宮崎日日新聞 激震口蹄疫記事へ飛ぶ(魚拓)


 口蹄疫問題で、西都市尾八重に避難していた種雄牛5頭の「陰性」と周辺の清浄性が確認され、避難先を中心とする家畜の移動制限が13日午前0時に解除されたことで、約1カ月に及んだ「種雄牛騒動」はひとまず幕を下ろした。5頭は引き続き厳戒態勢のもと飼育されており、事態終息後の「宮崎牛」ブランド復活に備えている。

 5頭は現在、県が避難場所に新設した鉄筋コンクリート製の牛舎2棟で飼育されている。それぞれの牛舎は約500メートル離れており、5月末から2頭と3頭に分けられた。牛舎の各部屋は幅3・5メートル、奥行き4メートル。

 制限解除後も引き続き1頭ごとに面倒を見る飼養管理者を付け、餌やふん出しなどを実施。人の出入りを極力制限するなど、感染防止に細心の注意を払う。5頭は新牛舎での生活にも慣れ、健康そのものという。

 県が「特例」として、移動制限区域内にある県家畜改良事業団(高鍋町)からトラック2台で6頭の移動を開始したのは5月13日昼。途中、予定していた西米良村の避難先周辺に畜産農家があることが分かり、急きょ西都市尾八重の山中に変更。到着したのは14日夕方だった。

 最初の“仮住まい”は木製の簡易牛舎。県によると、牛房(部屋)は七つあり、移動のストレスで興奮状態にあった「忠富士」を5頭と1部屋(幅約2メートル)空けて飼育していた。ただ、壁で隔てられていたものの、天井部分はすき間があり、各部屋がつながった状態だった。

 ウイルスの潜伏期間(7〜10日間)を考慮した1週間の遺伝子検査で、忠富士が口蹄疫に感染していることが判明。5頭についても悲観的な見方が広がっていた。

 その後、国との協議を経て、2週間延長された連日の遺伝子検査を5頭はクリア。関係者は「忠富士と同じ牛舎で飼育していたことを考えると、幸運が重なり奇跡的だった」と振り返った。

(2010年6月14日付)


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最終更新:2010年07月16日 03:20