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ゴミ箱の中の子供達 第15話

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mintsuku

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ゴミ箱の中の子供達 第15話


 戦いは終わった。ささやかな休息の後、ゲオルグは平静な日常に舞い戻った。
 時刻はそろそろ日付が変わる頃、"ブラックシーヒューマンコンサルティング"の事務所の一室で、ゲオルグは
日々の書類仕事を黙々とこなしていた。
 メールの宛先よし。電子ペーパー上に起動されたメーラーの入力ボックスの内容を確認したゲオルグは、そのまま
送信ボタンをタッチペンで叩いた。入力ボックスが閉じて、入れ替わりに送信完了ダイアログが表示される。メール
送信終了だ。OKボタンを叩いて閉じると、どこか疲労感を感じ、ゲオルグは息をついた。
 今日は1週間続く夜勤の第1日だ。前日までの休日で生活リズムは調整したつもりだが、まだ体は夜型になりきれていない
らしい。まだ課業も半ばというところだが、軽い眠気とともに、僅かだが目が痛んだ。目頭を揉むが解消されそうにない。書類は
朝までに書き上げればいい。適当なところで中断して、地下の"カルパチアシューティングクラブ"のトレーニングルームで目覚まし
がてらの運動でもするか。こり始めた肩を揉みながらぼんやりと考えていると、対面の席に座っていたアレックスが話しかけてきた。

「兄サン、ちょっといいかな」

 机から身を乗り出して、ゲオルグを見つめるその眼差しはどこか不安げだ。もっとも、その目に、この前の戦闘の後遺症は
見られない。アレックスの目の傷は多量の粉塵が目に入ったものだった。そのため治療は洗浄と目薬の点眼で事足りた。
手首を撃ち抜かれ、人工骨の埋め込みと再生軟骨の移植の手術の後、右手をギプスで固めたチューダーとは違い、
特に後遺症もないので、厳しい任務の後だというのに夜勤に借り出されているのだ。

「この前の戦闘で、自警団員も死んでるよね。身内がやられたんだし、自警団も本気出さないのか、ちょっと心配で」

 どうやらアレックスは今更になって逮捕が怖くなったらしい。いつになく神妙になったアレックスにゲオルグは笑いかける。

「お前はニュースを見ていないらしいな。あれは全てロリハラハラ・ネルソンのせいになった」

 ゲオルグの言葉にアレックスは目を丸くする。なんでというアレックスの問いかけに、ゲオルグは、さあな、と頭を振った。


「まあ、団員を殺され、その犯人に逃げられたのでは面子が立たんのだろう。それは"アンク"も同じだ。隠居状態とは言え
 影響力のあったネルソンを殺されて、犯人には逃げられたのではこっちも面子が立たない。両者の利害が一致したのか、
 公式声明では一切合財ネルソンとその取り巻きの民兵組織"人民の銃"のせいになっていた」

 チューダーの病院の手配があったため、ゲオルグが自警団の公式声明を聞いたのは翌朝のことだった。BGM代わりに
テレビをつけっ放しにしたまま、地下生活に備え私物をまとめているときに流れた自警団の公式見解に、ゲオルグは思わず
手を止めてテレビに見入ってしまった。

「やつが"アンク"主流派に対し反乱を起こし、"ホームランド"を戦場にした。自警団と"アンク"は協調して鎮圧に当たった。
 その過程でいくらか死傷者がでたが、ネルソンの死亡で全ては解決された。めでたしめでたし。というわけだ」

 ネルソンは強硬路線を唱え続け、主流派から乖離しつつあった、テレビに引っ張り出された解説員はしたり顔で解説していた。
瞬く間に構築された虚構にゲオルグは唖然とするしかなかった。

「俺達は"ホームランド"にいなかった。それが自警団の見解だ。だから何も恐れる必要などない」

 もちろん、公式見解の裏で心ある自警団員が真実を追って動いているのは容易に想像できる。だが、正規のバックアップが
ない彼らにどれほどの調査ができるのか。平素から自警団を軽蔑しているゲオルグも流石にこれには同情したくなった。

「でも、沢山の人に見られてるし、もしかしたらってないかな」

 それでもアレックスは不安そうにゲオルグを見上げて食い下がる。だが、アレックスの不安をゲオルグは一笑に付した。

「いくら人が見ていようと、記録されなければなかったことと同義だ。俺達の存在は記録されなかった。そういうことだ」

 納得がいかない風なアレックスは、そうなのかな、と呟いて机に戻った。それでも不安げにペンを回すアレックスを無視して
ゲオルグは自分が発した言葉について考えていた。
 記録されないことはなかったと同義。証拠を徹底的に摘み取ってやれば、事実はなかったことになるのか。証人さえいなければ、
過去は消し去ることができるのか。思考が深みへとはまるちょうどそのとき、ゲオルグを現実にとどめようとするかのように電話の
ベルが鳴った。
 場所は廃民街の飲み屋街。そこに開いている王朝系列のぼったくりバーで、酔っ払いが酒の値段が高いと騒いでいるのだという。
ぼったくりバーなのだから何をかいわんやなのだが、呼ばれたからには出動せねばならない。呆れ半分で気乗りはしないものの、
ゲオルグは件のバーへと向かった。
 飲み屋街に到着したゲオルグはバーへと続く地下への階段に降りていった。付き人権運転手のアレックスは車に待機させ、
代わりにポープとウラジミールが一緒だ。どちらも体格は立派で、外見は実に厳しい。2人で左右から挟んでやれば、大抵の
人間は怯えて大人しく料金を支払うのだ。今回もこれが通ればいいのだが。ぼんやりと願いながら、ゲオルグは怒鳴り声が
漏れるバーの扉を押し開いた。
 中に入ると、カウンターに身を乗り出して、今にも店主につかみかからんといった剣幕で男2人が怒鳴り声を上げていた。
店内の座席には他にも客が入っており、大声でわめき散らす男たちに不安そうな視線を向けている。

「ビールとウィスキーで何でこの値段なんだよ。何で、何でこんなにするんだよ。俺たちはビールとウィスキーしか頼んでないっての。
 なのにこれっておかしいだろうよ」
「まあまあ、お客さん落ち着いて、あ、ゲオルグさん、こちらです」

 怒鳴り散らす2人組をなだめていた店主がゲオルグたちに気づき、生気を取り戻した様子で手を振る。ゲオルグは男たちに
近寄るとポープを右に、ウラジミールを左に展開させた。

「おう、なんだお前ら。やる気か。上等、かかってこいやぁ」

 威勢よく声を上げる男たちの目は完全に据わっている。身長は2人ともゲオルグより高く、身に着けたシャツの上からでも
分かるほどに筋肉が自己主張している。この立派な体格が彼らの自信の根源らしい。ポープとウラジミールの威圧も効果が
なさそうだ。
 ならば別の手を打つまでだ。作戦を早々に変更したゲオルグは無表情を保っていた顔の筋肉を緩ませて営業スマイルを作った。

「私は責任者代理のゲオルグと申します。とりあえずここでは他のお客様の迷惑になりますので、奥で話をしましょう」

 相手を刺激しないよう慎重に腰に手を回して、2人を奥へと押し出していく。男たちは戸惑いを見せたが、ゲオルグの有無を
言わさぬスマイルに気圧されたのかバックヤードに向けてすんなりと歩き出した。
 開かれたバックヤードの扉の奥に男たちを押し込んでいく。ポープとウラジミールを先に中に入らせながら、ゲオルグは店主を
呼んだ。

「水を用意してくれ」

 バックヤードの奥に聞こえるように少し大声で店主に指示する。同時にゲオルグはスーツの内ポケットから手のひら大の紙袋を
取り出すと、店主に向けて差し出した。説明もなく差し出された紙袋に店主はただ、にやりと頬を吊り上げて受け取った。
 バックヤードの奥の事務室へとゲオルグは入っていく。事務室の応接用のソファーセットでは、すでに男2人がソファーに窮屈そうに
座っていた。ポープとウラジミールは肘掛の後ろに立ってゲオルグを待っている。ゲオルグは2人を立たせたまま肘掛に腰掛けた。

「水を飲んで、すっきりしてから話をしましょう」

 程なくして水が配られると、ゲオルグが音頭をとってコップに口をつける――つけるだけで、決して口に含まない。飲んだふりだが、
効果はあったらしい。対面に座っている男たちは顔を見合わせると、そろってコップの水を飲み始めた。しめた、とゲオルグは
心の中でほくそ笑んだ。
 先ほど店主に渡した紙袋の正体は睡眠薬だった。配る水の中に混ぜるように暗黙の内に指示したのだ。量はごく少量だが、
同じ催眠作用を持つアルコールと併用すれば、危険なほどに効果を発揮する。後は吸収されるまでの時間の問題だった。

「どのようなお酒を飲まれたんですか」
「まずビールだろ。それを2~3杯引っ掛けた後に、ウィスキーを……」

 勤めて穏やかにゲオルグは男たちと会話を始める。世間話やくだらない話を交えてできるだけ長く、料金の話になりそうになったら
意図的に話をそらして、時にはおだてあげてゲオルグは会話を引き延ばす。明らかな時間稼ぎの話術だったが、酔っ払いには
効果があった。もう2度目3度目ですらなくなった話題を男たちは機嫌よく話していく。素面のゲオルグにとってはただの苦痛でしか
なかったが、ゲオルグは辛抱強く睡眠薬が効果を発揮する時を待った。
 かくして、きっかり30分後には男たちは高いびきをかいていた。軽く頬を叩いても、彼らは応じない。完全に眠りに落ちたようだ。
ゲオルグは営業スマイルと解いて普段の仏頂面に戻った。
 表情を戻したゲオルグは黙って男の体をまさぐっていく。程なく男のズボンのポケットから財布を見つけ出した。中を調べると
都合よくクレジットカードと身分証が入っている。ゲオルグは店主を呼ぶと、そのクレジットカードで料金の精算を指示した。
サインはゲオルグが、わざと乱雑な字で酔っ払いを装って記載する。これで終了だ。財布を元のポケットにねじ込むと
ゲオルグは大きく息をついた。

「裏口から運び出して、適当なところに捨てておけ」

 ポープとウラジミールに指示を出す。それぞれ肩と足を持ち上げて、男を裏口へと運ぶ2人を、ゲオルグは気だるげに見送った。
 時は進み、時計の針は午前8時を指し示す。人々が新たな1日の始めるころ、夜勤だったゲオルグの長かった1日がようやく
終わりを告げた。ぼったくりバーの一件の後も酔っ払い同士のつまらない諍いの仲裁に借り出されたゲオルグの疲労は
頂点に達していた。

「じゃあ、おやすみ、兄サン」
「ああ、おやすみ」

 アパートへと帰宅したゲオルグは、隣の部屋のアレックスに就寝の挨拶を交わすと、あくびをかみ殺しながら自分の
部屋に入った。白を貴重とした壁紙に、ベッドとパソコンデスクが配置されたシンプルな室内は、カーテンが締め切られており
薄暗い。ネクタイを緩めながらゲオルグは入ってすぐ脇のユニットバスの戸を開けた。
 洗面台のカランをひねる。蛇口からほとばしる流水に手を当てると、ゲオルグは安堵したように息をついた。流水で軽く手を
すすいだら、石鹸をつけて本格的な洗浄だ。手のひらで石鹸を伸ばすと、手のひらでくるむようにして手の甲を洗っていく。
手の甲の次は指先だ。指を互いに引っ掛けるように左右の手を組み合わせてたら、互いの指の付け根部分で指先を洗っていく。
それを終えたら指の間だ。指の間兄指を入れると、左右交互にこすって洗っていく。最後は手首だ。左右両方の手首を泡の
ついた手でしごいて、丹念に洗っていく。
 泡でとことん汚れを浮かした手に流水をあてる。流れていく泡とともに己の心の垢までもが流れ落ちていくような錯覚を感じ、
ゲオルグは開放感に己の身を弛緩させた。丁寧な手の洗浄は、ゲオルグにとって心の洗濯と同義だった。
 すすぎを終え、タオルで丁寧に水気をふき取った手に、手洗いの最後の仕上げにと、ゲオルグは洗面台の脇に設置してある
アルコール消毒液を噴霧する。左右にあわせて2度噴霧すると、手のひら同士をこすり合わせて、アルコールを手全体に伸ばしていく。
揮発するアルコールのひんやりとした感覚が、どこか心地よかった。
 手洗いを終えたゲオルグは休息をとろうと洗面所から出ようとした。だが、洗面所のドアノブに手をかけたとき指先にぬめりけを
感じたゲオルグは、慌てて手を引っ込める。手のひらとノブを交互に観察する。ドアノブはすでに乾いていたが、手のひらはまだ
アルコールが乾ききっていない。ぬめりはおそらくこの乾ききっていなかったアルコールのせいだろう。何も気にするようなものではない、
はずなのにゲオルグの心臓は早鐘のように強く鳴り響いていた。気にする必要はない。ゲオルグは自分に言い聞かせる。だが、
言い聞かせば言い聞かすほどに先ほどのぬめりけが気になって仕方がない。手はまだ汚れている。手は洗ったばかりで自分でも
馬鹿馬鹿しいと思うのだが、そんな思考が強迫的なまでにゲオルグの心中を占拠していく。
 疲れているな。己の強迫観と付き合って長いゲオルグは、手が綺麗か汚いかという二元論から逃げるように、自身の疲れ具合
について考え始めた。
 初めて人を殺したときに汚れた己の手のひらを思いだす。それ以来、ゲオルグは自分の手が汚れているのではないかという
強迫観念にさいなまれることとなった。ひどいときには1日中洗面台から離れることができなかった強迫観は、現在は大分よくなり、
手洗いの頻度も1日2回で済むようになった。だが、それでも疲れているとこうしてたちまち理性を押しのけて自己主張を始める。
手洗いを再度行っても、強迫観念が取り除かれることはない。むしろ洗えば洗うほどに、気になってならないのだ。だから。
このようなときゲオルグは、別のことを考えて気が落ち着くのを待つのだった。バスタブに腰掛けて、ゲオルグは適当に
明日のことでもぼんやりと考えていた。
 洗面所から出れたのは10分後のことだった。すでに疲労困憊だったゲオルグは早々に着替えを済ませると、倒れこむように
ベッドに入った。夕食にとサンドイッチを買ってあったが食欲が湧かない。ただただゲオルグは眠りたかった。
 ベッドの上で、体の力を抜いたゲオルグは、重くなったまぶたを下ろして己を眠りの世界へと誘う。暗闇の世界で、うとうとしかける
ちょうどそのとき、電話のベルが鳴った。
 何でこんなときに。重い体に鞭を打って体を起こすと、ゲオルグはパソコンデスクでアラームをあげる端末を手に取った。
通話ボタンを押して、端末のスピーカーを耳に押し当てる。マイクに向かってもしもしと声をかけると、スピーカーから返事が
返ってきた。

「もしもし、ゲオルグかい」

 しわがれた老婆の声が耳に押し当てたスピーカーから流れる。この声は孤児院のエリナ院長の声だ。孤児院で何かあったのだろうか。
軽い胸騒ぎとともに、何事かとゲオルグは院長にたずねた。

「イレアナがね、倒れたんだよ。だから来てくれるかい」
「なんだって」

 姉が倒れた。驚きがゲオルグの眠気を吹き飛ばした。

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