ふたば系ゆっくりいじめSS@ WIKIミラー
anko2408 とある大学生の卒業論文
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ankoss
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『とある大学生の卒業論文』 17KB
考証 独自設定 セリフほとんどナシ 以下:余白
『とある大学生の卒業論文』
ある街の小さな大学。その大学に勤務している教授は溜め息をついていた。五十名ほどもいるゼミ研究生の卒業論文を読み終
える目途が立たないのだ。
教授が部屋の中を見渡す。その部屋には何もない。自分が座っている白い机を含めて、応接用のこれまた白い机と白い椅子が
置いてあるだけ。この部屋に本棚やロッカー、予定表のホワイトボード、給湯器などは一切置いていない。それどころか、この
部屋に入るためのドアもなければ、窓もなかった。
「コーヒーをブラックで」
教授が自分の机の一部分に手をかざして呟いた。それからすぐに机から電子音が鳴る。
「許可する」
また独り言を呟く教授。すると教授が手をかざしていた位置の少し奥に設置されていた円形のマウスパッドのようなものに、
青い光の粒子が現れ始める。やがて、そこにはまるで最初からその場所にあったようにコーヒーカップが現れた。教授がそのカ
ップを手にし、コーヒーをすすりながら心の中で声を漏らす。
(……物質転送を実用化させた研究者の、なんと偉大なことか……)
今度は教授が座る机の反対側の部屋の壁あたりから電子音。そこにはまるで円筒形の電話ボックスのような形をした機械が設
置されている。しばらしくして、部屋の中に声が聞こえてきた。
「教授。 私です。 A107341、です」
「……A107341、入室を許可する」
先ほどから教授が手をかざしているのは、指紋を用いた認証装置である。この部屋の全システムは指紋登録されている教授を
大学のマザーコンピューターが認識しない限り作動しない。一呼吸置いて、円筒形の転送装置に先ほどのコーヒーカップと同様
に青い光の粒子が現れ、今度は人間の姿を形成していった。
「遅くなりましたが、後期のレポートを提出しに来ました」
「ああ、構わんよ。 だが、来年からは期限を守るようにしなさい。 これが企業だったら期限を過ぎれば、マザーコンピュ
ーターにブロックされて成果物を提出することさえもできなくなってしまうのだから。 すぐにクビになってしまうぞ」
「すみません……」
「いや、いい。 こうやって分かっていけば問題はないんだ。 早く行きたまえ。 時間は有効に使いなさい」
「ありがとうございます。 ……失礼いたします」
その学生はまた、先ほどのアルファベットと数字を転送装置に告げると、光の粒子に姿を変えて霧のように消えてしまった。
A107341は学生のコード番号である。大学側は学生の名前を一切把握していない。住所や電話番号は大学全体のマザーコ
ンピューターが全て管理している。大学内の人間はお互いのことをコード番号でしか知らない。それは個人情報保護法が更に厳
しくなった結果である。
人類は、ある一人の天才科学者によって一世紀前とは比較にならないほど、高度な文明を築き上げた。世界共通の電子マネー。
物質転送。言語の自動翻訳。この三つを軸に、“世界中の誰もがどこへでも移動でき、また働くことができる”という概念を作
り出した。結果、もはや国境は意味をなさず、世界は“地球”という一つの国に生まれ変わったのである。
教授が飲み終わったカップを机の小型転送装置の上に置いて、命令を下すとカップは先ほどの学生と同じように消えてしまっ
た。そして、次の論文を開くようコンピューターに命じる。瞬間、教授の目の前にホログラフが現れ、そこにレポートの内容が
映し出された。教授は今日一日これを繰り返していたのである。その論文に目を通す教授。次第に目の色が変わっていく。
「これは……。 また、ぶっ飛んだ発想をする学生がいたものだな……」
教授は改めて、その論文を一から見直すことにした。
【文明の進歩に見るゆっくり誕生論について(予察)】
Y006489
一、はじめに
生物として絶望的なフォルムを呈し、自然界で生きていくことは限りなく不可能に近いとされながら、今日まで絶滅せずに生
き残っているのは奇跡としか言い様がないゆっくり。ゆっくりはどういうわけか人間を恐れながらも人間と関わろうとする傾向
が見てとれる。その手段は様々ではあるが、友好的に挨拶をしてくるゆっくり。出会うや否や、「あまあまもってこい」と主張
するゆっくり。また、頼んでもいないのに「かわいいちびちゃん、みせてあげるね」と言い出すゆっくり。
筆者は、このゆっくりの行動に関して常々疑問に思っていた。飼いゆっくりや野良ゆっくりはともかく、野生ゆっくりさえ人
間の危険性を知っていると同時に話しかけてくることがあるのだ。ゆっくりとはいったい何なのか。なぜ、ゆっくりという生き
物が我々の前に現れたのか。
本稿では、これまで過去に蓄積された膨大なゆっくり研究のデータを改めて見直し、筆者なりの考察を含めてゆっくりの正体
について考えていきたい。
二、研究史
ゆっくりは21世紀初頭に突如として人類の前に姿を現した。初めはれいむ種とまりさ種の二種類しかいなかったが、その種
類は時間経過と共に増えていった。生物学者はこのゆっくりという生き物の正体を探るべく日夜研究に明け暮れ、多くのゆっく
りが実験の犠牲になった。そうした研究の積み重ねの上で、ゆっくりの生態や中身について一定の研究成果が上がっているが、
現在に至るまで不明な点があまりにも多すぎてゆっくり研究に関する論議は尽きるところを知らない。ゆっくりの正体について
研究者に尋ねてみても、答に窮するのは間違いないだろう。ゆっくりが生き物であるとするならば、なぜ中身が餡子やカスター
ドしか入っていないのに生きることができるのかと問われるはずだ。ゆっくりが饅頭であるとするならば、なぜ他の生物と同じ
ように社会を築き上げることができるのか。そもそも、なぜ動けるのか、人語を解し喋ることができるのか。どちらの説を取っ
ても矛盾するのである。ゆっくりについての論議は今なお交わされるものの、決定打に至るような説は出てこない。
また、ゆっくりには胴なしゆっくりと、胴付きゆっくりがいる。胴つきゆっくりは一見すれば少女のような姿をしているが、
中身は胴なしゆっくりと同じく餡子やカスタードである。しかし、手足を有するため胴なしゆっくりと比べて行動の幅が広く、
これまで様々なことに利用されてきた。その中でもPSD(プレミアムすっきりドール)の確立は胴付きゆっくり研究の集大成
とも言えるようなものであった。胴付きゆっくりは胴なしゆっくりよりは賢いとは言え、自己主張の強さなどは胴なしゆっくり
と大差ない。しかし、PSD開発者はそんな基本的にはゆっくりであることに変わりない胴つきゆっくりを、完全に従順な性的
隷属者として作り上げたのである。これは、ゆっくりでも人間が“然るべき教育”を施せば、人類と同様の人格形成が可能であ
ることを証明している。
そんな胴付きゆっくりが如何にして生まれたのかは明らかにされていない。胴付きゆっくり同士を交配させれば胴付きゆっく
りの子供を宿すが、自然界ではなかなかそれが見られない。胴なしゆっくりから胴体が生えるという説もあるが、実際にそれを
立証した研究者も今のところはいない。
これが現在に至るまでのゆっくり研究の現状である。
三、ゆっくりの生態について
ゆっくりは基本的に家族単位、もしくは群れ単位で活動することが明らかにされている。仲間意識が強く、裏切者に関しては
制裁という名目で処刑することも辞さない。ゆっくりは主に木の根や岩陰などを利用して、いわゆる「おうち」と呼ばれる巣穴
の中で暮らしている。活動時間は概ね朝の七時から夕方六時くらいまでの間。「おうち」で家族の面倒を見るゆっくりと、外に
出て「狩り」と言う食糧調達をするゆっくりとに役割を分けて活動を行う。それ以外の時間は巣穴に籠もり、ゆっくりしている。
しかし、野生、飼い、野良問わずゆっくりという生き物には常に死の危険が伴う。強大な敵を前にした場合、親ゆっくりは子
ゆっくりを守るために頬に空気をためて威嚇しながら立ちふさがる。しかし、攻撃手段も防御手段ももたないゆっくりは、威嚇
以上の行動を取ることができずに、大抵何もできないまま殺されてしまう。守られていた子ゆっくりも親ゆっくりの死を前に硬
直してしまい、そのまま一緒に殺されることが殆どだ。ゆっくりは、家族愛だけは異常なほどに強いと言える。
ゆっくりは様々な言葉を用いる。「ゆっくりしていってね!!!」の挨拶を筆頭に食事の際には「むーしゃ、むーしゃ、しあ
わせー」と叫ぶし、眠りにつく時には「すーやすーやするよ」と宣言する。人間を基準にすれば語彙は恐ろしく少ないのだが、
それでもゆっくり同士ではコミュニケーションが取れている。つまり、ゆっくりはコミュニケーションに関して最低限の語彙は
備えているのだ。
ゆっくり親子の日常を観察していると、実に多様な方法で一日の暇を潰していることが伺える。草の上をころころと転がって
遊んだり、どちらがより高くのーびのーびできるか競い合ったり、どちらのあんよが速いかかけっこをしてみたりと、生きてい
くこと自体が困難な割には驚くほど暇つぶしの方法を知っているのだ。数匹で寄り添って日向ぼっこをしている姿もよく見かけ
る。基本的には綺麗好きなのか、小川で自分の体を洗ったりしているゆっくりも中にはいる。しかし、水に入ると皮がふやけて
死んでしまうのを本能で知っているのか、「おみずさんはゆっくりできない」とか「おぼれちゃうよ」などと水を怖がる個体も
いるようだ。器用なまりさ種は帽子のツバに赤ゆっくりを乗せてトランポリンの要領で“高い高い”をしてあげたりする。その
時も赤ゆっくりは嬉しそうに笑いながら「おそらをとんでるみたい!」と叫ぶのだ。
ゆっくりは他の生物に比べて感情の起伏が激しい。また、感情表現の方法だけに関して言えば人間と大差ないレベルで豊富で
ある。喜び、悲しみ、怒り、妬み、優越感、劣等感、正義感と思った以上に感情の引き出しが多いことに気付く。特に恋愛観に
ついては他の動物が決して持ち合わせないような感情を有している。好きな相手に対して素直になれないゆっくりはありす種に
多い。それ故にありす種はゆっくりの中でも晩婚が多いと言われている。れいむ種やぱちゅりー種は、自分から告白する勇気が
ない個体が多い。告白するのは大抵まりさ種だ。まりさ種は恋愛に対して積極的であると言える。ゆっくりたちの恋愛の基本的
な流れは、「ゆっくりしていってね!!!」という挨拶から始まり、次はすーりすーり、そして、ちゅっちゅ。間にらぶらぶち
ゅっちゅを挟むかはカップルで分かれるが、それから「ずっといっしょにゆっくりしようね」というプロポーズを経て、性行為
であるすっきりー!に至る。ゆっくりは野生動物であるにも関わらず羞恥心を持ち合わせている。野生動物には必要のない感情
であるはずなのだが、極端なゆっくりともなると、「初めてのすっきりー!の相手は自分の好きな相手じゃないと嫌だ」という
考えを持つ者も少なくない。そんなすっきりー!未経験のゆっくりを無理矢理すっきりー!させると、「ばーじんさんがぁぁぁ」
と悲観に暮れる。
そんなゆっくりたちの基本的な移動手段はあんよを使って這うか、跳ねるかの二種類である。一部のゆっくりは、羽根を使っ
て空を飛んだり、水中に潜れる個体もいるが決して多くはない。ゆっくりの構造上、皮が破れて中身が漏れてしまうことは命の
危険に繋がるので、実は移動するという行為自体が自殺行為に等しいレベルであるのだが、なぜ、ゆっくりはそれでも移動をし
ようとするのだろうか。もちろん、そうしなければ生きていけないからである。それなのにあんよを含めたゆっくりの皮は決し
て丈夫であるとは言えない。ゆっくりにとって、この世界は決して優しいとは言えな“かった”。
そこで筆者はこんな事を考えてみたのである。「ゆっくりの生態レベルでまともに暮らすことのできる世界とはどんな世界で
あろうか」と。
四肢を持たないゆっくりが日々に脅かされることなく生活できる世界。そんなものがあれば、それは間違いなくゆっくりたち
が求める理想のゆっくりプレイスであると言えるだろう。すなわち、外敵が存在せず、一日中ゆっくりすることができる世界。
それは求めるかどうかは別の話として、人間にとっても理想ので世界であると言えるのではないだろうか。
あんよで十分に移動することができ、手を使わずに道具を操り、少ない語彙でコミュニケーションを図り、可能な限りゆっく
りすることができる。
筆者は、ゆっくりの求める完全な“ゆっくりプレイス”とは、そう遠くないこの世界の未来の姿ではないかと考える。
四、考察
現在、街や建物の至るところに転送装置が設置されている。転送装置は一家に一台あるので、現代の我々が移動を行うために
外に出ることは滅多にない。出たとしても、エスカレーター式の道路で埋め尽くされており、足を使って“歩く”という行為は
最低限に抑えられている。当然、かつて車と呼ばれていたものも走ってはおらず、交通事故などは既に過去の出来事である。過
去のゆっくり研究を遡ると、車に轢かれて死んでしまうゆっくりの数は相当なものだったらしい。移動することはできても、あ
んよを使った這う、跳ねるの行為は危険に気付いてから回避するには余りにも愚鈍な代物であり、一歩一歩の距離が極端に短い
子ゆっくりや赤ゆっくりは逃げ遅れて交通事故に巻き込まれていたのだ。しかし、今の道路は当時とは違う。そもそも車が走っ
ていないし、エスカレーター式の道路はゆっくりのあんよを傷つけず安全に、しかもゆっくり親子の歩幅の差に関係なく目的地
まで運んでくれる。転送装置も利用すればそれこそ、どこへだって行くことができるだろう。
人間が街の中という完全に完結した世界の中で暮らしていれば新たに自然に手を出す必要もない。事実、市街地から一歩外に
出ればそこには広大な森が広がっている。ゆっくりは市街地の端まで転送装置で移動し、食糧が豊富に蓄えられた森で狩りを行
えばいいのだ。
人類の進化を示す事象として、「縮小・簡略化の歴史」という事実が挙げられる。例えば、縄文時代に作られた縄文土器は、
独創性に富み、現代の立場から言わせてもらえば不必要なほどに装飾が施されている。ところが、時代が流れ弥生時代に入ると
そういった装飾性は薄れていき、シンプルな弥生土器へとその姿を変えていく。これは、稲作が始まり水の管理やクニの防衛な
どの時間に手間を割かれ、土器に装飾を施す余裕がなくなったからであると言う説がある。つまり、人類は“手間のかかる事”
を徐々に削っていくのだ。連絡を取る為に移動する時間を削るために、電話が生まれた。より多くの情報をより多くの人々に伝
えるためにテレビやラジオが生まれた。歩く距離を少なくし、移動時間を短縮するために様々な交通機関が生まれた。それらは、
全て“簡略化の歴史”の範疇にある。日常において便利なことは簡略化の延長上にあるのだ。更に、最初期の携帯電話を思い出
してもらえればわかるが、現代の人間にあれを携帯して歩こうとするものはいないだろう。あの“大きな携帯電話”は技術の進
歩に合わせてどんどん小さくなっていき、最終的にはポケットに入るサイズにまで縮小された。記録媒体に関しても同じである。
CDがMDに。それからメモリースティック、SDカード……とどんどん小型化していくのである。ある人物は、「物の小型化
の果てに物は全て消えてなくなるのではないか」という言葉を残した。そして、今の時代を思えばそれは正解に近かったと言わ
ざるを得ない。携帯電話という媒体がなくても、街のマザーコンピューターを介せば連絡が取れるため必要がなくなった。記録
媒体に関してもマザーコンピューターが厳重なセキュリティシステムの元、一括管理を行っている。テレビもラジオも車も、何
もかも消えていったのだ。
つまり、ゆっくりは「縮小・簡略化の歴史」の果てに誕生した存在であるとは考えられないだろうか。今の自分たちでさえ及
ばないような高度な文明社会の中で生きてきたゆっくりであれば、言うなれば「発展途上の世界」で生きていくことは困難を極
めるだろう。仮にゆっくりがそういう世界の中で生きていた存在であると仮定しても、解けない謎がある。舞台装置は人類の文
明レベルの果てに構築されるとして、それではゆっくりという生き物はどこにその初源を求めるのか。筆者はここでも「縮小・
簡略化の歴史」を元にゆっくりの正体を推察してみたのである。
エスカレーター式の道路。転送装置。やがてこれ以上の移動手段が開発されると仮定して、“人間に足は必要となるだろうか”。
いつか声紋のみで認証可能なコンピューターシステムが生み出されたとき、あらゆる作業をコンピューターに任せることができ
るようになった世界で、“人間に手は必要となるだろうか”。筆者は、ゆっくりこそが“縮小・簡略化の果てに進化した人間の
姿”なのではないかと考える。「何を馬鹿なことを」と笑われることは百も承知であるが、それだといくつか説明がつく部分も
あるのだ。前述の“ゆっくりの生態”と照らし合わせながら考えていきたい。
人間は、基本的に群れ社会である。犯罪者は逮捕され、場合によっては死刑判決を受けるだろう。人間は「お家」の中で暮ら
し、概ね朝七時から夕方六時くらいまでの間、職場で仕事をしているはずだ。
もし、家族が危険に晒されたとき、親は自分の命を賭して子を守ろうとするだろう。野生動物を前に丸腰の人間ができること
など、家族の前に立ちはだかることぐらいでそこに勝利の可能性は一片たりとも、無い。
人間は大なり小なり、コミュニケーションを取って生きている。挨拶を交わすことを基本とし、多くの感情を交えながらも他
者と関わりながら生きている。
人間は地に足をつけて生きる生き物である。そして、それは多くのゆっくりにも同じことが言えるだろう。ゆっくりの言葉に
注目してほしい。「おそらをとんでるみたい」、「おぼれちゃうよ」。この言葉こそ、ゆっくりが人間と何らかの関係性を示唆
するものだとは考えられないだろうか。人間は空を飛べない。人間は水の中で生活できない。それはほとんどのゆっくりにとっ
ても同じことだ。一部のゆっくりは空を飛べるし、水中で生活することもできる。だが、空を飛べるゆっくりは「おそらをとん
でるみたい」という言葉は言わないだろう。なぜなら、本当に空を飛んでいるのだから。水中で生活できるゆっくりも同様に、
溺れるという概念はないはずだ。それにも関わらず、ゆっくりたちは先の二つの言葉を使う。しかし、その言葉は人間のように
本来、空も飛べず水中で生活することもできない存在だから生まれる言葉ではなかろうか。では、なぜ、その言葉をゆっくりが
同じように使うのだろう。
恋愛観に関しては、もうほとんど人間と言ってしまってもいいくらいに似通った感情を有している。
つまり、ゆっくりが人間のような感情を持っているというわけではなく、人間が長い長い時間をかけて少しずつゆっくりに変
化していったのだとすれば、自然界の中で生きるにあたり不必要なまでの感情を持っていることに説明がつかないだろうか。そ
して、人間からゆっくりへと変化していく過程に、“胴付きゆっくり”がいるのではないか。もちろん、筆者の考察は穴だらけ
であることは言うまでもないが、一つの可能性として提示することはできるように思う。未来の人間の姿がゆっくりであるとす
れば、なぜゆっくりが現代の我々と共に生きているのかの説明ができないが、これについては一つだけ推測できることがある。
知ってのとおり、ゆっくりは21世紀初頭にそれまでの生物の進化論や生態系全てを無視して人間の前に現れた。その原因は、
これから先の未来で起こるかも知れない“大規模な転送装置の事故”によるものではないだろうか。時間軸システムの崩壊によ
り、過去に飛ばされてしまったのではないか。推論に推論を重ねる形で判然としない結論となってしまったが、筆者はゆっくり
の正体とは未来の人類の姿ではないかと考えている。故に、ゆっくりは人間と関わろうとするのではないだろうか。
五、おわりに
ゆっくりには謎が多い。仮にゆっくりが人類の進化した姿だったとして、中身が餡子やカスタードになっているのは何故か。
妊娠して何故頭から茎が生えてくるのか。挙げていけばキリがないように思う。
本稿ではゆっくり誕生論というゆっくり研究者たちにとって、最も分からないことが多い部分にあえて触れることで一石を投
じる形とした。筆者の勉強不足と稚拙な論述のせいで至らない部分は多々あるとは思うが、先達のご指導・ご鞭撻をいただけれ
ば幸いと感じる次第である。
教授が思わず溜め息をつく。背もたれに背を預け、苦笑いをしながら真っ白な天井を見上げた。
(私たちが……将来、ゆっくりに変化していく……か)
それから教授が声を上げて笑う。椅子から立ち上がった教授が壁の認証装置に手をかざすと壁の一部分が透明になり、そこか
ら街を見下ろした。転送装置がメインの移動手段になりつつある昨今。人間はなかなか外に出てこない。だから、代わりにゆっ
くりがふらふらと入り込んでくる。教授が街に入り込んできたれいむとまりさを見ながらこめかみの辺りをかいた。ぴょんぴょ
ん飛び跳ねていた二匹は、やがて道路が自動的に動いていることに気付いたのか跳ねるのをやめた。
「…………」
教授は、エスカレーター式の道路に乗ったれいむとまりさを見えなくなるまで目で追い続けていた。
La Fin
考証 独自設定 セリフほとんどナシ 以下:余白
『とある大学生の卒業論文』
ある街の小さな大学。その大学に勤務している教授は溜め息をついていた。五十名ほどもいるゼミ研究生の卒業論文を読み終
える目途が立たないのだ。
教授が部屋の中を見渡す。その部屋には何もない。自分が座っている白い机を含めて、応接用のこれまた白い机と白い椅子が
置いてあるだけ。この部屋に本棚やロッカー、予定表のホワイトボード、給湯器などは一切置いていない。それどころか、この
部屋に入るためのドアもなければ、窓もなかった。
「コーヒーをブラックで」
教授が自分の机の一部分に手をかざして呟いた。それからすぐに机から電子音が鳴る。
「許可する」
また独り言を呟く教授。すると教授が手をかざしていた位置の少し奥に設置されていた円形のマウスパッドのようなものに、
青い光の粒子が現れ始める。やがて、そこにはまるで最初からその場所にあったようにコーヒーカップが現れた。教授がそのカ
ップを手にし、コーヒーをすすりながら心の中で声を漏らす。
(……物質転送を実用化させた研究者の、なんと偉大なことか……)
今度は教授が座る机の反対側の部屋の壁あたりから電子音。そこにはまるで円筒形の電話ボックスのような形をした機械が設
置されている。しばらしくして、部屋の中に声が聞こえてきた。
「教授。 私です。 A107341、です」
「……A107341、入室を許可する」
先ほどから教授が手をかざしているのは、指紋を用いた認証装置である。この部屋の全システムは指紋登録されている教授を
大学のマザーコンピューターが認識しない限り作動しない。一呼吸置いて、円筒形の転送装置に先ほどのコーヒーカップと同様
に青い光の粒子が現れ、今度は人間の姿を形成していった。
「遅くなりましたが、後期のレポートを提出しに来ました」
「ああ、構わんよ。 だが、来年からは期限を守るようにしなさい。 これが企業だったら期限を過ぎれば、マザーコンピュ
ーターにブロックされて成果物を提出することさえもできなくなってしまうのだから。 すぐにクビになってしまうぞ」
「すみません……」
「いや、いい。 こうやって分かっていけば問題はないんだ。 早く行きたまえ。 時間は有効に使いなさい」
「ありがとうございます。 ……失礼いたします」
その学生はまた、先ほどのアルファベットと数字を転送装置に告げると、光の粒子に姿を変えて霧のように消えてしまった。
A107341は学生のコード番号である。大学側は学生の名前を一切把握していない。住所や電話番号は大学全体のマザーコ
ンピューターが全て管理している。大学内の人間はお互いのことをコード番号でしか知らない。それは個人情報保護法が更に厳
しくなった結果である。
人類は、ある一人の天才科学者によって一世紀前とは比較にならないほど、高度な文明を築き上げた。世界共通の電子マネー。
物質転送。言語の自動翻訳。この三つを軸に、“世界中の誰もがどこへでも移動でき、また働くことができる”という概念を作
り出した。結果、もはや国境は意味をなさず、世界は“地球”という一つの国に生まれ変わったのである。
教授が飲み終わったカップを机の小型転送装置の上に置いて、命令を下すとカップは先ほどの学生と同じように消えてしまっ
た。そして、次の論文を開くようコンピューターに命じる。瞬間、教授の目の前にホログラフが現れ、そこにレポートの内容が
映し出された。教授は今日一日これを繰り返していたのである。その論文に目を通す教授。次第に目の色が変わっていく。
「これは……。 また、ぶっ飛んだ発想をする学生がいたものだな……」
教授は改めて、その論文を一から見直すことにした。
【文明の進歩に見るゆっくり誕生論について(予察)】
Y006489
一、はじめに
生物として絶望的なフォルムを呈し、自然界で生きていくことは限りなく不可能に近いとされながら、今日まで絶滅せずに生
き残っているのは奇跡としか言い様がないゆっくり。ゆっくりはどういうわけか人間を恐れながらも人間と関わろうとする傾向
が見てとれる。その手段は様々ではあるが、友好的に挨拶をしてくるゆっくり。出会うや否や、「あまあまもってこい」と主張
するゆっくり。また、頼んでもいないのに「かわいいちびちゃん、みせてあげるね」と言い出すゆっくり。
筆者は、このゆっくりの行動に関して常々疑問に思っていた。飼いゆっくりや野良ゆっくりはともかく、野生ゆっくりさえ人
間の危険性を知っていると同時に話しかけてくることがあるのだ。ゆっくりとはいったい何なのか。なぜ、ゆっくりという生き
物が我々の前に現れたのか。
本稿では、これまで過去に蓄積された膨大なゆっくり研究のデータを改めて見直し、筆者なりの考察を含めてゆっくりの正体
について考えていきたい。
二、研究史
ゆっくりは21世紀初頭に突如として人類の前に姿を現した。初めはれいむ種とまりさ種の二種類しかいなかったが、その種
類は時間経過と共に増えていった。生物学者はこのゆっくりという生き物の正体を探るべく日夜研究に明け暮れ、多くのゆっく
りが実験の犠牲になった。そうした研究の積み重ねの上で、ゆっくりの生態や中身について一定の研究成果が上がっているが、
現在に至るまで不明な点があまりにも多すぎてゆっくり研究に関する論議は尽きるところを知らない。ゆっくりの正体について
研究者に尋ねてみても、答に窮するのは間違いないだろう。ゆっくりが生き物であるとするならば、なぜ中身が餡子やカスター
ドしか入っていないのに生きることができるのかと問われるはずだ。ゆっくりが饅頭であるとするならば、なぜ他の生物と同じ
ように社会を築き上げることができるのか。そもそも、なぜ動けるのか、人語を解し喋ることができるのか。どちらの説を取っ
ても矛盾するのである。ゆっくりについての論議は今なお交わされるものの、決定打に至るような説は出てこない。
また、ゆっくりには胴なしゆっくりと、胴付きゆっくりがいる。胴つきゆっくりは一見すれば少女のような姿をしているが、
中身は胴なしゆっくりと同じく餡子やカスタードである。しかし、手足を有するため胴なしゆっくりと比べて行動の幅が広く、
これまで様々なことに利用されてきた。その中でもPSD(プレミアムすっきりドール)の確立は胴付きゆっくり研究の集大成
とも言えるようなものであった。胴付きゆっくりは胴なしゆっくりよりは賢いとは言え、自己主張の強さなどは胴なしゆっくり
と大差ない。しかし、PSD開発者はそんな基本的にはゆっくりであることに変わりない胴つきゆっくりを、完全に従順な性的
隷属者として作り上げたのである。これは、ゆっくりでも人間が“然るべき教育”を施せば、人類と同様の人格形成が可能であ
ることを証明している。
そんな胴付きゆっくりが如何にして生まれたのかは明らかにされていない。胴付きゆっくり同士を交配させれば胴付きゆっく
りの子供を宿すが、自然界ではなかなかそれが見られない。胴なしゆっくりから胴体が生えるという説もあるが、実際にそれを
立証した研究者も今のところはいない。
これが現在に至るまでのゆっくり研究の現状である。
三、ゆっくりの生態について
ゆっくりは基本的に家族単位、もしくは群れ単位で活動することが明らかにされている。仲間意識が強く、裏切者に関しては
制裁という名目で処刑することも辞さない。ゆっくりは主に木の根や岩陰などを利用して、いわゆる「おうち」と呼ばれる巣穴
の中で暮らしている。活動時間は概ね朝の七時から夕方六時くらいまでの間。「おうち」で家族の面倒を見るゆっくりと、外に
出て「狩り」と言う食糧調達をするゆっくりとに役割を分けて活動を行う。それ以外の時間は巣穴に籠もり、ゆっくりしている。
しかし、野生、飼い、野良問わずゆっくりという生き物には常に死の危険が伴う。強大な敵を前にした場合、親ゆっくりは子
ゆっくりを守るために頬に空気をためて威嚇しながら立ちふさがる。しかし、攻撃手段も防御手段ももたないゆっくりは、威嚇
以上の行動を取ることができずに、大抵何もできないまま殺されてしまう。守られていた子ゆっくりも親ゆっくりの死を前に硬
直してしまい、そのまま一緒に殺されることが殆どだ。ゆっくりは、家族愛だけは異常なほどに強いと言える。
ゆっくりは様々な言葉を用いる。「ゆっくりしていってね!!!」の挨拶を筆頭に食事の際には「むーしゃ、むーしゃ、しあ
わせー」と叫ぶし、眠りにつく時には「すーやすーやするよ」と宣言する。人間を基準にすれば語彙は恐ろしく少ないのだが、
それでもゆっくり同士ではコミュニケーションが取れている。つまり、ゆっくりはコミュニケーションに関して最低限の語彙は
備えているのだ。
ゆっくり親子の日常を観察していると、実に多様な方法で一日の暇を潰していることが伺える。草の上をころころと転がって
遊んだり、どちらがより高くのーびのーびできるか競い合ったり、どちらのあんよが速いかかけっこをしてみたりと、生きてい
くこと自体が困難な割には驚くほど暇つぶしの方法を知っているのだ。数匹で寄り添って日向ぼっこをしている姿もよく見かけ
る。基本的には綺麗好きなのか、小川で自分の体を洗ったりしているゆっくりも中にはいる。しかし、水に入ると皮がふやけて
死んでしまうのを本能で知っているのか、「おみずさんはゆっくりできない」とか「おぼれちゃうよ」などと水を怖がる個体も
いるようだ。器用なまりさ種は帽子のツバに赤ゆっくりを乗せてトランポリンの要領で“高い高い”をしてあげたりする。その
時も赤ゆっくりは嬉しそうに笑いながら「おそらをとんでるみたい!」と叫ぶのだ。
ゆっくりは他の生物に比べて感情の起伏が激しい。また、感情表現の方法だけに関して言えば人間と大差ないレベルで豊富で
ある。喜び、悲しみ、怒り、妬み、優越感、劣等感、正義感と思った以上に感情の引き出しが多いことに気付く。特に恋愛観に
ついては他の動物が決して持ち合わせないような感情を有している。好きな相手に対して素直になれないゆっくりはありす種に
多い。それ故にありす種はゆっくりの中でも晩婚が多いと言われている。れいむ種やぱちゅりー種は、自分から告白する勇気が
ない個体が多い。告白するのは大抵まりさ種だ。まりさ種は恋愛に対して積極的であると言える。ゆっくりたちの恋愛の基本的
な流れは、「ゆっくりしていってね!!!」という挨拶から始まり、次はすーりすーり、そして、ちゅっちゅ。間にらぶらぶち
ゅっちゅを挟むかはカップルで分かれるが、それから「ずっといっしょにゆっくりしようね」というプロポーズを経て、性行為
であるすっきりー!に至る。ゆっくりは野生動物であるにも関わらず羞恥心を持ち合わせている。野生動物には必要のない感情
であるはずなのだが、極端なゆっくりともなると、「初めてのすっきりー!の相手は自分の好きな相手じゃないと嫌だ」という
考えを持つ者も少なくない。そんなすっきりー!未経験のゆっくりを無理矢理すっきりー!させると、「ばーじんさんがぁぁぁ」
と悲観に暮れる。
そんなゆっくりたちの基本的な移動手段はあんよを使って這うか、跳ねるかの二種類である。一部のゆっくりは、羽根を使っ
て空を飛んだり、水中に潜れる個体もいるが決して多くはない。ゆっくりの構造上、皮が破れて中身が漏れてしまうことは命の
危険に繋がるので、実は移動するという行為自体が自殺行為に等しいレベルであるのだが、なぜ、ゆっくりはそれでも移動をし
ようとするのだろうか。もちろん、そうしなければ生きていけないからである。それなのにあんよを含めたゆっくりの皮は決し
て丈夫であるとは言えない。ゆっくりにとって、この世界は決して優しいとは言えな“かった”。
そこで筆者はこんな事を考えてみたのである。「ゆっくりの生態レベルでまともに暮らすことのできる世界とはどんな世界で
あろうか」と。
四肢を持たないゆっくりが日々に脅かされることなく生活できる世界。そんなものがあれば、それは間違いなくゆっくりたち
が求める理想のゆっくりプレイスであると言えるだろう。すなわち、外敵が存在せず、一日中ゆっくりすることができる世界。
それは求めるかどうかは別の話として、人間にとっても理想ので世界であると言えるのではないだろうか。
あんよで十分に移動することができ、手を使わずに道具を操り、少ない語彙でコミュニケーションを図り、可能な限りゆっく
りすることができる。
筆者は、ゆっくりの求める完全な“ゆっくりプレイス”とは、そう遠くないこの世界の未来の姿ではないかと考える。
四、考察
現在、街や建物の至るところに転送装置が設置されている。転送装置は一家に一台あるので、現代の我々が移動を行うために
外に出ることは滅多にない。出たとしても、エスカレーター式の道路で埋め尽くされており、足を使って“歩く”という行為は
最低限に抑えられている。当然、かつて車と呼ばれていたものも走ってはおらず、交通事故などは既に過去の出来事である。過
去のゆっくり研究を遡ると、車に轢かれて死んでしまうゆっくりの数は相当なものだったらしい。移動することはできても、あ
んよを使った這う、跳ねるの行為は危険に気付いてから回避するには余りにも愚鈍な代物であり、一歩一歩の距離が極端に短い
子ゆっくりや赤ゆっくりは逃げ遅れて交通事故に巻き込まれていたのだ。しかし、今の道路は当時とは違う。そもそも車が走っ
ていないし、エスカレーター式の道路はゆっくりのあんよを傷つけず安全に、しかもゆっくり親子の歩幅の差に関係なく目的地
まで運んでくれる。転送装置も利用すればそれこそ、どこへだって行くことができるだろう。
人間が街の中という完全に完結した世界の中で暮らしていれば新たに自然に手を出す必要もない。事実、市街地から一歩外に
出ればそこには広大な森が広がっている。ゆっくりは市街地の端まで転送装置で移動し、食糧が豊富に蓄えられた森で狩りを行
えばいいのだ。
人類の進化を示す事象として、「縮小・簡略化の歴史」という事実が挙げられる。例えば、縄文時代に作られた縄文土器は、
独創性に富み、現代の立場から言わせてもらえば不必要なほどに装飾が施されている。ところが、時代が流れ弥生時代に入ると
そういった装飾性は薄れていき、シンプルな弥生土器へとその姿を変えていく。これは、稲作が始まり水の管理やクニの防衛な
どの時間に手間を割かれ、土器に装飾を施す余裕がなくなったからであると言う説がある。つまり、人類は“手間のかかる事”
を徐々に削っていくのだ。連絡を取る為に移動する時間を削るために、電話が生まれた。より多くの情報をより多くの人々に伝
えるためにテレビやラジオが生まれた。歩く距離を少なくし、移動時間を短縮するために様々な交通機関が生まれた。それらは、
全て“簡略化の歴史”の範疇にある。日常において便利なことは簡略化の延長上にあるのだ。更に、最初期の携帯電話を思い出
してもらえればわかるが、現代の人間にあれを携帯して歩こうとするものはいないだろう。あの“大きな携帯電話”は技術の進
歩に合わせてどんどん小さくなっていき、最終的にはポケットに入るサイズにまで縮小された。記録媒体に関しても同じである。
CDがMDに。それからメモリースティック、SDカード……とどんどん小型化していくのである。ある人物は、「物の小型化
の果てに物は全て消えてなくなるのではないか」という言葉を残した。そして、今の時代を思えばそれは正解に近かったと言わ
ざるを得ない。携帯電話という媒体がなくても、街のマザーコンピューターを介せば連絡が取れるため必要がなくなった。記録
媒体に関してもマザーコンピューターが厳重なセキュリティシステムの元、一括管理を行っている。テレビもラジオも車も、何
もかも消えていったのだ。
つまり、ゆっくりは「縮小・簡略化の歴史」の果てに誕生した存在であるとは考えられないだろうか。今の自分たちでさえ及
ばないような高度な文明社会の中で生きてきたゆっくりであれば、言うなれば「発展途上の世界」で生きていくことは困難を極
めるだろう。仮にゆっくりがそういう世界の中で生きていた存在であると仮定しても、解けない謎がある。舞台装置は人類の文
明レベルの果てに構築されるとして、それではゆっくりという生き物はどこにその初源を求めるのか。筆者はここでも「縮小・
簡略化の歴史」を元にゆっくりの正体を推察してみたのである。
エスカレーター式の道路。転送装置。やがてこれ以上の移動手段が開発されると仮定して、“人間に足は必要となるだろうか”。
いつか声紋のみで認証可能なコンピューターシステムが生み出されたとき、あらゆる作業をコンピューターに任せることができ
るようになった世界で、“人間に手は必要となるだろうか”。筆者は、ゆっくりこそが“縮小・簡略化の果てに進化した人間の
姿”なのではないかと考える。「何を馬鹿なことを」と笑われることは百も承知であるが、それだといくつか説明がつく部分も
あるのだ。前述の“ゆっくりの生態”と照らし合わせながら考えていきたい。
人間は、基本的に群れ社会である。犯罪者は逮捕され、場合によっては死刑判決を受けるだろう。人間は「お家」の中で暮ら
し、概ね朝七時から夕方六時くらいまでの間、職場で仕事をしているはずだ。
もし、家族が危険に晒されたとき、親は自分の命を賭して子を守ろうとするだろう。野生動物を前に丸腰の人間ができること
など、家族の前に立ちはだかることぐらいでそこに勝利の可能性は一片たりとも、無い。
人間は大なり小なり、コミュニケーションを取って生きている。挨拶を交わすことを基本とし、多くの感情を交えながらも他
者と関わりながら生きている。
人間は地に足をつけて生きる生き物である。そして、それは多くのゆっくりにも同じことが言えるだろう。ゆっくりの言葉に
注目してほしい。「おそらをとんでるみたい」、「おぼれちゃうよ」。この言葉こそ、ゆっくりが人間と何らかの関係性を示唆
するものだとは考えられないだろうか。人間は空を飛べない。人間は水の中で生活できない。それはほとんどのゆっくりにとっ
ても同じことだ。一部のゆっくりは空を飛べるし、水中で生活することもできる。だが、空を飛べるゆっくりは「おそらをとん
でるみたい」という言葉は言わないだろう。なぜなら、本当に空を飛んでいるのだから。水中で生活できるゆっくりも同様に、
溺れるという概念はないはずだ。それにも関わらず、ゆっくりたちは先の二つの言葉を使う。しかし、その言葉は人間のように
本来、空も飛べず水中で生活することもできない存在だから生まれる言葉ではなかろうか。では、なぜ、その言葉をゆっくりが
同じように使うのだろう。
恋愛観に関しては、もうほとんど人間と言ってしまってもいいくらいに似通った感情を有している。
つまり、ゆっくりが人間のような感情を持っているというわけではなく、人間が長い長い時間をかけて少しずつゆっくりに変
化していったのだとすれば、自然界の中で生きるにあたり不必要なまでの感情を持っていることに説明がつかないだろうか。そ
して、人間からゆっくりへと変化していく過程に、“胴付きゆっくり”がいるのではないか。もちろん、筆者の考察は穴だらけ
であることは言うまでもないが、一つの可能性として提示することはできるように思う。未来の人間の姿がゆっくりであるとす
れば、なぜゆっくりが現代の我々と共に生きているのかの説明ができないが、これについては一つだけ推測できることがある。
知ってのとおり、ゆっくりは21世紀初頭にそれまでの生物の進化論や生態系全てを無視して人間の前に現れた。その原因は、
これから先の未来で起こるかも知れない“大規模な転送装置の事故”によるものではないだろうか。時間軸システムの崩壊によ
り、過去に飛ばされてしまったのではないか。推論に推論を重ねる形で判然としない結論となってしまったが、筆者はゆっくり
の正体とは未来の人類の姿ではないかと考えている。故に、ゆっくりは人間と関わろうとするのではないだろうか。
五、おわりに
ゆっくりには謎が多い。仮にゆっくりが人類の進化した姿だったとして、中身が餡子やカスタードになっているのは何故か。
妊娠して何故頭から茎が生えてくるのか。挙げていけばキリがないように思う。
本稿ではゆっくり誕生論というゆっくり研究者たちにとって、最も分からないことが多い部分にあえて触れることで一石を投
じる形とした。筆者の勉強不足と稚拙な論述のせいで至らない部分は多々あるとは思うが、先達のご指導・ご鞭撻をいただけれ
ば幸いと感じる次第である。
教授が思わず溜め息をつく。背もたれに背を預け、苦笑いをしながら真っ白な天井を見上げた。
(私たちが……将来、ゆっくりに変化していく……か)
それから教授が声を上げて笑う。椅子から立ち上がった教授が壁の認証装置に手をかざすと壁の一部分が透明になり、そこか
ら街を見下ろした。転送装置がメインの移動手段になりつつある昨今。人間はなかなか外に出てこない。だから、代わりにゆっ
くりがふらふらと入り込んでくる。教授が街に入り込んできたれいむとまりさを見ながらこめかみの辺りをかいた。ぴょんぴょ
ん飛び跳ねていた二匹は、やがて道路が自動的に動いていることに気付いたのか跳ねるのをやめた。
「…………」
教授は、エスカレーター式の道路に乗ったれいむとまりさを見えなくなるまで目で追い続けていた。
La Fin