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長門有希の夢幻 3

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tfei

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 わたしは一応の礼儀としてチャイムを押しておいた。朝倉さんは大声で、入って、とわたしに言う。手が離せないのかもしれない。
「……お邪魔します」
「いらっしゃい。ちょっと用意が遅れちゃって、まあそんなに時間はずれ込まないだろうけど、適当に時間つぶしてて。あ、民放じゃなくて、NHKつけてよ。総合じゃなくて教育のほう」
「……ドラマ?」
「このドラマ、長門さんが気に入るんじゃないかと思って。BBCのやつよ……ああ、びわ湖放送じゃなくてイギリスの」
 BBC、正式名称を英国放送協会という。ドキュメンタリーなら学校の授業で見たけれど、BBCのドラマを見たことは今までなかった。生物の先生が、世界最高の放送局はイギリスのBBCだ、と言っていたのを、“思わず思い出した”。
 ドラマが始まる。三十路過ぎくらいの白人男性と、あまりかわいらしいとは思わない女性が主人公だ(どう見てもキャスティングミスだろうか、それとも意図的に選んだ?)。男性のほうはひょうきん者でおしゃべりで、見かけはユニークだけれど、行動の根底はチャラチャラしていなくて、少しカッコいいかもしれない。
 わたしはリビングの机、と言うよりこたつの中に足を入れた。自分の部屋にもこたつを置こうか、と自身に提案する。いや、きっと自堕落になってしまうだろう。風呂にも入らずに一晩中寝たりしかねない。   
 青い電話ボックスを模したタイムマシンと、それを駆って古今東西を旅する不老不死の宇宙人(と、それに随行する人間の少女)。わたしたちと見た目は同じでも、本質的に違うもの。不思議だった。人間はこんなに面白いドラマが考えつくものなのだ。わたしも少しは見習わなくてはならない。
「ひょっとして長門さん好みじゃなかったかしら?お口に合うかどうか心配で」
 少し困ったような顔をする朝倉さん。わたしの思うところはいろいろとあるけれど、とっさに口にできたのは、「……ユニーク」の一言だけ。情けない。もう少し他に言いようがあろうに。
「面白かった?」
「うん」
「良かった。先週たまたま見つけたんだけど、これはきっと長門さんが気に入ってくれると思って」
「……ありがとう」
「どういたしまして。でも日本のゴールデンのドラマより、よっぽどユーモアに富んでるし設定も作り込んであるわよね……もうこれ一本にしちゃおうかしら」
「朝倉さんまで、わたしに合わせなくても」これはわたし個人の趣味なのだ。そこまで朝倉さんに合わせてもらうわけにもいかない。
「まあ、考えとくわ。あ、これからも見に来てくれていいけど、普段は火曜日だからね。今週は国会中継かなんかで1日繰り上げになってたけど」
「火曜日、7時」
「そう。忘れないようにね。ご飯できたわよ」
「うん……これは、カレー?」
「はずれ。ハヤシライスよ」
「……うかつ」
「そこまで言うなら最初から間違えなきゃいいのに」
 そう言いながら、朝倉さんは手際よくハヤシライスとサラダを並べていく。「手伝う」
「いいのよ。長門さんは座ってて。お客様に手伝わせるわけにはいかないわ」
「……ごめん」
「ほら、食べましょ。食べないならわたしがもらうけど」
「食べる」朝倉さんに2人分食べさせるなんて。
「じゃ、いただきます」
「いただきます」
 朝倉さん、いつもいつもありがとう。そんな思いを、久しぶりの2人での“いただきます”に込めた。この程度では、お礼もお返しにはならないだろう。こうやって少しずつ感謝の気持ちを示すほかに、わたしができることはあるのだろうか。本当は何かしら、いや、何だってやらなければならないのだけれど。
「ほら長門さん、暗い顔しない。せっかく一緒に晩ご飯食べられるんだから、楽しくやりましょ」朝倉さんはやや高揚した声色で言った。
「うん、そうする」わたしはそのほかに、何一つ返せる言葉を持ち合わせていなかった。

「朝倉さん」
「何かしら?」朝倉さんはスプーンを止め、視線を皿からわたしに向け直した。
「なんで、そんなに」
 明るくしていられるの、と聞こうと思ったのだが、遠回しに朝倉さんが能天気だと言っているように取られないか心配になって、口を止めた。「そんなに、何?」
「……ううん、何でもない」
「そう。何でも遠慮なく聞いてよ?あ、長門さん、」
「なに?」
「こないだ初めて知ったんだけど、あなた、キョン君と知り合いだったの?」
「……キョン君?」
「ほら、今わたしの前の席にいる人よ。ちょっと目が細くて、モミアゲの長い」
 そこまで聞いてピンときた。『彼』だ。今年の春に図書館で会った彼。5組にいるのは何度か見かけたことがあったけれど、なぜ朝倉さんがそれを知っているのだろう?
「昨日、彼に言われたのよ。お前がよくかまいに行ってる生徒、ひょっとして長門って娘じゃないか、って」
「彼は、わたしのことを知っている?」
「どうかな、分からないわね。直接長門さんに会えば思い出すんじゃない?」
「会えば……?」
「そう、会えばきっと彼も思い出してくれるわよ!鈍い人だからあんまりあてにはできないけど……悪い人じゃないと思うわ」
「うん。わたしも、そう思う」
 それだけしか言っていないはずなのに、心なしか体温が上がったように感じた。朝倉さん特製の、この熱々のハヤシライスのせいだ。そう考えることにした。
「どうしたの?顔が赤いわよ?」
「別に、わたしは」
「なに?今になって思い出して赤くなってるの?」
「そんなこと、」
「ま、長門さんとキョン君の間に何があったかは知らないけど、仲良くなりたいんだったらわたしに声かけて。またキョン君に言っておくから」
「……わかった」
 朝倉さんはどこまでわたしの考えを見抜いているのだろう。わたしと彼がどういう関係だと思っているのだろう。わたしはたいてい朝倉さんと一緒にいるから、まさか恋人同士だなんて思ってはないだろうけれど(そして悲しいかな、実際にも恋人同士ではないのだ)。


「ごめん、ドレッシングしかないわ」
「え?」
「わたしマヨネーズ嫌いだから普段買ってないのよ」
「……うん。わたしも、好きじゃない」
「なら助かったわ。はい」
 そう言って朝倉さんは食卓の真ん中に和風ドレッシングのボトルを置いた。いつもわたしの買っているものとはメーカーが違うけれど、さしたる違いもないだろう。
「中華風のほうがいい?」
「こっち」
「そう。あ、使い終わったら次貸してね」
「うん」そう答えて、わたしはドレッシングのボトルを両手で振った。片手で振ると、ボトルについた水滴で手を滑らせてしまうかもしれなかったから。
 朝倉さんの薦めてくれた映画は今ひとつだった。あまりにベタだったのもあるし、わたし自身の好みにも合致しなかった。悪い映画だとは言わないが、感動できたかと言えばそれは違う。わたしでも書けるだろう、とはあまり言いたくはないけれど。また原作を探して読んでみよう。全然違った話かもしれないし、また新たな味わいがあるかもしれない。
「こんなにうまいこといくもんかしらねぇ……フィクションだからある程度は目をつぶれるけど、これはちょっとね」
「……」
「2年くらい前だったかな、同じようなストーリーのドラマがあったのよ。火曜日か木曜日か忘れたけどね。あれは逆に間延びしてて面倒だったわ。11時間もあったらどうしても内容は薄まるのよ」
 はぁ、とわたしは頷いた。朝倉さんは続ける。
「やっぱりこういうのは形から入らなきゃダメね。まぁ長門さん、見ててちょうだい。あなたはこの映画よりももっともっとかわいくしてあげる。わたしたちに全部任せて。『長門さんオシャレ化計画』はわたしが絶対に成功させるわ!」
 朝倉さんは高らかに宣言した。わたしは不思議と嬉しかった。ひょっとしたらわたしは変われるのかもしれない。そんな気がした。


「長門さんは先にお風呂入ってきて。お皿洗っておくから」
「うん」
「お湯は熱めだけど大丈夫?水足してもいいわよ」
「うん。ありがとう」
 わたしは服を脱いで、洗面所の隅にまとめた。風呂上がりに持って出るのを忘れないようにしなければならないだろう。明日の朝に着ていく制服がなかったらとんでもないことだ。困る。
 仕方がないので、制服は洗面所の真ん中に動かした。これならきっと忘れることはないはずだ……たぶん。

 鏡で自分の肢体を目にするたびに、朝倉さんがうらやましくなる。わたしの背丈はいつまで経っても伸びないし、体つきはまったく女性らしくない。胸が大きくなるわけでもなし、腰回りに色気があるわけでもない。(単純に太ればいい、というだけでもないのだが)
 顔立ちひとつ取ってもそうだ。彼女のようにきりりとした顔立ちは、この血色の悪い顔にはまったく見えない。代わりにあるのは、おおよそ通っているとは思えない鼻筋と、意志の弱い目、言葉を紡げぬ出来損ないの口。まったくもって、どうしようもない顔だ。どうしてこうもわたしと朝倉さんは違っているのだろう。
 わたしはそんな憂鬱をどうしても払いのけたくて、風呂に頭まで浸かろうとした。しかし熱さに弱いわたしが潜るには浴槽のお湯はあまりに熱すぎて、わたしはすぐさまギブアップせざるを得なかった。
 朝倉さんに少しでも近づくために、わたしも髪を伸ばしてみようか。いや、ただでさえ手間をかけていない髪だ。伸ばしたりしたら今以上に悲惨なことになる。するとまた朝倉さんに迷惑がかかる。そんなことになってば言語道断だ。わたしはロングヘアーを却下した。

 2時間後、わたしは自室に戻り、歯だけ磨いて床に就いた。いや、むしろ布団に潜り込んだ、と言ったほうがいい。寒くて耐えられない。この痩せ細った身体は寒さにも弱いのだ。





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