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「昏い道を越えて」

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「昏い道を越えて」




長い修練の旅から戻り、本日付けで正式な部下となった私にボソボソと祝福の言葉を掛けながら、聡角は何やら人界のものらしい妙な機械装置から離れて私を部屋に招き入れた。

「…で、鬼としての名は?」

「『怜角』と名乗ります。人界での名前から取りました。」

「…そうか…良い名だ。」

照れたように呟き、窓辺から三途の流れを見つめる聡角は私の恩人だ。遥かな昔、憎悪と憤怒を撒き散らしながらこの悠久の流れを地獄へと運ばれてきた私。醜い魔物だった私は今、冥府の官服に身を包み、長かった贖罪をずっと支え続けてくれた青い鬼、聡角と並んで立っている。

「…綺麗になった。後宮に引き抜かれるかもしれんな。」

彼らしくない冗談混じりの賛辞に、今度は私が顔を赤らめ俯く。今の私は二十歳だった頃の人界での容姿に落ち着いているが、彼と初めて会ったとき、私は波打つ黒髪に全身を覆われ、目だけを爛々と光らせた浅ましい妖怪の姿だったのだから…


『山中で過激派女子大生の変死体見つかる』

これが数十年前、私の死を報じた小さな新聞の見出しだ。両親の庇護のもと何不自由なく育ち、大学で机上論だけの革命理論に傾倒した私は、一度として額に汗して働くこともないまま、青臭い理想論と角材を振りかざして世界と対峙する戦士を気取っていた。

『体制打倒』『世界革命』

胸を昂ぶらせた麻薬のような言葉。無上の高揚感と偽りの連帯感に酔いしれた私たちは暴走を続けた。やがて脆いバリケードが破壊され、自分たちが英雄ではなく無責任で悪質な粗暴犯だと気付いても。
官憲に追われながらも仲間と庇い合い、身を寄せ合う暮らし。それでも日々が輝いて見えたのは、いつも傍らにある男性がいたからだった。アジトを転々とする生活のなか、私はその男、所属するセクトのリーダーと結ばれていた。

ずっと私の憧れだった、熱っぽく理想社会を語る彼。内気だった私の遅い恋は、付属してきた副リーダーの地位と共に、ほんの短い間だけ、私に至福の時を与えた。
…強大な権力に追われ、転戦を続けながら深く愛し合う二人の闘士。だがそんな幻想は儚く終わる。公安警察からの絶え間ない逃避行に子供じみた団結はたやすく破れ、エゴと疑心暗鬼に支配されたセクトは徐々に崩壊し始めていた。
そして、許せなかった彼の裏切り。何人もの女性メンバーと彼の乱れた関係を知ってしまった私は、惨めな嫉妬心の隠れ蓑として彼女たちのスパイ容疑を捏造し、潜伏先の孤立した山小屋で、残忍に彼と関係したメンバーを処刑していった。
…恐怖と猜疑心に支配された残るメンバーが、半ば狂気に取り憑かれた私の粛清を決めたのは当然だったと思う。理想も情熱も失い、山奥に追い詰められた『革命評議会』が一斉逮捕される前夜、私はかつての同志たちの手で生きながら埋葬され、その惨めな一生を終えたのだ。
人生の最後に見上げた涙で滲む星空。黙々と私を冷たい土中に埋めるメンバーのなかには、哀れに泣き叫び命乞いをする私から目を背け、弱々しくシャベルを振るうリーダー、見る影もなく憔悴した『彼』の姿もあった…


…水面に幾多の悲哀を映し出し、三途の川は絶えまなく流れる。窓の外ではまた、苦しみに満ちた旅を終えた老若男女が船を降り、冥府への第一歩を踏み出していた。
しかし稀に、死してなお魂をどす黒く焦がし、憎悪を糧として人界に留まる者もいる。あのあと、復讐の魔物と化し、怨念の黒髪を蠢かせて地上に這い出た私のように。
もはや化け物になった私には憎しみの対象すら問題ではなかった。絡みつき、締め上げることだけを虚ろな歓びとして存在していた私は、闇に潜み幾多の罪無き命を奪い続けた。

もし高徳の僧侶に調伏され、封印されてこの地獄に流されなければ、ついには自らが人であった記憶すら無くすまで祟り続けたに違いない。
因果応報。いずれ無間地獄へ投げ込まれ、完全な消滅を待つばかりだった運命から私を救ったのは、監視役であった短い聡角の一言だった。

『…とりあえず、話を聞いてみよう。』

…それから何年も、聡角はただ寂しげな瞳を私に注いだまま、吠え猛る私に向かい合い続けた。やがて地上で蓄えた障気が抜け果て、唯一の武器であった髪一本動かせなくなるまで。
精根尽き果て全く無力となった私は、次に駄々っ子のように泣き始めた。耳障りな嗚咽を聡角に浴びせながら、また何年も、何年も…
こうして私は地上での寿命と同じ位の歳月を費やした後、初めて聡角に向けて掠れた声を発したのだった。

『…私は、悪くない…』

あのときの聡角の微笑みを忘れることはないだろう。ただし忘れ果てていた他人の笑顔に混乱した私は、悄然と俯いて再び黙り込んでしまったのだが。

『…まず、そこから一緒に検証していこう…』

聡角の言葉に、はたして私が頷いたかは覚えていない。しかしその瞬間から、長い償いは始まっていたのだ…


『…違う!! 違う!! 違う!!』

地獄の責め苦とは刑罰ではない。己の愚かさや醜さと向き合う苦痛そのものが償いなのだ。逃れられぬ過去という針の山を歩き、逃げ口上で満たされた血の池に溺れる。
弱さ故の狡猾さ、無知ゆえの無慈悲さに覆われた私の過去は、息を呑むような罪業に満ちていた。

『…違わない。君の意識を正確に再生しただけだ。疑うなら閻魔庁の…』
聡角の追及は苛烈を極めた。自分を騙し、臆病さを取り繕う傲慢さ。慈しみを知らず、与えられる愛だけをひたすら貪った貪欲さ。そしてその数え切れぬ罪を他者になすりつけ、何も生み出さぬ憎悪にどっぷり浸り続けた頑なさを抉り出すように。

しかし、信じられぬ苦痛と長い年月を経て、何度となく挫折しそうになりながらも、私はついに全ての過ち、魔物にまで堕ちた全ての元凶である自らの弱さとまっすぐ向き合った。

『…ごめんなさい…』


聡角の支えでようやくたどり着けた短く簡単な言葉。その言葉が迷いなく唇から漏れた瞬間、法を犯し、人を殺め、そして魔物になった真樹村怜は赦された…
そのあと一般の亡者と変わらぬ待遇を与えられた私は、迷わず鬼として冥府のために働きたいと願い出た。聡角の口添えと、皮肉にも命を落とすまで気付かなかった生来の魔力の強さが『前科者』にもチャンスを与えてくれた。
そして長く地獄を離れ、厳しい鍛錬に勤しんでいた私は今日、晴れて閻魔大帝の任官を受けて、片時も忘れぬ師であった聡角のもとへ配属されたのだ。


「…当分は地獄門と外宮の警護に当たって貰う。最近、面倒事が多くて増員が追いつかん。」

「了解です。」

頭を下げると、ちょこんと頭頂に伸びた短い角が気恥ずかしい。話したいことは山のようにあったが勤務中だ。辞去を告げて部屋を出ようとすると、聡角は私を呼び止め、先ほどから気になっていたテレビのような人界の機械へと私を招いた。

「…君は『コンピューター』を知っているな? これは現在の人界で普及している形のものだ。」

「は…」

私の知るコンピューターはピコピコと点滅してパンチカードを吐き出す、冷蔵庫のようなSFの小道具だった。このテレビとタイプライターのあいの子が、難しい計算でもしてくれるのだろうか…

「…君が行を積んでいる間に人界も色々進歩してね…座ってみなさい。」
『コンピュータ』に向かい腰掛けた私の横で聡角は少しぎこちなく機械を操作する。動き出した画面を覗いた私は、そこに並んだ文字に思わず眉をしかめた。

氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね
氏ね氏ね氏ね氏ね氏ね

誤字…だろうか?意味の無い文字の羅列はなぜか私に不吉で危険な印象を与えた。ちょうど私を覆い尽くし、目も心も塞いでいたおぞましい黒髪のような…

「…冥府から出られぬ我々も、この装置を使えば生者と会話ができる。…上がいつまで黙認するか判らんがね…」

聡角が青い指先で複雑な印を切ると、私のまだ未熟な心の眼に果てしない光の曼陀羅が広がる。そしてその先に、この蛍光色の文字を綴った少女がの姿が見えた。
…まだ若い彼女は薄暗い部屋のなか、同じ機械を挟み鏡のように私を睨んでいる。落ち窪んだ頬と怒りと悲哀に暗く濁った瞳。まるで…

「…危険な状態だ。近いうち自分も、そして周囲をも滅ぼすだろう。」

…震えるか細い指がカタカタと憎悪を文字に変えてゆく。日夜理不尽な蔑みと嘲りを浴び続け、暗闇に籠もった彼女の狂おしい憤りは、唯一開いた外界に向けて抱えきれぬ焦燥を膿のように吐き出しているのだ。…だが、その悲痛な限界は、鬼の千里眼を使わずとも明らかだ。

「…話してみるかね、彼女と?」

常に心弱き者に差し伸べられる聡角の大きな手が、そっと頷いた私の手を『マウス』に運ぶ。ようやくこれが聡角の用意した次なる試練と気づいた私は、深呼吸して師の言葉を思い出した。

『…とりあえず、話を聞いてみよう。』

…苦悶する彼女の魂が、いつ自ら救いを求める声を発するかは判らない。しかしその日まで、私は彼女の言葉に耳を傾ける者がいることを、この不慣れな機械越しに決して諦めることなく、いつまでも伝え続けるのだ。


(^O^)/

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