たとえば百億年の後、人間社会は存続しているだろうか。
おそらく”していない”だろうが、長命ならぬ我々には、現在時点でそれを知るすべはない。
その遙かな未来について我々は”ありえる”ものと認識し、かつ”ありえぬ”ものと想定せざるを得ない――
今回幻想入りしたのは、そんな”可能性”のうちの一つだ。
黄色く燃え盛る太陽がれいむを照らしている。ちらりとでも空を見上げれば、いやでも目に入るほど大きな太陽。
れいむが生まれた日からずっとそこにあった太陽。
順調に繁栄してきた人間と妖怪とを、文明を、自然さえもを、この数百年の間に殺戮しつくした炎の塊――
「ゆああああーーーん!!ゆああああーーーん!!」
声を上げるが、それすらもむせかえるような燃える空気に吸い込まれて消えていく。
直射日光が身を焼く恐ろしい感覚。
「もうやだ!おうちかえる!」
れいむはほんの少し体を膨らませると、跳ねだした。
* * * *
ある時、幻想郷の太陽が病んだ。
しかし、その変化はあまりにもゆるやかだった。
全世界を包む気温の上昇。
それは、文明の担い手である人・妖が気づいたその時、すでに手の施しようのないところまで進んでいた。
それでも彼らは生き残りを期して対抗せんとした。
それはある意味では成功し……またある意味では失敗に終わった。
――つまり、即座の死は免れたが、回復もまたありえなかったのだ。
千と数百年の時をかけて、ある種の病魔が犠牲者を手足から心臓へと蝕むように人・妖の版図は後退していった。
川津波が里を襲った。異常気象、疫病が飢える貧者を大量に生み出し、
一握りの富者は自分たちだけの”人間らしい生活”をすこしでも手元に引きとめようともがいた。
天は焦げ、地は熱に悶えた。
暴動、抗争、戦争が頻発した。
芸術は自由に駆けるための大地を、はばたくための空を失い、科学はその手を休めた。
誰にも、そのゆるやかな終わりを停めることはできなかった。
そして、さらに数百年――
すべての森が消えていった。
* * * *
れいむは生まれたとき、”にゃんだかあつくてゆっきゅりできにゃいよ!”と思った。
それはこの数百年の間、すべての赤ゆっくりが同じことを思っていたのであるが――
「おかーしゃんゆっくりちていってね!」
それでも、元気に挨拶をした。
「ゆゆ!れいむのあかちゃん!ゆっくりしていってね!」
れいむの周囲には、自分と似たような小粒のゆっくりれいむが数十匹もいる。
「ゆっくりちていってにぇ!ゆっくりちていってにぇ!」
「れいむのいもーちょゆっくりちていってにぇ!」
「おねーちゃんゆっくちちていってにぇ!」
* * * *
はじめの三日間で七匹の子ゆっくりが萎れた塊となって茎を離れた。
「あぢゅいよ……おきゃーしゃんたしゅけて……」
「もっぢょ……ゆっぎゅりちたかったよ……」
親れいむは無言で、それらの亡骸を住処である洞窟の奥へと放り込んだ。
これらは大切な食料だ。一粒たりとも残すわけにはいかない。
また、今の段階では食べるわけにもいかない。食料は、”最終的に”生き残った子だけのためのものだ。
「おねーしゃーん!おねー……しゃー……ん……」
先に逝った子を呼ぶ子がまた一匹、地面に落ちた。
次々に子が落ちていくなかで(後に生き残ることになる)一匹の子れいむは過酷な状況を悟っていた。
なるべく声を上げず、身動きもせずに体力を温存する……また、そうしているとわずかにゆっくりできることにも気づいた。
暑い空気を吸い込まないよう、日差しに目をやられないよう、ただ眠る。
餡子の中に受け継がれている、ゆっくり出来た遠い優しい日々の記憶だけを頼りに子れいむは揺籃期を過ごした。
そして、茎から落ちる。
「ゆっくりちていってね!」
「ゆっくりしていってね!ゆっくりしていってね!」
れいむは生まれ落ちるとすぐにおかーさんの舌で捕らえられ、ゆっくりできるおぼうしの中に入れられた。
おぼうしは、つがいであるまりさの形見のものだ。
「ゆゆぅ!とってもすずちいにぇ!」
おぼうしの中はとても涼しく、またいい匂いもした。
「にゃんだかいいにおいがしゅるよ!」
おかーさんが言う。
「おちびちゃんゆっくりたべてね!」
おぼうしの先の方に入っているもの、それは小さく萎びた、れいむのおねーさん達の成れの果てだ。
「ゆ、ゆぐっ……」
れいむは涙ぐんだが、嫌がることなくそれをむーしゃむーしゃした。
「ゆゆぅーん!れいみゅのおねーちゃんたち、ゆっくりちていってにぇ!」
たくさんの孕み子のうちの、最後の生き残り達――
れいむは仲良く、赤ゆっくりの死骸を食べた。
れいむは成長していく――
ある日、子れいむがおぼうしに収まりきらなくなる時がやってきた。
親れいむは親がる子れいむを、ミシミシときしむおぼうしから引きずり出す。
「おかーさんやめてね!れいむをゆっくりさせてね!」
「おちびちゃんゆっくりがまんしてね!」
「ゆえーん!あついよぉぉぉ!!」
おぼうしは日除けや夜のベッド、食物の貯蔵にも使う貴重なものだ。
このまま子れいむにだけ使わせておいて、破損の危機にさらすわけにはいかない。
「おそとにでようね!ぺーろぺーろしてあげるから、ゆっくりがまんしてね!」
「ゆーん!ゆーん!」
夜は寒い。ゆっくりできない。
日が落ちて、急激に温度が下がった地面の上で妹れいむはみじろぎをした。
「ゆぅ……ゆぅ……」
背中に感じるのは親れいむの感触。
二匹はおぼうしのわずかな温かみを分かち合うように一箇所で眠っている。
子れいむは思う。
(こんにゃのおかしいよ!)
母の茎で夢見ていた、ゆっくりとした生活。それはここには無い。
我慢を強いられ、耐えて、耐えて……それでも報われることのない日々。そしてそれはずっと続いていくに違いないのだ。
「ゆっく……ゆっく……れいむはどうしてうまれてきたの……?」
「ごめんね、おちびちゃん」
おぼうしの反対側で眠っていたはずの、母れいむの声がした。
「ゆゆ!?」
「ごめんね……ごめんね……」
子れいむは面食らった。
しかし、しだいに反発の気持ちが湧き上がってくる。
「し……しょうだよ!おかーさん!れいみゅはゆっくりしたいよ!れいみゅをゆっくりさせてね!」
「ごめんね……ごめんね……」
「れいみゅは、もっとおみずいっぱいのみたいよ!もっとごはんいっぱいたべたいよ!
れいみゅはもっとゆっくりしたいよ!」
それは身勝手ながら、発育期の子供としては当然の欲求。今までの憤懣を吐き出すように、子れいむは跳ね、わめき散らす。
それを見守る母れいむの目はさびしげだった。
「おちびちゃん……おうたをうたってあげるから、ゆっくりしてね」
母れいむは、小さな声で歌を歌いはじめた。
「ゆ、ゆぅ……?おかーさん、おうたってなに?ゆっくりできるの?」
この灼熱の世界ののゆっくり達は、おうたを好きに歌うこともできない。
何よりも貴重な水分の蒸発を防ぐため、おうたは特別な場合にしか歌われることはないのだ。
妹れいむがおうたを聞くのは、これがはじめてだった。
――ゆ~、ゆ~、ゆっくりしたおちびちゃん、いつもおかーさんのいうこときいて、えらいね――
――ゆ~、ゆ~、ゆっくりしたおちびちゃん、いつもがまんしてくれて、ありがとうね――
――ゆ~、ゆ~、ゆっくりしたおちびちゃん、いつまでもいっしょにいてね――
餡子の芯にまで響くようなその旋律を、妹れいむは不思議さに戸惑いながら聞いていた。
(おかーさん、とってもゆっくりしてるよ)
(おかーさんは、すごいね――)
* * * *
次の日、子れいむは母れいむにおうたをせがんだ。
「おかーさん!おうたきかせて!」
母れいむは困り果てるが、今まで厳しくしつけてきたという引け目もあり、結局は子れいむの勢いに負けて歌を披露することになる。
「おかーさんすごいよ!すっごくゆっくりしてるね!」
「ゆ……ゆふん、ありがとうね。だけど、おうたはおくちのなかがかわいてゆっくりできなくなるから、
これでおわりにしようね」
しかし子れいむは引き下がらない。
「やだやだ!もっとききたいよ!それと、れいむもおうたうたいたいよ!」
母れいむはため息をつくと、
「そうだね……それじゃあ、いっしょにおうたのれんしゅうしようね」
と言った。
「ゆゆぅ!」
「ゆっくりーー!」
二匹はゆっくりとした時間をすごした。
* * * *
「ゆんゆんゆん……たいようさんまぶしいよゆっくりしてね……」
いつものように、子れいむは苦しく目を醒ます。
「……!」
「……!」
遠くの方で姉れいむの声がする。寝ぼけているので何を言っているかは解らない。
「ゆっくりしていってね!」
子れいむは元気に挨拶をする。
しかし、いつもならゆっくりしていってねを返してくれるおかーさんが近くにいない。
日差しから身を守ってくれるおぼうしさんもない。
「ぷっくー!ゆっくりしていってね!ゆっくりしていってね!」
意地になって繰り返す子れいむだが、一向に母れいむが現れないので怒りながらあたりを探し始めた。
「ぷんぷん!おぼうしをひとりじめするなんてわるいおかーさんだね!」
熱い陽射しの下を子れいむは跳ね、岩の陰についに母れいむを発見した。
「おかーさ……」
母れいむは地面に伸びるようになって痙攣していた。
「ゆ゛…ゆ゛…」
「おかーさん!?ゆっくりしていってね!?ゆっくりしていってね!?」
「おかーさーん!?」
時折髪飾りがぴくりと震える。しかし、子れいむの必死の呼びかけにも反応する様子は無い。
「ゆっくりして!ゆっくりしていってよぉぉぉぉ!!!」
「ゆ゛ゆ゛ゆ゛……」
その時、子れいむは唐突に気づいてしまった。
(おうたはおくちのなかがかわいてゆっくりできなくなるから)
「ゆゆ!!」
(ゆっくりできなくなるから、これでおわりにしようね)
母れいむは、確かにあの時そう言っていたではないか。
それを無理強いしたのは、自分だ――
もちろん原因はそればかりではない。親れいむの想像を超えて上昇した気温のせいでもある。
それでも、子れいむのわがままが引き起こした事態であることもまた事実であった。
「ゆ……ゆ……ゆあああああああああああああ!!!!!!!」
子れいむは吠えた。
「ゆあっあっ……あああああ……」
これは罰だ。
「おがーしゃん!おがーしゃん!」
母れいむにすがりつく。
「おがーしゃん!ゆっぐじじで!ゆっぐじじでよぉぉぉぉ!!
でいぶがわるがっだよぉぉぉぉ!!!もうおうだうだっでぐれなぐでもいいがらゆっぐりじでよぉぉぉぉ!!!!!」
「おぢびぢゃ…ん…」
母れいむは混濁した意識の中でわが子の声を聞き分けると、渾身の力で身を起こした。
「おがーじゃん!?おがーじゃーんん!?」
「おぢびぢゃんゆっぐりぎいでね……けふっ……おがーざんみたいになりたくなかったら、おくちをとじてゆっくりしていってね」
子れいむの騒ぎようでは、あっという間に水分を失い母れいむと同じ道を辿ることになってしまう。
それをさせないため、母れいむは苦しさに耐えて言葉を紡ぐ。
「おぢ……び…ぢゃん……ゆっぐり……していっでね……」
霞んだ視界に、目に涙を溜め、言いつけどおり口をつぐんで頷く子れいむの姿が映った。
(おちびちゃん)
地熱を煽り立てるように熱い風が吹いた。
(しゅじゅしぃ……)
「ゆぐ……!おが……ゃん……!」
(さよなら、おちびちゃん)
その慈悲深い感触にもたれるように、母れいむは最後の意識を手放した。
* * * *
「あぢゅいよ……ゆっぐいぢだい……」
子れいむは炎天の下を彷徨っていた。
熱い地面を我慢して跳ねる。跳ねてどこか安らげる場所を求めるが、実のところどちらへ行けばいいのかさえ解らない。
「おがーざん……ゆっぐじじだいよぉ……」
渇く。
「おがーざん……」
乾く。
「おぼうしさん……」
焼ける。
「ゆ……ゆ……ゆ……もう……げんかいだよ……」
思考が、運動能力が、そして餡子から餡子へと受け継がれてきた記憶が灼き切れていく。
「………………」
ふと、あの歌を歌おうと思った。
(ゆ~……ゆ~……)
「………………」
(ゆ……ゆ……)
だが、できなかった。
干乾びた口をぱくぱくと動かし、子れいむは仰向けに寝転がった。
まぶしさに目を閉じて、その瞳は二度と開かれることはなかった。
* * * *
「ゆぅぅぅ!!」
子れいむが恐ろしい夢にうなされ目を醒ますと、そこにはゆっくりとした母れいむが居て、何匹かの姉妹も寝息を立てている。
「ゆっどうしたのおちびちゃん?」
「ゆぅぅぅん!!!とってもこわいゆめをみたんだよぉぉぉぉ!!ゆっくりできないよぉぉぉぉ!!!」
子れいむは母れいむのぽんぽんに飛び込んで、思うさま泣いた。
「おお、よしよし。おかーさんがついてるから、ゆっくりしていってね」
「ゆぐっ、うぐっ、たいようさんがあづぐで、おかーさんもれいむもしんぢゃうんだよ」
「ゆふふ……だいじょうぶだよ。ほら、ゆっくりねんねしようね」
「ゆー……ゆっくりぃ……」
やがて子ゆっくりは眠った。それを見守っていた親ゆっくりも、やがて目を閉じた。
その頭上に青々と生い茂る緑、そのさらに上を、翼持つ捕食種ゆっくりが通り過ぎていった。
END
最終更新:2009年05月15日 00:23