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だれでも歓迎! 編集

二回戦 第八試合 PBM! の人 VS やまなし

作者 ◆nac/9nxvbM

 夕暮れ時の繁華街。
雑踏の中、伸びた影を少し気にかけながら一人の男が歩いていく。

 ダークグレーのサマースーツに薄く青の入ったワイシャツ。
襟元はクールビズスタイル。それでも内ポケットには堅実な柄のネクタイが用意されている。
 年齢不肖な巨大な丸メガネと背中までかかった髪。
そのいかがわしい風貌は、傍から見れば家路につく平凡なサラリーマンには絶対見えない筈だが、
とりあえず気にするものは誰もいない。

 ゆっくりと人の流れから外れ、男はあるビルの前で立ち止まる。

 洒落た横文字の置き看板。
僅かに反射光を放つショーウィンドウの奥には化粧箱に入った数々の商品見本が並んでいる。
そして男は控えめに記された看板下部の文字に気づく――――――


 第2回創発キャラトーナメントバトル。

 混沌と混迷の無法地帯と化した大会期間中、一回戦を勝ち上がった男に、二回戦の対戦者となる
女から一通の手紙が送られてきた。

 対戦者、やまなし。
セクハラまがいの行為と奇術に近い戦法で女同士の戦いを勝ち上がってきた選手。
秘めたる野望の持ち主なのか、勝つためには手段を選ばない女のようである。
 八百長操作、買収工作、強制拉致、美人局、色仕掛け、架空請求。
それらは大袈裟だとしても、何かしらの思惑が渦巻いているのは容易に想像できる。

 しかしそれは男にとって大した問題ではない。
要約すれば、ご馳走するので私の働いている店でお食事しませんか? という
内容の手紙だが、見なかったことにしてぽいっとゴミ箱に捨てればこれ万事解決である。

 しかしながら問題がある。

 対戦者、やまなし。
背はそれほど高くない。可愛いというより麗しいという言葉が似合う、四捨五入で
二十代と思われし女性である。
だがしかし、若い。ではなく幼い女性が好きな男にとってぎりぎりそれも大した問題ではない。

 ところがどっこいぎっちょんちょん。
男にとって重大かつ致命的な問題が残されていた。

 対戦者、やまなし。
彼女はまるで儚き陽炎のような、薄い薄い胸の持ち主なのである。

「……罠と知りつつ、それでも飛び込むつもりですか?」

 己に問う。

「あたり前田のクラッカー!据え膳食わぬは男の恥!!!虎穴にいらずんば虎子を得ず!!!!!
 その胸で朽ち果てるなら我が人生に一片の悔い無し!!!!!!!」

 一切躊躇せず。

 付け加えれば、世の中の99.137%の人がそうであるように男もまた異性から恋文なるものを
受け取ったためしがない。
 胡散臭いとは思っている。
しかしその甘い誘惑にあらがえる訳もなく、男は返信ハガキを握り締め光の速さで郵便局に出撃していた。

その男の名、PBM! の人――――――


―― そういうことですか……。

 ビルの前。男の口から負け惜しみに似た小さな笑い声が漏れる。

 女からの手紙に記された、小粋なレストランやカフェを匂わせる店名。
目の前の看板にも確かにその綴りはある。ただその後に何故か連なる『山梨県観光物産館』という文字。
女の勤務先の正体。それは地方の名産品特産品を紹介販売する、俗に言うアンテナショップであった。

「……ほうとうでも御馳走になりますか。……放蕩な私にお似合いだ」

 自虐的な駄洒落をつぶやく。
幾重にも構築された妄想が波にすくわれた砂の城のように音も立てずに崩れていく。
そして気恥ずかしさだけが残る。

―― まぁ、これもまた一興。楽しみ方は知っています。

 しかし、騙されたとは思わない。
激しい思い込みは日常茶飯事。激しい妄想も日常茶飯事。たかがこれきしのことでめげる男ではない。
 食事や飲み会などで若い幼い女性と同席する機会は滅法減っている。
なによりもその女は男が理想とする立ち姿を持っている。こんな機会をみすみす棒に振るつもりはまったくない。

 コンビニで買ったばかりのハンカチで念入りに丸メガネのレンズを磨く。
両肩を軽くはたき、ついでにさりげなくさりげなくさりげなくズボンのチャックをチェックする。
そして何事もなかったように、男は数歩先の自動ドアの前に立った。

「ごめんください。私、パラベラムの人と申しますが、やまなしさんいらっしゃいますか?」

 著名な韓流スターばりの笑顔を浮かべ、男はレジカウンターで電卓を叩いている黒髪の女店員に
声を掛けた。

 店内はそれほど広くない。
半分は所狭しと陳列棚が並び、残り半分はカウンター席と六卓のテーブルがある落ち着いた様相の
飲食ブースになっている。見渡す限り客の姿は無い。

「あ、どうも。お待ちしておりました。私、やまなしです。どうぞこちらへ」

 立ち上がった黒髪の女から笑みがこぼれた。襟から覗いた胸元は見事なまでに谷間のたの字も見当たらない。

―― 白の半袖開襟シャツにかろうじて膝上の黒のキュロットスカート。シンプル、だがそれがいい。
   黄色の帽子とサスペンダー、ランドセル装着で小学一年生仕様じゃないですかっ!

 韓流スターばりの笑顔はぴくりとも変わらない。
しかし丸メガネの奥では、長年かけて磨き上げられた技が発動していた。

―― A650、いやもしかしてAA650ですか? どちらにしても素晴らしい。私の目に狂いはなかった。
   そして何たる偶然か、私のシャツとお揃いですよ、やまなしさん!!!

 一瞬で色はおろかカップのサイズまで掌握する洞察力は、もはや魔眼と呼ばれる域に達している。
しかし全身激しくスキャンされていることなど露知らず、女は何の疑いも持たず歓迎の笑顔で男を迎えていた。
 かざした腕の先は飲食ブース。カウンターの奥には小型のワインセラーが数台並んでいる。
小柄な女に促されるまま、男は黒で統一されたテーブルセットの椅子にゆっくりと腰を降ろした。

―― 業務用とは思いますが、黒のローヒールパンプス。
   期待を裏切らない。素晴らしい。……踏まれ、げふんげふん。
   ん? さて……? やまなしさんの髪の色は桃色だったような気が……?


 背を向けカウンターに向かう女の姿に男は違和感を覚えた。
一回戦の試合を遠目に眺めただけで女とは初対面といっていい。
しかし胸の印象に隠れがちだが、鮮やかな色の髪が躍動していたことは忘れていない。

―― いくら女性とはいえ、客商売であの髪の色は派手すぎるということですか……。
   まぁ通常時は三つ編みツインテールを解除している私も人のことは言えませんが…………

 ぼんやりとしている男の前に、からんと涼しげな音が流れた。見上げた先には女の笑顔があった。

「どうもはじめまして。早速で申し訳ないんですけど、パラベラムの人さんって
 ちょっと呼びづらいので何かいい呼び方ありませんか? すいません、わがままで」

 はつらつとした女の声にどきりとする。

「ははは、すみません長ったらしい名前で。……そうですね」

―― 初対面の人にいきなり師匠というのもなんですし……。
   パラ。パラベ。……パラダ。……パラ田。それでいきますか。

 こだわりが無いといえば嘘になる。が、いちいち気にすることでもない。
パラ田ならより苗字に近く呼びやすいだろうと男は答える。

「それでは、パラ田と呼んでいただけますか」

「くくっ、あはははは!」

 男の提案に女から軽やかな笑い声が上がった。

「……?」

「あはは、いいなあパラダさん。なんかプラダのパチもんバックみたいで可愛いですね!」

―― その発想は無かった。さすがは女子。

「パラダさん、お食事は済まされました?」

 女から早速新しい名で呼びかけられる。
自分で軽量化しておきながら男は妙なこそばゆさを感じ苦笑する。

「いえ、確か山梨関連のお店と記憶してましたので、ほうとうを御馳走になりに伺いました。
 恥ずかしながらほうとうはまだ食べたことがないので、ちょっと楽しみにしています」

 お洒落なレストランかと思ってスーツ着てきました。念のためネクタイも持ってきました
ウハウハな展開に備えて銀行から普段より多めにお金降ろしてきました。

 当然そんなことは言える筈もなく、男は率直に御馳走になることを女に伝えた。
手紙にアンテナショップの記述はなかった。だが、ゲストとして招いてくれる旨は充分伝わってきた。
そして今のところ女から不穏な空気は感じない。逆に明るい声で笑う女に好感を抱いている。

 偉ぶるつもりは無いが、余計な気は遣わない。なるべく相手にも遣わせない。
 胸の中で男はそっとつぶやいた。


「ええ。御代は気にせずゆっくりしてってください。パラダさん、お酒のほうは?」

 そう言いながら女は指でくいくいと杯を傾ける真似をする。

―― 見かけとはうらはらに実はオッサンですか……。
   大会出場者という親近感や連帯感はありますが、随分気さくな方のようですね。

 端正な顔立ちからは想像できない女の仕草に唖然としながらも、男の顔は自然とほころぶ。

「まぁ、人並みにお付き合い程度には」

 実際のところ特異体質の男はいくら飲んでもほとんど酒に酔わない。
しかし他人にとってはどうでもいいことなのでその手の質問には適当にお茶を濁して答えている。

「うふふ、そうですか。じゃあ相当強いってことですね。最初はビールでいいですか?」

「ええ、ありがとう」

 女は慣れた手つきでカウンターのビールサーバーに手をかけ、そして颯爽と戻ってきた。

「どうぞ」

 シンプルなビアグラスが男の前に置かれた。
右手でグラスを取り、軽く持ち上げそこで停める。

「それでは遠慮なく。いただきます」

 乾杯でもするように軽くグラスを傾け、女が見守る前で男はビールを口に運ぶ。

「…………」

「…………」

 そのビールは普段男が口にするものとは微妙に違っていた。
酒の味が判るとはまったく思っていない。が、それでも苦味が少し強く、独自の香りが感じられた。
 女に気づかれないようにグラスを横目で見る。店のロゴがプリントされているだけで
ビールメーカーの企業名や商品名は無い。
女は無言のままにこやかな笑顔を浮かべている。男は無言の意味を探す。

「……えーと、これ山梨の地ビールですか?」

「あっ、分りますか?」

 男の声に、いっそう女の笑顔が華やいだ。

「いえ、お店もお店ですし当てずっぽうなんですけどね。それでもいつも飲んでるのに比べたら
 ちょっと苦味と香りが強いかなって思いまして」

「嬉しいですね。そういう反応あると提供するこちらもやり甲斐がありますよ」

「はは、大袈裟な」

 店の成り立ちとシチュエーション。
ほとんど女に無理矢理言わされたようなものである。
しかし女の笑顔は、それを充分埋め合わせるほどに輝いていた。
 男が和やかな気分にひたった束の間、軽い音質のチャイム音が響いた。
失礼しますと一声残し、女はくるりと向きを変えカウンター奥へと駆け込んでいく。


―― 素晴らしい。あと65ミリ背が低くて少しアニメ声が混じれば文句なしです……

「おまたせしました、ほうとうです。熱いので気をつけてください」

 くり抜きの木製汁椀から僅かに味噌の香りと湯気が揺らいでいた。
駅で見る立ち食いそば屋のどんぶりと同程度か小さいくらいの器である。

 妄想を見抜かれないように、早速男はほうとうの載ったお盆を引き寄せた。
大きめに切られたかぼちゃが存在を主張しているが、それ以外はありふれた具材で味を想像
しやすそうな構成である。
 そして麺。
すいとんや名古屋のきしめんのようなものと記憶の片隅にあった。
しかし問題がある。男はすいとんもきしめんも食べたことが無い。

「おいしそうな香りですね。じゃあ遠慮なく。いただきます」

 立ったままの女に見つめられる中、木製のレンゲをとり汁をすする。
どこか懐かしい、ほっと落ち着くような味と香りに包まれる。
 割り箸で麺を持ち上げる。幅広で厚さも程々にあるが濡れたリボンのようにくったりと
箸にしなだれかかってくる。
そのまま口に運び込む。勢いよくすするというより、食べるという感覚である。

「…………」

―― 小麦粉の香り、悪くない……。が、予想以上に柔らかい……。

「どうですか?」

 女から感想を求められる。男は一瞬迷う。

「……ええ。……しみじみというか、ほっとする味ですね」

「麺のほうはどうですか?」

「…………」

 そう聞く女の顔が少し意地悪に見えた。
 要らぬ気は遣わない遣わせない。
そう自分に言い聞かせ、男は素直に思ったことを口にした。

「……そうですね、小麦のいい香りもするしこれはこれでいいと思うんですけど、思ってたよりも
 だいぶ柔らかいですね。予備知識なしで腰のあるうどんのつもりで食べたら面食らうでしょうね」

「ぷっ、くっ……。あはははは、あはははは。ほうとうの、麺を食べて、面食らう。あはははは!
 パラダさんて楽しい方ですね。いえ、シャレのつもりで言ったんじゃないのは分りますけど」

「……どちらかといえば腰の強いうどんが好みなので、つい本音が出てしまいました」

 男の感想に女は笑う。
それでも悪い気はしなかった。あどけなさを残す笑顔と小鳥のさえずりの様な笑い声が心地よかった。


「でも、パラダさんの感じたとおりですよ。もともとほうとうは手間をかけずに作る家庭料理が
 出発地点ですから、麺も基本的には全然手間ひまかかってないんですよ。
 水だけで小麦粉こねて延ばして切るだけで、こねてこねて足で踏んで一晩寝かして熟成させてとか
 そういう面倒な工程はほとんど無いんです。
 だから麺にコシなんて求めても無理なんですよね。そういう作り方じゃないですから。
 でも、郷土料理として有名になるに連れて、味や食感が求められるようになってきた。
 初めて食べる人が、うーん、となるよりは手間ひまかけても食感を少しコシのあるうどんより
 にしておいしく食べてもらったほうがいい。
 気がつけば有名店と呼ばれる店のほうとうの麺は固めになり、ほとんどが一杯千円以上の
 値段になりました。当然それを否定することは出来ないですし、値段に見合う料理だと思います。
 だけど、人にそれがほうとうかと問われれば私は自信を持って頷くことは出来ないですね。
 ……すいません、ちょっと長くなっちゃいましたね」

―― 名は体を表す。そのものな人ですね。当然といえば当然か……。
   でも、その熱意は嫌いじゃない……。

「私が食べてるほうとうは家庭料理のほうですか、それとも有名店のほうですか?」

 むやみに首を突っ込むことはせず、男は食べながら女に尋ねる。

「家庭料理のほうですね。でも、せんえつながら私が麺打ちしてますので素人料理かもしれません」

「それはよかった。正統なほうとうを食べたと自慢できます」

「あはは。有名店のほうとうを食べ比べしてみるのも面白いですよ。それぞれ個性がありますから。
 話は変わりますけど、パラダさんって案外まともと言いますか、実はとっても誠実な人なんですね」

「え……?」

 女の意外な切り替えに思わず男の箸が止まる。

「一回戦の様子ビデオ見させてもらったんですけど、正直、私こんな怪しげな人と戦って
 大丈夫かなって思ったんですよ。それで試合に関係なく会ってみればひととなりが分るかと
 思って手紙出したんですけど、返事はすぐ返って来るし、こざっぱりした格好だし、
 約束の時間通りに来るし、話し言葉も丁寧だしで、私、超安心しましたよ」

―― うぐぐ……。誠実な人認定されてしまいましたね……。
   喜ぶべきか悲しむべきか。まぁ私のパブリックイメージからすれば喜ぶべきでしょうが。

 シカトしてもよかったんですが、そういえばやまなしさんはちっぱいさんなことを
思い出しまして今日はその胸を拝みにきました。飛んできました。

 当然そんなことは口が裂けても言える訳がなく、墓穴を掘らないように男は慎重に言葉を選んだ。

「ははは、あの時はちょっとのっぴきならない事情がありましてね。
 まぁ誠実とはとても言えたものじゃないですけど、なんと言いますか、普段は普通に普通の人ですよ。
 そういう意味ではやまなしさんも同じじゃないですか? 前の試合のとき髪の毛ピンクでしたよね?」

「うっ、見られてましたか。普段はウィッグつけて誤魔化してるんですよ。
 ここの従業員はみんな知ってますけど、さすがにピンクだと目立ち過ぎますからね」

 話を遮るように、またしても厨房からのチャイム音が響いた。
すかさず女はテーブルの進み具合を確認する。


「パラダさんビールもう一杯いかがですか。おつまみもお持ちしますので」

 グラスには三分の一ほどビールが残っている。
もともとの量が少なかったのかほうとうの椀も汁を除けば空に近い。

「ええ、ありがとう。喜んでいただきます」

 残ったほうとうの具をつつき、ビールを飲みきる。
空になったグラスを椀の載ったお盆に置きテーブルの脇に寄せる。
 いつのまにかテーブルに置かれたままのコップは汗で濡れ、コースターは水浸しになっている。
手持ち無沙汰を紛らすように、男はお手ふきでコップの汗とコースターに落ちた雫を拭う。
そうこうしてるうちに新たなお盆を持った女が表れる。

「お待たせしました。パラダさん、これ食べたことありますか?」

 男の前にビールと小皿に盛られた料理が差し出された。
たれ味の焼き鳥を串から外して炒め直したような料理である。
付け合せのサニーレタス。ししとうの緑。銀杏のような黄色の粒が彩りを添えている。

「焼き鳥……ですか?」

「同じようなものですね。熱いうちにどうぞ」

 女は多くを語らない。
言われるままに男は料理に箸をつけた。

 作りたての熱さと、焼けた甘辛いたれの香ばしさが口いっぱいに広がっていく。
食感は確かに記憶がある。無造作に、続けざまに放り込む。
 一旦ビールで舌をリセット。
そしてまたつまむ。砂肝、レバー。あとはいまいち自信がない。
味が濃いので酒がすすむ。一気にグラスが半分になる。

「これはいいですね。山梨の焼き鳥料理ですか?」

 紙ナプキンで軽く口の周りを拭きながら男は女に尋ねた。
 女の笑顔。しかし僅かに曇ったように見えた。

「……パラダさん。B級グルメに興味はありますか?」

 嫌な予感がする。
落胆させたかと思い、男は意識的におどけてみせる。

「えー、食生活はB級というかC級以下ですけど、……そういう問題じゃなさそうですね」

「ええ。実はB1グランプリというB級グルメの全国イベントでゴールドグランプリという賞を
 頂いたメニューでして『甲府鳥もつ煮』と呼ばれています」

「本当ですか? どうりで美味しい訳だ。……すみません、ちょっと勉強不足でしたね」

 気まずそうに男は頭を掻く。
しかし女は気にすることもなく笑っていた。

「あはは、気にしなくていいですよ。知らない人はまったく知りませんから全然大丈夫です。
 それにおいしいって言ってくれましたから、それだけで充分ありがたいですよ。
 パラダさん、よかったら日本酒いきませんか? 辛口の吟醸酒あるんですけど鳥もつ煮に
 合うと思いますよ」

「いいですね。でも正直、吟醸酒と言われてもぴんとこないんですよ。私にはもったいないんじゃ?」

「いえ、こう言っちゃなんですが余り物なんですよね。あまり出ないお酒で封を開けたはいいものの
 その後全然オーダーが入らないというやつでして、まだ半分ほど残ってるんですよね。
 このまま注文が入らなければ流しに捨てられるという悲しい運命のお酒なので成仏させてやってください」

「そうですか。そういうことなら喜んで引き受けましょう」

 男の返事に女は身をひるがえしカウンターに向かっていった。
しばらくがらがらと音を立てた後、大袈裟な荷物を持って女は帰ってきた。
 テーブル中央に氷の張られた木桶を置き、次に小ぶりな木の枡に入ったグラスを男の前に一つ、
そしてテーブル対面に一つ。

「……あの、何ですか、この大掛かりなセットは?」

 いぶかしがる男の声には答えず、女はカウンターから大吟醸という文字がやたらと目立つ
色の濃い一升瓶を大事そうに抱えてきた。

「あはは、すいません。さっき言ったとおり、このお酒、社内規定と賞味期限の兼ね合いで
 今日廃棄処分になる予定でして、それはもったいないということで安く譲り受けたんですよ。
 それで、それとは関係なくパラダさんに今日来ていただいたんですけど、もし話が合う人の
 ようならサシで飲むのも悪くないかなと思いましてね。実は私、今日お休みいただいてまして。
 なんていうか妙な組み合わせですけど、よかったら付き合ってくれませんか?」

 そう言って女は少しいじらしげに笑った。

―― ぐはー、まさかのドリーム展開ですよ。
   誠実な人認定。…………侮れませんね。

「ええ。私のようなものでもよければいくらでも付き合いますけど……
 それにしても、木の桶に木の枡とは。何が始まるんですか?」

 湧き上がる妄想をひた隠しに隠し、男は尋ねる。

「あはは。雰囲気ですよ、雰囲気」

 一升瓶をそっと木桶に寝かせ、女は厨房から準備済みだったと思われる数種類の漬物と
茄子の田楽、そして新たな鳥もつ煮の小皿二皿を運んできた。

―― たぶん高価なお酒なんでしょうね。大吟醸って最高位なはずですから……

 一升瓶のラベルを眺める。
ひと目で高級手作り和紙という印象が伝わる台紙に、筆書きの大吟醸の文字が豪快に躍っている。

「じゃあ、いまお注ぎしますね」

 そう言って一升瓶を慎重に抱え、女は男の脇に立つ。
枡に入った小ぶりなグラスが見る見るうちに酒で充たされる。しかし女は手を止めない。
あふれた酒が枡をも埋める。
男の対面にあるグラスにも同様に酒を注ぎ、一升瓶を木桶に置く。

「それじゃあ失礼いたしまして……」

 そして男の向かいの席に女はゆっくりと腰を下ろした。


―― 何かの礼儀作法テストですか…………?

 さしで飲むという絶好の展開になっているはずなのに、男はなみなみと酒を注がれた
グラスを前にして固まっている。

 ちらりと女を見る。笑顔を浮かべたままで動きはない。
枡にグラスが入っている絵は記憶がある。しかし単にコースターの代わりと思っていた男にとって、
枡にまで注がれた酒は理解不能なものだった。

 男は素直に女に尋ねる。

「……えー、すいません。これどうやって飲むんですか?」

「あはは、別に好きに飲んで構わないですよ。店によって器はそれぞれですけど
 いわゆる、もっきり。って飲み方ですよ」

 少し不安げな男を前にして女は楽しそうに笑う。

「あー、なるほど。もっきりってこれがそうですか。見たときはあるんですけどね。
 いつも銘柄とか関係なく安い日本酒をとっくりで飲んでますので気がつきませんでした」

「あはは、パラダさん正直ですね。雰囲気ですけど枡のお酒はひのきの香りがプラスされますので、
 好みでないようなら次からはグラスにだけ注ぎますよ。どうぞ飲んでみてください」

「ええ。じゃあ早速いただきます」

 グラスと枡の酒がこぼれないように両手で慎重に持つ。
そしてグラスに顔を近づけてすする。ある程度減ったところでそっとグラスを持って一口飲む。
さらに枡にも口をつけて飲む。

「……随分飲みやすいお酒ですね。時間差で遅れて喉が熱くなるような感じです」

「もともと飲みやすいお酒ですけど、さらにこれでもかってくらい冷やしてますからね。
 それこそ水のように飲めると思いますよ」

 女の言うとおり、その酒は日本酒の甘みや香りをあまり感じさせず、するりと喉に落ちていった。

 そして、そのせいか男がほんの少し目を離した隙に女のグラスはすでに空いていた。

―― 女房酔わせてどうするつもり?……ですか?
   さしつさされつさしすせそ。チャンス到来かもしれません。

「随分お強いようですね。……やまなしさん、私でよかったらお注ぎしますが?」

 冷静を装いに装い、男は一升瓶に手をかける。

「うふふ。……すいません、お客様を差し置いて私ばっかり飲んでますね。
 ……パラダさんもよかったらどうぞ」

 愛おしげに両手でグラスを持ち、少し恥ずかしそうに女は微笑んだ――――――


―― 久しいですね、この感覚は。
   小さい胸という要因はありますが、幼女以外にときめくなんて何年ぶりでしょうか……。

 中身半分の一升瓶。
肴は茄子と漬物、鳥もつ煮。会話は山梨に限られた話題のみ。

 そしてテーブルの向かいには、頬を桃色に染めた女。

―― しかし、時が来たら魔法が解けたシンデレラのように、
   私もパラ田さんからパラベラムの人に戻ります。

 いつしか一升瓶は空になった。
盛られた料理は一口二口残すのみ。話題もそろそろ尽きかける。

 そして、女が頬を染めた理由も最初から分っていた。


 ゆっくりと店内BGMの音量が下がり、代わりに優しいオルゴールの音色が別れの時を告げに来る。

「うわっ、もうこんな時間すか。パラダさん話うまいから楽しくて全然気がつかなかったや。
 いやー、それにしてもパラダさんお酒強いですねー」

「ははは。体質ですかね、あまり酔わないんですよ。
 それでもやまなしさんには負けますよ。七割方やまなしさんが飲んだんじゃないですか?」

「うへー、そうですか? あはは、すいません。
 ……パラダさん、最後の最後で申し訳ないんですけどちょっと変なこと聞いていいですか?」

「……答えられる範囲でなら構いませんが」

 二十時五分前。
変わらぬ笑顔のまま、女は男に問いかける。

「あはは。あの別に嫌なら答えなくていいんですけど、パラダさんはこの大会に懸ける
 意気込みみたいなのあるんですか?」

 上気した頬が女をより幼く、純朴に見せる。
少し潤んだ黒い瞳には、最後までよこしまな影は映らなかった。

「……うーん、どうでしょうね。……まぁ、応援してくれる人はいますので頑張ろうかなとは
 思ってますけど、なにがなんでも勝つとかがむしゃらにとか、そういう感じではないですね」

「ですよねー。私もそんな感じだったし……」

 納得したのか、男の返事に女はうんうんと頷いた。
 男は女に聞き返す。

「なにか思うことでもあるのですか?」

「ええ。……何を今更って言われそうですけど、一回戦のときは気合がこう、山梨の為に
 負けられない!って感じになちゃって気がつかなかったんですけど、単純に私が勝ち進む
 ことによって山梨の宣伝になるなーって思いましてね。ほんとついさっき気づいたんですけど」

「……そうですね、私も今日やまなしさんに誘ってもらわなかったら、甲府鳥もつ煮の存在は
 一生気づかなかったかもしれません。やまなしさんのおかげで鳥もつ煮のファンになりましたよ」

「あはは、早くも効果有りですね。郷土愛とかそんな大袈裟なことじゃなくて、単純に
 商業的な宣伝やアピールになればいいかなと思いましてね。
 まぁ、痛い思いをするのは私だし、何か戦う理由がなければやってられないってとこが
 本音なんですけど」

 戦う理由。
考えてもいなかった。そして男には何も思い浮かばなかった。

「……いいと思いますよ。どんな些細なことでも理由というか目的があればいざという時、
 心の支えになってくれますからね。何の意思も目的も持たない私よりは全然いいと思います」

「むむっ、対戦相手が結構マジになってるのに余裕っすね」

 男の返事に女は拗ねた子供のように口を尖らせる。

 男もわざとらしく胸の前で大袈裟に手のひらを広げた。

「いやいやいや。余裕なんて全然無いですよ。内心相当びくびくしています。
 ……ただ、不死身といいますか打たれ強さだけは誰にも引けをとらないと自負してますので、
 生半可な攻撃では私を倒すことは出来ませんよ」

「じゃあ一撃必殺の技をさらにコンボで繰り出すくらいしないと駄目ですか?」

 身を乗り出して女は問う。

 その柔らかそうな頬を、その華奢な肩を、ただ記憶に留めることしか男には出来なかった。

「…………たとえは古いですが、矢吹ジョーを沈めた力石徹ばりの渾身のアッパーカットでも
 貰わない限り私は倒れるつもりはありません」

「あはは、怖いなー。試合のときはどうぞお手柔らかにお願いします」

「ええ、こちらこそどうぞよろしく」

 名残惜しさを微塵も出さず、男は静かに答える。
いつのまにかオルゴールの音色も消えていた。もう席を立つ時が来ていた――――――


「あのこれよかったらあとで食べてください。明日明後日には食べ頃になると思います。
 まだちょっと硬いので常温で保存して、食べる前に冷蔵庫で冷やしてください」

 別れ際、自動ドアの前。
男は女から底の広い紙袋を手渡された。口からは数個の桃が姿が覗いていた。

「桃ですか。さすがは山梨ですね。ありがとう、遠慮なくいただきます」

 紙袋を左手で持ち男は小さく頭を下げる。

「いやー、今日はパラダさんとお話できて楽しかったですよ。
 ただ試合のときは、それはそれ、これはこれ。と言うことで本気でいきますのでどうぞよろしく」

「ははは、望むところですよ」

 くすりと笑いながら男は答えた。
始めから終わりまで女の笑顔は眩しかった。
だがそれもドアの向こうに踏み出せば幻となって消えてゆくだろう。

「それじゃあ、パラダさん。ちょっと早いですけどおやすみなさい。気をつけて」

「ええ、やまなしさんもいい夜を。おやすみなさい」

 ゆっくりと男は女に背を向ける。

「ありがとうございました」

 女の声が背中に響く。
しかし男は振り返らず、右手を小さく上げるだけだった――――――


 駅に向かう遊歩道。
腕時計の針は二十時三十分。人通りはまばらになったが、並列する幹線道路では忙しそうな
車の群れがいまだ列を作っている。
 公園と呼ぶには狭すぎる場所で、明かりの消えた二台の自動販売機が選択ランプを走らせていた。
その前で数脚のベンチが飼い主を待つ犬のように静かに佇んでいる。
 歩みを止め、小銭を取り出し自動販売機に入れる。
ごとりと落ちた赤い缶の炭酸飲料を取り出し、男はベンチに腰をかける。
大して酒には酔っていない。それでも酔い覚ましの水を飲むように男は喉を鳴らす。

 一息つき、脇に置いた紙袋を眺める。

「やまなしさん。内心びくびくしてるのは本当ですよ。単に打たれ強いだけあって、私は他に
 何も持ってない。セクハラ的な攻撃を仕掛けたところで、あなたも勝つためなら躊躇無く
 セクハラ技を繰り出せる人だ、私の拳は届かない。
 それでも当然負けるつもりはありません。武士は食わねど高楊枝、つまらないプライドって奴ですよ。
 ……ただ、さっきは偉そうなことを言いましたが、戦う理由が欲しいのは本当は私かもしれません。
 正確に言えば戦う理由ではなく戦いを貫く力ですがね。
 応援してくれる人はいます。ただ残念なことに腐れ縁の憎めない愛すべき野郎どもでしてね。
 はは。声援がむさい連中の野太い声じゃかえってやる気がそがれますよ、趣味じゃない」

 一人男は笑う。

 ふと甘い香りに気づき、紙袋から白の保護ネットに包まれた桃をひとつ取り出す。
山梨産の桃というだけで、品種も値段も男には分らない。
 淡い赤と黄色のグラデーション。
女の言うとおり、まだ完熟には数日必要だろう。ただそれさえも男には女の優しさに思えた。

「ああ、そうか……。私にもひとつだけ戦う理由がありましたね」

 大切なことを思い出したように男は嬉しそうにつぶやく。

 男の手にした桃に、女のまばゆい笑顔が重なった。

「邂逅……。めぐり合わせの妙ですか。
 やまなしさん、今日はありがとう。うたかたの逢引でしたがとても楽しい時を過ごせました。
 料理もお酒も美味しかった。それにわざわざお土産まで持たせてもらって申し訳ありません。
 お礼と言ってはなんですが、対戦者として恥じぬよう、私は、……私は、あなたのために戦います」



―― !?



 男の中で何かが目覚めた。

 曇ったフィルターを外したかのように景色が鮮明に色づいた。
そして打ち直され新たな魂を宿した刃の如く、全身の感覚が鋭く研ぎ澄まされていく。

「これは……?」

 類まれなる全能感が男の体を駆け巡る。
よどみのない高揚に包まれ、無意識に男はベンチから立ち上がった。

「……これが、……これが戦う者の力ですか?」

 そっと紙袋に桃を戻し、手のひらを見つめる。
走り抜ける風さえも捕らえられそうなほどに、爪の先までが意識と直結していた。

「……私もまだまだですね。またひとつ勉強になりました。やまなしさん、ありがとう。
 ……どうやらパラ田さんは還る時が来たようです」

 圧倒的な充実感に包まれたまま男は天を見上げた。
煌く星はどこにもない。しかし確かに男は満天の星を見た。

「……好敵手(とも)よ。
 あなたが郷土の英雄を名乗るならば、私は闇となり悪を演じてみせましょう! 
 これが我らの運命(さだめ)なら、私は全身全霊の拳をあなたに捧げましょう!」

 穏やかに、されど確固たる意思を持ち、男は夜空に誓う。

 しかし男には重大かつ致命的な問題が残されていた。そして最悪なことに男はそれに気づいていない。
確かに酒には酔っていない。だがしかし、男は激しく自分に酔っていた。

「我が名は PBM!の人! 私が体を預けるのは幼女のみっ!!! ジョインジョインハルカァァアアアアア!!!!!!」

 湧き上がる力のままに男は咆える。

 その声は、封印から解かれ、歓喜に震える魔王の咆哮のように、
星のない空の下、いつまでもいつまでも響き続けた――――――







  二回戦 第八試合 PBM! の人 VS やまなし



 PBM! の人、一身上の都合により出場辞退(案の定、酔っぱらいが騒いでいると通報され警察に御用。現在謹慎中)

 やまなし不戦勝。



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