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「黄泉に響くもの」

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「黄泉に響くもの」




…『アサヒ号』は妖狐観光団の貸し切り、『ハヤテ号』は慈仙洞経由で定期路線。『ミドリ弐号』は…
びっしりと詰まった午後の配車予定表を眠い目で見つめていた高瀬剛は、やがて頬杖をついたまま短い眠りに落ちていった。
慌ただしく昼食を終えたこの多忙な元軍人は閻魔宮城下の交通を担う配車主任だ。『ゲヘナ・ゲート』が開通してからも地獄住人の大切な足として、彼の愛するバス達はフル稼働している。
最近ラヂエタァの不調が多い最古参のミドリ壱号に、子供客を嫌がる神経質なコダマ号。
みんな恐ろしく型の古い骨董品じみた車体だが、人間に愛され、仕事を愛した彼らはその誇りを魂として天に与えられ、ここ地獄の地で再びそのエンジンを唸らせているのだ。
…やがて、眠りの淵をさまよう剛の配車予定表に艶やかな黒髪の鬼が悩ましく割り込んでくる。端正な横顔によぎる寂しげな微笑み。
…確か、外宮勤務には夜勤明けの連休がある筈だ。怜角は湖畔のドライブなど嫌いだろうか…

パアアァ…!!

「わっ!?」

剛の甘美な夢は突如響き渡ったクラクションに破られた。剛の耳は全てのバスの些細な駆動音すら聴き分ける。この音は整備を終え車庫で休んでいるハヤテ号の仕業だ。

「…全く、貴重な休憩時間に…」

不機嫌に仮眠室を出た剛は、そのまま一階の広い車庫に向かう。振り切れぬ睡魔にふらつく彼が階段を下る間も、クラクションは甲高く鳴り続けていた。

「…おい!!ハヤテ…」

元将校らしい厳しい怒声と共に車庫へと飛び込んだ剛は、幾つもの眩しいヘッドライトに照らされ思わず顔をしかめる。クラクションの騒音もまた、まるで伝染したかのように全てのバス達から発せられていた。

「うるさいっ!! 貴様ら、一体何の騒ぎか!?」

剛の一喝で狂乱するバス達は一瞬だけ沈黙したが、手におえぬ大騒ぎを止めようとはしない。午後の激務を考え頭痛を催しつつ、剛はハヤテ号の車体に触れて辛抱強い問いを発した。

「……『仲間』?『苦痛』?…」

掌を通じて返った答えは不可解なものだった。『バス』『仲間』『突入』『苦痛』『苦痛』『苦痛』…

「…おい待て!! 待ってくれ!!」

理解出来ぬバス達の怒りと混乱に剛が思わず悲鳴に近い声を上げたとき、作業用のオート三輪トラック『フクロウ』が、丸いヘッドライトをぱちぱち瞬かせながら、キィ、と水色のドアを開けた。小回りの効く剛の愛車だ。

「乗れと? 一体…」

躊躇う剛を怒鳴りつけるように、また音と光の洪水が彼に降り注ぐ。車庫の重い鉄扉までが剛を急かすようにミシミシと唸りを上げた。

「…判ったよ。事情によっちゃ、承知しないからな…」

…『フクロウ』が剛を乗せて車庫を飛び出した後も、残されたバス達は不安げに車体を震わせ続けていた。


「…おい、まだ行くのか? 何にもないじゃないか。」

かれこれ数十分『フクロウ』のシートに揺られながら、剛は冥府の砂利道に油断ない目を配っていた。
次第に市の中心部から離れ寂しい草原を走るトラックからは、特に剛の注意を惹くものは見当たらない。

「…おい。一体どこまで行くつもりだ? お前もまだタイヤ運びが残ってるだろ?」

やがて頑なに直進する『フクロウ』にうんざりと呟いた剛の前方に、小さな数人の人影が飛び出した。見覚えのある軍服姿。…出来れば迂回してやり過ごしたい連中だった。

「…高瀬小隊長殿!!」

駆け寄ってきたのは剛が未だ地獄に留まっている理由の一つ、彼を慕うかつての部下たちだ。外見上は剛の祖父、といった年齢の彼らは、未だ迷惑な忠誠心を惜しみなく半世紀前の上官に捧げ続けているのだ。

「何だ!? また突撃訓練か?」

「はっ!! 演習の最中でありましたが、非常事態が起こりまして…」

頭痛の種とはいえ、先の大戦を勇猛に戦い抜いた古強者たちだ。剛はすぐ彼らの様子から『非常事態』がかなり深刻なものであることを悟った。

「…空から人が…いや、幽霊が降ってきたのであります。何やら機械の破片と…」

「何だと!?」

「仲間が救護に当たっております。是非小隊長殿もお力添えを!!」

老兵たちに案内され、剛と『フクロウ』が向かった先には、酸鼻を極める光景が広がっていた。
地獄絵図…という形容はいささかおかしいが、荒れ野に倒れ伏した数人の幽霊は白目を剥いてガクガクと痙攣し、弱々しく呻き続けている。

「…落ちて来たって…一体どこから?」

分厚い黒雲に覆われた地獄の空を見上げながら剛が呟いたとき、流れる雲の隙間にジジッ、と青白い閃光が走った。

「…恐らく第4番、もしくは第25番ゲヘナゲートの方角ですな…」

重苦しい斉藤軍曹の言葉に間違いはない筈だった。戦場のジャングルで、星の位置を頼りに常に高瀬小隊を導いた彼の眼は老いても全く衰えてはいない。

「…ゲヘナゲートの事故か!?」

いずれにしても、負傷者の救護が先決だった。恐らく凍てつく高空に投げ出された幽霊たちは恐怖と寒さに半ば失神した状態で、この草もまばらな地表へ激突したに違いない。

「…獄卒隊にも連絡は取りました。もうすぐどなたか鬼殿が来られる筈ですが…」

剛たちが抱え上げて一カ所に集めた被害者たちは、いずれも死んで日の浅い未熟な霊だった。このまま激しい苦しみに囚われ続ければ、霊核を失い消滅してしまうかも知れない。

「しっかりしろ!! 自分の名前と姿だけを念じるんだ!! しっかり…」

「…寒い…寒い…」

高瀬小隊の必死の処置も空しく、幽霊たちの姿がぼやけ始める。彼ら修練を積まぬ霊体が意志の力で実体を保持するには、痛みと寒さが激し過ぎるのだ。
暗雲の隙間から時おり青い火花が下界を照らす。ただの事故ではなかった。その慎重さで知られる閻魔庁技術部門が、こんなか弱い一般の幽霊を惨事の巻き添えにするなど剛には考えられなかった。

「駄目だ…」

ただ声を掛け続ける事しか出来ぬ歯がゆさに剛が思わず悔しげな言葉を洩らしたとき、激しく空間が歪み褐色の女鬼、慈仙洞嵐角がその堂々たる姿を現した。小柄な部下二人を脇に抱えた乱暴な瞬間移動だ。

「嵐角さん!!」

「…今日はなんて日だろうね!! 閻魔庁に不審車両が突入したそうだ。この怪我人も恐らく関係者だろう!!」

「えっ!?」

部下と共に手早く怪我人の容態を調べながら、この逞しい女鬼は手短かに現在の状況を剛に話す。その短い内容は大戦の勇士たる高瀬剛中尉をも戦慄させるものだった。

『…本日未明、所属不明ノバス一台ガ第弐十五番ゲヘナゲートヲ強行突破シタ後、閻魔庁ニ侵入セリ。自爆攻撃ノ可能性アリテ現在獄卒隊ガ応戦中…』

部下が嵐角の話を無線機で仲間に伝える傍らで、剛は茫然と立ち尽くした。閻魔庁外宮では怜角が警備任務に当たっている。もし彼女に万一のことがあったら…

「…中尉!! ボサっとしてないで!! 早く暖めなきゃ死んじまうよ!!」

「あ…」

慈仙洞嵐角の太い怒号で我に返った剛は、嵐角が着衣を解き始めたのを見て慌てて背を向けた。以前凍死した赤子の霊を、彼女が素肌で暖めるところを見たことがあるからだ。

「ほら、胡蝶角!! チャナ!! あんたたちも!!」

「は、はいっ!!」

嵐角の二人の部下も恥ずかしげに胸をはだけ始め、高瀬小隊の男たちは比較的軽症の怪我人を毛布でくるみながら、懸命に彼女たちから目を逸らせた。

賽の河原で鬼の子が 迷子になって泣いている
来る船来る船覗いても 鬼の母者は見当たらぬ

…豊かな胸に凍える亡者を抱いた嵐角が低く唄う。亡者たちの苦悶の呻きは鬼の静かな子守唄に混じって小さく溶けてゆき、やがて安らかで深い安堵の吐息へと変わっていった。

鬼の子乗せた丸木船 三途の川をすいすいと
母を探して幾千里 浮きつ沈みつまた明日…


「…じゃ、高瀬中尉、私たちは先に城へ飛ぶから怪我人は頼んだよ。」

「…判りました。御武運を祈ります。」

衣服を整えて再び瞬間移動の精神集中に入った嵐角を敬礼で送り、『フクロウ』の荷台にかなり精気を取り戻した幽霊たちを寝かせた高瀬小隊は、市内の治療所に向かうべく移動を始めた。

「…小隊長殿!!」

「何か!!」

ふと気付けば、今日もまた旧軍の肩書きに応えていた。助手席の剛は頭を掻きながら、駆け寄る部下の報告を聞いた。

「あちらに侵入車両の一部らしき物が!!」

「何だと!? 停めろ!!」
『フクロウ』から降りた剛は、荒れ野に突き刺さる禍々しい金属塊に近付く。それは、抉り取られたような古いバスの車体後部だった。

「小隊長殿!! 急ぎませんと!!」

部下の叫びに手を挙げた剛の唇から、以前彼が親しい技術部門の鬼に聞かされた、ある血なまぐさい最新技術の名が洩れる。

「…ケイオス・シェルコーティング…」

墓碑のようにそそり立つそれはギラギラと妖しく輝き、救助された亡者たちとは比べものにならぬ凄惨な苦痛の慟哭を、剛に向けて絶えることなく発し続けていた。

「…すぐ迎えに来てやる。騒ぎが収まったら、自分の所へ来るといい…」

『フジ号』や『ハヤテ号』が懸命に案じていた仲間を見捨てる訳にはいかない。声無き悲鳴を上げ続けるリヤ・ウインドウをそっと撫でた剛は、急いで『フクロウ』に駆け戻った。


「…よし、このまま閻魔庁に走る!!」

治療所に幽霊たちを運び終え、騒然とする市内を『フクロウ』は走る。飛び交う噂の断片は曖昧だったが、閻魔宮の…怜角の危機は剛を感じたことのない不安に突き落としていた。

(…怜角さん…)

小さな『フクロウ』の荷台には高瀬小隊の面々がぎっしりと乗り込んでいる。久々の『実戦』の張りつめた空気に、彼ら老兵の興奮した歌声は剛にも抑えられなかった。

神州遥か密林の 護国の砦よ高瀬隊
亜細亜の明日を守らんと 道無き道を拓きゆく

…剛の戦死後作られた歌だ。自分の鎮魂歌を聴く奇妙さにももう慣れた。しかし果たして今、あの時と同じ死に方が出来るだろうか? 若く、耐え難い離別を知らなかったあの時と…

怒涛の敵軍睨み据え 絶壁散った若虎よ
讃えよ我等の勇将は 嗚呼軍神高瀬中尉…

「…駄目ですな、また通行止めです。」

運転席の斉藤軍曹が呟く。今や城下は前代未聞の緊迫を見せていた。閻魔庁の広大な敷地に続く主要な道路はことごとく封鎖され、それぞれ戦闘体の鬼たちが油断の無い眼差しを周囲に配っている。
剛は碁盤の目のような閻魔庁周辺の道には詳しかった。静まり返った通りを縫ってできる限り閻魔庁に近い区画にたどり着いたが、突如『フクロウ』に立ち塞った黒い鬼が棘だらけの腕を上げて一行を制止した。

「…申し訳ないが、民間人は此処からは進めない。」

「民間人!? 我々は大日本帝国陸軍…」

『民間人』という言葉に鼻息を荒げる部下たちを制し、剛は無表情な黒鬼に丁寧に状況を尋ねる。

「…城内の様子はどうなのでしょう? 被害は…」

「…機密事項だ。発表を待ってくれ。」

事務的な鬼の答えに剛は沈痛な眼差しを閻魔宮の高い塀に向けたが、怜角のいる幾つもの門に守られた外宮を窺うことはできなかった。

「…そうですか…」

良くも悪くも剛は組織に仕え、命令を守る苦労をよく知っている。南方戦線で彼を死に追いやったのも抗えない、そして抗おうともしなかった祖国の『命令』だった。
この黒鬼や怜角もまた、死の国の秩序に忠誠を誓い、その能力と命を閻魔大帝に捧げた『獄卒』だ。剛に彼らの任務を妨げる権利はない。

「…お務め、ご苦労様です。では…」

敬礼で黒鬼に応え、クルリと踵を返した剛の背後で陽気なメロディが響いた。それはいかめしい黒鬼にはなんとも不似合いな通信機の着信音だった。

「…こちら南ノ六。はい…」

思わず振り向いた剛は黒鬼の表情が僅かに和むのを見た。そして黒鬼の声はちょうど待っている高瀬小隊に届く高さまで跳ね上がる。

「…事態は収束、庁内の負傷者はゼロ、ですね。了解です…」

…通信を終え深い吐息をついた黒鬼に向け、剛はもう一度感謝の敬礼を送った。彼が照れたように頷くと、整列した高瀬小隊が相変わらずの騒がしい万歳を唱和し始めた。


…そして、権力は時として身勝手なものだ。封鎖が解除されると高瀬小隊はすぐ召喚を受け、つい先ほどまで近寄ることすら叶わなかった閻魔庁の門を急いでくぐることになった。
テロリストとは思えぬ傷付いた幽霊たち。そして禁断の邪法で強化されたバスの断片。携えた情報と共に剛の胸を大きく占めているもの、それは怜角の顔を早く見たいという、少し不謹慎な欲求だった。
既に日常の静けさを取り戻した庁内を、獄卒に案内されて高瀬小隊は会議室へと急ぐ。そのとき、眉間に深い皺を寄せた斉藤軍曹が、剛の傍らで歩みを遅めた。

「どうした、斉藤軍曹?」

「は…どこかで、『未練の鈴』の音がしたような…」

剛はこの頑固な老下士官の耳が、その眼と同じ位正確で鋭かったことをふと思い出した。しかし剛がいくら耳を澄ませても、もう悲しいその音色が聞こえることはなかった。

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