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「報復の断章4」

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「報復の断章4」





『…外宮に言魂堂、朱天楼…ファウスト、この行程は無意味デス。本当に地獄巡りツアーを行う必要はありマセン。』

『…最後の旅ですから、ゆっくり地獄見物も宜しいかと?』

『…もう地獄に母さんは居マセン…二人で充分調べたでショウ?…』



…リリベルの脳裏を駆け巡る、これまでの長く虚しい喪失の旅路。父が遺してくれた老僕ファウスト…あの怪我では、恐らく助からなかったのだろう…

「…ワタシの負けデス…殺して…クダサイ。」

『顎』の亡骸の傍ら、凍てついたように佇むリリベルの手からスルリと太刀が滑り落ちた。無理をして保っていた戦闘体も、抜け殻のような今の彼女には維持出来ない。
陰鬱な塔の落とす影の中、力なく座り込んだ彼女の禍々しい角が消える。細い尾も…蝙蝠の翼も…瞳に宿っていたどす黒い復讐への執念さえ、亡き『顎』と共にリリベルの身体から去ってしまった。

「…ごめんなさい母さん。無念は、晴らせませんデシタ…」

もう、全てを終わらせたい。目を閉じ、大帝の太刀の前に華奢な首を差し出した赤毛の少女は、まるで遺言のように力なく呟いた。顔さえ朧げな母の魂は、一体いま何処にいるのだろう…

「…この…たわけ者めがっ!!」

しかし速やかな死を覚悟したリリベルに襲いかかったのは処刑の白刃ではなく、耳を聾する閻魔大帝の怒声だった。地鳴りのごとき凄まじい咆哮が周囲の陣幕をビリビリと震わせる。

「…母の無念だと!! 儂の知る限り、貴様の母は『無念』などとは程遠い、誇り高い女であったわ!!」

ビクリと身を竦ませたリリベルは、仇敵の意外な言葉…真実の持つ強さで溢れた怒号に、思わず憔悴した顔を上げた。

「…貴様に似た口の悪い女だった。此処に来たときも、やかましく未練の鈴を鳴らして大暴れしたものだ…」

ずっと恐ろしい地獄に繋がれ、悲嘆に暮れるか弱く儚げな母を胸に描いていたリリベルの瞳が、初めて聞く母の姿に少しだけ生気を取り戻す。
不思議と大帝の言葉への猜疑心は芽生えなかった。この魔神は母を知っている。決して玉座に反り返り、規則だけを盾に書面上で両親の愛を踏みにじったのではなかったのだ…
画家の卵だったリリベルの母は絵の勉強のため渡欧し、そこで魔王ベリアルと年の離れた恋に落ちた。彼の最後の妻としてリリベルを産んだ後、身辺整理の為単身帰国した彼女は、故郷の川で溺れた幼児を助けようとして命を落とした…
ここまでがリリベルの知る母の生涯だ。そしてその悲報に触れた父、老いた魔王は…

「…魔王ベリアルの要求は地獄の規範に背くものだった。しかし彼はあらゆる魔界法典を紐解き、幾つかの抜け道を見つけ出したのだ。『死後の魂であっても、本人の意志で悪魔の下僕となった前例はある』とな…」

かっては比類なき実力者だった大悪魔ベリアル。だが彼は妻を取り戻す為、ついには腹黒いライバルたちにまで助力を請った。アモンに、ベール…彼らが窮状の老魔王につけ込み、ついには彼を追い落としたのは、魔界では別段珍しくない下刻上に過ぎない。

「…もちろん悪魔どもの都合のいい解釈に過ぎん。しかし儂は貴様の母に、きちんと契約の意志だけは確認したぞ…」

「…母は…なんと?」

初めてリリベルが小さく尋ねた。声を出した途端、不意に芽生えた羞恥心に彼女はそっとその胸を隠す。

「…『否』だ。残してきた娘への想いで、我が臣下たちが眠れぬ程痛ましく『未練の鈴』を鳴らしながらも、あの女はついに夫の求めに応じなかった。」

「な、何故デスカ!!」

母は父を、そして自分を捨てたのか? これまでとは違う、まるで別種の憤りがリリベルの心に湧き上がる。

「…自分たち夫婦は契約によって仕え、仕えられるものではなく、対等の愛によって結ばれていたもの、これがひとつ目の理由だ。そして…」

「そ、そんな…」

リリベルにはまだ解らぬ、男女の愛というもの。未だ彼女の肌に触れたものは、性別すら定かではなかった『顎』の不器用な鉤爪だけだ。
母が守った女の誇りを恨む気にはならなかった。しかし、消えてゆく怒りに代わってリリベルを襲ったのは、深い…深い悲しみだった。

「うっ…うう…」

こみ上げる嗚咽に身を委せ、初めて人目も憚らずリリベルは泣いた。恐れられる『悪魔の子』、蔑まれる『人間の子』…そんな自分を庇い抱きしめてくれたファウストも、『顎』も今はいない。
幻でもいい、ただ愛娘の為に黄泉で嘆き続けた母の姿を、そのまま胸に描いて死んでいきたかった…

「…最後まで話を聞かぬか!! これが、二つ目の理由だ!!」

白い背を震わせ泣くリリベルの背後で、大帝の大音声と共に空間がバリバリと裂けた。その亀裂から大帝の太い腕に籠もる魔力が、重い軋みを上げる巨大な物体を掴み出した。

「へ、陛下!! 危険ですっ!!」

にわかに湧き上がる悲鳴のなか、獄卒たちが血相を変えて居並ぶ王族や貴賓の前に立ち塞がる。涙を拭いながら振り向いたリリベルの眼前に出現したもの、それは彼女の特攻兵器、あの古ぼけたバスの残骸だった。

「…見よ!! これが天の与えた試練から逃げ、僅かな代償で己の魂を他者に委ねた者たちの末路だ!! 貴様の母は知っておった。『悪魔に魂を売る』意味をな!!」

…鬼たちによる迎撃の跡が生々しく残る車体。それは、悶えながら沸騰する苦痛の集合体。ベリアル・コンツェルンが買い集めた666人の魂から造り上げ、リリベルに与えた恐るべき破壊兵器だ。
途方もない魔力を秘めて車両に染み込んだ呪われの魂たちは、永遠の激痛のなかで絡み合い、血も凍る悲鳴を上げ続けていた。

「…契約に縛られている限り、不憫だがこの儂にもなす術はない…」

リリベルは自らと共にこの冥府を焼き尽くす筈だった自爆兵器を、青ざめた顔でじっと見つめる。かつては泣き、笑い、真摯に生と向き合っていた筈の夥しい魂たち。
彼らは、果たしてどんな理由で悪魔の所有物になり下がったのだろうか? 太刀を収め、リリベルの傍らへ並んだ冥府の元首は厳かに続けた。

「…生命の理を裏切って地上に舞い戻った母親が、娘に何を誇れるのか? たとえ千年の命を与えられても、別離の苦しみから逃げた『クソッタレ』に、愛する娘を抱く資格はない…泣き疲れた貴様の母の言葉だ。聡明な女だった、と儂は思うぞ…」

リリベルの悪魔である部分が無情に使い捨てようとした不幸な魂たち。か弱き人間の心は、ともすればたやすく暗闇に堕ちる。富のため、名声のため、そして… 狂おしい愛のために。
その闇を振り払って凛々しく地獄の空を睨み、涙声で悪態をつく母の姿をリリベルは想像した。彼女が命を捨てて贈ろうとした虚栄の宝冠など必要としない、強く、誇り高い母の姿を…

「…此処で為すべきことを終え、貴様の母は次なる生へと旅立った。この地獄の西方、遥か命の還る地へとな…」

淡い黄金色の光射すその地平を見つめ、唇を震わせるリリベルの前で、バスに囚われた魂たちは哭き続ける。
その幾重にも重なる嘆きのなかに、ふとリリベルの耳は、馴染み深い嗄れ声を聞きとった。

(…嬢さま…リ…リベルお嬢さま…)

「ファウスト!?」

両親の死後、たちまち人間界に放り出された幼いリリベルを育て上げ、最後まで彼女と行動を共にした恩人。リリベルの悲しい憶測通り、やはり彼は自爆失敗の折に、その命を落としていたのだ。

「ファウスト!! ファウスト!!」

(…リリベルお嬢様…爺めはもう、お嬢様にお仕え出来なくなってしまいました…どうか…どうかお幸せに…)

黒ずんだ硝子に浮かぶ老人の寂しげな微笑は、すぐに渦巻く混沌にかき消された。窓を叩き叫び続けるリリベルの悲痛な声に、縛られた667番目の魂が再び応えることはなかった。

「ファウ…スト…」

父の忠実な執事だったファウスト。彼もまたベリアル一族の財産、哀れな囚われの魂だったのだ。大魔王ベリアル亡きあと、その遺産を相続した義兄たちの非情さを思い、リリベルは冷たい拳をギュッと握りしめる。

「…ベリアル・コンツェルンはバスと魂の返還を要求しておる。どちらも貴様に盗まれた自分たちの私有財産である、とな…」

悪魔の宇宙には、曖昧で苦悩に満ちた『天命』など存在しない。ただ幾千の悪意と混沌に覆われた彼らの歩む道では、無情で打算的な『契約』だけがその秩序の全てだ。

その昏い道を痛々しく歩き続けた少女は、最後かも知れぬ選択の岐路に立っていた。そして今、彼女が選んだ道。それは『顎』が、そして亡き母が、抉るような永訣の痛みで教えた道だった。

「…閻魔大帝陛下に、申し上げマス…」

…まだ悪魔の力に目覚める前、村はずれの荒れ果てた屋敷に住み、自分は大魔王の娘だと言い張る『ウソつきリリベル』は、よく村の悪童たちに虐められた。
いつも泥にまみれて帰宅し、泣きじゃくる幼い彼女を慰め、床に就くまで優しく見守ったファウスト。
やがて月日は流れ、狡猾なベリアルの正嫡たちに操られたリリベルが、狂気じみた復讐の虜に成り果ててしまっても、ファウストは悲しげな笑顔のままで彼女に尽くし続けた。
亡き両親に授かり、『顎』に救われたリリベルの生命は、他ならぬ育ての親ファウストのひたむきな慈しみに包まれ、今日までこうして育ってきたのだ。

「…ワタシは…義兄たちに唆され、閻魔庁の爆破を目論みまシタ…このバスはそのとき、間違いなく義兄たちが与えた、ワタシの所有物デス…」

たとえ一族の裏切り者として抹殺されようと、恩人ファウストを救いたい。母が魂の誇りを貫いたように。そして『顎』が、ただリリベルとの絆に殉じたように。
淀みないリリベルの告白に、決闘立会人たちがざわめく。何処かへ連絡を取る為か、こそこそと姿を消す者もあった。…でも、これでいい。父の遺産としては妥当な取り分だ。
埃だらけの裸身を恥じることなく跪いたベリアルの娘は、大きな瞳をまっすぐ閻魔大帝に向けた。濃い眉の下で彼女の眼差しを受け止めた冥界の王は、ややあって一人の側近の名を呼んだ。

「…茨木は居るか…」

「…お側に控えております。」

リリベルには聞き覚えのある冷静な声。恭しく進み出た鬼は人質解放交渉に現れた茨木という文官だった。彼の妹に加えた酷い暴行も、リリベルが償わなければならない罪のひとつだ。

「…茨木よ、今の証言でこの物騒なバスの所有権を、ベリアルの小倅どもから取り上げる事が出来るか?」

閻魔大帝のぶっきらぼうな問いは、リリベルの胸に溢れる願い、ファウストたち囚われた魂の救済を告げていた。湧き上がる深い安堵がまたリリベルの黒い瞳を濡らす。

「…ありがとう、ございマス…」

大帝の慈悲に感謝しながらもリリベルは首をすくめ、深く自分を憎んでいるに違いない茨木童子の返答を待った。だが水を打ったような沈黙のなか、発せられた彼の答えは短く、微塵の迷いもないものだった。

「…お任せを。」

大帝に一礼するとすぐに踵を返し、きびきびと歩み去る若い茨木童子の背中はリリベルに何も語らない。まるで与えられた任務以外は、全て取るに足りぬ些末な雑音であるかように。
しかしリリベルは、自らの悔悟がいつか彼ら兄妹に届くことを願って、その後ろ姿に深々と頭を下げた。

「…哀悼を。」

閻魔大帝の声に獄卒たちは静かに剣を捧げ、この長い決闘を見届けた者全てが低く頭を垂れて付喪神『顎』を悼む。
リリベルが歩き出した贖罪の道、それは辛く険しいものに違いない。しかし、誇り高い二つの魂に支えられた彼女の歩みもまた、毅然たる新しい名誉に溢れていた。


…疾風のように閻魔庁の長い廊下を駆ける、ひとりの幽霊。小間使いのお仕着せに身を包み、胸に書類の束を抱えた彼女は長い髪をなびかせ、幾重にも守護された大帝玉座を目指していた。

(…ええっと…どっちだっけ…)

若々しく豊かな胸にギュッと押しつけられた分厚い『減刑嘆願書』は、少女が一応の主である『殿下』から地獄の支配者、閻魔大帝へと託されたものだ。
今やベリアルの支配から解放された667人の魂が、恩人リリベルの為に綴った667の署名。熱い言霊に溢れた文字たちは、今日、地獄の法廷が下す彼女への判決を大きく左右するだろう。
行き交う獄卒たちに道を尋ねつつ、やがて巨大な謁見室の扉に行き当たった彼女は、こほんと咳払いをして襟を正し、おもむろに扉をノックしようと小さな拳を上げた。

(…でも、ここまで来れたの、あのヘンなバスツアーのおかげだもんね…)

振り上げた手をゆっくりと下ろし、頬に人差し指を当ててしばし考え込んだ彼女は、ぺたりと扉の前に腰を降ろす。そして署名の束をバサバサと床に広げると、にっこりと微笑んで末尾の空欄に力強く『大賀美夜々重』と署名した。



おわり



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