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長門有希の夢幻 2

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tfei

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 今日の授業は、そのほとんどが期末テストの返却にあてられた。相変わらず数学と物理の点数が今一歩、といったところで、その他はおおかた及第点。クラスメート達はそれぞれの得点によって笑ったり落胆したりしていた。わたしはあそこまで大きなアクションを取らないし、たぶん表情だってさほど変わることはないのだろう。それはいわゆるポーカーフェイスなのだろうか?いや、表情を動かしたくたって、わたしの顔はきっとその意思に反して動かないと思う。
 昼食は相変わらずパンを持ち込んだ。口の小さな、というより食べるのがあまり早くないわたしには丁度いい。ひとつふたつ食べるだけで昼食としては充分だから重宝している。

「なーがとさん」
 昼休み、いつものように読書にふけっていたわたしのところに朝倉さんがやってきた。わたしはとっさに返事をしようと思ったのだが、いかんせん急なことなので声が出ない。結果的に、無言のまま視線だけを向ける羽目になってしまった。そんな自分が情けなくて、忌々しい。
「今後の日曜日なんだけどね、友達と一緒に、パーティやろうと思ってるのよ」
 朝倉さんはそう言って、次にわたしの耳元で、まるで政府の機密情報でも持ってきたかのように小声で囁いた。
「だから、長門さんも一緒に来ない?」
「わたしが?」
「そう。誰だって1人だけでクリスマスイブを過ごしたいわけじゃないでしょう?まあ1日早いんだけどね」
「……」
「もう、そんな躊躇わないでよ。無理なら無理で構わないけれど……そうだ、ひとつだけ長門さんに言っておいてあげる」
「……なに?」
「自分が来ても盛り上がらないと思ってるなら、場を盛り上げることに関しては心配しなくてもいいわよ」
「……どうして?」
「手芸部の友達が出し物を計画してるらしいのよ。あ、会場はうちのクラスの剣持[けんもち]さんの家だから、私たちのマンションからもけっこう近いと思うわ。でね、えーっと、そう、その剣持さんが晩ご飯を振る舞ってくれるって言ってくれてるの。何よりも、みんな長門さんが来たら喜ぶわよ!」
「みんな、わたしのことは知らないと思う」目立つ生徒でもないし、とまでは言わなかった。
「何言ってるのよ。6組の長門有希と言えばかなり有名よ、いやもちろん悪名なんかじゃなくてね……博学なる才媛にして北高イチの読書家、さらには学年トップクラスの長距離ランナーで尚かつバイリンガル、しかも色白な冬美人として、5組で知らない生徒なんていないわ」
「いつの間にそんなことに」しかも微妙に身に覚えのないことまで。
「いや、わたしが長門さんを宣伝してるのよ――もちろん女子陣にだけに、だけどね」
「……」
 わたしの知らないところでいったい何をしてくれているのだろう、この人は。わたしは反論もできないし止めることもできない。もちろん賛成もできない。
「でもね、その宣伝だけじゃ長門さんの魅力は半分も伝わらないと思うの」
「……どうして」
「だって、本物の長門さんはこんなにかわいいんですもの。ケバくしなくたって、ちょっときれいにしただけで男子たちがほっとかないわよ」
「そんなこと、」
「どうかしら?やってみればわかるんじゃない?実はここだけの話、もう『長門さんオシャレ化計画』は動き出してるのよ」
「それは、いったい」ネーミングセンスについてはもう知らない。
「名は体を表す、っていうのはまさにコレね。文字通りの長門さん改造プロジェクトよ」
 改造とは何だ、改造とは。わたしは昔少しだけテレビで見た某バッタ仮面と黒タイツの戦闘員を思い浮かべてぞくりとした。
「戦闘員のほうは生身の人間でもある程度太刀打ちできるそうよ。あと『ショッカー』って戦闘員のことじゃなくて悪の組織の名前なんですってね……閑話休題、そう、長門さん改造プロジェクトだけど」
 その呼び方はやめてほしい。『長門さんオシャレ化計画』のほうがまだマシだ。実態は変わらないけれど、建て前としてはそっちのほうがいい。
「じゃあ、その『長門さんオシャレ化計画』だけど、ビフォーアフター的な演出がしたいのよ。だから、普段の長門さんの写真が欲しいわけ。まあ剣持さんの家に来た時に撮ってもいいんだけど、せっかくだから今撮るわ!」
「え、そんな、急に」
「カメラなら準備してあるわよー。本当に便利な世の中になったわねぇ」
 朝倉さんはわたしのスキをついて写真を撮ってしまった。無駄に速い。
「大丈夫、パソコンのフルスクリーンで見られるサイズで撮ったわ。本当に、技術の進化はすごいわよねぇ……」
 技術云々と言うより前に、朝倉さんの抜かりのなさのほうに問題があるというものだ、良くも悪くも。それでいったいこの写真はどうするつもりだろうか。気にはなったが、何となく問わないほうがいいような気がして、わたしは口をつぐんだ。いくら朝倉さんでも、必要以上に流布するようなことはしないだろう。
「自分に自信がないみたいだけど、長門さんは素材がいいからきっと自分でも驚くわよ」
「そんなことがある、のかな」
「あるわ!映画でもあるじゃない、『スーパーサイズ・ミー』っていうのが……違う!それじゃないわね。『7月24日通りのクリスマス』よ!長門さんは聞いたことない?」
「ない」どちらもない。前者はタイトルが気になる。
「ちょっと変わった癖のある地味なOLが、突然意中の男性と再会して、一気に恋愛に発展する話。こないだレンタル屋で借りたのよ。あまりにベタベタだから逆に安心して観られたわ。長門さんも観てみない?」
「……観てみる」
「なら今日あたりうちに来る?長門さんの食費だって浮くし、食事は2人の方が楽しいしね」
「わかった」
 わたしと2人で楽しいの、と問うことはやめにした。今日は朝倉さんの好意に甘えさせてもらうことにしよう。この季節だから、ひょっとしたらまたおでんかな……シチューなんかも得意そうに見える。おそらくその予想は外れてはいないはずで、要するに朝倉さんはオールラウンダーなのだが、それでも十八番の料理というものはあるだろう。
「じゃ、長門さん、そういうわけだから今日は一緒に帰りましょ。6限目終わったら迎えに来るわね。それじゃっ!」
 朝倉さんは文字通り風のように去ってしまった。時計を教室の時計に目をやると、なるほど今は予鈴3分前。5限目が移動教室なら、そろそろ準備を始めてもいい頃合いだ。わたしは次の授業、現代文のテキストとノートを鞄から取り出した。いけない、テストの問題用紙を忘れた。今からでも朝倉さんのところに借りに行こう。

 結果的に言えば朝倉さんはまだ5組にいてくれて、そのおかげでわたしは忘れ物を帳消しにすることができた。いつもいつも朝倉さんには世話をかけっぱなしだ。どうやって恩返しをしようか?何かわたしがしてあげられることがあればいいのに、と思うや否や、校内に鳴り響くウェストミンスターの鐘が5限目の始まりを告げた。



「ねぇ、長門さん」
 夕方、嫌になるほど延々と続いているというのに、ちっとも生徒たちを加速させてくれることもない坂道を下りながら、朝倉さんはわたしに言った。夕日がまぶしい。しかし、それが地平線の下にもぐってしまうまでにかかる時間は、ずいぶんと短くなってしまった。
「昼間は調子に乗って聞き忘れてたけど……長門さんは、できることなら自分を変えたいと思う?いや、その言い方だと語弊があるわね……そう、ある日突然、魔法使いが長門さんの前に現れて、ちょうどシンデレラのように長門さんを華やかにしてくれるとしたら、長門さんはその魔法使いに頼ると思う?」
「……わからない」
 わたしは曖昧な口調で答えた。突然尋ねられたからわからない、というのもあるけれど、むしろいくら時間をかけて考えたところで、わからないものはわからないと思う。
「どちらかと言えば?」
「選ぶの?」
「そうよ」
「……変わりたい、かもしれない」
「何ですって?」
「……変わりたい」
「もう1回」
「変わりたい」
「大きな声で!」
「変わりたい!」
 わたしは叫んだ。もちろん普段なら絶対に叫んだりすることはないのだが、朝倉さんの前なら、不思議と叫んでもいいような気がしたからだ。
「合格。そこまで言えるなら文句なしね。長門さんはわたし達が責任を持って綺麗にしてあげる。来週を楽しみに待っていること。約束よ?」
「うん」


 わたし達は途中スーパーに寄り、夕食の買い出しをした。わたしも土日は料理するようにしているからこのスーパーにはよく来るけれど、朝倉さんは何を買うか迷うこともなく、次から次へと食材を買い物カゴに入れていく。買うものが完全に決まってしまっているのだろうか。わたしなど、何を買うべきか2時間も3時間もかけて迷ってしまうこともあるというのに。
「長門さん、こないだあげたカイロってもう使い切った?」
「まだ、3つある」
「そう。どうしよう……とりあえず買っておこうかしらね」そう言って朝倉さんは3パックほどカイロを手に取り、カゴに放り込んだ。
「ありがとう」
「いいのいいの。何だかんだ言って、長門さんもきっちりお金払ってくれてるし。気にすることないわ」
「でも」
「何回も言ってるじゃない。わたしは好きでやってるんだから、長門さんが負い目を感じる必要はないのよ」
「……ごめん」
 すぐ謝る癖も治しなさい、と言われた。本当に申し訳ない。

 マンションのエレベーターの中で朝倉さんは言う。
「長門さんは一旦自分の部屋に帰ってて。夕食の準備をしておくから……そうね、6時半くらいかな。うーん、やっぱり7時にして、7時。それまで勉強なり読書なり、昼寝しててもいいわよ。長門さんの部屋に電話かけて起こしてあげる」
「……起きておく」
「そう。うっかり寝てしまわないようにね。あとパジャマとお風呂用品持ってきて」
「うん」わたしは小さく首肯した。以前、うっかり寝てしまって朝倉さんとの約束をすっぽかしてしまったことがある。
「じゃあ、また後でね。くれぐれも来るのを忘れないように」
「……分かってる」
わたしの反論が聞こえたか聞こえなかったかは定かでないけれど、朝倉さんはエレベーターを降りた。手を振る朝倉さんの笑顔を、ドアは両側から塞いでいった。
 そのままエレベーターはあっという間に7階へと駆け上がってゆく。否、引き上げられるのだろうか?確かそうだったと思う。また図書館で調べておこう。エレベーターの駆動系統についての本を探すよりは、百科辞典があれは問題ないだろう。

 特にやるべきこともないので本を読んで時間を消化することにした。木星まで向かうロケットの乗組員たちの話。わたしは木星まで行きたいとは思わないけれど、その木製までの旅に欠ける並々ならぬ情熱は見て取れる。
 1作目がもう40年近く前の発表なのだ。年ごとに進む宇宙科学の発展に対してもよく耐えていると思える。確かに今となっては調査結果と合わないこともあるが……、ならば人類が月に到達するよりも前に、ここまで壮大なSF構想が作り出せる作家など他にいるだろうか。わたしは、ノー、と答えたい。
 ソビエト連邦の英雄的宇宙飛行士の名を冠したロケットは、遺棄された(という表現を敢えて使わない人々もいたが)ロケットとドッキングし、木星への近接飛行[フライバイ]をおこなっていた。しかし、きっと着陸はできないだろう。言わずもがな木星はガスの塊なのだ。もし、このロケットが木星に“着陸”したら……わたしはこの小説を読むのをやめにしてしまうかもしれない。この小説に限ってそんなチープなミスはありえない、という不思議で不安定な信頼感と同時に、わたしの頭の中には唐突にそんなギャンブルが思い浮かんだのである。
 サイエンス・フィクションはあくまで現代の――この場合なら“1964年の”科学技術の上に積み上げられているものであるべきであり、そこから離れてはならないとわたしは考えていた。それだと完全なファンタジーだ。どれだけリアルでも、どうしてもほんのわずかに興醒めしてしまう。 あくまで現代の延長線上にあるものだから、SFには独特のリアリティが常につきまとう、否、つきまとっている必要があるのだ。
 わたしが宇宙に惹かれて、もう何年になるだろうか。もうかなりの作家、かなりの冊数を読んだと思うのだが、いつまで経っても読み切れる気はしない。
 アイザック・アシモフ、ロバート・ハインライン、フィリップ・K・ディック、スティーブン・バクスター、ダン・シモンズ。そしてわたしが誰よりも心酔しているのがこの、アーサー・C・クラークだった。
 わたしは栞を挟み、文庫本を閉じる。机の上にその本を放り出し、準備を整えて部屋を出た。カーディガンは置いていこう。どうせ2フロアの移動だけだ。しかもエレベーターで。いや、たまには階段を使おう、寒さは身にこたえるけれど。






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