「強化人間物語」 1
◆gQ1F1ucvhk さん作
「デーニッツ! アーダルベルトぉっ!」
永遠の夜が支配する星の海の中、華麗な花が二つ、音もなく咲く。
二つの花に近い位置にいたガルム・フェンリス曹長は叫びつつ、
大急ぎでレバーを倒して機体を急旋回させた。途端に『リック・ドム』が軋みをあげてターンする。
余りに非人間的な機動に胃液をバイザーに撒き散らしつつも、
フェンリスは気を失わず、フットペダルを思い切り踏みつける。
途端に鈍重な印象を受けるリック・ドムは背部に背負った大型バーニアをふかし、凄まじい勢いで加速した。
その加速もまた、人間に過ぎないフェンリスの限界に挑戦するものであったが、フェンリスはペダルを放さなかった。
一見美しい宇宙に咲いた二つの花は、30分前まで彼と馬鹿話をしていた戦友の駆るリック・ドムの成れの果てである。
核融合炉に直撃を受け、爆散する機体は360度に超高速で鋼鉄の雨を振りまく。あのままの位置に止まれば、
確実にフェンリスの乗るリック・ドムは破片の雨で大損害を負っていただろう。それは、あの悪魔の前では自殺を意味する。
「くそぉっ! 化け物めっ!」
レバーを倒し、ペダルを操作する。同時にコンピューターを呼び出し、ランダムパターンの戦術機動を指示、
パイロット機動で敵機への進路を取りつつ、パターン機動でかく乱。
更に残った僚機のリック・ドムには予め各機に登録してある
タクティカル・データバンクの中の1パターンを呼び出すよう指示し、
眼前のMSへとフォーメーションアタックを仕掛ける。
こうすることによって、個々のMSは極めて機動が読みづらくなるにも関わらず、全体としてみた場合、
極めて効果的に敵機を包囲することが可能となるのだ。
8機のリック・ドムで仕掛ける、たった一機の敵へのフォーメーションアタック。
かのジェット・ストリーム・アタックをも凌ぐだろう。当然、パイロット達は全員がベテランだ。
だが、
「な、なんでついてこれるっ!?」
敵機――ガンダム――は完全にその動きに追随した。
360度を包囲し、巧みに射線をずらして行われる連続したジャイアント・バズの火線をかいくぐり、
背後を狙って斬りかかるリック・ドムをあべこべに両断する。
目くらましのグレネードも拡散メガ粒子砲も無駄だ。リック・ドムは1機、また1機とその数を減らしていく。
484 名前:強化人間物語 ◆gQ1F1ucvhk [] 投稿日:2009/06/11(木) 11:38:36 ID:ZgfVwCVl
「隊長、コイツ、後ろに目が…うぁぁぁっ! 来るなっ! 来るなぁーっ!」
「ハインツ! 今助ける、なんとしても持たせろ!」
なんたること、自分が最も信頼する副官が恐怖の余りに我を忘れている。フェンリスは自らも恐怖の手前にあったが、
信頼する部下を落とさせてはなるものか、という使命感が彼を駆り立てる。
しかし彼がバーニアをかけた瞬間、全ては終わっていた。
「たいちょ……」
「ハインツっ!」
閃光が舞い、リック・ドムが真っ直ぐに貫かれる。ビームの光条だ。
ハインツのリック・ドムは一瞬膨れ上がり、そして爆散した。
爆散するリック・ドムを背後に、ゆらりと敵が振り返る。フェンリスはそのMSの声を聞いた気がした。
次は、お前の番だ。
ビームライフルをいまや最後の一機となったフェンリスに突きつけるガンダムは、正しくその異名に相応しい
威圧感を以って、フェンリスに迫る。
「12機のリック・ドムがたった3分で……これが、『白い悪魔』……」
フェンリス機は数秒の悪あがきのあと、爆散した。
そしてその直後に彼らの母艦も落ち、艦隊そのものが壊滅した。
生き残りは僅か30名。MS乗りと艦艇乗りを合わせてたったの30名だった。
壊滅したコンスコン艦隊の生き残りの運命は、悲惨を極めた。
元よりドズルの無理な出撃命令に応えて中立サイドまでWBを追い掛け回していた部隊であり、ドズルへの忠誠が強い。
ドズルがソロモンで戦死した今となってはただでさえ鼻摘み者なのに、
その敗北の有様がサイド6のTV局の中継で大写しに報道され、去就を決めかねている各サイドの判断に少なからず
影響を与えたことで、彼らの評価は連邦・ジオンを通じて一つだった。
いわく、無能。
ア・バオア・クーの決戦に向けてただでさえ張り詰めた空気の漂うジオンは、
おめおめと生き残った彼ら無能者を容赦なく最も危険な戦域に配置した。戦死して来いというわけである。
彼らにとって幸いだったのは、分散して配置されたのではなく、まとめて危険な戦域に配属された事だろう。
一人一人では恐らく自殺していたかもしれないし、戦死していたかもしれない。
だが、集中して配属されたことが、彼らの命を助けた。
「絶対に、生き残ってやる」
執念と共に、彼らは戦う。その鬼気迫る戦いぶりは同じく危険な戦域に配属された他の兵士の感銘を誘い、
当初30人だった彼らは、300人にその数を増やした。
戦争が終わる頃、ついに欠けることなく生き残った30人を中核とする300人の精鋭はこう呼ばれていた。
『不死隊』
『敗北の次に悲惨なのは勝利だ』
ワーテルローの英雄ウェリントンはそう言った。けだし名言と言えるだろう。
戦争という行為そのものが悲惨である以上、勝利者も無数の屍の上に立つことでは何ら変わりない。
栄光という光に隠された悲惨さをワーテルローの英雄は語ったのである。
しかし言うまでもなく敗北は勝利より更に悲惨である。
敗北のあとには何も残らない。金も、土地も、命も、誇りも。文字通りのゼロに帰す。
一年戦争を終えて再出発したジオン共和国には、何も残っていなかった。
「兄ちゃん、ここはアンタみたいなのが来るようなところじゃねぇよ。命が惜しけりゃ帰りな」
くたびれた軍服の前を開けっ放しにしたまま、瓶ごと酒をあおる無精ひげの男は、
店内に入ってきた身なりのいい青年に一瞥を加えるとそう言った。
ズムシティの再開発予定地――予定は未定、計画は放り出された――の裏路地にある、いかにも場末といった
感じの酒場で、男は酒を飲んでいた。退廃的な雰囲気の漂うこの酒場は、退役軍人やヤクザ者の溜まり場である。
ここでは流血を伴う喧嘩など日常茶飯事であり、近年台頭してきたマフィアの抗争の場ともなっている。
男はいく当てもなくふらふらしていたところを酒場のマスターに雇われ、店の用心棒としてかつての部下と共に
酒場に入り浸る日々を送っていた。
そんなある晩である、男が場違いな青年の訪問を受けたのは。
青年は仕立てのいいスーツを着込んでおり、顔立ちもいい。片手に下げたアタッシュケースの存在もあって、
エリートビジネスマン然とした印象を見るものに与える。よくこんな酒場まで無事でこれたものだ、と
男が思うほどだ。この格好では路地の入り口から50mで刺し殺されて裸にされても文句は言えない。
「隣、空いていますか?」
青年は男からの忠告にも関わらず、また周囲からの敵意ある視線にも関わらず、真っ直ぐに歩を進めると、
酒場の隅で酒を喰らう男の側にやってきた。その度胸に思わず男は苦笑を漏らす。一目見れば素人でも
わかるというだろうに。酒場から発せられる敵意の中心が、実のところ真っ先に忠告をした男であるということが。
「他にも席はあるぜ」
「貴方にお話があるのですよ。コンスコン艦隊の生き残り、ガルム・フェンリス少尉」
敵意が増加した。店の各所に陣取る男たちが懐に手をやる。
彼らはフェンリスの元部下、それもコンスコン艦隊時代からの戦友である。
不用意に彼らの暗部に触れた者を許すことは、ない。
「兄ちゃん、自殺願望があるのかい」
片手を挙げて仲間を制しつつフェンリスは穏やかに語りかける。だが目は笑っていない。
返答次第によっては、というより、余程面白い返事をしない限りは、この場で絞め殺す予定である。
コンスコン艦隊のことは、彼らにとってそれほどの屈辱であり、余人の立ち入りを許さぬ聖域であり、
ほぼ心の原風景と化していた。
だが青年はたじろがない。
「あなたに、協力して欲しいことがあります」
「へぇ、サイド6で満天下に醜態を晒した俺達にあんたみたいなのが何の用事だい」
もういい、殺そう。そう決めたフェンリスが両手を青年の首に伸ばしかけた時。
「憎くありませんか、ニュータイプが」
どくん、とフェンリスの心臓が鼓動を打った。
思い起こされるのはサイド6での戦闘。圧倒的な、余りに圧倒的な結果。
艦隊司令のコンスコンも、MS隊も、艦隊も、無能だったわけではない。
いや寧ろかなり優秀な部類に入っていたといいだろう。実力主義のドズルの下で鍛えられた、
一年戦争開戦以来の精鋭部隊。それがコンスコン艦隊、だった。
サイド6にいる連邦の戦隊が精鋭なのは知っていた。それが連邦ジオン双方からニュータイプ部隊と
呼ばれているのも知っていた。そのデータには部下ともども何度も目を通したし、驚異的な戦果を上げているのも
当然フェンリス達は知っていた。
だから、怠ることなく艦隊全体でできうる限りの準備をした。質と量で敵を上回ったと判断されるまで。
実際シミュレーターでは最悪の場合でも艦隊戦力半減、されど勝利といった結果が出ていたのだ。
しかし、現実は全く違った。
MS隊はたった1機のMSを相手に僅かな時間で壊滅、直掩を失った艦隊は離脱も敵わずにそのまま全艦撃沈された。
全ては、たった1機のMSによってひっくり返されたのである。
その圧倒的な暴力、人知を超えた能力に、フェンリスは生まれて初めて心の底から恐怖した。
その経験に比べればその後に配属された戦場など子供だましに等しい、そう感じられる程に。
あれが、ニュータイプ。
思い返す程に恐怖が溢れる。旧人類とは桁が違う。
人と人との交流だとか、人類の可能性だとか、宇宙における進化した人の姿だとか、そのような甘い存在ではない。
フェンリスにとってニュータイプとは、恐怖と共に現れて自分たち旧人類を抹殺する、純粋な暴力の塊であった。
怖い、そして憎い。
アレがジオニズムの根源だというのなら糞喰らえだ。そんな思いがフェンリス達を軍に復帰させることなく、
場末の酒場で緩やかな壊死に向かわせていた。
目の前の青年は、自らの首に手を回さんとするフェンリスを前にしてなお動じず、
氷の如き冷たい視線を向けたままである。
だがフェンリスには、その瞳が実際には静かな青い炎であることがわかった。
「わたしは、憎い」
いいながら青年は袖をめくり、片腕を露出させる。醜く焼け爛れた肌がそこにあった。
「わたしはシドニーの産まれです。こう言えばわかるでしょうか?」
シドニー、コロニーの落ちた地。
今はぽっかりと大きな穴が開き、影も形もなくなった、嘗てのオーストラリアの首都。
住民の9割は街ごと消滅し、僅かな生き残りも飢えと寒さと疫病で倒れたとフェンリスは風の噂に聞いていた。
その生き残りと称する男が、目の前にいる。
「ですが私にはジオンに対する怒りは何故か芽生えなかった。
彼らとて人間だと言う事を、わたしは忘れなかったのです。しかし疑問も覚えた。
同じ人間が何故このような惨い事をできるのか、とね。
コロニー落としは史上空前の大虐殺です。事前に行われたガスによる虐殺だけなら、
まだ歴史に例がある。理解の範疇です。
ですがコロニー落としは別だ。それは、敵に対する虐殺であると同時に、
自らの基盤をも破壊する諸刃の刃のはず。
それを敢えて実行させたのは、なんだと思いますか?」
「……ジオニズム、そして……」
「その拠り所となった、ニュータイプ思想です」
青年の憎悪は今やフェンリスに共鳴し、店内の部下たちにまで乗り移っていた。
それは、美辞麗句によって彩られたニュータイプの実態を目の当たりにした彼らが
常日頃思っていた事だった。
奴らを生かしてはおけない。
奴らを放置すれば、人類は抹殺される。
奴らこそ真の意味での宇宙人だ。
だが、無力な自分たちが何を言おうと世界は動かないという諦念が、
彼らを無気力にしていたのである。
そんなフェンリス達の内心を見透かすように、青年は言葉を続ける。
「連邦だのジオンだの、アースノイドだのスペースノイドだのと言っている場合ではありません。
敵はニュータイプ、その事を多くの人類は気付いていない。
だからこそ手遅れになる前に、彼らの危険性を認識する我々が成すべきです。
ニュータイプの抹殺を」
「できるってのかい、それがよう」
フェンリスは自嘲するような笑みを浮かべた。
「俺たちはこれでも精鋭だったんだ。それがたったの三分で全滅だぜ。
いいたかないが化け物だ。もう一度ぶつかれって言われりゃ尻に帆をかけて逃げるぜ」
半分は芝居だ。青年の覚悟を試している。
だが半分は本気だ。恐怖は未だぬぐえない。勝算など現状ではゼロに等しいのだ。
「できます。わたしと共に来れば」
にた、と青年が整った容貌には不釣合いな笑みを浮かべる。
「ただし、あなた方もわたしも、悪魔に魂を売る必要があります」
「へぇ、俺はアンタが悪魔なのかと思ったぜ」
口の端を吊り上げて笑うフェンリスは心を決めていた。
ニュータイプを殺せるのなら、なんでもいい。身でも魂でも捧げてやる。
誰を踏み台にしようが、誰に踏み台にされようがかまうものか、そう思いながらフェンリスは
青年に向かって手を差し出す。無論首を絞めるためではない。
「契約成立だ。あんたの名前は」
「アスティ・モルグ。オーガスタ研究所の対ニュータイプ課長です」
こうして、フェンリスは悪魔と契約した。