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或る老人の往生

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或る老人の往生




 其れは闇であり、光であった。病魔に侵され混濁する私の思考は、矛盾の中を当て所も無く
漂い、其れを成すが侭に受け容れさせた。時として壊れて久しい私の時計は過去の時間を
指し示し、鮮烈な映像を呼び起こすこともあった。それは幾度と無く繰り返した走馬燈であった。

 私は或る小作農家の三男坊としてこの世に誕生した。身体ばかりが無闇に大きかった私は、
度々乱暴騒ぎを起こしては父の怒りを買った。傍若無人な性分の矯正も兼ねて、父が徴兵適齢に
為った私を軍門に放り出したのは当然の帰結であった。苛烈を極めた軍隊の修練でも私の生来の
気質は直る事など無く、幾度となく問題騒ぎを起こしては、遂に昇進する事の無い万年一等卒に身を
落ち着かせるに至ったのだった。
 上官には疎まれ、同年兵からは蔑まれ、それでも軍内で食べた飯の数に物を言わせ、新兵達に
威張り散らしていた私を変えたのは、高瀬小隊長殿との邂逅であった。
 士官学校を出たばかりの新任少尉に私は随分な無礼を繰り返していた。だが小隊長殿は決して
誇りを失わず、凄然としておられた。そして幾度と無く繰り返された私への叱責に、部下への慮りを
欠く事も無かった。
 私は小隊長殿の叱咤の中に、励ましが含まれている事を感じた。それは私への期待であった。
万年一等卒に甘んじるのではなく、ゆくゆくは下士官として責任のある地位になってほしいと言う
願いの表れであった。
 小隊長の言葉の中で、私は始めて自分の姿を見つけた気がした。問題児という烙印ではなく、
一人の人間としての自分がその叱咤の中に垣間見えたのだ。だから私は始めて頑張ってみようと
言う気になれたのだった。
 一念発起して下士官の道を私は目指した。されど尋常小学校卒の無学な私には、上等兵への
門すら難しすぎた。私に頼れるのは小隊長殿しかいなかった。士官として多忙な日々を送っていた
筈の小隊長殿は、勉強を教えて欲しいと言う私の願いを快く引き受けてくれたのだ。
 一日二日と二人の勉強会が始まった。軍隊内の多忙な日々の中から爪に火を燈すような思いで
勉学に励んだ。そして遂に私は遠かった上等兵に任官したのだった。
 酒保で買った羊羹などで小さな祝宴を開き、よくやった、と私の肩を叩きながら我が身の様に
喜ぶ小隊長殿に、私は一生ついていこうと決心したのであった

 思えば高瀬小隊長殿は何時如何なる時も威風堂々としておられた。小隊長殿の凛然たる様は、
小隊の沈鬱な空気を幾度と無く吹飛ばしてくれた。

 其れは南太平洋の地下壕の中であった。
 海を埋め尽くした米軍の艦砲射撃の轟が鳴り響く地下壕の中で、着弾の衝撃と共にぱらぱらと
砂が舞い落ちる天井を皆が黙って見上げているときであった。
 此の壕を作った者は誰か、と小隊長殿は言われた。
 私達は小隊長殿の言っている言葉の意図が分からなかった。此の地下壕は我々が猿臂と鶴嘴で
作ったものであり、その中には小隊長殿もおられた。小隊長殿に限って其れを忘れた訳ではあるまい。
なのに何故そんな事を言うのかと。
 私達は何度か顔を見合わせ、遂に私がおずおずと言った。此の壕は我々が作った物であります、
と。
 途端小隊長殿は破顔されて言われた。そうだ、此処は我等が魂を込めて作り上げた陣地ぞ、
なれば此処は旅順に匹敵する大要塞なり、この程度の砲撃などおそるるに足りず、と。
 小隊長殿の言葉は自分達が作り上げた物に対する絶対的な信頼の塊であった。その信頼を
自分達にも持て、という小隊長の弁に我々ははっとなった。
 私達はもう一度顔を見上げ、振動に揺れる天井を見やった。木材の梁が渡された天井は、表面の
砂埃こそ振動で落としはすれど、崩壊の兆しは微塵も見当たらなかった。
 我々は遂に安堵の顔を作ると口々に言い合った。そうだ、おそるるに足りないぞ、と。

 其れは南十字が寒々と輝く闇夜であった。
 機関銃の銃声がばりばりと鳴り響く戦闘の一幕であった。
 島に上陸したアメリカ軍を撃退すべく我々は夜襲を敢行したのであった。だが最後の瞬間で敵に
察知され、機関銃の応射を受けたのであった。
 びゅんびゅんと頭を掠める弾丸に皆が震えながら伏せていると、小隊長殿は銃声の僅かな切れ目
をついて立ち上がって言われた。此の戦いこそ帝国男児の華ぞ、我に続け、と。
 白刃を煌かせ真っ先に飛び出す小隊長殿の勇猛さに勇気付けられ、私たちも立ち上がると、
敵陣地に向かって突貫したのであった。
 そして最期も瞬間も又、小隊長殿は立派であった。
 小隊長殿は決して無闇な突撃を命じはしなかった。機関銃の応射が再開すれば、皆に伏せを命じ、
銃弾から身を隠させた。
 砲弾痕の僅かな窪地に私達は身を隠した。闘志を熱くたぎらせ、銃声の切れ目を今か今かと
待っていると、突如目の前にごろりと手榴弾が転がってきたではないか。あまりの恐ろしさに私は、
ひい、と声を上げて固まるしかなかった。だが次の瞬間、隣から堂々と
した声が上がった。

「冥土で逢おう」

 それは隣にいた高瀬小隊長殿の言葉であった。
 途端小隊長殿は身を翻すと、手榴弾の上に覆いかぶさったのである。そしていくらか篭った
爆発音が轟いた。後に残るのは、四散した小隊長殿だった物の欠片であった。
 部下のため、戦友のため、手榴弾に身を投げる。堂々とした最期であった。

 小隊長殿を失った我々に去来した物は怒りであった。大切なものを奪った者への憤怒の感情で
あった。
 激情に駆られた私達は最早銃声など構うことなく果敢に敵陣地に飛び出していった。死をも怖れぬ
突貫は敵陣地に達し、遂に此の陣地を奪い取ることに成功したのであった。太平洋の広大な戦場に
あっては其れはとても小さな、されど珠玉の如く貴重な勝利であった。
 陣地に日の丸を掲げ、勝利の雄たけびを上げた我々は、隠し持っていた金平糖や羊羹を持ち合い、
ささやかな祝宴を開いた。そして軍神となった小隊長殿に即興の歌を作って捧げたのであった。

 思えば此の瞬間が人生の頂点であったと私は思う。
 小隊残余の凱歌の後は地獄の様な耐乏の日々であった。南太平洋の端で孤立した島への補給は
潜水艦を用いたささやかな物に過ぎず、食料物資は瞬く間に欠乏した。
 米の配給は小隊全体で一握りを下回り、その僅かな米を湯で膨らしたいと願っても炊事は無理な
相談であった。竈の火のほんの小さな煙でも敵はたちどころに発見し、唸りを上げる航空機が爆弾
を降らしたのだ。我々は泣く泣く飯盒を放棄し、米を生で齧る他無かった。
 更に追い討ちを掛けたのがマラリアだった。度々降りしきる南国特有のスコールは、壕の中を水で
浸し、各所で出来上がった水溜りは蚊の絶好の繁殖場所となった。薬が絶えて久しい此の病に一人
二人と戦友は倒れて行き、遂には私も又倒れる事となった。じめじめとし、むっとした熱気が渦巻く
地下壕で身動きすら叶わなくなった私は、自らの汚物に塗れながら、只じっと体力の消耗を抑制する
しかなかった。
 高熱にうなされ、度々失いかけた私の意識を繋ぎ止めたのは矢張り高瀬小隊長殿であった。
 出征し内地を離れ、此の南太平洋の孤島に着いた時から死は覚悟していた。だが、此の様に地の
底で汚穢に塗れ、情けなく死ぬのは真っ平御免だった。死ぬのならば高瀬小隊長殿の様に立派に
華々しく死にたかった。高瀬小隊長殿に救われた此の命、だからこそ同じ様に自慢できる使い方を
したかったのだ。
 高瀬小隊長殿という確固とした支柱をもった私の精神は、私に一夜二夜と夜を越えさせ、そして遂に
陛下の御聖断まで命を繋ぎ止めるに至ったのだった。
 かくして死地から生還し、二度と踏まぬと思った祖国の地を踏み締めた私に去来したものは虚脱感
だった。死に場所を失い、東京の焼け野原の如く空虚で閑散とした思いであった。
 圧倒的な脱力感の中で、其れでも私は此の侭野垂れ死んでは小隊長殿に申し訳が立たぬと自分を
奮い立たせた。生計を立てる為、軍隊時代では裁縫が得意だった事、南太平洋では擦り切れた軍服
の修繕で戦友から感謝された事を思い出し、足漕ぎミシンを買って小さな小さな縫製工場を開いた。
 其れからの半世紀は我武者羅に生きた半世紀であり、過ぎて見ればあっと言う間であった。
 東京の焼け野原には雨後の筍の如く建造物が林立し、最期には目も眩む様な高さの東京タワーの
完成に至った。そして誉れ高い東京オリンピックが開催し、瞬く間に終了する。高度経済成長を脇目も
振らず駆け抜けたがために、大阪万博の目玉、月の石を見る事は終ぞ叶わなかった。
 二度に渡るオイルショックを切り抜け、身体の節々が痛み出し、そろそろ引退を考え始めた時に世は
バブルの熱に浮かされていた。大学から帰ってきた息子達に縫製の基礎を叩き込み、隠居の準備を
していた所で不運にもバブルが弾けた。
 転がり落ちる工場の業績に歯止めを掛けようと、私は老体に鞭を打って日本全土のみならず、
東南アジアや懐かしの南太平洋まで駆けずり回った。その果てに待ち受けていたものは、階段を
上っている時に起きた突然の意識喪失であった。混濁した意識の中で私は医師の声を確かに聞いた。
脳卒中だと。そして全ての感覚を失い、追憶の世界に身を落として、私は時を忘れた。

 唐突に終わりを告げた私の半生は、思えば思う程に悔しかった。
 家庭は決して温かではなかった。家族を蔑ろにし、ひたすら仕事に明け暮れた私を、きっと妻も子も
恨んでいるだろう。
 今頃妻は清々したと私を哂い、息子達は傾いた会社を潰し、余った金で旅行でもしているのではないか。
 小隊長殿に救われた命は終ぞ誰も救わぬ侭終わりを告げようとしている。
 病室のベッドに横たわり、屎尿の世話すら自分では叶わぬ今の私は、南太平洋の地の底で死を拒み
続けたあのときと如何程の違いがあろうか。結局自分はあの時と変わらぬまま、何も残すこともできず
に死ぬしかないのだ。
 もし高瀬小隊長殿が生きていたなら、と私は繰り返し考える。どんな時でも凛然とした眼差しを無くさず、
部下の危機には自らの命を躊躇無く投げ出した高潔な精神を持った小隊長殿が生きていたならば、
あの時手榴弾に身を挺したのが自分であったならば、きっと私よりも多くの人を幸せにできたであろうに。
 蘇る高瀬小隊長殿の最期の姿に私は後悔と憤りを込めて自分に叫ぶ。何故あの時自分が飛び込まな
かった。何故自分が身代わりにならなかった。
 悔しさに歯噛みしたくとも顎は動かず、激情に駆られ拳を振り上げ様とも、腕は全く持ち上がらない。
嗚咽の涙すら奪われ、吐き出す事の叶わぬ私の慙愧は自身に対する極寒の失望となって私の意識を
飲み込んでいく。
 やがて寒い暗澹の底で意識は混濁を始める。くるくると回る走馬燈はこうして最初に戻るのであった。
 私の目が唐突に光を捉えた。それは死期を悟った私の身体が蝋燭の最期の瞬間のように身を燃え
上がらせて作った最後の奇跡なのかもしれない。霞んでいた視界が少しずつ晴れ上がっていき、遂に
私は久方ぶりに外の世界を見たのだった。
 最初に見たものは心配そうに私の顔を覗き込む妻の顔であった。私と目を合わせた妻は皺だらけの
顔をさらに皺くちゃにして喚起の涙を流す。その後ろでは記憶よりも随分と頭が禿げ上がった息子の
姿があった。その隣では今風のけばけばしい格好をした孫が立っている。その胸には見たこともない
赤子の姿があった。恐らく私の曾孫なのだろう。
 間違っていた、と私は反省した。同時に私は感激に満ち溢れていた。
 今私を囲む家族達は私が生きた証であった。そして同時にそれは高瀬小隊長殿が生きた証でもあった。
高瀬小隊長殿から受け継いだ命は、確かに受け継がれて此処にいる。そして繋いだその命、その家族
に看取られて死ぬ。歴史書に残る多くの英傑が望み、そして叶わなかった夢。此れ程の大往生が何処に
あろうか。
 私は決して惨めな最期を送ってはいなかったのだ。高瀬小隊長のように、堂々とした誉れ高い死を今
迎えようとしているのだ。
 失っていた筈の涙に、視界が滲んでぼやけていく。同時に白く霞んで消えて行く。最早二度と見る事が
無いだろうと悟りながら、私は終始満足感で一杯だった。

 白い光に包まれながら私は懐かしい声を聞いた。其れは今は亡き戦友の声であった。光の向こうで
私を呼んでいるのだ。
 中村上等兵の姿がそこにはあった。田中上等兵もいる。戦後靴べら工場を興した岡野伍長がいる。
ガラス工場の工場長だった高橋軍曹もいる。他にも、他にも。そしてその中心には、あの高瀬小隊長の
姿もあった。
 私は自然と敬礼していた。右腕は驚くほど軽やかに上がった。
 小隊長殿には言いたい言葉が沢山あった。だけどそれは感激の渦に飲み込まれ思い出せない。
 ならばせめて、堂々と、有りの侭のことを言おう。

「高瀬小隊長殿、自分は立派に死にました」

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