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皇国召喚 ~壬午の大転移~25

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Turo428

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「北方諸国内におけるリンド資産の凍結に、通商の無期限凍結、リンド人の
 入国関税を10倍にする。ですか……。今まで無茶苦茶をやっていた
 我々が言えた事ではないかも知れませんが、これは無茶苦茶だ」
「しかし我が国が無茶苦茶をしたからといって、他国も無茶苦茶をして良い
 道理は無いでしょう。諌めるとしても、もう少しやり方がある筈ですよ」
リンド王国の国務卿が、半ば諦めたように笑った。
シャーナ女王の横に座る王配の陽博も、内務卿、兵武卿も一様に表情が硬い。
北方諸国からの“最後通牒”が示されたのだ。

リンド王国は東大陸の北西に位置し、歴史的に北方諸国との結びつきが強い。
大陸北東の列強であるマルロー王国や、北の強国であるセソー大公国
との関係を軸に、大小の国家や領邦との関係を築いてきた。

ユラ神国と皇国を相手にした今度の戦争でも、彼等はリンド王国の
行動を支持し、少数の義勇兵と共に多額の資金や物資を援助した。
リア公爵領の“奪還”と、それに伴うユラ神国の威信の低下は、
北方諸国の大陸西方や南方への影響力拡大の楔となると思われたからだ。
この“紛争”でのリンド王国の勝利は確実で、そうなれば北方諸国はリンド王国に貸しが出来る。
だが、リンド王国が戦争に負けるや否や、彼等は掌を返したように敵対的になった。
曰く『ユラ神国と皇国に下った偽りの女王に大義は無い』。

まず、4年から20年での償還を約束していた戦時国債を今すぐ完済せよと言い出した。
さらにユラ神国と皇国との新同盟の完全解消をし、女王は婚姻を破棄して王配を処刑せよと。
加えて、皇国の傀儡である新女王の正当性も認めないから、現女王は退位して別の国王を立てよと。

これらが成されなければ、マルロー王国その他の北方諸国同盟に存在するリンド王国や
王家の資産を差し押さえ、リンド王国との国家間や民間の移動や貿易は全て凍結する。
さらには、リンド王国の領土そのものを担保として取り上げる。という事であった。

ただし要求を呑めば、北方諸国同盟は疲弊したリンド王国に食糧や資金、
軍の再建その他の援助を惜しまないともある。鞭だけでなく、しっかりと
飴も用意している辺りが、“弱小国”に転落しつつあるリンド王国を悩ませる。

以前のリンド王国なら、それを撥ねつけるだけの力を持っていたが、今は違う。
金も無ければ兵も無い。
戦争で苦しめられ、漸くそれが終わったと思ったら前王の負の遺産に苦しめ続けられる事になろうとは。

北方諸国に緩い経済協力体制はあったが、強固な軍事同盟と言えるようなものは無かった。
北方諸国同士でも、当然のように様々な対立はあった。地理的、政治的に近いからこその対立も。
それが、今や『北方諸国同盟』として、一丸となってリンド王国を否定しに来ている。


リンド王国の経済全体の“貿易額”としては、実は敵国であったユラ神国や、
ユラ神国を盟主とする大陸西方から南西諸国、大内洋諸国との結びつきの方が強い。
国内の主要通貨が北方諸国の基軸通貨である『ワール』ではなく、
ユラ神国を中心とする西方から南方、大内洋諸国の『リルス』である
という事からも、貿易の主体がどちらを向いているか解るだろう。
だが、それでも北方諸国との関係が無視できぬ程度には存在する以上、
貿易が途絶えればリンド王国の経済に少なからぬ悪影響を及ぼすだろう。

“貿易額”ではなく“貿易量”として見れば、尚更に北方諸国を軽視する事は不可能。
ソバやライ麦等の、下層階級の人々の日々の食糧になると、輸入量の
殆どが北方諸国からの物だ。北洋の海産物や獣肉も、貴重な食料資源。
貿易がストップしてしまえば、貧民を中心に少なくない数の栄養失調者、
それが原因の病死者や餓死者が出るだろう事は想像に難くない。

食糧面に関して、皇国は全く当てにならない……というより他国に養ってもらわねばならない国の筆頭が皇国である。
皇国は、リンド王国との通商が開始されれば、早速幾らかの食糧――小麦や馬鈴薯――を購入する予定であった。
人口がリンド王国の倍あるにも関わらず、農地の少ない皇国の食糧に対する貪欲さは底知れずである。

「我が国の総理大臣、農林水産大臣、運輸大臣等には、今年度内の
 リンド王国からの食糧輸入は困難と、お伝えした方が良いでしょうね」
皇国の全権大使や駐在の外交官、また軍の高官達は、ほぼ死に体の
状態のリンド王国から、大量の食糧を持ち出す事は不可能と判断していた。
どんな大金を積んだところで、今すぐ、無理矢理にでもそんな事をしたら、
燻っているリンド国内の、リンド王家や皇国への不満が爆発する恐れがある。

皇国が今すぐ、喉から手が出るほど欲しい食糧を調達するためには、
貿易相手国の内政基盤が安定的でなければならないだろう。
順番を間違えれば、皇国も一緒に泥沼に飲み込まれてしまう。


現状、リンド女王たるシャーナにそれ程の人望は無い。
貴族ではない騎士階級の娘という、王に対するには格の低い
側室からの女子という理由も大きいが、それだけが原因でもない。

前王は“賤しい女の子供”がリンド王国の第一王女(実質的に王位継承権第一位)だという事を隠したがっていた
程だから、シャーナは前王の在位中も、社交界では国内や他国の王侯達と最低限の顔繋ぎ程度の関係しかなく、
王女として成人を迎えて以降も何か政治的、文化的な活動を公にしていた訳ではない。
突然即位した実態不明の女王を、リンド国内の貴族達はどう扱って良いやらなのだ。

前王は、その前の王。シャーナの祖父や曽祖父に当たる人物の遺産があったから、内政も戦争も好き勝手出来た。
しかし過去の遺産を殆ど食い潰して得た物は無く、負債だけが残った今、女王が駄目だといよいよ国が滅ぶ。
だから貴族達は、事態の推移を見守りつつも警戒している。
表向きは、亡国の危機に要らぬ内憂を持たないよう、女王に協力するという態度だが、
女王の政治手腕に疑問を持たれれば、いつ態度を変えて不信任を突きつけられるか解らない。

シャーナに近しい人程、彼女は王ではなく、聖職者か学者、あるいは慈善家が向いていると考えていた。
親の七光りで身の程を弁えずに己を過大評価していた前王よりは、身の程を弁えて一歩引いた
態度の現女王の方が良いかもしれないが、あまり卑屈過ぎれば他国から舐められる。
そういう教育を受けていないからなのだが、権謀術中に長けているとも言えない。
王としての器が無い、というより未知数なのだ。

王としての自覚はあるのだろうが、あまり行動が伴っていない。
女王がまだ王女だった頃、自分の城館で下級使用人と口を聞いた事があった。
ある日、庭を手入れしていた使用人が怪我をしていたのだが、王女はそれに
気が付くと、近寄って声をかけ、侍女に手当てするよう言いつけたのだ。

幾ら妾腹とはいえ、貴人たる王女が使用人と同じ目線で話すなど、あってはならない事。
王や上級貴族にとって、下級使用人など、そこに存在しないものとして扱うのが
当然で、緊急避難的な状況でもなければ、会話などありえない。

賤しい身分の者から王に目を合わせたり、声をかけるなどはタブー。
場合によっては、それだけで鞭打ちの罰が与えられる事もありえる程の無礼だ。
逆に、王の方から下級の使用人に何か言伝や命令があるならば、侍従や上級使用人を通して行うのが普通だ。
直接命令は、越権行為なのである。

シャーナは女王となった今でも、公の場ではさすがにしないが、宮殿内の使用人達や、
かつての自分の城を切り盛りしている使用人達に微笑みかけたりする事はよくある。
王侯貴族の社会礼節からすると、浮世離れしているのだ。


しかしシャーナという女性にとって、父王から離れて生活し、次代の王としての“帝王教育”が
あまり熱心に行われなかった事は、良い影響もあったのではないかと、王配の陽博は思っている。
いつか正室から王太子たる長男が産まれる事を夢見て、女の子供に(加えて側室の子供に)王としての教育など
要らぬと常々言っていた前リンド国王の方針で、王女たるシャーナに対する教育は良くも悪くも放任されていた。
シャーナの教師として仕えていた人物には、前ポゼイユ侯爵と関係の深い人物も居たくらいだから、
学問方面でも芸術方面でも、シャーナの家庭教師には“変人”が紛れ込む余地があった訳だ。

陽博がシャーナと話してみて好感を持ったのが、“おかげ様”とか“お互い様”という思想だ。
本人は無自覚でも“『基本的人権』は万人に平等である”という考えにかなり近い。

この世界の王や貴族の多くは、平民や奴隷は貴人に奉仕するのが当然という思想で、
自分達の食べるパンを作るのは平民達であるという事実を忘れているか、見ないようにしている。
自分達が貧民に施しを与えてやっているから、彼等は生きていけるのだという傲慢な考えの者も居るくらいだ。

シャーナの場合、多くの平民達の血と汗がなければ、王侯貴族達の
優雅な生活は成り立たないという社会の仕組みを下手な貴族より理解している。
そして、王は国や民に尽くす責務がある。という自覚はある。
王の為に国や民があるのではなく、国や民の為に王があるのだ。

『君主は国家の絶対的な主人ではなく、第一の臣下』という意味では、
王であるが故に民が背負うものより重いものを背負わねばならない。
民が、その血と汗で王と国を支えてくれるのだから、それに応えて民を守るのが王たる者の責務だと。
私が王で居られるのも支えてくれる臣や民の皆さんのおかげとか、貴族も平民も奴隷も、
この国で共に生きるならばお互い様とか、本当にあの父親の子供かと思うほどだった。

平民や奴隷だって貴族と同じ、命ある一個の人間だ。という皇国では当たり前の思想を持つ、奇特な女王。
そんな女王に、皇国人である陽博はこの国の将来を任せて大丈夫だろうと考えている。
全能の王が国政に関して何から何まで結果を出すというのは現実的ではない。
王が、自身の権限で王を補佐する大臣や官僚と協力して上手く国を動かせば良い。
その時、王が人格者である事は、平民も含めた国民全員にとって不幸な事ではない。

そしてシャーナは、現実を無視した夢想的な理想主義者ではない。
表向きには社会の理想を唱えるが、その実は暴力を伴う革命を肯定する
共産主義者などとは違い、穏当で地に足の付いた政策は期待出来る。
細部を詰めるのは大臣や官僚達であって、王は大まかな方針を示し、臣下と議論する事で方策を具体化して
命ずれば良いのだから、王の国政への考え方が地に足が付いていてしっかりしていれば、国内は混乱しない。

一方的に命令するのでなく、臣下や近しい者達の意見を聞いて判断する謙虚さもある。
これは“帝王教育が不十分”だという自覚に基いての行動だろうが、
これがかえって周囲の者達の行動力を高める結果に繋がっている。
『女王陛下に何かを訊ねられた時、あるいは何かについて議論するように指示された時、
 下手な受け答えは出来ないから、日頃から情報収集や人間関係の構築を疎かに出来ない』
という訳だ。

王女だったシャーナにとって、会った事も無い皇国人との婚姻も、内心では相当な葛藤があったはずだ。
結果論から言えば、異界の王族との婚姻が“性急”で“無礼”という批判を、付け入る隙を与えた事に
なってしまったが、新たな国王たるシャーナの決意を示すのには、最も解りやすく目に見えるものである。
先王たる“正統な父”とは明確に違う国王だという事を、良くも悪くも内外に決定付けさせた。
王統に血統を否定するのは乱暴にしても、王たるものの本質は血“だけ”では決まらない。と。
自分自身が、殆ど半分平民の母親から産まれた。という事実は
異界の王族との婚姻への精神的な壁を大分引き下げただろう。


「我が夫である陽博を処刑せよ。などという要求は到底受け入れられませんが、
 戦時国債の早期支払いについては、交渉の余地はありませんか?」
戦費として借り受けた金銀も、今は復興や発展の為に使いたい。
それを今すぐに返済すれば、それだけ復興や発展が遅れる事になる。
今の段階で無理に返済する事に何の得も無い事を考えれば、受け入れられる訳が無い。

シャーナの提案する交渉というのも
『約束の期限までに返せって事だろ? 今すぐ返せなんて面白い冗談だな、相棒!』
という“確認”である。間違っても
『今すぐ返済しますので、どうか見逃してください』
という話し合いを提案しているのではない。

「確認をしたところで、今すぐ償還せよという返答は変わらないでしょう。それに
 仮に、今すぐに全ての債務を償還したとしても、陽博殿下を処刑し、シャーナ陛下が
 退位なされないのであれば、彼等にとって要求が呑まれないのですから、同じ事です」
どちらかと言えば、金の問題より名誉の問題の方が大きいかもしれない。
得体の知れない女王が、もっと得体の知れない皇国人を夫に迎えるなど、幾らなんでも。という事だ。
シャーナの腹違いの妹で第二王女にあたるレニエ侯爵フィアナを新女王に即位させ、
マルロー王国の第二王子か有力貴族あたりを新たな夫に迎えろという事だろう。
フィアナも得体の知れなさ加減ではシャーナと似たり寄ったりだが、
まだ独身であるから、得体の知れる人物と結婚させれば良い。

「陛下は甘すぎます。陛下が譲歩しても、その分を相手も譲歩するとは限りませんぞ。
 むしろ、こちらが譲歩したのを良い事に、次から次へと譲歩を迫るでしょう」
国務卿の発言に、陽博がシャーナを見つめた。
「私は皇国で育った皇国人ですが、今はリンド人として、この命も女王陛下と共にあります。
 私が首を差し出す事で陛下やリンドの民が救われるのならば、喜んで致しましょう。
 しかし、この文書を見る限り、私が首を差し出したところで彼等が満足する事は無いでしょう。
 私一人が生贄になっても、皇国の影がある限り、最悪は陛下自身の首を要求してくる可能性も……」
大臣達も、陽博の言うとおりだという態度でシャーナを見る。

リンド王国という、現状において力の空白地帯を誰が治めるか。
誰が主導権を握るか。

マルロー王国は、それがユラ神国になるのも、皇国になるのも絶対に嫌なのは明白だ。
マルロー王国が直接的あるいは間接的に影響力を及ぼすか、それが無理なら
最悪でもマルロー王国に友好的な国の影響下に、リンド王国は在らねばならない。
でなければ、大陸北方の勢力図が大きく描き換わり、修復出来なくなるかも知れないのだ。
大内洋への出入り口が、ユラ神国なり皇国なりを中心とする大同盟に完全に塞がれたら、絶体絶命である。
だからマルロー王国を中心とする諸国は、皇国という得体の知れない強者を相手に、引くに引けない。

ある意味、リンド王国としては到底呑めない要求を突きつけて、それが撥ね付けられた時、
それを理由に何とかして、東大陸最大の王国を自分達の勢力下に治めるための行動を
起す正当性の担保にするための、実質的な脅迫状がこの外交文書なのである。


「彼等が、リンド王国や王家が皇国に下ったと考えるならば、それを利用すれば良いでしょう。
 リンド王国を脅かす北方諸国を、皇国は躊躇い無く討つだろうと、返答したらいかがです?」
陽博の提案は、半分以上ブラフだ。
今の皇国軍はリンド王国の防衛に精一杯で、北方諸国方面に陸路遠征する力は無い。
だが、大陸最強を謳われたリンド王国軍を完膚なきまでに叩き潰した皇国軍が
動くとなれば、北方諸国同盟も考えを改めざるを得なくなるかも知れない。
ここで、“人質としての皇国人”陽博の存在価値が生きて来る。
皇国はリンド王国のためだけではなく、王配である陽博を守るために
軍を動かすのだという、誰にでも解り易く反論し難い理由が成り立つからだ。

「皇国軍による北方諸国への進攻は別としても、北方同盟軍が
 リンド領へ不当に進軍してくるなら、皇国軍は討つ覚悟ですよ」
皇国の皇族である陽博の言葉は、言質になる。
終戦時の協約にも安全保障の規定が盛り込まれているが、
改めて“皇国人”たる王配の口から出る言葉の意味する所は重い。
実際に皇国の外交官、武官たる将兵共々、そういう覚悟で居るのは確かだ。
政府も、そういう方針に乗り気ではないにしろ“仕方なし”という考えでいる。
リンド王国としては、領土を借金の担保にした覚えはないが、彼等がそう主張する
からには、軍を動かしてリンド王国の領土を占領して切り売りするという事だろう。
そこを、皇国軍が反撃するという確証が得られれば大きな抑止力になる。

海を渡ってきた一派遣軍で、リンド王国の全軍を容易く壊滅させた皇国軍は、現状過大評価されている。
神話に伝わる旧世界。神をも恐れぬ魔法文明というのは、実は皇国の事なのでは? とも実しやかに囁かれている。
だったら、幻想でも何でも利用すれば良いだろうという事だ。

だが、女王シャーナは戸惑う。
陽博に申し訳無さそうな態度で、目配せする。
「しかし、我が国のために皇国の血を見るのは……」
「陛下。皇国とて、何も善意だけで軍を動かしはしません。
 国交が樹立された今、皇国とリンド王国は持ちつ持たれつです。
 リンド王国が皇国を利用すれば、皇国もリンド王国を利用します」
「利用価値があるからという……打算ですか?」
「国や民を生かすために必要なあらゆる物が天から降って来るわけではない以上、利益の追求や打算は必要です。
 しかし、それだけでもいけないのは陛下もご存知のはずです。簡単に利益が得られるからといって、
 騙したり奪ったりするのは、人の道に背きます。皇国はリンド王国から人命や物品を奪いました。
 その償いもあります」
「しかし、それは正当な手続きの上の戦争での事。確かに死んで仕方のない命は無いでしょうが、
 皇国も我が国も、お互いに理解して矛を交わしました。それについては終わった事です」

それは法的には勿論そうなのだが、人間の心はそう簡単に割り切れるものではない。
戦死者に対し、この世界の文明国の典礼に則った弔いをしても、殺し方があまりにも残虐だった。
ソ連軍と正面衝突する事を考えれば生温い戦争だと皇国軍は考えても、この世界にソ連など存在しない。
良くも悪くも、“皇国(元世界)の常識は新世界の非常識”なのだ。

表向き勝った勝ったの皇国軍兵士だって、殆ど一方的に敵兵を撃ち殺した事に良心の呵責を感じる者が居るのだ。
自分が撃ったのは人間ではなく、標的に見立てた人形だ。と自分に言い聞かせないと平常心を保てない
ような危険な精神状態の者も居て、軍医によって病院船への後送か本国への送還が行われている。

リンド王国の民達も、手放しで皇国人を歓迎している者は貿易商人や労働者等の少数で、
大半の都市民や村民等は疑いの目を持ちつつ、その振る舞いを注視して観察している。
“悪魔の皇国軍”の素性が知れるまで、そう簡単に心は開かれないだろう。


「では、もう少し下世話な内容を申しますと、皇国の天皇陛下は、リンド女王陛下の
 人柄に興味をお持ちです。天皇陛下は、人を観る目に定評があります。
 陛下自身もそうですが、陛下がこれと思われた人物も、人格者ばかりです。
 その天皇陛下に認められたシャーナ陛下に、是非協力したいという皇国人は多いのです」
シャーナの謙虚で生真面目な性格は、皇国人に受けが良い。
王女時代、苦労して育ってきたという境遇も、皇国人の感情に訴える。
本国の皇国人には新聞記事の写真でしか見たことのない異国の
女王ではあるが、力になりたいと思う者が実際に居るのだ。

シャーナの暖かい眼差しと柔らかな声で、陽博は救われた気持ちになる。
陽博は、妻となる新しい女王に会うまでは自分は人身御供で、リンド王国で
皇国人が単身どんな扱いを受けるかという不安からは逃れられなかった。
天皇陛下や御国の為でなければ、イギリスやブラジルよりも遠い異世界の王族との婚姻など、願い下げだと。

断片的ではあるが伝え聞くところから判断して、前リンド王であるエイガムもそうだが、
皇国と関係のある西大陸イルフェス王国の国王ボードワンや王女エレーナなど、
この世界の王族は人間的に親しく付き合いたいような者ではないだろうと。

しかし、実際に会って言葉を交わすと、この新しいリンド女王はとても人間が出来ている。
良い意味で“鬼子”だった。

『異世界、異国の地で苦労もありましょうが大丈夫です。私が女王として妻として、陽博様の事はお守り致します』
婚前、そう言って優しく微笑みかけられて、救われたのだ。
そして、それで救われるのは自分だけではなく、皇国とリンド王国もそうなのだと。
さらに言えば、自分もこの女王を愛し、女王の助けになりたい。
女王を守り、女王の救いになりたいと心から思ったのだ。
女王を利用するとか、皇国を、リンド王国を利用するとか、そういう話は
抜きにして、一人の男性として、この女性と生涯を共に歩もうと決めたのだ。

とはいっても、俺が愛する妻なのだから大丈夫だ。皇国人も協力するだろう。
などと言うつもりは無い。二人きりなら別だが、ここは公の場だ。
ここで皇国の天皇を持ち出すのは、不敬かもしれない。
という思いも少しあったが、陽博はこれが一番解りやすい説明だろうと考えた。

大陸に派遣されている外交官や陽博を通じて、女王の事はある程度以上
天皇に伝わっており、それに興味を示しているというのは、事実だったから。
それをもって、皇国がリンド王国に協力的だ。というのは些か飛躍もあるだろうが、
国民感情は定量化出来ないから、臣民に慕われている天皇をもって代表としてまあ間違いあるまい。

「そうですね。ここは、皇国に甘えましょう」
少し困ったような表情をして考えてから、シャーナは陽博に、天皇を信頼するという目配せをした。
天皇から新女王となったシャーナへの公的な祝電と私的な文書も、リンド文字に翻訳されて伝えられている。
文章の内容も勿論だが、女王シャーナが心惹かれたのは翻訳前の手紙である。
皇国文字はまだ読めないが、高品質な紙に毛筆で書かれた直筆の文書から、
天皇が信頼に足る誠実な人物だという“女の直感”を得たのだ。
それでシャーナ自身も、皇国の天皇という人物を少しは理解していたから、
決断において“悪魔の末裔たる皇国”という巷の評価に左右される事は無かった。

「リンド女王たる私は、此度の北方諸国の要求一切を拒否します。
 この事で、北方諸国が我が国や臣民を不当に扱い、また領土領民に危害を
 加えるならば、王国軍及び同盟国たる皇国軍による報復があると、伝えなさい」
シャーナは、毅然として檄を飛ばした。

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