『あの方が私どもの許を発たれた時のお姿は、それはそれは凛々しいものでありました』

 何百度と積み重ねた落胆と徒労の果てに、ようやく見つけ、育て上げたあの娘。
 彼女と過ごした日々は、出立の日の光景は、まるで昨日のことのように思い出せた。

『自らの在り様を正しく認識して立ち、的確に対処して切り拓く……育てた私どもが、まさに理想とした姿だったのであります』

 使命に燃え、誇りに満ち、白金の如く強靭な意志で進むべき道を切り拓く。
 その姿は、まさに完璧なるフレイムヘイズ。ヴィルヘルミナが無二の友と交わした誓いの形そのもの。
己が育てた偉大なる器の堂々たる姿を前にした時は、万感の想いがヴィルヘルミナの胸を震わせた。
だというのに。

『今は違う、と?』
『……余事に心乱し、本来在るべき姿から外れかけている。それは確かなことであります』

 ジョセフの問いに、ヴィルヘルミナは苦虫を噛み潰すような口調で答えた。

『お前さんの言う余事というのは、承太郎とのことかな?』

 幾多の人生経験と年月と共に刻まれた、大樹の年輪を思わせる皺の入った顔が、ヴィルヘルミナを真剣に見据えていた。
単刀直入に尋ねられ、ヴィルヘルミナは無言の内に肯定した。
 誇り高き使命の剣である筈の『炎髪灼眼の討ち手』は、ジョセフ・ジョースターの孫、空条承太郎に特別な関心を持っている。
言葉にしたくはないと思っていたが、ヴィルヘルミナもそれは認めていた。
 彼女が承太郎の前でまるで市井の娘のような振る舞いを見せる度、ヴィルヘルミナは焦燥と不安に駆られた。
 己が理想としたフレイムヘイズがあの男との交流によって変質してしまうという焦燥だった。
 恐らくは報われない、万が一報われたとして、その先には茨の荒野しか待っていない相手への思慕を、他ならぬあの娘が募らせているという不安だった。
 想いの進展は切り立った崖の上へと歩を進めるに等しい。
 崖から足を踏み誤って落ちるか、いつ崩れるかもわからない崖の上で共に生きるか。
何れにせよ、あの娘を待ち受けているのは苦難でしかない。

『……あの娘のことが可愛いか?』

 一瞬、ジョセフが何を言っているのかわからなかった。先の質問との関連性が見出せない。
 秀麗な眉をぴくりと動かすヴィルヘルミナに、ジョセフは続けた。

『あの娘がお前さんのことをよく話してくれたよ。その時のあの娘の嬉しそうな顔を見りゃ、どれだけ深く愛されて育ったかくらいはわかる。いい家族だったんだろう。わしにも娘がおるしな』

 娘という言葉に、ヴィルヘルミナの常の無表情に二重の意味で微かな揺らぎが生じた。
 ジョセフの娘、承太郎の母である空条ホリィは、スピードワゴン財団の信頼すべき医師達による二十四時間態勢の看護を受けていた。
百年の眠りから目覚めた吸血鬼・DIOの存在により発現した彼女の"スタンド"。
それが彼女の肉体を蝕んだのだ。
 スタンドとは、その本人の精神力の強さで操り、戦いの本能で行動させるもの。
 だが、ホリィにはスタンドを操れるだけの精神力が無かった。
それ故に彼女のスタンドは負の方向に作用した。
原因であるDIOを見つけ出し、討滅しない限り、彼女の命は長く持たない。
承太郎やジョセフが旅を続ける目的はこれだった。掛ける言葉が咄嗟には見つからなかった。

『この身は単なる養育係。あの方にとっての私が、そのような存在であるなど……。些か以上に恐れ多いのであります』  

 動揺のもう一つの原因の部分にだけ、ヴィルヘルミナは言葉を返した。
 自分は、あの娘にフレイムヘイズとしての生き方や価値観しか教えなかった。
人間として生まれ、育っていれば自然と身に付く筈の常識や感性さえ、必要でないと判断した場合はそうしてきた。全ては自分達の理想とするフレイムヘイズを作り上げるためだ。 
 愛情はあった。その存在が免罪符にならないとしても、ヴィルヘルミナが彼女に向けた愛情に偽りは無かった。
 彼女が無邪気に微笑めば胸の奥に温かな灯が点ったし、彼女が四十度を越える高熱を発して寝込んだ時は、上も下もなく慌てふためいた。

 ……その愛情を向ける一方で、あの娘が『炎髪灼眼の討ち手』足る者で無かった時は、これ迄と同じように外界へ逃がしていたのだろうな、という自覚があった。

 先代『炎髪灼眼の討ち手』にしてヴィルヘルミナの無二の親友、マティルダ・サントメールとの約束を交わしてから数百年。
その約束を果たすべく、ヴィルヘルミナが集めてきた候補者達は無数にいた。
空に浮かぶ『天道宮』の中で、ヴィルヘルミナは時に多数、時に一人の候補者達に鍛錬を授けてきた。
 ヴィルヘルミナは、彼女達の一人一人に愛情を注いだ。その愛情が、彼女達を苛烈な運命に縛り付ける最も強力な鎖であることを知っていたからだ。
 そうしておいて、彼女達が自分達の望む者でないことがわかると外界へと逃がしてきた。
 その際出来る限りの配慮は行ったが、一方的に切り捨てられた彼女達はどう思っただろうか。

 どうして? と哀れみを請うような顔。
 身勝手だ、とこちらを責める顔。
 これからどうしたら、と途方に暮れた顔。
 その一つ一つを、ヴィルヘルミナは覚えていた。 

 彼女達との別れの度、ヴィルヘルミナは自らの業を自覚した。
 自覚して、それでも止めようとは思わなかった。
全ては完璧なるフレイムヘイズを作り出すために。
愛を利用するのではない。愛することで利用するのだ。
そんなことを両手両足の指を全部使っても全く足りないくらい繰り返し続け、あの娘が現れるまで止めなかった。そんな自分に、あの娘の家族を名乗る資格があるものか。

『あの娘の方はそう思ってはいないみたいじゃぞ。素直に受け止めて置けばいいじゃあないか』

 ほがらかに笑うジョセフ。お門違いとは思いつつも、ヴィルヘルミナは彼が恨めしかった。

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最終更新:2008年02月27日 21:14