凡例:「♪」→「ハイケンスのセレナーデ」のチャイムが鳴っているという意味です。

2009年3月14日 9001レ富士・はやぶさ 岩国駅発車後 車内放送
~ JR西日本下関乗務員センター ニシムラ車掌 ~


次は柳井です。次は柳井です。6時2分です・・・失礼しました、8時2分頃の到着予定となります。お出口は右側です。柳井でお降りのお客様はお忘れ物、落し物がございませんようお気をつけください。
 これから先、進行方向左手に山陽本線で最も美しいといわれます瀬戸内海沿いを走ります。ブルートレインから見る最後の瀬戸内海を、景色を、ごゆっくり、ご堪能ください。これから進行方向左手に山陽本線で最も美しいといわれます瀬戸内海沿いを走ります。ブルートレインから見る最後の瀬戸内海を、景色を、ごゆっくり、ご堪能ください。柳井の次は、下松です。

2009年3月14日 9001レ富士・はやぶさ 下関到着直前 車内放送
~ JR西日本下関乗務員センター ニシムラ車掌 ~


この度は富士・はやぶさ号をご利用下さいましてありがとうございます。
東京から14時間、1000(いっせん)キロの旅は如何でしたでしょうか。
(小間)瀬戸内海の光景はあいにくの天候でしたが、如何・・・でしたでしょうか。
新幹線からはなかなか見ることが出来ない、富士・はやぶさ号ならではの光景と見られてきました。
この光景を、皆様とご一緒に見ることが出来たのも、乗務員にとって大きな喜びであり、栄誉だと思っております。

次は下関です。お出口は左側、4番乗り場の到着です。

下関乗務員センターは旧下関車掌区時代から
あさかぜ号、みずほ号、さくら号、あかつき号、
そして富士号、はやぶさ号と数々の
ブルートレインに乗務をして参りました。

新幹線では味わえない独特の旅情と
様々なたくさんな方々との出会いがありました。
今日、皆様とこの列車、記念すべき最後の1列車、
9001列車に東京からご一緒できましたことを
本当に感謝しております。ありがとうございました。

私事で大変恐縮ですが、昨年8月の岡崎での大雨の時には岡崎駅で、
数年前の名古屋での集中豪雨の際には新居町駅で
お客様と一晩ご一緒させていただきましたことも
今となっては懐かしい思い出です。

嫁ぎ先の新潟で・・・(間)・・・嫁ぎ先の新潟でお嬢様が
危篤状態・・・(間)・・・危篤状態にあるからどうしても
乗せて欲しいと中年夫婦の方に席をご用意したこと、
熱心なファンの方からすぐには答えられないような
熱い質問を受けたこともありました。

どうかいつまでも今夜の旅に、今夜の旅を記憶に
留めていただけますよう乗務員一同心から願っております。

東京からご案内致しました車掌3名、JR西日本下関乗務員センター
1号車ニシムラ、中ほど6号車ミヨシ、12号車ジョウイシは
次の下関でJR九州の乗務員と交代致します。

終点大分、熊本まであとわずかとなりましたが
最後の九州ブルートレインの旅を引き続き満喫していただき
最終列車の旅が一生の思い出になっていただければ幸いです。

下関乗務員センターではブルートレインの乗務はなくなりますが
下関~仙崎間の観光列車みすず潮彩号の乗務を致しております。

富士、はやぶさ号は本日をもちまして姿を消しますが、
これまで走り抜けた多くの同僚と皆様の思い出が、
思い出と記憶はいつまでも残ります。
いつの日かどこかで再びお会いできる時ができますことを
祈念致します。長い間本当にありがとうございました。

また、下関乗務員センター一同に成り代わりまして
厚くお礼を申し上げます。富士、はやぶさ号を本当に
ご利用下さいましてありがとうございました。

2009年3月14日 9002レ富士・はやぶさ 東京到着直前 車内放送
~ JR西日本下関乗務員センター オダ車掌 ~

♪ ♪ ♪・・・
ご案内いたします。あとおよそ10分で終点、東京に着きます。
今日は九州地区、「東郷~赤間」間の人身事故の影響で、ただいま、列車はかなり遅れております。お客様には大変ご迷惑をおかけ・・・おかけしております。お詫びいたします。

お客様にお知らせいたします。
本日まで、半世紀にわたり九州と東京を結ぶ多くのブルートレインが運行されてきました。
2005年に廃止された「あさかぜ」・・・「あさかぜ」号、「さくら」号に続き、残されたこの「はやぶさ」号、「富士」号も、本日この列車を最後に・・・廃止されることになりました。

全盛期には「動くホテル」と呼ばれ、多くのお客様の夢と希望を乗せて東京まで、多くの思い出を作るため九州まで、たくさんのお客様にご利用していただきました。
そのブルートレインの歴史も幕を閉じることになりました。
私自身も多くの思い出を、このブルートレインは残してくれました。
そのブルートレインの最後の勇姿を皆様と共に見守る・・・見守ることができましたことを、とても誇りに思っております。
そして、無事故で旅を終えれることに、とても深く感謝しております。
長年のご利用、大変ありがとうございました。
皆様とこれでお別れいたします。

ご案内してまいりました車掌は、JR西日本下関乗務員センター、1号車オオザクラ、5号車マルヤマ、12号車オダでした。
このあとも良い旅をお続けください。

寝台特急「はやぶさ・富士」号をご利用下さいまして、ありがとうございました。
これからも社員一丸となって安全に努めるJR西日本をご利用ください。よろしくお願いいたします。

寝台特急「はやぶさ・富士」号をご利用下さいまして、ありがとうございました。
まもなく、終点 東京です。お出口は左側、10番乗り場に着きます。

2008年3月14日 最終下り「なは・あかつき」号 お休み放送
~ JR西日本 みやこ列車区 車掌 ~

ご乗車ありがとうございます。
本日は、「なは・あかつき」号をご利用下さいましてまことにありがとうございます。

「なは・あかつき」号、ただいま11分ほど遅れて運転いたしております。
既にお休みのお客様もおられますので、ただいまの放送をもちまして・・・
明朝、博多到着直前まで放送でのご案内を控えさせていただきます。

これから先とまります駅の到着時刻を、重ねてご案内いたします。
次の岡山には23時丁度に着きます。ただいま遅れておりますので、
このままですと岡山には23時10分頃に着く見込みです。
倉敷には、遅れておりますので23時26分ほど、福山は23時59分ごろに着きます。
尾道には0時17分ごろ、三原・・・0時30分ごろに着きます。
下関には、明朝4時30分頃に着く見込みです。
このまま遅れてまいりますと、下関には4時30分頃に着く見込みです。
門司には4時36分、小倉4時49分、黒崎5時4分、博多5時52分、鳥栖6時17分、
鳥栖で5号車から10号車、「あかつき」号、切り離しをいたします。
「あかつき」号は明朝、2008年3月15日、6時17分、鳥栖での運転打ち切りとなります。
また1号車から4号車、「なは」号は鳥栖を出ますと、久留米6時30分、大牟田6時56分、
終点、熊本には7時36分に着きます。終点の熊本には、明朝7時36分に着きます。

本日をもちましてこの列車は最後の運転となります。
皆様には長らくのご愛顧・ご利用、厚く御礼申し上げます。

車掌から一言、お客様に、私事ですが、ご案内させていただきます。
私、父も京都車掌区で「あかつき」号に乗務いたしておりました。
親子二代にわたり乗務してきてました。

これまで、乗務ではいろいろとありましたが、一言では申しきれません。
「なは」に長らく・・・私、乗務いたしまして・・・
この時期になりますと・・・高校を卒業した若者が親元を離れ、独り立ちしていく時の姿を、家族・親戚で、駅のホームで見送っておられる、その姿を見たとき、ドアを閉めることがなかなか出来なかったことを記憶にとどめています。
大変つらかった、また悲しい、いろいろな思い出がございます・・・。また、ドラマがございました。
本日こうして「なは・あかつき」号の最後を乗務させていただき幸せに思っております。
皆様、本日最後の「なは・あかつき」号となりましたが、終点まで皆様・・・どうぞ楽しい旅をごゆっくりとお楽しみください。

また、貴重品などは身に着けてお休みいただきますよう重ねてお願いいたします。
最近、盗難などが相次いでおりますので、貴重品には特にお気をつけてお休みください。

本日はどうもありがとうございます。
これをもちまして、放送でのご案内を控えさせていただきます。どうぞお休みください。

2008年3月15日 最終上り「なは・あかつき」号 高槻通過中 お別れ放送
~ JR西日本 みやこ列車区 車掌 ~


皆様、今日は寝台特急なは・あかつき号をご利用下さいまして、真にありがとうございます。

後ろにつないでおります、一号車から四号車の「なは号」は、昭和43年10月1日改正で、昼間の特急列車として登場致しました。当時、沖縄はアメリカの占領下におかれており・・・(小間)・・・そのとき沖縄の新聞、琉球新報が沖縄の本土復帰を願い、本土に沖縄名の列車を走らせようというキャンペーンで、県内外から5211通の中から選ばれたもので、もちろん沖縄・那覇市が名称由来となっております。沖縄の日本復帰に願いをこめて、命名された列車です。


前につないでおります、「あかつき号」の起源は、日本占領下の朝鮮半島に遡り、現在のソウル・釜山間を約七時間でつなぐ特急として開業いたしましたが、日本の敗戦が色濃くなるに従い、姿を消しました。その後、1958年に東海地方を走る夜行列車、急行として復活いたしましたが、1964年の東海道新幹線開業により廃止され、翌年10月、新大阪と長崎・西鹿児島間を結ぶ寝台特急として再登場いたしました。当時「動く高級ホテル」とも言われておりました。
高度経済成長中は会社員が利用し、集団就職で関西に就職した人らにとって、「あかつき」での帰省は、故郷に錦を飾る、故郷に錦を飾る誇らしいことだったと聞いております。

その二つの列車が2005年10月から「なは・あかつき号」と運転しております。
私事ではありますが、約18年間、新大阪・西鹿児島間の運転のときより、なは号に乗務いたしております。

その間、ちょうど今時分のこの春の時期、愛・夢と希望に満ち溢れ、関西に就職されます、新社会人、また、あるいは、進学のため故郷を離れる学生さんを、ホームで見送るご両親や祖父母の涙を幾度か見たことがあります。

また、乗り合わせて、はじめてあった人どおしが何時間も語り合うなど、新幹線にも、飛行機にもない寝台特急ならではの旅の醍醐味・また、ドラマがあったのではないかと思います。

しかし、今の時代の流れによりまして、私たちも大変寂しく・悲しく思いますが、後十、三分ほどで、半世紀にわたり一時代を築いてまいりました、また走り続けてまいりました、寝台特急なは・あかつき号は、引退のときを迎えようとしております。今までなは・あかつきを愛してくださった皆様、本当にありがとうございました。
廃止後も皆さんの思い出に残り続けることが出来れば、幸いでございます。

皆様には長らくのご愛顧、ご利用に心より篤く御礼申し上げます。ありがとうございました。
(ハイネケンスなし)

最終更新:2013年02月22日 02:47