人外と人間

河童と村娘 3

最終更新:

monsters

- view
管理者のみ編集可

河童と村娘 3 859 ◆93FwBoL6s.様

 雄々しい太鼓に、繊細な笛が重なる。
 神社の鳥居を挟むように設置されている灯籠からは、ろうそくの暖かな光が零れ出していた。いつもは静まっている神社も今日ばかりは騒がしく、村の内外から訪れた人々で賑わっていた。本殿に繋がる石畳の両脇には縁日の屋台が軒を連ね、香ばしい匂いや甘い匂いが流れていた。
 慣れない下駄を鳴らしながら石段を登った清美は、人々の間を擦り抜けて本殿前へと向かった。はしゃぐ子供達を避け、早くも出来上がった大人達を横目に見つつ、人垣の後ろから背伸びをした。
 どぉん、どぉん、と太鼓が打ち鳴らされると、手にした扇子を掲げて足を踏み鳴らし、見得を切る。巫女が笛の音に負けぬほど艶やかに扇子を下げると、神官が神楽鈴を涼やかに鳴らし始めた。縁日の周りでは騒いでいた子供達も雰囲気に飲まれたのか、面を被った巫女の舞を凝視していた。巫女として舞っている人物が同じ集落に住む顔見知りの女性だと知っているのに、見入ってしまう。
 面は醜女である山神の顔を現したものだそうだが、こればかりは毎年見ていても慣れなかった。両目はぎょろりと見開かれていて今にも飛び出しそうで、口は歪められ、太い牙が剥き出されている。面に植え付けられている髪もざんばらで、年季が入っているせいで面の色もどす黒く、恐ろしい顔だ。ツノが生えていないことを不思議に思うほどの形相だが、清美はいつになく神妙にその面を見つめた。確かに、あんな顔の主を怒らせたら大変なことになりそうだ。だから、タキの言い付けは守らなければ。
 奉納の舞が終わると、ぱらぱらと拍手が上がったので清美も手を打ち鳴らし、巫女の舞を賛辞した。巫女や神官、雅楽を行っていた者達が本殿の中に戻っていくと、観客達も自然にばらけていった。清美もその場を離れ、縁日でも見ようかと思っていると、いきなり後ろから肩を叩かれて心底驚いた。

「うおっ!?」

 振り返ると、そこには清美以上に驚いた顔の耕也がいた。

「そんなに驚くことねぇだろ」
「あ、ああ、ごめんごめん」

 清美は取り繕うために笑みを浮かべて耕也に向き直ったが、タキだったら良かったのに、と思った。せっかく綺麗に着飾ってきたのに、出会ったのが幼馴染みが相手では見せる価値が半減してしまう。いとこのお下がりである浴衣は紫地にあじさい柄の大人びたもので、親から新しく下駄も買ってもらった。この日のために伸ばした髪もアップにしてまとめ、普段は付けないアクセサリーも着けてきたのである。化粧もしてみようかと思ったが、一度もしたことがないので上手く出来るわけがないので今回は断念した。耕也は清美を上から下まで眺め回していたが、清美はその意外そうな顔にむっとして眉を吊り上げた。

「何よその顔は」
「化けたもんだなぁって思ってさ」
「うわひっどい。普通に褒めたらどうなの?」

 タキだったら、まだ嬉しかったのに。清美がむくれると、耕也は慌てて謝ってきた。

「悪い悪い、そんなつもりじゃなかったんだ。つか、どう言えばいいのか解らなかったっつーか」
「ふうん」

 清美が一切信じていない目で耕也を見返すと、耕也はますます弱った。

「だから、悪かったっつってんだろ。なんか奢ってやるから、それで許してくれよ」
「かき氷食べたい」

 清美が即答すると、耕也は安堵し、肩の力を緩めた。

「だったら行こうぜ、氷がなくなっちまう前にさ」
「あ、ちょっと!」

 途端に元気になった耕也に手を引っ張られ、清美はつんのめったが、下駄は引っ掛からずに済んだ。買ったばかりの下駄の鼻緒が切れたら困るのに、と清美は耕也の背を睨み付けたが、表情を緩めた。毎日のように接しているから気付かなかったが、いつのまにか耕也の身長は清美を追い越していた。手首を握る手の力も強く、背中も広い。浮かれ切った表情は幼かったが、横顔は大人になりつつあった。
 ああ、男の子なんだな、と訳もなく感じ入った。
 現世と常世の境を薄らがせる音色が、山を満たしていた。
 木々の間を擦り抜け、川に沿いながら斜面を下りたタキは、神社を囲む鎮守の杜に踏み入っていった。普段過ごしている森の中とは空気が変わり、現世の者達の生温い息吹が常世の冷たさに混じっていた。濡れた土に水掻きの付いた足跡を連ねながら、息を潜めてひたひたと歩き、御神木の足元に近付いた。古びた注連縄を巻かれた巨木を見上げてから、太い枝に目を付け、両膝を曲げて跳躍して飛び移った。その際に枝葉が揺れ、境内を行き交う人間の数人が振り向いたが、誰もタキに焦点を合わせなかった。枝葉が揺れた様は見えても、タキの姿が見えるほど勘の鋭い者はいないらしい、と知るとほっとした。見えてしまう人間も困るだろうが、常世に住む者としてもみだりに姿が見えてしまってはやりづらいからだ。
 枝の上から身を乗り出し、清美の姿を探した。いつもと服装が違うので、いつになく入念に視線を巡らす。常世に接しているとはいえ、神社の中は現世だ。タキの神通力も勘も、常世にいる時に比べれば鈍い。清美の匂いも他の人々の匂いに混ざって溶けてしまい、見つけづらかったが、ようやく彼女の姿を捉えた。
 清美は紫地にあじさい柄の浴衣に黒の帯を締め、髪も華やかに結い、きらきら光る髪飾りも付けている。石垣に座ってかき氷を食べているが、その傍らには、タキも何度か見たことのある少年が腰掛けていた。退屈凌ぎに川を伝って村の中に下りた際に、清美や他の子供と遊んでいた快活な少年、田所耕也だった。
 ぎゅう、と瞳孔が収縮する。腹の奥底から冷たい体を煮やしかねないほどのものが、ごぶりと沸き上がる。耕也と言葉を交わす清美は笑っているが、擦れ違う同級生達に冷やかされたのか、むきになって言い返した。だが、耕也はまんざらでもないのか、にやにやしている。清美は耕也にも文句を言うが、頬は赤らんでいた。タキに見せている表情とは違う表情の数々に、はらわたを煮立たせるものが熱を増し、皿にまで至りそうだ。

「清滝之水神や」

 すう、とタキの背後から、面を被った顔が現れた。

「あれが、妾の山を穢す娘かえ」
「…おぬしは」

 タキが振り返ると、タキの立つ枝と同じ高さの枝に、祭りに訪れた者達と同じく浴衣を着た女が立っていた。渋い草色の浴衣に朱色の帯を締めた若い女だが、顔は目の隙間だけが空いた白い面に覆い隠されていた。見た目は普通の人間と変わらないが、彼女を取り巻く空気はずしりと重たく、存在自体が威圧感を伴っていた。
 それが、山神だった。タキが山神と清美のどちらに目を向けるか僅かに迷うと、山神は音もなく袖を上げた。草色の袖から伸びてきた細く白い指を、タキの濡れた首筋にそっと添えると、面で隠した顔を突き出してきた。

「妾とそなたは長い付き合いじゃからのう、堪忍しておったのじゃ。そなたがおらぬようになれば、妾の力も半減してしまうからのう。じゃから、妾はあの娘が山に立ち入ることも、そなたに接することも許しておったのじゃ。じゃが、あの娘が妬ましゅうて疎ましゅうて憎らしゅうて、妾はもう堪えきれぬのじゃ」

 ぐい、とクチバシを持ち上げられ、タキは面の奥で歪められた山神の目を正視した。

「じゃが、妾も幼子ではない。荒れるのはそなたじゃ、清滝」
「…だが、儂は」

 清美や村の者達を苦しめたくはない、とタキが続けようとすると、クチバシごと首を捻られた。

「ほうれ、見てみい。あの娘はそなたと通じておる身でありながら、人間と通じようとしておるのだぞ。どうじゃ、憎かろう、妬ましかろう、苦しかろう」

 山神は女の口調でありながら、男のように低い声を発した。
「そなたは神ぞ。罰を当てねば示しが付かぬぞえ」

 クチバシを戒める指が外れると、山神の姿も消え失せ、彼女の体重を失った枝がかすかに上下していた。タキは首筋に触れると、山神の指先から流し込まれた熱く粘ついた嫉妬と憎悪を押さえようと尽力した。だが、タキの神通力では山神には到底敵わず、暴風で煽られるかのように腹の底の感情が沸き立った。
 清美。山に隠してしまうから、その名を呼びたくとも呼べないのに、あの少年は馴れ馴れしく呼んでいる。それだけでも心底苛立つが、耕也は美しく着飾った清美を自分の所有物であるかのように振る舞っている。弛緩した表情と、事ある事に清美に触れているのが証拠だ。清美はと言えば、曖昧な表情を浮かべている。そして、時折視線を彷徨わせている。自分を探している、と悟った瞬間、ぶつりとタキの内で何かが切れた。
 夕暮れの空に、鉛色の雲が膨れ上がった。


 突然の夕立に、皆が皆、逃げ惑っていた。
 清美もまた、せっかく着てきた浴衣が汚れてしまうことを怖れ、雨宿りするための場所を探そうとした。すると、またも耕也に手を引かれてしまい、振り払う前に本殿の裏側である鎮守の杜に連れて行かれた。御神木の傍を抜け、鎮守の杜と境内の境目に設置された祠の前に至ると、ようやく耕也の足は止まった。祠は人が入れるほど大きく、雨宿りは出来るかもしれないが、こうも薄暗くてはなんとなく怖くなってくる。
 タキと一緒なら怖いことなんてないのに、と思いながら、清美は巾着からハンカチを出して雨粒を拭った。耕也はTシャツの裾で顔を拭い、やけに真剣な眼差しで重たい雨空を睨んでいたが、清美に向き直った。

「あのな」
「ん、何?」

 髪型崩れてなきゃいいな、と清美が後ろ髪を確かめようとすると、耕也は清美の両肩を掴んできた。

「俺、お前のこと、好きなんだ」
「…へ」

 口を半開きにした清美は間抜けな声を出してから、真顔の耕也を見返した。

「なんで?」
「なんでって言われても、俺にも良くは…」

 自分で言ったくせにやりづらいのか、耕也は口籠もったが、清美に顔を近寄せた。

「清美、付き合ってる奴とかいないだろ? だから、俺と」
「ダメ」

 清美は耕也を押し返し、肩を掴む手を外させた。

「私、あんたのこと、そういうふうには見られない。だから、ごめん。付き合えない」
「本気でか?」
「うん。気持ちは嬉しいけど、でも、私には」

 好きな人がいる、と言いかけた清美を、耕也が抱き竦めてきた。

「だったら、今だけでいい! 今だけだから!」

 力一杯背を押さえられ、胸が詰まる。目の前にある耕也の胸はタキほど広くなく、感触も硬かった。頭上から聞こえる荒い息も、熱い体温も、激しい鼓動も、何一つとして清美の心を動かさなかった。それどころか、初めて幼馴染みを怖いと思った。清美が腕を緩めようと身を捩ると、耕也の力は増す。このままじゃ何をされるか解らない、と清美が怯えていると、べちょ、と雨音とは異なる水音がした。
 耕也の顔が上がり、腕が緩んだ。すぐさま清美が離れると、滝のように注ぐ雨の中に異形がいた。耕也が短く息を呑んだが、清美は全身の力が抜けそうなほど安堵して、見慣れた水神を見つめた。
「タキ…」
「小童。早う去らぬか」

 祠よりも高い背丈の河童が低く呟くと、耕也は後退り、がちがちと顎を鳴らした。

「な、なん、なんなんだよぉ!」
「儂はおぬしを許さぬ」

 ずちゃ、ずちゃ、ずちゃ、と泥を散らしながら、タキは祠に歩み寄ってくる。

「タキぃ!」

 浴衣が汚れるのも構わずに飛び出した清美がタキの前に立ち塞がると、タキは歩みを止めた。

「そこを退け。なぜ儂を阻む」
「こ、殺しちゃダメ! それだけはしないで!」

 清美はタキと向き直ったが、見慣れた水神の顔ではなかった。双眸は鈍い光を帯び、眼差しは厳しい。川の水よりも数段暗い雨水を全身に浴びているためか、いつも以上に河童の表情は読みづらかった。清美は雨の冷たさとは違う寒気を感じ、指先から体温が抜けた。やはり、彼は人の及ばぬ世界の住人だ。

「耕也のこと、怒らないで」

 緊張と涙で声を震わせながら、清美はタキを見上げた。

「私が好きなのはタキだけだから。浴衣だって、タキに見てもらいたかったから頑張ったんだよ?」

 降りしきる雨に肩と裾が濡れ、跳ねた泥が付き、目元に涙が滲んでいたが、清美は袖を広げてみせた。

「えへへ、似合う?」

 強張った笑顔を懸命に向ける清美に、タキは己が猛烈に疎ましくなった。一体、何をやっているのだ。山神に煽られたせいで嫉妬心が溢れ出してしまったが、清美の心はタキにだけ据えられていたのだ。清美の心が揺らがぬことを信じ、人の少年に羨望など抱かずに、鎮守の杜の中で待っていれば良かった。清美を困らせたばかりか、守るべき村の者を怯えさせ、それどころか祭りの日に豪雨を招いてしまった。

「去れ、小童」

 タキが命じると、耕也は転びそうになりながら駆け出し、悲鳴を上げて神社の境内へと戻っていった。清美は若干罪悪感を覚えながら、耕也の後ろ姿を見送っていたが、目を伏せたタキに寄り添った。

「ごめんね」
「おぬしが謝ることはなかろう。儂が悪い」

 タキは清美の手を引き、祠の中に入れると、手を翳してその身に降り注いだ雨水をそっくり抜き取った。ばしゃり、とやたらと大きな雨粒が地面で弾けると、清美の髪も浴衣も雨に濡れる前の状態を取り戻した。清美はタキに礼を言ってから、雨とは違う潤いを持つ腕に頬を寄せ、滑らかなウロコの肌を抱き締めた。

「タキ…。会いたかった」
「おぬしの姿は見つけておったのだが、人の前に姿を現すわけには行かぬのでな」
「うん、解ってる。だから、後で御神木まで行こうと思ってたんだ。そこなら、大丈夫だと思って」
「うむ。儂もそうするつもりでおったのだが、山神がな」
「やっぱり、私が山神様を怒らせちゃったの?」
「山神は、おなごと見れば嫉妬する。それだけのことに過ぎぬ」
「でも…」
「案ずるな。この雨は儂が成したものだ、儂が落ち着けば止む雨だ」
「そっか」

 清美がほっとすると、タキは腰を曲げて清美と目線を合わせた。
「おぬしは美しい娘よ」
「本当? 浴衣のことじゃなくて?」
「それも含めてだ。だが、元が良くなければならぬこと」
「あぁ良かったぁ、似合わないって言われたらどうしようって思ってた!」

 清美はタキの首に飛び付いてから、尋ねた。

「ねぇ。落ち着くまで、どのくらい掛かる?」
「小一時間は掛かるやもしれんな」
「それじゃ、御神輿が出る時間に間に合わないね。あれ、松明を使うから、薪が湿気たら大変なんだ」
「だが、こればかりは儂自身でもどうにも」

 タキが返すと、清美はタキの首から腕を外し、躊躇いがちに浴衣の裾を抓んだ。

「…してみる?」
「おぬし、場所を弁えぬか。ここは神の社なのだぞ」
「タキが神様じゃない。だから、罰も当たらないって」
「だが、それでは儂が年がら年中発情しているようではないか」
「え、違うの? 私が山に行くとほとんどあっちの方向に流れるから、てっきりそうなのかと」
「度々申しておることだが、神を愚弄するな。あれはおぬしに付き合ってのことであってだな…」

 だが、体を交えれば邪念も抜けるだろう。タキは語気を弱めると、清美は浴衣の裾を帯に挟んだ。

「これなら裾が汚れないよね?」
「うむ…」

 無防備に太股を曝した清美に、タキはとうとう抗いきれずに頷き、清美の腰をぐいっと引き寄せた。祠に手を付かせて下半身を上げさせ、尻を覆う浴衣を捲ると、予想していた下着は現れなかった。暗がりの中では目に染みるほど白い素肌の尻を掲げた清美は、恥じらい、祠を掴む手に力を込めた。

「ゆ、浴衣だから…」
「解っておる」

 タキは指の腹で清美の陰部をなぞると、清美は肩を縮めた。

「ふぁっ」
「現世と常世の交わる日だが、儂はそれほど長居は出来ぬ。早々に収める」
「う、あ、ぐぁ、あぁ、ぁっ!」

 潤いが足りていない陰部に強張った男根を突き刺され、清美はがくがくと膝を笑わせてしまった。タキの傍だが、タキのいる場所ではないからか、これまでは感じたことのなかった痛みが駆け抜けた。だが、程なくして、慣れ親しんだ男根の存在感を体が認め、条件反射のようにじわりと染み出してきた。力強く奥を突かれると、声が押し出される。後ろから貫かれることは多いが、大抵はどちらも座った姿勢だ。それはタキの頭の皿から水を零さないためであり、立った姿勢は身長差が合わないのでしたことはない。
 慣れない姿勢だからか、深く感じる。清美の腰を両手で押さえ、打ち付けるタキの力も心なしか強かった。妬いたのは山神のせいだと言わんばかりの口調だったが、耕也に妬いていたのは他でもないタキなのだ。愛撫らしい愛撫もなく、荒々しく責め立てる男根の強さに、清美はタキの嫉妬を生々しく味わっていた。それだけ好かれているのだと解り、涙が出そうになる。痛みもあるが、それ以上に嬉しかったからだ。
 幾度となく突かれた末、放たれ、達した。祠を叩く雨音が弱まってきた頃、清美は眠気に襲われた。乱れた裾を直すことも忘れ、タキにしがみついた清美は、下半身の怠さに引き摺られるように瞼を閉じた。
 山でも川でもどこでもいいから、連れ去られてしまいたい。






タグ … !859◆93FwBoL6s.
目安箱バナー