゃってるかもしれないのに…。
を取り上げ・取り立てて、
あたかもそのリフレーン部分が文中での先行提示部の内容すべてを包摂しきっていると扱い、
  • 「障碍」表記を認めよと要望する人たちの気持ちであると、彼らが要望した、
  • ないし、白石明彦がそうまとめなおした
と読み取ってしまう人のあることにも留意しておくべきなのかもしれない。

あるいは、非常に忙しい人のなかには、結言のみを読んで、で、すべて読んだとして、そこから論評をもつばあいもあろう。


うーむ。
論文構造の、どこに具体詳述部を置き、どこに理想化・抽象化・標語化・きめぜりふ台詞化されたまとめ表現をおくべきか。http://www26.atwiki.jp/raycy/pages/254.html
キノコレhttp://raycy.seesaa.net/article/130568290.html推奨の論文構成的には、文の冒頭でいきなりネタバラシしちゃえってな…。
キノコレだかが挙げていた新聞記事の典型では、なんかぐるぐるウォークラウンドアバウトな視点が歩き回るようなタイプの記事が、例示してあったかなあ、。最初のほうに見出し的な5W1H的な要件がキャッチーに盛り込まれているっているってな、。その後は、読むほどにより詳しくわかっていくってな。

安岡孝一先生が挙げた
「被害者」という漢字が嫌な人たちもいるだろう。あるいは「加害者」「迫害者」「侵害者」「殺害者」という漢字が嫌な人たちもいるかもしれない。
の「被害者」「加害者」「迫害者」「侵害者」「殺害者」

実際に「害をおよぼす」「harm」、そういう意味局面での使用であるならば、その使い方を嫌っているかどうかまでは、別段書かれていない、と、白石明彦氏の文を読んで、こう私のように受け取る者は決して少なくはないと思うのだが…。
世の中の人、世間の人は、どうお思い、お感じであろうか。
万人がみな、安岡孝一先生のように、感じる・受け取る世の中になるのだろうか、未来の日本では…。現状はそうではないと思っているが。
あるいは、現状すでに世の中は、時代はすでに、安岡孝一先生的感覚感性・安岡孝一先生的思考法に追いついているのか。


趣旨だか論旨だかを云々するならば、
タイトル:『「障害者」か「障碍者」か』
副題:「『碍』を常用漢字に」追加求め意見相次ぐ
記事冒頭:「障害者ではなく障碍(しょうがい)者と書けるように、「碍」を常用漢字にしてほしいという声が高まっている。」
から、はずれず、
それに規定された流れの中のフレーズとして、以降に書かれた文をみるってなことも必要なのではないか。
各文、センテンス、ひとつひとつを取り立てて論議するってんだったなら、誤解なきように、遺漏なく完全な文章に補足して組み立てなおしてからそれからではないのか、論評するのは。

安岡孝一氏が
「害」という漢字が嫌だというのであれば、どう考えても話が違ってくる。「害」が嫌なら、やはり「害」を常用漢字表から削除しろと要求すべきだ。・・・・・・
ってのは、著者白石氏の論旨にかなっているのであろうか。
私にはどう考えてもそうはとれなかった。
だが、文脈解析、論旨解析を入れなければ、コンピューターならば?心の働きをあまり効かせなければ、著者の文意を汲む働きを効かせなければ、そのように推論が進んでしまうこともありうるのかな、ありうるのだろう。

「害」「嫌」と「訴える人たち」は「障碍者」自身やその関与者を、著者白石氏は想定しておいでであろう。具体的にはたとえば、漢字委員会に意見を提出した86件の人たち。さらにとりたてていえば、嫌を含んだ文言を提出した3人。「たち」がついているから、その他、「障害者」ではなく「障碍者」を、との意見を漢字委員会に意見表明した人たち。

さらに拡大解釈すれば、「障碍者」の表記を要望すると漢字小委員会が認識しうるすべての人たちのことであろう。


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最終更新:2010年04月07日 10:54
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