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異形純情浪漫譚 ハイカラみっくす! 第8話

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愚猫と賢猫



――愚猫は生に学び、死を以て閉ず。
  賢猫は書に学び、死を以て成す。

蛇の目邸書庫の奥深く、立ち並ぶ様々な書物を見守るようにして、我が一族の書き残した
古文書が安置されている。
この古文書には、一族とエリカ様のこれまで歩んできた歴史が大変上品に筆記されている
のだが、かく日記の様を体する古文書であるため、極々稀に走り書きと思える文も見受け
られ、先の文句はそこから引用したものに他ならない。

さてこの一節を紐解くに、果たして私は賢か愚かとなぞらえてみると、つまり私は賢猫を
気取ろうとして虚しく散桜した愚猫だったのではないかと推測する。
自らを貶めるは少々勇気の要ることではあるが、私は道場での一件より後、自分の学識に
磨きをかける為、こうして日々書庫へ篭っているという訳である。

「タバサー、どこにいるのー?」

遠く、エリカ様が呼ぶ声にぴくと耳が立つ。
ともあれこの蛇の目邸にあって取り急いだ用事などがあるはずもなく、私は開いていた頁
を一通り読み終えてから、古文書を丁寧に書架へと戻した。
得てして勉学というものは集中力を要するため、私は気が散りそうだなと感じた時は無理
をせず休むほうが良いと思っているからだ。

――はいはい、タバサはここにおりますよ。

散気している脳に無理やり学を貯めようとしても、それでは笊に水を通すが如く流れ出て
しまうから、ならばそこへ余計な知識でも流しておけば、いずれまた目もつまるであろう
という寸法である。
扉を押し開くと廊下にはなんとも言えない甘い香りがほんわりと漂っており、エリカ様が
私を見つけてにこやかに手招きをしていた。

エリカ様は邸にある間、非常にのんびり穏やかとした生態であるが、こと料理に関しては
類まれなる力量を発揮されるそうで、歴代従者のうち数名曰く「時かからずして主が望み
を叶えるも良いが、時永くして美味三大を嗜むもまた良し」と云うことである。

美味三大。
ひとつ、カガミ池より捕れし鮒と旬菜の和え物。
ふたつ、油揚げで豆腐をくるんだシノダ巻。
みっつ、イズミにて育まれし小麦を用いたホトケ焼き。

中でもホトケ焼きに関しては、滅多なことではお造りになられない「美味中の美味」との
ことであり、つい先日何度目かにイズミを訪れた折に、エリカ様が商店にて小麦粉を買い
求めておられるのを見て、これはもしやと思索していたところである。
また、名称については「美味三大」著時には誤ったやり取りがあったらしく、正式な名を
仏焼き改め、ホットケーキと呼ぶらしい。

さて私はここでどういった対応をとるべきか、まるで分かっていたかのように走り急ぐの
もあさましい。とりあえずなるべく落ち着いた風を装いゆっくりと扉を閉め、急く足並み
を落ち着けながら、私は主と香りの元へ導かれていった。


† † †


――全体どうされたのですか。

わざとらしく聞いてみると、エリカ様は「ホットケーキ作ったの」と事もなげに仰られる。
私は「やはり!」と心中稲妻が走り少々動揺を浮かせてしまったが、エリカ様は特に気に
することもなくテーブルに頬杖をつき、にこにこと私の顔色を伺っておられた。
はて一体どのような魂胆があってのことかはともかく、食べてもよいとのことであったの
で椅子へと跳び乗ってみると、目の前にはナイフとフォーク、それから白い皿の上に輝く
ホットケーキが鎮座している。

ははあこやつがホットケーキか、まるで銅鑼焼きの生地のように見えるが、表面は異して
つるつるぴかぴかとしているではないか。

「久しぶりだったから、上手にできたか分からないけど」

古文書のおかげで食す手順はおおよそ分かっているが、果たして上手く出来るかどうか。
恐るおそるナイフの刃を生地へ乗せてみると、かさと僅かな抵抗を一重、ふわと力込めず
に刃が刺さった。そこからきらりと覗く金色の海綿からは、先刻嗅いだ芳しい湯気が立ち
昇り、私の顔を覆う。ぐいと深く刺す程に、むうと深く薫る。私はそうしてついに円盤状
のごく一部を手にするに至った。

「イズミにね、甘味処が出来たんだって」

一体何のことか、私はともかく切り取られた一部にフォークを突き刺すことで精一杯だ。
持ち上げた欠片はまるで「助けてくれ」と言わんばかりに湯気を上げているが、残念貴殿
に助かる術はない。
私はそんな言葉を視線に代えて睨みつけながら冷めるのを待つ。妖魔とはいえど猫と祖を
同じくするがゆえ、猫舌であるからだ。

「それから今年は夏祭りがあるみたい」

じっと湯気を凝視し、そろそろ頃合いかと大きく口を開ける。切り取りがやや大きかった
のか少々食み出るも、フォークでぐいと押し込み、逃げようとする芳香ごと閉じ込めた。
口腔に染み広がる程よい甘みが、噛みしめるたびに鼻腔を通り抜ける。
それはこの世の食べ物の味なのかと感嘆するほど甘美絶妙極まりなく、これをエリカ様が
お造りになったとは誠信じがたい。

「うーん、そうなるとタバサも人化できた方が便利よね」

しかし、咀嚼何口目かにしてついに異変が起きた。
口の中では海綿然としたホットケーキと唾液が戦っているのだが、少々圧され気味なのか
これを無闇に嚥下することができず、無理を働いて喉に詰まらせたとあっては格好が良く
ない。私は自らを奮い立たせるが如くフォークとナイフを握り締め、テーブルをどんどん
と叩く。

――頑張れタバサ、負けるなタバサ。

小さき身体がゆえ、手を動かせば自然と頭も動く。すると自分では気付かぬうちに何やら
大げさなことになっていたらしく、エリカ様は慌てた様子で冷蔵庫へ走ると、ミルク瓶を
持って戻ってきてくださった。

「だ、大丈夫?」

私は両の手ではっしと瓶を掴み急いで口へと運んでみたが、既に口の中は満員御礼の札が
上がっており、どれほど流しこめば良いのかも分からない。取り急いで極々少量のミルク
を流してみると、これがなんとみるみるうちにケーキたちを弱らせ始めたのだ。
こくりと一口ミルクを流せば、ふわりと香りが満ちる。ミルクを含んだケーキは観念した
と見え、程よい甘さの中に旨みを宿し始めた。凄まじきはミルクの威力、此程の破壊力を
持っているとは、まさに異形の飲料。

「美味しい?」

私は返事の前に口の中のケーキを喉へと流し、ふうと一息ついて見せる。
なるほどこれがホットケーキか。古文書による前知識はあったもののミルクとの兼ね合い
がまた素晴らしいではないか。二つの調和が大事とあらば、それを踏まえてもう一つ頂き
ましょう。

――まあまあですね。

再びナイフを降ろしてみると、ケーキはまだまだ温かさを失ってはいないようで、もわり
と湯気が上がる。

「でも嬉しそう、よかった」

その向こうではエリカ様が両頬に手を添えて、だらしなく笑っていた。


† † †


愚猫は生に学ぶ。
確かに古文書にはホットケーキが如何なるものかの記述はあった。しかしこうして実際に
食してみないことには、その美味や幸福感は味わえぬのではなかろうか。真を知らずして
真を語ることなかれ、つまり書とは生の記録である。

賢猫は書に学ぶ。
してみると今の私は愚猫であるとしても、この経験を書に残して、それを歴史として学ぶ
ことができるのなら、やはり賢猫足り得るのではないかと結論する。
私は自分の導いた解答に頷き、空になったホットケーキの皿に対して深くお辞儀をすると、
エリカ様がそれを片付けながら、不思議そうな顔で呟いた。

「変な子ねえ」

――いえいえエリカ様、タバサは賢いのです。



つづく



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