自衛隊がファンタジー世界に召喚されますた@創作発表板・分家

325 第239話 夏の目覚め作戦

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第239話 夏の目覚め作戦

1485年(1945年)7月28日 午後9時 レスタン・ヒーレリ領境

周囲は、真っ暗な闇に覆われていた。
レスタン・ヒーレリ領境沿いには、草むらや木の葉に潜んだ虫のささやかな響きと、時折吹いて来る夏の暖かい風の
音が聞こえて来るだけで、何かの動きらしき物は全く無かった。
親子月と呼ばれる、大小2つの月が放つ神秘的な青白い光は、上空に広がった分厚い雲に阻まれ、周囲は冥界を
思わせるかのような、不気味な暗闇に包み隠されている。

「真っ暗だなぁ……」

とある1人の兵士が、小さいながらも、女特有の高い声で呟いた。

「おい、ミルヒィ。タバコの火を外に出すなよ。シホールアンル兵に見つかるぞ。」

ミルヒィと呼ばれたダークエルフの兵士は、同じハーフトラックに乗っている分隊長から注意を受けた。

「分隊長、心得てますよ。」

ミルヒィは右目をウィンクさせながら、分隊長に答えた。

「分隊長。小隊長より連絡が入りました。10分後に行動を開始するとの事です。」
「いよいよか……」

分隊長と呼ばれた軍曹……ミスリアル軍第12機械化歩兵師団第54機甲歩兵連隊第2大隊に属する小隊の一分隊を
預かるウラルス・ヘリケインズ軍曹は、心中では緊張しながらも、冷たい声音で言葉を吐き出す。
第12機械化歩兵師団は、ミスリアル第1軍第4軍団に所属する3個師団の内の1個師団である。
この日、第12機械化歩兵師団は、同じ軍団の同僚部隊である第8軽装機動歩兵師団(名前は軽装機動となっているが、
実際は自動車化歩兵師団である)と共に、ヒーレリ領境沿いにあるウトラスドと言う名の村を制圧する任務を与えられた。
攻撃命令を受けたこの2個師団の将兵達は、いよいよヒーレリ侵攻が始まるのかと誰もが思った。
それと同時に、今度の作戦でこれまで経験したような激戦を味わうと確信し、また、多くの仲間が散っていくと言う
悲壮感を露わにする者も少なくは無かった。

ミスリアル陸軍の戦術ドクトリンは、米式装備を与えられてからは米軍に準じた物を採用し、エルネイル戦から今日まで戦ってきた。
元来、精強な事で知られるミスリアル軍は、これまでの戦闘でアメリカ軍に勝るとも劣らぬ程の戦功を挙げてきた物の、急速に
軍の近代化を成し遂げつつあるシホールアンル軍によって被った犠牲も馬鹿にならなかった。
ミスリアル軍の戦闘は、昔と違って派手になり、度重なる勝利のお陰で軍の将兵達も絶対の自信を感じていたが、同時に、戦闘と
なれば、少なからぬ味方が僅かな時間で散っていくと言う現代戦の非情さに、悲壮感を感じる者も少なくない。
攻撃を行うと聞いた将兵達は、また誰が、シホールアンル軍の銃砲弾幕によって命を落として行くのかと、半ば憂鬱な気持ちに
なりながらも、シホールアンル最大の占領地であるヒーレリを遂に解放できる、というある種の感慨を感じる事で、次の作戦に
臨もうとした。
だが、ミスリアル軍の将兵達は、自らの指揮官が発した最初の言葉を聞くなり、疑問に思った。

“攻撃は28日午後9時頃。攻撃に参加する師団は……第12機械化歩兵師団と、第8軽装機動歩兵師団のみ。”

ヒーレリ・レスタン領境には、現在、確認できただけでも20個師団以上はいると見られており、ミスリアル第1軍の正面にある
森林地帯には、少なくとも4個師団が森を堅固な防御陣地代わりにし、後方には砲兵部隊を展開させて待ち構えていると言う。
そんな所に、一応は1個大隊相当の戦車戦力を伴い、完全に機械化、自動車化されているとはいえ、僅か2個師団だけで突破するのは
不可能に近いのではないか?
指揮官の話を聞いた下士官・兵達は、誰もがそう思った。
また、なぜ、攻撃に参加する部隊が第12師団と第8師団のみなのかも、下士官・兵達の疑念を湧き起こした。
だが、彼らの疑念は、自然と晴れて行った。

ミスリアル王国は氏族社会である。
ミスリアル人は、肌の白いエルフと、肌の黒いダークエルフに大別されるが、実際は2種類のエルフの中でも更に種類が分かれており、
それらは何々氏族出身という形で分けられている。
王国内には、7つの氏族がある。
まず、ミスリアル王国最先端部にはフェミスエルヴァーン族と呼ばれる氏族があり、そこから東にウィパス族、エスパレィヴァーン族、
ウェティスベイン族、オウルダルヴァーン族、クセルス・エルヴァーン族、クィンクスレイルフ族となっている。
第12師団と第8師団は、それぞれウィパス族、エスパレィヴァーン族、ウェティスベイン族と、ミスリアル西部から中部地方出身の
者でほぼ固められていた。
ミスリアル人は、全体的に森の中で住み、日々の生活で狩猟を行っているため、ミスリアル軍の基本戦術ドクトリンである森林戦闘が
得意であるが、先の3氏族は、この森林戦闘を最も得意とする事で、ミスリアルでも広く知られていた。
その3氏族出身の兵でほぼ固められている第12師団と第8師団が、森林地帯に布陣した敵前線への浸透襲撃を命ぜられたのは、
ある意味当然の事と言えた。
各指揮官は、命令を伝え終えた後、こう付け加えた。

「諸君。今度の作戦は、かつて、我々が得意として来た森の中での戦いとなる。シホールアンル人達に、森の住人達の戦いぶりと言う物を、
久方ぶりに見せ付けてやろうじゃないか。」

こうして、密かに攻撃発起地点に到達した第12師団と第8師団は、攻撃開始の時まで、待機地点で待ち続けていた。
そして、この時。戦線後方の陣地から前線陣地に移動して丸1日の間待機していた2個師団の将兵達は、ようやく、行動に移り始めたのであった。

「よし、車から降りるぞ!」

上官であるヘリケインズ軍曹の言葉を聞いたミルヒィ・レティルナ伍長は、分隊の仲間と共にハーフトラックから降り、前方にある土嚢の陰に身を隠した。
ミルヒィの側に、ヘリケインズ軍曹が近寄り、自らの頭のヘルメットを2度小突く。
彼女はヘリケインズの示した行動の意味を理解し、すぐに冷たいアメリカ製のヘルメットを外し、代わりに紫色のベレー帽を頭にかぶせる。
彼女と同じように、分隊の兵全員が、ヘルメットからベレー帽に変える。
ミスリアル兵は、支給されたアメリカ製のヘルメットよりも、自国で作られたベレー帽の方が気に入っていた。
このベレー帽は、ミスリアル軍が3年前に採用したばかりの物である。
エルフ族である彼らは、特徴である長い耳がヘルメットによく引っ掛かる事を好ましく思っておらず(必要な時は装着していたが)、
ヘルメットをかぶるよりは、布製の帽子をかぶる方を好んでいた。
そこでミスリアル軍上層部は、耳に負担がかかるヘルメットを一応支給しながらも、国内に開設したばかりのアメリカ製の衣服製造工場で正式に
ベレー帽を製造し、これを軍部隊に支給した。
ミルヒィ達がかぶっているベレー帽は、その新しい工場で作られた物である。
「ミルヒィ。どうだ?緊張してるか?」

隣のヘリケインズ軍曹が話しかけてきた。

「分隊長。緊張しない方がおかしいですよ。」

ミルヒィは、ため息を吐きながら彼に答える。

「私達が戦おうとしている敵は、完全充足の数個師団ですよ。そんな強力な敵が待ち構えている所を、たった2個師団で攻撃を
仕掛けるんですから、普通だったら、こんな無茶な攻撃は止めて欲しいですよ。」
「ほほう。じゃあ、今まで通り、ハーフトラックに乗りながら攻撃をしろと。そんな事したら、音で敵にバレて集中砲火を食らっちまうぞ。」
「……ある意味、今まで通りのやられ方ですね。」

ミルヒィがそう呟くと、ヘリケインズは苦笑する。

「まっ、我が栄えあるミスリアル機械化兵団は、どんな猛砲撃に浴びせられても強引に突破して来たがね。」
「その歴戦の機械化兵団が、今回はハーフトラックから降りて、敵陣にこっそりと忍び寄っていく訳ですか……」
「嫌かね?」

ヘリケインズは、やや唸る様な口調で問うてくる。

「……まっ、別に嫌じゃないかな。というか、私としては、ようやく本来の戦いが出来るかなぁと、思っていたりします。」
「ほう……どんな弱音が出て来るかと思ったら。お前もすっかり、ベテランになったな。」

彼は、昔からの馴染みでもあるミルヒィに対して、半ば頼もしげな口ぶりで言った。

ミルヒィ・レティルナ伍長は、今から3年近く前の1482年(1945年)5月に志願入隊し、基礎訓練を終えた10月になって、
シホールアンル軍との戦闘を経験した。
当時16歳であった彼女は、ミスリアル軍第22軽装歩兵旅団に配属され、米海兵隊の増援が来るまで絶望的な後退戦と防御戦を戦ってきた。
ミルヒィは、幼少時から家族と共に狩猟を行ってきた事もあり、部隊では、入隊時に家から持参して来たクロスボウを使って、弓兵として
敵と戦ってきた。
彼女はこの戦役で、シホールアンル軍の特殊戦部隊と交戦し、敵に腹部を刺されて瀕死の重傷を負うものの、奇跡的に一命を取り留めた。
83年4月には、戦役で負った傷も癒え、再び第22歩兵旅団に戻った。
83年9月。第22歩兵旅団は、戦役を戦い抜いてきた同僚部隊の第43軽装師団と第19軽装歩兵旅団の残余と共に再編され、新たに
第12軽装機動歩兵師団に編入された。
ミルヒィは、アメリカ製の装備と車両で編成された、全く新しい形の部隊を見るなり度肝を抜かれた。
第12軽装機動歩兵師団は、名前こそ軽装機動歩兵となっていたが、実質的には多数のトラックを装備した完全自動車化師団であった。
今までは、森林での戦闘を前提に、ある時は暗殺者の様に、気配を消して動くように訓練されたエルフ達にとって、アメリカ式の快速機動戦術は
全く異質な物に見えた。
第12軽装機動歩兵師団は、アメリカ人軍事顧問の指導の下、着々と訓練を行い、昨年7月のエルネイル上陸作戦では、他の部隊と共に、
ミスリアル軍初の機械化兵団として作戦成功に貢献し、以降の地上戦でも経験豊富なシホールアンル軍相手に勝利を重ねて行った。
エルネイル戦が終了した後は、ジャスオ領南部で戦力の再編と共に新機材を受け取った。
1484年11月には、全部隊に装甲化されたトラック……M3ハーフトラックと自走砲が装備され、第12軽装機動歩兵師団は
第12自動車化歩兵師団と改称された。
実を言うと、第12師団は、既にハーフトラックを受け取った第5、第6機械化歩兵師団と同様に、師団名に機械化歩兵と付く筈だったが、
ミスリアル軍上層部はシホールアンル軍に対する偽装のため、あえて、部隊名を自動車化師団とする事にした。
1月下旬に始まったレスタン戦線では、第12師団の所属するミスリアル軍第4軍団は、シホールアンル軍相手に奮闘した物の、第4軍団も
また甚大な損害を被り、同僚部隊である第2親衛自動車化歩兵師団は戦力の60%を喪失して後方に送られ、第12師団と第8師団も定数の
30%の損害を受け、レスタン領中部地区にて戦力の補充と再編を行った。
戦力の補充と再編は7月の中旬まで行われた。
この間、第12師団はアメリカから供与された、新たなハーフトラックを受領すると共に、師団に1個戦車大隊を加えられ、7月17日には
正式に、第12機械化歩兵師団という名称を与えられた。
戦力の補充と再編は他の部隊でも進み、レスタン戦役で大損害を被った第2親衛自動車化師団は、本国から送られて来た戦車連隊を加えられた後、
新たに戦車師団に改編されている。
ミスリアル軍上層部としては、この休息期間中に第8師団にもハーフトラックを与えて新たに機械化歩兵師団を編成しようと考えていたが、
さしものアメリカも、レスタン戦役後は自軍の戦力補充だけで精一杯であったため、従来通り、非装甲のトラックを装備した自動車化師団の
まま戦列に残る事になった。
エルネイル上陸作戦からレスタン攻略戦までの間、ミルヒィは第12師団が経験した全ての戦闘に参加しており、今は若干19歳ながらも、
彼女は歴戦の古参兵として分隊内では頼られる存在となっていた。
そんなベテラン兵である彼女も、ミスリアル軍本来の戦闘を再び行える事に、どこか懐かしさを感じていた。

「それにしても、上層部も思い切った物だな。まさか、夜間浸透作戦を仕掛けるとはね。」
「普通に行ったら、盛大に歓迎されて前進が難しくなりますから、上層部の考えも間違いではないと思いますけど。」
「俺もそう思うよ。」

ヘリケインズは、ミルヒィの背中に視線を向ける。

「となると、今日は久方ぶりに、ミルヒィの見事な射撃術を見られるな。背中のそいつも、久しぶりの獲物を与えられてさぞかし、
喜んでいる事だろう。」
「正直言って、こいつを実戦で使ったのはあの時以来1度も無いですよ。手入れは定期的にやってますけど、私の腕に関しては
余り期待しない方が……」

ミルヒィは首元を掻きながら、背中に吊り下げているクロスボウを手に取る。
彼女の装備は、正式にはM1ガーランドライフルと銃剣となっているが、それとは別に、長年愛用して来たクロスボウとナイフを所持している。
ミスリアル軍では、(ミスリアル軍に限った話ではないが)彼女のように、自前で武器を持ち込んで、それをそのまま装備する将兵が多い。
自前で持ちこむ武器は、主に長弓やクロスボウ、長剣と言った物が多いが、現在はミスリアル軍から支給された、アメリカ製のM1ガーランド
ライフルやM1トンプソンマシンガン、M1カービンやM2重機関銃、M1919ブローニング30口径機銃といった銃火器が、圧倒的に
使用頻度が多い。
だが、ミスリアル軍将兵は、自前で持ちこんだ武器も、故郷のお守りがてらにそのまま装備として前線に携えており、時にはそれを使って
敵を倒す事があった。
以前、アメリカの新聞社に、トンプソンを持ったダークエルフの兵が、自前の長弓を使ってシホールアンル兵を倒そうとした所を写真に
撮られた事もある。
とはいえ、それらの持ち込んだ武器は、今では使用頻度の少なくなったお守り武器として装備されているだけであり、現実的な
(アメリカ的な考えに染まったとも言われる)ミスリアル兵の中には、持ち込んだ武器を後方に置いて、身軽に動こうとする者も居る。
だが、今回の戦闘では、その持ち込んだ武器が最大限に生かされる機会でもあり、ミルヒィのように、クロスボウや長弓を携えた兵士には、
隠密裏に敵軍の歩哨を排除する任務が与えられていた。
「……時間だな。」

ヘリケインズは腕時計の針が、午後9時10分を指すのを見てから、こそりと呟いた。
その時、申し合わせたかのように、後方から航空機の爆音が響いて来た。
爆音は程無くして大きくなり、やがて、彼らの上空を多数の友軍航空機が飛び去って行った。

「第2小隊、前進!」

爆音が鳴り止んだ後、そんな声が響いて来た。

「聞いた通りだ。前進するぞ。」

ヘリケインズはミルヒィにそう言った後、左右に展開している部下達に向けて前進を命じた。
土嚢の陰に隠れていた分隊の部下達は、むくりと体を起こし、ヘリケインズと共にヒーレリ領へ向けて歩き始めた。
連合軍の前線からシホールアンル軍の前哨までは3キロ程離れている。
その3キロの道のりを、ヘリケインズとその部下8名は、身を屈めながらゆっくりと歩いて行く。
ヒーレリ側国境に向かって無言の前身を続けているのは、彼らのみでは無い。
第12師団に所属する第54機甲歩兵連隊と、第8師団に属する第24自動車化歩兵連隊の将兵、計4800名が、攻撃の第一陣として
無言のまま進撃を続けていた。

同日 午後10時 

シホールアンル陸軍第68歩兵師団の前哨警戒陣地では、この日も、いつもと変わらぬ退屈な警戒任務をこなしていた。
第68歩兵師団第99歩兵連隊第2大隊は、中央戦線と呼ばれる戦線の最も西寄りの位置に陣取っていた。

「さっきの敵機は、後方の味方部隊を爆撃しているようだな。」

第2大隊第2中隊を指揮するオルタ・ファベスフォ大尉は、陣地の近くにある木から取ってきた枝をポキポキと折りながら、休憩中の
部下と雑談を交わしていた。
「ええ。何機ぐらい通っていきましたかね。」
「姿は見えなかったが、少なく見積もっても40機は下らなかった気はする。」
「40機ですか。うちの後方には第29軍団が居ましたね。もしかして、爆撃を受けているのはその第29軍団では?」
「恐らくはな。」

ファベスフォ大尉は忌々しげに答えた後、折り過ぎて短くなった木の枝を屑かごに投げ捨てた。

「アメリカ人はいつも爆撃ばかりだな。5日前には、前哨陣地の付近にミッチェルがやって来てドカドカと爆弾を落として行きやがった。」
「2日前もですよ。あの時は凄かったですな。インベーダー100機にサンダーボルトが60機以上と、大盤振る舞いでした。連中、俺達を
こんな辺鄙な森林地帯ごと焼き払わんばかりに銃爆撃を加えて来ましたが……いや、あれは酷かった。」
「爆撃によって生じた死傷者は少なかったが、それ以上に、爆撃に神経をすり潰されて後方に引き下がった奴が多く出てしまった。」
「後送された精神錯乱者は、数にして100名以上。1個中隊程にも及びましたね。」

部下が深く溜息を吐きながら、ファベスフォ大尉に言う。

「前哨陣地の前に置いておいた地雷もほぼ全滅したのも痛かった。魔道地雷を作って、埋め直すにはかなりの時間が掛かるんだよなぁ。」

ファベスフォ大尉は心底嫌そうな顔つきで言った後、何かを思い出したのか、だらけていた姿勢を起こして部下に聞いた。

「おい。そういえば、空襲の直後に発注した魔道地雷の資材はどうなっている?」
「後方の要所が反乱民共に抑えられているせいで補給効率がかなり落ちている事もあり、資材はまだ届いていません。」
「なんてこった………ここで、敵の大攻勢が始まったら、敵戦車は地雷の心配をしないまま、悠々とこっちに向かって来るぞ。」
「砲兵の阻止弾幕がありますから、敵も易々とは突破できませんよ。まぁ、今までの例から言って敵の突破を完全に阻止する事は難しいでしょうが。」
「それにしても、足止め役が少なくなるのはあまりよろしくないな。」

ファベスフォ大尉は唸るような声で言ってから、眉をひそめる。

「すぐに補給を急がせてくれと、大隊本部に伝えてくれ。出来れば、明日の夜から地雷の作製と敷設に取り掛かりたい。」
「はっ、そのように。」

部下は頷くと、すぐに席を立って、魔道士の居る詰所に向かって行った。

「ちょいと用を足して来るか。」

不意に尿意を催したファベスフォ大尉は、中隊指揮所から出て、やや離れた人気の居ない木陰の所まで歩いた。
1分程で小便を終えた後、彼はゆっくりとした足取りで中隊指揮所に戻ろうとした。

「う……」

唐突に、どこからか短いうめき声が聞こえたかと思うと、直後に、誰かが倒れる音も聞こえてきた。

「ん?監視小屋の方から聞こえて来たぞ。」

ファベスフォは、その怪しげな音が、中隊指揮所から10メートル程離れた監視小屋から聞こえてきた事に気付き、急ぎ足で
そこに向かった。
森林内にある前哨陣地には、所々に、高さ4メートル程の監視小屋がある。
監視小屋には、常時2名の見張りを立てて、木々の隙間から見える敵の前線を24時間態勢で監視していた。
彼は、上に続く梯子の先を見上げた。

「おい!どうした!?」

ファベスフォは声を張り上げたが、上の監視小屋からは何の反応もない。

「……俺の声が聞こえているか!何かあったのか!?」

彼はもう1度、監視小屋の警備兵に声をかけたが……やはり反応が無い。
「一体どうしたというんだ……」

不審に思ったファベスフォは、自分で上って確かめる事にした。
梯子に手をかけた時、ゴトリと、後ろで何か重々しい音が鳴るのを聞いた。

「……?」

ファベスフォは、不意に後ろで鳴った物音に気を取られ、顔を音がした方向に振り向ける。
そこには、薄く光る青い水晶玉らしき物が転がっていた。

「これは……!?」

彼は、その不審物を手に取ろうと、顔を屈めようとしたが、いきなり、首筋に衝撃が伝わった。

「……!」
ファベスフォは、首に強烈な痛みを感じた。あまりの激痛に、悲鳴が上がりかけたが、口から吐き出されたのは悲痛な
叫びでは無く、大量の血液であった。
彼は、何故、このような事になったのか、全く理解できないまま倒れ伏し、そのまま息絶えた。

その頃、ファベスフォ中隊に所属する魔道士のトラフ・エベルド軍曹は、定時連絡を終えた後、ゆっくりと水を飲みながら休憩を取っていた。

「おい、エベルド。お前、報告を送っていない奴が残っているぞ。」

彼は、今しがた交代したばかりの同僚にきつい口調で注意を受けた。

「え?本当かよ。」
「ああ。中隊が使う消耗品の要請書が、送信済みのサインを付けられてないまま残されていた。お前、こいつを中隊長に
見つかったら、またどやされるぞ。」
「いやぁ、面目ない。」
エベルド軍曹は、申し訳なさそうな表情で同僚に謝った。

「仕方ないから、俺が送ってやるよ。次は気を付けろよ?」
「手間を取らせて済まん。」

エベルド軍曹は同僚に感謝しつつ、側に置いてあった本を読み始めた。

「あれ……おかしいな。」

しばらくして、同僚の訳のわからぬと言いたげな声が聞こえてきた。

「どうしてだ……」

エベルド軍曹はその言葉を聞き流しながら本を読み続けたが、同僚に起きた異変が次第に気になってきた。

「おかしい……術式が発動できない。」
「ん?どうしたんだ?」

エベルド軍曹は同僚に振り向いてから、そう尋ねた。

「……俺って、通信魔法苦手だったのかな。」
「おい、大丈夫か?」

エベルドは、険しい顔つきで魔法通信を送ろうとする同僚に再び声をかける。

「……エベルド。なんか俺、通信魔法が使えなくなったようだ。」
「通信魔法が使えなくなっただと?なぜ?」
「いや……いきなりの事で俺も分からんのだが……」
「何度やっても駄目なのか?」
「ああ。術式は間違っていないんだが……」

同僚はそう言ってから、もう1度とばかりに、通信魔法の術式を詠唱して魔法を発動させようとする。
エベルドが聞く限り、同僚の術式詠唱は何の間違いも無かった。
だが……

「くそ!やっぱり駄目だ!!」

同僚は、魔法を発動させる事が出来なかった。

「ちょっと貸してくれ。俺がやってみる。」

エベルドは同僚から紙を貰い、大隊本部に送る予定であった物資の要請文の内容を黙読し、それを魔法通信に乗せて送ろうとする。
術式を、まるで歌うかのような声音で詠唱する。
それが終われば、脳裏に術式が発動する時に伝わる、何かが弾け、染み渡っていく様な感触が伝わる筈であった。
だが、そのような感触は、全く無かった。

「……もう一回やってみる。」

エベルドは、背中に冷たい物を感じながら、もう1度通信魔法を発動させようとする。
だが、魔法は発動しない。
彼は何度も術式を展開し、時には、詠唱速度をゆっくりと行う等をして通信魔法を起動・展開しようとしたが……
7回失敗した所で諦めた。

「畜生!何故できない!?」

エベルドは、苛立ちに顔を赤くしながら叫ぶ。

「術式を詠唱しても、魔法の展開はおろか、最初の起動すら出来ないぞ!」
「エベルド、もしかして、俺達は魔法が使えなくなったんじゃねえか?」
「……くそ!」

唐突に起きた、理解不能な事態に、エベルドの頭は興奮と混乱ですっかり煮詰っていた。
その時、送受信所の壕の近くで明らかに悲鳴らしき物が響いて来た。

「おい!今の聞いたか!?」
「ああ。聞いたぞ。まさか、敵襲じゃないだろうな。」
「そのまさかかもしれないぞ!」

2人は、咄嗟に置いてあった携行式魔道銃を手に取り、送受信所から飛び出した。
直後、同僚が短い悲鳴を発しながら、仰向けに倒れた。
エベルドは身の危険を感じ、すぐに近くの塹壕に飛び込む。
後ろを振り向くと、同僚の頭が見える。

「!?大丈夫……か………」

エベルドは、同僚の頭を見て言葉を発したが、その声音は次第にかすんで行った。
同僚の頭には、矢と思しき物が刺さっていた。
今は暗い夜間であるため、その影しか見る事は出来ないが、それでも、同僚の頭に矢が突き刺さっている事はわかった。
同僚は、何者かの手によって射殺されたのである。

「なんで矢が………」

エベルドはますます混乱して来た。
今や、弓や槍、剣の時代は終わった。というのが、エベルドが抱いている今の戦の印象だ。
シホールアンル軍の敵である南大陸連合軍は、新たに同盟に加わったアメリカによって急速に近代化され、アメリカ軍はともかく、
昔は蛮族と罵っていたカレアントや、魔法技術だけが取り柄で、軍備に関しては時代遅れと酷評していたミスリアル軍、そして、
その他の南大陸諸国までもが、アメリカ製の戦車やハーフトラックを使って機械化兵団を編成し、帝国軍を不利に陥れている。
その帝国軍も、現在は携行型魔道銃やキリラルブス等の新時代の兵器で身を固めており、弓矢や剣が武器の主力になる事は、
もはや無いだろうと考えられていた。
だが、同僚は、その“時代遅れの武器”の餌食となり、こうして彼のすぐ近くで物言わぬ躯と化している。
エベルドは、敵がまだ近くに居ない筈の状況で、同僚が矢に当たって戦死する事が、全く理解できなかった。

「なんであいつはやられたんだ!そもそも、敵が来る筈なら、事前に警報が鳴って野砲陣地がまず迎撃を行う筈なのに!」

エベルドは、半ば半狂乱になりながら、早口でまくしたてた。
砲撃で地雷は吹き飛ばされたとはいえ、軍の警戒網は厳重であり、監視小屋の兵は、敵の進軍をいつでも確認出来るように、
24時間態勢で見張らせていた。
そして、敵接近の情報が入れば、前哨陣地の対戦車部隊と、1ゼルド後方にある野砲陣地から集中射撃を行い、敵機械化部隊の
進撃を阻むよう、入念な準備が行われていた筈であった。
それが、何故機能しなかったのか?
いや……それ以前に……

「何故、俺の目の前にエルフの兵隊が居るんだ!?」

エベルドの前に、いつの間にか接近していたミスリアル兵が、何かを構えていた。
彼は自然に携行式魔道銃を構えて、目の前の敵兵を撃ち殺そうとしたが、ミスリアル兵はエベルドが引き金を引く前に、
構えていた物を発射した。
彼は、胸のど真ん中にそれを受けると、苦しそうな呻き声を上げながら昏倒した。

ミルヒィは、目の前の敵兵が仰向けに倒れるのを確認してから、内心では安堵していた。

「ふぅ、危なかった。危うく撃たれるところだったわね。」

彼女は、塹壕の中に隠れていた敵を危うく見落としそうになった。
気付いた時には敵が銃口を向けていたため、ミルヒィは大慌てでクロスボウの矢を放った。ろくに狙いをつけずに矢を放ったため、
彼女は攻撃に失敗したと思ったが、たまたま狙いが良かったのであろう。矢は見事、敵兵に命中した。
矢を受けた敵兵は、苦しげに呻いてから、そのまま仰向けに倒れた。

「ミルヒィ!お前の近くにあるのは何だ?指揮所か?」

後方から、分隊長であるヘリケインズ軍曹が問い掛ける。

「この壕ですか?指揮所かどうかはわかりませんが、ひとまず制圧しますか?」
「そうだな。ささっと制圧しちまおう。」

ヘリケインズ軍曹は頷くと、側にいた3名ほどの部下をミルヒィのもとに向かわせた。
同僚3名がミルヒィに合流した後、彼女はその3人を引き連れて塹壕の中に入り、近場にあった壕に敵兵が居ないか調べた。
武器をクロスボウから、M1ガーランドに持ち替え、物影に隠れながら壕の中を確認する。
1分程壕の中や周囲を調べたが、その近くにシホールアンル兵の姿は無かった。

「分隊長!ここには敵は居ません!」
「ようし………」

ヘリケインズは小さく頷きつつ、敵の伏兵を警戒しながら低姿勢でミルヒィ達の所へ走り寄った。

「ひとまず、前哨陣地の1つは抑えた。他の部隊も、受持ち区画を順調に制圧しているようだ。」

ヘリケインズは、散発的に聞こえる銃声を耳にしながら、低い声音で分隊員達に現状を知らせた。

「この調子で、俺達は前進を続ける。夜明けまでに敵第1防御線の砲兵陣地を制圧しなければいかんから、ここでグズグズして
いられない。」
「勝負はここからだ、って事ですな。」

分隊員の1人がそう言い放った。
「その通りだな。では……次に進むとしよう。」

彼は分隊員にそう告げた後、自らが先頭に立って前進を始めた。

「おっと……言うのを忘れていた。ミルヒィ!例の水晶玉を回収しておいてくれ。」
「了解です!」

指示を受け取ったミルヒィは、周囲を警戒しつつ、塹壕をよじ登って、地面に落ちていた青い水晶玉を手に取った。
手のひらに収まるほどの小さな水晶玉は、淡い光を発していた。
ミルヒィは後方を振り返った。
敵の前哨陣地は、散発的に聞こえて来る銃声と、何らかの叫び声が上がる事を除けば、比較的静かである。
その静けさは、ここが戦場とは思えないほどであった。
(……いままでやかましい戦争ばっかりやって来たから、この静けさはある意味、新鮮さを感じるわね…)
彼女は心の中で思った。
シホールアンル軍陣地を襲撃しているのは、彼女の分隊だけでは無い。
ミスリアル軍は、この戦区に2個連隊4800名の兵力を投入し、その後詰部隊として更に2個連隊を進発させている。
通常なら、このような大規模攻撃は、夜間の場合でも、敵に察知される恐れがあるため、大抵は奇襲効果を得られる事は無い。
だが、ミスリアル軍はこうして敵に気付かれる事無く忍び寄り、先発の2個連隊は小隊、あるいは分隊単位で敵の主戦線に浸透しつつある。
シホールアンル軍第48軍団の第一線陣地には、第68歩兵師団と第221歩兵師団が、対戦車砲兵2個中隊を含む各1個大隊ずつを
配置していたが、この増強2個大隊は、ミスリアル軍と交戦を開始してから、一方的に押されていた。

何故、この大規模夜間強襲が成功したのか。
その答えは、ミスリアル軍の装備にあった。
話は、今から2週間ほど遡る事になる。
7月14日。ミスリアル軍北大陸派遣軍は、本国からある新兵器を送られていた。
ミスリアル本国では、6月下旬に極秘兵器であった通信魔法妨害兵器の開発が成功し、量産が始まっていた。
通信魔法妨害兵器は、ミスリアルがこれまでに開発して来た生命探知妨害魔法を応用した物である。
1482年10月。シホールアンル軍の行った大規模な通信妨害は、ミスリアル軍を大混乱に陥れ、緒戦にシホールアンル軍の大規模侵攻を
受けたミスリアル地上部隊は敗走を重ねた。
その後は、米軍の素早い救援のお陰でミスリアルは亡国の危機から脱する事が出来た。
ミスリアル軍魔法兵器開発部隊は、ミスリアル本土戦での戦訓をもとに、生命反応探知妨害魔法を開発すると同時に、通信妨害魔法の
開発を行い、紆余曲折の末、今年の6月下旬、水晶に妨害魔法を刷り込ませる事に成功し、兵器としての実用化に成功した。
妨害魔法を刷り込ませた水晶玉は、品質の関係から、持続時間が30分しかもたず、水晶の原料が少ない事もあって400個しか用意でき
なかったが、魔法の効用範囲は、水晶玉1つで200メートルにも達し、その範囲内にある敵性の魔法通信は、水晶玉から発せられる妨害魔法の
影響で術式を起動する事が出来なくなる。
この魔法のお陰で、敵部隊は後方の味方部隊へ援軍を要請する事はおろか、敵接近の重大事を知らす事も出来ぬまま、現有戦力だけで侵攻軍との
戦いを余儀なくされる。
これを打開するには、伝令を送るしかない。
だが、その伝令さえも、敵の強力な銃火力の前には、ただ、動く標的を与えるだけで、満足に動けぬ内に撃ち殺される危険性が高い。
通信妨害魔法は、やられた側にとっては、まさに最大規模の災厄をもたらす代物と言える。
だが、今回の作戦では、この水晶を使うだけでは足りなかった。
進撃中は極力、敵に発見されるのを避けるため。魔道士は幻影魔法を使って姿を隠し、ゆっくりと境界線を渡り歩いていた。
そして、敵の前線から50メートル程まで近付いた時、彼らは水晶玉の魔法を発動したのである。
ミスリアル国民にとって、青天の霹靂とも言えたミスリアル本土決戦の混乱ぶりは、役割を変えて再び現出したのであった。

ヘリケインズの分隊は、他の分隊や、別の小隊と共に、辛うじて敗走した敵兵を追う形で、戦線の奥深くに浸透して行った。
交戦開始から30分程で、彼らの分隊は、主戦線から700メートル前進する事が出来た。
唐突に、ヘリケインズが右手を上げた後、近くの物影に隠れろという合図を送る。
ほぼ真っ暗な状況だが、夜目の利く部下達はその合図をすぐに読み取り、それぞれが木陰や窪みに隠れた。

「ミルヒィ、ちょっと来てくれ。」

ヘリケインズから後ろ2メートル程離れた木陰に隠れていたミルヒィは、姿勢を低くした状態で彼の側に寄る。

「あれが見えるか?」
「ええ……シホールアンル兵が集まっていますね。流石に感付かれたのか、敵が慌ただしく防衛態勢を整えつつあります。」
「とはいえ……あちらからはひっきりなしに叫び声が聞こえて来ている。どうやら、敵は混乱しているようだぞ。」
「……それにしても軍曹、あの陣地は何か妙ですね。」
「妙だと?何かあるのか?」

ヘリケインズは眉をひそめた。

「はい。見た目はただの防御陣地にも見えますが……その後ろ側になんか……野砲らしき物が見える様な。」
「野砲だと?ここは主戦線から1キロも離れていないぞ。敵の砲兵部隊は、対戦車部隊を除いて、大抵が主戦線から2、3キロか、
離れて6、7キロ後方にある物だが。」
「この森林地帯は、主戦線から5キロ程で途切れて、あとは草原と、平野が広がっているだけです。草原と平野部の敵軍は、
先月からアメリカさんが空から頻繁に叩いていましたから……あれはもしかして、空襲を避ける為に配備された砲兵隊か、
あるいは、防御密度をあげるために、思い切って前線に配備された物か。そのいずれかの可能性があります。」
「おいおい、敵さんは狂ったのか?シホールアンル軍の野砲は牽引式だが、それでも移動速度は早いとは言えない。
キリラルブスに引かせれば話は別だが……それにしたって、火力支援に要とも言える野砲を前線の近くに持ち込むとは……でも、」

ヘリケインズは怪訝な顔つきを浮かべながら、敵陣の方を見つめ続ける。
彼の目からは、敵防御陣地の後方に野砲を確認できなかった。

「俺の目からはよく見えないな。本当に野砲があるのか?」
「ええ。微かですが、ここから見えます。なんなら、こいつに上って正確に数を確認しましょうか?私、部隊の中で
一番夜目が利きますから。」

ミルヒィは、木を手で叩きながらヘリケインズに提案した。

「危険だぞ。敵に見つかったら集中射撃を受けるぞ。ここから敵の前線までは100メートルも離れていない。今の所、
敵は光源魔法を使って来ていないが、いずれは使うだろう。ここは止めた方がいいと思うが……って、おい!」

ヘリケインズは、話を聞き終わらないうちに気をよじ登ろうとするミルヒィを止めようとした。
「話を最後まで聞け!」
「分隊長、大丈夫ですよ。」

ミルヒィは、自信ありげな口調で言う。

「敵が混乱中なら、今の内に、目の前の敵の全容を確かめる事が出来ます。あの野砲部隊の配置は、明らかに通常の配置と異なっています。
敵の配置が変わっているとなると……もしかしたら、敵は後方からキリラルブスを呼び寄せ、防衛に当たらせている可能性もあります。
ひとまずは、敵の野砲がどれぐらいあるのか、そして、キリラルブスが居るのかどうか確認するのが先決でしょう。」
「キリラルブスの有無か……確かに、お前の言う通りだな。」

ヘリケインズは納得し、2度ほど頭を頷かせる。

「と言う事で、自分はちょっと様子を見て来ますね。」

ミルヒィはそう言いながら、そそくさと木を登って行った。

「お……って、もう行っちまった。」

彼は、やや呆れながらも、部下の見事な木登りを見学し続けた。
ミルヒィは、2分ほどで木の真ん中辺りの高さまで上がった後、枝に両足を乗せ、木にもたれ掛けながら、敵陣の方向をじっと見据えた。
小声で暗視魔法の呪文を詠唱し、視界を明るくしていく。
ミルヒィは幼少の頃から、家族と共に夜の狩に出ていた事もあり、夜目がかなり利くが、ここからでは100メートル向こう側の敵陣の
様子が分かり辛いため(シホールアンル軍は空襲対策のため、灯火管制を徹底している。そのため、敵陣には明かりらしきものが見当たらず、
ぼんやりとした敵らしき影しか見えない)暗視力強化の魔法を使って敵状を探ろうとした。
ほぼ薄暗かった視界は、暗視魔法のお陰でうっすらとだが、明るくなった。
視界は日中と違って、ほぼ白黒に近い状態だが、300メートル遠方まではなんとか見渡せた。
(そういえば、知り合いのレスタン人空挺兵は、普通に夜でも視界が開けて見えるって言ってたね。ホント、何もしていないのに
夜でも動き回れるのは、羨ましい限りだわ……)
ミルヒィは、ヴァンパイア族である知り合いの特性を恨めしげに思いながら、敵陣の様子をじっくりと確認して行く。
(敵防御線と思しき塹壕……その後ろには、やっぱり野砲がある。半ば埋めている様な形で配備しているわね。ちょっと見ただけでは、
生い茂る木々が射線を邪魔して撃てないように見えるけど……)
そっと、後ろを振り返る。
10メートル級の木々が並ぶ森は、野砲陣地を敷くには極めて不向きなように見えるが、シホールアンル軍は密かに射線上の木々を伐採する事で、
射撃用の弾道を確保していた。
無論、木を伐採すればその後がわかるため、上空偵察を行われれば丸わかりになるが、シホールアンル軍は木々の間に偽装網を張る事で、
この問題を解決していた。
(木はしっかりと倒してあるし、上には偽装網を張って偵察機対策もしっかりしてある。やはり、シホールアンルはしっかりしているわね)
ミルヒィは、野砲の数を数え終わった。
この区域のシホールアンル軍は、約20門の野砲を布陣させていた。
常に後方にあるべきである野砲を、思い切り前進させてきた敵の狙いはいまいち分からないが、戦場では、野砲の砲撃は空襲の次に恐ろしい物だ。
エルネイル戦から、機械化兵団の一員として戦いを経験して来たミルヒィも、幾度も敵の阻止砲撃を経験しており、ある時は敵の砲撃が止むまで、
無我夢中で掘った穴に隠れて震えていたり、ある時はトラックで進撃中に敵の砲撃を浴び、仲間の乗っていたトラックが、まだ脱出を終えない内に
爆砕される光景を目の当たりにした事もある。
歩兵にとっては、野砲は恐ろしい存在であると同時に、ある意味では最も憎むべき存在ともいえる。
その憎むべき敵が、目の前で無防備な姿を晒していた。
それも、多数である。
敵がどのような意図で集めたのかは分からないが、狩人たる者、せっかくの獲物をおいしく頂かない訳にはいかなかった。
(キリラルブスはここに居ないか……ひとまず、敵の戦力は分かった。分隊長に報告を……)
ミルヒィは暗視魔法を切って、通信魔法で報告を送る事にする。
自らの声で伝えるのも可能だが、彼女は地上6メートル程の高さに居るため、声をある程度大きくしなければ言葉が伝わらない。
そうなれば、混乱しているシホールアンル兵達も大声を聞いて、分隊の存在に気付いてしまうだろう。
彼女は魔法通信を使って、分隊長であるヘリケインズに報告を送る。

「……了解した。お前が敵の戦力を確認している間に、中隊が揃った。ミルヒィ、そっから敵にちょっかいを出してやれ。」
「ちょっかいですか?」
「ああ。適当に、矢を2、3本撃ち込んでやれ。」
「了解です!」
ミルヒィは魔法通信を切ると、再び暗視魔法を起動して、敵陣を見据える。
程無くして、塹壕の中でしきりに指示を飛ばしていると思しき1人の人影を見つけた。
100メートルの向こう側にいる人影などは、通常は見辛い物だが、暗視魔法には、視界を明るくする以外にも、若干の補正……カメラで言うなら
ズーム機能のような物があるため、多少は判別できた。

「……あれを狙ってみるか。」

ミルヒィは、背中のクロスボウを取り出し、矢を装填した。
狙いを、薄く見える1つの影に定める。影は不安に駆られたかのように動き回っているが、行動範囲は限られており、塹壕から出ようとはしない。

「こんなに距離が離れた狙撃は2年ぶりになるけど……当たってよ……」

クロスボウのアイアンサイトは、小さな人影を常に追い続けているが、この調子では、なかなか狙いが定まらない。

「……未来位置を予測して撃とうにも、この距離じゃ。それに、横風も強い。多少、横にずらさないと、矢は大きく外れてしまう……」

彼女は緊張を押し殺しながら、いつ矢を放つか考える。
呼吸を浅くして体の動きを極力減らし、風の強弱を読みつつ、相手の動きを追い続ける。
集中力を高め、彼女は来るかも知れないそのチャンスを待ち、逸る気持ちを抑えながら、トリガーの指に力を入れていく。
待つ事2分。
目標の人影が、動きを止めた。
その瞬間、ミルヒィは矢が目標に突き刺さる最適な位置を考え、その方向に狙いを付ける。
風は北東から南西方向に吹いている。勢いは弱いとはいえ、風の影響を受け易い矢は、その弱い風を受けても狙いを逸れやすい。
それを考慮して、ミルヒィは、アイアンサイトの狙いを目標から幾らか左側に定め、そして……

「あたれ……!」

トリガーを引いた。
ガーランドライフルとは違う、独特の小さな音と振動が伝わり、矢が勢いよく飛び出して行く。
待つ事しばし。

「……あ、当たった……!?」

ミルヒィは、目標の人影がいきなり仰け反り、そのまま倒れ込んだのを確認した。

「久しぶりの遠距離射撃で当てるとは……あたしって、天才かも。」

と、半ば自信過剰な言葉を呟いたが、その直後、倒れた目標の側にいたシホールアンル兵が、ミルヒィが居ると思しき方向に指を向けた事に気付いた。

「やば!ばれた!!」
ミルヒィはぎょっとなりながらも、咄嗟にその場から逃げるため、素早く行動を起こした。
彼女は信じられない事に、乗っていた枝から後ろ向きに飛び降りた。
通常では全く考えられない行動である。傍目から見れば、望んで投身自殺をしたようにも見える行動だが、ミルヒィはそうでもなかった。
彼女は後ろ向きに飛び降りたと見るや、次の瞬間には両手で下の枝を掴み、落下の勢いを減殺していた。
ミルヒィが60センチ下の枝を掴んだ時、シホールアンル軍陣地から放たれた魔道銃の集束弾が放たれて来た。
敵側に射撃の腕自慢が居たのか。魔道銃の光弾は、先程までミルヒィが居た辺りを正確に射抜いていた。

「敵ながらいい狙い……」

ミルヒィは射撃の腕前に感心しつつ、枝を掴んでは放して落下、また掴んでは下を素早く確認し、必要があれば体を捻るか、あるいは体の
勢いに乗り、手を離して落下という方法で、6メートル以上の高さを僅か30秒ほどで下って行った。
ミルヒィはヘリケインズのすぐ後ろに着地した。

「ただいま戻りました!」
「おう、よくやった!ただ、敵さんも俺達に気付いたようだな。ここからは、お前の古い相棒は使えなくなるな。」
「仕方ないです。でも……」
ミルヒィは、右の腰に吊ってある小さな袋から、青い水晶玉を取り出した。

「これはまだ使えます。3個中1個は既に使いましたから、こいつをまず使いましょう。」
「よし。術式を起動して、水晶に込められた妨害魔法を発動させて投げ込め。」
「了解です!」
ミルヒィは指示を受け取るや否や、素早く呪文を詠唱して魔法石の魔法を発動し、それを敵陣に投げ込んだ。
ヘリケインズの分隊のみならず、他の分隊も同じように水晶を投げ込んでいる。
この戦域には、計6個の水晶が投げ込まれた。
その瞬間、木の枝を狙って闇雲に撃ちまくっていた敵陣地の銃火が、一瞬だけ止まった。
鳴り止んだ銃声の代わりに、敵兵の叫び声が先程にも増して聞こえてきた。

「いいぞ。シホールアンルの連中、更に混乱してやがる。」

ヘリケインズはそう呟きながら、すっかり冷静さを失った敵に対して、してやったりと言わんばかりの表情を浮かべた。

「ヘリケインズ!そろそろ頃合いだ。突入する!」

唐突に、いつの間にか追いついて来た小隊長が彼に言うと、先頭に立って敵陣に突っ込み始めた。

「突っ込むぞ!」

ヘリケインズは鋭い声で分隊の部下達に命じた。
物影に隠れていた分隊員達はすぐさま立ち上がり、姿勢を低くした状態で敵陣に向かって行く。
彼らは、無言のまま敵陣に接近して行く。誰も、士気を上げるために雄叫びを挙げる者は居なかった。
シホールアンル軍の魔道銃が再び射撃を開始した。
それと同時に、上空に照明弾が打ち上げられ、瞬時に赤紫色の光が上空で灯った。
先発した分隊が、魔道銃の射弾を浴び、2、3名の兵が倒れ伏す。
「流石に気付かれたか。だが、もう遅い!」

ヘリケインズは小声ながらも、威圧するかのような声音で断言する。
上空に照明弾が灯った頃には、小隊長の直率する分隊は、敵の防御線まで僅か20メートル程にまで迫っていた。
前方で、魔道銃の者とは異なる射撃音が響き渡る。
その音は、明らかにアメリカ製銃器の放つ独特の発砲音である。
ヘリケインズの分隊は、敵の防御線まで一気に15メートル程まで接近した。
その時、塹壕から敵兵と思しき複数の人影が這い出して来た。

「敵だ!撃ち倒せ!」

ヘリケインズは持っていたM1トンプソンを構えながら、咄嗟に地面に伏せた。
彼が伏せた直後、敵兵が魔道銃を放って来た。

「やはり携行式魔道銃を装備しているか。」

彼は何気無く呟きながら、トミーガンという通り名が付いたトンプソンの照準を敵兵の1人に向け、引き金を引いた。
銃声と共に、銃口から弾き出された45ACP弾が初速280メートルのスピードで、狙った敵兵に向けて殺到して行く。
ヘリケインズは、45口径11.5ミリ弾の連射の強反動で狙いがずれるのを和らげるため、4発、または5発ごとにと、
指きり射撃を行う。
20発目を撃った所で、銃弾を受けた敵兵が仰け反り、塹壕の中に姿を消した。

「手榴弾!」

誰かがそう叫ぶと同時に、敵の塹壕内に手榴弾が投げ込まれた。
敵陣内に投げ込まれた手榴弾は2個であった。1個は塹壕には入らず、全く関係の無い所で炸裂して土砂を派手に散らした
だけに終わったが、もう1個は過たず塹壕内に入り込み、魔道銃を撃ちまくっていたシホールアンル兵は、一目散に逃げ始めた。
手榴弾が炸裂するや、逃げ遅れた2名のシホールアンル兵が背中に破片を食らい、悲鳴を上げながら倒れた。
敵の反撃が止んだ事を確認したヘリケインズは、少し体を起こして右手を大きく振った。
前進再開の合図を確認した分隊員は、ヘリケインズを先頭に、敵防御線目掛けて突進する。
ヘリケインズを先頭に、分隊の8名の兵全員が塹壕内に飛び込んだ。
塹壕の曲がり角から、2名のシホールアンル兵が飛び出して来た。
彼は躊躇う事無く、トンプソンを撃つ。弾倉内の残弾は少なかったが、彼は的確な射撃で敵兵2人を撃ち倒した。

「あの壕を占拠する。」

ヘリケインズは、目標の四角状の防御陣地(トーチカのようなもの)に顎をしゃくった。
ちょうどその時、防御陣地に入ろうとする4名の敵兵の姿があった。
敵兵の内の1人がヘリケインズ達に気が付き、大慌てで中に入って行った。

「あいつら、魔道銃に取り付いて後続の味方を撃とうとしているぞ!」

ヘリケインズ早足で防御陣地の後ろ側に近付いて行く。
あと5メートルほどまで迫った時、いきなり、3名のシホールアンル兵が叫び声を上げながら飛び出して来た。
敵兵は全員が小銃を持っていた。
(まずい!)
ヘリケインズは咄嗟に、左側にあった横の窪みに身を隠した。
その瞬間、敵がヘリケインズめがけて銃を撃って来た。隠れた窪みの周囲に光弾が突き刺さる。
時折、砕けた小石の破片が顔に飛び散ってくる。

「小癪な!」

ヘリケインズはトンプソンだけを出して連射を加えた。
トンプソンの射撃を食らったのか、敵の居る方向から悲鳴が上がったが、それでも敵は射撃を続けてきた。

「分隊長!援護します!」

その時、彼の耳にミルヒィの声が響いて来た。
咄嗟に後ろを振り向いたが、そこには物影に隠れている部下の姿しか無かった。
いきなり、右斜め上から銃声が聞こえた。
そこには、いつの間にか塹壕から上がっていたミルヒィの姿があった。
ミルヒィは、ヘリケインズが釘付けにされている間に、5名に増えていたシホールアンル兵に向けてガーランドライフルを撃ち放っていた。
彼女は4人の敵兵を倒したが、5人目は撃ち倒せなかった。
ミルヒィのガーランドライフルから、金属的な音を立てて空のグリップが吐き出された。
それに反応した敵兵は、仲間をやられた怒りの矛先を、ミルヒィに向けていた。
敵兵は、伏せようとしていたミルヒィに携行式魔道銃を向けようとしたが、その瞬間、隠れていたヘリケインズがトンプソンを撃ち放ち、その敵兵を射殺した。

「ふぅ……ありがとうよ!」

ヘリケインズは、自らの危機を救ってくれた戦友に感謝の言葉を送る。

「いえ、自分の方も分隊長に助けられましたよ。」
「という事は、お互い様か。」

彼がそう言うと、ミルヒィはそうですねと言いながら、苦笑を浮かべた。

「しかし、大丈夫なんですかね。あたし達、時々やかましく撃ち合っていますが。」
「いいんだよ、これで。」

ヘリケインズは、ちらりと、北の方角に目を向けながら答えた。

「俺達の大隊は、そうするように命じられている。俺達がこうしている間、今頃は第1大隊と第3大隊の連中が仕事を果たしているさ……」
「それにしても、敵はかなり慌てているようですね。」
「ああ。連中、泡食ってたぞ。もしかしたら、それのお陰かもしれないな。」

ヘリケインズは、ミルヒィの腰に吊ってある小袋を指差した。
「さて、敵混乱している今が、更なる前進の機会だ。小隊長の班は、あっという間に敵を倒したと思ったら、あっという間に前進して
行きやがった。こりゃ、俺達も負けてられんぞ。」
「その通りですね。」

ミルヒィは深く頷いた。

「この辺の敵は、他の分隊が殲滅したようだ。俺達はこの機会を利用して、更に奥へ進むぞ!」

ヘリケインズは、改まった口調でそう命じるや、分隊員と共に、塹壕を這い出し、敵に警戒しながら森の中を突き進んでいく。
その際、後続の味方部隊の姿も幾度となく見るが、味方部隊はヘリケインズの分隊を見つけても、無言のまま前進を続けていった。
ミルヒィの分隊は、並べられた野砲を尻目に、敵の新たな防御線へと向かって行く。
彼女はちらりと、野砲の砲列に視線を送る。
通常通り攻撃を行っていれば、ここに敷き並べられた20門以上の野砲は一斉に砲門を開き、砲弾の弾幕射撃を、ハーフトラックに
乗り込んだミルヒィ達にお見舞いしていた事であろう。
だが、ここにある野砲の砲列は、突然の奇襲の前に砲兵が逃げ散った事で、期待された阻止砲火を1発も放つ事無く沈黙を余儀なくされた。
ミスリアル軍の浸透戦術という奇策の前に、射撃の機会を完全に逸した野砲の砲列は、今では、その長い砲身をただ、上空に振りかざすだけの
無用な置き物に成り下がっていた。

第12機械化歩兵師団と第8軽装機動歩兵師団の投入した最初の2個連隊は、敵の前線を突破後は、それぞれの連隊が小隊、または
分隊レベルの小部隊に別れ、敵戦線後方に浸透して行った。
交戦開始から2時間が経過した午後11時には、第12師団の部隊が前線から2キロ後方まで進出し、敵側の連隊司令部を襲撃して
壊滅させていた。
一方で、攻撃を受けたシホールアンル軍第41軍団は、前線に展開させていた第68、第221歩兵師団の前線展開部隊から連絡が
途絶した事に驚きながらも、敵がどのような攻撃を行っているか全く情報が掴めなかったため、戦線後方に布陣している部隊を前線に
向かわせる事も出来なかった。
午後11時30分。前線から逃げ出して来た部隊の一部が、ようやく第2線陣地に到達し、連合軍の攻撃があった事を伝えられた。
第41軍団司令部はようやく、第2線陣地から増援部隊を送る事を決定したが、その決定は、結果からみれば遅すぎた。
前線に展開していた2個師団所属の部隊は、その大半がミスリアル軍の浸透作戦の影響で何らかの打撃を受けるか、半包囲されており、
じきに壊滅する事は時間の問題であった。
連絡の途絶した部隊は、約2個連隊、4000名以上にも及んでいる。
これらの部隊の中には、敵の攻撃を受けた部隊もあれば、敵に何の手出しも受けぬまま、気が付けば敵が後方に進出して包囲されていた、
という部隊もあった。
この身動きの取れなくなった部隊に対して、連合軍は更なる攻撃を加えつつあった。
午後0時。目標のラインにまで到達したミスリアル軍前進部隊は、進出成功の報を軍団司令部に送った。
その直後、軍団司令官から後方で待機を続けていた機械化部隊に対して、前進開始の命令が下った。
第12師団の中で、浸透作戦に参加しなかった第56機甲歩兵連隊は、事前にハーフトラックに分乗しており、命令が下るや、
護衛の第12戦車大隊(M4シャーマン戦車を装備)と共に敵戦線に向けて突き進んで行った。


1485年(1945年)7月29日 午前6時 リーシウィルム沖西方200マイル地点

第57任務部隊第2任務群は、第1任務群と共に、リーシウィルム沖西方洋上を、時速28ノットの速力で航行していた。
TG57.2の司令官を務めるアーサー・ラドフォード少将は、旗艦キティホークの艦上から、偵察機の発艦を眺めていた。
滑走を開始したS1Aハイライダーは、機首のエンジンをがなり立てながら速度を上げ、飛行甲板の先端部分で機体を浮かせ、朝焼けに染まった
大空に向けて、上昇して行った。

「これで、索敵隊は全機発進完了だな。」

ラドフォード少将は、航空参謀のフランクリン・イーブル中佐に顔を振り向けてから言う。

「敵の機動部隊は出て来ると思うかね?」
「断言は出来ませんが……出てこない可能性の方が高いと思われます。シホールアンル海軍は、今現在も、レーミア沖海戦で受けた損害から
完全に立ち直れていません。特に、深刻な損害を受けた、竜母航空隊の再編は今も継続中ですから、出て来る確率は30%と言った所でしょう。」
「こちらとしては、ありがたい限りだな。」

ラドフォードは軽く頷きながらそう言った。

「こちらの空母は9隻しかありませんからな。障害が少ないのはいい事です。」
イーブル中佐も同感だとばかりに、半ば嬉しげな口調で言う。

「攻撃隊の準備はどうなっている?」
「今の所、何の問題も起こらず、順調に推移しています。TG57.1の方も、スケジュール通りに進んでいるようです。」
「ふむ、万事順調、といった所だな。」

ラドフォードは口を引き締めながら、キティホークの周囲を眺め回して行く。
TG57.2は、旗艦キティホークの他に、エセックス級空母のオリスカニーとモントレイⅡ、軽空母ロング・アイランドⅡとライトが
主力である。
この5隻の空母を守るのは、戦艦イリノイとミズーリを含む30隻の戦闘艦艇である。
これらの護衛艦の中には、最新鋭の重巡であるデ・モインと、新鋭軽巡のウースターも含まれている。
TG57.2の北方20マイル沖には、任務部隊の旗艦が置かれているTG57.1が航行している。
TG57.1は、キティホークと同じく、最新鋭の大型空母であるリプライザル級のネームシップ、リプライザルがおり、その他に
正規空母レイク・シャンプレインとグラーズレット・シー、軽空母タラハシーの4隻を主力に据えている。
この4空母を守るのは、歴戦の巡戦であるコンステレーションとトライデント、重巡、軽巡、駆逐艦計29隻である。
TF57の正規空母、軽空母はあわせて計9隻、航空戦力は800機以上に上る。

TF57は、28日の深夜から始まったヒーレリ領攻略戦……Waking Summer作戦(夏の目覚め作戦)に参加するため、26日の夕刻には
指揮下の2個任務部隊が出撃を終えていた。
TF57は、早朝にリーシウィルム地方周辺に点在する航空基地を爆撃し、戦線後方の敵航空兵力を減殺する任務が与えられていた。
9隻の空母には、第1次攻撃隊の戦闘機、攻撃機が次々と飛行甲板に並べられており、発艦予定時刻である午前6時40分までには、
発艦準備を終えそうである。

「バイスエ沖のTF58はかなり暴れ回っているようだな。」
「はい。TF58の空母には、試験的に配備されたF8Fが何機か搭載されていましたが、そのF8Fがなかなかに活躍しているようです。
そのお陰で、他の母艦航空隊もかなり暴れているとか。」
「流石は最新鋭機といったところか。」
ラドフォードはそう言った後、飛行甲板に視線を移した。
飛行甲板には、第1次攻撃隊に参加する機体が敷き並べられている。
そこに、新たな1機が、10名ほどの甲板要員に押されて列に加わろうとしている。
その機体は、これまで、彼が見て来た艦上機と違って大きな特徴があり、外観も双発機と言う事もあって、F4UやSB2C等に比べて
非常に目立つ。

「こっちの任務群にも、F8Fとは別の機体が送られてきている。それも2つもだ。」
「今回の作戦が、あの機体の初陣になりますが、パイロットはこれまでの海空戦に参加して来たベテランです。必ずや、戦果を
挙げてくれるでしょう。」
「その通りだな。」

ラドフォードは、新たに列に加わった見慣れぬ双発機……F7Fタイガーキャットを見据えながら、そう答えた。
彼は、視線をF7Fから、列線の最後尾に向ける。

「ここからは流石に見え辛いか……まっ、スカイレイダーのパイロットもベテランだ。彼らもきっと、良き戦果を挙げてくれるだろう。」

ラドフォードがそう言った時、後ろから声がかかってきた。

「おはようございます。」

ラドフォードとイーブルは、声がした方向に顔を振り向けた。

「これはハイネマン技師。朝から御苦労だね。」
「スカイレイダーの調子はどうでしたかな?」

ラドォードは挨拶を返す一方、イーブルは気掛かりとなっていた点に質問を飛ばした。

「作戦参加予定の機体は、全て快調です。戦闘中にトラブルを起こす事は、まず無いでしょう。」

ダグラス社から派遣されて来た技師、エドワード・ハイネマンは、自信に満ちた口調でそう断言した。

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