真夏の太陽は今日もでかい顔でお空に浮かんでいる。
じりじり焼けつくようなその視線を浴びながら、俺は組み立て式のテーブルを立てその上に大きな平皿を置いた。
首筋に流れる汗をぬぐい、一度大きく伸びをして疲れた体を癒す。
さて、準備はあらかた整った。いい年こいた男が一人で庭メシというのも侘しい絵面だが、そこは考えたら負け。
これから行われるささやかな美食の宴に唾を飲みつつ、俺は飲み物でも取ってこようと縁側に上がり窓から部屋に戻る。
がらりと音を立て、ガラス戸が開く。
窓を抜ければ素敵な我が家──と思ったが、この日は少しばかり様子が違っていたようだった。
目の前に、饅頭がいた。
まず俺の目に入り込んで来たのが、バレーボールくらいの大きさの帽子饅頭。
それから、脇に寄り添う同じ大きさのリボン饅頭。
一回り小さな帽子饅頭が二個と、リボン饅頭が一個。
饅頭は部屋に侵入したばかりと見えて、ない首を上に向けあちらこちらに視線を飛ばしている。
やがて俺と言う存在に帽子饅頭──まりさ、と呼ぼう──が気付くと、ニタニタと眼を薄く伸ばし、
顔の半分ほども口を大きく開けて叫びだした。
「ここはまりさのゆっくりぷれいすだぜ!」
その言葉に反応するように、いわゆるれいむと子れいむ、二個の子まりさもいやに緩慢な動作で振り向く。
やはりというか、無言の俺に向けにんまりと目元を歪め口々に「おうち宣言」を開始する。
「しょうだよ!ここはまりしゃのおうちなんだじぇ!」
「にんげんさんはゆっくりでちぇいってね!」
「でもあまあまをおいちぇっちぇくりぇりゅなら、かんがえてあげてもいいよ!」
「わかったらとっととあまあまをもってきてね!」
音程の高いハンドベルを連打するように、まりさ達は口々に俺に向けて罵声を浴びせる。これを罵声と判断するのなら、ではあるが。
さてどうするか。
折角のご飯タイムを邪魔しくさってゴミ饅頭ども、餡子出るまで蹴り倒してくれるわと思わないでもないが、それはそれで後々面倒くさい。
キックはゆっくりを黙らせる一番手軽な方法だが、飛び散った餡の掃除が面倒くさい。
俺はお兄さんと呼ばれる年齢であるとは思うが、鬼威惨と呼ばれる程の嗜虐心があるわけではないのだ。
痛めつけなくてもいいから、穏便にお引き取り願う事は出来ないだろうか…。
俺がキーキー煩い金切り声をBGMにぼんやり考えていると、ふと、庭に置いてあるアレが目に入った。
そうだ、アレを使おう。
ゆっくりお引き取りのシミュレーションを組み立て、ようやく俺が意識を外に向けると。
「ゆっ、ここはまりさのおうちなんだじぇ!にんげんさんはでていってね!」
「れいみゅのおうちだよ!でてってね!さっさとでてってね!」
子れいむ、子まりさの二個が、一向に話を聞かない俺の脚に絡み付きせっせと押し出そうとしていた。
足にまとわりつく小麦粉の感触は気持ち悪くもどこか懐かしく、でもやっぱり気持ち悪い。
俺は極めて好意的な表情を心がけつつ、膝を折ってまりさと同じ視線になるまで屈み込んだ。
「ゆ?なんなんだぜ?なにかもんくがあるのかぜ?」
まりさは相変わらず悪意満点のニヤニヤとした笑みを貼りつけつつ、俺を見下そうと懸命に「のーびのーび」して、目の位置を高くしている。
構わず俺は足元の子れいむ、子まりさをそっと引き?がし元の場所に戻すと、落ち着いて「交渉」を始めた。
「まりさ、君はこの家を『おうち宣言』したんだね?」
「ぜ!まりさはここをゆっくりぷれいすにしたんだぜ!にんげんさんはゆっくりぷれいすにはいっちゃいけないんだぜ!」
「おうちせんげんはやぶっちゃいけないんだよ!にんげんさんはれいむとまりさとかわいいあかちゃんのためにでていくんだよ!」
世界の真理を説かんばかりに、れいむとまりさは無い胸を張って主張する。
そうかそうか、と俺は納得する素振りをしつつ、まりさの後ろを指さして言った。
「でもさあ、この家はまりさ達が住むには大きすぎないかな。ほら、あれ見てみなよ」
「ぜ?」
まりさは指さした方を見ようと尻を振り、体をゆすり、ゆっくり時間を掛けてまわれ右する。
そこには、テーブルの上の客用せんべいを取ろうとして必死に体をゆする子まりさの姿があった。
「の…のーび、のーびぃ…あまあま、ない、ゆっくぢ、できなぃぃ…」
軟体な体を伸ばしどうにかテーブルに体を付けようとするが、まだテーブルへは三十センチほど遠くまるで届かない。
脇の椅子を引き出して階段にして飛び乗ればいいと思うのだが、もちろん饅頭にそんな知恵はない。
「ゆっ……」
「ここは人間さんのおうちだから、ゴミ饅頭には大きいんじゃないかなぁ」
「ゴミじゃない!死ね死ね死ね死ね」
まりさが餡子の脳で少しばかり考え始めたその時であったが。
「はああああああああ!?なにしてんのよくそにんげんんんんんん!ちびちゃんかわいそうでしょおおおおおおおお!!!?」
思考を遮ったのが、突然「くわっ」と目を見開いたれいむの絶叫だ。
単細胞のまりさも早々に思考を放棄し、れいむのヒステリーに同調する。
「そうだよおおおお!!にんげんがあまあまもってくればいいんだぜえええええ!!とっとととりにいくんだぜええええ!!!!!」
「あまあまほちいいいいいいいい!!」
「おにゃかすいちゃよおおおおお!!」
まりさに呼応し、子れいむ、子まりさも叫び出す。
もうなんか物理的に投げちゃおうかなとも思ったが、この後のご飯を美味しく食べるためにぐっと堪え、あくまでまりさの目を見て話す。
「俺は今からここを出て行かないといけないから」
「ゆ゛!?」
恐らく、人間に出て行けと言った事はあっても、実際に人間に出て行かれた事はないのだろう。
やけに素直な俺の対応も相まって、ゆっくりはどこか慌てたように言う。
「ま、まつのぜ!まりささまはやさしいから、にんげんさんをここにおいてやってもいいのぜ!」
「それだとおうち宣言に反するでしょ。人間さんは新しいおうちを探しに行くよ」
「おとーしゃ、あまあまー!ゆっぐりできにゃい!ゆっくりできにゃいよおおおお!!!」
「ゆ、ゆっぐ…」
依然として子まりさはテーブルの上に向けぴょんぴょんと跳ねている。親れいむも並んで仲良く頑張っているが、一向に届く気配はない。
親れいむを踏み台にして子まりさがぴょんぴょんすればギリで届く気もするが、
当然饅頭にそんな知恵もなければ、「あまあま」を手にするため頭の上でぴょんぴょんされるという自己犠牲の心もない。
まりさが困り果てた絶好のタイミングで、俺はまさに外へ向けていた爪先をくるりと回した。
「そこで、だけど」
「ゆ?」
「俺がまりさ達の新しいおうちを用意するから、そっちを「おうち宣言」してくれないかな?」
そう言って俺は、窓の向こうのそれ、先程視界に入った「アレ」を指さす。
「あのおうちの方が、まりさ達にはぴったりだと思うんだけど」
そこにあるのは石造りの小屋。一階は空洞部分、二階は詰めればバレーボール大のゆっくりが五個は入る平屋で、大きな一部屋のようになっている。
それこそがメイン。俺の用意した、仕掛けの核となる部分だ。
「ゆっ…?」
「あそこで「おうち宣言」してくれたら、毎日あまあまをあげるよ」
「ゆっ!それはゆっくりなんだぜ!」
「毎日あまあま」の言葉に子れいむ、子まりさ、親れいむも反応したらしい。
一頭身のやわらか体型をよじり、よじりし、冗談としか思えないおねだりの踊りを踊りだす。
「ゆっ、あまあま、ほちいいいいいいいいい!!!」
「さっさとよこすのじぇえええええええええ!!!!
「さっさとしないと、せーしゃいするよおおおおおおお!!!」
狂乱状態の子ゆっくりを無視し、少しばかり話の通じそうな親まりさに改めて問いかける。
「それじゃ、おうちはあっちって事でいいかな?」
「ぜ!ついでにまりさとれいむとちびたちを、はこんでいってほしいのぜ!」
「ああいいよ。おうち宣言さえしてくれればね」
俺はすっと手を差し出すと、その手に子れいむ、子まりさ二個を乗せる。
ゆっくり、ゆっくりと窓を開け、それから数歩歩いたところの石の小屋に移した。
新しいおうちは天井がなく、石畳と囲いの上にかんかんと照りつける太陽が見える。子ゆっくりは太陽の暖かさに一斉に「のーびのーび」をした。
それから再び部屋に戻り、喜色満面のまりさと霊夢をまとめて運び、小屋の中に移す。
小屋の中は畳半分くらい、少し手狭だが、ゆっくり一家が入って余裕がある大きさだ。
天井を開けている解放感もあるのだろう。小屋に入り込んだまりさたちは、満足そうに笑い合った。
「ゆ!いいおうちなんだぜ!これでまりさもまんぞくなんだぜ!」
「まりさ、満足なのはいいけど、約束を守ってくれるかな?」
「ぜ?」
石小屋の開いた天井からゆっくりを眺めつつ俺は言う。
まりさは一瞬きょとんとした顔になったが、すぐに思い出したように宣言した。
「ここはまりさたちのゆっくりぷれいすだぜ!!ぜったいにでていかない、まりさたちだけのおうちなんだぜ!」
気持ち悪い笑顔でまりさは堂々と宣言する。
これで「おうち宣言」成立、である。えらく長い間交渉していたような気になり、俺はようやくほっと息をついた。
「おうちせんげんしたよ!やくそくどおり、あまあまをいっぱいもってくるのぜ!」
「ゆっ!あまあまをやまほどもってきてね!すぐでいいよ!」
「おいしいごはんももってきてね!」
「はいはい、分かった分かった」
口々にぴいぴいと喚くゆっくり達を眺めつつ、俺はにこにことした笑みを絶やさず、石小屋の一階部分から段ボール箱を取り出す。
傍らの軍手を手にはめ、大胆にも手掴みで段ボールの中のそれを掴み、ゆっくり達の上に投げ入れた、
「ゆっ」
一瞬、饅頭達はそれがなんなのか分からなかっただろう。
俺が石小屋の二階に投げ入れたのは薪。火をつけるために使う、木をカットして乾燥させたあの薪だ。
「ほいほい、ほいっと」
「いじゃああああああああああああ!!!!!!」
悲鳴が聞こえるが知ったことではない。とにかく騒がれる前に俺は薪をちぎっては投げ、ちぎっては投げする。
子ゆっくりの大きさはテニスボール程度、強度は薄皮饅頭くらい。それなりの重さがある薪ならば、死にはしないでも押し潰されたりはするだろう。
「あじゃっ、いだっ、いだあああああい!あたまがちゅぶれるよおおおおおお!!!」
「なんでえええええええ!?あまあまあああああああ!!!!!」
「おちびちゃああああああん!!!れいみゅのきゃわいいおちびちゃんぎゃあああああああ!!」
ぽいぽいと薪を放り、そろそろいいかなと思い二階を覗き込む。
我ながらコントロールは絶妙だ。薪は上手くバラけて広がり、部屋の全体を覆うように撒かれていた。
子まりさ、子れいむはそれぞれ薪の下敷きになっており、打ち所が良かったというべきか悪かったというべきか、一番小さな子まりさが薪に潰され死んでいた。
未だに状況が理解できていない目でまりさは俺を見上げる。
その視線は怯え、怒りというよりもただ戸惑いで満ちていた。
「にんげん…なじぇ…?あまあまをくれるっていったのに…なじぇおちびちゃんいじめるんだじぇ…?」
俺はその問いに笑顔で答える。
「ゆっくりしていってね」
そうして、蓋に手をかけばたんと閉めた。
「なにこれえええええ!?くらいのはいやああああああ!!!!ゆ゛っぐり゛でぎな゛いよおおおおお!!」
「い゛やあああああああ!!!!おがあじゃああんんんん!おがあじゃあんんん!」
「おちびちゃあああああん!!おちびちゃんどこおおおおおお!!!」
予想通りのパニック状態である。
俺は額に浮かんだ汗をぬぐい取ると、最後の仕上げに段ボールからチャッカマンと着火剤を取り出した。
当然のことながら、俺がゆっくりを入れたこの石小屋はゆっくりのおうちなどではない。
これは俺が趣味で作った、ピザとか焼くための家庭用石窯である。
さて、仕上げである。
入口の扉を開き、着火剤を準備する。
とっとと燃やしてしまおうかと思ったのだが、ここで少し予想外の出来事があった。
「お、おおおおおおひさまああああああ!!!くらいのいやにゃあああああああ!!!」
鉄扉を開いた事で部屋の中に僅かに光が入り、小れいむが誘蛾灯に誘われる蛾の如くこちらへ押し寄せてきた。
が、悲しきかな、子れいむの体は先程の薪に挟まれており自由に動けない。
「うごいてね!りぇーむのしらうおのようなあんよさん、ゆっくりしてないでうごいてね!
はやくしてね!いいこいいこだからはやくしてね!でもいたいのもいやだよ!」
鉄扉から中を伺うと、薪に挟まれた体を横にのーびのーびしている子れいむの姿が僅かに見えた。
饅頭特有の薄皮は今にもぴりりと裂けてしまいそうな勢いだ。
放っておけば、やがて皮が破けて死ぬのだろう。とはいえわざわざ待ってやる道理もないので、俺は着火剤に火をつけ火バサミで窯の中に差し入れた。
「ゆっ!?おひさましゃん!?」
紅い光が窯の中を照らす。
どうやら、子れいむはその光を「救い」と見たようだ。
視界が暗闇の中、せめて明かりのある方へ向かおうとする。
「くらいのはだめよ!くらいのはゆっくりできないよ!りぇーむはおひさまがいいよ!りぇーむはおひ……」
必死に明かりへ向けて体を伸ばす子れいむ。ついにその努力は限界を超え、軟体生物の柔らかさを生かしれいむは薪の挟間からの脱出に成功する。
──お尻の皮と言う、大切なものを失って。
「いじゃああああああああ!りぇーむのせくしーなおしりさんぎゃあああああああ!」
そしてそのまま勢い余り、火のついた着火剤に頭から突っ込む。
まずはリボンが燃えた。それから髪、程無くして火は体全体を包み、やがて子れいむは断末魔の悲鳴を上げながら少しずつ小さくなっていく。
「にゃんでええええええ!れいむのおかざりさんあっついよおおおおおお!?たいようさんやめてえええええええ!
れいむのこやすがいみたいなくろいおぐしがもえちゃうううううう!ゆっ、ゆぐっ、ゆっぐりしでえええええええええぇぇぇ……」
俺は子れいむが静かになったのを確認し、焚き付けを奥に寄せて薪へと着火させる。
程なくして火は全体に回るだろう。ここまでやれば後はドリンクでも傾けて窯の火が落ち着くのを待つのだが、俺は少しばかり興が乗り、しばらく窯の中の他のゆっくりを観察する事にした。
「あ゛づい゛よ゛お゛お゛お゛お゛!ま゛り゛ざあ゛づい゛の゛い゛や゛あ゛!」
「いしさん、あついのはゆっくりできないよ!あついのやめてね!まきさんもいたいいたいいしないでね!」
「おうちかえるうううううう!おそとどこおおおおおおお!」
子まりさが薪に潰され、子れいむは火に飛び込んで焼死。残るは親れいむ、親まりさ、子まりさである。
天井を開ければより観察しやすくなるだろうが、窯の温度を保つためにそれはしない。入口を開けて入る光を頼りに、陽炎の向こうに浮かぶゆっくり一家を観察していた。
さて、石窯オーブンの魅力と言えば何といってもその温度である。
四方を石に囲まれた窯に火を入れる事で、石が熱されて窯の温度はぐんぐん上昇する。
我が自慢の石窯も勿論例外ではなく、もう既にゆっくり達の足はどろどろと溶け始めているようだった。
「ゆぎゃああああ!あんよさん!!!!まりさのりゅうせいみたいなはしりをみせるあんよさんがああああああ!!」
「いしさん、あついのやめて!あついのやめて!ゆっくりしないでね!ゆっ」
「おそとおおおおおおおお!!」
ここで先程からお外を目指していた母親れいむに動きが見える。外の灯りを求めて愚直に突進し、
その結果子どもの死体を容赦なく踏み越え、炎を超えてついに俺が覗きこむ入口に到達するに至ったのだ。
「ゆ゛っ、ゆ゛っ…ゆ゛うううううううう!」
しかし悲しき哉、ピザを入れるための入口は、バレーボール大の大きさである成体ゆっくりが通れるように出来ていない。
おまけに壁も石である。れいむは無理やり入口に入ろうとするあまり壁に身体を押しつけ、よく熱された石に身体を張り付けてしまった。
「あちゅいいいいいいい!はとめとくちといろんなところがいたいいいいいい!!」
窯の中でれいむはドタンバタンと暴れ回り、その当然の帰結として炎に巻かれる。
燃えやすいお飾りから順序よく燃え、そうしてやがて入口に大きな体を横たえて焼き尽くされた。
「ゆみゃああああああ!おかざりしゃん、かみしゃん、あじゅいよおおおおお!」
断末魔の悲鳴は、何ともありきたりなものである。死してなおゆっくりしていってねと言おうとした子れいむを見習ってほしいものだ。
ちなみに親まりさの声がこの辺りから聞こえなくなってきたが、どうやらとっくに炎に巻かれて死んでいたらしい。根性がない。
「おがあしゃん!おがあしゃああああん!」
その後を追い、子まりさがよちよちとこちらへ向かう。
薄皮饅頭がこの石窯の中でここまで這ってきたという事に、俺は少なからず感銘を覚える。
薪だってあっただろうに、依然温度を増す石窯の中で、まだ死んだ母親を偲ぶことが出来るのだ。なかなかできる事ではない。
そして俺は少し考える。もしもこのまりさが窯から脱出することが出来れば、気まぐれに育ててみても良いかもしれない。と。
ゆっくりの傍若無人な生態は先程の顛末からもよく知っているが、一方でそうしたゆっくりがいわゆる「飼いゆっくり」として人々に親しまれている事も知ってる。
炎の中から生還したゆっくり、なんてどこかドラマチックな響きもあるし、このゆっくりが未だに母を思って泣ける情があり、
また家族の死を受けてなお窯の出口を目指すガッツがあるのなら、この奇妙な縁を大事にしてやっても良いのかもしれない。
呑気な空想にふける俺。
目を覚まさせたのは、ほかならぬ子まりさ自身の絶叫だった。
「……どけええええええ!くそれいむううううう!まりささまはおそとにでるんだじぇええええええ!」
Un?と思い中をよく見れば、なるほど中ではれいむの大きな死体が見事に出口を塞いでしまっている。
流石の子まりさでも、これでは外に出られまい。
「あづうううううい!くぞおやあああああ!まりささまをこんなめにあわせるぐぞおやはゆっぐりぢねえええええ…!」
ぴょんぴょん、どすんどすんという音が窯の中から聞こえてくる。
恐らく、中で子まりさがれいむの死体に体当たりをしているのだろう。
しかし子ゆっくりにとって親ゆっくりの身体は頑強。しかも既に身体は爛れており、とても崩れるものではない。
と、ここで何やら窯の中から懐かしい匂いがしてくることに私は気付いた。
──これは、カルメ焼きである。ゆっくりがだらだらと流す砂糖水の汗が蒸発し、砂糖を熱したときの香ばしい匂いが窯から発せられているのだ。
そういえばまだ幼かった頃、母がよくお玉に砂糖を入れてカルメ焼きを作ってくれたっけ。
そう俺が古き日の記憶に思いをはせていると、窯の中に少し変化があった。
「むーしゃー、むーしゃ!」
ゆっくりの捕食音、「むーしゃむーしゃ」が窯の中から聞こえてきた。恐らく子まりさのものだろう。
石窯の中で何を食べているのかと一瞬考えたが、その答えはすぐに思い当った。
「むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!むーしゃ、むーしゃ、しあわせー!」
絶え間なく放たれる「しあわせー!」の言葉と、すぐにそんな事をしている場合ではないという風にむーしゃむーしゃが続く。
子まりさは、まず間違いなく母親を食べているのだろう。どかすのが不可能だと悟り、母の腹を文字通り食い破って外へ出るつもりだ。
恐らく本人としては大いに慌てているのだろうが、快楽主義の餡子脳が「しあわせー!」せざるを得ない。
「しあわせー!」した後は、すぐに「むーしゃむーしゃ」する。この食事の目的は幸福に浸ることではなく、ただ脱出のための手段なのだから。
とはいえ火を入れてからもう三分ほど経った。窯の中にはすっかり火が回り、流石の俺もちょっと離れざるを得ない高温になりつつある。
全身これお菓子のゆっくりが耐えられるはずもなく、「むーしゃむーしゃ」の響きも次第に壊れていった。
「むーちゃ、むーちゃ、しやあせー、むーち、む、ち、しああええ、みち、み…い…」
歯や舌が溶けたらしく、発音が次第にグダグダになる。それでも絶え間なく唇を動かしていたらしく、こちら側から見えるれいむの焼死体に少しだけ穴が開いたのが分かった。
「む、む、む…み゛あ゛あ゛あ゛!!!」
息絶える前にあらん限りの声を張り上げ、ついに子まりさは動かなくなった。
それから火が落ち付くまで待ち、入口を占領していた砂糖のこげたのを鉄の棒でどかす。
あらかじめ作っておいた大皿大のパン生地にトマトソースを付け、上からチーズ、ベーコン、トマト、それといくつかの野菜に少量のハーブを乗せていよいよ焼き上げである。チーズはちょっと奮発し、モッツァレラとゴーダの二種類をぜいたくに使っている。
棒つきトレイにピザを乗せて窯の中に差し入れれ、経験と勘で焼き時間を待つ。しばらくすると一人で食うには勿体ないほどの立派なピザが出来上がった。
「ふう…」
石窯の熱気にやられ、思わず額に汗が浮かぶ。
俺は手早くピザを皿に移すと、缶ビールをグラスに映し両手を合わせていただきますをする。
《ゆっくりしていってね!》
不意に、どこからかそんな声が聞こえた気がした。辺りを見渡すが、ゆっくりの姿は無い。
幻聴だろうか、俺は構わずビザを切り分け、その上に広がる黄金色の輝きに目を奪われる。
ああ、今夜はたっぷりゆっくりさせてもらうよ。
あの世に居るであろう一家の声にそう答えつつ、俺は待ちわびた一切れを口の中に入れたのだった。
最終更新:2024年02月25日 16:36