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「鬼と白梅」

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「鬼と白梅」




襤褸を纏い、寂しい河原に座り込んだ少年の姿は異教の聖人にも似ていた。まだ堂々と魔が闊歩するこの時代だが、彼が人の姿をとった鬼と気付く者はいない。
じっと濁った水面を見つめる彼の名は聡角。長じては蒼燈鬼聡角を名乗る、酒呑、茨木と並ぶ名家の鬼である。故郷である地獄を出奔して数日、まだ年若い彼は鬼の力で病や傷を癒やし、人命を救う旅を続けていた。
戦乱、飢餓、疫病。その短い生涯を苦痛のみで塗り潰され、やがて聡角の住まう地獄へとやって来る夥しい亡者たち。
坐して彼らを裁き、再び罪に満ちた現世に送り出すことだけが、鬼の使命とは若い聡角には思えなかったのだ。
恐れられ、忌み嫌われる鬼とて、姿を変え善を積めば人界に秩序を与えられるはず、そして鬼がその名を神仏と連ねる日が必ず来ると信じ、彼は生まれ育った地獄を後にしたのだった。

(…梅か…)

黙想に耽る聡角の鋭敏な嗅覚が、まだ冷たい春の風に混じる仄かな香りを感じ取る。鮮やかに綻んだ蕾を求め彼は周囲に視線を巡らせたが、低い河原からは寒梅の枝を見つけることはできなかった。

「…ずっと川上の村や。こっからは見えへん。」

不意に聡角の耳元で愛らしい声が響き、姿の見えぬ声の主を探して静かに立ち上がった聡角の前に、ひときわ濃厚な梅の香りと共に一人の少女が出現した。

「…あんたは…鬼やな?」

ふわふわと聡角の頭上に浮かぶ可憐な彼女は白梅を想わせる純白の小袖を着ていた。自らと同じ孤独な化生の気配に納得した聡角は、静かに頷いて答えを返す。

「…梅の精か。それじゃずいぶん遠い散歩だな?」

「うん。香りが届くとこまでは、こうやって飛んで来れるねん。」

春の訪れを喜ぶように、彼女はほのかな芳香を振りまきながら、くるくると聡角の周囲を舞う。

辛苦に満ちた人界にあって、唯一聡角を慰めるものは移ろう四季だった。燦々たる夏の緑、黄金に染まる秋風、峻烈に地を覆う霜…
厳しい顔を少し和ませた聡角は彼女の本体、寒風に凛と咲く健気な白梅を観ようと風上へと歩きだしたが、疾風のごとく彼の前方に舞い降りた梅の精は、瞳に非難の色を浮かべて厳しい声を上げた。

「…あんたやろっ!? 病人や怪我人直しながら都に向こてるっちゅうアホ行者は!?」

唐突な怒声に少し戸惑った聡角は、彼女の膨れっ面をまじまじと見る。野に生きる獣や虫、ざわめく木々の言葉は何より早く地を駆けるのだ。聡角の噂はその主より早くこの河原を通り過ぎたようだった。

「…いかにも、できる限りの事はしている。」

「…ちょっと前に、権左ちゅう名前の刀傷の男の怪我を治したやろ!?」

権左という名に覚えはなかったが、二日前に酷い刀傷の男を助けたのは事実だった。凶相の男ではあったが、満身創痍の彼を捨て置けず、幾つかの鬼術と薬草で瀕死の彼を救ったのだ。

「…あの男は人殺しの野盗や。この土手の上…うちが咲いてる村の人たちが、必死に戦って追い払ったのに…」

「…されど死にかけ、助けを求めていた…」


聡角は、唇を尖らせ自分を睨む精霊を見つめながら、おずおずと彼女の怒りを解く釈明を口にした。暴力に暴力で応えて平和は無い。たとえ罪人のものであっても、等しく尊い命を守ることが世を善に導く礎になることを。
訥々と聡角が説く慈悲の教えに、白梅の精はさして納得する様子もなく聞き入っていたが、やがて眉間に皺を寄せた彼女はふわりと宙を舞い、頭から聡角に突撃した。

「うあ!?」

ごちん、と音を立てて梅の精の頭突きは説法中の聡角の額に命中した。意表をつかれてたじろぐ聡角に、梅の精は甲高い怒声を浴びせかける。

「屁理屈はええねん!! 鬼の癖に仕事もせんとこんな所でいらん事してからに!!」

梅の精の剣幕に気圧された聡角は言葉を失った。確かに彼女の言うとおり、地獄で死者を裁き、道を反れた魂を厳しく浄化するのが鬼の役目だ。

「…怖い鬼が地獄で待ってなかったら、なんぼでも悪い事する奴が出るやろ!! さっさと帰って亡者シバいてこい!!」

乱暴だがもっともな彼女の意見に聡角は沈黙を続けた。果たして、ただ今日を生き抜く為だけに殺し、奪う人間たちを断罪することが天が鬼に与えた使命なのか。

(…神仏はどうお考えなのか。今や人界こそ地獄、そして地獄にこそ救済が必要ではないのか…)

そんな聡角の苦悩は、この短気な梅の精にも伝わったようだった。頭突きで崩れた結い髪を直しながら、彼女はぼそりと拗ねたように詫びる。

「…ごめん。鬼も…辛い仕事やな。悪人の相手ばっかりで、嫌われて。たまにええ事したら、うちに頭突きされて…」

「…謝ることはない。私は…余計なことをしたようだ。」

「…ううん、判ったらええねん…」

梅の精はしばらく所在無げに聡角の頭上を浮遊していたが、やがて照れたように小さな呟きを洩らした。

「…そや、うち明日は忙しいねん。一年一度の晴れ舞台や。」

「晴れ舞台?」

「…この辺で咲く梅はうちだけやから、あした村の人がみんな…わざわざ見に来るんや。ご馳走も何もない、情けないほど貧乏臭い花見やけどな…」

凍てつく朝霧のなか、雪よりも白く咲く小さな花が聡角の瞼に浮かぶ。誇りに満ちた眼差しで村の方角を見つめる梅の精の横顔を、聡角は美しいと思った。

「…日和に恵まれれば好いな…」

静かにそう答えた聡角はくるりと向きを変え、川下へと静かに歩み去る。梅の精は慌てて彼を追おうと舞い上がったが、その姿は無情な寒風にかき消され、透き通った声だけが聡角の背に追いすがった。

「…で、でも本当は今朝がいちばん綺麗に咲いてるねん!! 観てい…」


北風に散る香りと共に彼女の声は途絶えた。一度だけ振り返った聡角は、しばらく白梅の残り香を探るように佇んでいたが、やがて灰色の寂しい河原を踏みしめて歩き去った。


…前日と同じように赤茶けた藪を抜け、ごろごろと鈍色の石が転がる河原に降りた聡角は、昨夜から堂々巡りを続ける自問自答を繰り返した。

(…何故、戻ったんだ…)

その答えは、何より理を重んじる聡角にしてはいささか乱暴なものだった。『神託』という鬼らしからぬ結論が、彼を昨日梅の精に出逢ったこの場所へ導いたのだ。
朗らかな彼女の声と、まだ観ぬ一輪の花。染み入る寒さに負けぬ凛とした生命力に、聡角は自らが求め続ける、万人を救済する強い力を垣間見たのだった。
しかし寒々と曇った空の下、二人が別れた場所を過ぎても、あの清楚な芳香は漂っては来なかった。

(…!?)

代わって聡角の鼻腔に、冷たい風に乗った焦げ臭い匂いが届く。不吉な予感に彼が慌てて駆け登った土手の下には、白梅咲く小さな村の最期が惨たらしく広がっていた。

(なんと…いうことだ…)

焼け落ちた何軒かの粗末な家屋からはまだ細く白煙が立ち上っている。悲惨な略奪の光景だった。怒りに満ちた鬼の眼をもってしても、生き残った住人の姿は見いだせない。

「…誰か!! 誰かいないか!!」 

抵抗空しく斬られた者、為す術もなく矢に貫かれた者。そう広くない村落を巡った聡角は、一人の生存者も見つけられぬまま哀れな亡骸に掌を合わせ続けた。
そして己の無力を詫び、既に黄泉へと旅立った彼らの骸を荼毘に付そうとしながら、彼は村人たちが愛した可憐な白梅の姿を探し求める。あの愛らしい精霊の樹は無事だろうか…

(…ここ…あんたの前…)

微かな応えが聡角の前、燃え落ちた梁の下から発せられた。梁に薙ぎ倒され、焼け焦げた梅の木は、もはや一片のくすぶる炭のようにしか見えなかった。

「あ…あ…」

悲痛な呻きと共に彼女に駆け寄った聡角は、掌が灼けるのも構わず重い梁を持ち上げ、無惨に折れた彼女の幹に触れた。

「大丈夫か!? 一体…」

(…権左が…仲間と仕返しに来て…みんな、殺されてしもた…)

…彼女をこんな姿にしたのは、他ならぬ神仏を真似ようとした己の傲慢だった…抉るような後悔に震える聡角の手中で、灰となったか細い枝が音もなく崩れてゆく。

「…私は、どう…償えば良いのだ…」

(…しゃあないよ。あんたも悪気は無かったんや…)

「しかし…しかし…」

耐え切れぬ自責の念に、ただ爪で地を掻き毟る聡角の前に、白梅の精の霞む姿が横たわった。煤で汚れた青白い頬に、屈託ない昨日の笑顔はなかった。

(…何人かは逃げ延びた人も居る。その人らの為に、うちは来年も絶対に花を咲かすんや…絶対に、な…)

毅然と言い放ち、苦しい息のなかでようやく悪戯っぽい笑みを浮かべた白梅の精に手を触れ、聡角はありったけの魔力をその身体に注ごうとした。傷付いた幹と渇いた根に、再び瑞々しい生命を喚び戻そうと。

(…また、あんたは要らんことをする…これくらいで枯れるうちやない。それより…)

力なく白梅の指が差し示す先、壊れた荷車の影に、一人の亡者がブルブルと震えながら潜んでいた。

(…権左や。分け前のいざこざであっけなく仲間に殺されたんや…)

自らの死に取り乱した権左の霊は、聡角の視界から逃れようとさらに暗がりへと潜り込んだ。このまま彼の悪しき魂が闇に堕ちてしまえば、さらなる悲劇の連鎖は続いてゆくだろう。

強くなった北風が、罪なき者たちの嗚咽のように聡角の全身を刺す。鬼のなすべき務めは、やはりこの地上には存在しないのだ。

(…さ、行くんや!! あんたが助けるんは私やない。鬼は…この世で救いようのない、権左みたいな奴を救うんが仕事や…)

聡角の逡巡を断ち切るように、消えゆく精霊の叱咤が響いた。悲哀に満ちた顔を上げ、恐ろしげな鬼の姿に還る聡角を見届けた彼女は、最後にもう一度微笑んで、傷を癒やす深い眠りの底に沈んでいった。

(愛しい白梅よ、私は…私は…)

天を仰ぐ聡角に彼女が残した言葉は、彼の予見した『神託』だったかもしれない。自らの位置など知ることもできぬ無限の宇宙で、生きる者全てに与えられた始まりも終わりも判らぬ使命。
儚く、そして強い白梅の教えを噛みしめた鬼は、向かい合うべき弱き魂、地獄の業火に怯える権左の霊へと静かに歩み寄った。
ガチガチと歯を鳴らし、子供のように泣きじゃくる権左は何処でその道を誤ったのか。それを確かめ、過ちを正す慈悲の鬼こそ即ち『獄卒』なのだ。

「か、勘弁してくれ…地獄は嫌や…勘弁してくれ…」

「…立つのだ権左。私は長い贖罪の道を常にお前と並んで歩く。恐れることはない…」

朗々と響く力強い聡角の声に、権左がはじめてその憔悴した顔を上げた…


…それから聡角は、数え切れぬ年月を数え切れぬ権左と歩き続けた。現世では重過ぎた荷物を共に背負い、その罪と同じだけ深い、彼らの嘆きに耳を傾けながら。
はにかみながら聡角に感謝を告げ、さらなる階梯を登ってゆく者、聡角のもとに留まり、共に宇宙の秩序を支える者。かつての罪人が光ある道を歩き始めたとき、聡角はいつも不屈の白梅をその瞼に浮かべる。


「……おい聡角、やっぱ駄目だ。こないだの修理から、昇降機構ずっと調子悪いからな…」

眉をしかめて遥か上空の専用ゲヘナ・ゲ-トを見上げた殿下は縁側からちょこんと腰を上げた。

ここは聡角の私邸。その広い庭園に集まった大勢の魔物たちは、ときおり夜空を見つめながら並べられた酒肴を楽しげに囲んでいる。

「ねぇねぇ聡角さま!! もう食べ物が無くなったニャ!!」 「『いすぱにあ』から出前をとったらどうかニャ?」

「…そうしてくれ。」

微笑んで頷いた聡角の背後で、このやたら騒がしい侍女二人組はピョンと跳んでハイタッチを決める。美しく着飾った宮廷侍女に、慣れぬ式服が少し窮屈そうな獄卒たち。
賑やかな宴会から少し離れた聡角は、まだ携帯ゲーム機のようなゲ-ト操作端末をいじくり回している殿下に答えた。

「…どうかご心配なく。こんな私用でお借し頂けただけで充分です。…ゲ-トからは私が降ろします。」

「…おかしいなあ。こないだは調子よく降ろせたんだが…そろそろ時間だよな…」

ため息をついた殿下が端末をポイと投げ捨てたとき、長い髪を結い上げた美しい獄卒が聡角に走り寄った。部下である彼女に予定通りの進行を告げた聡角は姿勢を正し、全身に満ちる魔素を虚空の一点に向けた。

「…ゲ-ト始動しました。秒読み、開始します。」

時を刻む獄卒の落ち着いた声。思えば自分はこの日の為に、『移魂の術』に磨きをかけ続けたのかも知れない…ふと、そう考えた聡角の背後から嬉しげな冷やかしが飛んだ。

「…しっかりやれよ聡角!! ゲ-トから女房落っことしたら、洒落になんねーぞおい!!」

だいぶ酔った、獄卒長紫角の声だ。生真面目な副官を茶化せる珍しい機会に紫角は有頂天のようだった。
しかしチラリと恨みっぽい眼を上司に向けた聡角の術は、生と死の門を越えた妻をしっかりと掴んでいた。名高い霊木『鬼寒梅』は今夜地上での長い役目を終え、彼女を待ち続けた鬼のもとへ嫁いで来るのだ。

「…ゲ-ト、開きます。」

聡角の裂帛の気合いと共に、黒雲の隙間から雷鳴が轟く。

「招!!」

一同が舞い降りた眩しい稲妻に目を覆った次の瞬間、丹精込めて手入れされた庭の一隅に、見事な白梅が静寂に包まれ佇んでいた。

「…おお…」

闇に映える白い花に、最も無骨な獄卒さえ息を呑む。そして墨色の幹からさらに見目麗しい花嫁がその姿を現したとき、この婚礼に集まった全員が深い感嘆の吐息を洩らす。
馥郁たる香りに包まれ、慎ましく夫の傍らに並んだ白梅の精に、かつてのおてんばな少女の面影はない。
焼け焦げ、捻れた幹から逞しく新芽を伸ばし、驚嘆する人々の目を長年楽しませ続けた彼女は、今や落ち着いた趣を備える艶やかな妖となっていた。

「…鬼寒梅と申します。山家育ちの不調法者ですが、何卒よしなに…」

「…殿下殿下、迎えの御言葉ですニャ!!」

「お、おう…」

侍女長に促された地獄の皇子が、ぎくしゃくと進み出て婚礼の開始を告げる。離れてなおひとつの魂であり続けた鬼と白梅、その二人きりの時間は、まだもう少し先のようだった。

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