【1日目、朝、海岸沿い、高樹朝子】
明け始めた空に、うおんうおんとサイレンが響き、続いてノイズ混じりのアナウンスが告げられている。
その内容を、アサコはさして聞いてはいない。
あのステージで口上を述べていた、そして鉄の棺から目覚めたときに聞いた、芝居がかった男のそれである事と、そしてやはりそこで語られた「罪を償った犯人」の中に、先程目の前で殺された、ケイイチの名が述べられていた事くらいだ。
庚塚啓一。自らをヤクザだと言い、手にした拳銃でアサコと他2人の男達を脅して、「手分けをして殺して回れ」と言い、そしてあまつさえ…アサコを陵辱しようとした男。
アサコが襲われている最中、何者かがケイイチを殴り飛ばした。
手にしていたアレは、多分スコップか何かだ。土木作業で使うような、両手持ちで土を掬い砂利を運ぶ様な、大きなもの。
それで、アサコにのしかかっていたケイイチを、後ろから殴り倒し、たたきのめし、そして最期には…喉を抉って、殺した。
殺した、のだろう。あの場、あのとき、あの男が。
あの男。
暗く、陰になっていた為、はっきりとは分からない。
分からないが、多分あの男は、アサコが最初にケイイチに脅され、あの作業場で正座させられたときに、その前から座らさせにれていた、背の低い男だろう。
だとすれば、彼はもう1人の小太りの男と共に作業場を出てから、再び戻ってきて様子をうかがい、ケイイチを殺した。
何故? 何のために?
アサコが陵辱されかけているのを見て、助けてくれたのか?
そうではないか。いや、そうであって欲しい、という気持ちがある。
であれば、彼は恩人だ。そしてこの場このとき、そのように助けてくれる誰が居るというのは、幸運であるとも思える。
けれども、そうではないかも知れぬ、とも思う。
助けるというだけなら、殴り倒し銃を奪うだけでも、なんとかなった…かもしれない。
彼はケイイチを殴り倒し打ち据えて、何等問答も逡巡も無く殺した。
打って、打って、打って、打ち据えて、完膚無きまで叩きのめし……それから、手にしたスコップで、その喉を抉り、血しぶきを浴びていた。
はなから、殺すつもりで戻ってきた。アサコが陵辱されているかどうかとは関係なく。
その可能性がぬぐえない。
従うふりをして油断させ、背後から襲う。
あの男がケイイチと出会ったハナからそういう計画を立てていたという事も、考えられる。
これらのいくつかの可能性を、アサコは明確に順序立て整理して考えていたわけではない。
ただ、不信感と目の前で人が殺された事への恐慌が、アサコを駆り立てていて、その理由を明文化するとすれば、このようになると言うだけだ。
その不信感の元は、ケイイチが口にした言葉にある。
つまり、「人を故意に殺したのは、アサコとあの小男の2人」であるという、その事だ。
小太りの男は、車の事故で誤って人を死なせたと言っていた。
しかし、アサコは、痴情の縺れからの殺人である。
ケイイチ曰くの武勇伝はどこまで本当かは分からない。放送では彼もまた事故のようなものと言っていたと思う。
では、あの小男は?
あの暗い目を思い出す。
やぶにらみに、周囲を伺うような無表情な目。
それが、周囲への警戒心と怯えからのものととれば、ごく普通の反応とも思える。
しかしそれが、いつ誰をどう殺すべきかを周到に計算してのものであると考えると……。
安心できない。安心できないし、むしろケイイチのような粗暴で短慮なだけの男よりも、理解できず空恐ろしい。
アサコが先程感じた、ケイイチへの異質さ、恐ろしさをなお上回って、あの小男の事は理解を絶する怪物のように思えてきている。
そして、さらに。
アサコはあの小屋を出て後再度、目の当たりにしてしまった。
闘争を。
そのときのことを思い出し、そしてまた独り、アサコはぶるりと身震いをした。
放送より、数時間ほど前。
まだ日が昇りきらず、水平線より僅かに顔を出した、ほの明るい日の光が、周囲に漠とした輪郭を描き出した頃だ。
どこをどう歩き、どう進んだものか。アサコははっきりと分からぬまま、海沿いの茂みに、身を潜めるようにして居た。
この島に来て、何故だか殺し合いをするよう命ぜられ、そして出会った3人の男のうち1人が1人を殺す場面を見てしまった。
人を殺したことがある。だから、人を殺すことも、殺される場面を観ることも平気だ、等と言うことは、ない。
アサコは恐れていた。そして恐れているのにもかかわらず、警戒心が薄れてもいた。
恐れは、人の目を曇らせる。いままさに、アサコの目は曇っている。
だから、今自分がどこをどう歩いてきたのか。それが、周りから観てどれほど不用心かも、自覚できずにいるし、その男がすぐ側に来ている事にも、気がつかなかった。
始めに感じたのは、熱だ。熱い、と言っても、火傷するような高温ではない。ただ、けだるく湿った空気の中に、もわっとした体温が感じられた。
次は、匂い。酒だ。
酷く痛飲した、酔っ払いの吐き出す息の匂い。
アサコの頭上から吐き出されている荒い息が、アルコールの臭気をまき散らしている。
熱。匂い。
そして、音。
ごり、っという音が、何の音かはしかと分からない。
ただ気がついたときは、二つの熱の塊が、アサコの周りで蠢いていた。
反射的にしゃがみ込んでいた。両足をぺたりと砂地に付けて、へたり込んだ様な姿勢で、両手で顔を覆う。
どっ。
がっ。
ぎっ。
ばっ。
肉と肉、或いは骨と骨が、ぶつかり合い、凌ぎ合い、絡み合い、伸び、縮み、そして離れる。
薄く目を開けて、やはりそれが、2人の男が絡み合い組み合うことで生じる音だと分かった。
髪を短く刈り揃えた、タンクトップを着た精悍で痩身の男と、それより頭一つほど大きな、同じく髪を刈り上げた顔を赤くした筋肉質の男。
どちらが、どの様な経緯でこうなったのかは分からない。
ただ分かるのは、顔の赤い男が、先程寸前に感じた酒気の正体だという事だけだ。
既に2人は、アサコのことなど知らぬかのように、ただお互いの体を絡め合い、或いは手刀や蹴りで、或いは腕を取り脚を極め、砂地の上で二匹の大蛇の如く争っている。
争い。
目の前で行われているそれが正に争いであり、そしてこの島が今殺し合いの場であるという事だけが、今のアサコに明確に分かっている事の全てであった。
その場から走り去ったのか、或いは這い逃げたのか。
アサコはその事すらも自覚できないでいた。
【1日目、早朝、海岸沿い、樫屋賢吾】
腕を取られる。
捻り、体をねじり、相手の力をいなして捌く。
動きはさして早くない。
酔っている。それは吐く息と顔の紅潮ですぐに分かった。
しかし、酔っているとは思えぬほどに、この男の力は強い。
特に、握力だ。
完全に掴まれれば、恐らく振りほどくのは至難の業だ。
ただ、その攻撃が鈍く精度に欠けるのが、ケンゴに利していた。
ケンゴが見たそのとき、男は一人の女に襲いかかる瞬間であった。
女の着衣は乱れ、息も荒く怯えているように見えた。
何があったか。何をしようとしているか。
聞くよりも先に、手が出る。
少なくとも、男のしようとすしている事を制する方が先決だと思ったし、それより何よりも、この場で何をどう聞けば適切なのかが、ケンゴには分からなかった。
同行者、ではない。それは多分正解だったのだと思う。
勿論確証はないが、もしそうであれば男の動きはあまりに不自然であったし、女の方もそこで何か言ってきたはずだ。
男の動きは、酔っていることを踏まえても、格闘技経験者というには鈍かった。
ケンゴからすれば、街の喧嘩自慢程度のものだと言える。
ただ、ケンゴにとって不利な点が二つある。
一つは当然、ケンゴが最大の武器である拳を自ら封印している点。
もう一つは、男が酔っているが故に、痛みに鈍感な点だ。
これが、本当にただの街の喧嘩自慢相手であれば、ダメージが少なく、けれども痛みを与える様な攻撃をする事で、怯ませることが出来る。
平手でも良い。痛点を強く握ってやっても良い。投げ技、極め技は得意ではないが、それでも方法はある。
それが、この男には通じない。
はたいても打っても、男はぬらりとそれを受け流す。まるで堪えた様子はない。
そして再び組み付き、力任せにケンゴの体を崩し、地面に転がって締め付けてくる。
それから抜け出す度に、ケンゴは激しく消耗した。
格闘技経験は無いようだったが、それでも男は、こちらの動きに巧く対応してくる。
そしてときには、ケンゴが仕掛けようとしている様な、痛点への攻撃すら仕掛けてくるのだ。
肘の内側を強く握られ、ケンゴは悲鳴を上げる。腱の付け根であり、大人だろうと子どもだろうと関係なく、激痛が走る場所だ。
喉の奥から発せられる、ぐわっ、という声は、獣の咆吼のようでもあった。
腕を振ってはね除けようとし、今度はケンゴ肘が、男の脇腹を突く。
ぐふっ。
悲鳴か。或いは笑い声か。
しかし、ケンゴよりも肉厚で重みのあるその体は、やはりまるで堪えていないようだった。
絡めとられ、結果馬乗りになった。
仰向けに空を仰ぎ見る状態のケンゴに、覆い被さる様に男が跨り、全体重を預けてくる。
拙い。
次の一手で、この男に殺されるかもしれぬ。
絞め殺されるか、縊り殺されるか。何れにせよ楽な死に方には思えない。
ケンゴは痛めつけられなかった左手で、とっさに地面の砂を掴み、男の目に向けて投げつける。
反射的に、男は目をつぶり、両手を顔へと持って行った。
その隙に、のど輪を極めた。
ぐぶっ。
今度ばかりは悲鳴であろう。
男ののど仏と気管を強かに打ち付け、そのまま締め付ける。
左手一本。別に絞め殺そうというワケではない。こうすれば相手は、こちらに力を掛けられなくなるし、逃れようと仰け反る。そこから、体を入れ替えようというのだ。
しかし ―――。
男の次の一手は、ケンゴが想定していないものであり、同時に誰もが予想できるはずのものであった。
ぐぶぶっ。
馬乗りになったままの状態から、男はケンゴの顔面へと、ぼたぼたと吐瀉物をまき散らしたのだ。
そしてそのまま、上半身をゲロ塗れにされたケンゴの上に、ずるりと崩れ落ちる。
しばらく喘いでから、ケンゴはその下から這い出るようにして体を起こす。
酔った男は、既に意識を失っている…いや、寝ているようであった。
酔ったまま激しく動きすぎたのだ。体力の消耗も、ケンゴ以上であっただろう。
酔って、暴れた挙げ句、吐いて、寝てしまった。絵に描いたような酔漢そのものだった。
結局、ゲロまみれになったケンゴは、海でその体とタンクトップを洗い、そのまま酔って眠ってしまった男の側に座り、朝の放送を聞くこととなる。
既に女の姿は無かったが、取りあえず逃げのびたのならばそれで良いと思った。
【参加者資料】
高樹朝子 (タカギ・アサコ)
女・31歳・教員
罪:痴情のもつれの末の殺人
備考:衣服に乱れ
ポイント:100
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11 穢
樫屋賢吾 (カシヤ・ケンゴ)
男・21歳・配管工
罪:暴行による過失致死
備考:空手2段
ポイント:100
最終更新:2011年11月13日 08:44