間桐臓硯



 時間が経てば経つほど不利になるのは明白だ。
 なら、自分の体が自由に動くうちにこの窮地から脱出する。
 壁という壁に敷き詰められた虫が、そのまま床を埋め尽くして俺の体に這い上がってくる前に、目前の老魔術師を斬り伏せる――――!
 手応えはなかった。
 袈裟斬りにされた老魔術師は、トマトのように容易く両断され、お堂に飛び散り落ちる。
「ほ――――! なるほどなるほど、思い切りのよい小僧ではないか!」
 床に落ちた首が笑う。
「――――、っ…………!」
 警策が音を立てて崩れていく。
 ―――やられた。
 あの妖怪爺、体と引き換えに強化した警策を腐らせやがった……!
「詰めじゃな。血気にはやって唯一の武器を失うとは、いやはや、若い者は我慢が足らぬのう」
「…………!」
 走る。
 ブチブチと虫を踏み潰しながら走る。
 背中に圧し掛かる死の気配、
 ぞわぞわと波立って襲い掛かってくる虫の群から逃れようと、
 お堂の外、黒い壁へ肩口から体当たりする……!
「っ、出れた……!」
 勢いを殺せず、転がりながら外に落ちる。
「は、あ……!」
 虫どもは追ってこない。
 無我夢中で走った為か、境内とは反対の場所に出てしまった。
「痛っ……」
 建物から落ちた時に打ったのか、体中が痛む。
「それがどうした、そんな事より今は――――」
 一刻も早く、セイバーの元に行かないと。
 厭な予感がする。
 すぐにでもセイバーの顔を見ないと、不安で不安で仕方がな――――
「――――!」
 水面がざわめく。
 危険を察して後ろに跳び退く。
 水気に満ちた土から足を離す。
「っ……!?」
 だが、後ろに跳べたのは一瞬だけだ。
 ―――鈍い痛み。
 何か、踵に異状を感じて視線を落とす。
「な――――」
 真っ赤だった。
 俺の両足は、踝からすっぱりと失われている。
「……さっきの、アレか」
 お堂から脱出する時、数え切れぬ虫を踏み潰した。
 ……臓硯の体を断っただけで、強化した警策が腐り落ちたのだ。
 ならあの虫どもを踏み潰した足だって、同じ運命を辿るに決まっている。
「つ、ぐ……!」
 這いつくばったまま、両腕だけでぬかるみから出ようと試みる。
「呵々(カカ)。いやいや、惜しいのう小僧。判断自体は間違えていなかったのだが、実力が伴(ともな)わなんだ」
 蟲使いの声が響く。
 ―――ぬかるんだ地面。
 古来より、水気(すいき)には蜘蛛が宿る。
「―――さて、セイバーは手に入れた。
 残念よの、おぬしを生かす最後の理由も、これで消えてしもうたわ」
 バラバラと、見たこともない蟲が落ちてくる。
 皮膚に食らいつき、肉に潜り込み、骨を溶かしていく何百もの毒。
 ―――その、地獄以上の苦痛と悪寒に、意識が途絶えるまで耐えなければならなかった。
最終更新:2011年06月12日 01:16