人外と人間

人外アパート リビングメイルと苦学生 4

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関連 → ヤンマとアカネ

リビングメイルと苦学生 4 859 ◆93FwBoL6s.様

 洗濯物の詰まったカゴを抱え、狭いベランダに出た。
 アビゲイルは力強い暖かさを含んだ日光を甲冑に浴びて、目を細めるような気持ちで、ヘルムの上に手を翳した。春めいてきたと思ったら、急に気温が増してきて日中は暑いくらいだ。ついこの間までは、あんなに寒かったのに。風に乗って舞い込んできた桜の花びらが、年季の入った木製のベランダに散らばり、淡い模様を造り上げていた。
 祐介一人分しかない洗濯物が入ったカゴを下ろしたアビゲイルは、一枚ずつ丁寧にシワを伸ばしながら干した。普段着のシャツやジーンズ、下着類、バイト先の制服、タオルなどを干していると、隣室のベランダで物音がした。ベランダを遮っているのは薄いベニヤ板なので、プライバシーはあるようでない。少し身を乗り出せば、様子も窺える。

「キューンキューン、キューンキューン、わったーしのかーれはおにやーんまー」

 やたらと可愛らしいメロディーと歌詞の歌を口ずさんでいる声は、紛うことなきヤンマだった。

「キラリ光って急降下ぁー、ブーンと羽ばたいて急上昇ぉー、長く尾を引く特攻服でぇー。大きなー、ハートが重ねてふーたつ、青ーい大空ー、らーぶさーいんー、あいらっびゅー、ゆーらーぶみぃー、だーけど彼ったら私よりぃー、なわばぁーりあらっそーいにお熱なのぉー」

 歌い終えた頃を見計らい、アビゲイルは身を乗り出してヤンマに声を掛けてみた。

「おはよう、ヤンマさん」
「へぐおっ!?」

 隣室のベランダで、ヤンマは奇声を発して仰け反った。足元には、アビゲイルと同じように洗濯カゴが置かれていた。ハンガーには茜のブラウスやシャツが掛けられていて、どうやら洗濯物を干しながら無意識に歌っていたようだった。

「なあに、さっきの歌。すっごく可愛かったわ」

 アビゲイルがにやにやすると、ヤンマは後退っていった。

「いや…別に」
「何の歌なんですか?」
「茜が歌ってたんだよ。たぶん、なんかの替え歌だと思うんだがな…」

 ヤンマはひどくばつが悪そうに、爪で複眼を押さえた。

「歌詞はアレだけどなんか頭に残っちまったもんだから、つい口に出ちまって。速攻で忘れてくれ」
「そうね、祐介さんには黙っておいてあげるわ」
「つーことは、茜には喋るんだな?」
「うふふふふっ」
「アビィイイイイイッ!」
「いやぁね、冗談よ。それで、その歌の主の茜ちゃんは? ヤンマさんが洗濯物を干しているってことは、いないのよね?」
「あ、ああ、まぁな」

 平静を取り戻したヤンマは、洗濯カゴから茜の下着を取り出し、物干しハンガーに下げた。

「学期明けのテストがあるから、クラスメイトとうちで勉強会するんだとさ。んで、さっき茜の携帯に電話があったから、茜はそのクラスメイトを駅前まで迎えに行ったんだよ。確か、転校生もいるとか言っていたな」
「じゃ、お昼ご飯でも差し入れしようかしら。ヤンマさんはどうするの?」
「邪魔になると何だから、適当にその辺を飛び回ってるさ」

 洗濯物を干し終えたヤンマは、隣室の居間に戻った。アビゲイルは乗り出していた身を戻し、空のカゴを持ち上げた。すると、玄関のチャイムが鳴らされたので、アビゲイルは洗濯カゴを脱衣所に置いてから玄関に向かって声を上げた。

「はーい、今出まーす」

 アビゲイルがドアを開けると、そこには、当の茜と黒衣の少女、そして水色のトンボ人間が立っていた。

「おはよう、アビーさん!」

 茜が挨拶すると、後ろの二人も一礼した。クラスメイトと思しき少女は茜よりも頭一つ背が高く、黒髪を長く伸ばしていた。春先にはあまり似付かわしくない黒いワンピースを着ていて、首からは六芒星が印された金貨のペンダントを下げていた。顔付きも高校生にしては大人びていて、涼やかな目元と華奢な首筋が印象的な、落ち着いた雰囲気を纏った少女だった。
 そして、もう一人、というか、もう一匹である水色のトンボ人間はヤンマよりも小柄だが、それでも人間に比べれば大きい。水色と藍色の外骨格、透き通った四枚の羽、深青の複眼。アビゲイルが二人に名乗ろうとすると、隣室のドアが開かれた。

「あっ、兄貴! マジ久し振りっす、つかマジ元気してたっすか?」

 水色のトンボ人間が軽薄な口調で挨拶すると、ヤンマが大股に歩み出てきて、トンボ人間の頭を掴んだ。

「転校生って何かと思ったら、お前かシオカラぁああああっ!」
「あっ、兄貴ー、サーセンサーセンマジサーセーン! てか親の転勤なんすよー、マジ不可抗力っすー!」

 唐突にヤンマの上右足の爪で頭を掴まれたトンボ人間、シオカラはヤンマの力に押されて前のめりになっていった。

「お前は俺より二つ年下だろうが、なんで二度目の二年生やってんだよ!」
「ダブったんすー、てかマジそれだけっすー!」
「なんで寄りによって茜の学校に転校してきやがんだ、ああぁ!?」

 シオカラの頭部を上両足で挟んで持ち上げたヤンマが凄むと、シオカラはばたばたと羽を揺らして暴れた。

「それもマジ不可抗力っすー、親が勝手に決めたんすー! つかマジ痛っ!」
「あの、ヤンマさん…?」

 事の次第に付いていけないアビゲイルが恐る恐る声を掛けると、ヤンマはシオカラを投げ捨てた。

「こいつも有り体に言えば俺の幼馴染みだが、茜と違って腐れ縁だ。こいつのせいで、俺はどれだけ迷惑を被ったことか」
「具体的にはどういうことなの、茜?」

 黒衣の少女が茜に尋ねると、茜は苦笑した。

「しーちゃんってね、いい加減なんだぁ。勝てもしないのに昆虫人間にケンカ吹っ掛けて、全部ヤンマに押し付けちゃうの。おかげでヤンマはケンカ慣れして馬鹿みたいに強くなっちゃったけど…。あ、でも、しーちゃんは悪い子じゃないよ。本当だよ」
「悪意がねぇから尚更腹立つんだろうが!」

 身を屈めたヤンマが俯せに倒れているシオカラの首を掴むと、シオカラはへらっと笑った。

「サーセン。つか、兄貴もマジ変わらないっすねー。つか、仕事はどうしたんすか? 今日、祝日っすけど平日っすよ?」
「うるせぇダブリ野郎! 黙って勉強しとけ!」

 ヤンマはシオカラを乱暴に放ると、立ち上がり、二階廊下の手すりに下右足を掛けた。

「どこ行くの、ヤンマ?」

 茜に問われ、ヤンマは爪先で空を示した。

「これ以上そいつの傍にいたら、本気で頭を叩き割っちまいそうだからな。夕方までには帰る」
「うん、いってらっしゃーい」

 茜が手を振ると、ヤンマは空中に身を投じ、落下した瞬間に四枚の羽を羽ばたかせて大柄な体を浮かび上がらせた。乾いた空気が叩かれ、砂が舞い上がってきた。茜はヤンマの背を見送ってから、頭を押さえているシオカラを見下ろした。

「大丈夫、しーちゃん? ヤンマのアイアンクローって、いつ見ても痛そうだもんねぇ」
「なんとか平気っすー、つか兄貴マジパネェー…。マジ頭割れるかと思ったー…」

 シオカラは起き上がり、がちがちと顎を鳴らしていた。そして、突っ立っているアビゲイルに気付き、上右足を上げた。

「兄貴のせいで名乗り遅れたっすけど、俺っち、茜ちゃんのダチのシオカラっす!」
「真夜です」

 黒衣の少女も、再び一礼して名乗った。アビゲイルは気を取り直してから、名乗り返した。

「私はアビゲイル。この部屋に居候させてもらっているのよ」
「じゃ、アビーさん、そういうわけだからよろしくね!」
「お勉強、頑張ってね」

 笑顔の茜にアビゲイルが頷き返すと、茜は一人と一匹のクラスメイトを伴って自室に入り、弾んだ会話が聞こえてきた。アビゲイルがその様子を微笑ましく思っていると、背後で寝室兼勉強部屋のふすまが開き、身支度を終えた祐介が現れた。

「えらく騒がしかったが、何があったんだ、アビー?」
「茜ちゃんが勉強会をするってお友達を二人連れてきたんだけど、男の子の方がヤンマさんの幼馴染みだったのよ」

 アビゲイルが説明すると、祐介は勉強道具の詰まったショルダーバッグを肩に掛け、玄関にやってきた。

「んで、ヤンマはそいつに絡んで荒れたってわけか。相変わらずだな。もう一人の方は普通の人間か?」
「ええ。茜ちゃんより大人っぽい女の子で、綺麗な子だったわ」
「そりゃいいことだ」

 スニーカーを履き終えた祐介は立ち上がり、ドアに手を掛けたが、ドアスコープに目を留めた。

「アビー。ドアスコープ、いつの間に直したんだ? 確か、お前がすっ転んでヘッドバッドして割っちまったはずだよな?」
「あれは雨で床が濡れていたのと、お買い物の荷物で両手が塞がっていたから転んじゃったのよ」

 アビゲイルは少しむっとしたが、真新しいレンズの填ったドアスコープを指した。

「アパートの前を通りかかった人が直してくれたのよ。人間、っていうにはちょっと不思議な感じの人だったわ。顔に填っていた部品は機械なんだけど、外見はどことなく生身っぽいっていうか、上手く説明出来ないんだけど。修理の御礼に、その日の夕ご飯に作ったロールキャベツをお裾分けしたわ。多田さん、って言ったかしら」
「そりゃ、たぶんバイオノイドだな」
「バイオノイド? それって人間とは違うの、祐介さん?」
「ロボットと人間の中間、というか、生体部品に極めて酷似した機械部品で構成されているから機械と言えば機械なんだが、人間といえば人間なんだ。俺は機械工学科じゃないから細かいことまでは説明出来ないが、言っちまえば即戦力の労働力だな」

 スニーカーのつま先を床に叩き付けてから、祐介はドアを開けた。

「宇宙開発、戦争、ゴミ処理、建設現場、原子力関連、と、生身の人間じゃ出来ないこと、したくないことをさせるための存在だ。バイオノイドを人間扱いしない連中もいるみたいだけど、俺はそうは思わないな。頭ごなしに否定するのは好きじゃないんだ」
「そうよね。普通の人が出来ないことをするんだから、立派よね」

 祐介は玄関を出ると、一旦振り返った。

「じゃ、俺も勉強しに図書館に行ってくる」
「いってらっしゃい、祐介さん。レポート、頑張ってね」

 アビゲイルは彼に手を振りながら、見送った。祐介は少しだけ躊躇ったが、軽く手を振り返し、年季の入ったドアを閉めた。階段を下りる足音が下がり、遠のいていくのを聞きながら、アビゲイルは隣室で勉学に励む高校生達の昼食を考え始めた。茜はアビゲイルの作る料理は大抵喜んでくれるが、真夜は初対面でシオカラは昆虫人間なので、注文を聞いた方が無難だ。うっかり嫌いなものを作ってしまっては、彼女らもだがアビゲイルも切ない。だから、頃合いを見計らって、隣室を訪問しよう。駅前のスーパーへ買い出しに出るのも、その後がいいだろう。注文によっては、昼食の材料を買い揃える必要があるからだ。
 とりあえず、今は掃除をしなければ。掃除機を使わずに水拭きしよう、とアビゲイルは玄関から室内に戻りかけ、足を止めた。傘立てに突っ込んである西洋剣が、うっすらと埃を被っていた。アビゲイルはそれに触れかけたが手を下げ、脱衣所に入った。
 あれには触らない方が良い。バケツに水を張って雑巾を濡らしながら、アビゲイルは西洋剣のことを頭から振り払おうとした。自分の持ち物であるはずなのに、いつもあの剣が怖い。気にしないようにしているのに、視界に入ると思考を奪われそうになる。触れたりすると、抜いてみたい衝動に駆られることもある。だが、あの剣を抜いてはいけない。取り返しの付かないことになる。根拠はなかったが、そう思えて仕方なかった。だが、抜かなければいけない、という衝動もまたアビゲイルの奥底に宿っていた。
 その衝動から目を逸らすため、アビゲイルは掃除に没頭した。


 勉強会の余韻に浸りながら、真夜は帰路を辿った。
 茜。シオカラ。そして、隣人のアビゲイル。一年生の頃から仲の良かった茜から誘われた時は、正直言って戸惑っていた。昆虫人間と接したことは少ないし、何より転校してきたばかりだったので、シオカラとは仲良くなれるとは思っていなかった。言動も軽薄で好きなタイプではなかったが、話し込むうちにシオカラの良さが解ってきて、これからも付き合えそうだと思った。アビゲイルも年上のお姉さんを絵に描いたような女性で、昼食に出されたサンドイッチは野菜がたっぷり入っておいしかった。味付けも丁度良く、マヨネーズは辛味が効いているが強すぎず、一緒に出されたマカロニスープもコンソメの優しい味がした。
 家に帰るのが惜しかったが、ヤンマも隣室の主の祐介も帰ってきたので、真夜とシオカラは帰らざるを得なくなってしまった。シオカラとは途中まで一緒だったが、自宅の方向が違うので別れてしまった。夜道には慣れているが、今ばかりは寂しい。
 自宅に到着した真夜は、玄関の明かりを付けてから廊下の明かりを付け、ヒールの付いたローファーを脱ぎながら言った。

「ただいまぁ」

 だが、声は返ってこない。当然だ。真夜は勉強疲れで筋肉が強張ってしまった肩を回しつつ、リビングに入って明かりを付けた。八畳の洋間のリビングには、六芒星の壁掛けが掛けられていて、天井に届くほど大きな棚には魔法道具がずらりと並んでいた。水晶玉、ドラゴンの彫刻、鈍い光を放つ短剣、古びた魔導書など、両親がヨーロッパ方面で買い集めてきた中世時代の品々だ。リビングテーブルの下に敷いてあるラグも六芒星で、六芒星を囲む円の回りには、魔法文字がびっしりと縫い付けられている。棚の脇には、剣を携えた金色の全身鎧が直立している。だが、両親が調べた結果、これはリビングメイルではないようだった。
 真夜の両親は、どちらも秀でた才を持つ魔術師だ。そして、真夜自身も高い魔力を有しているが、魔術師を名乗るには未熟だ。そして、二人はその優秀さ故にどちらも極めて忙しく、自宅に帰ってくるのは年に数回で、実質的に真夜は独り暮らしをしている。どれほど科学が発達しても、どうにも出来ないことがある。そういったことを処理するためには、魔術師の存在は不可欠なのだ。

「夕ご飯、作らないとなぁ」

 真夜は独り言を零しながらリビングに入り、黒革のソファーに勉強道具の入ったバッグを投げ、座り込んだ。

「でも、アビーさんほどおいしくは作れないだろうなぁ」

 真夜は薄いグレーのタイツに包まれた足を投げ出し、首に掛けていた魔力制御のペンダントを外してテーブルに置いた。ワンピースのファスナーを外して下ろし、脱いだ。魔力抑制作用のある染料で染めたワンピースは、機能は高いが可愛くない。今の季節には暑苦しいので着たくないのだが、着なければ制御力が緩い魔力が外に出てしまい、困ったことになってしまう。

「先にお風呂に入ろうかな。汗掻いちゃったし」

 スリップ姿になった真夜は汗ばんだ首筋を拭ってから、金色の全身鎧に近付いた。

「あなたが動いてくれたら、少しは寂しくないんだけどね」

 真夜は冷たいマスクに触れて、つるりと撫で下ろした。ヘルムの奥には何も見えず、浅い闇が満たされているだけだった。彼がリビングメイルでないことは承知しているが、また一人になってしまった寂しさが堪えきれず、真夜はかかとを挙げた。金色の滑らかなマスクに、柔らかく唇を当てた。かかとを下ろして身を引くが、やはり何も起きず、真夜は解っていたが落胆した。とりあえず、お風呂に入ってさっぱりしよう。それから在り合わせの夕食を作って食べて、明日の準備をして早く寝てしまおう。
 真夜がリビングと廊下を繋ぐドアを開けると、金属音が聞こえた。ドアノブを回した音とも異なる、涼やかな硬質な音だった。まさか、でも、そんな。戸惑いながら真夜が振り返ると、金色の全身鎧は首関節を軋ませながら、ヘルムに真夜を映し込んだ。

「ここは…」
「なんで、動くの? あなたはリビングメイルじゃないはずなのに」

 真夜が恐る恐る近付くと、金色の全身鎧は首を振り、呟いた。

「私は、死んだのか? ならば、ここはヴァルハラか?」
「二十一世紀の日本よ」
「は?」

 金色の全身鎧が面食らったので、真夜は彼の胸部装甲に触れてみた。

「んー…」

 気合いを入れて魔力を流し、感じてみると、金色の全身鎧にはリビングメイルと化すための魔法が施されていた気配はない。だが、残留思念が強烈にこびり付いている。魂の古さからして、金色の全身鎧と同じ年代に死亡した人間の魂のようだった。安直に考えて、魂の主は全身鎧の使用者だろう。戦死した人間の残留思念が武具にこびり付いているなど、よくある話だ。けれど、なぜ、両親の魔力では目覚めずに真夜の魔力で目覚めたのだろうか。ただ単に、相性が良かったのかもしれない。

「あなた、名前は?」

 真夜が問うと、金色の全身鎧は少し間を置いてから答えた。

「アーサーだ」
「アーサー。良い名前ね。私は真夜」

 真夜が笑むと、アーサーは少しやりづらそうに顔を背けた。

「だが、なぜ、君はそのような薄着なんだ? うら若き婦人が肌を曝すのは、あまり良くないと思うが」
「え、あ、ああ、気にしないで!」

 真夜はスリップ姿であることを思い出し、動揺した。慌ててワンピースで体の前を隠すが、肩や足は隠れなかった。

「無事だったか、聖剣エクスカリバーよ!」

 真夜の姿を見まいとするのか、アーサーは手にしていた剣を掲げた。

「え、でも、それも普通の剣…」

 真夜が訝ると、アーサーは鞘から剣を引き抜き、滑らかな艶を纏った幅広の刀身を横たえた。

「聖者とは賢者、賢者とは隠者だ。エクスカリバーが真の姿を現すのは、魔剣ストームブリンガーと相見えた時のみだ」
「含蓄深いわね」

 そうは言ったが、真夜はアーサーの話を信用していなかった。エクスカリバーもストームブリンガーも、伝説の剣だからだ。伝説と名の付く品は、知名度の高さ故に贋作も作られやすい。実際、これまでにも数十本のエクスカリバーが発見されている。だが、そのどれもが中途半端な力しか持たない魔法剣で、聖剣エクスカリバーと称されるには足りないものばかりだった。それはストームブリンガーも同様で、本物にも等しい偽物が出回りすぎて、魔術師達も本物を探し出すことを半ば諦めている。

「真夜と申したな」

 剣を鞘に収めたアーサーは、片膝を付いて真夜の左手を取った。

「君の口付けは、私の魂を現世に誘ってくれた。魔術の心得があるとお見受けするが、魔女と言うべきではない。君は聖女だ」
「あれは、ただの偶然っていうか」

 真夜が照れて俯くと、アーサーは真夜を見上げてきた。

「それは神の思し召しと言うべきだ、真夜。私には、魔剣ストームブリンガーとその操り手を断罪する使命が与えられている。だが、それは魔剣もまた同じこと。ストームブリンガーは、エクスカリバーを葬り去るために私に戦いを挑んでくるに違いない。私を目覚めさせてくれた君にも危険が及ぶかもしれないが、聖騎士の誇りに掛けて君を守ることを誓おう」

 アーサーは真夜の左手の甲に、マスクを当てた。その仕草と感触に、真夜は意味もなく赤面した挙げ句に固まってしまった。アーサーは真夜の左手を解放して立ち上がり、剣を抜いた。聖騎士の誓いと思しき勇ましい文句を並べ、雄々しく胸を張っている。
 アーサーの立ち振る舞いは、真夜が幼い頃から憧れていた騎士そのものだった。生憎、王子様には魅力は全く感じない。どうせなら、華奢な白馬よりも黒い毛並みの筋骨隆々の馬の方が良い。振り翳す剣も、突き刺すだけのレイピアでは物足りない。誰もが目を奪われる美しさと気品を持ち合わせた美少年よりも、甲冑に身を包んで雄々しく戦う猛者の方が魅力的だと思うのだ。
 聖剣エクスカリバーに選ばれし、聖騎士アーサー。それがどこまで本当かは解らないが、嘘じゃなかったらいいな、と思った。魔法の心得がある者として、聖剣にも魔剣にも興味がある。真夜は胸の高鳴りを感じ、金属の感触が残る唇にそっと触れた。
 ファーストキスだった。






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