民主党ですが・・・


896 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:05:35 ID:???
    日本人は白兵指向というけど、戦国時代じゃ遠戦を好んだというか狙撃指向だったみたいですね。
    火縄銃も弾幕張るものじゃなくて、狙撃に使っていたみたい(だからフリントロック導入しなかった)

933 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:11:51 神 ID:???
    >896さん 何しろ鉄砲は最初は城攻めの時に、銃眼を制圧するために使われていましたから。
    日本で盾が発達しなかったのは、元々が遠戦志向で、竹の寄席具という簡易野戦陣地を構築するから、
    という話しもありますし。あれを足軽数人がかりで進めていって、矢戦をやって、それから槍衆を従えた
    武士が突っ込むという。

     雑賀が恐れられたのは、この最後の段階で突っ込む槍衆の組頭を狙撃でばしばし撃ち殺して、一気に
    士気崩壊させる、という戦術を駆使したからで。

961 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:17:42 ID:???
    フリントロックは、埃や湿気のせいで、不発になることが多かったような
    アヘン戦争で、英国やらは苦労しているらしいし
    インドでも、そのせいで火縄銃の方が好まれた

963 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:17:50 ID:???
    >>933
    戦国日本は遠戦指向だからこそ、ヨーロッパのテルシオのような重厚な密集陣形が発達せず
    備のような薄いけど柔軟な陣形が発達したのでしょうか?
    平原が少ないという地形の問題もあるでしょうが

970 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:19:29 ID:???
    >>963
    地形の要素の方が重要ではないかな?
    それに大名によって動員数やら、常備できる軍隊は少なかったろうが

    騎兵の役割を足軽が務めた、という説もある

974 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:19:50 ID:???
    >>956
    いや、むしろディエンビエンフーの補給を担当するベトナム人苦力をだな

985 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:21:15 ID:???
    >>963
    密集陣形の未発達については、日本では騎兵突撃がヨーロッパに比べて脅威ではなかったのも
    一因かもシレン

    まぁそれでも槍衾が存在はしたけど

991 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:22:08 ID:???
    >>970
    戦国の大大名なら数万の兵を動員できるから、単純な数の問題には出来ないと思いますが
    どうでしょうか

996 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:22:46 ID:???
    >>983
    よく見りゃ山ありますもんねぇ>ちうごく
    古戦場も地味に山ン中だったり

    そもそも、虎牢関とか、左右に山が無かったっけ?と


小沢ですが給付金はダメ。ゼッタイ。

24 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:26:22 神 ID:???
    前スレ>963 私はそう考えていますが。なにしろあれだけの動員数を持ちながら、基本的に集団戦闘志向になったのは
    信長以降ですし。で、信長は弓鉄砲の支援射撃の下での歩兵突撃を行った、という点で他の大名とは戦術思想が
    根本的に違うわけで。
     他の大名は、歩兵突撃なんて最後の最後に、敵にとどめを刺す時にしかやらなかったのに、信長は、しょっぱな
    からがしがし歩兵突撃をかまして、敵味方の混交状態を作って、勢いで押し流すか、それが無理ならさっさと逃げ
    だすか、という戦術の人でしたから。
     義元も、それを喰らって、旗本衆が潰走させられていますし。ていうか、正面からしょっぱなから歩兵突撃を
    かまされるとは、当時の合戦の様式としては、あまりに損害を無視した異常な戦術なわけで。

30 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:27:31 ID:???
    中国って、欧州半島ぐらいの大きさですよ?
    いわゆる中国内地だけでも
    しかもよく言われることだけど、淮河-秦嶺ラインで違う世界だし
    食文化から、地形言語まで

    さらに南側も、四川盆地や長江下流域、東南沿海部と、それぞれ独特の世界ですし

32 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:28:19 ID:???
    >>24
    それを続けられる国力があったからでしょうかねぇ>突撃戦術

33 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:28:27 ID:???
    所謂「中国語」は北京語だったな
    広東語圏では全く使えないとか

34 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:28:43 ID:???
    そういや酷使様系の書評で「日本刀が最強と思っていたけど、フルプレートには
    負けるわ。信長がフルプレートを纏ったわけだ」
    という中々愉快なのがあったのを思い出した

41 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:30:45 ID:???
    >>33
    広東語と北京語は、ドイツ語とフランス語なんか比べ物になら無いほど、違います
    そんな「方言」を無数に抱えながら、何度も分裂しながら統一してきたのは、漢字と漢文の功績かと

42 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:30:46 ID:???
    >>34
    南蛮ごしらえの具足って、鉄砲狙撃への対策じゃなかったっけ?

49 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:32:00 ID:???
    >34
    戦場で刀なんて使うわけないでしょう。
    槍ですよ、槍。


56 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:33:23 神 ID:???
    >32さん それを続けられる動員数があったから、ですねい。で、農民を集めるのでは、すぐ損耗し尽してしまうので、
    金で傭兵をかき集めて、突撃させた、と。そりゃ、家之子郎党に頼っていたほかの大名では対抗できませんわな。
    信長の軍勢は弱い、と、言われていますが、そりゃ金でかき集めた浮浪人に長鑓を持たせて突っ込ませるだけ
    なんですから、普通に少数同士で闘ったら弱いでしょうよ(w

     問題は、そこで弓鉄砲で突撃支援射撃を行い、敵より多い数の兵隊を集めて、波状攻撃をかませる数を戦場に
    投入した事にあって。で、必要とあらば、信長自ら戦闘に立って突撃をかましていますからねい。それで雑兵の士気を
    高めたという。

57 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:33:34 ID:???
    つか日本軍事史の研究はまだまだ進んでいないお
    だから皆研究するお

60 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:34:50 ID:???
    >>42
    具足に試し撃ちして弾痕つけて品質保障したという話があるけど
    実はあれ、わざと装薬減らして撃ったらしい

65 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:35:32 ID:???
    >>56
    なにより、傭兵軍のメリットは動員時期を選ばないことですしねぇ
    美濃とか、農繁期に攻勢を仕掛けられ続けて、疲弊していきましたし

72 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:36:04 ID:???
    >60
    戦国時代の鉄砲って、玉が飛んでくるのが見えるんじゃなかった?
    馬驚かせる用とか。


79 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:37:36 ID:???
    史料にある1つの事例が、その当時の平均とは限らない・・・・
    それが例外の可能性もある・・・・
    歴史研究とは、いと恐ろしいものなり

81 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:38:02 ID:???
    >>72
    いやそれでも殺傷能力はあると思うが

    まぁ実際音がでかいから威嚇効果的面という側面もあったろうけど

82 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:38:20 ID:???
    >>72
    近距離だったら普通に具足を撃ちぬけますよ

84 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:38:26 ID:???
    関ヶ原のころの和鎧で、すでに防弾対応だろ

85 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:38:28 神 ID:???
    >65さん 浅井朝倉も、それで国人雑兵が士気崩壊して、それで負けましたからねい。
    武田が尾張美濃に討ち入ったとしても、同じように消耗戦に引きずり込まれて、むしろ
    武田滅亡が早まっただけかと思っております。だから、味方が原の後、武田信玄は
    岡崎周辺をのろのろ動き回っていたわけで。

93 :∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. :2009/01/15(木) 22:39:51 ID:???
    >>81
    西洋による実験歴史学では、命中すれば手足を砕き、内臓めちゃめちゃくらいのダメージを与えると
    ゆーことがわかっています。

    >>88
    そこまではわかりませんよw

96 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:40:37 神 ID:???
    NHKのやった実験では、当時一般的だった12匁から14匁の鉄砲なら、50mで当世具足を正面から貫通できました。
    射入角度関係無く。100mでも、射入角度が深ければ、十分貫通していましたねい。

99 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:41:37 ID:???
    >>56
    信長以前と以後では軍学も変わってしまったということでしょうか?
    だけど家康も甲州軍学取り入れたりと、以前の戦法もまるで陳腐化したわけでもないのかな?

100 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:41:58 ID:???
    当主が代々同じ名前だとか諱を頻繁に変えるとか史料が個人の記録でしかないのによく学者は混乱しないな

102 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:42:12 ID:???
    信長登場以前・安土桃山時代・朝鮮の役時代

    戦国時代を軍事史的にみる場合、このぐらいに区分する必要があると思う今日この頃

113 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:44:32 神 ID:???
    >99さん
     そら、信長はソ連軍と同じで、錬度の低い兵を使い捨てにする事前提でしたが、家康は支配地域が狭かったし、
    家之子郎党に頼るところ大であったので、旧来の戦術を信長式戦術をベースに発展させていった形にもっていけた
    わけで。
     錬度の高い兵ならこなせる戦術を導入できた、という事ではないかと。

114 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:44:35 ID:???
    油で走る車はだんだん軽くなるけど、電気自動車はそのまんまだよね。

115 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:44:36 ID:???
    信長軍の兵力は傭兵部隊だったのか
    略奪放火しまくってそりゃ相手は国が崩壊する罠

122 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:46:29 ID:???
    >>115
    兵農分離というから職業軍人を養成していたのかと思っていた。

124 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:46:33 ID:???
    >>96
    朝鮮の役では、大陸の鎧は薄いということが分かって、途中から三匁程度の小口径銃を大量に使ってますね

132 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:48:05 ID:???
    >>122
    信長政権後半から、常備軍建設に進んでいたような?
    余り詳しくないから、なんとも言えないが

    あるいは、親衛隊的な常備軍と、消耗前提の補助軍(?)に分けていたのかな?

136 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:49:58 ID:???
    >>113
    つきなみな意見ですが、信長の戦術は信長にしか使えなかったというわけですね。
    彼の後継者たる秀吉も、信長タイプの戦術なのでしょうか?

138 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:50:10 ID:???
    つか略奪って当時はどこの国も普通だったわけで

    秀吉軍団は異常

142 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:50:53 神 ID:???
    >122さん そりゃ、各家ごとに砲術や槍術の指南役を招いて、錬度を高める努力はしておりますがな。
    ただ、信長の根本的な戦術思想が、火力支援の下での歩兵突撃ですから、必然的に消耗戦を敵味方に
    強要する事になるわけで。兵農を分離しないと、あっという間にそれぞれの家中が壊滅しますがな。

    >124さん そうだったのですか。それは初耳でした。

143 :名無しじゅく女覚醒 ◆Sfgue7Ln3Q :2009/01/15(木) 22:51:07 ID:???
    >>134
    農繁期に戦をしましたっけ?川中島とか…

144 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:51:07 ID:???
    >>138
    ありゃ、ほとんど統一政権ですもん

154 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:53:04 ID:???
    >>138
    >つか略奪って当時はどこの国も普通だったわけで
    >
    >秀吉軍団は異常

    これって秀吉軍は乱暴狼藉を働かなかったということでしょうか

    光成は偉大だなぁ

161 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 22:55:20 神 ID:???
    >136さん というより、鉄砲の使い勝手が良すぎて、そのまま鉄砲を使った火力戦に移行してしまったわけで。
    長篠の合戦で野戦築城戦術を実用化しちゃいましたから、歩兵突撃の威力も逆に落ちたわけであり、小牧長久手
    の合戦みたいな、ある程度遭遇戦的な場面でないと、歩兵突撃の威力も減殺されてしまうわけで。

     というわけで、鉄砲自体がやはり専門に訓練された兵士でないと、扱いきれない兵器でしたから、結局は職業軍人化
    は避けられなかった、という事ではないかと。

176 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 22:59:40 ID:???
    >>161
    信長自身が自分の戦術を封じてしまうのは皮肉な話ですね

    ところでカノン砲とカロネード砲と大鉄砲、海戦に一番使いやすいのはどれだろうか?
    朝鮮の役でも、朝鮮水軍は大鉄砲に相当苦戦したらしいけど

205 :名無し三等兵:2009/01/15(木) 23:05:14 ID:???
    陣地戦にならなかったのは農作業の関係だろうか

221 : 【army:610】 名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 :2009/01/15(木) 23:08:11 神 ID:???
    >176さん
     というか、信長の天才性とは、まさにそこにあるわけで。
     信長は、自分が得意とした火力支援下での歩兵突撃、という新戦術を他家、特に一向宗が模倣し始め、その限界に
    突き当たっていた時期に、さらに自己革新によって自らの戦術的優位性を維持した、という点において、まさしく天才な
    わけですよ。で、その延長線上として、土木工事能力を強化して、地形を利用した戦闘を敵に強要し、火力戦を敵に
    強要する事で、当時硝石を輸入に頼るしかなかった日本で、経済的に敵に戦争の負担をより重くする、という戦略を
    とった、と。
     これでより兵士への負担が軽くなり、それだけ指揮官が前線で無茶をしないで済むようになったわけで、その結果として
    信長は自身で戦場に出る必要性が減り、各方面で部下に目的と目標を設定した上で、自由に戦場を任せる事ができる
    ようになったわけです。実際、佐久間の追放状にも、5年もの間本願寺戦線を任せていたのに、ほとんど信長本人に
    戦線について相談に来なかった事が、罪状として挙げられているくらいですし(w 委任戦術もここにきわまれり、です。

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ですが 戦術
最終更新:2009年12月31日 04:35