虹の大陸 ~a commonplace story in Perfect world~

序:あるところに少女あり(2)

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 客は口ひげを蓄えた恰幅のいい壮年の男だった。母の手によって意匠のように接がれてはいるが、やはり接ぎ当ては接ぎ当てのあたった綿入れを着ている父よりは、よほど良い着物を着ていた。
少女がとっさにした挨拶に、上座に座る客と父が同時に少女のほうへ顔を向けた。少女は妙に自分に注目する二つの視線に戸惑って、その場に棒立ちになってしまう。
「突っ立ってないできちんと挨拶せんか」
父の言葉に、呪縛が解けたように少女はその場にひざをついて頭を下げた。
「こんにちは、今日はまんずよくいらっしゃいました」
おずおずと頭を上げて上目遣いで客と父を交互に見る。
「これが上の娘で」
「ふむ。聞いているより少々年幼いようでねぇですか……しかしまぁめんこい娘さんだ」
「こう見えても今年学堂を終えますだよ。丁度今日は修了の日で」
ほほうと関心した客は、少女が手にしている札に注目した。
「おぉ。それは朱札でねぇかね。勉学も得手は重宝だの」
少女は赤面して、得意な気持ちを隠してうつむいた。
「いンや、まんず机に向かってばっかりで困った娘で……お屋敷に上げる時にはよく働くよう言い聞かせますんで」
お屋敷に上げるという父の言葉に、少女は手元を見ていた視線をがばっと父に移す。
「おと……」
父は慌てて余計なことは言わせまいと少女の言葉を遮った。
「挨拶したらお前は下がってお母の手伝いしてな」
口をつぐまされた少女はしばらく父の顔を睨み付けてから、奥歯をかみ締めつつ、すごすごと土間へ下がって引き戸を閉めた。


「あ……早かったんね、おかえり」
手ぬぐいを頭に巻いて、小脇に柿の甘漬の入った瓶を抱えた母が土間に入ってきた。外の貯蔵庫から取ってきたのだろう。
「……ただいま」
その顔をみて、母は少女が既に客に会ったのを悟ったようだった。それでもいつもと変わらぬ様子で瓶を土間に置くと、客用の上等な皿を長持から出して作業台の上に置き、瓶の中身を二、三綺麗に盛り付ける作業を続けた。
少女はその様子をじっと見て、言い出す言葉を捜しているようだった。
「……お母」
「うん?」
少女の方も見ずに母はやけに間延びした返事をした。
「見て。ワシ、朱札貰っただ。一番だったンよ」
少女は母の方へ行き札をその目の前に突きつけた。母は困ったようにそれを見て、またすぐに作業に戻ってしまう。
「良がったね。いい記念になったべ」
「記念でねえっ。上の学校サ行けるンだよ!老師のお墨付きだもん!」
少女は母の袖に食い下がる。母は手を止め、眉を寄せて少女の顔を見た。
「何言ってンだ。勉学なんて何の役に立つンね?そんな余裕はウチにはねえの解るべ」
「けど!」
「シッ。声が高いべ」
「けど……どこだか知んねけど、奉公サ上がって一生女中で終わるより、上の学校サ行けばもっと……」
「奉公にはださねえ」
少女の顔にぱっと希望の色が浮かぶ。
「そンだら……」
「旦那さんがお前ば嫁に貰ってくれる。ありがたいことだべ」
「よ、嫁……!?」
あまりのことに少女は目の前がチカチカして、机に手をついた。
「嫁ってあんなお父より年嵩な……っ」
その様子に母は笑って、今度は煮立った湯を急須に入れる作業を始めた。
「旦那さんの嫁でねえ。若旦那だべ」
「そったらことどっちでも同じだ!ワシは……ワシは……っ」
いきなりに自分の将来が、これから死ぬまでの道筋が勝手に決められてしまった事に、どうしようもない戸惑いと憤りを感じて少女は立ち眩んだ。
「旦那さんのお店はここいらじゃちょっとした材木問屋だし、こげな小せえ細工職人の家のお前が若奥さんになれるなんて……こったら幸せはねえべ」
妙に母の声は遠く聞こえたが、しかしそれも聞いていない様子で少女はふらりと立ち上がった。
「大丈夫け?」
母が心配そうに声をかけたが、少女はその顔も見ずに出口へ向かった。
「……水、飲んでくる」





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