魔導師VS吸血鬼

バルディッシュがしきりに呼びかけてくれているけれど、ほとんど耳に入らない。



地面がびちゃびちゃしている。

びちゃびちゃに湿った腐葉土の匂いと、まだ生温かい血の匂いが混じり合って、
地獄のような臭気が立ちこめる。

倒れそうなほどの、濃い、血の臭い。

血の海から臭う。
空気から臭う。
私から臭う。
私の髪から、体から、指先から、バルディッシュから。

――私が殺した男の子から、臭いが立ち込める


殺したのは、私。

この血だまりを創り出したのは私。

お母さんを助ける為に、何も悪くない男の子を殺したのは私。

『マスター! マスター!』

いつになく焦った、バルディッシュの声。
呼びかけが、警戒のそれに変わっていた。

きっと、警戒すべき『何か』がある。
デバイスの警告はきかなければいけない。
でければ、命にかかわる。
わたしはまだ死ねない。

全て理解していた。

わたしは母さんを助けなきゃいけない。
ここで死んだら、たった今、人を殺した意味さえなくなってしまう。

頭ではそう分かっているのに、動かない。
壊れた傀儡兵のように、体の色んな機能が止まっている。

――もしかしたら、死んでもいいやと思っているのかもしれない。

『マスター、高速で接近しています! 防御を!』

バルディッシュの声がいちだんと鋭くなる。
やっと顔を上げる。
のろのろと、視界が前を剥く。







――『狼』がいた。

すぐ鼻先に、おおきなあぎとをぱっくりと開けて。



 +   +   +

適当に移動していた上弦がその『力』を感知したのは、偶然だった。
『適当に』と言っても、『狼』に変化した吸血鬼の速度は、自動車に匹敵する速さだったが。

満月を見上げ、いい月だと思っていた時だった。

『力』に対する認識反応が、頭にノイズを走らせる。

吸血鬼の感じる『力』は種類を問わない。
人によっては霊力とも呼ぶし、妖力とも呼ばれる。
それが吸血鬼であろうと妖怪だろうと幽霊だろうと、『異能』でさえあれば吸血鬼には分かる。
おそらく、主催者の言っていた『魔法』とやらの『力』でさえも。
『未知の力』は、大きかった。
だから、上弦はそいつを『強そう』だと思い、『楽しめそう』だと予感した。

そして、上弦が感じたことのない、不思議な力だった。
大きいのだが、安定している。大人しいが、微弱ではない。
吸血鬼の『力』を燃え盛る炎に例えるなら、その『力』は豪壮なシャンデリアのように絶妙の均衡で安定していた。
だから、『もしかして』とも思っていた。
早くも、『魔法』とやらの『力』に、遭遇したのかもしれない、と。

『力』を目指し、四肢を躍動させて疾走した。
まもなく、とても慣れ親しんだ臭いを吸血鬼の嗅覚に捕らえる。
血だまりの、いい臭いだった。

舌舐めずりした上弦の眼前に、果たして期待していた血の海があらわれた。
血の海の真ん中に、死体がひとつ。
そして、血まみれの人間が座っていた。

――なんだ、小娘か。

吸血鬼の『夜目』に輝く金髪の小さな頭を見て、軽く落胆する。
もちろん、外見と能力は必ずしも一致しない。
不老である吸血鬼こそが、その最たる例だ。
何より、少女が発する巨大な『力』は、まぎれもなく実力者のそれ。
染みついた血臭からも、少女こそが血だまりの製作者であるのは明らかだ。
にもかかわらず上弦を落胆させたのは、生気を失ってへたりこむ、力ない姿。

一言で言えば、放心状態。
余裕を持って数十メートルの距離で停止した上弦にすら反応しない、腐抜けた様子。

その原因が、血だまりに関係するのかどうかは分からないが、『殺し合い』という環境に対応できていないことは明白。
なるほど、彼女は何らかの能力を持っているらしい。
しかし、『殺し合い』に関しては素人だ。
上弦はそう判断する。

上弦は戦うことが好きだ。
獲物の悲鳴を聞くのが好きだ。
獲物を殺すことが好きだ。
しかし、あそこまで戦意のない相手に、一つ目の手段は期待できない。
また、相手が『魔法』使いかも知れない以上、三つ目を実行するわけにもいかない。
だから、上弦は二つ目を楽しむことにした。

前傾姿勢をとり、身体じゅうに『力』を漲らせる。
『力』をつぎ込まれた『狼』の身体が、通常の三倍ほどへと膨れ上がる。
跳躍。
『魔法』とやらのことを知っているか聞きだす必要はある。
しかし、逆に言えば口がきける状態『さえ』保っていれば問題ない。

――『狼』に腕を食いちぎられたらどんな顔をするのか、それを見てみるのも悪くない。

虎のような巨躯を存分に躍動させ、上弦は少女の眼前に迫った。



――顔をあげて、おおきく見開いた少女の眼。



上弦は、ぞろりと牙を見せて嗤った。



 +   +   +

『Defencer!』

防いだのはフェイトではなくバルディッシュだった。

――ガキン!

瞬時に金色の盾が発生。
狼の突撃を殺し、長い牙をがっちりと受け止める。

――ギリ

盾の向こうから、強い『圧力』がのしかかる。
金色の光の向こうに、むき出しになった大きな牙が透けて見える。
牙とシールドが『噛みあう』形になり、薄い盾一枚をへだて、命を狩り取る牙がせまる。

(…………何なの?)

その牙を見て、フェイトはようやく現実を理解する。
ありえない狼だった。
灰色の針のような剛毛。
アルフの三倍はある巨大な体躯。

(使い魔? ……それにしては、凶暴すぎる!)

ぼたぼたとこぼれる、黄色いよだれ。
血のように宝石のように、真っ赤な瞳。
めり、と狼の前足が地面にめりこんだ。
体重をかけられたあぎとが、めりめりとディフェンサーにヒビを入れる。

(力が、強い)

確かにディフェンサーは最低限の防御呪文であり、強度は決して高くない。
しかし、ただの野生動物に破られるほど脆弱なものでは、決してない。

めり、めり

金色の盾が崩壊を始めると、狼の放つ殺意が直にフェイトを直撃する。

――ぐるるるる…………

『非殺傷設定』を持つ魔導師が、決して経験したことにない、本物の『悪意』。
牙を有するあぎとの端がますます裂けて、『嗤い』の表情を形作る。
まるで、フェイトの抵抗を楽しむかのように。
その気になれば、いつでも『食べられる』と言わんばかりに。
よだれでベトベトになった、ナイフのような牙が、目の前に、



――怖い。



「――ライトニングバインド!」
震える声が、勝手に叫んでいた。



無数の魔法陣が、二人の周囲で幾つも展開。
『狼』はきょとんと瞬きするも、敢えて回避を取ることなくそれらを観察する。
その余裕が、それでいて狼からあふれる膨大な『力』が、怖かった。

――ガキ!
金色の光輪が、狼の四肢を拘束した。

(逃げる、今はとにかく逃げる!)
その結果を見届けることなく反転。
飛行能力の全てを動員し、夜空へと逃げる。

どういうわけか、いつもほど飛行速度は出なかった。
これも主催者の男が言っていた『不公平を是正するための措置』なのだろうか。
しかし、考えている余裕など無かった。

(『アレ』は危ない! よく分からないけど危ない!!――)

『アレ』はゲームに乗っているようだから放置してもゲーム進行に貢献できるとか、
そういう計算が働いたわけでは全くなかった。
とにかく『アレ』と関わってはいけない。
どっと湧き出た冷や汗に体を冷やし、とにかく少しでも遠くへと飛んだ。



 +   +   +

「しゃらくさい」

少女が出した『金色の枷』の正体は分からないし興味深いが、
『吸血鬼』にとっては何の拘束にもならない。

破壊の不可能な『謎の光』に対する戸惑いと興味。
上弦の動きが止まったのは、小娘が逆方向を向いて飛び上がるまでの短い時間だった。

体内に軽く『力』を溜める。

変化。片腕を『狼』から『霧』へ。
個体から気体へと変わった上弦の前足が、拘束からするりと抜け出す。

ぎゅん、と加速する少女は、上空十数メートルの位置にいた。

翼もなしに飛んでいると驚きながらも、上弦はどうしようかと思案する。

拘束から抜けることは容易い。
問題はその速さが上弦より上らしいことだ。
『蝙蝠』に化ければ空を飛ぶことはできるが、速さでは劣る。
『霧』にも対空能力はあるが、同様に追いつくことは不可能。

ならば。

考えるのは、ほんの数秒だった。
七百年余りの生で多くの妖怪と戦ってきた上弦には、当然に『速く飛ぶ敵』への攻略法も用意している。

体の一部に『分裂変換』の指示。
『少し時間をおいた後に変化しろ』と、命令を出す。

己の腹――それも、主要な内臓器官を避け、脂質からできている部分――をまさぐり、爪をあてる。
己の肉体に鍵爪を立て、腹からひとつかみの肉塊をえぐりだす。

吸血鬼の尋常ならざる強肩を使い、超高速で『その肉塊』を投擲した。



 +   +   +

顔の真横を、『何か』がびゅんと、通過した。



――お肉?



何故か、そんな連想が起こった。

視界の端に微かに見えた残像が、赤みがかった色をしていたからだろうか。
お肉屋さんに並ぶ、赤と白の牛肉のイメージ――。

驚異的な速度で投げつけられた『何か』は、フェイトより上空の高度へと達し、

黒く、膨らんだ。
倍ほどの大きさに膨張して、

破裂した。

無数に、破裂した。

空中に拡散した羽虫のようなそれらは、

蝙蝠だった。

一体一体が、小さな翼と牙を持つ、蝙蝠だった。


無数の黒い塊が、散開してフェイトに襲いかかった。

「きゃっ――」

全身にたかり、まとわりつく蝙蝠に、思わず悲鳴が漏れる。
決して脅威となる攻撃ではない。
元より、フェイトの体はバリアジャケットに守られている。
飛びまわる羽虫に傷つけられるはずがない。
しかし、蝙蝠たちはそれを心得たかのように『うっとおしい場所』を狙って来た。

眼球。耳。鼻。口。脇の下。金髪の中。

デバイスで撃ち落とすことの難しい――それでいて、確実にフェイトの飛行を妨害する箇所。

フェイトがいくら速くても、視界がきかなければ飛べない。
『小さすぎる』からこそ凪ぎ払うことも撃ち落とすことにも向かない。

(邪魔……!)

ぶぉん! とバルディッシュを振りまわす。
数匹の蝙蝠が吹き飛ばされ、懲りずに再度まとわりつく。

『蝙蝠』たちの目的が、フェイトの逃亡阻止にあることは明らか。
なら、『これ』を操るのは、まぎれもなくあの『狼』。
フェイトの集中力を緩めてバインドを解くつもりなのか、あるいはバインドが解けるまでの時間稼ぎをするつもりなのか。

どちらにせよ、“敵”が未だに狙っている以上、時間をさくわけにはいかない。

「はあっ!!」



――バチン!



黄金の閃光が弾ける。
魔力の瞬間的な放出。
電流のような閃光をあびて、体にたかる蝙蝠が一斉に弾かれた。
技と呼べるほどでもない、無理やりに炸裂させた魔力だったが、羽虫を掃うには充分なものだ。

(大丈夫、集中は解けてない……)

フェイトはほっと息を吐きかけ、
『マスター、バインドの補足物がロストしました』
バルディッシュの報告に、身をこわばらせた。
「……何所にいるか、分かる?」
全身を目にしたように神経をとがらせて地上を見渡す。

『上です!』

バルディッシュの警告は、予想外の方角から。

見上げる。
巨大な蝙蝠。
――違う。
蝙蝠の翼のように袂をはためかせた、着物の女だった。

肌が、ぞわりと泡立った。



黒い『殺意』が、上空から、振って来た。



(叩き落とす……!)

どうしてバインドを抜けた、などと考えている暇はない。
一瞬でバルディッシュをサイズフォームへ。
敵の“移動手段”がしかと分からない以上、かわすよりも迎撃するのが得策。

『Scythe Slash』

黒髪と黒い着物をはためかせ、笑顔の女性が3メートルの距離に迫る。
鋼鉄をも切り裂く金色の『鎌』が、大きく弧を描いて女性の胸元へと吸い込まれ――



――スカ



女性が――消えた。

必殺の威力がこめられた光の鎌は大きく空を斬り、バルディッシュに混乱のノイズが発生する。

(転移魔法――違う。座標を指定する様子なんてなかった。
じゃあ? どうなったの? どこへ――)

どこに表れるか分からない以上、下手に移動することはできない。
バルディッシュをぎゅっと握りしめ、フェイトは全方位を警戒する。


密度のごく薄い、『魔力反応』。


いつのまにかバインドを仕掛けられたような、悪寒だった。
冷気――否、湿気が、バリアジャケットの上からまとわりつく。
ひやりとした、濃密な気配。
湿気というよりも、そう、それは――

ひやりと冷たい肌が、バリアジャケットをつかんだ。



「つぅかまぁえた」



――それはまるで、『霧』。

無邪気な声と共に、空気が急に密度を上げて女の姿に変わった。

フェイトの細い四肢に、白く冷たい素肌が絡みつく。

フェイトの腕に、白蛇のような腕が。
フェイトの脚に、柔らかくも硬く締まった脚が。
フェイトの腰に、着物の大きくはだけた股が。
フェイトの背中に、衣ごしに女の柔らかい胸が。


「くっ――」

――バチッ

魔力を放出して振り落とそうとしても、女性は静電気にあったように鼻を鳴らしただけだった。
ハァ、と熱い吐息がうなじにかかる。
野生の獣のように生臭い臭いがして、フェイトはおそるおそる振り返った。

「色々と聞きたいことはあるが――まずは味見させてもらおうか」

首から下は、女の胴だった
首から上は――


『狼』が、大きな大きな口を開けていた。


「いただきます」

生まれて初めて、『食われる恐怖』というものを知った。



 +  +  +

――ガキン!


見えない磁場に阻まれたように、少女の肩が牙をはじいた。

――え?

鋼を噛んだような不快感。

どこからどう見ても柔らかい少女の素肌に、牙が全く通らない。

上弦の頭を疑問が埋める。

――なぜ?

上弦は初めて『魔導師』と戦った。
『異能の戦い』に対する経験則はあっても、『魔法の知識』は皆無だった。
フェイトの着用する薄い衣服が、魔導師の最終防衛ライン――バリアジャケットだと知らない。
たとえ衣服の強度を知っていたとしても、バリアジャケットは『肌が露出した部分』をも保護するとまで知らない。

どこから見ても無防備な子どもの肌を、『よく分からないもの』が包んでいるという理解不能に、上弦の頭が一瞬、空白になり――

『Photon Lancer』
小娘の杖から、低い声。

「ぐぁっ」

どこからか飛来した光球が上弦の肩口をえぐった。
灼熱の痛みに、力が抜ける。
その隙をついて、するりと拘束から抜け出す少女。

少女からもぎ話された上弦の体が、落下。

(こざかしい真似を――!)

空中で『蝙蝠』に変化。
滞空を保ったのは、小娘との距離をある程度たもつ為。
何故なら、距離を開けすぎると『変化』の命令が飛ばせなくなるから。

(だが、無意味だ)

にぃ、と嗤う。

なるほど、小娘の体は、『何らかの力』に守られているらしい。
――しかし、体の『内側』はどうだろう。

『霧』は、思考力はないが移動力はある。よって簡単な自立行動の命令なら出せる。
少女に纏わせた『霧』の内、ごく一部を鼻孔から、口から、体内へと侵入させることも容易い。

小娘に防御能力はあっても、内側の『肉体』は人間並みの強度だろう。
なぜなら『盾』や『外装』とは、肉体の損傷を防ぐために装備するものだから。

その『霧』には、ある程度時間をおいて『変化しろ』と指示を出す。

――『狼』が己の腹を食い破って『こんにちは』をしたら、あの小娘はどんな顔をするだろうか。

滞空した『蝙蝠』の姿のまま凄絶な笑みで顔を歪め、
――はたと、上弦は思い出した。



(殺してしまって、いいのか?)



そもそもの目的は、『魔法使いの捕獲』だ。
それをしないことには、上弦に枷をはめた『呪い』の正体が分からない。
確かに小娘との戦闘は殺意を掻き立てたが、激情に任せて殺しては本末転倒。
『目的を達成できなかった』ということは、『上弦の負け』に他ならない。
そして上弦のプライドは、『負け』を決して認めない。



結果を言えば、そうやって迷ったのがよくなかった。



『Photon Lancer』

小娘の持っていた杖が、再び光った。

『霧』ではなく『分裂』を選択。
その選択が正解だったことを、上弦は1秒後に知った。

秒速100メートル超の光球は、上弦が『変化』し終えるよりはるかに速かった。

瞬時に片腕からつくった『蝙蝠』が、身代わりになって着弾した。
全身を『霧』にしていたのでは、間に合わずに直撃していた。

今度の光弾は、大きかった。
先ほど食らった一撃は、上弦と少女が密着していたからこそ、手加減されたのだと知る。
直撃は避けたが、それでも半径十五メートル規模の爆発が発生。
『蝙蝠』の上弦は大きく吹き飛ばされた。

爆風に大きく煽られ、南へ、南へと。

そして――



 +  +  +

爆風が消えた場所に、その女性はいなくなっていた。

死んだのだろうか。
それとも、先刻のように、何らかの方法で逃げたのか。


――どうでもいい。


今、フェイトの意識は1メートルでも遠くへ逃げることに向けられていた。
『アレ』の移動手段が、空中戦ではなく奇襲に特化されていると分かった以上、あの場にとどまる意味はない。

猛スピードで流れ去る地上の景色をぼんやりと見つめる。
改めて、フェイトは己に言い聞かせた。

アレは間違いなく『実験』に乗っている。
だからアレを相手にする必要はない。
アレは、勝手に他の参加者を殺していく。
アレは、放置した方がゲーム進行に貢献する。
むしろ、正面から相手にしたら殺されかねない。

以前のフェイトなら考えられないほど、身勝手な考えだった。
しかし、恐怖という感情が本来の良心を追いやった。

食われる恐怖。
対峙する恐怖。



全身が、改めて震えた。



体が、動いていた。
あの赤い瞳に睨まれて、フェイトなど丸呑みできそうなあぎとに晒されて、恐怖が体を動かした。

自分が手を汚した殺人者だということも、
お母さんが危ないから死ねないとか、そういう理屈も、
全て頭から吹きとんでいた。

私は、罪悪感を感じていたはずなのに。
罪もない人を殺したという、重みの為に動けなかったはずなのに。
殺されても仕方がない人間だと思っていたのに。
それでも、母さんだけは助けなきゃと、殺し合いに乗っていたはずだったのに。

『死ぬ』と恐怖した時、体が動いていた。

――わたしは、自分が死にたくなかった。

ただただ、死にたくないとバインドを発動させ、生き延びることだけを考えて戦った。

なんて、浅ましい。醜い。

――母さんが、私を嫌っていたのも当たり前だ。
今ならそれが、よく分かる。

結局のところ、私は母さんの役に立ちたかったんじゃなくて、
私が、母さんに誉めてほしかったから。
自分可愛さに、母さんの為に働いていただけだったのだ。
きっと、見返りを求める私が醜く映っていたから、だから母さんは、私に罰を与えてばかりだったんだ。



――帰れない。



たとえ私が最後の一人になって、母さんを助けられたとしても、その時わたしは母さんのところに、帰れない。

真っ赤な手で、母さんには会えない。
『わたしは母さんじゃなくて自分が一番可愛いんだ』と分かっているのに、
母さんには会えない。
元より、殺人者なのだ。母さんに合わせる顔がない。

帰れない。
帰れない。
帰れない。
帰れない。
帰れない。
帰れない。
帰れない。



――ああ、そうか。
だから主催者の男の人は、わたしを『ジョーカー』に指名したのか。

わたしが、あさましくて自分が可愛い人間だから。
戦っていれば、いずれこうして帰る場所を失ってしまうから。
そうなれば、
……もう、すがるものが、ひとつしかなくなってしまうから。



価値の無い命なら、その命でたった一人だけは助ける。

行く場所がないのなら、残された仕事、ひとつだけは成し遂げる。

せめて、自分の為じゃなく、大切な人の為に人を殺す。



――せめて、自分が生きるためじゃなくて、母さんを生かす為に。


わたしは、飛んだ。

金髪に染みついた血の匂いが、消えない。

【G-8/工場地帯上空/一日目 深夜】

【フェイト・テスタロッサ@魔法少女リリカルなのは】
[状態]魔力消費(小)、精神的疲労、金髪が血まみれ、絶望
[道具]基本支給品一式、主催者からの手紙
『盾』のカード@カードキャプターさくら(六時間後まで使用不可)
『幻』のカード@カードキャプターさくら(六時間後まで使用不可)
[思考]基本・お母さんを助けるために殺し合いに乗る
1・逃げる。とにかく逃げる。
2・殺し合いに乗ってお母さんを助ける。その後、お母さんの元には戻るつもりはない。
※飛行魔法に速度制限がかかっています。


 +   +   +

バキバキメキメキと、木の葉が落下の衝撃を勝手に殺してくれた。
落葉樹の枝を突き抜け、灌木のしげみをクッションにして、ようやく体が止まる。
上弦は大きく息を吐いた。

爆風に、吹き飛ばされた。
それは間違いない。
吹き飛ばされながら、流れゆく地上の景色がぼんやり目にうつり、

その景色が、かっちりと切り替わった。
まるで、別の場所へと一瞬でワープしたかのように、下界の景色が別の森に変わっていた。

――何が、起こった?

これもあの小娘の能力なのか。
それとも別の作用なのか。
ただひとつ分かったのは、あの小娘から『距離を開けられた』ということ。

ギリ、と強く歯で唇をかむ。
犬歯がずたずたに唇を傷つけ、しかしその程度の傷は、すぐに吸血鬼の体質で『再生』される。

――獲物を仕留め損ねたのはどれぐらいぶりだろうか。

全身に負った火傷は、それほど深くない。
『再生』にも時間はかからないだろう。
抉り取った腹部と、片腕にしても同様だ。
片腕の喪失は重大な損傷だが、そもそも『変化』によって自ら切り離したもの。
攻撃によって切断された場合よりも、回復はずっと速い。
ただ、肩の損傷はしばらく時間がかかるだろう。おそらく、神経が焼き切られている。

冷静に傷口を分析しながら、上弦の心中は黒い怒りに燃えていた。
人間に負けた。
特殊な『力』を持つとはいえ、下等種族である『人間』の小娘に負けた。
捕まえたときに間近で嗅いだ臭いは、まぎれもなく吸血鬼にとっての『獲物』である、人間の匂いだった。
そのことも、上弦の憤懣のひとつ。
それだけではない。

――殺そうと思えば、あっさり殺せたのに。

その状況で負けたことが、ことさら上弦のプライドを傷つけていた。
つまりそれは、不完全燃焼。
しかし上弦は、己の戦術ミスを敵におしつけるほど、愚かではない。
何がいけなかったのか。その原因もきちんと割り出す。

――何と言うことはない。先入観にとらわれていたのだ。

敵は『異能の力を持つ』という先入観に。
多くの『異能の力を持つ』妖怪と戦ってきた上弦は、だからこそある一点を忘れていた。
少女は確かに『力』を持っていたが、結局のところ『人間の小娘だ』ということを。

人間ならば、血を吸うことができる。

手加減などする必要はなかった。
いくら内臓を食い破ったとしても、それで即死することはないはずだ。
ならば、死ぬ前に捕まえて血を吸ってしまえばよかったのだ。
血を吸って殺せば、吸血鬼になるのだから。
吸血鬼にすると、簡単に死ななくなるから

――どんなに拷問しても、どんなに楽しんでも、死なずに済む便利な体になったのに。

どす黒い憎しみが、上弦の体で暴れ狂う。
屈辱は、何倍にしても返す。
今度会った時は、決して手加減も容赦もしない。

――潰してやる。

皮膚を潰して骨を砕いて、――『膜』を引き裂いて。

奴隷にした人間で『遊ぶ』方法も、上弦は多く知っている。
あの年ならば、間違いなく処女であるはずだ。
ならば、『膜』も再生する。
それも上弦は経験から知っている。

『その光景』を想像して、上弦は少しだけ気分を良くした。

怒りで火照った顔に、夜風が冷たい。

気分が上向きになったところで、空を見上げる。
そこにあるのは、先刻まで見ていたのと同じ、まんまるのお月さまだった。
もちろん、月というものはどこの夜空にもあるものだが。
しかし。

「ここは……」

幼い子どものように不思議そうに小首をかしげた。
それは、何の邪念もない純粋な疑問。
そのあどけない表情を見れば、誰もこの少女が殺戮を楽しむ化け物だとは思わないだろう。

――ここは、どこだろう?


【F-1/森の中/一日目 深夜】

【上弦@吸血鬼のおしごと】
[状態]『力』を消費(小)、肩を負傷(再生中)、腹部損傷(再生中)、
全身に軽度の火傷(再生中)、右腕のひじから先、消失(再生中)、
激怒の真っ最中
[道具]基本支給品一式、不明支給品1~3(確認済み)
[思考]基本:魎月(月島亮史)とツルを連れて生還する。手段は問わない。
それが不可能なら、せめて魎月だけは生還させる。
1・ここはどこだ?
2・少し休んで、傷口の『再生』を待つ。
3・従者を使って人数減らしをさせる。自らも参加者を殺していく。
4・金髪の小娘はただでは済まさない。
5・人間風情と慣れ合うつもりはないが、『魔法』の関係者はとりあえず確保。
6・魎月と再会する。ツルとは早めに合流する。
7・日がのぼった際の拠点を確保する。(地下鉄に興味)
8・全てが終わったら、『清隆』を八つ裂きにする。
※4巻、亮史と再会する直前からの参戦です。(舞を知らない時期から来ているので、名簿の「雪村舞」には気づいていません。)
※会場の外に出ため、F-8からF-1へとワープしました。


※会場にはワープ機能があります。会場の外に出ると、南端から北端へ、東端から西端へ移動します。(当然、その逆にもワープします)

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最終更新:2011年11月18日 09:31
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