「ゆっくりできない家」(後編)
まずは、家屋内に侵入する進路を確保する必要がある。
それぞれが持っている貝殻で、窓ガラスを破壊しようと試みる3匹。
だが……そこに最初の難関が立ちはだかった。
「ゆっ!!われないよぉ!!?」「どうじでぇえええぇぇ!!!??」
「いつもはわれるのにいいいぃぃぃいいいぃ!!!」
いつもなら簡単に割ることの出来る窓ガラスが、今日に限っては……まったく破壊する事が出来なかった。
頑丈な貝殻をどんなに叩きつけても…何度も何度も叩きつけても…
窓ガラスにはうっすらとヒビが入るだけで、砕け散ってゆっくりたちの侵入路となることはなかった。
「どうじでわれないのおおぉおぉぉおぉ!?!?」
「これじゃゆっぐじでぎないいいいいぃぃぃぃいぃい!!!」
知能の低い、そして学習するということを知らない饅頭どもは、強化ガラスという存在は知らないし受け入れることも無い。
ただガラスを破壊できないという事実だけが、ゆっくりたちの結束を少しずつ、確実に崩壊へと導いている。
その崩壊を止めたのは、玄関の扉が開く音だった。
現れたのは…他でもない、家の主である。
「さっきからうるさいぞ!誰だよ、こんなイタズラをするのは…」
まさか自分の家の窓を叩いているのがゆっくりだとは思っていないのか、お兄さんは近所の子供を叱り付けるような口調である。
迂闊にも、その大きな声が3匹を呼び寄せる結果となってしまった。
「ゆ!!みんなこっちだよ!!こっちにおにーさんがいるよっ!!」
あっという間に玄関に集い、お兄さんを取り囲む3匹のゆっくりたち。
憎き敵を目の前にして、全員が空気を吸い込んで膨らみ、怒りの表情で威嚇のポーズをとった。
「おいおい…一体何事なんだよ。ゆっくり説明してくれよ」
「ゆ゛っ!まりさたちは、おにーさんをこらしめにきたよ!!」
息を荒くしながら、まりさは怒気を込めて説明するが…
そんな簡単な説明では、お兄さんは自分が置かれた状況を理解できるわけが無い。
「はぁ?よくわからないけど、お兄さんは今忙しいから。それが済んだら遊んであげるからさ、待っててくれるかな?」
「ゆぎゅぅっ!!ふざけないでね!!まりさたちはしんけんにおにーさんをこらしめるんだよ!!」
「うん?…言ってる意味がよくわからないんだけど、そういう遊びをしたいってことかい?」
どうしてここまで言われなければならないのか…恨みを買った覚えは無いのに、とお兄さんは不思議そうな顔をしている。
自分がゆっくりの家を破壊して住処を奪ったことを、朝ごはんの目玉焼きを焦がしてしまった程度の些細なこととしか思っていないのだろう。
お兄さんはまりさたちの怒りの言葉を、ごっこ遊びの台詞としか考えていないようだ。
「あそびっでいうなあぁぁぁぁああぁ!!!まりさだぢばほんぎだぞおおおぉぉぉおおぉおお!!!」
「れいむたちのおうちをこわしたことを、ゆっくりこうかいしてね!……ゆっくりこうげきいいいぃいーーーー!!!」
れいむの合図と共に攻撃を開始する3匹。
貝殻を器用に背負ったまま、お兄さんの足元にバラバラのタイミングで体当たりを繰り返す。
だが、お兄さんはまったく痛がらない。ぜんぜん痛くないのだ。
何故なら、まりさたちは自分の身体でぶつかるだけで、背負った頑丈な貝殻をまったく攻撃に生かしてないからだ。
「ハハハ!そうかそうか、チャンバラごっこで遊びたいんだな。それじゃお兄さんの家の中に入ってね!」
そういって家の中へ入っていくお兄さん。それに続いて、3匹のゆっくりたちも家の中についていく。
「ゆっ!!ゆっくりにげないでね!!」
「ゆっくりおいかけるよ!!」「とかいはのありすからにげられるなんておもわないでね!!」
家の中は、まりさが想像する“人間の家”とは似ても似つかなかった。
家具は殆ど無く、あるのはテーブルと一人分の椅子だけ。ベッドも無くタンスも無く本棚も無い。
「さて…少しだけでいいなら、一緒に遊んであげるよ!ゆっくり掛かっておいで!」
「だからあそびじゃないっでいっでるでしょ!!??ゆっくりりかいしてね!!!」
「ばかにしないでね!!まりさたちのこうげきをうけて、ゆっくりくるしんでね!!!」
これだけ言われれば、さすがに3匹の餡子脳でも馬鹿にされていると自覚できるだろう。
頭に餡子の上った3匹は、先ほどと同じようにバラバラのタイミングでお兄さんに体当たりをしかけていく。
「おお、痛い痛い(笑)」
「ゆっ!!もうすこしでおにーさんをたおせるよ!!えいっ!えいっ!」
「とかいはのこうげきをうけて、ぶじでいられるとおもわないでね!!」
お兄さんが痛がる素振りを見せるので、ゆっくり3匹は自分達の攻撃が効いていると勘違いしている。
もう自分達の勝利は目の前だ、と自信に満ち溢れた笑み。それをみたお兄さんは…今までと同じように、優しく微笑んだ。
「さて、お兄さんもそろそろ本気を出そうかな」
ヒュパッ!!
その瞬間、目の前のれいむとありすの姿が消えるのを、まりさは目撃した。
2匹の貝殻だけが、その場に残されている。
「ゆ……?」
ワンテンポ遅れて、べちゃりと気味の悪い音が後方から聞こえてきた。
それはまるで、大きな饅頭を壁に叩きつけて破裂させたような…そんな音であった。
「ぶじゅあああぁlrぃがあえろがじぇおrgじゃおえr!!??」
「え゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っえ゛っ…!!!」
「どどどっどどうじだのおおおおおおおぉぉぉぉぉふだりどもおぉぉおおぉぉぉぉぉ!!??」
仲間の悲鳴を聞いて、まりさは初めて何が起こったのかを理解した。
振り向くと、そこには壁に張り付いてびくびく痙攣しているれいむとありすの姿があった…
加わった圧力に耐え切れなかった皮が破れて、2匹は傷口からそれぞれの中身をだらしなく漏らしている。
「れいむうぅぅううぅうぅぅぅ!!!ありずううぅぅうあうぅっぅぅ!!!ざっぎまでがっでだのにどうじでええぇぇぇえぇぇぇ!!??」
「あっちゃー、ちょっと力入れすぎたかな。あはははは…ゴメンね♪」
ゆっくりにとって、中身が大量に流出することは死に直結する。
だが、お兄さんは自分がしたことの重大さなどまったく理解せず、けらけらと笑うだけだ。
「れいむうううううう!!!あでぃすううううううう!!!ゆっぐりしすぎだよお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」
両手についた餡子とカスタードをぺろりと舐めながら、まりさを見下ろすお兄さん。
後ずさりするまりさに対して、お兄さんは何かを思い出したような顔でこう呟いた。
「本当にゆっくりはバカだね。せっかく貝殻を持ってきたのに、それを使わないんじゃ全然意味ないじゃん」
「…ゆっ!!」
お兄さんの一言で、まりさはハッとした。
仲間は貝殻をうまく使えなかったから死んでしまったけど、貝殻に潜り込めば今の攻撃だって防げる!!
そうすればまりさはお兄さんに勝てる。死んでいった仲間のためにも、お兄さんを倒してゆっくりするんだ!!
…決意を新たにしたまりさは、一度だけお兄さんを見上げると…持ってきていた貝殻の中に潜り込んだ。
「ゆっゆっゆ!!このかいがらがあれば、おにーさんのこうげきなんてぜんぜんこわくないよ!!」
貝殻に深く潜り込んだまりさからは、お兄さんの表情をうかがい知ることは出来ない。
でも、きっとお兄さんは悔しがっているに違いない。攻撃できないことを悔しがっているに違いない。
これで絶対に勝てる……まりさは、勝利を確信していた。
「………」
対するお兄さんは、何も言葉を発しない。
おそらく、手も足も出ない現実に絶望して口を利く余裕もないのだろう。
ゆっへっへと笑うまりさの声が、貝殻の中に響いた。
「………」
おかしい。まりさは素直に感じ取った。
いくらなんでも、おかしいのではないか。悔しがる言葉の一言でも、吐き捨てるはずだ。
なのに、憎むべき敵は一言も発していない。
まりさに平伏する言葉も、まりさの知能を羨む言葉も、まりさの優位を受け入れることを拒む狂気の叫びも…
「ゆ!!だまってないてゆっくりしゃべってね!!」
痺れを切らしたまりさは、貝殻の入り口から顔を覗かせて外の様子を伺った。
貝殻の外では、お兄さんが地べたに座ってぐったりとしていて……ゆっくりたちから見れば、最高にゆっくりしていた。
そんな様子が気に入らないまりさは、ゆっへっへと笑いながらお兄さんを罵る。
「ゆっへっへ!!ばかなおにーさんはゆっくりまけをみとめてね!!そうすればゆるしてあげるよ!!」
「……ふわああぁぁぁぁぁあぁあ……あー眠い」
普通の感覚なら、まりさの高圧的な言動にキレてブチまけてしまうところを、お兄さんは穏やかにスルーする。
逆に、お兄さんの緊張感の無さがまりさのプライドをチクリチクリと突く。
「ゆぎゅう゛!!きこえないの!?ゆっくりまけをみとめてね!!ていこうはむいみだよ!!」
「ん?誰か喋ったか?お兄さんの目の前には貝殻しかないけど…貝殻が喋るわけないよね!!」
「ゆんぎゅううぅぅっ!!もうおこったよ!!おにーさんはゆっくりくるしんでね!!」
我慢の限界に達したまりさは、愚かなことに……自ら貝殻の外へ飛び出した。
貝殻に篭っていては満足に移動できない。お兄さんに攻撃するには、貝殻から出るしかないのである。
身軽になったまりさは、ぶりゅんという気持ち悪い音をたてながら大きく跳びはねて、お兄さんにタックルした。
…が。
「ゆ゛ん゛っ!?っぎゃあ゛あ゛あ゛あ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」
顔面にデコピンを食らったまりさは、顔が凹んだままその場でのた打ち回る。
お兄さんは相変わらず眠そうな顔をしているが、痛みに暴れるまりさを見るとこう言った。
「おいおい、貝殻の外に出てきたらダメだろう?君の仲間みたいに潰されちゃうぞ?」
「ゆ゛!?そうだったよ!!かいがらのなかにいればあんぜんだよ!!おにーさんのこうげきもきかないよ!!
ゆっへっへ!!てきにそんなこというなんて、おにーさんはばかだね!!」
自分の立場を弁えない言葉を吐きながら、まりさは再び貝殻の中に戻った。
ほんの少しだけ顔を覗かせて視線を上に向け、お兄さんの様子を窺っている。
これが人間だったら、どんなバカでも自分の言葉と行動のおかしな点に気づくのだが、ゆっくりの餡子脳ではそうもいかない。
そして、『貝殻の防御』の決定的な欠点を理解させるために、お兄さんはこんなことを言い出した。
「おいおい、貝殻の中にいたらダメだろう?外に出てお兄さんに攻撃しないと勝てないぞ?」
「ゆ゛!!そうだったよ!!まりさのこうげきをうけて、ゆっくりくるしんでね!!
ゆっへっへ!!てきにそんなこというなんて、おにーさんはばかだね!!」
意気揚々と貝殻の外へ跳ね出てくる。さっきと同じようにお兄さんに攻撃しようとするのだが…結果は先ほどと同じ。
「む゛ん゛!?っがあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛ぁ゛あ゛!!??」
「おいおい、貝殻の外に出てきたらダメだろう?君の仲間みたいに潰されちゃうぞ?」
「っゆ!?そ、そうだったよ…!!かいがらのなかにいれば…あんぜんだよ!!ゆっくりかくれるよ!!」
そして、お兄さんはただひたすら同じことを繰り返した。
まりさが貝殻の中に隠れれば、『中にいたらお兄さんを倒せない』と言って誘い出す。
貝殻の外に出てきたら死なない程度の攻撃を加えて、『外にいたら殺されるぞ』と言って脅す。
だんだん体力を失っていくが、それでもまりさは何の疑問も抱かずに貝殻の中と外を往復する。
一方、お兄さんはあまりの可笑しさに笑いを堪えるのがやっとという様子だ。
そんなことを30回程度繰り返して……
まりさはやっと、“気づいた”。
「ゆぎゅうううううう!!!!じゃあどうじだら゛い゛い゛の゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」
貝殻の口から顔だけ出して、涙を垂れ流しながら泣き叫ぶまりさ。
まりさはやっと気づいたのだ。自分が袋小路に追い込まれたことに。
つい数分前まで、この貝殻さえあれば外敵の攻撃を全て防げる、絶対に負けることは無い、自分は最強だ、と思っていた。
事実、貝殻に潜り込んでいるときはお兄さんは攻撃してこなかった。貝殻の中は確かに安全だったのだ。
けれども、それだけでは勝てない。負けることはないが、勝てることもないのだ。
それが、ゆっくりの『貝殻の防御』の欠点である。
「外に出ておいでよ。そしてお兄さんに攻撃すれば、まりさは勝てるんだよ?」
「ゆううううだめだよおおおおおお!!!そんなことしたられいむやありずみだいにごろざれじゃう゛う゛う゛う゛う゛う゛う゛う!!!」
「じゃあずっと中にいれば?そうすれば安全でしょ?」
「それもだめええぇぇぇえぇえ!!!かいがらのながにいだら、ゆっぐりごうげぢでげな゛い゛い゛い゛い゛い゛ぃ゛ぃ゛い゛い゛い゛い゛!!!」
「やっと気づいたか、バカ饅頭」
穏やかな笑顔のまま、ドスの聞いた声でつぶやくお兄さん。
その声に本能的な恐怖を感じたまりさは、ゆ゛っと声を漏らして震え上がった。
「一ヶ月前にお兄さんはお前に教えてあげたよね。『貝殻があれば、外からの衝撃を防げる』って。覚えてる?」
「ゆ゛!?ま、まさか…おにーさんはあのときゆっくりさせてくれたおにーさんなの!?」
まりさの餡子脳の中で、やっと記憶が繋がった。
底部を怪我したときに治してくれたお兄さんと、目の前のお兄さんは…同一人物である、と。
それは、目の前にいるお兄さんが貝殻について教えてくれた、ということでもある。
「ゆっ!!おにーさんだましたね!!かいがらがあればかてる、なんてうそつくおにーさんはゆるさないよ!!」
「騙しちゃいないさ。お兄さんは本当のことしか言ってないよ。
お兄さんは『貝殻があれば衝撃を防げる』としか説明してない。『人間に勝てる』なんて一言も言ってないよ?」
「ゆ……ゆぐぐぐぐ…!?」
「それをバカなお前は間違って解釈したわけだ。『貝殻があれば人間に勝てる。まりさ様は最強だ!』ってな」
ニヤニヤしながら、まりさの顔を覗きこむお兄さん。
まりさは…何も言い返す事が出来なかった。
「お兄さんはお前がバカだってことを最初から知ってたから、こうなるってことも分かってたんだよ。
あははは!!全てはお兄さんの思い通り!!まりさはバカだから、お兄さんの作戦に引っかかっちゃったんだ!!」
「ゆうううぅぅぅぅ!!!!ゆぐぐっぐううぐう゛う゛う゛う゛う゛!!!!」
わざとらしく床の上を転げまわりながら、腹を抱えて爆笑するお兄さん。
最初は、人間に教えてもらった貝殻を使えば攻撃を防げて、人間にも絶対に勝てると思っていた。
でもそれは間違い……貝殻が保障してくれるのは命の安全だけであって、決して人間に勝てるわけではない。
そして、この一部始終の行動が復讐の相手であるお兄さんに思惑通りであったという事実。
復讐を思いつき、お兄さんの家に侵入し、貝殻のことを聞いて、貝殻を確保し、お兄さんの新居に侵入する一連の行動。
これら全てが、お兄さんの手のひらの上で踊らされていたという事実が…
お兄さんに復讐するという信念も、ゆっくりとしてのちっぽけなプライドも、ズタズタに引き裂かれてしまったのだ。
なまじ知能があるばかりに、まりさは復讐の相手に踊らされていたという事実が耐え切れなかった。
その溢れ出るような感情は……涙となって、泣き声となって、放出される。
「ゆ…ゆっぐ……えっぐ…ゆ、ゆぐうううぅぅ…ゆ゛あ゛あ゛あ゛あぁぁあ゛あ゛ぁぁぁあ゛ぁぁぁぁぁあ゛あ゛ん゛!!!!!
どうじでえええぇぇえええええ!!!かいがらがあればがでるどおぼっだのにいいいいいいぃぃい゛い゛いいい゛!!!」
この瞬間、お兄さんは今まで見せたことの無い至福に満ちた笑顔を浮かべた。
まりさの泣き顔が、お兄さんの心をすっと晴れさせる。
まりさの泣き声が、お兄さんの心にすっと染み渡る。
今この時のこの表情とこの声。これが欲しくて、お兄さんはずっと忍耐し続けていたのだ。
「ゆっぎゅうううぅぅぅん!!!どうじでえぇぇぇえぇぇ!!!どうじでごうなるのお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」
…だが。
「…………ふぅ」
いつまでも泣き止まないまりさを見て、お兄さんの晴れやかな表情は徐々に暗くなっていく。
何か思うところがあるのか、まりさに歩み寄って貝殻ごと優しく持ち上げた。
「なぁまりさ…もういいだろう?」
「ゆっぐ…ゆえっぐ……ゆっ?」
印象のまったく違うお兄さんの、まるで子供を諭すような語調に、まりさは泣き止んでお兄さんの顔を見上げる。
さっきまでのお兄さんとは全然違う。蔑むような視線も、もう感じなかった。
その突然の変貌に、まりさは戸惑っていた。
「復讐なんてさ、やるもんじゃないよ」
「ゆっぐ…で、でも……まりさは、おうちをとられたのがゆっくりくやしかったんだよ!!」
それが全ての根源だった。まりさが復讐しようと思ったのは、ゆっくりプレイスを奪われたのが悔しかったから。
その悔しい思いをお兄さんにも味わわせてやりたい。そんなゆっくりできない感情がもたらしたものだった。
「その気持ちはよくわかる。でもお前はゆっくりだ。ゆっくりなら、ゆっくりしなきゃダメだろう?」
「ゆっぶうぅ…!!でも、おうぢどられぢゃっだらゆっぐぢでぎないお゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛!!??」
一ヶ月前。まりさたちはお兄さんによっておうちを奪われた。
散歩から帰ってきたら、おうちが消えていた。狩りから帰ってきたら、おうちが消えていた。
頑張って集めた食料も、思い出の詰まった宝物も、留守番していたであろう子供たちも、まとめてあっさりと消えたのだ。
そんな状態でゆっくりできるだろうか?…できるわけがない!!
「いや、ゆっくりできるよ」
「ゆっ!?」
お兄さんは、まりさを抱えたまま窓際に移動する。そして、まりさにも窓の外が見えるように、貝殻ごと抱えあげた。
「ほら、見てごらん」
「ゆ!みんな…!!」
まりさが見たもの。
それは、お兄さんの家の周りで幸せそうにゆっくりしている…まりさの仲間達の姿だった。
「ゆっ!!ここはれいむのあたらしいゆっくりプレイスだよ!!」
おうちを失ったものは、新たにおうちを作ってゆっくりしていた。
「ゆっ!!あたらしいたからものだよ!!ゆっくりたいせつにするよ!!」
宝物を失ったゆっくりは、新しく手に入れた思い出の品を大切そうに咥えている。
「ゆゆゆ…しんじゃったあかちゃんたちのぶんまで、たくさんゆっくりしていってね!!」
「「「ゆっきゅりちていっちぇね!!!」」」
狩りの間におうちを潰されて子供を失った親ゆっくりは、新たに生まれた赤ん坊を今まで以上に可愛がっている。
おうちを奪われたことはつらかった。今まで頑張って集めたものを失うのはつらかった。家族を失うのはつらかった。
けれど、ゆっくりたちはゆっくりだった。そんなつらさを乗り越えて、今もこうしてゆっくりしているのだ。
「ほら、よく見るんだ。みんなとってもゆっくりしてるだろう?」
「ゆぅ…すごいゆっくりしてるよおおぉ……!!」
その時、まりさは自分の過ちに気づいた。
今まで自分の復讐を止めようとする仲間がいたが、それは仲間が臆病なだけだと思っていた。でも、それは違ったのだ。
復讐なんかしなくてもゆっくりできる。仲間が集まって協力すれば、ゆっくりできる。
『しかえししたら、ゆっくりできなくなるよ!!』
仲間の言葉は、正しかったのだ。間違っていたのは…自分だったのだ。
「まりさは…ゆっくりまちがってたんだね」
「そうだな。お前は復讐しなければゆっくり出来ないと思っていたようだが…別に復讐しなくてもゆっくりできる。
それは、ああやってゆっくりしている仲間を見れば、わかるだろう?」
「ゆっぐ…まりさもゆっくりしたいよ!!みんなみたいにゆっくりしたいよ!!まりさも……ゆっくりできるかな?」
恐る恐る問いかけるまりさに、お兄さんは優しい声で答えた。
「できるよ。だから復讐なんて忘れて、これからはちゃんとゆっくりするんだぞ!」
その言葉が、今のまりさにとっては何よりも嬉しかった。
自分は間違っていた。でも、それを改めれば今からでもゆっくりできる!…その事実が何よりも嬉しかったのだ。
まりさは自ら貝殻の中から床の上へ飛び降りると、涙を振り払って満面の笑みでお兄さんを見上げた。
「おにいさん!!ゆっくりおしえてくれてありがとう!!これでまりさはゆっくりできるよ!!」
「いや、いいんだ。やっと気づいてくれて、お兄さんも嬉しいよ」
「まりさはゆっくりはんせいしたよ!!やっぱりしかえしなんてしちゃいけなかったんだよ!!ゆっくりりかいしたよ!!」
そんなまりさをお兄さんはそっと手のひらに乗せて、優しく頭を撫でてやる。
「そうかそうか、もう復讐はしないんだな」
「ゆゆん!!もうしかえしなんてしないよ!!ゆっくりはんせいしたから、これからはゆっくり
「いまさら反省したところで、遅いんだけどね」
「ゆっ!!??」
そう言って、まりさの頭をがっしりと掴むお兄さん。
悲鳴を上げる暇も無かった。何もかもが、遅すぎた。
お兄さんは、まりさを透明な箱の中に押し込むと蓋を閉じ、鍵をかけて開けられなくしてしまったのだ。
「どうして!?どうしてこんなことをするの!?ゆっくりさせてね!!ここじゃゆっくりできないよ!!」
跳びはねることも、抜け出すことも、向きを変えることも出来ないまりさ。
唯一許されるのは、言葉を発することのみ。どんなに息苦しくても、そこから逃れることは出来ない。
箱を抱えたお兄さんは、それを窓際の棚の上に置いた。
向きを整え、まりさから外のゆっくりがしっかりと見えるようにする。
「お兄さんはもう行くよ。そこから仲間達がゆっくりするのを見ながら、死ぬまでゆっくりしていってね!!」
あまりにも展開が速すぎて、何が起こっているのか把握できなかった。
あれ?どうしてまりさは箱の中にいるの?どうして箱から出られないの?
どうして皆は外でゆっくりしてるのに、まりさはここにいるの?
どうしてまりさは動けないの?動けないとゆっくりできないよ!!まりさだって、みんなとゆっくりしたいよ!!
ねぇ!!ゆっくりできるんだよね!!ゆっくりできるんでしょ!?ゆっくりしていいんだよね!?
まりさはゆっくり反省したよ!!だからいいでしょ!?ゆっくりさせて!!ゆっくりさせてよ!!
どうして!?どうしてまりさだけゆっくりできないの!?まりさもゆっくりしたい!!お願いだからゆっくりさせてよ!!
みんなゆっくりしてるよ!?まりさもゆっくりさせて!!みんなとゆっくりさせて!!もっとゆっくりしたいよ!!
ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!
ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!
ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!
ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!ゆっくり!!
「もうやだ!!ごごがらだぢで!!!まりざはおぞどでゆっぐりじだいよおおおおおおおおおおおおおお!!!!
おにいざん!!いるんでじょ!!まりざをだじで!!!おぞどでゆっぐりざぜでええええぇえええええ!!!!だじで!!
だじで!!」
その叫びを、外の仲間達は聞いてくれない。もちろん、出て行ったお兄さんも聞いてくれない。
まりさは、お兄さんが家の外に行ってしまったことすら気づいていない。
傷はまだ治っていないが、箱に密着しているため餡子が漏れていかない。だから、すぐに死に至ることもない。
ゆっくりと死が迫ってくるのを待ちながら、まりさは外を眺め続けるしかないのだ。
「みんな……どうして……どうしていっしょに…ゆっくりさせてくれないの?」
自慢のおうちでゆっくりしているゆっくりれいむ。
宝物を大切そうにおうちに持ち帰ったゆっくりまりさ。
たくさんの赤ん坊に囲まれて、幸せそうな親ゆっくり。
誰も、まりさの叫びを聞いてくれない。誰も、まりさを助けてくれない。
誰も……まりさに気づいてくれない。
「もうしかえしするなんていわないから……はんせいしたから…まりさをゆっくりさせてよぉ………」
外でゆっくりしているゆっくりは、もうまりさが他の場所でゆっくりしていると思い込んでいる。
だから誰も心配していないし、誰も助けに来ない。
最高にゆっくりしている仲間達の姿を見て……
まりさは何日後に訪れるか分からない死を、ゆっくりと待ち続けることとなったのだ。
「ゆっぐりざぜでよおおおおお゛お゛お゛おおおおおおおお゛お゛おおおお゛お゛おお゛おお゛お゛おお!!!!」
まりさは、ちゃんと反省した。
だから、ゆっくりする権利がある。
二度と開くことのない、箱の中で。
(終)
あとがき
ゆっくりの「貝殻防御」が如何に無意味であるか。それをSSにしてみたいと思いまして。
お兄さんは寛大すぎだね!!
あとSS書くのって難しいなぁ。いまさらだけど。
作:避妊ありすの人
最終更新:2021年01月20日 17:10