自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

390 第289話 帝国領総戦線

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第289話 帝国領総戦線

1486年(1946年)2月3日 午後4時 シホールアンル帝国首都ウェルバンル

帝都ウェルバンルの空は曇りに覆われていた。
未だに冬のままのウェルバンルは、前日に降り積もった雪があちこちに残っており、晴れない空模様は人口の減少したウェルバンルをより一層、殺風景な物にしていた。

「冴えない光景に冴えない戦況、そして、冴えないあたしの心境……いいところが無いわね」

シホールアンル帝国海軍総司令官を務めるリリスティ・モルクンレル元帥は、1月下旬より設置された陸海軍合同司令部のベランダから首都を一望しながらそう独語する。
彼女がいる陸海軍合同司令部は、陸軍総司令部と海軍総司令部の中間にある5階建ての古い施設を改修して設置されている。
これまで、陸軍総司令官と海軍総司令官が共に協議を行う場合は、いずれかの総司令部に出向いて話し合っていた。
ただ、会談を行う頻度はあまり多くなく、平時は年に3度ほど。戦況がひっ迫し始めた84年から85年でも5度しかなく、大体の作戦案は陸軍、または海軍内でのみ作成され、組織のトップが頻繁に顔を合わせて作戦のすり合わせ等を行う事は少なかった。
だが、戦況が極度に悪化した現在においては、前線の状況は目まぐるしく変化するため、陸海軍の連絡も密にする必要がある。
そこで、陸軍総司令官のルィキム・エルグマド元帥はリリスティに陸海軍合同司令部設置を提案し、リリスティもこれに快諾した。
この陸海軍合同司令部には、陸軍、海軍双方の総司令部より連絡員のみならず、本総司令部の参謀達も多く配置されており、来たるべき連合軍地上部隊の大攻勢や、米海軍の活動に即応できる態勢が整えられていた。
また、陸海軍首脳部で協議を行う際は、この合同司令部で話し合う事も決められ、今日は合同司令部設置後、初の陸海軍首脳の協議が行われる予定であった。

本日の協議では、昨日までの戦況の確認と敵軍の最新情報の公開や、作戦のすり合わせ等が行われる。
だが、海軍側が用意した情報の内容は、非常に厳しい物ばかりである。

「提督。協議前なのに、そんな浮かぬ顔されるのはあまりよろしくない事かと」

背後から肩を落とすリリスティを気遣う部下が、心配そうな言葉を発するが、その口調はややおどけていた。

「この状況で晴れた顔つきで居ろというのかい?魔道参謀ー?」

リリスティは力のこもらぬ声で返しつつ、のっそりとした動きで後ろに振り返った。
総司令部魔道参謀を務めるヴィルリエ・フレギル少将は、地味にだらしない上司を見て苦笑してしまった。

「皇帝陛下がそのお姿を見たらなんと思われるでしょうか……恐らく、激怒して最前線に送られてしまうでしょうな」
「そん時ぁヤツも前線に道連れよ」

ひねくれ気味にそう発するリリスティを見かねたヴィルリエは、微笑みを浮かべて上司の両頬を両手でつまんだ。

「い、いた!何すんの!?」
「まーだ?まーだ目が覚めないの?んじゃこうして」
「ちょちょ、痛い!やめてったら!」

つまんだ皮膚を更に伸ばそうとするヴィルリエの手を、リリスティは強引に離した。

「こんのバカ!上官暴行罪で憲兵隊に突き出すわよ!」
「いやはや、これは失礼をば。それより……目は覚めたみたいね」

ヴィルリエはやれやれと言いたげな態度で、自らの目を指さしながら彼女に言う。

「まぁ……そうだ……ね」

リリスティは両頬をさすりながら、先程まで感じていた眠気が晴れた事に気付く。
彼女は多忙の為、一昨日からロクに睡眠が取れておらず、今や疲労困憊であった。

「眠気のせいでバカな事を口走ってたから、眠気覚ましのおまじないをかけてやったけど、効果はあったみたいね」

ヴィルリエはそう言ってから、気持ちよさげに笑い声をあげる。

「おまじないって……ただ頬をつねっただけじゃん」

リリスティはジト目を浮かべつつ、ぼそりと呟く。
彼女は軽く咳ばらいをしてから、改まった口調でヴィルリエに聞いた。

「さて。そろそろ来るんだね。ヴィル?」
「ええ。陸軍総司令部からエルグマド閣下がこちらに向かわれているとの知らせよ。リリィ、そろそろ会議室に戻らないと」
「言われなくてもそうするよ」

リリスティは凛とした顔つきでそう返し、ヴィルリエの肩を軽く叩きながら会議室に向かい始めた。

午後4時10分になると、合同司令部3階に設けられた会議室にエルグマド元帥とその一行が入室してきた。
席に座っていたリリスティは参謀達と共に立ち上がり、一行を出迎えた。

「お待ちしておりました、エルグマド閣下」
「すまぬの、諸君。ヒーレリ国境線と南部領戦線の対応で手を焼いておってな」

エルグマド元帥はにこやかに笑ってから、海軍側の向かい側に置かれた席まで歩み寄った。
彼はリリスティの真向かいまで歩いてから、軽くうなずく。

「それでは、早速始めるとしようか」

リリスティは無言で頷くと、陸海軍双方の参加者たちはひとまず、席に着いた。

「諸君らもご存知の事であろうが、前線の状況は……加速度的に悪化しておる。まずは、陸海軍双方の状況確認を行う事にする。手始めに陸軍から最新情報の公開等を行いたいが、よろしいかな?」

エルグマドの問いに、リリスティは無言で頷いた。
彼は左隣に座る参謀長に目配せし、参謀長は小さく頷いてから作戦参謀と共に席を立った。

「総司令官閣下の申されました通り、陸軍部隊は各地で苦戦を余儀なくされております」

陸軍総司令部参謀長を務めるスタヴ・エフェヴィク中将は、壁の前に掛けられていた指示棒を手に取り、壁に貼り付けられた地図を棒の先で指し始めた。
エフェヴィク中将は昨年8月まで第12飛空艇軍を率いていた歴戦の指揮官である。
元々は陸軍の歩兵畑の軍人であったが、30代中盤からワイバーン部隊の指揮を執り始め、着実に実績を重ねてきている。

昨年7月末のリーシウィルム沖航空戦では、アメリカ海軍の高速機動部隊に対して最後まで戦闘を完遂しなかった事を咎められ、8月初旬に第12飛空艇軍司令官を解任され、9月からは北方の第77予備軍の司令官という閑職に回されていた。

エルグマドが陸軍総司令官に任命されてからは、元々、エフェヴィク中将の経験と見識の広さに目を付けていた彼が直々に任地である北東海岸の基地に赴き、しばしの間帝国の現状と、エルグマド自らが抱く心境を打ち明けた後、

「国家危急存亡の折、陸軍総司令部の参謀連中を束ねられるのは……エフェヴィク。君を置いて他には居ない。是が非でも、首都の総司令部に赴き、その経験と、君の見識を生かして貰いたい」

と、真剣な眼差しを向けながらエフェヴィクに語り掛けた。

僻地に左遷され、内心腐っていたエフェヴィクは最初、やんわり断ろうとしていたが、陸軍総司令官であるエルグマドに直々に懇請されてはそれが出来る筈もなく、1月初旬には後任の司令官と交代し、陸軍総司令部の参謀長として首都ウェルバンルに赴任する事となった。

「特に包囲された南部領付近の攻勢は激しく、包囲下の部隊は後退を続けております。また、帝国本土領においても、敵は適宜攻勢をかけており、我が方は防戦一方です。既に……」

エフェヴィクは帝国のヒーレリ領北西部……いや、“旧帝国領ヒーレリ北西部”の辺りを指示棒の先で撫で回していく。

「ヒーレリ領は帝国領にあらず、帝国軍を撃退した連合軍は国境付近で進撃を止めつつも、戦力の補充と部隊の増援を計りながら、旧ヒーレリ北西部国境付近からの帝国領侵攻を伺っているおります」

エフェヴィクは更に、指示棒の先で旧ヒーレリ領北西部、西武付近、帝国本土中部、重囲下にある南部領を順番に叩いた。

「陸軍は主に、この4方面において連合軍と交戦していることになります。今のところ、帝国北部に分散していた予備の師団や、急編成の部隊を順次前線に投入し、または本土西部の部隊を幾つか移動させ、旧ヒーレリ領北西部や西武付近等の戦線に投入する事も計画しておりますが……如何せん、兵力が足りません」

彼は指示棒の先で、帝国本土領……南部を除く範囲を大きく撫で回した。

「紙面上の兵力だけでも170万しかおりません。そして、実際の兵力は……大甘に見積もってもその8割。7割あれば御の字と言った所です」

エフェヴィクは、棒の先で南部領を叩く。

「この南部領に囚われた150万。そう……失われつつある150万が、本土領にいれば、幾らかは兵力の融通も利きましたが、現状は非常に厳しく、本土領へ侵攻中、または、進行予定の敵軍兵力は、包囲網を攻撃中の部隊を除いても我が軍より多いと判断しております」

彼は手を休める事なく、指示棒の先を地図の右側……アリューシャン列島へと向けた。

「そして、敵軍はこのアリューシャ列島から、帝国本土東海岸にいつでも地上部隊を投入可能となっております。いわば……帝国軍は実に、5つの戦線を抱えていると言ってもおかしくないのです」

エフェヴィクはアリューシャ列島のウラナスカ島を棒の先で叩く。

「東海岸戦線においては、特にこの地に展開する敵機動部隊が重要な役割を担っております。昨日も敵空母より発艦した艦載機によって東海岸の海軍基地、物資集積所のある港が幾つか爆撃されており、この爆撃が集中的に続く場合、東海岸方面からの敵の上陸作戦が実行される事は確実であると、我々は判断しております」

エフェヴィクはその後も、淡々とした口調で話を続けた。
やがて、エフェヴィクにかわり、作戦参謀のトルスタ・ウェブリク大佐が対応策の説明を始めた。
ウェブリク大佐は、エルグマドが首都に赴任するまでは総司令部作戦副参謀だったが先の空襲で作戦参謀が戦死したため、繰り上げで作戦参謀を務める事になった。

「次に、これらの敵部隊に対する我が軍の迎撃ですが……参謀長も申しました通り、現状は敵との兵力差はもとより、装備や練度に対しても敵に大きく劣ります。このため、迎撃作戦の主体は首都防衛を重点とせざるを得ず、首都より遠方の地方に関しては、遅滞戦闘を主体とした作戦を行うのが現実的かと思われます」

ウェブリク大佐は一同に顔を向ける。
彼は平静さを装っていたが、その口調は重々しかった。

「ただし、その遅滞戦闘ですら、現状では困難と言えます。敵の航空戦力は日増しに増大するばかりか、その質においても、我が方のそれを遥かに上回っている有様です」

彼はそう言いながら、懐から折り畳まれた紙を一枚取り出し、それを広げて壁に貼り付けた。

「ご存知とは思いますが、これは敵が新たに前線へ投入した新型機です。この新型機の名称は……シューティングスター」

ウェブリク大佐は、簡単ながらも、紙に描かれた新型機に指示棒をあて、そして一同に顔を向ける。

「我が軍が撃墜困難……いや、不可能となっている超高速新型戦闘機であります」

シューティングスターという名を耳にした一同は、ほぼ例外なく表情を曇らせるか、または眉を顰めていた。

昨日、突如として前線に現れたシューティングスターは、ワイバーン隊やケルフェラク隊相手に一方的な戦闘を展開し、連合軍航空部隊の迎撃に従事していたシホールアンル側は、事前の予想を超える大損害を受けてしまった。
このため、シホールアンル軍は中部地区に展開していたワイバーン隊、飛空艇隊の航空作戦を全て中止。
帝国本土中部地区の制空権は、僅か1日ほどで連合軍に奪われてしまった。

前線部隊より入手した情報によると、シューティングスターはこれまでの常識では考えられぬほどの高速で飛行が可能であり、推測ながら、その最大速度は400レリンク(800キロ)を軽く超えるとされている。


帝国軍に、400レリンクを出せるワイバーンやケルフェラクは無い。


空中戦で大事なのは、1にも2にも、速度だ。
どれだけ驚異的な機動力を有していようが、戦う相手より遅ければ、常に不利な体勢で戦う事を余儀なくされる。
放たれる弾をかわせば、相手の攻撃は無に帰すが、追いつけなければ、相手の弾切れを待つのみとなってしまう。

実際、シューティングスターに襲われたワイバーン隊やケルフェラク隊の生き残りは、敵があまりにも早すぎる為、防御一辺倒の戦闘に終始し、背後に回って反撃しようとすれば、敵は高速で瞬時に離脱してしまい、光弾を放つ事すらかなわなかったという証言が非常に多かった。

「今のところ、シューティングスターの目撃例はこの一件のみとなっており、他戦線では確認できておりません。ですが……」

ウェブリク大佐は若干顔を俯かせつつ、言葉を続ける。

「これまでの経験からして、アメリカ軍はこの新兵器を大量配備しつつある事は明らかと言えるでしょう。マスタング、サンダーボルト、スーパーフォートレス。これらの兵器も、戦場に顔を見せ始めたと思いきや、半年足らずで大量に配備され、我が方を圧迫しております」
「要するに……帝国本土上空は、そのシューティングスターという超高速飛空艇で埋め尽くされるのも時間の問題、という事か。おぞましい物だ」

腕を組みながら聞いていたエルグマドが、不快気な口調で漏らした。

「シューティングスター……空の脅威も当然ではありますが、海からの脅威にも目を光らせなければいけません」

それまで黙って話を聞いていたリリスティが、重い口を開く。

「昨年の戦闘で、我が方は帝国本土東海岸と南海岸部の制海権を失っています。このため、敵は好き放題に活動しており、3日前にも東海岸に接近した敵の機動部隊が東海岸の軍事施設を攻撃しています。これと同じことは、南海岸にも起こりえる事で、復旧作業中のリーシウィルムや、まだ無傷の軍港が敵機動部隊に狙われる可能性があります」

リリスティは内心、決戦に惨敗した事を非常に悔しがっていたが、それを表には出さずに言葉を続けていく。

「今のところ、各軍港に分散配置した、残存の竜母や戦艦といった主力艦艇群はすべて、シュヴィウィルグ運河を通って北海岸に避退、または避退中ではありますが」

ここで、唐突にドアがノックされる音が室内に響いた。

「失礼します!」
「何事か!?」

入室してきた陸軍の連絡官を見て、ウェブリク大佐が問いかける。

「リーシウィルムの西部軍集団司令部より緊急信であります!」

連絡官は早口でまくし立てるように答える。
それと同時に、海軍の制服を着た連絡官が現れ、足早にヴィルリエのもとに歩み寄った。

「総司令官。シュヴィウィルグから……いや、シュヴィウィルグとリーシウィルム、それから……」

ヴィルリエから小声で報告を聞いたリリスティは、無意識に眉を顰めてしまった。

「本当、敵機動部隊は我が物顔で暴れているわね」
「どうやら、海軍側でも敵機動部隊襲来の報告を受けたようだな?」

聞き耳を立てていたエルグマドが苦笑しながら、リリスティに聞く。

「はい。陸軍と海軍の連絡官は、ほぼ同時に似た報告を受けたようです」


今しがた伝えられた報告によると、現在、帝国領南海岸の4つの拠点……リーシウィルム、シュヴィウィルグ、トリヲストル、カレノスクナの地点に敵機動部隊から発艦した艦載機が襲来し、攻撃中という物だった。
攻撃は現在も続いている為、被害状況の詳細は分からないが、シュヴィウィルグでは、運河を通って避退しつつあった竜母クリヴェライカと戦艦ケルグラストが敵艦載機に攻撃され、防戦中という情報も入っている。

「モルクンレル提督は海からの脅威にも目を光らせるべきと言われたが、まさにその通りであるな」
「この一連の攻撃が敵の上陸作戦の前触れであるかは判断できませんが、もし上陸作戦が開始されれば、陸軍の計画も修正を余儀なくされるかと思われます」

ウェブリクがそう言うと、エルグマドは無言のまま大きく頷いた。

陸軍は、旧ヒーレリ領境付近を除き、本土西部の沿岸部近くに12個師団を配備しており、その内陸部には6個師団。そして、編成を終えたばかりの新師団が4個師団配備されている。
陸軍の計画では、このうち、半数近くに当たる10個師団を順次本土中部、並びに首都防衛線に近い東部付近に増援として送る手筈となっており、既に第1陣である歩兵2個師団が鉄道を使って、大きく北から迂回する形で東部戦線に送られつつある。
第2陣である1個歩兵師団と2個石甲師団は3月始めに鉄道輸送される予定で、6月までに10個師団全てを各戦線の前線、またはやや後方に予備部隊として配置する予定だ。

だが、その計画も、連合軍が帝国西部付近に上陸作戦を開始すれば、自然と狂ってしまう。
これまでの経験からして、連合軍は一度に1個軍(6~8個師団相当)を上陸させて強引に戦線を形成し、帝国軍を単一の戦線に戦力を集中させずに複数の正面で戦闘を強要させる傾向にある。

旧ジャスオ領や旧レスタン領、旧ヒーレリ領の戦いはまさにその典型であり、帝国軍は唐突に2正面戦闘を強いられて敗走を続けた。
それと同じ事を実行する可能性は、極めて高いと言えた。

もし、連合軍が西部付近の着上陸作戦を実行すれば、10個師団の他戦線の移動は不可能となり、少なく見積もっても4個師団は残存して敵の上陸に備えなければならないだろう。

「敵が上陸作戦を伴っているか否かは、ワイバーン隊の洋上偵察を実施すれば明らかになります。それよりも、今後の防戦計画について話を続けていくべきかと思われますが……陸軍からは続きはありますでしょうか?」

ヴィルリエがそう言うと、エルグマドはそうであったな、と一言発してから、ウェブリク大佐に説明を続けさせた。

1486年(1946年)2月8日 午前7時 ロアルカ島

昨日深夜に護衛任務を終えて、ロアルカ島の軍港に入港した駆逐艦フロイクリは、古ぼけた桟橋の側に艦を係留させ、短い休息を満喫していた。
フロイクリ艦長ルシド・フェヴェンナ中佐は、艦橋に上がるなり、やや遠くに浮かぶ見慣れない船にしばし注目した。

「ほう……珍しい船がいるな」

彼は、航海士官とやり取りをかわしていた副長のロンド・ネルス少佐に声をかけた。

「おはようございます艦長。珍しい船とは、あの木造船の事ですな?」
「ああ。今時は珍しい赤と黒の大きい船体か。どこの国の船だ?」
「最初は自分らも分からんかったんですが、聞いた所によると……イズリィホン将国の船のようです」
「イズリィホンか………戦争ではやたらめったに強いという、あの噂の……」

フェヴェンナはそう言いながら、ふと、イズリィホン船に何らかの異常が起きている事に気が付いた。
綺麗に塗装されたと思しき船体は、あちこちが傷付いており、特に船体後部には何人もの船員が張り付いて修復作業にあたっている。
特に目を引くのが、3本あるマストのうち、真ん中のマストが中ほどから折れてしまい、その上部がそっくり無くなっている事だ。
前、後部のマストには白い帆が畳まれているが、よく見ると、その帆にも小さな穴が開いている事が確認される。

「やたらに傷付いているようだが……」
「ノア・エルカ列島の西方沖で嵐に巻き込まれたそうです。あのイズリィホン船は何とか耐え抜いたとの事ですが、船体の損傷は大きいようですな」
「しかし、メインのマストがあの様では全速力は出せんだろう。あの船の船長は、ここでメインマストの修理をするだろうな」
「魔法石機関の無いイズリィホン船では妥当な判断と言えますね」

2人がその調子で会話を交わしていると、気を利かせた従兵が香茶入りのカップを持ってきてくれた。

「艦長、副長。淹れたての香茶であります」
「おう。気が利くな」

フェヴェンナは従兵に礼の言葉を述べつつ、カップを取って茶を啜った。

「明日の出港は朝の4時だったな」
「はい。僚艦3隻と別の駆逐隊4隻合同で、12隻の輸送艦を本土に護送する予定です。」
「往路は珍しく、一隻の損失も無く辿り着けたが……帰りは何隻残るかな」

フェヴェンナは自嘲めいた口調で、ネルス副長に言うが、副長は無言のまま肩をすくめた。

午前7時 イズリィホン船サルシ号

サルシ号の船頭を務めるヲムホ・ダバウドは、自ら指揮する乗船の状況を眉を顰めながら見回していた。

「イズリィホン水軍随一の大型軍船も、大嵐の前では小舟も同然じゃのう……」

ダバウドはしわくちゃの小烏帽子(略帽のような物)に手を置きながらそう嘆いた。
サルシ号はイズリィホン将国水軍で最新鋭の大型軍船で、全長は30グレル(60メートル)、全幅22メートル(44メートル)で、
排水量は800ラッグ(1200トン)になる。

イズリィホンがこれまでに建造した軍船の中では最大の船だ。
サルシ号は従来の軍船と比べて格段に大型化したにもかかわらず、船の操作性はこれまでの船と比べて向上していると言われている。
この船を建造したのは、イズリィホン内でも有数の規模を誇るオルミ領の造船所で、長年イズリィホンの軍船を建造し続けてきた名門であった。
オルミ国の守護大名はこの船を見るなり、どんな海でも悠々と渡ることが出来ると太鼓判を押し、幕府の中枢もこの船に大きな期待を抱いた。

しかし、自然はこの優秀な軍船を容赦なく振り回し、しまいには無視できぬ損害を与えてしまった。
特に、真ん中の帆棒(マストを表す)を失った事は大きな痛手である。

「早く修復せんと、シホールアンルにいる特使殿を待たせてしまう……ひとまず、ここは……」

ダバウドは髭で覆われた顎を右手でさすりながら、仏頂面で考え事を続ける。
その背後に快活の良い声音がかけられた。

「やあやあ!良い天気だのう!」

声の主はそう言いながらダバウドの両肩を叩いてから、するりと彼の前に歩み出た。

「これは団長殿。相変わらず元気溌剌でございまするな……」
「当たり前だろう!見よ、この見事な晴れ。わしらの前途を示しているとは思わぬか?」

ダバウドが被る烏帽子とは違う、手入れの行き届いた張りのある烏帽子を被る男は、満面の笑みを浮かべながら聞いてきた。

「一昨日は酷い目に遭われたのに。団長殿は相変わらず豪胆なお方ですなぁ」
「これでもオルミ国の守護を任されておる身じゃ。領内の民や国人衆を率いるからには、どんな場に遭うても行く筋は明るい!と、言わねばならぬからの」

オルミ国守護を務める男……ルォードリア・キサスはダバウドにそう言ってから、豪快に笑い声をあげた。

彼は若干28歳にして、キサス家の当主を務めている。
キサス家は数あるイズリィホン武家の中でも強い勢力を誇り、元々は由緒ある家柄から派生した中規模の勢力程度の武家であるのだが、先々代、先代のキサス家当主が手練手管を用いて中枢に取り入り、先代当主も従軍した乱鎮圧の功がきっかけでイズリィホン国内でも有力な大名として勢力を拡大。
ルォードリアが18歳でキサス家の家督を継ぎ、その4年後、倒幕運動鎮圧の功もあり、キサス家は名実ともに国内で10位内に入る程の領地を手に入れ、押しも押されぬ有力大名として国中に知られる事となった。
ただ、キサス家の躍進は、長年分家筋として見ていた本家、ルィナクト家の勢力圏を半ば毟り取る格好で行われていたため、ルィナクト家の者達からは目の敵にされているのが現状だ。

そんな彼の性格は豪放磊落で、新しい物好きという面も持ち合わせている。
また、自分の思うままに物事を進めようとする面もあり、自分勝手な守護様と、陰口をたたく者も少なくない。

その彼が、一国の守護を務めていながら、なぜサルシ号に乗っているのか?

出港前に突如乗船してきた彼に、ダバウドは問いかけたが、キサスは

「これは、わしの領地で作った船じゃ。幕府水軍の所属とは言う物の、造船所の船大工は長年、キサス家が育ててあげてきた。言うなれば、この軍船はわしの赤子のような物じゃと思う。その赤子を送り出した主が、この旅路に同道するのは至極当然!と、思うのじゃが……違うかの?」

真剣な口調で逆に聞き返していた。
答えに窮したダバウドに、キサスは更に述べる。

「それに、この旅路で何か新しい物が見れると思うのだ。ソルスクェノ殿に再会したい気持ちも強いが……一番の目的は、イズリィホンには無い新しい物を、この目で見る事じゃ。シホールアンルには、それがある」

それを聞いたダバウドは、なんと自由奔放なお方なのかと、心中で思った。
しかし、辺境といえるこのロアルカ島を見ても、イズリィホンには無い物が多く見受けられる。

特に、帆も貼らずに高速で進むシホールアンル海軍の高速艦艇には度肝を抜かされた。
小型に部類されているシホールアンル駆逐艦でさえ、イズリィホン“最大”の軍船であるダバウド号より大きいのだ。
造船技術だけを取ってみても、イズリィホンとシホールアンルの差は非常に大きいという事がよくわかる一例だ。

「あの戦船を見るだけでも、多くの事を感じることが出来るのう」

キサスは、眼前の駆逐艦に指を差しながらダバウトに言った。

「そう言えば、シホールアンルの代官殿がそろそろ来船される頃でございますな」
「ほう。もうそんな時間であるか」

ダバウドがそう言うと、キサスは昨日の夜半にダバウドを始めとする代表者数名を上陸させ、シホールアンル側に船の修理ができる
ドックと資材があるのか調べさせた事を思い出した。

ダバウドらの報告によると、唐突の来訪にであるにも関わらず、シホールアンル側の対応は紳士的であり、彼らの話を聞いてくれた。
相手側の話では、修理用船渠はちょうど空きがあるのでなんとか手配できるとの回答を得られている。
資材に関してだが、はっきりとした回答は得られなかったものの、夜が明けてから担当士官を船に向かわせ、被害状況を確認したいと言われた。

「噂をすればその姿あり、という奴じゃの」

キサスは、おもむろに左舷側を見た後、ダバウドの肩を叩きながらそう言う。
桟橋から小型艇が離れ、徐々にサルシ号に近付きつつある。

「シホールアンル籍の帆船もちらほら見るが、ああいう小型艇にも帆が付いておらぬとは……不思議な物でございますな」
「うむ。見る物全てがわしらを驚かせてくれる。退屈せんわい」

キサスはどこか満足気な口調でダバウドに返した。

程無くして、小型艇がサルシ号に接舷し、シホールアンル海軍の担当士官が部下2名を引き連れて船内に入ってきた。

キサスとダバウドは第3甲板の乗降口で担当士官らを出迎えた。

「日々ご多忙の中、軍船サルシへの視察にお越し頂き、誠に感謝いたしまする。改めまして、それがしはサルシの船頭を務めまするヲホム・ダバウドと申します」

ダバウドは恐縮しつつ、恭しい仕草で頭を下げた。

「それがしは、ルォードリア・キサスと申しまする。特使殿の出迎えのため、遠くイズリィホンより馳せ参じました。見ての通り、貴国の船を比べるべくも無い船ではございますが、不幸にも嵐に見舞われたため、かような事態に立ち至りました。我らは異国の地にて任を終えた同胞を出迎える事が勤めでありますが、船は傷付き、先行きは怪しい……我が同胞のためにも、ここは友邦国のお歴々のお骨折りを頂きたく、伏して、お願いを申し上げる所存でございます」

キサスは通りの良い、張りのある声音で担当士官らに願いを申し述べた。

「私はシホールアンル海軍西方辺境隊に所属するヴォリオ・ブレウィンドル少佐と申します。辺境隊司令官よりあなた方の話はお聞きしております。遠い異国の地に赴任する同胞を想う思いは、私にもよく理解できます。私自身、兄がフリンデルド本土の公使館員として働いております。戦況悪化の折、あなた方の望んだ通りの支援が出来るかは正直……確約できぬところがあります」

ブレウィンドル少佐は一旦言葉を止め、痩せた面長の顔を右や左に振り向ける。

「しかしながら、出来る限りの事はやらせて頂きます。そのために、まずはこの船の被害状況をこの目で確認させて頂きます」
「おお。心強い限りじゃ……」

キサスは、ブレウィンドル少佐の内に秘めた誠実さを感じた後、無意識のうちに感嘆の言葉を漏らしていた。

「頼みますぞ!ダバウド、お歴々を案内つかまつれ」
「は。これよりはそれがしがご案内仕ります。まずはこちらへ……」

ダバウドは担当士官ら案内すべく、先頭に立って甲板へ上がり始めた。
キサスは彼らの後ろ型を流し見しつつ、そのまま視線をシホールアンル駆逐艦を向けた。

「しかし……何度見ても凄い船じゃが……この国ではあれ程の大船でさえ、小さいというのだ。大きい奴はどれほどのものになる事か……ここにいるだけでも、わしらの国の伝統や、常識が何であったのか……心の中で揺れ動いてしまうわ。誠に、バサラよのぅ」

彼はそうぼやいてから、高々と笑い声を上げた。

異変は、損傷個所の確認を行っている最中に起きた。

キサスの耳に、遠くからけたたましい警笛のような物が飛び込んできた。

「む……なんじゃこの音は?」

第58任務部隊第1任務群は、午前4時30分にはロアルカ島より南東250マイルの沖合に到達し、午前5時までには第1次攻撃隊130機が発艦し、ロアルカ島攻撃に向かった。

第1次攻撃隊がロアルカ島に迫ったのは、午前7時を過ぎてからであった。

第1次攻撃隊指揮官兼空母リプライザル攻撃隊指揮官を務めるヨシュア・パターソン中佐は、眼前に広がるノア・エルカ列島の中心拠点であるロアルカ島を見据えながら、指揮下の各母艦航空隊に向けて、マイク越しに指示を下し始めた。

「攻撃隊指揮官騎より、各隊へ。目標地点に到達、これより攻撃を開始する。リプライザル隊は港湾南側の停泊地、並びに地上施設。ランドルフ隊は島中央部の停泊地、並びに付近を航行中の艦船。ヴァリー・フォージ隊は港湾北側の停泊地を攻撃せよ!」

パターソン中佐の指示を受けた各隊は、それぞれの目標に向けて行動を開始する。

第1次攻撃隊の内訳は、リプライザルからF8F12機、AD-1A36機。
ランドルフからF8F12機、AD-1A24機。
ヴァリー・フォージからF6F16機、SB2C18機、TBF12機となっている。

出撃前のブリーフィングによると、ロアルカ島の港湾施設は島の中央部に集中しており、大きく3つに分けられると言われている。
また、捕虜から得た情報では、ロアルカ島付近には航空部隊が配備されておらず、対空火器も比較的少ない事が判明している。
このため、同島に向かわせる攻撃隊は護衛機の比率を下げ、攻撃機を多く加える事で、ロアルカ島の敵艦船、並びに、敵施設への攻撃を重点的に行う事となった。

空母ごとに別れた3つの梯団が別々の動きを見せ始め、更に高度を上げる機体があれば、逆に高度を下げて行く機体もある。
リプライザル隊は真っ先に戦場に到達したため、敵の対空砲火は自然とリプライザル隊に集中する事となった。
敵の迎撃が全くないため、護衛のF8Fが敵の対空砲火を制圧するため、まっしぐらに敵へ突っ込んで行く。
ロアルカ島の大きな入り江には、慌てて出港したと思しき艦艇が多数見受けられ、そのうちの半分から対空砲火が撃ち上げられた。
F8Fは、高射砲弾の炸裂をものともせず、光弾に絡め取られる事もないまま、敵陣に接近して両翼の20ミリ弾を叩き込んだ。
F8Fに狙われたのは、地上の軍事施設の周囲に配置された対空陣地であった。
長方形型の兵舎と思われる5つの施設の周囲には、8個程の対空陣地が置かれており、それらが対空射撃を行うのだが、猛速で飛行するF8Fの動きに付いていけず、光弾はF8Fの残像を貫くばかりであった。
20ミリ機銃の集中射を受けたある対空陣地が瞬時に沈黙し、それを見たシホールアンル兵は驚愕の表情を見せたあと、半狂乱になりながら防空壕に飛び込んでいく。
別の対空陣地は果敢に反撃しようと、銃座の指揮官が声を張り上げて指示を飛ばすが、魔道銃を構えた兵士は、F8Fの機首が自分たちに向けられるや、すぐに魔道銃を放棄してしまった。
指揮官は激怒し、長剣を抜きながら兵士を追いかけようとするが、そこに20ミリ弾がしこたま撃ち込まれ、指揮官は銃座ごと体を粉砕された。
ロアルカ島守備隊の駐屯地上空には、F8Fの機首から発せられる大馬力エンジンが盛んに唸り声を響かせており、それは平和を維持する地に現れた破壊者そのものの雄叫びと言っても過言ではなかった。

サルシ号の船上から見たそれは、イズリィホン人である彼らから見たら、まるで夢現の中の出来事のように思えていた。
だが……それは夢現の中の出来事ではなかった。

「敵機動部隊だ!」

キサスは、上甲板に上がった瞬間、ブレウィンドル少佐の発した金切り声を耳にしていた。

「敵機動部隊ですと?となると……あれが、シホールアンルが戦っている敵であると。そう申されるのですな?」
「その通りです!しかし、こんな辺境の島にまで奴らが襲撃してくるとは……!」

キサスは、それまで澄ました表情を見せていたブレウィンドル少佐が、明らかに狼狽している事に気付いた。

「これは、視察どころではない!一刻も早く陸地に戻らねば」

ブレウィンドル少佐は目を血走らせながら、慌てて小艇に移乗しようとするが、そこにキサスが待ったをかけた。

「お待ち下され!今陸地に戻るのは危ういのではありませぬか?」

彼は片手を周囲に巡らせた。
キサス号の付近に停泊していた駆逐艦や哨戒艇が大慌てで出港し、広い湾内に展開しようとしている。
今この状況で陸地に戻ろうとしたら、小艇はこれらの艦と衝突する可能性があった。

「た、確かに……」
「今は事が収まるまで、この船に留まられるのが宜しいかと思われますが」

キサスの提案を受けたブレウィンドル少佐は、半ば困惑しながらも、顔を頷かせた。

(この者、生の戦を経験しておらぬな?)

同時に、キサスはブレウィンドル少佐が、前線を経験していない事にも気付き始めた。

「しかし、なぜこの僻地にまで、敵の機動部隊が……」
「ブレウィンドル殿。それがしは疑問に思うたのですが、この地には精強無比と強いと謡われておられる筈のワイバーンが見えぬのですの。ワイバーンはあれらを迎え撃たぬので?」
「ワイバーン隊は……おりません」

ブレウィンドルは、半ば絶望めいた口調でキサスに答える。

「敵が来ない僻地にワイバーン隊を置いて、ただ遊ばせる訳にはいかんと上層部が判断したのです」
「ううむ……となると、これはしてやられたという事になりますのぅ」

キサスは同情の言葉を述べるが、ブレウィンドルはそれに返答せず、無言のまま拳を握り締めていた。
この間にも、アメリカ軍機の空襲は続いていく。

陸の地上施設に第一弾を投下した米艦載機は、港湾施設や在泊艦船にも襲い掛かる。
キサスは、遠方ながらも、初めて目の当たりにする米軍機の攻撃を食い入るように見つめ続けた。

幾つもの小さな影は、ワイバーンと違って左右の翼を振らないのだが、それでいてワイバーンよりも動きが良いように思える。
特に直進時の速さはこれまでに見たワイバーンや、国の妖族、怪異共のそれと比べ物にならないぐらい早い。
それでいて、小さな影からは聞いた事もない轟音が響き渡り、音だけで敵を殺傷しようとしているのかと思わんばかりだ。

「なんとも耳障りの音じゃ。しかし、よくよく聞いて見ると、これはこれで力強いようにも思えてしまう……」

キサスは、上空に木霊するライトR-3350エンジンや、P&W製R2800エンジンの音に対し、素直な感想を述べた。

アメリカ軍艦載機は、高空から降下して目標を攻撃する機や、超低空から目標に忍び寄ろうとする機、そして、高速で先行して目標に牽制攻撃を仕掛ける等、役割に応じて目標を襲撃している事が、おぼろげながらもわかり始めた。

これらの攻撃は凄まじく、停泊中の大船はもとより、抜錨して湾内で動き回っていた船ですら、アメリカ軍機の攻撃の前に次々と討ち取られつつある。
しかし、対する友邦国の軍も決してめげることなく、地上からは絶えず導術兵器の反撃(イズリィホンではそう呼んでいる)を行い、湾内の艦艇は、国旗と戦闘旗を雄々しくはためかせながら光弾を吐き続けている。
絶対的な劣勢下にありながらも、猛々しく戦う姿は、世界一の強国シホールアンルの意地を表しているかのようだ。

「アメリカ軍とやらの攻撃も恐ろしい物じゃが、それに立ち向かう貴国軍の戦船も負けず劣らず、天晴れなものですな」
「ええ。確かに果敢です。ですが……!」

ブレウィンドルは唐突に言葉を失ってしまった。
今しも、懸命の対空戦闘を続けていた一隻の駆逐艦が、スカイレイダーから放たれた爆弾を全弾回避し、生還の望みを掴んだ筈であったが、低空から接近してきた別のスカイレイダーの雷撃を受けてしまった。
2機のスカイレイダーは、両翼から2本ずつの魚雷を投下し、計4本の魚雷が駆逐艦の艦体に迫った。
駆逐艦は急転舵で回避を試みたが、全て避ける事は叶わなかった。
駆逐艦の左舷側中央部に1本の巨大な水柱が立ち上がると、駆逐艦は急速に速度を落とし始めた。

「今のはなんじゃ!?あの喧しい飛び物が、海の中に細長い棒状の物体を捨てたはずじゃったが……」
「今のは魚雷という兵器によって行われた対艦攻撃です。私も実際に見るのは初めてではありますが、敵は艦船を撃沈する際に、飛空艇の腹や、翼の下に魚雷を抱かせ、至近距離まで接近して目標に魚雷を当てに行くのです。その際、魚雷は海中に潜り込み、目標は海の中にある下腹を、あの棒状の物体によって串刺しされてしまい、そして……中に仕込んだ火薬を爆発させて大打撃を与えていくと、私はそう聞き及んでおります」
「なんと……となると、魚雷という名の得物は恐ろしい威力を持っておるのですな」

キサスは驚愕の表情を浮かべながら、傾斜を深めていく駆逐艦を見つめ続けた。

(あの戦船の中にもまた、シホールアンルの水士達が大勢乗っておる。船の傾きが異様に早いとなると……)

乗員の多くが死ぬ。それも、短時間の内で……100名単位で……

「次元が……わしらの知る戦とは、何もかもが違い過ぎる。人が討ち取られていく数と、それに立ち至る時の流れまでもが」
「キサス殿の船は、不用意に動かず、このままじっとしておかれた方がよろしいでしょう」
「無論、そのつもりでございまする。ましてや、イズリィホンはこの戦に関しておりますぬからな。戦ともなれば、大旗を掲げて」

その瞬間、キサスは体の動きを止めた。

(旗……わしらの旗は……!)

彼はハッとなり、心中で呟きながらマストに顔を振り向けた。
サルシ号は嵐に見舞われ、メインマストを損傷してしまっている。その際、イズリィホンの国章が描かれた旗も無くしてしまった。
その後、サルシ号はシホールアンル側の警戒艦に不審船として止められた後、臨検させてイズリィホン船籍の船である事を説明した後に、ロアルカ島への停泊を許されている。
つまり、サルシ号は、一目にイズリィホン船籍の船と識別できない状態にあるのだ。

それは即ち……

「あ……殿ぉ!空から何かが向かって来ますぞ!」

サルシ号が米艦載機に、シホールアンル船籍……つまり、敵艦船として認識される事を意味していた。

空母ヴァリー・フォージから発艦したSB2Cヘルダイバー艦爆16機は、TBFアベンジャー艦攻12機と共に、目標と定めた
港湾地区上空に達していた。

「眼下には桟橋から出港したての大型の輸送艦2隻に……あれは木造の輸送船か。それが1隻。あとは出港して湾内に展開しつつある小型艦3隻。
ちょこまかと動き回る駆逐艦は無視して、輸送艦を狙うか」

ヴァリー・フォージ艦爆隊指揮官であるデニス・ホートン少佐は、自隊の主目標を輸送船3隻に絞る事に決めた。

「デニス!聞こえるか!?そっちは何を狙うんだ?」

唐突に、レシーバー越しに艦攻隊指揮官の声が響く。

「ジェイソンか。こっちは輸送艦を叩く予定だ。そちらの目標はどれだ?」
「こっちは駆逐艦を狙う。何機かはまだ雷撃に不慣れだから、輸送艦を狙わせたいと思っているが」
「ふむ。いいだろう。相手からの反撃は少ない。のんびりと行かせてもらうよ」
「位置的にそっちの方が先だな。いい戦果を期待しているぞ。グッドラック!」

ホートン少佐は同僚の声に苦笑しながら、レシーバーを切った。

(不慣れなクルーがいるのはこっちも同じだな。16機中、8機のクルーは初陣だ。緊張で上手くやれんかもしれんだろうが……
訓練通りにやってくれることを祈るばかりかな)

彼は部下の練度に不安を感じながらも、各機に指示を下し始めた。
第1、第2小隊は輸送艦1、2番艦。第3、第4小隊は木造の輸送艦を目標に定め、各々攻撃を開始した。


サルシ号の上空に、これまた聞いた事のない轟音が鳴り始めた。

「な、なんだこの金切り音は!?」
「あ奴はもののけか!?」

部下の護衛兵が耳を押さえたり、上空に指を向けながら、迫り来るある物を凝視する。
キサスは釣られるように空を見上げた。
サルシ号の右舷上方から、何かが急角度で降下を始めていた。
その姿は最初小さかったが、みるみるうちに大きくなっていく。

「と、殿!あ奴はこっちに落ちてきますぞ!」
「いや!落ちておるのではない!あれが、あの者達のやり方なのじゃ!」

キサスは、先程目撃したシホールアンル艦に対するスカイレイダーの急降下爆撃を思い出し、サルシ号も同じ方法で攻撃を受けているのだと心中でそう確信していた。

「ヘルダイバーだ!もう助からないぞ!!」

唐突に、傍らのブレウィンドルが叫び声をあげた。

「ヘルダイバー?それがあ奴の名でございまするか!?」

キサスはブレウィンドルに聞き、彼も答えたが、この時には、ヘルダイバーから発する甲高い轟音が地上に鳴り響いていたため、その声を
聞き取ることが出来なかった。

(なんという音じゃ!これでは、何も聴き取れぬ!!)

彼は無意識のうちに両手で耳を塞いでしまった。
だが、ヘルダイバーの発する轟音は、耳を掌で覆っても消える事はなく、むしろ大きくなる始末であった。
キサスは、徐々に機体を大きくするヘルダイバーを睨み付ける。
栄えあるイズィリホン武士団の一棟梁としての矜持が、この未知なる物体から逃れようとする自分をこの場に押し留めていた。
その矜持がいつまで保たれるかを試すかのように、米艦爆はサルシ号に向けて急速に接近していく。
サルシ号には3機の艦爆が向かっており、先頭はサルシ号まで高度2000メートルを切っていた。
キサスは緊張しながらも、ヘルダイバーと呼ばれるもののけの特徴を頭の中にじっくりと刻みつつあった。

(これまでに、妖族や天狗族、鬼族と言った異形とも呼ばれる者どもをわしは目の当たりにしてきたが……これこそ、正真正銘の異形と言うべきかもしれぬ)

彼は、翼の根元を膨らませながら、急降下して来るヘルダイバーに対してそのような印象を抱いた。
その時、ヘルダイバーの目前に複数の花のような物がが咲いた。


駆逐艦フロイクリは緊急出港を行った後、敵の空襲を受けたが、必死の対空戦闘を甲斐あって損傷は軽微で済んだ。
艦上で対空戦闘の指揮を執っていたフェヴェンナ艦長は、見張り員の報告を聞くなり、ぎょっとなった表情でキサス号の上空に顔を振り向けた。

「まずいぞ!アメリカ人共はイズィリホン船を爆撃しようとしている!」

フロイクリは今しがた、急回頭で敵の航空雷撃を回避したところだ。
彼は、輸送艦を爆撃して避退しようとする敵機を目標に定めようとしていたが、急遽目標を変更する事にした。

「目標、イズィリホン船上空の敵機!急ぎ撃て!」

フロイクリの4ネルリ(10.28センチ)連装両用砲が右舷側に指向され、6門の主砲が急降下しつつある米艦爆に照準を合わせる。
命令から10秒経過したところで、仰角を上げた連装砲塔が火を噴いた。
高射砲弾はヘルダイバーのやや前方で炸裂し、6つの黒い花がイズィリホン船の上空に咲いた。
ヘルダイバーには砲弾の鋭い破片が突き刺さったはずだが、臆した様子を見せることばく、強引に黒煙を突っ切った。

「魔道銃発射!」

砲術長が号令し、直後にフロイクリの対空魔道銃が射撃を開始する。
右舷に指向できる8丁の魔道銃から放たれた光弾が、ヘルダイバーへの横槍となって注がれていくが、なかなか命中しない。
だが、それがきっかけとなったのか、ヘルダイバーは高度1000メートルを切らぬうちに胴体から爆弾を投下した。

「敵機爆弾投下!」

(くそ!落とせなかったか!)

フェヴェンナは敵を落とせなかった事を悔やんだが、すぐに別の指示を下した。

「2番機を狙え!まだ爆弾を持っているぞ!」

フロイクリの照準は、その後ろを降下する2番機に向けられる。
6門の砲と8丁の魔道銃が矢継ぎ早に射弾を繰り出す。
他の僚艦は対空戦闘を続けるか、被弾して大破状態にあるため、フロイクリ1隻のみの対空砲火では思うような弾幕がはれない。
それでも、フロイクリの対空射撃は一定の効果があった。
長い間戦場を渡り歩いた歴戦艦だけあって、乗員の腕は確かであり、射撃の精度は良好であった。
それに加えて、ヘルダイバーは乗員が未熟な事もあって、1番機と同様、高度1000を切った直後に爆弾投下という、及び腰の攻撃を行わせるという効果もあった。

「1番機の爆弾が着弾!イズィリホン船の左舷側海面に外れました!」
「3番機、本艦右舷上空より接近!突っ込んできます!」

上空より響き渡るダイブブレーキの轟音に負けじとばかりに、大音声で報告が艦橋に飛び込んできた。

「こっちが狙われたか!」

フェヴェンナは表情を険しくするが、ヘルダイバーの矛先を引き付ける事も出来た。
彼はある種の達成感を感じながら、操艦に集中し続けた。


サルシ号に向かっていた米艦爆の腹から何かが放たれた。

「伏せて!爆弾です!!」

ブレウィンドル少佐が叫び、両手で頭を押さえながら甲板に突っ伏した。
直後に、キサスらもそれに倣って体を伏せた。

頭の上でまた変わった轟音が響き渡り、音だけでサルシ号を潰そうとしているように思えた。
直後、強烈な爆裂音と共に左舷側から猛烈な振動が伝わった。

「ぬ、ぬおぉ!」

キサスは船体に伝わる衝撃に体を転がされ、仰向けの形で体が止まった。
その眼前には、甲高い叫び声を上げながら真一文字に突っ込みつつある米軍機がいた。
先と同様、翼の根本を膨らませながら迫りつつある。
その周囲に黒い花が咲き、更には色鮮やかなつぶてが横合いから吹き荒んでいる。

(あ奴はシホールアンルの戦船から攻撃を受けておるな!)

キサスは、先程までシホールアンル艦の対空戦闘を見学していたため、この機がどこかにいるシホールアンル艦から対空射撃を受けているのがわかった。
しかし、友邦国海軍の戦船はサルシ号を狙う機を落とすことが出来ぬまま、新たな攻撃を許してしまった。
胴体からまた黒い何かが吐き出された。
そして、両翼から閃光のような物が断続的に見えたと思いきや、礫のような物がサルシ号に降り注ぎ、船体の各所で雨垂れのような異音が鳴り響いた。

米艦爆は機銃を放った後、エンジン音をがなり立てながら、サルシ号の上空50メートルを飛行していった。

黒い物は丸い円となってサルシ号に落下しつつある。
それを見たキサスは、即座に死を覚悟した。

(わしは逝くのか……志半ばにして……)

ならば、その瞬間が来るまで決して目は閉じぬ。

大の字になりながら、迫り来る黒い物体がサルシ号に着弾するまで、キサスは目をつぶらないことにした。
イズィリホン武士の誇りが、彼にそうさせた。

しかし……

黒い物体は、丸い真円から若干細長い棒のように見えた。
その直後、物体はサルシ号の右舷側海面に落下していった。
右舷側から轟音と共に強い振動が伝わり、仰向けとなっていたキサスは、左舷側に転がされてしまった。
背中を左舷側の壁に打ち付けたキサスは、低いうめき声をあげたが、激痛を振り払うように勢いをつけて起き上がった。

「ええい!やりたい放題やりおって!!」

キサスは忌々し気に騒いだ。
更に3機目の爆音が鳴り響いたが、3機目は狙いを変えたのだろう、シホールアンル駆逐艦に向けて突入していった。

「もしや……あの船がわしらを手助けしてくれたのか。ありがたや……」

彼は、対空戦闘を繰り広げながら、回避運動を行う駆逐艦に向けて感謝の言葉を贈った。

「さりながら……状況は未だに良いとは言えぬ。アメリカとやらの軍勢はまたもや、こちらに手を掛けてくるであろう。それを防ぐためには……」

キサスはそう独語しながら、折れたメインマストに目を向ける。
サルシ号には、所属を示す記しが無い。
戦場と化したこの場で、それが致命的であるという事は、今しがた証明されたところだ。
国から掲げてきた記しは、今や海の底である。

(記しはもはや無き物になった。さりながら……あの姿までは、無き物となったわけではない……!)

彼はあることを思いつき、供廻りの衆に指示を下そうとした。
だが……

「おのれぇ!やりおったな!!」
「不埒な輩めら!成敗してくれるわ!!」

キサスが振り向くと、そこには、本格的に武装した部下達が口角泡を飛ばしながら迎撃の準備を整えていた。
船内に一時避難しながらも、爆撃を受けて怒りが爆発し、予め用意されていた弓矢を引っ提げて甲板に上がって来たのだろう。

(いかん!)

キサスは素早く動き、部下たちの前に躍り出た。

「ならん!ならんぞ!!」
「な…殿!?」
「如何なされた!?」

部下達は困惑の表情を浮かべる。

「イズリィホンは、アメリカという国とは戦をしておらん!」
「戦をしておらぬですと!?殿!あ奴らは我らに炸裂弾を投げつけ、一網打尽にしようとしたではありませんか!」
「返り討ちにしてやりましょうぞ!」
「如何にも!不遜な輩は討つべし!」

部下達は興奮のあまり、弓矢を掲げながら周囲を飛行する米軍機に反撃しようとしている。
だが、キサスは供廻り衆の感情に流されてはいなかった。

「この大たわけめが!今しがたの攻撃を見てもわからぬのか!?あんな速さで飛ぶあ奴らに、弓矢で射ても当たりはせぬわ!それ以前に、わしらが攻撃されたのは、ただの事故じゃ!」

彼は大声で叱責しつつ、メインマストを指差した。

「記しが備わっておれば、あのような攻撃は受けなかったかもしれぬ!」
「あの記しはもはやありません!そのため、敵の攻撃を受けておるのですぞ!」
「だから敵ではないのだ!わしらは、それを示さなければならん!」
「示すですと?旗はとうの昔に失われてしまいましたぞ!」
「うむ。確かに失われておるの。じゃが……」

キサスはニタリと笑みを浮かべると、左手で自らの頭を叩いた。

「ここの中にある記しまでは、失っておらん。そち達もあの模様を覚えておるであろう?」
「た、確かに……」
「殿。もしや、殿は記しを作ると言われるのですか?」
「そうじゃ。作る!材料は船倉の中にあるだろう?とびきり質の良い奴がの」

彼がそう言うと、供廻り衆は仰天してしまった。

「殿!あれは幕府が用意したシホールアンルへの献上品でございますぞ!どれもこれも、イズィリホンでは最高級の品ばかり」
「さりながら、あれはここで使うしかあるまい。白い布に色とりどりの染料。記し作りには持って来いじゃ」
「な、なんと……」

部下達は絶句してしまった。
キサスらは、出港前に幕府よりシホールアンルへの献上品として幾つかの貢ぎ物を渡されていた。
なかでも白い布は、特殊な工程を経て作られた最高級の一品であり、シホールアンル側は数ある献上品の中でも、特にこの高級布を好んでいた。
シホールアンル首都ウェルバンルにある帝国宮殿内で飾られている絵画の中では、3割ほどがこのイズィリホン製の白布を使用して制作されており、市井においても高い値が付くほどだ。
イズィリホンの下級武士層ではまず手が届かず、有力大名でさえもおいそれと手出しできぬと言われるほど、白布の質は高かった。
キサスは、その献上品を使って記し……国旗を作ろうと言い出したのだ。
部下達が絶句するのも無理からぬことであった。

「なりませぬとは言わせん。さもなければ、ここで粉微塵に打ち砕かれるだけぞ!」

キサスは有無を言わせぬ口調で部下達に言う。
対空砲火の喧騒と、上空を乱舞する米軍機の爆音が常に鳴り響いているため、口から出る声も常に大きい。
心なしか、喉が痛んできたが、キサスはここが耐えどころと確信し、あえて痛みを無視した。

「心配無用!幕府のお歴々が咎めれば、嵐に遭うた時に波にさらわれたと言えば良いわ。さあ!急いでここに持って参れ!早急にじゃ!」
「ぎょ、御意!」

複数の部下が慌てて下に駆け下りていった。
その間、キサスは右舷方向に目を向ける。

シホールアンル駆逐艦は今しがた、米艦爆の急降下爆撃を間一髪のところで回避していた。
そのやや遠方を、複数の小さな点が、ゆっくりと海上に降下していくところに彼は気付く。
横一列に3つならんだ黒い点は、海面からやや離れた上空にまで降下した後、這い寄るかのように進みつつある。
その先には……

(一難去ってまた一難、であるか……!)

「殿!献上品をお持ち致しました!」
「染料は!?」
「こちらに!」

部下達が黒い艶のある箱を持って甲板に上がってきた。
キサスは、部下が持っていた細長い箱をひったくると、中にあった白い布を取り出し、それを甲板に広げた。

ヴァリー・フォージより発艦した12機のTBFアベンジャーのうち、3機は未だに手付かずで残されていた木造の輸送船を的に定め、高度を下げながら的の右舷側より接近しつつあった。

「高度40メートルまで下げろ!前方の駆逐艦は無視だ。今の状態じゃ当てられん!」

アベンジャー隊第3小隊長のギりー・エメリッヒ中尉は2番機、3番機に指示を送りながら、目標を見据える。
現在、目標までの距離は約6000メートルほど。
輸送船の右舷側2000メートルに展開する駆逐艦は今しがた、ヘルダイバーの爆撃を回避し、対空戦闘を続けながら高速で直進に移っている。
本音を言うと、エメリッヒ中尉はあの駆逐艦を攻撃したかったが、彼が率いる小隊は、2番機、3番機のクルーが初陣であるため、高速で動き回る駆逐艦に魚雷を当てるのは難しいだろうと考えた。
そこで、彼は当てるのが難しい駆逐艦よりも、停泊している輸送船を雷撃して、確実に戦果を挙げる事にした。
攻撃が命中すれば、初陣のクルーも自信を付けるであろう。

「敵の木造輸送艦まであと5000!各機、雷撃準備!」

エメリッヒ中尉は無線で指示を下しつつ、胴体の爆弾倉をあける。
胴体下面の外板が左右に別れ、その内部に格納されている航空魚雷が姿を現す。
母艦航空隊の必需品の一つであるMk13魚雷だ。

「駆逐艦が対空砲火を撃ち上げているが、気にするな!1隻のみの射撃では、アベンジャーは容易く落ちん!」

エメリッヒ中尉は無線機越しに2番機、3番機のクルーらを勇気づける。

「2番機が若干フラフラしています!」

エメリッヒ機の無線手が報告してきた。
現在は高度40メートルだが、新米パイロットにとってはきつい高度だ。
緊張で操縦桿を握る手に力が入り過ぎているのだろう。

「2番機!力み過ぎるな!機体がフラフラしていたら、当たるものも当たらん!落ち着いて操縦しろ!」
「了解!」

彼は喝を入れながら、目標を見据え続ける。

駆逐艦は高射砲弾を連射し、編隊の周囲で断続的に砲弾が炸裂する。
時折、近くで黒煙が沸いて破片が当たる音がするものの、グラマンワークス(実際はGM社製だが)の作った機体は打撃に耐え続けた。
編隊のスピードは、魚雷投下を考慮しているため、200マイル(320キロ)程しか出していないが、それでも目標との距離は急速に縮まり、駆逐艦の上空を通り過ぎた後は、木造船まであと一息という所まで迫った。

「目標に接近!距離500で魚雷を投下する!」

エメリッヒは各機にそう伝えつつ、雷撃針路を維持する。
エメリッヒ機を先頭に右斜め単横陣の形で接近するアベンジャー3機は、敵船の右舷側に接近しつつある。
距離は尚も詰まり、今は1700メートルを切った。

(あの小型の木造船相手に、航空魚雷3本は過剰過ぎるだろうが……あの船の積み荷は敵の戦略物資だ。悪いが、俺達は仕事を果たさせて貰う)

彼は幾ばくかの同情の念を抱いたが、それに構わず沈める事にした。
それと同時に、認識票にも載っていない初見山の木造船に対して、遂にシホールアンルも使い古しの船を使わねばならなくなったのか、とも思った。

(俺達を恨むなよ。戦争を引き起こした上層部を恨んでくれ)

エメリッヒは心中でそう呟きつつ、魚雷投下レバーを握った。
距離は1000を切り、間もなく魚雷を投下する。
だが、ここで彼は、思わぬ光景を目の当たりにした。

距離が1000を切る頃には、うっすらとだが、甲板上の様子が見てわかる事がある。
パイロットは基本的に、視力が良くないとなれないが、エメリッヒは入隊前にアラスカで漁師として働いていた事もあり、視力は2.0はある。
その2つの目には、甲板上で盛んに旗を振り回す一団が映っていた。

(旗?)

彼は怪訝な表情を浮かべつつ、なぜ彼らが旗を振っているのかが気になった。
この時、距離は900メートル。
急に、彼の心中で疑問が沸き起こった。

目標は軍用船なのか?
いや、……あの船はシホールアンル船なのか?

それ以前に、あの船は攻撃してはいけないものではないか?

900メートルが過ぎ、700メートル台に接近した。
エメリッヒの双眸には、相変わらず旗を振り回す一団が見えていたが、距離が詰まることによって、得られる情報も多くなった。
独特な民族衣装を着た一団は、多くが手を振り回していたが、一部はしきりに、振り回す旗を見ろと言わんばかりに指を向けていた。
旗の模様はシホールアンル国籍の物ではなく、全く違う模様が見えていた。

(敵じゃないぞ!!)

この瞬間、エメリッヒは全身後が凍り付いたような感覚に見舞われた。
体の反応は、自分が思っていた以上に素早かった。

「各機へ!攻撃中止!攻撃中止だ!!あれはシホールアンル船ではない!!」

エメリッヒは無線機越しに叫ぶように命じた。
その直後に、胴体の爆弾層を閉じ、機体を左右にバンクさせた。
アベンジャー3機は魚雷を投下せぬまま、高度40メートルで国籍不明船の上空を通過していった。

青と赤が横半分に分けられ、中央に赤紫色の丸が手描きで描かれたシンプルな記し……イズィリホン将国の国旗を、部下と2名と共に力強くはためかせていたキサスは、爆音を上げながらフライパスした米軍機を見送ったあと、急に体の力が抜けたように感じた。
彼は思わず、その場で屈んでしまった。

「お……おぉ。分かってくれたようじゃ……のぅ」
「殿!如何されました!?」
「殿!」

供廻り衆がキサスの周りに集まり、彼を気遣う。

「いや、大丈夫じゃ。ただ幾ばくか疲れただけじゃ」

キサスはそう言って、微笑みを浮かべる。
それからしばらくして、空襲警報が鳴りやんだ。

5分後、一旦落ち着きを取り戻したキサス号では、乗員が被害個所の確認を行う傍ら、破損したメインマストに急ごしらえの国旗を掲げていた。

「これがイズィリホンの国旗ですか」

ブレウィンドルは、文献以外でしか見た事が無かったイズィリホンの国旗をまじまじと見つめた。

「これこそ。我らが誇るイズィリホンの記しでございまする。さりながら……それがしには少々足りぬものがあると思いましてな」
「足りぬですと?何かの紋章を書き忘れたのでしょうか?」
「いや、荒々しいではありますが、記しはこの通りの様相で差し支えありませぬ」
「元の通りに描けた、という事ですな。なのに、なぜ足りぬと?」
「それはですの……まぁ、それがしの言葉のあやという物でござります」

キサスはそう言ってから、高笑いを上げる。
ふと、ブレウィンドルは、このキサスという男が野心家ではないかと思ってしまった。

(この方は、何か大きな事をやりそうな予感がするな。こう、歴史的な事を)

ブレウィンドルは心中でそう呟いた。

のんびりと物思いに耽る時間は、そう長くはなかった。
先の空襲から20分足らずで、再び空襲警報が鳴ったからである。

「ま、また空襲警報だ!」
「殿!」

シホールアンルの担当官と、供廻り衆から再び悲鳴のような声が上がった。
それを聞いたキサスは、どういう訳か苦笑いを浮かべた。

「偉大なる帝国は、土地という土地、島という島、隅々まで総戦場になりけり、という事かの」


午前8時 ルィキント列島南南西220マイル地点

人間の生活習慣という物は、ある程度の期間が過ぎると常態化していくものである。
それは、社会においても同じであり、朝の仕事準備、業務、休憩、業務、帰宅と言った流れでほぼ進んでいく。
軍隊においても、それは同じだ。

早朝の偵察機発艦からの周辺海域索敵は、最大のライバルでもあったシホールアンル機動部隊が壊滅した今でも続行されている。
それは、アメリカ機動部隊のルーチンワークの一つでもあった。
そんな何気ない動作と化した索敵行は、ある物を彼らに見せつける事となった。

空母ランドルフより発艦したS1Aハイライダーは、暇で単調な索敵行を半ば終えようとしたときに、それを見つけた。
いや、後世の歴史家の中では、見つけてしまった、という表現を時々用いられるほど、この索敵行は歴史上の大事件であった。

「機長!あれは間違いありません!誰が見ても竜母です!」
「ああ、確かにそうだ!だが、なぜこんな所に?」

機長は7、8隻の護衛艦に過去まれた中央の大型艦を見るなり、疑問に思うばかりであった。
海軍情報部では、シホールアンル海軍の大型艦は全て、本国沿岸の安全地帯に避退していると判断しているという。
先日のシュヴィウィルグ運河攻撃の際、同地で遭遇した敵竜母部隊は、攻撃を担当したTG58.3が攻撃を加えたが、ある程度の打撃を与えただけで
撃沈には至らなかったという。
そもそも、TG58.1はこの地に有力なシホールアンル海軍艦艇が存在しているとは考えてはおらず、この日の索敵行は、どちらかというと初見の海域の調査を目的とした物であった。
このため、早朝に発艦したハイライダーは4機ほどで、通常よりも少なく、哨戒ラインの密度も薄い。
それに加えて、ハイライダー各機は海域の情報収集と、長距離飛行を念頭に置かれたため、ドロップタンクを装備している。
飛行距離は往復で1000(1600キロ)マイルもあり、通常の索敵行と比べても明らかに長い。
機長は、長い遊覧飛行だと心中で思っていたほどだ。

だが、のんびりと飛行を楽しむ時間は、唐突に打ち切られてしまった。

「ランドルフに報告だ!」
「了解!」

機長は後席の無線手に指示を伝えるが、そこで新たなものを見つけた。
ハイライダーより5000メートル離れた空域に、別の飛行物体を確認した。
その小さな物体は、大きく翻ってから頭をこちらに向けた。
その物体に、これまでに見慣れた、敵の“生き物らしい動作”は全く見受けられなかった。

(危険だ!)

言いようの無い恐怖感に襲われた機長は、咄嗟に機首を反転させ、この海域からの離脱を図った。

「未確認飛行物体を視認!離脱するぞ!」

反転したハイライダーは再び水平飛行に戻ると、離脱の為、エンジンを全開にした。
その頃には、向かっていた飛行物体は急速に距離を詰めつつあった。

「国籍不明機接近してきます!」
「わかってる!飛ばすぞ!」

ハイライダーは持ち前の加速性能を発揮し始めた。
不審機も加速したのか、しばしの間距離が離れなかったが、時速600キロメートル以上になると徐々に離れ始め、650キロを超える頃にはその姿は急速に小さくなり始め、700キロに達した時には、不審機の姿も、未知の母艦を伴った機動部隊も見えなくなっていた。

午前10時 ロアルカ島南東250マイル地点

第5艦隊司令長官を務めるフランク・フレッチャー大将は、旗艦である戦艦ミズーリのCICで戦果報告を聞いていた。

「先程、第2次攻撃隊の艦載機が母艦に帰投致しました。第2次の戦果報告は現在集計中ですが、第1次攻撃隊は艦船10隻撃沈、6隻撃破、複数の地上施設並びに、魔法石鉱山の爆撃し、多大な損害を与えております。こちら側の損害は、4機が現地で撃墜されたほか、被弾12機、着艦事故で3機が失われました」

通信参謀のアラン・レイバック中佐が淡々とした口調で報告していく。

「第2次攻撃隊の戦果に関しては、先にも申しました通り集計中ですが、暫定ながらも地上施設と港湾施設に甚大な被害を与えたとの報告が入っております」
「事前の予想通り、攻撃は成功だという訳だな」

フレッチャーはそう言いつつも、表情は険しかった。

「だが、現地では予想していなかった事態も発生したと聞いている。諸君らも聞いておるだろうが」

彼は言葉を区切り、溜息を吐いてからゆっくりとした口調で続ける。

「第1次攻撃隊は、攻撃の途中でシホールアンル帝国とは別の国に所属していると思しき、国籍不明の木造船を発見したと伝えてきた。そして……その木造船を誤爆したという報告も、入っている。一連の報告は、既に太平洋艦隊司令部に向けて送ってはいるが……」
「国籍不明船を誤爆したパイロットからの報告では、乗員が未知の国旗のような物を振っていたとあります。また、木造船自体もシホールアンル船と比べて年代的に数世代あとの物である事が判明しております。木造船を狙った爆弾は外れており、雷撃を敢行したアベンジャー隊も寸前で国籍不明船と気付いたため、同船舶が撃沈に至る程の損害は与えてはおりませぬが……」
「ヘルダイバーは爆弾投下後に機銃掃射を行い、ある程度の機銃弾が同船舶に命中したとの報告も入っている。不明船の所属国の調査は、後に行われる事になるだろう」
「この後、第3次攻撃隊の準備が予定されておりますが。どうされますか?」

参謀長のアーチスト・デイビス少将の問いに、フレッチャーは即答した。

「第3次攻撃は、この際中止にする。元々、ノア・エルカ列島はシホールアンルの辺境地帯だ。同地を訪れている、非交戦国の独航船や輸送船が停泊している可能性は1隻だけはないだろう。もし、別の国籍不明船を誤爆すれば、合衆国は世界中から非難される事になる。参謀長!」

フレッチャーは改めて命令を下した。

「TG58.1司令部に伝えよ。第3次攻撃中止。TG58.1は偵察機を収容後、直ちに作戦海域から離れるべし、以上だ」
「はっ!」

参謀長はフレッチャーの命令を受け取ると、通信参謀にその命令をTG58.1司令部に伝達するよう、指示を下した。

(しかし、まさかの誤爆事件発生となってしまったが……この他にも、問題はある)

フレッチャーは、やや陰鬱そうな表情を浮かべつつ、紙束の中に挟まっていた、一枚の紙を手に取り、その内容を黙読した。



「ルィキント列島より南南西220マイルの沖合にて、未知の母艦らしき物を伴う艦隊を発見せり。艦隊には艦載機と思しき飛行物体も帯同し、偵察機を追撃する動きを見せるものなり。同飛行物体はワイバーンにあらず」

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