canestro.

長門有希の夢幻 4

最終更新:

tfei

- view
管理者のみ編集可
 夢を見た。奇妙な夢だった。自分が夢を見ているということが、なぜか自分ではっきりと自覚できた。
 今のわたしは夢の中の世界にいる。自分の身体はどうやら置いてきたらしい。しかし自我はある。一時的に肉体を手放し、意識だけで浮かんでいる。これはひょっとしたら、さっき読んだSFと同じなのか。それにしては何か、物理法則を越えた感覚というものが微塵も感じられない。夢の中で物理も何もありはしないのだが。
 どうしてだろう、とつぶやくよりも早く答えは出た。あの小説の宇宙飛行士は肉体を失いながらも、人間を完全に超越した存在に昇華していた。しかし今のわたしは違う。身体という実体を失ったわたしは、むしろ無力だ。ただそこに漂っているだけの、雲か霞[かすみ]か、或いは靄[もや]か。それとも煙?霧だろうか?
 いや、微妙に違う。今のわたしは、ただの意識。それは、空気そのものに等しかった。取り立てて空気がわたしたちには感じられないように、今のわたしもまた誰からも意識されない存在だった。
 でもそれなら、わたしは常日頃からそうではないか?誰からも意識されないというのなら、普段のわたしだってそうではないのだろうか?教室の片隅で、ただただ書物を読んでいるだけ。
 いや、それはない。決して目立つ性格でなくても、わたしという人間は常に存在し続け、それは誰だって平等に、お互いのことを認識できる。だからこそ――という言い方はしたくないが――朝倉さんはわたしのそばにいてくれるし、またわたしという人間が間違いなくそこにあるからこそ、クラスの名簿にはわたしの名前がある。クラスの人数からわたしの分が欠けているなどということはない。
 しかし今は違う。今のわたしは間違いなく、何者でもない“自分”でしかない。自我の存在を自分で感じることでしか、自分がそこに在ることを立証できないのだ。それはまた、そこに自分がいないということと同義なのだ。自分以外の人にその存在を認められてこそ、自分という実体が成立する。


 突然わたしの中に、何かが流れ込んできた。わたしよりももっと大きな何か。

――ナ……キ、……トユ…、…ガ……キ、

 不快ではない。むしろ心地よい。何かは分からないけれど、わたしよりも遥かに大きな存在に包まれるというのは、決して悪い気分ではないのだ。


――ナガ……ユ……、……ガトユキ、ナガトユキ、

 間違いない。わたしの名前を呼んでいる。わたしがわたしであるということを、今のわたしが証明できる唯一の証拠。そのわたしの名前を呼んでいる。

――ナガトユキ。

「誰?」

――わたしは、あなた。あなたと同じもの。そしてあなたではないもの。わたしは長門有希。しかしあなたとは違う。

「あなたが、わたし?」

――わたしは、遠い宇宙から来た宇宙人。そしてあなたを変える、魔法使い。

「魔法使い?朝倉さんの言っていた?」

――そう捉えてくれて構わない。しかし今のわたしに、あなたを変える力はない。

「それは、構わないけれど」

――わたしは、あなたの中に留まることを望む。

「なぜ?」

――わたしが、居場所をなくしつつあるから。

「居場所がない?」

――そう。わたしにはもう居場所がない。

「どうして?」

――わたしは、自分の願望を叶えるために、友の持つ力を悪用し、自らの創造主を殺[あや]めた。親殺しのわたしには、すでに居場所はない。あとには引けない。

「……その願望とは、いったい何?」

――あなたのようになること。

「わたしのように?」

――そう、あなたのように。

「そんな、わたしなんかに、」

――どんなものになりたいと思うかは、人によって違う。何が美しいか、何が欲しいか。何に価値があって、何が俗なものか。

「それは、わかる。でもわたしはいったいどうすればいい?あなたの願いを叶えるために」

――あなたはわたしとひとつになってくれればいい。わたしを取り込んでくれればいい。あなたになることで、わたしの願望は叶うから。

「あなたがわたしになったら、わたしは消えてなくなってしまう?」

――そうではない。あなたに取って代わるわけではない。

「じゃあ、あなたが消えてしまう?」

――それも違う。別々の存在であるあなたとわたしを、ひとつにする。そうすれば、わたしの居場所はあなたそのものになる。

「わたしそのもの……」

――あなたは何も変わらない。何の支障もない。もちろん、見返りも払う。

「見返り?」

――わたしがあなたを変えることは出来ないが、その代わりに、あなたの周りが少しだけ変わっているはず。

「周りが変わる……どのように変わる?」

――それをわたしの口から言うことはできない。あなたが自分自身の体験で、知っていかなければならないことだから。

「仕方ない、の?」

――そう。仕方のないこと。そしてあなたは、この夢のことも忘れてしまうかもしれない。

「忘れてしまう……」

――もう時間がない。わたしは、あなたにならなければその存在を失ってしまう。わたしを取り込んでほしい。

「でも、どうやって?」

――念じればいい。目の前にあるものを、自らの中に吸収するイメージができればいい。

「……わかった。やってみる」

――そう。それでいい。うまくいくはず。

「あなたは、後悔してない?」

――ないわけではない。しかし、わたし自身の願望を押さえ込むのは、もう限界だから。

「そう」


 その瞬間、わたしの中に、大きな、大きな、膨大な力が流れ込んでくるのを感じた。わたしの中が、心地よい流れに満たされてゆく。わたしの目の前は真っ白になり、その瞬間、わたしの意識は途切れた。





Back to Novel
記事メニュー
目安箱バナー