人外と人間

人外アパート リビングメイルと苦学生 5

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リビングメイルと苦学生 5 859 ◆93FwBoL6s.様

 好奇心は猫をも殺す。
 興味を抱かない方が身のためだ、と常々思っていた。それが彼女のためであり、自分自身のためなのだと。だが、結局調べてしまった。そして、後悔した。挙げ句に忘れようにも忘れられなくなって、眠気が失せてしまった。
 薄暗い天井を見つめながら、祐介は嘆息した。下半身には、求められるままに精を放った余韻が残っていた。今夜もまた、アビゲイルは祐介に迫ってきた。体を動かすための力を得るために、祐介の持つ生命力を吸収した。以前に比べれば慣れてきたが、それでもまだ拙さの残る愛撫を受けながら、途中で余計なことを考えそうになった。勃起が完全に衰える前に放つことが出来たが、あまり時間が掛かっていたら、出すどころではなくなっただろう。
 祐介の精液と生命力を受けて満足したアビゲイルは寝室を後にし、祐介は達成感を味わいながら眠りに落ちた。だが、眠りが恐ろしく浅く、すぐに目が冴えてしまった。性感に身を委ねても、どうしても払拭出来なかったからだ。それから一時間以上布団に寝転がっているが、眠くなるどころか更に頭が冴え渡り、目を閉じているのが苦痛だ。横になっていることすらも嫌になるが、眠ってしまうべきだと思う。しかし、意志とは反対に意識は冴えたままだ。

「…くそ」

 ナツメ球の淡い光が広がる天井に、苛立った呟きが溶けた。

「どうして俺は、あんなこと調べちまったんだよ」

 とうとう横になっていられなくなり、祐介は起き上がった。掛け布団を剥いで胡座を掻き、無意味に髪を乱した。勉強机の上には図書館でコピーしてきたレポート用の資料に混じり、中世時代の武具についての資料もあった。だが、今回のレポートは歴史ではなく、経済だ。だが、魔法関連の書籍が並ぶ棚に無意識に足が向いてしまった。そして、アビゲイルのようなリビングメイルが量産されていた時代の資料を漁り、それを見つけ出してしまった。

「魔剣って、何なんだよ」

 勉強机の前に座った祐介は、デスクライトを付けた。ナツメ球よりも鮮烈な白い光が、手元を明るく照らし出した。

「なんであいつが、あんなのを持っているんだよ」

 祐介は分厚い参考書の下に隠していたコピー用紙を出し、見下ろした。粒子の粗い写真には、剣が写っていた。飾り気はないが頑丈な銀色の鞘に収まり、植物のツタの模様が柄に刻まれている、有り触れた西洋剣だった。だが、その隣の抜き身の写真では、黒曜石のようにどす黒く艶を帯びた刀身にびっしりと文字が刻まれている。一目見て、異様な剣だと解る。そして、写真に付けられたキャプションは、この剣の恐ろしさを素っ気なく語っていた。
 中世時代に作成された魔法剣だが、他の魔法剣には見られない特性を持ち、殺害した相手の魂を吸収出来る。人の血を吸えば吸うほどに魔力が増大し、使い方に寄れば一振りで一万の軍勢を滅ぼすことが可能である、と。実際の歴史上でも、魔剣ストームブリンガーを携えた騎士が現れたことにより、戦況が一変した戦争が起きていた。他にも細々と説明が書かれていたが、目に入れたくなく、祐介はコピー用紙をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱に捨てた。
 伝説の魔剣ストームブリンガー。それは、アビゲイルが所有している正体不明の西洋剣と、全く同じ外見だった。ただの偶然だ、と割り切ることが出来れば良かった。だが、ストームブリンガーの機能と彼女の体質は酷似している。リビングメイルについても調べたが、一度魂を固定する魔法を施せば、個人差はあるが数百年は魂を維持出来るそうだ。だが、アビゲイルは違う。一週間程度で力が底を突き、祐介を求めてくる。今までは、それが当たり前だと思っていた。調べれば調べるほど一般的なリビングメイルとアビゲイルとの差異が目に付いてしまい、最後には調べることを止めた。あの剣が魔剣でなかったとしたら、それはそれで後味の良い結末だ。だが、魔法の才がなくとも嫌な予感ぐらいは感じる。

「アビー…」

 彼女と自分を隔てるふすまを見やり、祐介は力なく漏らした。彼女が現れてからというもの、祐介の生活は一変した。最初こそ、記憶をさっぱり失っていたので何をするのも上手く行かなかったが、一ヶ月もするとその才能を発揮し始めた。元々器用だったのか家事全般をそつなくこなすようになり、味見が出来ないのに丁度良い加減の食事を作ってくれた。だが、それだけではない。学業やバイトに疲れて部屋に帰ると、アビゲイルは部屋に明かりを付けて待っていてくれる。温かい料理を食卓に並べ、祐介を労い、話を聞いてくれる。それだけのことで、どれだけ祐介が救われてきただろうか。

「どうすればいいんだ、俺は」

 アビゲイルを手放したくない。彼女のいない日々など考えたくない。だが、彼女の傍には魔剣と思しきものがある。もしも、あの剣が本物のストームブリンガーだったとしたら、祐介には何も出来ない。何かしたくても出来るわけがない。せいぜい、ストームブリンガーに斬られて血の飢えを潤すだけだ。力もなければ頭もない祐介は、所詮その程度だ。
 ふすまの向こうで、畳に金属に擦れた音がした。祐介が顔を上げると、ふすまに手が掛かり、躊躇いがちに開かれた。寝室を覗き込んできたアビゲイルは、少し迷うようにヘルムを伏せたがすぐに上げ、ふすまを開けて寝室に入ってきた。

「祐介さん。起こしちゃったかしら?」
「寝付けなかっただけだ。アビーは寝たんじゃなかったのか?」
「そのつもりだったんだけど、なんだか落ち着かなくて」

 アビゲイルは祐介の枕元に膝を付き、正座した。

「誰だって、そういう夜はある」

 祐介は努めて平静を装った。アビゲイルは肩を縮め、俯く。

「ねえ、祐介さん。私、本当にここにいてもいいのかしら」
「何、言い出すんだ」
「私が何者なのか、解らないのが怖くない? 私が剣を持っていたことが、怖いとは思わない?」

 アビゲイルは太股の上できつく手を握り締め、肩を震わせた。

「私は、とても怖いわ。自分のことを何も覚えていないなんて、凄く変よ。それなのに、あんな立派な剣を持って
いるなんて物凄く変よ。ねえ、祐介さん。怖いのなら言って、本当のことを言って、お願い!」

 表情が出ないはずのヘルムが、涙で歪んだように思えた。

「私、祐介さんと一緒にいられて幸せだと思っているわ。茜ちゃんやヤンマさんも私に良くしてくれて、とても嬉しいわ。だから、ずっと祐介さんの傍にいたいって思っているのに、あの剣が目に付くの。私の知らない私が、剣を取れって言うの」

 両腕を掻き抱き、アビゲイルはか細い声を絞り出した。

「祐介さん…。私、どうしたらいいのかしら」

 女性型と言えど無骨な銀色の甲冑が、いつになく弱々しく見えた。そして、その内に眠る女性の姿が見えた気がした。過去を知らないことは、地に足が着いていないようなものだ。振り返ろうとしても道程はなく、それなのに自分が在る。現実を感じていても手応えはなく、自分を成すものが見えない。それがどれほど不安か、祐介は考えたこともなかった。
 アビゲイルが弱音を吐くのは、これが初めてかもしれない。彼女は、いつも優しい態度で祐介を受け止めてくれたからだ。だが、それはきっと、祐介に嫌われまいとするためにアビゲイルが無意識に纏ってしまった心の鎧だったに違いない。

「アビー」

 祐介は、アビゲイルの震える肩に触れた。

「怖いなら、何も考えなきゃいいんだ。その方が、ずっと楽だ」
「でも…」
「嫌なことを無理に見る必要はないんだ。皆、そうやって生きているもんだ」
「祐介さんも、そうなの?」
「俺だって人間だ。向き合えることもあれば、見るのも嫌なこともある」

 それが、今だ。アビゲイルの正体、魔剣ストームブリンガーと思しき剣、そのどちらも向き合えるとは思えなかった。だから、適当なことを言ってアビゲイルを受け流そうとしている。真情を吐露した彼女への態度としては、最低だった。他にどうしようもないからだ、と言い訳がましい言葉が祐介の脳裏を過ぎるが、同時にとてつもなく情けなくなってきた。アビゲイルを利用するだけしておいて、肝心な時には話も聞いてやれないような男が、これから何の役に立つのだろう。そう思ったら、情けなさが十乗にも百乗にもなった。祐介は切なげな視線を注いでくるアビゲイルと、目を合わせた。

「ごめん、言い直す」

 祐介は自嘲の笑みを浮かべ、アビゲイルの兜を押さえた。

「アビーはずっと俺の部屋にいればいい。むしろ、いてくれ。そうじゃないと色々と困る」
「本当に、いいの? だって、私は」
「半年以上も一緒に暮らしてきたんだぞ、今更出ていけなんて言えるか。それに、アビーが誰だろうが何だろうが」

 妙に照れ臭くなった祐介は彼女と目を合わせづらくなり、ぐいっと兜を押し下げた。

「俺にはどうでもいいことだ」
「何よそれぇ」

 アビゲイルは祐介の手の下から顔を上げ、言い返した。

「もうちょっと気の利いたこと言えないの、祐介さん?」
「他に思い付かなかったんだよ!」

 祐介はなんだか照れ臭くなって、アビゲイルから手を離した。身を起こしたアビゲイルは、すかさず迫ってくる。

「そんなんじゃ、女の子に嫌われちゃうわよ?」
「お前が部屋にいたんじゃ、彼女が出来ても連れ込めないだろうが」
「あら、その時はちゃんと外に出ていくわよ?」
「変に気を遣われると、尚更やりにくいんだが」
「じゃあ、どうしたらいいのよ、祐介さん」

 からかい混じりに笑うアビゲイルに、祐介はほっとした。これでこそ、いつものアビゲイルだ。

「好きになってもらえないのは解っているし、好きになってほしいなんて我が侭は言わないわ」

 だが、アビゲイルは途端に声色を落とした。銀色の手を伸ばし、祐介の頬に触れてくる。

「だから、これからも、祐介さんを好きでいさせて。祐介さんが普通の女の子を好きになったって、私は邪魔しないわ。いつか祐介さんが私を必要としなくなっても、それだけは許してほしいの」
「馬鹿、言うな」

 アビゲイルの手を外させた祐介は、その硬い手首を握り締めた。こんなに思われているのに、自分は何が不満なのだ。アビゲイルがリビングメイルでなければ、躊躇わなかったのか。だが、リビングメイルではないアビゲイルなど想像も付かない。リビングメイルでいることも含めて、アビゲイルはアビゲイルなのだ。それなのに、中途半端なところに留まり続けている。
 祐介はアビゲイルの手首を離すと、彼女を居間に促した。アビゲイルは少し渋ったが、祐介に従って寝室を後にした。ふすまが閉められると、二人の空間が区切られた。仰向けに寝転がった祐介は、再び天井を見つめ、強烈に自責した。それでも、これでいいのだと自分に言い聞かせる。魔剣ストームブリンガーが本物であったら、祐介は何も出来ない。だから、部屋の主と居候という関係のままの方がいい。その方が、何かが起きてもアビゲイルを苦しめずに済むはずだ。
 いや。苦しみたくないのは、自分だ。






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