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狸よ躍れ 第2話

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mintsuku

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第一話『拙者にとっては今回こそが序章でござる』


 『怨嗟わだかまる都』は、この地獄に実際に存在している。それは単なる都市伝説でも、地獄の鬼が
見た夢でもなく、現実に存在するものなのである。

 彼の地の実態は、都市伝説で言われているようなものとほぼ相違しない。

 色と言う色はなく。
 死のにおいが立ち込め。
 聞こえてくるのは、不気味なうめき声のみ。

 現在の地獄という世界は、この世の終わり、死の世界と呼ぶにはおよそ程遠い。その地獄においてこ
の地こそは、まさに多くの人間が想起する地獄のイメージに違わぬ土地なのだ。

 そんな地のほぼ中央、小高い山の上に陣取るひとつの屋敷。
 色のない世界においては場違いなほどに華やか。
 死のにおいさえひるませる、幾種類もの花々から漂うかぐわしい香り。

 旧来『花の蔵屋敷』と呼ばれてきたその屋敷が、その名の通り花蔵院家の家名の由来であり、代々の
居所である。

 その壮麗な屋敷の中、この屋敷の主である鬼と、一人の若い侍とが対面していた。無論この若侍は人
間である。

「……もう一度お前の話を整理するぞ」
「ず、ずずず」
「深い森の中にある泉の真ん中で、美しい女が二人、黙々と囲碁で対局をしていた。関心を抱いたお前
はその対局をぼーっと眺めていた。まずここまではこれで間違いないな?」
「ずずずずー」
「こら! ちゃんと聞いてんのか貴様は! さっきから茶ばっかりすすりやがって! 何杯目だ!?」
「はぶっ!? げぇほっげほげほげほげほっ!」

 鬼の形相で怒るその鬼――花蔵院家当主槐角(かいかく)の一喝を受けて、盛大にむせ返る情けない
若侍。相当苦しいのだろう、顔はもう猿の尻のように真っ赤になっている。

「ぐっはぐるじがっだあ。槐角殿、いきなりそんな大声を出さずとも。拙者はちゃんと聞いております
故、安心して話を続けてくだされ」
「……到底そうは思えんのだが」
「いやはや、地獄の茶というのがこれほどまで美味なものだとは思いもよりませんでした故、ついつい
ぐびぐびといってしまいました。で、何の話でござったか」
「ふっ……貴様、やっぱり全く聞いてねえじゃねえか!」

 両者の話し合いの中で、槐角はもう結構な回数このように怒声を上げている。地獄の鬼、しかも槐角
のように風格のある鬼の怒りを浴びれば、普通の神経を持った人間であれば失禁ものの恐怖のはずだ。

 しかし、この若侍はそうではないらしい。現にもう何回も怒りを買っているのだ。それでいてこの者
は、柳に風が吹いたように、美味そうに茶をすすっている。

「まあまあ。そんなにかっかせずに。それに拙者、思いまする。ず、ずずっず」
「はあ、貴様には怒るだけ無駄のようだな……。で、なんだ?」
「拙者、確かに己が死んでいたという事実には気付いておりませんでした。未だにまるで実感もござら
んが、どうやら数百年は経過している様子。されど……」

 茶をことりと床に置き、若侍はさっきまでとは違う神妙な面持ちで言う。なにやら意味深な間が、二
人の間に流れる。槐角がごくりと唾を飲み込む音は、侍の耳にもしっかりと聞こえたことだろう。

「されど…………? あれ? されど……されど?」
 されどされどと言いつつ、小首を傾げる若侍。しばらくそうした後、あきらめたように小さくため息
をつき、

「申し訳ござらぬ。何を言おうとしたか忘れてしまったでござるよ。ははは」
 ぺろりと舌を出して、半笑いでそんなことを平然と言うものだから、槐角はもうすっかり悲しくなっ
てしまった。

「なあ若侍よ。貴様、本当に『あの』侍なんだよな?」
「んー? 拙者はただの侍でござる。田貫迅九郎(たぬきじんくろう)という名でござるよ。『妖異破
りの迅九郎』などというむずがゆい異名で呼ばれたり呼ばれなかったりしていたりしていなかったりで
ござるよ」

 今更それを聞いても意味がないことは、槐角はわかっていた。
 田貫迅九郎なるこの侍が、腰に佩いている一振りの太刀。当然のことだが、本来一介の亡者が帯刀な
どしていいはずがない。しかしこの刀については話が別なのだ。そしてこの刀が彼のもとにある以上、
この侍は間違いなく、槐角がその力を借りようと画策していたその人なのである。

 槐角がため息をつきそうになったところで、迅九郎はぽつりと口を開いた。

「拙者、成仏できないのでござるか?」
 唐突なその問いを発した彼の声は、今までのものとはまるで雰囲気が違っていた。心底寂しそうで、
不安そうだった。だから槐角は、その問いにきちんと答えてやることにする。

「ああ、できない。その理由は極めて単純だ。お前自身がそれを望んでいないからだ。そしてそのせい
で、お前の魂は俺たち花蔵院の管轄地に迷い込む恐れがあった。お前みたいにもともと験力のある人間
があの地に馴染んでしまえば、そのタタリは計りしれん」

「成仏を望んでいない人間などおりませぬよ。おるわけないではありませぬか」
「そうでもない。現世に未練がある人間っていうのはいくらでもいるんだ。お前もまたそういう人間の
一人だということだ。勘違いするなよ。お前がどういう人生を送ったか、俺はちゃんと知っている。そ
れを知った上でこう言ってるんだ。お前自身は認めないかもしれないが、お前は間違いなく現世に未練
を残している」

 迅九郎は沈黙している。その沈黙が持つ意味までは、槐角にもわからなかった。しかし、今の状態で
は迅九郎が成仏できないということは事実で、それこそが槐角がつけ入る隙だった。
 どれだけとぼけていようと、この若侍が田貫迅九郎その人であるのは間違いない。それならばその力
も、やはりまた本物なのだ。

「だからな、若侍。いや田貫迅九郎。俺にその力を貸してくれ。いや、俺だけじゃない。この花蔵院家
にその力を貸してくれ。その代わりに俺は、お前のその未練ってやつを果たさせてやる。勿論生き返る
ことなどはできないから、この地獄でだ。そうすればお前は晴れて仏と成れるはずだ」
 両者の話し合いが始まってはや二時間。場はすっかり和み、二人は酒を酌み交わしていた。
 迅九郎が槐角の提案を受け入れ、その力を花蔵院家に預けることにしたのだ。二人が交わす杯は、そ
の盟約が成ったという証でもある。

「されどやはり解せませぬ。拙者、現世に未練など残してはおらぬと思うのですが……。槐角殿は拙者
の未練を果たさせると言われた。ならば拙者の未練とは何なのか御存知のはず」
 小さな杯からちびちびと酒を飲みながら、迅九郎が問う。少し酔っているのか、もともと垂れ目気味
の目がよりだらしなく垂れているその様は、その名の通りたぬきの様相だ。

「ん、ああまあな。いや別に大したことではないと思うんだがな――」
 槐角がそこまで言った時、部屋の扉がするっと開いた。それと同時に、

「槐角よ、入ってよいかの」
 と、本来であれば扉を開ける前に言うべき言葉が槐角と迅九郎、二人の耳に届いた。

 槐角はもういつものことなので気にしないという素振り。だが、明らかに露骨に狼狽している侍がい
た。
「んなっ!? ななななんでござるかこの童女は!? なんたる、なんたる破廉恥な格好をしているの
でござる! 鬼には恥じらいというものはないのでござるか!?」

 酒のせいもあるのか派手にうろたえる迅九郎の様子に、槐角は目を丸くした。それは、まさに狼狽の
対象になっている不意の来訪者も同様のようだ。

 ちなみにこの来訪者、着物が着乱れたような服装をしている。肩から胸がざっくり開いている上、前
も寛げており、必然的に脚がかなり深く露出している。
 破廉恥の謗りはあながち的外れなものでもないのである。さらに付け加えるのなら、童女と表現され
る年恰好であるのも事実だ。

 あくまで見た目は、の話だが。
「あー、侍よ。とりあえず落ち着け。で、何のご用かな? 母上」
「わしも混ぜてほしいのじゃ。これから花蔵院家のために力を尽くしてくれる者と、わしも杯をともに
しておきたいと思うての。ダメかの?」

 小さな来訪者は、なぜか上目遣いでそんなことを言ってくる。槐角がそれに答えるより早く、迅九郎
が口を差し挟んできた。
「槐角殿? 今なんと? 母上、と聞こえましたが」

 その問いかけに答えたのは、槐角の声ではなかった。
「いかにもわしはそこにおる槐角の母じゃ。花蔵院藤角(とうかく)という名があるが、近頃はもっぱ
ら藤ノ大姐(ふじのたいそ)と呼ばれておるのう」

 そう言ってその小さな鬼、藤ノ大姐はくすりとかわいらしく微笑む。その様はやはりどこまでも幼い
少女のそれだった。しかしどうやら、迅九郎はそうは思わなかった様子で、

「槐角殿の母上様……ということは、でござるよ? なあんだ、ババアではござらんか。何をまぎらわ
しい」
 などと、耳の穴をほじりながら言ってのけた。その恐れを知らぬ失言に、槐角はもう大いに焦った。

「きっ貴様なんということを! ははは母上! この者は少しばかり頭が弱いのです! それに酒にも
酔っております! 頭の弱い酔っ払いのたわ言として聞き流してくださいますよう!」
「ふむう……これほど率直にババアと言われたのは久しぶりじゃ。どこからどう見ても幼い子鬼じゃと
言うのに」

 その通りです、と言おうとした槐角の声は、迅九郎のさらなる暴言でかき消される。
「いいやババアでござる! 槐角殿の母上であればもう十分にババアの領域でござるよ!」

 なぜかふんぞり返っている迅九郎。反して、すっかり青ざめた槐角。じりじりと、迅九郎と距離を遠
ざけていく。
 そしてちらりと自らの母を一瞥する。うっすらとほほ笑んでいた。寒気を感じるほどに穏やかな笑顔
だった。

「そなた、田貫迅九郎という名じゃったの。よくよく見れば、ほんに狸によく似ておるのう。垂れ目で
愛嬌ある顔立ち、そしてその食えん気質。どれ、せっかく名前もたぬき、見た目もたぬき、気質もたぬ
きときておるのじゃ。もういっそのこと、たぬきになってしまえばよいのにのう」

 そう朗らかに言って藤ノ大姐は、耳の穴をほじりながらふんぞり返っている迅九郎に近づく。相変わ
らず興味なさそうにしている迅九郎の額に、右手の人差指をそっと添える。
「ほれ、そなたは狸じゃ。狸になるがよいぞ」

 そう言ってふっと息を吹きかけた瞬間、迅九郎の姿は消え失せ。
 彼が座っていた場所には一匹の小さな狸が、何事が起きたのかという様子でキョロキョロしているの
みだった。

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