民主党ですが歳末大売出しです
http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1262007564/

737 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 01:58:55 ID:???
厨二病趣味もここに極まれりというか
覚醒後ってw

742 名前:皆殺しのヨシュア ◆09G9lHBHb. [] 投稿日:2009/12/29(火) 02:00:20 ID:lq9XnZLX
>>737
初期の張飛は蛮勇の士に過ぎん
蜀攻略ぐらいの時に目覚める

751 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:02:39 ID:???
>>742
うんとね張飛のまともな記録が出てくるのはその辺りからなの

754 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:03:19 ID:???
読まれた本がまともでも、読んだ奴が厨二病だと、受け取り方は厨二病になるんだな

755 名前:皆殺しのヨシュア ◆09G9lHBHb. [] 投稿日:2009/12/29(火) 02:03:27 ID:lq9XnZLX
>>751
何、正史三国志で語れとな?夢の無い奴だ

761 名前:皆殺しのヨシュア ◆09G9lHBHb. [] 投稿日:2009/12/29(火) 02:04:51 ID:lq9XnZLX
>>754
後漢と魏とどちらに正当性があったのか厨二病の俺に教えて

766 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:06:09 ID:???
もちろん袁術が一番正当ですがなにか

773 名前:皆殺しのヨシュア ◆09G9lHBHb. [] 投稿日:2009/12/29(火) 02:07:40 ID:lq9XnZLX
>>766
黙れ偽帝


易姓革命も知らないのかな、騒いでる馬鹿どもは

795 名前:皆殺しのヨシュア ◆09G9lHBHb. [] 投稿日:2009/12/29(火) 02:12:36 ID:lq9XnZLX
で、結局誰も答えられないと

曹操が簒奪者に決まってるだろうに
日本で言えば天皇から王位を取り上げたのと同じだぞ
で、皇叔三笠宮と大激闘を繰り広げる、と

825 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:19:02 ID:???
>>773
漢魏の易姓革命の正統性についてならそういえと。

マジレスすると、微妙なライン。
奴隷からのし上がった異民族皇帝石勒様あたりからすると、
「劉邦は項羽には忠誠誓う義理ないし直接対決したから倫理的には最高だよね。
劉秀は更始帝に忠誠誓ってたけどちゃんと直接対決したから俺と同じくらいかな。
曹操と司馬懿は忠誠誓う振りして女子供を騙しやがって最低だよね。」
だそうだ。

843 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:22:49 ID:???
蜀の北伐はやっぱ成功する可能性は低かったのかな
五虎大将軍がいた時代でも

848 名前:CB400@しあわせになりたい ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:24:57 ID:???
蜀の国力で魏と呉の二正面作戦は無理だよねえ

852 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:26:43 ID:???
>>848
まず魏の背後を突ける勢力と連携しようぜ

偉大なる古代朝鮮と連携したらどうだろう

864 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:31:14 ID:???
>>843
無理
どちらかというと魏に対する攻勢防御と解釈した方が適当かと<北伐

そもそも蜀は内政的に不安定だし
皇帝と一番・二番の有力将軍が北方出身で、
軍師や民生系の人材がケイ州で、
その他大勢の人材が滅ぼした勢力から吸収した四川出身
これでまとまる筈が無いのを、ショカツリョウが無理して纏めてただけ
それでも北伐中に兵站のサボタージュ喰らってるし

五虎代将軍が居た頃は、人材のアクが強すぎてもっと纏まりにくいかと
関羽はどちらかというと配下というよりは劉備と同格に近い同盟者的立場だし、
馬超は涼州太守の息子、
チョウウンが彼らと同格扱いになったのは後付け設定だし

871 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:33:34 ID:???
>>864
呉も不安定さなら負けてないよな

872 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:33:57 ID:???
>>852
呉は当時の倭国と交流があったとか
もちろん魏を牽制する意図がそこにはあっただろうね
結局は燕州の公孫政権を魏が滅ぼしてからはそっちになびいたけど

875 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:36:30 ID:???
>>872
台湾征伐とか無駄なことをやったような>呉

876 名前:CB400@しあわせになりたい ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:36:51 ID:???
>>872
でも大和朝廷成立後でないと、大陸の主要国家に影響与える程の戦力国力は無理じゃね?

878 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:37:51 ID:???
>>876
成立後でも無理
秀吉の時代になってやっと多少は影響を与えられるレベルだろう

884 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:39:30 ID:???
>>876
中国本土は外交的にも軍事的にも、当時の列島王朝としては遠隔地でありすぎると思うよ。

886 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:39:34 ID:???
>>878
古代日本の中国方面の影響力は出かかったと言われてるぞ

888 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:40:07 ID:???
>>876
>>878
ちゅうか向こうに影響及ぼそうとしたら、なんだかんだで人口違いすぎるのと、海で隔てられてるのが痛いな。

895 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:42:14 ID:???
>>888
大陸から日本に攻めてくるのには勝てるが、日本から攻めるのはまず無理ってくらいのバランスだな
日本海凄い

896 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:42:36 ID:???
>>871
呉はそもそも皇帝位の正統性のレベルから怪しいかとw

後漢の経緯から考えるに、当時の皇帝位の正当性を担保したアイテムとしては血筋・禅譲・緯書があって、
魏は古式に則って禅譲を演出したし、
蜀も血筋に加えて緯書に類似した玉璽という演出もほどこしたのに、
呉だけは緯書一本で押し通したから
中原の知識人の感覚からすれば、かなりツッコミ所が多かっただろうね

897 名前:CB400@しあわせになりたい ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:42:44 ID:???
>>878
>>884
じゃあ呉は何を期待したんだろ
交易レベル・・・当時の日本に交易に使えるようなネタがあったとも思えないけど

900 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:45:36 ID:???
>>897
当時から日本は人口多い土地で兵士がおおかったんじゃね

902 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:46:58 ID:???
>>896
井戸から玉璽見つかったとか言って国に帰ろうとしたら帰りに黄祖に殺されたんじゃなかったっけ


スレタイ募集

907 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:49:20 ID:???
>>897
いや、異民族勢力としては匈奴や烏丸に次ぐ位の影響力はあったはずだよ<倭
当時だと人口=国力で、倭の人口は朝鮮半島のいかなる国家よりも多かったから

あと後漢末位の時代だと、中国人は倭に対してプレスター・ジョン的な憧憬があったことも無視できない
いわゆる徐福伝説ね
「東方海上には珍宝を多く産出する蓬莱という島がある」という話が真面目に信じられてたから
まあ実際、当時の日本特有の特産品としては絹や翡翠があったし
政治的影響力の観点からすると、決して無視できない勢力だったと思われ

912 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:51:54 ID:???
>>902
史実では袁術軍の将として、董卓による官位を受諾して荊州に赴任した劉表を攻撃する部隊として利用されて
お亡くなりになっただけじゃなかったかと。

914 名前:CB400@しあわせになりたい ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:52:10 ID:???
>>907
あ、あの頃から絹は作ってたんだ


徐福伝説と言うと和歌山のけばい徐福公園が・・・

915 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:53:50 ID:???
>>907
人口は多いが運搬能力が皆無だろ、軍事的な影響力はほぼなかろう
文化的、政治的な影響ならあるだろうが

917 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:55:34 ID:???
>>915
眠れる日本みたいな感覚だったんじゃないか

918 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:56:04 ID:???
>>915
あの当時だと倭からの朝見のブツって奴隷かなんかだったけか。
それしかめぼしいものがなかったのか、特産品(余ってた)なのか……。

919 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:58:21 ID:???
>>918
奴隷は奴隷という立場で技術を学びに行った人間達だという説もありますな。

920 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 02:58:26 ID:???
>>915
当時の、というか伝統的な中国の国際秩序は朝貢貿易を媒介とした冊封体制であったことを思い出すべきかと
中原を直接脅かす能力はなくとも、当時の倭には充分に周辺諸国の朝貢先を左右するだけの実力はあったかと
そしてそれは、中原にあって世界の中心を自認している各国の権威にも影響しかねない面が

923 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:03:02 ID:???
>>920
そう言う意味でもやっぱり軍事的ではなく政治的な意味だな


かなり後の鑑真さんでさえ散々難破してるんだから、軍隊が渡るとか普通に無理っしょ

925 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:03:59 ID:???
むしろ呉としては、それこそ政権の正統性を示すための手段だったかも知れない>倭との接触
それなりの東夷が、魏や蜀では無く、われらが呉に朝貢してきたのだ
これは、呉が正統なる政権であるが故の行為である
とこんな感じで

どさくさ紛れに成立した政権だからこそ、内外に正統性を示す必要があったんでは?
特に内部の豪族とかに対して


ま、三国時代はあまり詳しくないから概ね想像だけど
他の時代も似たようなもんだし

927 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:05:39 ID:???
>>923
当の魏や呉がそう認識してたかどうかは事実とまた別の話だぜ
半島経由で来るとか呉に大量に増援送るとかいう可能性もあったんじゃないか

928 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:06:09 ID:???
>>923
まあ中原側も攻めるのは無理だし、かといって無視するのもできないほどデカイ勢力だから、
政治的に懐柔できるのならそれが一番だったろうね
想像を逞しくすれば、倭国側もそれを察して魏と呉の間でどちらが良い条件を出すか値踏みしてたんじゃないかな?

929 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:07:48 ID:???
>>927
いや呉と日本は数百年後でもまともに渡れないから
まあ数万年前なら歩いて渡れたかもだが

そして半島を打通とかどんな罰ゲーム

930 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:08:48 ID:???
デカいけど軍事的には無意味っぽい相手、となれば政治的に友好保って権威付けに使うのが互いにベストだろうな

931 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:09:05 ID:???
魏って楽浪郡に拠点持ってなかったっけ?

半島で動乱があったら少しは圧迫になったかも?当時の倭国が半島に影響力有してたか
は分からんが。

933 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:10:58 ID:???
半島沿いのルートは比較的安全だったよな
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Kentoshi_route.png

まあそもそも当時の日本が人口多くても統一して行動できてたのか謎だが

934 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:11:28 ID:???
>>907
後漢の時期の匈奴は微妙じゃねえかな。
外戚が功績に箔つけるための具にしかなっとらんような。
末期には自発的に献帝助けにはせ参じるくらい隷属してるし。
鮮卑にもへいこらしてるし。
羌にもやられ始めるし。
魏になるとオルドス地方で自治権得たり勢力回復し始めるんだけど。

やっぱ遊牧民って定住民以上に指導者に左右されちゃうから。

936 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:12:53 ID:???
当時の倭って卑弥呼とかの邪馬台国とかが争ってた時代だから
倭国内の権威づけのために中華を利用したのか・・中華にとっても朝貢する国は
多いに越したことはないだろうし

941 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:17:23 ID:???
>>936
互いに箔付けだったんじゃね?みたいなことは陳舜臣も言ってたな。

945 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2009/12/29(火) 03:22:25 ID:???
冊封体制で面白いのは中原に朝貢してる国家も、自国周辺の弱小国を自国に朝貢させて
いわばミニ冊封体制を創り出しがちな点かと
実際、シャムやベトナムなどの東南アジア諸国は、自国が中原に朝貢しながらも
周辺の弱小国には自国に朝貢させて権威付けしてたし

邪馬台国にもそういう面はあっただろうね

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最終更新:2010年01月07日 21:45