ゆっくりいじめ系14 第三話 ゆっくりたちの、実にゆっくりとした一週間 前篇

第3話 ゆっくりたちの、実にゆっくりとした一週間


一日目

 天高い秋晴れの空が広がっていた。
 小春日和の朗らかな日差しを受けて、二匹のゆっくりたちは今日も元気に跳ねまわる。
 ゆっくりまりさに誘われて、ゆっくりれいむは追うように魔法の森へ。
 今は二匹連なって仲間睦まじく秋空を飛ぶトンボを、わき目もふらず追いかけっこ。
 しっとりと濡れた露草の藪を踏み越えて、たどり着いたのは森の奥の開けた野原だった。
 流れ込む肌寒い秋風は、トンボの細い体を宙へ高く吹き上げる。
「ゆー! ゆっくりしていってね!」
 ゆっくり二匹の願いもむなしく、トンボは風をとらえて青く高く秋の空へ。
 ぴょんぴょんと口を開いて飛び上がる二匹。だが届くわけもない。
 トンボを見送るゆっくりまりさはしょげ返った表情。
 口寂しいのか、茂みのクコの実をむしゃむしゃとほおばる。
 そして、ぷくうと膨れ面。
「おなか空いたよ、おうちかえる!」
 ゆっくりまりさの見つめる東の空は深く青みがかり、黄昏の近さを思い出させる。そろそろ暖かなねぐらに替える頃。
 けれど、ゆっくりれいむは承知しない。
「まだちょっと早いから、ゆっくりしていこうね!」
 遊び足りないと飛び跳ねながら訴ってくる。
 まりさの傍へすりよって、その帽子のあたりにすりすりとほっぺをすりつけた。
 この上ない友愛の仕草に、とろんと赤みがかるまりさの表情。 
「ゆ……ゆっくりする……」
 たやすく屈するまりさだった。
 こうして始まった、今日最後の遊び場は生い茂るススキの野原。
 人の姿も隠れそうなその場所で遊ぶ種目は決まっていた。
 そう、かくれんぼ。
「ゆっくり30秒数えてね!」
 目をぎゅっと瞑るまりさに声をかけて、ススキに身を沈めこむゆっくりれいむだが。
「みつけた!!!」
 あっさりと見つけ出すゆっくりまりさ。
「?」
 きょとんとした表情で不思議を表現するれいむにまりさはフと不適な笑い。
 隠れる一帯のススキが押し倒されて道となっていることを、まりさは教えようとはしなかった。
 鬼が交代となり、今度はれいむが探し回る番。
 しかし、れいむの失敗を目のあたりにしたためか、まりさは中々見つからない。
 ススキの下、藪の中、木陰。目に入るところを探し回ってもどこにも見当たらなかった。
「まりさ、どこー?」
 太陽が山々に姿を隠し、暗がりが降り始めて、急に心細さに襲われるゆっくりれいむ。
 日が完全に沈めば、野犬の群れに出くわしかねない。
「ゆっくりしないで、でてきてね!」
 ほとんど涙目で森を走り回る。
「れいむ、こうさん?」
 すると、意外なところからまりさの声が聞こえてきた。
 そこは荒れ果てた家屋。魔法の森に暮らす数人のモノ者好きがいるらしいが、この廃屋は誰かのかつての住処なのだろうか。
 廃屋の庭は伸び放題の藪になっており、その草むらから石積みブロックで囲った建造物がにょっきり顔を覗かせていた。
 幅は1メートルぐらいだろうか。人が建てたらしい、しっかりとした枠組み。その傍らに一本の柱がのびて、吊り下げられていたのは錆びた滑車。だが、繋がれていただろう綱はすでに朽ち果てて残骸が絡みつくのみだった。近くに底の抜けた大きな桶が転がっているのが目に入るが、ゆっくりたちには木っ端にしか見えない。
 そんな残骸よりもゆっくりれいむの興味を占めていたのは、建造物の上で得意げにふんぞり返るゆっくりまりさ。
 建造物の上に渡された粗末な板の上から、まりさはニヤと不敵な表情で笑いかけてくる。
「ここを知っているのは、わたしたちだけだよ!」
 その言葉に、れいむは素敵な遊び場を見つけ出したことに気づいた。
 朽ちた廃屋を恐る恐る探る二匹。ソファの一つでも残っていたら、その上でとびはねて埃を払い、新たなゆっくりスペースにできるかもしれない。
 そこはきっと優雅なゆっくりの一時。自分たちだけのゆっくり城。
「うっとりー!」
 あらぬ方向へ躍りだした夢に、ゆっくりれいむの表情も緩みがち。
「れいむ! 明日から、ここを探検しようね!」
 まりさの言葉を、喜色満面で受け止める。
「うん、やくそくだよ!」
 胸躍らせるわくわくに、いてもたってもいられない。
 明日からの大冒険に弾む心のまま、れいむはまりさへと弾み寄る。
 大きくジャンプ。まりさの元へと飛びのった。
 まりさも身を摺り寄せて親友に応える。
「ゆゆゆ……」
「ゆっゆっゆ!」
 とろけそうな嬌声で、二匹は芯からの喜びを訴えあう。でも、まだ足りない。この嬉しさをあらわすには、アレしかなかった。
 ゆっくり二匹は狭い板の上で、身をかがめる。
 引き伸ばされたゴムがはじけるように、この日一番の見事な跳躍。
「ゆっくりしていってね!」
 その頂点で放たれたのは、黄昏の秋空に響き渡るゆっくり二匹の美しい唱和だった。
 陶酔の表情のまま、二匹は同時に板の上へ落下していく。
 どすんと、景気のいい音をたてて板で弾むゆっくりの全身。
 途端に体の下で鳴った、くぐもった音。
 なんだろう。顔を見合わようとするゆっくり二匹。
 だが、視線が合う間もあらばこそ、お互いの顔が大きくぶれだした。
「ゆっ!?」
 めきという乾いた音が、へし折られる木の音だと気づいたときにはもう遅い。
 二匹は板の下に急激に落ちこんでいく。
 ぞわりと総毛立つ感覚。
 次の瞬間、慣性に捕らわれた二匹の体は真っさかさまに下へ。
 一瞬、見下ろした二匹の目の前には、どこまでも広がる何も無い暗闇。
 まりさがのっていた建築物は、塞がれることなく板一枚で封印されていた古井戸だった。
 二匹が弾んでへしおったのは、まさにその封印の板。
 突き破った二匹の落下を受け止めるものはなにもない。
「ゆ、ゆっくりー!」
 遠ざかる絶叫も井戸に吸い込まれて、すぐに何も聞こえなくなる。
 後に残されたのは静寂。
 やがて太陽はすでに山間に没して、秋の寒々とした夜気が漂いだす。
 一斉に鳴き始めるコオロギの声。
 何事も無かったかのように深まり行く秋の夕暮れだった。


二日目

「ゆっくり! ゆっくりしていってね!」
 必死の呼びかけが、何度もゆっくりれいむを揺さぶった。
 ゆっくりまりさのやけに近くからの呼び声。
 ようやく目を覚ましつつある、寝ぼけ眼のれいむ。でも、まだ夜中なんだから眠らせて欲しい。
 ここは見渡す限りの暗がり。
 もっとゆっくりすればいいのに。
「ゆ……? ゆゆゆっ!?」
 そんな思いをまりさに伝えようとして、ようやく自分の片頬を圧迫する固い感覚に気づいた。
 もう片方の頬に押し付けられていたのは柔らかい感覚。
 耳の近くでまりさの息遣いがして、その感触がまりさであることを確信する。
 お互いのほっぺたがぴったりくっついてその体温の暖かさが心地いいのだけど、この暗がりはじめじめと蒸していて、べっとりとはりつく感触。ちょっとだけ離れたい。
 でも、できなかった。前にも後ろにも動けなかい。跳び上がることも、押し付けられたまりさの圧力に遮られてしまう。
「ゆっくり離れてね!」
 ゆっくりれいむのお願いに、ゆっくりまりさの体がわずかに震えた。
「動けない……!」
 震えて、泣きそうな声。
 どうしたのだろう。悲しそうなまりさを慰めたい。
 でも、自分も身動き一つできず、ただ視線だけを走らせる。
 れいむの周囲は相変わらずの暗闇だったが、闇に目が慣れてきたのか暗がりにぼうと浮き上がるまりさらしき輪郭。だが、自分を押さえつける石の感触の正体がつかめない。
 ようやく視界に変化があったのは、視線を真上に向けたとき。
 くっきりと、丸く切り取られた青空がはるか遠くに見えた。
 太陽はまだ低いのか光が差し込むことはなく、ただ入り口付近の朧に眩しい。
 れいむは、自分がどんなところにいるのかようやく悟った。
 井戸という知識はゆっくりにはない。深い穴の途中にひっかかって身動きできない状況を、絶望という言葉で理解できただけだ。同じ方向を見て、ほっぺたをあわせている自分とまりさ。その両側はがっしりとした石積みが押さえ込んで身動きできない。
 いや、それは幸運なことだろう。壁につっかえなければ、井戸の底へまっさかさまに落ちていくだけだ。
 けれど、石積みの壁は古びているのか、ゆっくりたちが身じろぐとぽろぽろと壁面がこすれて下に落ちていく。
 わずかな間に続いて、真下から響いてくる水の音。
「ゆゆゆゆ!」
 ゆっくり二匹を恐怖に至らしめたのは、穴のさらなる深さよりも水で満たされているだろう、その奥底だった。
 水溜りや少しの雨なら、はしゃいで遊びまわることもできるゆっくり。
 だが、長時間全身が水につかれば、皮がぶよぶよにふやけて、やがては中身を水中に吐き散らすはめになる。
 だから、雨の日は巣穴で家族とゆっくり過ごすのがゆっくりたちの常識だった。
 今は二匹がぴったりと穴につっかえているからいいが、もし外れて水中に落ちた場合、待っているのは緩慢な死、腐敗。
「ゆーっ!」
 一際高いゆっくりれいむの泣き声。
 だが、果たしてこの井戸から外に届いたかどうか。
 井戸の中は雫の落ちるほどが響き渡るほどの、閉ざされた静寂。望みは薄かった。
 れいむの絶望が恐怖に変わる。
「いや! いやいやいやいや!」
「おちついて、ゆっくりしてね!」
 取り乱したれいむに、ゆっくりまりさの声が届かない。
「ゆっくりしないと落ちるううう!」
 とうとう、まりさも涙声。
 その切羽詰った叫びとともに、れいむの壁に面した頬が、ずりと壁面を擦った。
 ほんのわずかながらも、強烈に肌がざわつく落下の感覚。
「ゆ!」
 もはや、身じろぎもできないれいむ。
「ね゛っ。ゆ゛っぐり゛じよう!」
 まりさの懇願混じりの声に頷くこともできなかった。
 穴の中央付近でひっかかっているこの均衡が、容易く壊れることをようやく理解する。

 二匹は、ほぼ平行につっかえているが、実感まりさの方が下がり気味だった。
 ただ、壊れかけた石壁が一箇所飛び出して、ゆっくりまりさの顎にぎっちりくいこんでいる。
 そこをとっかりに二匹は横からの圧力で落下を免れていた。ごくわずかな幸運。
 それでも、ほんの一時だけ死に猶予を与えているだけにしか思えなくて、ゆっくりれいむの喉を悲しみが突き上げる。
「ゆっ、ゆっ……!」
 ゆっくりまりさも泣いていた。しゃくりあげることすら許されない、この絶望に。
 どれほど悲嘆に暮れていただろう。
 れいむは周囲が明るく照らし出されていることに気がついた。
 日差しが高くなり、井戸の上空から一直線に差し込む光。
 湿って凍えたゆっくり二匹をぽっかぽかに包み込む。
「暖かいね」
「うん」
 れいむの呟きに、短いまりさの返事。
「気持ちいいね」
「うん」
 相変わらずのまりさの短い返事。でもゆっくりと言葉を交わせたことがれいむは嬉しかった。
 ほかほかの日向にほっこりと表情を和らげる二匹。太陽が隠れるまで半刻を要さないだろうが、一時のゆっくりを存分に味わう。
 光に照らし出されて周囲の様子が明らかになり、二匹は少しだけ落ち着きを取り戻していた。
 概ね、予想通りの井戸の光景。忘れ去られた井戸の中で、ほっぺをひしゃげてよりそう二匹の姿はひどくユーモラス。二匹がへばりつく石積みの壁には、ところどころ穴があいて、広がる光の領域に慌てて逃げこむ蟻やムカデ、イモリの姿があった。
 れいむがその壁に向けて精一杯舌をのばす。舌に張り付く数匹の蟻んこたち。
 ぺろっと飲み込んで、むーしゃむーしゃと咀嚼する。あんまり幸せな味ではなかったが、食べることができたという事実がれいむにわずかな希望を与えた。
 このまま、しのいで張り付いていれば誰か井戸を覗き込む人が現れるかもしれない。そうだ、森に行こうと誘ったのはまりさ。誰かに行き先を教えていれば、家族のゆっくりや仲間が探しにきてくれるかもしれない。言っていなくても、まりさの行動範囲に魔法の森は必ず含まれる。探す目的地の一つとなるだろう。
 見つけてもらえば、また存分に太陽の下でゆっくりできる!
「まりさ、あのね!」
 その思い付きがもたらした希望、喜びを、ほかならぬまりさと分け合いたかった。
 だが、まりさは先ほどまでの日向ぼっこの表情が一変し、またじんわりと涙を流していた。唇をかみ締め、ひっくひっくとえづく。
「まりさ、どうしたの?」
「ゆっ、ゆっぐり゛痛ぐなっでぎだ!」
 二匹の重みを受ける石壁のでっぱり。そこに接したまりさの顎にうっすらと走る一筋の線。石壁に擦ってできたわずかな切り傷。
 まりさの顔の影になって見えないれいむに、にわかに募る不安。
「だいじょうぶ!」
「……うん、ゆっくりしていれば治る」
 実際、日向でのんびりしていれば、一日で薄皮がはって消えるだけの傷。
 まりさは気丈な言葉でれいむを安心させてくれる。
 それでも、自分たちを助けるために負ったその傷を、なめて労わってあげられないのがれいむには悔しい。
 だから、せめて心を労わりたい。
「ここを知っている誰かがきっときてくれるよ、ゆっくり頑張ろうね!」
 きっと、森に遊びに言ったことを知った誰かが気づいてくれるよ! そんな、言葉にするのももどかしい想いを口にする。
 まりさはどんな表情をしたのだろう。
 れいむと同じく希望の取り戻した笑顔を浮かべたのだろうか。
 だが、わからない。
 ほとんど次の瞬間、井戸は暗闇に沈んでしまっていた。
 目蓋に残った光の斑点は、井戸から引き上げていった陽光の残滓。
 あまりにも短い日差しの終わりに、わかっていながらもれいむは打ちのめされる。
 黙り込んでしまったゆっくり二匹。
「ここを見つけたせいで……ごめんね」
 沈黙を破ったのは闇のなかからの、か細いまりさの声。
 泣きすがる、哀れみを乞う響き。
 れいむは、親友のそんな声を聞きたくなかった。
 心が滅入って、ついつい尻馬にのって相手を責めたくなる気持ちを跳ね除けるように叫んでいた。
「違うよ! れいむがもっと遊ぼうといわなければよかったんだよ!」
 だが、空元気も、傷を舐めあうことも二人に救いをもたらさない。
 それ以上何を言えばいいのかわからず、上を見上げた。
 いつか現れるかもしれない仲間の姿を見逃さないよう、ひたすらに空を見ていた。
 日暮れの早まる秋の空。
 色合いが朱に染まる夕焼け、数刻もしないうちに夜が訪れる。
 井戸の中は、すでに光一つない宵闇。
 もう、ゆっくりたちが出歩ける時間ではない。
 どこから落ちる水滴の音と、カサカサとはいまわる虫たちの音だけが異様に響きわたる。
「ここから出して」
「おうちかえる」
 ぽつりと時折こぼれる二匹の呟き。
 だが、やがてそのささやかな願いを飲み込むのは圧倒的な暗闇。
 嗚咽すらも押しつぶすような静寂に二匹の存在は沈み込む。


三日目

 ゆっくりれいむは家族の夢を見ていた。
 藪の奥の横穴にひっそりとある暖かな我が家。
 姉妹れいむたちと押し合いへし合いして遊んでいると、お母さんれいむが登場。下膨れたした顔で、「ゆっ! ゆっ!」と娘たちを叱る。
 渋々寝床に入るゆっくりれいむたち。でも、少しでお母さんれいむの傍に近寄れるように動き出して、再び始まる大騒動。
 結局、お母さんれいむにぴったりと全員がよりそって、ぽかぽかの体温を感じながらゆっくりと眠りについた。
 ゆっくりお母さんはぷっくり膨らんだほっぺを娘たちに押し当てたまま「ゆー! ゆ-!」といつもの子守唄。娘たちを優しく眠りに導いてくれる。
 絶対的な安堵を与えてくれる母親の懐。ゆっくりれいむはただ幸せな夢を見ていればいい。よだれをたらしつつ、存分にまどろみを貪る。
 これ以上ゆっくりしようがないほどにゆったりとした心。
 幸福に包まれて、れいむは気ままに明日を思う。
 明日、目が覚めたら何をして遊ぼうかな。
 最近、ゆっくりまりさとばっかり遊んでいたからたまには他の皆も入れて一日中ゆっくりするのもいいかもしれない。
 あれこれ考えながら眠りへと落ちていくれいむ。
 さあ、次に目を覚ませばいつもの楽しい毎日の始まりだ……
 期待に心を弾ませて目を覚まそうとするゆっくりれいむ。
 だが、れいむが感じたのは、ほっぺたをぽつりと濡らす雫だった。
「冷たいよ!」
 姉妹か誰かの悪戯かと、寝ぼけ眼で不満を口にした。
 だが、顔全体に降り続く雫が急速にゆっくりれいむの眠気を奪い去っていく。
 それは、芯まで凍えそうな秋雨だった。
 現実を思い知らされる井戸の暗闇。
 上を見上げれば、丸く切り取られた空はうんざりするほどに暗い雲の色。
 もっとゆっくり夢をみていたかった。恨めしげに天を睨むが、れいむの髪やほっぺを叩くような雨足は弱まることはなかった。石壁からはひっきりなしに伝い落ちる雨だれ。
 いつ止むとも知れないどんよりとした空模様だった。
 そんな天気を眺めていたれいむは、ふと感じた違和感に小首を傾げる。
 井戸の出口まで、少し遠くなったような?
「起きたなら、ふんばってね!」
 必死なまりさの声に、違和感の正体に気づく。
 濡れてグズグズに緩んだ頬。壁面との抵抗が極端に弱まっていた。
 わずかながら、ずり落ちつつある二匹のゆっくり。
「ゆ、ゆっくり!」
 青ざめてぎゅっと頬をよせると落下は一端停止する。まだ、さしたる力を込めずともふんばることはできそうだ。
 だが、力を完全に抜くとすぐさま底へ落ち込みそう。
 数秒足りとも力を緩められない。24時間中続く、無慈悲な義務がここに生まれた。
 もはや、さきほどまでのように無防備に寝入ることはできない。
「ああああ! ゆっくりでぎないよお!!!」
 ゆっくりまりさの叫びは、今のれいむの悲嘆そのものだった。
 二匹、力が弱まらないようにぎゅっと口結んでふんばって、それでもぽろぽろと涙があふれてくる。
 だが、これはいつまでも続く地獄ではないと、れいむは信じたい。
 昨日から抱いている希望、探しにきてくれる友人や家族のことがれいむの脳裏に浮かぶ。
「まりさ、がんばろうね!」
 今頃、お母さんれいむや他のゆっくりまりさたちがこの雨の中を探し回っているのだろう。
 この井戸のあるあばら家は魔法の森のほど近く。
 うまくいけば一日もたたず探索範囲に入る。
 問題は、それまでの数日を耐えられるかどうか。
「だから、もう少しがんばろうね!」
 まりさを落ち着かせるための笑顔向けて、れいむの健気な呼びかけ。
 だが、まりさの表情はますますクシャクシャの泣き顔になっていく。
「ひっく……っ、がんばっても……どうせ、誰もきてくれないよおおお!」 
 突然の嗚咽交じりの絶叫に、びくんと震えるれいむの全身。
 単なる弱音ではなく、確信をもったまりさの口調にれいむの顔から笑顔が引けていく。
 変わってれいむの顔に張り付いたのは不審。
「どうして、そんなことをいうの?」
「だって……」
 応えるまりさの顔は、もう雨と涙でどろどろだった。
「だって、皆には霧の湖で遊ぶと言ったんだもん!!!」
「ゆ?」
 れいむの脳みそはまりさの言葉を理解しきれず、硬直する。
 わかっっていたのは、霧の湖はこことはまるで反対側にあることだけ。
 その意味がじんわりとれいむに染み入ってくる。
 ガクガク震えだす全身。
 どんどん強くなっていく。
 止まらない。
 体を震わしながらこみ上げてくるのは、得体の知れないふつふつとした感情。怒りか悲しみかもはや形をもたないままに沸点を超えた。
「まっ!! ま゛り゛ざあああ、なんでなの! なんでえええ!!!」
 困惑、怒り、やるせなさ、感情のにごりが煮えたぎるれいむの狂乱だった。
「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめ゛んな゛ざいいいいいいい!」
 わんわんと声をあげて、しゃくりあげながら謝罪を繰り返すまりさ。
 昨日までのれいむなら、親友のそんな様子を見ればそっとよりそって泣き止むのを待っていただろう。
 だが、もはやれいむは容赦しない。
「はやく説明してね!!!」
 激しい詰問に、ひぃと息を飲むゆっくりまりさ。
「ゆっくりパチュリーやゆっくりアリスたちに邪魔されずに、れいむと一緒に遊びたかったのおお!!!」
 その言葉に、れいむはいっつもまりさにくっついて離れない二匹のことを思い出す。
 まりさと遊んでいると、ゆっくりパチュリーがどこからともなく這い出して、二人の後をゆっくりとついてくる。そうなれば、弾むように力一杯遊ぶことはできない。パチュリーを中心にして静かに過ごすゆっくり。
 ゆっくりアリスはもっと扱いが難しい種。普段は遊びに誘っても嫌がって一緒に遊びにはいかない。だけど、諦めて他のゆっくりと遊んでいると木陰からじっとりと見つめてきて、もう一度誘わない限り一日中続くのだ。結局、お願いして一緒に遊んでもらうことになる。
 だが、れいむとまりさは知らなかった。ゆっくりアリスが本当に問題行動を起こす発情期のことを。
 発情期を迎えたゆっくりアリスは、無理やりゆっくりまりさと交尾しようと森や平原などいたるところを徘徊し、見つけるなり集団で襲い掛かってくる。お母さんれいむのように成熟しきった個体同士なら普通に交配する限り、時間はかかるが何度でも子を生める。だが、まだ青いゆっくりまりさにとって、無理やりの交尾は極めて危険だった。ある程度の子供が生えるものの、母体のゆっくりまりさはショックのあまりに白目をむいてそのまま朽ち果ててしまう。
 凄惨を極めたのが、ゆっくりアリスの群れ全体が発情した三年前。ゆっくりまりさの集落がいくつも全滅して、やがて一斉に生まれてきた子供たちがゆっくりまりさの生息数大爆発を招くことになる。野草や昆虫たちを手当たり次第に
食い尽くすゆっくりまりさたち。ゆっくりまりさと交配しやすい種であるゆっくりれいむも数を増やして、生態系の破壊は広がっていった。その処理策として設立されたのが、ゆっくり加工所だった。
 もちろん、ゆっくりたちはそんな事実は知る由も無いが、ゆっくりアリスのどこかただならぬ雰囲気は薄々と察してはいた。
 結局、なぜかウマの合うゆっくりまりさとゆっくりれいむで遊ぶのが一番楽しいのだ。
 でも、だからといって親友のついた取り返しのつかない嘘を許せすことができない。
 大きく膨らんだ希望が、そのまま絶望の重みとなった憤り。
 その熱い塊をぶつける対象を目前に見つけて、怒りが爆ぜた。
「嘘つきまりさなんて大っ嫌い!」
 憤怒が、井戸の中でぐわんぐわんと鮮烈に反響していた。
「ごめ゛んな゛ざい、ごめ゛んな゛ざい、ごめ゛んな゛ざい……」
 念仏のように繰り返すまりさの態度。だが、その惨めさがますますれいむの熱を吹き上げさせる。
 後どれだけの時間をここですごせばいいのか。
 いや、もはや助けられることすら望み薄だろう。このまま家族にも知られることなく、干乾びて朽ち果てていくゆっくりたち。げっそりと痩せて、やがては水の中へすべり落ちる。
 そうなれば運命は決まっていた。ゆっくりたちの皮は水に弱い。ぐにゃぐにゃに膨らんで、皮はいずれ破れるだろう。
 まず、中身が水や外気にさらされる。やがてはじまるのは腐敗。自分の体が耐え難い異臭を放ち、中から朽ち果てていく長い長い悪夢。早く意識が途絶えることをひたすらに願いながら、ゆらゆらと汚水を漂う。
 おぞましい想像に、れいむの体がぞわりと悪寒に震えた。
 れいむはそんな未来など、井戸に落下してから一度たりとも考えたことはなかった。
 探し回ってこの家をみつける仲間のゆっくりたち。近づくとかすかなゆっくりの声が聞こえてきて、覗き込んだ先にあったのは仲間の窮地。慌てて集まる沢山のゆっくりたち。探し出されてきた長いロープが井戸にたらされ、中の二匹が
ロープを噛みしめるなり一気にひっぱりだされる。外に出られたら、すぐにうち帰ってお母さんれいむを安心させよう。
 それが、数分前までれいむが夢想していた未来。もう、消え失せてしまった未来絵図。
 それもこれも、このまりさのせいだ。こいつが馬鹿なことを言ったばかりに全部終わってしまった。
 こいつのせいで……死ぬ。
「い゛や゛だあっ! ま゛り゛ざのぜいで、じにだぐないいい!」
 もうれいむは止まらない。
「ま゛り゛ざの、ばがああっ! ま゛り゛ざだげ、じね!」
「ゆっ! ゆ゛う゛う゛うううううっ!!!」
 断末魔のような悲鳴を上げるまりさを黙らせようとするかのように、れいむはぐいぐいとまりさを壁に押し付ける。
「泣いてないで、落ちないようにしてね!」
 れいむの棘のこもった言葉に従って、律儀に押し返すまりさ。
 もう、何も喋らない二匹。
 ゆっくりと、もう泣きたくなるぐらいにゆっくりと時間は過ぎていく。
 井戸の中を、妖怪の山から吹き降りてきた風が入り込み、濡れた体をぞくりと振るわせた。
 寒い。
 隣のまりさの体温がなければ、野宿すら耐えられない季節になりつつあった。
 鼻をすすりながら、懸命に押してくるまりさの暖かな全身。
 それだけがれいむに温もりを与えてくれた。
 だが、耳朶に届くのは嗚咽交じりの侘び。
「ごめ゛んな゛ざあああい……」
 泣きすがり、許しを乞う陰鬱な声。
 井戸の底とで命を預けあうまりさが繰り返す哀願に、すううと冷えていくれいむの心。
 まるで、自分のほうが取り返しのつかないことをしてしまったような痛みが胸を刺す。
 今はまりさだけが頼りなのに。
 自分と同じ苦しみを背負う相手を一方的に責めて、自分は何がしたかったのだろう。
 もう何もかも嫌になる。
「だれかぁ……はやくたすけてえ……」
 見上げる井戸の上。
 黒ずんだ雨雲に占められた、あいかわらずの代わり映えのない空とその向こうにいるかも知れない神様に、ゆっくりれいむはひたすら祈っていた。

 だが、畜生に神はいない。
 井戸を覗き込む人影どころか、厚い雲に隠れたまま太陽すら姿を見せないまま、いつしか空は夜の色に沈む。
 救いは、ようやく雨足を弱めつつある丸一日降り続いていた雨。
 打ちつける雨の粒も、今は優しく降りしきる霧雨だった。
 だが、代わって二匹を苛むのは夜半の冷え込みの厳しさ。もはや冬の始まりと大差がない。
「ゆゆゆ……」
 れいむの舌の根も凍えて言葉を吐き出せない。
 もうじき初霜がおりてもおかしくない秋の日暮れだった。
 凍えた体は力が上手く入らない。希望なき奮闘にも関わらず、二匹は少しずつ、井戸の底へと近づいていく。
 その都度、腐ったような水の匂いが濃くなって、れいむの喉にまとわりつく。
 ぶわあんと、反響するカトンボの羽音がひどく耳障り。
 水際に近寄るほど濃厚に漂いはじめる死の気配。
「……い」
 れいむの耳がまりさの呟きを拾う。
 また「ごめんなさい」だろうか。
 朦朧とした口ぶりで繰り返すその言葉に、れいむに湧き上がるのは逆に罪悪感。
「もういいから、謝らないでね!」
 精一杯の優しさをこめて呼びかける。
 だが、反応は予想外のものだった。
「違うのおお」
 それは、半泣きのまりさのうめき。
「かゆいの、かゆいの、すっごくかゆいの……」
 しみこんだ水分を枯れ果てるまで流すかのように、だらだらとこぼれ落ちる涙。
 余程の痒み襲われているのか、ぶるぶると痙攣のように震えだした。
「傷が、顎のあたりが痒いいい! ジクジク、かゆいいいいい!!!」
 みっともなく、幼子のように泣き叫ぶまりさ。
 恐らく、患部は最初に井戸を落下したときにおった顎付近の傷。
 れいむからはまりさの顔越しの位置になって、傷の様子はわからない。闇の中、懸命に舌を伸ばしている様子のまりさも、患部にまで舌がのびずもどかしい模様。よほど痒いのだろう、なおも舌を伸ばして時折えづく。
「き、きっと傷がカサブタになろうとしているんだよ。痒いけど、我慢だよ!」
 少しでも前向きな言葉を口にして、まりさの気を紛らわそうとする。
 けれども、まりさを襲う痒みは尋常ではないようだ。
「痒いよう、痒いよう……」
 繰り返すまりさの嗚咽を聞きながら、三日目の夜はふけていく。
 眠って底に滑落しないよう、唇をぎゅっとかみ締めるだけの夜は、ひたすらに長い。

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最終更新:2011年07月28日 00:21
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