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異形純情浪漫譚 ハイカラみっくす! 第1話

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匿名ユーザー

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プロローグ




諦めの中に喜びを見出すというのは、まこと容易なことではない。
今まさに感謝の辞こそ述べるべき場面であるにも関わらず、私は思わずついたため息と共
に小さく言葉を漏らした。

――なぜ、よりによって私の代で。

曇った格子窓から差し込む月光が、目の前で眠る一人の少女を照らしている。
やがてベッドから白い腕が伸び、小煩く鳴り続けるベル音の源――目覚まし時計を掴んだ。
それは古文書に記された通りの兆候。

我が主が目覚めんとしている。
永きに亘り代々受け継がれてきた我が一族の使命。とはいえ私たちの寿命を遥かに上回る
周期で訪れるその瞬間に、胸の内では少なからず複雑な感情が絡み合っていた。

《我等の使命は主に仕え、尽くすことにあり。そこにこそ、そこにのみ幸せがある》

数年前、病で亡くした母親から聞かされていた(無責任な)言葉に、首をかしげて見せる。
私が世に生を受けてこれまで、未だ言葉を交わしたこともない主。その主とやらが眠って
いる間、私は伝えられてきたまま常に身の回りの世話をしてきた。汗をかいていればふき
取り、伸び続ける髪をさっぱりしてあげたり、古くなった寝間着を替えてやったりもした。

果たして私はそこに幸せを感じていただろうか?
感じてなどいない。私自身は主から何かしらの恩を受けたわけではないのだから。
食事を摂るが如く、眠りに就くが如く、日々の常として世話をしていただけ。母親や祖母
にこそ感謝の気持ちはあれど、顔も知らぬ先祖が受けた恩など、私にとっては関係がない
ことも同然だった。

不意にベルが止む。
凍りつく時間。輝く月光にふちどられたシルエットがのそりと起き上がり、冷たい空気を
大きく飲み込んだ。長い、長い間を持ってゆっくりと吐き出される目覚めの息吹。
私を覆った影はついにその口を開き、かすれた声を漏らした。

「……すっごい寝たかも」

初めて耳にする、主の声。
言う通り、確かにそれは長い時間だったであろう。しかし「かも」などという言葉を語尾
につけているあたり、長かろうが短かろうがどうでもいいような口ぶりでもある。
身に纏っていたシーツをずるずるとはだけながら、細い腕と指先がぴんと上に伸びた。
やがて傍らで見守る私に気づき、欠伸で険しくしていた表情を緩め、優しい笑顔を作る。

「久しぶり、外の様子はどう?」

その言葉は私に向けられつつも、すぐに自分に対してのものではないと悟った。
恐らくは十数代前の私の先祖。遥か昔に主が目覚めていた時分に居合わせた、もう一人の
不幸な従者へ向けてのものだろう。
黙って立ち尽くす私を細めた目で見回し、主は状況を把握したのか寂しそうに目を伏せた。

思えば私が主に仕えることに対しここまでも喜びを感じ得ないのは、そうした前従者たち
によって残された古文書によるところが大きい。
それには主によって日々翻弄される従者の心情が克明に記されており、私にも同じような
ことが降りかかってくるのかと考えると戦慄さえ禁じ得ない。

言葉を紡ぐことの出来ない私を横目に、主はベッドから起き上がると鏡台にかかった布を
めくり、自分の姿を映しながら感嘆の声を上げた。

「ねえこれ、あなたが髪切ってくれたの? このパジャマもすごく素敵ね!」

それは数年ほど前、ダメになってしまった寝間着の替わりに入手してきたものなのだが、
私自身そういうセンスといったものには非常に疎く、単に「女の子らしい」という理由で
選んだ、淡いストライプピンクのパジャマだった。
散髪に関しても私はハサミというものの取扱いがどうも苦手で、私がこうする前は綺麗な
ひさし髪になっていたのに、今は見る影もなく毛先は乱れ、鳥の巣のようになっている。

そんな私の不慣れな部分を主は「素敵」だと、そう言ってくれた。
満面の笑みが鏡に覗き、その背中に生えた黒い翼――私のものより数倍はあろうかという
ほどの――を機嫌よくばたばたと羽ばたかせる。

「じゃ、これからよろしくね。私は――」

今、人界を騒がす「異形」が一人、タイプ・ヴァンパイア。
蛇の目エリカ。それが私の、主の名だった。


† † †


エリカ様の朝は一杯の紅茶から始まる。

朝といっても、朝日の昇る時刻といった意味ではなく、単にエリカ様が目覚めた時と表現
するほうが正しいだろうか。元来西洋の吸血鬼は陽の光に弱いと聞いてはいるが、純国産
の吸血鬼であるエリカ様がなぜ、と質問してみたところ「そのほうが吸血鬼っぽいってね、
みんな言うから」との答えが返ってきた。

どうやら意外と流されやすい性格らしく、そういう部分には親しみが持てる。
エリカ様は静かにティーカップを置くと、遠い月に柔らかい眼差しを向けた。

古文書によれば、エリカ様が目覚める時には必ず目的があるということらしく、その時に
居合わせた従者――つまり私は、目的を達するまで命に従うことになる。

その目的にも様々なものがあるようで、世界中の動物の血を飲み比べてみたいという気の
遠くなるようなものから、クワガタとカブトムシはどちらが強いか知りたいなどといった
くだらないものまであったらしい。

どちらにせよエリカ様が満足さえすれば再び長い眠り(これは通常の睡眠と区別するため
に久眠と呼ばれる)に就くことになるわけで、もしも今回の目的が簡単なものであれば、
私もまたすぐにこの従事から逃れ、再び久眠に就いたエリカ様のお世話をするだけで済む。
そんな淡い期待を抱きながら、未だ月を見上げているエリカ様に目を動かした。

「……私、恋がしてみたい」

恋――それは曰く甘いもの、曰く切ないもの。
エリカ様は情熱的な手振りを交え、月にも負けぬほどの煌めきを瞳にたたえながら、切々
と語りだす。
しかしそれもどこか聞いたような形容詞を並べるばかりで、具体的な例を明示するものは
何ひとつなく、私はそれを聞きながら込み上げる笑いを堪えるのに精一杯だった。

エリカ様は恋を知らないのだ。

その美貌を有してさえも高貴な育ちが故なのか、恋の一つ二つも知らぬものが私の主とは
笑わせるではないか。何を隠そう私は「恋」を知っているのだから――

ここ「蛇の目邸」の書庫には先に挙げた古文書を始め、ありとあらゆる書物が揃っており、
私は空いた時間よくそこへと赴き、気まぐれに本を読むことがあった。
中でも特にギリシア神話を読むのが好きで、そこには「恋愛の神エロス」なるものが登場
するのだが、難しい漢字の読めない私はそのエロスなるものが如何なる人物なのか詳しく
は分からず、しかしその名を冠するいくつかの参考書には、雌雄による子孫を残すための
行為が描かれているのだ。

――つまるところ恋とは、子種保存本能に基づく「生殖行為」に他ならない。

雄の突起物で雌の身体を貫くという少々野蛮な行為であるものの、子孫を残すために必要
なものであることを一通り伝えると、エリカ様は目を丸くして「物知りなのね」と褒めて
くださった。私はちょっと得意になり、えへんとばかりに鼻を鳴らし、それでは早速恋を
しに行きましょうと促してみる。

その辺でうろうろしている雄の一匹でもあてがえば、それで今回の目的は達成するのだ。
私はエリカ様の着替えを手伝いながら、ひょっとしてこれは過去の最短記録を塗り替える
ことができるのではないかと、自らを奮い起こした。

「どう?」

言いながら振り返る淡い花柄の着物と紺袴。
その姿は純潔な明治女学生を思わせる気品が漂っており、私が切った髪型だけが不釣合に
乱れているのを見て、思わず苦笑いが漏れる。
最後にエリカ様は大きなリボンを付けようと苦戦していたが、やや短くなりすぎた髪の毛
にそれも諦めたのか「あなたにあげるわ」と私の首に回してくれた。

俗事に疎い主人と学殖豊かな従者。なるほどこうした主従関係なら悪い気はしない。
私は授かった最初の勲章(同時にこれが最後となるのだろうが)を誇らしげになびかせ、
エリカ様と共に恋を探すため、月光輝く夜空へと飛び立った。

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