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ゴミ箱の中の子供達 第13話

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ゴミ箱の中の子供達 第13話


 黒い影を落とす壁の向こうから朝日が立ち上る。壁を乗り越えた光明が"ホームランド"の雑多な建物達を照らし
始めた。最初に影の世界から暴かれるのは、官営だったマンション群だ。整備を放棄されて久しいこの巨大構造物の
すす汚れた外壁は、さも日の光が不快そうな色を露にしている。高くなる日差しはやがて地に降り立ち、乾燥した
赤土を建物の背景として埋めていく。そして最後に短くなるマンションの影が、マンションの脇や公園として作られた
広場に立てられたバラックの、赤や青の色あせた彩色をあらわにしていく。"子供達"ゲオルグ班狙撃手ポープは、
"ホームランド"内のアパート群"トランスカイ団地"の端の棟の屋上で、幾百、幾千と繰り返されてきた"ホームランド"
の朝の風景を目にしていた。
 朝靄を失い、時間とともに輪郭を確かなものにしていく"ホームランド"の町並みに、ポープは同じスラムでもこうも
違うのかと驚きを隠せなかった。己の古巣、廃民街との違いを一言で上げるとするならば、熱、だろうか。
 廃民街には熱気があった。廃民街では誰しもが己の欲求を満たそうと目をギラギラと輝かせている。むき出しの
生存本能の集まりは、最早誰にも制御できぬ混沌として街の中に渦巻いている。その際たるものが廃民街の建物だ。
廃民街の建物のなかには増改築を繰り返し、雑多を通り越して出来の悪い抽象画のような外観を並べているものが
しばしば存在する。ともすれば奇形児を思わせるようなそれらの建物の外観は、赤、青、白、さまざまなペンキで
塗りたくられ、それに低俗な色合いのネオン管にサイケデリックな看板を持たせて、何とか商店の体制を取り繕い、
道行く客を虎視眈々と狙っている。この風俗嬢を思わせる建物ここそ、廃民街の混沌と、それゆえの熱気の象徴だった。
 だが、ここ"ホームランド"ではどうだろうか。視界の向こうにそびえるマンションの外壁は、ペンキ塗りはおろか、
ろくに磨かれた形跡すらなく、すす汚れたコンクリートをそのまま露にしている。生気の失ったその建物を見たときの
ポープの第一印象はミイラだった。汚れ、乾燥し、ひび割れたマンションの外壁は、遠い昔砂の中に埋もれ、
忘れ去られたミイラを髣髴とさせる。視線を少しでも下にずらせばアパートを追い出された住民が建てたバラックが
目に入る。その屋根のペンキも当の昔に色あせ、やつれ果てたような色合いになっている。それらに廃民街のような
熱気はどこにもなく、ただただ痩せこけた貧困しか存在しなかった。
 不意に一陣の風が吹き、ポープの被っていたカモフラージュシートを大きくたなびかせた。ポープの鼻をくすぐった
その風は砂の匂いがした。風によって運ばれる砂に、このやつれ果てた街が対抗する術はなさそうだ。この街は
このまま砂に埋もれていくのではないか。あのミイラみたいなマンションが本物のミイラになるのではないか。ポープは
"ホームランド"を見下ろしながら、どうしようもない無常感を感じずにいられなかった。

 狙撃地点に待機して6時間が経過した。照りつける太陽は着実にその強度を増していく。太陽光はカモフラージュシート
によって遮断しているが、周囲から伝わる熱気に、ポープの鼻頭に玉の汗が浮かんだ。喉が渇いた。だが腰に下げた
水筒に手を伸ばしていいものだろうかとポープは思案する。時刻はそろそろ目標が現れる頃合だ。狙撃銃の
高倍率スコープでは視野が狭すぎて辺りの様子を伺えないが、もしかしたら目標はすぐそばまで来ているかもしれないのだ。
ひとまずポープは周囲の状況をより正確に把握している観測手にたずねた。

「ビッグシスタァ、喉ガ 渇イタケド、マダ 水ヲ 飲ンデモ 大丈夫カナ」

 ポープの問いかけに観測手であるミシェルは双眼鏡で辺りをうかがってから答えた。

「そうね、それらしい車両は現れていないし、まだ大丈夫よ」
「サンクス」

 姉の言葉に、ポープはようやく腰元の水筒に手を伸ばした。ぬるくなった水筒の水を嚥下しながらポープは観測手が
姉のミシェルであることに安堵していた。ミシェルの射撃の成績は班で2番目だ。それ故に、狙撃への理解度もポープに
次いでいる。普段は人をからかうことという良からぬことに費やしているが、注意力も抜群だ。そしてなにより彼女は
自分の姉だ。いざとなれば遠慮なく頼ることができ、安心して背中を預けることができるのだ。
 水筒を戻すと、ポープは改めてスコープの世界に戻った。視界を十字に横切る照準線の調整はすでに終わらせていた。
その向こうでは建物の正面玄関が見える。ブリーフィングによれば、もともと公民館として建てられたこの建物は、
"ホームランド"が"アンク"に掌握された現在、"アンク"の本部ビルとして使用されているらしい。ガラス製の押し戸の
周りでは、いかにも軽薄そうな格好をした若者が屯している。警備員代わりなのだろう。そろそろ時間だ。もう少しで
目標が会合に出席するために現れるはずだ。
 玄関脇の柱に寄りかかる男に、ポープは何気なく照準を向けた。赤色のパーカーに膝丈のズボンといういでたち
の彼は、特に何をするでもなく視線を宙に向けている。ここで引き金を引けば、彼は頭を射抜かれて死ぬだろう。
自身に降りかかった不条理を理解する時間すら与えられず、その意識は強制的に死の世界に送られるのだ。
彼の生は自分の指先ひとつに全てかかっている。自分は1人の人間の命を完全に掌握しているのだ。そう気づいた
途端、ポープはえもいわれぬ征服感を感じ、寒気が走り鳥肌が立った。
 喉がむずかゆくなった。つばを飲み込みこらえていると、スコープの向こうで動きがあった。ガラス戸の向こうから
スーツを着た男が現れると、若者たちに指示を飛ばすように指を指す。男の指示に今まで気だるげに屯していた
若者たちはあわてた様子で玄関の前に整列した。明らかに要人が現れる兆候だ。

「来たわ」

 ポープが見た兆候を伝える前に、ミシェルが言った。そしてポープの狭い円形の視界の中に1台の車が現れた。
 緊張のせいか、喉の掻痒がさらに増した。だが、最早咳き込む猶予などなかった。ただただ、肝心なときに
暴れてくれるなとポープは祈り、我慢するしかなかった。
 車が玄関の前で止まる。運転席のドアが開き運転手と思しき男がまず車から降りた。運転手はそのまま
後部座席のドアの前に移動すると、うやうやしく後部座席のドアを開く。後部座席の影が揺らめき、開かれた
ドアから白髪交じりの頭が覗く。そのまま頭は伸びていき、肩を覗かせた所で止まった。完全に車から降りたらしい。
 姉の舌打ちが聞こえた。それもそうだ。目標と思しき男はこちらに背を向けており、顔の確認ができないのだ。
だが、チャンスはまだある。帰りのときに狙撃をすればいいのだ。運がいいことに"アンク"本部の玄関はガラス戸だ。
本部から出る前から存在を確認できる。大事を見てそちらにするのか。ポープは引き金に指をかけながら、姉の
号令を待った。
 ちょうどそのとき、男が辺りを伺うように背後を振り返った。狭い円形の世界に目標の顔が映る。重そうに下がった
まぶたに、温和そうに下がった目じり。皺や白髪が目立ち、写真より幾分老け込んでいるように見えるが、目標の
ロリハラハラ・ネルソンに間違いなかった。

「確認したわ。撃って」

 姉が射撃許可を下す。だが、喉の痒みが限界をわずかに超えた。口を閉じたまま、ポープはむせた。かすかに
鼻水が飛び出たが、ポープはそれを無視する。大事なときに暴れた己の喉に歯噛みしながらポープは照準を付け直した。
 息を止め、己の脈拍を感じながら、かすかに左右に揺れる照準のタイミングを計っていると、柔らかな風がポープの
頬をなでた。風向きが変わったのだ。ポープはかみ締めた奥歯にさらに力をこめた。目標はスーツの男によって
開かれた正面玄関に入ろうとしている。レティクルを修正する時間もうない。ポープは己の感に全てを賭して、照準に
集中した。
 瞳に写る世界の動作の全てが急激に緩慢になっていくようにポープは感じた。同時に世界から音が消えた。光も消える。
スコープの中の、狭い円形の世界が、今のポープにとって全てだった。己の肌が、風そのものを感じ取らせた。
己の体と一体化した銃身が、重力を感じ取らせた。レティクルが消失し、代わりに光点が浮かんだ。弾が命中する
場所だ。照準を、目標の先に置いた。己の呼吸と、脈拍と、目標の動き、全てのタイミングが一致する位置だ。
そしてポープは待った。トリガーは限界ぎりぎりまで引き絞って、その時を待った。
 そして、目標の頭が、己の呼吸が、世界の鳴動が、全てが重なる。ポープは引き金にほんのわずかな力を加えた
。ハンマーが振り下ろされる振動をポープは感じた。叩かれた雷管の発火をポープは感じた。ライフリングに
身を削らしていきながら、発射ガスによって押し出される銃弾のうねりをポープは聞いた。マズルから吹き上がる
焔とともに必死の弾丸が発射された。
 目の前で瞬いたマズルフラッシュがポープを現実の世界へと引き戻した。発射ガスの轟音がポープの集中を
力ずくで引き剥がしていく。現実感を取り戻したポープは耳の奥で木霊する銃声の残滓に耳を傷めながら
スコープを覗き続けた。レンズによって拡大された世界では、目標の頭から血しぶきがあがった。

「命中よ、よくやったわ」

 緊張の糸が途切れ、姉の賛辞の言葉を最後まで聞かずにポープは咳き込んだ。限界だった喉の疼きを全て
吐き出すように、ポープは咳き込み続ける。咳が喉の奥をかきむしる。苦しいが、掻痒がひどいだけに、どこか
気持ちよかった。
 ようやく咳が収まり顔を上げると、ミシェルは待っていたかのように言った。

「気づかれたわ。撤退するわよ」
「アイアイサー」
「黄色の2より黄色の1へ、任務成功、現在合流地点Aに向けて移動開始。以上」

 ミシェルが無線で連絡を入れる。これで別の場所で待機していた班の仲間が自分たちを回収するために合流地点に
来るはずだ。ポープはミシェルとともに、屋上の反対側に向かった。
 屋上から脱出する道具としてロープを2本用意していた。それぞれ片側が打ち込んだアンカーに固定されていることを
確認すると、放り投げて地面にたらす。2人は下半身に装着したハーネスからエイト環をはずすと、大きな輪にロープを
つまんで引き込み、小さな輪に引っ掛けた。その後はロープをセットしたエイト環にハーネスのカラビナをかけて準備終了だ。
エイト環を挟んでアンカー側のロープを右手、地面側のロープを左手で持ち、地面側のロープを臀部に押し当てると、
ポープとミシェルは壁面を降り始めた。
 ロープと手袋との摩擦を感じながら、ポープはミシェルと共に壁面を降りていく。5階、4階とここまでは順調に降りる
ことができた。だが、3階に達したところで、ポープのすぐそばの窓が唐突に開いた。開いた窓から携帯電話を耳に
押し当てた女性が外に身を乗り出す。その女性とポープは目が合った。突然の出会い、見るからに怪しい自分の
弁解をしようか。半ばパニックに陥ったポープの思考は、彼をロープを握り締めた状態で固まらせる。一方で女性は
一瞬だけ驚いた顔を見せたが、すぐに首に下げた笛をくわえて、吹いた。耳をつんざく笛の音にポープの生存本能が
警笛を上げた。これは何かの合図だ。その警告を裏付けるように、女性が引っ込むと、入れ替わるように男が姿を
現した。突撃銃を手にして。向けられた銃口にポープは恐怖のあまり目を閉じるしかなかった。
 闇の向こうで銃声が響いた。だが、まてどもまてども銃弾の衝撃は来ない。そのことを訝しんだポープが恐る恐る目を
開けようとしたところで、出し抜けに怒鳴られた。

「なにやってるの」

 目を開ければミシェルが煙を上げる拳銃を片手に怒鳴っていた。窓の奥の部屋では笛の音の変わりに女性の悲鳴が
上がっている。どうやら男が引き金を引く前にミシェルが拳銃を撃ったらしい。

「降りるのよ、早く」

 ミシェルの叱咤されてようやく我に返ったポープは握り締めていた左手を緩め、ラペリングを再開した。
 足が地面に到着したところで、銃声と共にポープのすぐ眼前の壁面が爆ぜ飛んだ。向かいの棟からの銃撃だ。
ポープはカラビナからエイト環を外すと、すぐさま狙撃銃を構えて反撃した。引き金を引くとスコープの向こうで
銃を構えていた男が崩れ落ちた。
 また、銃声と共に、銃弾がポープの脇を掠めていく。姿勢を低くしながらスコープから目を離すと、向かいの棟の
入り口から数人がこちらに銃撃を加えていた。すぐに照準を合わせて引き金を引く。今のポープにロリハラハラ狙撃時の
集中もなければ、それ以前の男に狙いを定めていたときの時の征服感もなかった。殺らなければ殺られる。ただただ
生存本能に刺激された焦燥が彼を突き動かしていた。
 銃声に短機関銃の音が混じる。ミシェルが攻撃を開始したのだ。顔を上げると10m程はなれたところで、膝射の
姿勢で短機関銃を撃っている。ポープは立ち上がるとすぐさまミシェルの元に向けて駆け出した。たどり着くと
肩を叩いてそのまま向こうへ。10m程進んだところで膝射の姿勢をとると銃撃を開始する。次はミシェルの番だ。
 合流地点はこの"トランスカイ団地"の正面ロータリーだ。ポープはミシェルと交互に支援を行いながら合流地点に
向けて走った。
 "トランスカイ団地"正面ロータリーでゲオルグは自らの体をかすめた銃弾に内心で肝を冷やしていた。手近な
植え込みの木に身を隠しながらゲオルグは無線で指示を飛ばす。

「アレックス、車を門の影に移動させろ。」
「了解」

 イヤホンの向こうから車の運転手を務めるアレックスの返答が返ってくる。そして、ロータリーのど真ん中に停車
していたワンボックスバンがゆっくりとだが移動を開始した。それを阻止するかのようにアパートの窓という窓から
銃撃が加えられる。合流地点を確保すべくロータリーに散会したチューダーとウラジミールが反撃するが多勢に
無勢という言葉がぴったりと当てはまった。
 長くは持たないな。自身も銃を握り、窓から突撃銃を撃つ民兵に銃撃を加えながらゲオルグは考える。マガジン
1本撃ちつくしたところでゲオルグはインカムに向かって話しかけた。

「黄色の1より黄色の2へ、現在位置を知らせよ」
「黄色の2、今B棟を越えた所。もう見えるわ」

 ミシェルからの返答の直後に、目の前のアパートA棟の脇から黒い人影が飛び出してきた。"子供達"標準の
黒のアサルトスーツに身を包んだ2m弱の巨体。膝を付いて構える銃は木製のストックが特徴的な狙撃銃だ。
ポープに間違いない。2発程ポープが支援射撃をしているとミシェルも姿を現した。10m程進んだところで彼女も
膝を付き、ポープの移動の支援を始める。その姿にゲオルグは無線に向かって叫んだ。

「もういい、2人とも走れ」

 支援は俺たちの役目だ。ゲオルグは銃を構えると、ミシェル達の背後に迫る民兵に向けて引き金を引いた。
 銃弾の中をミシェルとポープは駆け抜ける。2人はロータリーを越えて、遂に門の脇に止めてある車に達した。
 2人が車に乗り込んだことを確認したゲオルグはチューダー、ウラジミールと共に撤収を開始した。まずは
ウラジミールを車に送り込み、次いでチューダー。ゲオルグは最後だった。車の傍まで退却したチューダー、
ウラジミールの支援を受けながらゲオルグはロータリーを走り抜けた。すばやく助手席に回りこんで、中に入る。
閉まるドアの音を合図に車は発進した。
 エンジンの音を唸らせながら、ゲオルグ達を乗せたワンボックスバンは車道に入る。背後からの銃声はやがて
消えた。
 動き出した車の中でゲオルグは振り返ると、後部に乗っている人員の数を数えた。1、2、3、4人。全員いる。
後はこのまま"ホームランド"を脱出すればいい。
 捻っていた上体を元に戻しながら安堵の息をつこうとしたときアレックスが叫んだ。

「兄サン、前に敵が」

 見れば前方の道路の向こうに民兵が横隊を組んでこちらに向かって歩いていた。おそらく他のアパート、
マンションからの増援だろう。

「止まるな、アクセルを踏み続けろ」

 アレックスに檄を飛ばしたところで民兵が銃撃を開始した。フロントガラスに次々と蜘蛛の巣状の弾痕が穿たれる。
アレックスとともに上体を屈めながら突破できることを祈った。
 エンジン音を轟かせながらワンボックスバンは突進する。行く手を遮ろうとする民兵の銃撃によりルームミラーが、
左ライトが、右サイドミラーが、車の装備が次々と破壊されていく。だが、車の突進は止まない。ついに民兵が白旗を
揚げた。散発的な銃撃を加えながらも、民兵達は道を開けるように左右に散った。かくして開かれた道路を車は側面に
銃弾を受けながらも駆け抜ける。民兵の銃撃は車体後部を激しく叩いていくが、しばらくするとそれも途絶えた。
 ふう、と2人同時に息をつきながら、ゲオルグはアレックスとともに上体を起こした。見ればフロントガラスは粉砕され、
側面は穴だらけだ。穿たれた穴からは薄暗い社内に光が差し込んできている。全員無事であることが不思議でならなかった。

「兄サン、この車、防弾じゃないのね」
「当然だ。こんな使い方は想定してないからな」
「想定しておいてほしかったな」

 怯えた風に肩をすくめて言ったアレックスのぼやきを、ゲオルグは事も無げに受け流す。弟の手前、ゲオルグは
無感動を貫いているが、内心では銃撃に抗うすべがないことを泣きたかった。
 車はアパート群をぬけて戸建て住宅地区へと入る。銃撃は散発的ながら発生していたが、アパート正面での
戦闘のときと比べればその濃度は天と地ほどの開きがあった。おそらく車の速度に主力がついてこれず、たまたま
進路上に存在した部隊のみで抵抗しているのだろう。主導権はこちらにある。ゲオルグの心にも余裕が戻りつつあった。
 ハンドルを握るアレックスのために、ゲオルグは前方を警戒していた。ふと前方の民家の屋上に人影が現れる。
筒状のものを背負って。あれはロケットランチャーだ。ゲオルグは全身の毛が逆立つのを感じた。

「回避しろ」

 アレックスに向けての叫びとバックブラストの煙がはほぼ同時だった。
 ロケットモーターの雄叫びを上げながらロケット弾は突進する。高速で飛来するロケット弾よりもアレックスの
ハンドルさばきが僅かに勝った。急ハンドルを切った車はロケット弾の制御フィンをかすらせつつも、辛くも直撃だけは
免れた。だが、車体を掠めたロケット弾は地面で爆発する。焔とともに吹き荒れる爆風は車体を軽々と持ち上げ、
そのまま横へと倒した。車は慣性の法則に従い幾らか滑ったが、すぐに止まった。
 横倒しになった風景に目を回しながらも、ゲオルグは叫んだ。

「脱出しろ」

 民兵の銃撃はほぼ同時だった。民家の屋根の上に陣取った民兵の攻撃によって、ただでさえぼろぼろの車体にさらに
穴が開いていく。だが、車両後部に乗っていたゲオルグの部下達は後部ドアから脱出し、辛くも何を逃れていた。
 部下の反撃により頭上からの弾幕はいくらか濃度を薄くする。体を丸めて銃撃に耐えていたゲオルグたちも体を起こして
自分たちの脱出を試みた。現状は運転席が下になっていた。何はともあれまずはアレックスを脱出させなければ
ならない。だが、当のアレックスはシートベルトを解いた後、運転席と助手席の間の隙間に体をねじ込もうともがいている。
しばらくもがいた後アレックスは弱弱しくつぶやいた。

「だめだ、出れない」
「何やってる、シートを倒せ」

 ゲオルグの叱咤にアレックスははっとした顔を浮かべると、ゲオルグの言葉通り運転席のシートを倒した。車体前部と
後部の間に立ちふさがっていたシートは倒され、その間に障害はなくなる。後部に座席はないし、後部ドアは部下の
脱出の際に開け放たれてたままだ。このまま横倒しになった車内を中腰で進めばすぐに外だった。まずアレックスが
体をひねり起こすと、後部ドアへと進んだ。次はゲオルグの番だった。シートベルトによって宙吊り状態の彼は、
まずはドアの上の取っ手を握り締めて体を持ち上げると、片手でシートベルトをはずした。自由になった体の
全体重を右腕に感じながら片腕で懸垂を続ける。ドア上部の取っ手がギシと鳴った。そのまま彼は足をダッシュボードの
下から引き抜いた。最後に体を90度回転させて、下になった運転席の窓に足をつく。そのまま体をかがめて車の中を
進み、外へと脱出した。
 車から抜け出すとと。アレックスが不安そうな顔でゲオルグを見ていた。他の者も、顔は反撃のために敵の
ほうを向けているが、同じ心境だろう。ゲオルグ自身も脱出の足を失ったことに弱音を吐きたくなった。だが、
指揮官の責務と兄としてのプライドが彼の弱みをぎりぎりのところで押しとどめた。ゲオルグは全霊をかけて険しい
顔を作ると、全員に向かって命令を下した。

「車が大破した以上、徒歩で移動するしかない。わかったか。わかったら前身だ」

 銃を振るいながら前面に立とうとしたところで、ゲオルグは仕事を思い出した。短機関銃を構えて屋根の上の
民兵に反撃しているチューダーの肩をつかんで引き寄せる。

「チューダー、本部へ連絡しろ。現在位置"ホームランド"プレトリウス通り、車両大破、徒歩にて脱出を敢行中、以上だ」

 ゲオルグの小型無線機では廃民街の本部まで電波が届かない。通信手のチューダーが背負う大型無線機が
本部との唯一のつながりであった。
 本部への連絡を済ませると、ゲオルグは先陣を切って車の陰から飛び出した。体を掠めていく銃弾に肝を冷やすが、
指揮官としての責任感が勝った。弾雨の中を駆け抜けて、斜め向かいの門の影に身を投じる。息を整えながら
銃を構えると通りの奥の家の屋根に陣取る民兵に向けて引き金を引いた。数発ほど短機関銃を撃った後、
ゲオルグは再度声と手信号の両方で前進の号令を放った。
 ゲオルグの支援を受けながらまずミシェルが車の陰から飛び出した。彼女は車を回り込んで、奥にあった家の
門の影に身を隠す。ゲオルグの家の向かいに当たる位置だ。続いてポープが道を横切りゲオルグの隣の家の
門まで前進する。次はチューダーだった。彼は道路を横切るとゲオルグの元に向かった。ゲオルグの脇に膝を
ついて、彼の肩を叩く。

「本部から通信です。増援部隊が来ます。都市道7号線沿い任意の地点にて彼らと合流せよとのことです」

 都市道7号線は"ホームランド"を東西に横切る大通りだ。太もものポケットから地図を取り出すと、ゲオルグは
最短ルートを調べた。この通りの先の角を右に曲がり、4ブロックほど進んだところで7号線に突き当たる。
道筋を見つけたゲオルグはすぐさまインカムに向かって言った。

「いいか、向こうの十字路を右だ。後はまっすぐ進めば7号線に突き当たる。」

 命令を下した後、ゲオルグは立ち上がると、部下とともに前進を開始した。
 屋根を占拠していた民兵の抵抗を退けて、十字路を右へと曲がる。敵の手札はもうないらしい。前方からの
銃撃はなかった。

「走れ」

 全員に向かって檄を飛ばす。7号線をゲオルグはゴールと捕らえ始めていた。事実、ゲオルグの考えでは、
7号線が終点であった。7号線に出たら、あとは適当な商店を占拠して篭城するつもりだった。
 走るペースは順調だった。これならば敵を振り切れる。増援と無事合流できる。淡い期待がゲオルグの胸中を
占拠し始めていた。
 だが、その期待を打ち砕くように、全力で走り続けるゲオルグの耳が、ある声を捉えた。いや、それは息の音だ。
高い圧力で吐き出される吐息。たんが絡み、ところどころを掠れた音色。咳の音だった。

「ポープ」

 大声を上げて振り返ると、ポープが足を止めて体を折っていた

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